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イスラエルはイランを攻撃するのか?

イスラエルに関する記事をUpします。

記事を書いたのはローネン・バーグマン(Ronen Bergman)さんです。元記事はここにあります。

イスラエルによるイランの核施設攻撃に関する記事です。

~~ここから~~

イスラエルはイランを攻撃するのか?

安息日直前の1月13日夕方、エフード・バラク(Ehud Barak)はテルアビブ北部にある自宅の、道路から遥か上にある広い居間を歩き回っていた。壁の書棚には、哲学や詩集から軍事戦略に関するものまで幅広い分野の書物が並べられている。イスラエルの国防大臣であるバラクはこの国の史上最もきらびやかな経歴を誇る軍人であり、最も経験があり最も反対派の多い政治家の1人でもある。彼は今までにイスラエル国防軍の幕僚長、内務大臣、外務大臣、総理大臣を歴任している。彼は今、総理大臣のベンジャミン・ネタニヤフと他12人のイスラエル安全保障会議メンバーと共に、人生で最も重要な決断を迫られている。イランに対して予防的攻撃を行うかどうかと言う決断だ。私達は午後遅くに会った。それは翌週まで続く一連の会談の最初のものだった。会談は2時間半に及び、真夜中を過ぎるまでかかった。「こいつは抽象的概念の話では無い。」バラクはテルアビブの夜景を見やりながら言った。「しかし基本的懸念に関わる話なのだ。何れにしろイランは、イスラエルを地図から消し去ることを指導者自ら戦略目標に設定している国なのだ。」

私は、前モサド長官メイア・ダガン(Meir Dagan)および前主席補佐官ガビ・アシュケナジ(Gabi Ashkenazi)が公言している意見をバラクにぶつけた。イラクの脅威はネタニヤフや彼が言うほど深刻では無く、軍事攻撃は壊滅的失敗になるだろうと言う意見だ。(バラクとネタニヤフの2人は国家の安全を犠牲にして大衆の支持を得ようとしているとも言っている。)バラクは彼にしては珍しく怒りをあらわにした。彼に言わせると、自分とネタニヤフは責任を負っている。「イスラエルという国家に対するとても直接的で確固とした責任だ。実質的にユダヤ人の未来に対する責任なんだ。」イラン攻撃は不必要であり現段階では効果がないと私に主張した軍高官についてバラクは言った。「色々な考えを持ち、それを表明するのは良い事だと思う。しかし最終的に兵士達が支持を仰ぐのは我々なんだ。防衛大臣と総理大臣だ。私達が支持を仰ぐ相手はいない。私達の上には空が広がっているだけだ。」

ネタニヤフとバラクは2人共繰り返し強調している。いまだ決断を下したわけでは無いと。そして決断のデッドラインも設定されて無いと。しかし私達が会談した時、バラクは3種類の質問事項を挙げた。それは彼の説明によれば、「イスラエルの能力」、「国際的な承認」、そして「必要性」だ。攻撃の決断が下される前に全ての質問に対して確固とした回答が必要だと言う。

1. 果たしてイスラエルはイランの核施設に対して深刻な損害を与え、イラン核開発計画に重要な遅延をもたらす事ができるのか?そしてイスラエル軍と国民は避けがたい反撃を耐え忍ぶ事が出来るのか?

2. 果たしてイスラエルは攻撃を行うに当たって外国からの、特にアメリカからの表立った協力を得られるのか

3. 果たしてイランの核の脅威を抑え込む他のあらゆる可能性は無いのか?イスラエルは最後の手段を取るしか無いのか?もしそうであるなら、これは攻撃の最後のチャンスなのか?

少なくともイスラエルの最もパワフルな数人の指導者によれば、1990年代中頃にイランの核の脅威が出現して以来、以上の質問事項全てがイエスであるのは始めての事だった。

私達の会談中何回かバラクは強調した。もしイスラエルと世界の各国が余りにも長く待ち続けたら、行動を起こすことすら不可能になる瞬間が訪れてしまうと。そしてその瞬間は今年から来年中に訪れると彼は言った。「そうなったら外科手術的方法で大きな遅延をもたらす事は不可能に成る。」彼は言った。「私達にとってだけでは無い。ヨーロッパにとっても合衆国にとっても不可能に成る。それ以後もこの質問事項は重要なものであり続けるだろう。しかしそれは純粋に理論的なものになり、私達の手を離れる。政治家や決断を下す人間の手を離れるんだ。そしてそれは君達のものになる。ジャーナリストや歴史家のね。」

イスラエルの副総理で戦略担当大臣でもあるモシェ・ヤアロン(Moshe Ya’alon)は、イランに対する攻撃的な立場を支持する第3の人物だ。1月18日の午後、予防的攻撃の決断を下すのは「未だ遥か先だ」とバラクが公に表明したその同じ日、ヤアロンは私と会談した。彼は攻撃は最後の手段だと繰り返しながらも、イスラエルの決意を沈痛な面持ちで強調した。「私達が堅持する政策は、どのような手段であってもイランの核開発計画は阻止しなければならないと言うものだ。」彼は言った。「イランが軍事的核攻撃力を獲得するまであと数ヶ月と言ったところだ。イスラエルはイランとの論争を主導するべきでは無い。イランの政権と対決するのは国際社会の役割だ。しかし何れにしろ、イスラエルは自らを守らなければならない。そして私達は自分達を守る用意がある。」ヤアロンは続けた。「私達が適当と考えるあらゆる手段を使い、どのような国に対してでもだ。」

何年もの間、イスラエルとアメリカの情報局員は、もしイランが核爆弾開発能力を獲得するとすればそれはロシアを通してであろうと考えていた。ロシアはイランのブーシェフルに原子炉を建設したし、イランのミサイル開発計画を助けてもいた。1990年代を通してイスラエルと合衆国は膨大な資源を投資してロシアとイランの間の核リンクを弱める事に努め、ロシアに巨大な外交的圧力をかけてイランとの関係を絶とうとした。最終的にロシアは、イランの原子炉建設を可能な限り遅らせる事と、例え建設が完了しても(後に完了したが)核兵器に必要な濃縮ウランやプルトニウムを作成する事は不可能である事をイスラエルに確約した。

しかしロシアはイランにとって、核の力へと続く唯一の存在では無かった。現在、合衆国連邦政府で軍縮および核不拡散問題特別顧問を勤めるロバート・アインホーン(Robert Einhorn)は2003年に私に話した。「合衆国とイスラエルの両国は公然と、あるいは秘密裏に、膨大な努力を傾注してロシアが正確に何をイランへ供給したか明らかにしようとし、その供給をストップしようとした。私達はこれが、イランが最終兵器を確保する為の主要な道だと確信していたんだ。しかしながら、もしイランが何時の日かその目標を達成するとしても、それはロシアルートからでは無い事が判ったのはかなり遅くなってからだった。イランが核兵器へ向けて大きな前進を遂げたのは、全く別のルートを通してだった。秘密のルート、我々の目から全く隠されていたルートだ。」

その秘密のルートこそ、イランとパキスタンの原爆の父、アブデュル・カディーア・カーン(Abdul Qadeer Khan)のネットワークとの繋がりだった。2002年、英国、米国、そしてイスラエル情報局の共同作業によって、テヘラン北方200マイルのナタンツに、カーンの助力で建設されたウラン濃縮施設が発見された。この情報が確認された時、イスラエルの軍、情報局および指導層では甲高い悲鳴があげられた。何人かは即座の爆撃を要求した。しかし総理大臣アリエル・シャロンは攻撃を指示しなかった。その代わりこの情報は、イランの反体制グループ、国民抵抗評議会(National Resistance Council)へリークされ、同評議会はイランがナタンツに遠心分離施設を建設中だと公表した。これにより、国際原子力委員会(I.A.E.A.)の調査チームが訪問する事になる。調査チームはイランが原爆作成の重要なステージであるウラン濃縮プロセス、核燃料サイクルを完成しようとしている事に驚愕する。

ナタンツ施設の発見とそれに続く国際的経済制裁にも関わらず、イランの核プロジェクトが依然進展している事を、2004年始めイスラエル情報局が報告する。シャロンはイランのプログラムを終わらせる作業の責任者に、当時のモサド長官メイール・ダガンを任命した。2人は1970年代からの知り合いで、シャロンがイスラエル国防軍南方面軍の司令官だった時、ダガンは若き将校で、ガザ地区にいるパレスチナ解放機構軍人の組織的暗殺を司る極秘部隊を率いていた。シャロンはその当時、人に漏らしている。「ダガンの得意技はアラブ人の首を切り離すことさ。」

シャロンは「イランの爆弾」を阻止する為に、実質的に無制限の資金と力をモサドへ与えた。最近モサドを引退した幹部は私に言った。「どんな作戦でも、どんなプロジェクトでも、資金不足で実施できなかったものは無かった。」

2004年から2007年にかけて何回も行われた合衆国政府要員との会合において、ダガンは「5正面戦略」を詳述した。その中には、政治的圧力、秘密作戦、反核拡散作戦、経済制裁、および政権転覆が含まれている。2007年に合衆国向けに発信された秘密電文で彼は強調した。「合衆国、イスラエル、そして思いを同じくする全ての国は、5つの正面全てにおいて協調して同時に圧力をかけなければならない。」彼はさらに続けて言った。「幾つかは実を結びつつある。その他は、」ここで彼はイラン国内の少数民族の反乱を煽る努力を強調し、「さらなる努力を傾注すれば、時間と共に実を結ぶと思われる。」

2005年以降、数多くの情報機関と合衆国財務省はモサドと協力し、イランの核プロジェクトの資金源を特定し妨害する世界的なキャンペーンを開始した。モサドはアメリカに種々の情報を提供した。それらは、核取得の前線として働くイラン企業、テロ組織を資金援助する金融機関、イランとシリアによって設立され、各種の活動を取り仕切る銀行組織などの情報だった。アメリカは同時に、幾つかの大企業とヨーロッパ政府、特にフランス、ドイツ、イギリス政府にイラン系金融機関との取引を停止するよう求めた。先月、上院はイラン中央銀行に対する制裁を承認している。

これらの介入に加えて、イランへの核燃料供給を妨害する努力も行われている。2005年以降、イランの核プロジェクトは一連の事故と災害に見舞われている。イランはそれを西側情報機関、特にモサドの陰謀と考えている。イランのメディアによれば、2006年4月、ナタンツで最初にウラン濃縮作業を開始しようとした時、2基の変圧器が爆発し50台の遠心分離器が壊れた。イラン原子エネルギー評議会のスポークスマンの発表では、原材料に「細工が施されていた」と言う。2006年1月から2007年7月までの間にイラン革命防衛隊に属する3機の飛行機が謎めいた状況下で墜落した。幾つかのリポートでは飛行機は「単純に動作を止めた」と言う。凶悪なコンピュータ・ウィルスが核プロジェクトのコンピュータ・システムに侵入し、広範囲な損害をもたらして数多くの遠心分離器を破壊した時、イランはモサドの仕業と疑った。

2007年1月、東ヨーロッパ・ブラックマーケットの仲介者から取得した遠心分離機の連結固定器にある絶縁ユニットが不良品で役に立たない事が発見される。イランは幾つかの商社が実際には幽霊会社で、イランの核プロジェクトへ不良品を供給する為に作られたものであると結論付けた。

全ての秘密作戦の内、最も問題含みなのは、核プロジェクトで働くイラン人科学者の暗殺だ。2007年1月、イスファハンのウラニウム・プラントで働く44歳の核科学者、アルデシル・フセインポウル博士(Dr. Ardeshir Husseinpour)が謎めいた状況下で死亡した。彼の死に対する公式声明は「ガス漏れによる」窒息死だ。しかしイラン情報局はイスラエルの暗殺の犠牲者だと確信している。

量子物理学者のマスード・アリ・モハンマディ(Massoud Ali Mohammadi)、は2010年1月に殺された。彼が自動車に乗ろうとした時、近くの公園に止まっていたオートバイに仕掛けられたブービートラップが爆発したのだ。(何人かは、モハンマディを殺したのはモサドでは無くイランのエージェントだと言っている。彼が反体制派指導者のミル・フセイン・モウサビ(Mir Hussein Moussavi)を支持していたからだ。)同じ年の11月29日、テヘランの路上で2台のオートバイによるマンハントが行われた。イラン核プロジェクトの2人の幹部、マジド・シャフリアリ(Majid Shahriari)とフェレイダウン・アバシ・ダヴァニ(Fereydoun Abbasi-Davani)が乗った車が爆破された。オートバイはリンペット爆弾(limpet mines:別名マグネット爆弾)を車に着けて、スピードを上げて逃げ去った。シャフリアリは彼のプジョー405の中で爆殺されたが、アバシ・ダヴァニと彼の妻は、爆発する前に車から逃げる事が出来た。暗殺未遂の後、大統領マフムード・アハマデネジャド(Mahmoud Ahmadinejad)はアバシ・ダヴァニをイラン副大統領および、国の原子力機関の長官に任命した。今日、彼は何処へ行くにも厳重に護衛されている。核プロジェクトの科学長官であるモフシン・ファクフリ・ザデフ(Mohsin Fakhri-Zadeh)も同様に警護されており、同氏のテヘラン大学での講義は予防措置として中断された。

昨年7月、核物理学者でイラン原子力機関の研究者ダリオウシュ・レザエイ・ネジャド(Darioush Rezaei Nejad)が自宅外の車の中に座っていた時、オートバイに襲われた。オートバイに乗った者はピストルを抜き窓越しに科学者を射殺した。

4カ月後の11月、テヘランの30マイル西にある革命護衛隊基地で巨大な爆発が発生した。爆煙は市内からも見ることができた。市民は地面の揺れを感じ、窓ガラスがガタガタ音を立てるのを聞いたと言う。衛星写真によれば殆ど全施設が消滅した。革命防衛隊のミサイル開発部門長官、ハッサン・モガッダム准将(Hassan Moghaddam)が、部下16人と共に死亡した。イランの精神的指導者アヤトラー・アリ・ハメネイ(Ayatollah Ali Khamenei)は将軍の葬式に参列して弔意を表し、未亡人をその家に弔問した。そしてモガッダムを殉教者と呼んだ。

そしてこの1月11日、同僚であり友人でもあるマスード・アリ・モハンマディの死から丁度2年後、ナタンツのイラン濃縮施設の副長官、モスタファ・アフマディ・ロシャン(Mostafa Ahmadi-Roshan)は自宅を出てテヘラン・ダウンタウンにある研究所へ向かった。数か月前にアフマデネジャドと共に核施設をツアーする彼の写真が地球上全ての新聞に掲載されていた。2台のオートバイが彼の車に接近しリンペット爆弾を付けた。その場で彼は殺された。

イスレエル人はイランに入れない。従ってイスラエルは、仕事の出張などで国外に出たイラン人を膨大な資金でリクルートし、エージェントとして帰国させていると、イラン政府は見ている。何人かは国籍を偽った相手にリクルートされている。リクルートされたイラン人エージェントに、資金の出所が、いわゆるイラン国内で呼ばれている「シオニスト・エネミー」、イスラエルで有る事を隠す為に。一方モサドは、暴力作戦の実施を可能な限りブルー・アンド・ホワイト主義で追行する事を好んでいる。それはイスラエルの国旗の色から取った名前で、意味するところは、モサドの正規工作員であるイスラエル市民のみで作戦を実施し、ターゲット国でリクルートした人間を使わないと言う事だ。しかしイラン国内の作戦はモサドの破壊暗殺ユニット、カエサレア(Caesarea)として知られる部隊には不可能だ。従って暗殺者は別の組織から来たに違いない。過去数年の間にモサドは2つのイラン反体制派、ムジャヒディン・カルク(Muhjahedin Khalq:MEK)とジュンダラー(Jundallah)に資金と武器を供給し、イラン国内の少数民族クルド人の前進基地をクルディスタンに設立し、テルアビブ近郊にその他の少数民族の為に訓練用秘密基地を作っているとイラン情報局は見ている。

イスラエルは公式にはこれらの暗殺に関わったと認めていない。今月、国務長官ヒラリー・ロドハム・クリントンがアフマディ・ロシャンの殺害を非難した時、シモン・ペレス大統領はイスラエルが関与したと言う情報は得ていないと述べた。イランは殺害のあと復讐を誓っている。1月13日、私がエフード・バラクとテルアビブの彼の家で会談していた時、イスラエル国内の情報関連機関は、イランとヒズボッラの共同作戦による、バンコク内ユダヤ人ターゲット攻撃を抑止する緊急オペレーションを実施中だった。報告によると、モサドから情報を得たタイ現地軍はバンコク内のヒズボッラの隠れ家を急襲した。そしてその後、国外逃亡を図ったテロ組織のメンバーを逮捕した。逮捕された男は、組織の仲間のメンバーとイスラエル大使館およびユダヤ寺院の爆破を計画していた事を白状したと言う。

メイール・ダガンは、暗殺への自分の関与を認めて無いが、モサドによるイラン人科学者を標的とした作戦を賞賛した。殺害はプロジェクトから「重要な頭脳を除去」しただけで無く、モサド内で言われるところのホワイト・デフェクション(白い変節)を招きよせたと言う。別の言葉で言えば、イラン人科学者が怯えて民間プロジェクトへの移動を希望するようになるだろうと言う事だ。「疑う余地は無い。」1月11日に前モサド長官は朝食を食べながらそう私に言った。アフマディ・ロシャン暗殺のニュースをテヘランが発表した僅か数時間後の事だった。「国家からふんだんに資金を供給された名誉ある核プロジェクトの科学者で有る事はステータスや昇進、研究費と高い給料をもたらしてくれる。その一方、訓練された兵士でも無く、生命の危機に瀕する事に慣れてもおらず、妻や子供もいる科学者が、仲間が次から次へと殺害されるのを見ているんだ。彼らは間違いなくオートバイに乗った男が車をノックする日が来る事を恐れ始めている。」

私達が話していると一人の男が近づいてきた。そして私がジャーナリストで核問題のリポートを書いている事が判ると、不躾を詫びながら質問して来た。「いつ戦争が始まるのですか?イランが爆撃して来るのはいつですか?」核攻撃は今日明日の話では無いと私が納得させようとしている間、モサドの高官は微笑んでいた。似たような場面は殆ど毎日のように起きている。イスラエル人はニュースで、核シェルターが用意されている事、2か月前イスラエルは海に向けてミサイル発射テストをした事などを聞いている。ある種のパニック、直ぐにもミサイルが降ってくると言う不安が、イスラエル社会を覆い始めている。

ダガンは彼の5正面作戦が、イランの核兵器開発に重大な遅延をもたらした事で成功したと信じている。特に「使える武器を全て一度に使った」事に効果があったと、彼は私を含む少人数のイスラエル人ジャーナリストを相手に去年語った。「イラン市民の頭の中には、経済的苦境と核プロジェクトの繋がりが作り上げられている。今日イランでは、この問題について深い議論が戦わされている。それはイラン指導層の分裂を招いている。」彼は笑顔で付け加えた。「これらの謎めいた中断の為に、プロジェクトの予定が2003年以降何回も延期されている事は私にとって喜びだ。」

バラクとネタニヤフは長期的なモサドの成功に対して懐疑的だ。就任した直後から(バラクは2007年6月から国防相、ネタニヤフは2009年3月から首相)、彼らは秘密作戦が失敗した時の為に、軍事的オプションを持つべきだと言う意見を堅持している。バラクは、イラン攻撃に関する広範囲に亘る軍事的準備を命令しており、それは今日まで続いている。最近数カ月は依然より頻繁になっている。モサドの秘密作戦と経済制裁の組み合わせが充分では無いと考えているのは彼だけでは無い。イスラエル国防軍(I.D.F.)と軍情報局も又、慎重な考えに傾いてきている。3人の軍情報局の高官、1人は現役で2人は最近引退した人物が私に話したところでは、イランの核計画遅延に対するダガンの成功には敬意を表するが、イランは依然前へ進んでいると言う。1人は1970年代のイラク核計画に対するイスラエルの作戦を振り返った。その時はモサドがプロジェクトで働く科学者を消して、他の者を震え上がらせた。1979年4月6日の夜、モサドの特殊部隊がフランスの港町、ラ・セーヌ=シュル=メールに潜入し、イラクの原子炉で必要なフランス製冷却システムを載せた船を爆破した。フランス警察は実行犯に繋がる証拠を発見できなかった。それまで知られた事の無い環境保護団体が犯行声明を出した。

攻撃は成功だった。しかし1年後には損害は回復され、さらなる破壊活動は阻止された。プロジェクトは1980年代後半まで進行し、濃縮ウランを含む燃料棒がフランスからバグダッドへ送られ、原子炉へ挿入される寸前まで続いた。イスラエルは他に選択肢は無いと判断しオペラ作戦を実施。1981年6月、バグダッドの直ぐ外にあるタミュズ・オシラク(Tammuz-Osirak)原子炉を奇襲空爆した。

ダガンに対する批判派は言う、イラクと同じようにイランも殆どの障害を克服し、殺害された科学者も交代させている。最近の情報によれば、イランは稼働中の遠心分離器を10,000台持っていて、濃縮作業に当たっていると言う。イランは今日5トンのローグレード核物質を持っていると言う。ハイグレードへ変換された場合、5個から6個の原爆に相当する量だ。同国は又175ポンドのミディアムグレード核物質も持っている。500ポンドで爆弾に出来る素材だ。イランの科学者は命令を受けてから最初の爆弾を完成させるまで、9カ月かかると信じられている。そしてそれをイスラエルまで届くシャハブ-3ミサイルに搭載可能にするのに後6ヵ月かかると言う。イランは国内各地のサイトに核物質を保存していて、その内有名なのは、聖地クォム(Qom)均衡のフォルド(Fordo)施設だ。核物質はそこの220フィート地下とイスラエル情報局が推計する格納庫に保存されている。合衆国所有の最先端のバンカー・バスター爆弾でも届かない場所だ。

ダガンはイスラエルの上級代表として、この問題について合衆国と複雑な対話を続けている。彼は数人のイスラエルの政治家、特に彼のボスであるネタニヤフの様に、アフマデネジャドとヒトラーを同一視する事に同意せず、はるかに穏健な見方を支持している。「私はイランが核兵器を開発するのは、イスラエルの破壊以外にも目的があると言う見解を受け入れる。しかしリスクを無視は出来ない。」彼は今月初めそう私に話した。「イランの核兵器は現体制が生き延びる事を保障するだろう。イランの若い世代が西側に見せる賞賛の念からすれば、もし核が無ければこの体制は40周年を迎えられないと思う。核を持ってしまうと、政権を動かすのはとても困難になるだろう。」バラクは続ける。「イランが核を持った瞬間から、この地域の他国も同じ衝動に駆られる。サウジ・アラビアもアメリカに対して主張するだろう。トルコとエジプトも同じ状況と考えられる。兵器グレードの核物質がテロリストに渡る危険は言うまでも無い。」

「私達の見解では、」バラクは言う。「核保有国は近隣諸国に対して異なる種類の防御力を得る事に成る。再びヒズボッラと軍事的に対立する場面を考えてみて欲しい。ヒズボッラは50,000発以上のミサイルを持っていてイスラエル全土に対する脅威だ。テルアビブには数千発が届く。核保有イランがヒズボッラへの攻撃はイランへの攻撃と見做すと宣言するかも知れない。我々はこれに対して必ずしも譲歩する必要は無い。しかしそれは私達の作戦の範囲を決定的に縛る事に成る。」

この時バラクは前かがみになり、最も厳粛な表情で言った。「そしてもし核保有イランが湾岸の何処かの国を占領したら、誰がそれを解放する?最低限でも我々はこの問題に今取り組まねばならないんだ。」

イランが核兵器を取得するまでに後1年も残されていないと彼は警告する。何故ならイランは「安全圏」(バラクが付けた名前で、イランがノウハウ、原材料、経験、装置を蓄積し同時に秘密施設間の分配能力も獲得した時点)に入ろうとしていて、それ以降は攻撃しても核プロジェクトを遅らせる事が出来なくなるからだ。イランの核プログラムはイスラエルの攻撃に耐えられるように成るまでにあと9カ月とイスラエルは推計している。アメリカはその卓越した火力ゆえに、あと15カ月持っている。どちらにしても、彼らに残されている時間枠はとても狭い。あるイスラエル情報局のかなり高位な人物が私に話した。「アメリカ人は未だ時間があると言う。我々に言わせれば6ヵ月から9カ月しか無い。彼らを阻止するには、経済制裁は今現在で最高潮に達している必要がある。」

ヨーロッパの多くのアナリストや情報局エージェントは過去において、イスラエルの警告を完全に疑う事は無いにしても、批判的に答えた。イスラエルはヨーロッパをイランに対する広範囲なキャンペーンに引き込む為に、故意に調査内容を大げさにし、脅威を感じる雰囲気を作ろうとしていると言う人々もいる。こういった批判は、イラク戦争前にC.I.A.が出したイラクのW.M.D.に対する誤った調査結果によって補強されている。

イスラエルが合衆国向けに提供したイラン核プロジェクト暴露情報は、ヨーロッパ向けよりも重要性があり、驚異的なものだった。合衆国は対イラン経済制裁をより厳しくするよう努力し、ロシアや中国のような国を、アメリカからの大幅な譲歩と引き換えに経済制裁に参加させようとした。しかしこの共同作業の裏側で、お互いに対する疑念の兆候が見られる。あるアメリカ高官は2009年11月、イランが完全な核兵器を2012年までに取得すると言う予測をイスラエル情報局が出した後に、国務省と国防省へ向けて手紙を書いた。「イスラエルがこれを確信しているのか、あるいは合衆国を強く煽る為に最悪ケースの予測を使っているのかは明らかで無い」と。

イスラエルの側も又、オバマ政権が核武装イランを阻止するあらゆる過激な政策を放棄し、自分たちをなだめる為に言葉のゲームをしているのでは無いかと疑っている。イスラエル側は、オバマ政権が使う言葉の変化にその証拠を見ている。「出発点の阻止(threshold prevention)」と言う言葉、核兵器開発能力へ繋がる可能性のあるイランの原子力発電プログラムをアメリカは阻止すると言う意味の言葉から、「兵器の阻止(weapons prevention)」、原子力発電はあり得ても、アメリカは実際の兵器製造は阻止すると言う言葉に代わっている。

「アメリカのロジックは私には判らない。」あるイスラエル情報局高官は私に話した。「彼らを阻止する為に、遠心分離機がもっと壊れるようお祈りすると言うのなら理解できる。阻止する為に直ぐに攻撃しなければならないと言うなら同意する。しかし、彼らが既に到達してしまってから阻止すると言うのなら、私には理解できない。」

去年1年間を通して西側情報局、特にC.I.A.はイラン核プロジェクトに関するイスラエルの調査結果を精査した。国防長官レオン・パネッタ(Leon Panetta)が、イランは1年以内に核開発能力を獲得すると言った時、イスラエルの調査について特別に言及した。国際原子力機関(I.A.E.A.)は、イランが核不拡散条約を破っており、核兵器開発を試みていると記述された厳しいレポートを出した。これらの新たな同意に力を得たイスラエルの指導者はイランに対してより厳しい言葉を発するように成る。副首相ヤアロンは10月に私に話した。「我々は過去2年間、米政権と何回か論争をしてきた。しかしイラン問題についてはある程度見解の相違を埋められたと思う。大統領が首相と会談した時に言った言葉、『we are committed to prevent(我々は阻止に全力を尽くす)』そして『all the options are on the table(取りうる全てのオプションを検討する)』は非常に重要だ。経済制裁の発動は余りにも遅かった、しかし彼らは関与政策(policy of engagement)から、より行動的な政策(経済制裁)をイランに対して取った。これらすべては前向きの変化だ。」しかし一方でヤアロンはため息をつきながら認めた。「しかし最大の論争が待っている。それは明らかだ。」

ヤアロンが想定する論争が、どのように行動すべきかと言う問題から発生している事、および行動すべき瞬間が訪れたとイスラエルが判断した時、何が起きるかと言う事についてであるのは、今や多くの者が同意している。2国間で最もデリケートな問題は、アメリカがどの様なシグナルをイスラエルへ送るか、および、イスラエルが攻撃を決断した時、アメリカへ事前通告するかどうかだ。

マシュー・クローニグ(Matthew Kroenig)は外交問題評議会のスタントン核安全保障フェローで2010年から2011年まで国防省特別顧問を務めていた。彼の仕事の1つは対イラン防衛政策と戦略だった。先週クローニグと話した時、彼は言った。「私の理解するところでは、合衆国はイスラエルへイランを攻撃するなと頼んだ。そしてもし攻撃を企画した場合はワシントンへ知らせてほしいと頼んだはずだ。イスラエルはどちらの要求に対しても断った。攻撃しない保障も、攻撃する場合の事前通告も断ったのだ。」クローニグは続ける。「私の予測では、イスラエルは攻撃の1時間から2時間前に通告すると思う。両国間の関係を悪くしない為に充分なだけ前に、そしてワシントンに攻撃を阻止する間が無いほど切迫した時間にね。」イランの核開発に対するイスラエルのタイムラインは正しいとクローニグは言う。そして来年は重要な年に成るとも言った。「未来はおそらく3通りの内のどれかになる。」彼は言う。「イランと国際社会が合意に達する。イスラエルとアメリガがイランの核武装を黙認する。または、イスラエルとアメリカがイランを攻撃する。そのどれかだ。誰でも軍事攻撃はしたくないだろう。」彼は付け加えた。「しかし残念ながら、それが一番ありそうなシナリオだ。より興味深い質問はそれが起きるかどうかでは無く、どういう風に起きるかだ。合衆国はこの選択肢をより真剣に扱うべきだ。国際的な支持を集めて国際法の下で武力を使うケースに持って行くべきだ。」

2007年7月、私はモサドの元長官、メイール・アミット(Meir Amit)と会った。彼は私に「Top secret, for your eys only.(最高機密、部外秘)」とスタンプが押された書類を渡してくれた。アミットは合衆国とイスラエルの関係の複雑さを例示する為にこの資料を出した。とくにそれがイスラエルの軍事活動、中東おけるアメリカの国益に重大な影響を与える活動がからんだ場合の複雑さを彼は示したかった。

約45年前の1967年5月25日、六日間戦争へと向かう国際危機の只中で、モサド長官だったアミットはテルアビブのC.I.A.チーフ、ジョン・ハデン(John Hadden)を自宅へ呼んで緊急会談をした。中東における緊張が高まり、エジプト軍がシナイ半島へ大集結し、イスラエルへ向かう船舶に対してティラン海峡が封鎖され、ガマル・アブデル・ナセル大統領がイスラエル破壊を言及していた状況下でその会談は行われた。

後に彼が「外国の情報局代表と行った中で最も困難だった会談」と説明する会談で、アミットはイスラエルのエジプト攻撃の論点を説明した。アミットが渡してくれた書類に記述された会話は以下の様に続いた。

アミット:「我々はターニング・ポイントに近づいている。そのターニング・ポイントは我々にとってよりも君達にとって、より重要なものだ。つまるところ君達は全てを知っている。我々は深刻な事態にある。そしてこうなったのは我々がいまだ行動していないからだと私は信じている。個人的には、我々が直ちに行動しなかった事を残念に思っている。もし行動していたら恐らく幾つかのルールを破る事に成っただろう。しかし結果は君達の利益にも適うものに成っていたはずだ。私は行動したかった。軍が集結する前に攻撃するべきだった。」

ハデン:「そうしたらロシアと合衆国は君達と敵対していただろう。」

アミット:「君は間違っている。国連査察官が追放された後、我々は新しいステージに到達したのだ。君はこれが君達の問題である事を知らねばならない。我々の問題では無い。」

ハデン:「我々を助けて欲しい。君達の側に立つ良い理由が必要なのだ。相手に先に撃たせるとか。例えば船にでも。」

アミット:「そんな問題では無い。」

ハデン:「君達がもし攻撃したら、合衆国は地上兵力を派遣する。攻撃された国が自国を防衛するのを助ける為に。」

アミット:「そんな言葉は信用できない。」

ハデン:「我々を驚かせてもらっては困る。」

アミット:「驚愕は成功の秘訣の1つだ。」

ハデン:「アメリカの助力が君達にとってどれほど重要なのか私は知らない。」

アミット:「それは我々への助力では無い。君達自身への助力だ。」

この不機嫌な会談とハデンの脅迫によって、イスラエルの安全保障閣僚会議は、シナイ半島のエジプト兵に対する攻撃を中止した。シナイ半島のエジプト軍はイスラエルの存在に対する重大な脅威であると考えられていたにも関わらずの中止だった。しかしアミットはハデンの回答を最終的なものとは考えておらず、合衆国へ飛んで国防長官、ロバート・マクナマラ(Robert McNamara)と会見した。帰国後、彼はイスラエル閣僚へ会談の内容を報告する。エジプトの軍事行動をイスラエルは容認できないとマクナマラに話した時、長官は次のように答えた。「私は君の言う事を明確に理解した。」そして、事態の進展を見守る為にワシントンへ留まるべきかどうか、アミットが尋ねると、マクナマラはこう答えたと言う。「若者よ、家へ帰りたまえ、君を必要としているのは故郷だ。」

この会談からアミットは結論付けた。合衆国はイスラエルのエジプト攻撃に「青ランプを点灯させた」と。彼は閣僚に話した。もしアメリカにさらに一週間、外交的努力を使い果たす時間を与えれば、「彼らは我々に対し行動する事を躊躇するだろう」と。翌日、内閣は六日間戦争の開始を決断した。そしてそれは中東が進む歴史を変更させる決断となった。

アミットは、ハデンとの会談で座っていた同じアームチェアに座って、私に会談の抜粋を手渡した。その会談が、現在進行中のイスラエルと合衆国間の会談といかに似通ったものであるかは衝撃的ですらあった。「カイロ」を「テヘラン」に、「ティラン海峡」を「ホルムズ海峡」に置き換えれば、今週行われた会談だとしても不思議は無い。1967年以降、アメリカがイスラエルの軍事行動に、少なくとも無言で、同意すると言う事は、両国間の暗黙の了解事項と成った。

バラクとの長々とした会見の中で、私はアミット‐ハデン会談のコピーを取り出した。バラクが青年将校だった頃、彼の所属していた部隊が敵陣深くの襲撃を行った時、アミットは上官だった。歴史愛好家のバラクは2つの危機の類似点に微笑した。しかし彼は完全に否定した。「合衆国との関係は当時よりはるかに緊密だ。」彼は言った。「何の脅威も無いし非難の応酬も無い。共同作業と互いの主権に対する尊重があるだけだ。」

1月18日の私との会見で副首相のヤアロンは、国際社会のイランに対するスタンスを厳しく批判した。「はたして国際社会がどちらの政策を取るのか、非常に重要な時期に入っている。」彼は言った。「西側は団結して断固たる態度に出なければならず、それだけでも充分では無い。イラン政権に圧力をかけて孤立させなければならない。損害を与える経済政策をとる必要があり、それはまだ実施できていない。信頼できる軍事オプションが最後の手段として検討されなければならない。イラン核武装を阻止する為には経済制裁はステップアップする必要がある。」もちろんこれが、イスラエル‐イラン間の問題であるだけでなく、アメリカの国益への脅威だと主張する事は、ヤアロンにとって重要だった。「イラン政権がもし核兵器を取得したら、今より何倍も危険な存在に成る。」彼は続けた。「彼らは合衆国へそれを持ち込むことだって出来る。イランがラテンアメリカに基地を築こうとしていて、U.S.‐メキシコ国境の麻薬ディーラーに接触しようとしているのは、単なる気まぐれでやっているのでは無い。彼らは合衆国内に爆発物を持ち込んでテロ攻撃をしようとしているのだ。考えてみてくれ、例えばイラン政権がU.S.-メキシコ国境へ核兵器を運んで、テキサスへ持ち込もうとする事を。これは突飛なシナリオでは無い。」

エフード・バラクは合衆国に対するこの手の批判を好まない。1月18日の私との電話で、彼はより慎重な口調で言った。「我々と合衆国との話し合いは、傾聴を基本として互いに対する尊重で成り立っている。お互いに相手を重要な同盟国であると理解している。合衆国は我々が軍事的優位を保つのを助けてくれている。以前より遥かにだ。現政権はイスラエルの安全保障にとてつもなく貢献している。そしてイランの核兵器を阻止するために多くの事をしている。我々はアメリカと対立していない。我々は細部については合意していない。違いはあって良いのだ。重要でないものならば。しかし我々が互いに敵意を持っているかのような話をするべきでは無い。」

バラクが国防相に就任してから4年間、イスラエル軍は前例の無いほどの規模でイラン攻撃を準備してきた。イスラエル軍は同時に、反撃にどのように対応するかについても取り組んできた。その努力の大部分は市民の防衛に注がれている。爆撃シェルター、防空警報、およびそれに類するもの、2006年夏のヒズボッラとの戦争中に、重要な欠陥が見つかった部分だ。市民の防災訓練は不定期に行われており、全住民にガスマスクが配布された。

実施の段階では、どのような攻撃でも非常に複雑なものに成る。イランはイラクから教訓を学んでおり、核施設は広大な国土に分散させている。鍵となる核施設をイランがイスラエル情報局から隠しておおせているかどうかを確実に知る方法は無い。イスラエルの空軍力は限られており、空母も持っていない。もしイランを攻撃する場合、基地と目標間の約1000マイルの距離の為、イスラエル空軍機は少なくとも一回、空中給油する必要がある(もし空中戦になったら1回以上の給油が必要だ)。目標近辺での時間は限られている為、爆撃にはピンポイントの正確さが要求される。そして目標は対空ミサイルの砲列で重厚に防衛されている。

最終的に攻撃が成功したとしても、プロジェクトの科学者が取得した知識を消し去る事は出来ない。高いテクノロジー・インフラストラクチャーを持つイランは、損害を受けたサイトを再建する事が出来るだろう。さらに言えば、2007年に原子炉を攻撃されても反撃しなかったシリアと異なり、もし攻撃されたら断固反撃するとイランは公言している。イランにはイスラエルまで届く、数百機の弾頭装着済シャハブ・ミサイルがあり、ヒズボッラを使う事も出来る。ヒズボッラは50,000発のロケットでイルラエルを攻撃でき、その中にはテルアビブに届くものもある。(やはりイランの援助を受けているガザ地区のハマスも相当数のロケットをイスラエルへ撃ち込むと思われる。)イスラエル情報局によれば、イランとヒズボッラはだいたい40のテロリスト・スリーパー・セルを地球上に配置していて、復讐が必要だとイランが考えた時、イスラエルやユダヤ関連の目標を攻撃する準備がある。そしてもし、イスラエルがヒズボッラの攻撃に対して反撃し、レバノン内の目標を攻撃した場合、シリアもイスラエルに対して作戦行動を開始する必要を感じるかもしれず、全面戦争へと発展する。これら全てに加えて、テヘランは既にペルシャ湾閉鎖の脅しをかけていて、もしそれが実施されると原油高騰を招き、世界経済に深刻な影響を与えるだろう。

攻撃支持者は主張する。上記のような問題、イランやレバノンからのミサイル攻撃とか、海外のテロリストアタックとかは、今現在イランを攻撃するかどうかに関係無くイスラエルが取り組まなければならない問題なのだと。そしてもしイランが核武装したら、これらの問題はさらに困難なものに成ると。

イスラエル空軍は殆どの準備作業が行われている場所だ。空軍は、イラン目標までの長い距離を爆弾を搭載して飛べる機体の整備、同じ目標へ爆弾を運べる無人機の整備、その他の空挺部隊の配備を48時間で行える。イスラエルは、これらのプラットフォームなら、イランの核プロジェクトを3年から5年押し戻すに充分な損害を与えられると信じている。

2010年1月モサドはハマス高官、マフムード・アル・マブフーフ(Mahmoud al-Mabhouh)の暗殺の為にヒット・チームをドバイに送り込んだ。マブフーフはイランからガザへロケット弾の密輸を行っていた人物だ。暗殺は成功した。しかし全ての作戦行動とチーム全員の姿が有線の監視カメラに記録されていた。作戦は外交問題となり、モサドにとって大きな恥辱と成った。問題を収拾する中で、ネタニヤフは既に異常な長期となっていたダガンの任期を終了させる事にし、2011年1月を持って交代させる事を告げた。決定はダガンには不満だった。そして任期終了の3日前、私を含む数人のイスラエル人ジャーナリストがモサド本部でダガンと会見できるという驚愕すべき招待を受けた。

私達はテルアビブ北部にあるシネマ・コンプレックスの駐車場に集合するように告げられた。そこで私達はモサドの保安要員から注意事項を聞かされた。「コンピュータ、録音機器、携帯電話は携行しないでください。厳重な身体検査を受けます。不愉快な事は避けましょう。全てのものを車に残して私達の自動車へ乗ってください。持って言って良いのは紙とペンだけです。」そして私達は、窓に曇りガラスをはめた車に乗り込み、黒いジープの先導で、どの地図にも載っていない施設へ連れて行かれた。車は幾つものセキュリティー・チェックを通過した。その度に添乗員が書類を見せて、私達が何者であるか説明した。

ジャーナリストの1団が、国内で最も秘密の施設でその長官と会うなどと言う事は、モサドの歴史始まって以来の事だった。身体検査が終わって着席したあと、退任しつつある長官が現れた。ダガン、戦闘で2度負傷した人物(1つは重症で六日間戦争で受けたものだった)は話し始めた。「背中に傷を受ける事には利点もあるんだ。医者が保障してくれるからね、背骨が通っているって。」彼はそして対イラン問題の話を始め、政府高官を鋭く批判した。イラン攻撃について「馬鹿げたアイデアだ」とさえ言った。

「国家レベルの暴力に訴えることは耐え難いほどのコストを強いる。」彼は言った。「イランの核プロジェクトを軍事攻撃で完全に停止できるとされる現在の推定は誤っている。軍にそんな能力は無い。遅らせる事は出来るだろう。しかしそれでさえ、限定された時間でしか無い。」

彼は警告する。イラン攻撃はヒズボッラとハマスとの望ましからざる戦争を招くと。「シリアが戦争に引き込まれないという考えには納得できない。シリアの戦車が向かってくる事は無いだろうが、国土は膨大なミサイル攻撃に直面するだろう。市民が前線に立たされるんだ。そのような攻撃に対するイスラエルの防御力がどれくらいあると思う?この問題に対する解答を私は知らない。」

イスラエル政府の決定権を持つ者に今の話をしたかと訊かれて、ダガンは答えた。「私は自分の意見を、この場と同じ位の強さで言ったさ。何回か声を荒げたよ。私は直ぐにカッと成るし、喋っていると熱中し過ぎるからな。」

後の会談でもダガンはネタニヤフとバラクを批判した。テルアビブ大学の講演では次のように主張した。「選挙で選ばれたからといって、彼らが頭が良い事を意味しない。」

講演の聴衆には85歳のラフィ・エイタン(Rafi Eitan)がいた。彼はモサドで最もベテランの良く知られた工作員だ。エイタンは、イスラエルにイランを攻撃する余力は無いと言う事について、ダガンに同意している。私は10月に彼と話した。その時エイタンは言っている。「2006年くらい前から(エイタンが内閣のシニア閣僚だった頃)私は閣僚に言っていたんだ。イラン攻撃にイスラエルは耐えられないってね。まず第一に、国土防衛が充分には出来ない。私は攻撃を欲していた人たち、今でもまだ欲している人たちに言うんだ。1日に2発のミサイル、それだけで充分なんだ、それがテルアビブに飛来する事を考えてみてくれって。それに対して何ができる?さらに言えば、我々の攻撃は彼らに重大な損害を与えられない。こういった話し合いの1つで言われた事がある。攻撃は彼らを3年遅らせる事が出来るってね。私は答えたよ。『3ヶ月だって無理さ』って。実際に彼らは施設を全土に分散させていて地下に潜らせている。『それをどうやって破壊するんだ?』私は尋ねたよ。『入り口くらいは壊せるだろうさ。だけど彼らは3ヶ月で修理するよ。』」

イスラエルの法律は規定している。安全保障会議の14人のメンバーのみが戦争を開始する権限を持っていると。閣僚は未だ投票を求められていない。しかし大臣達はおそらく、ネタニヤフとバラクの圧力の下、イランに対する重要な質問へ確固とした答えを出すことを求められている。その質問とは、これからの数ヶ月はイランが「安全圏」へ入る前の最後のチャンスであるのか、および、イランの意図に対する国際社会の広範囲の理解と、経済制裁でのプロジェクト阻止の失敗は、攻撃を充分正当化できるのか、そして、イスラエルはイランのプロジェクトへ重大な損害を与える能力を持っているのか、である。

最近数週間、イスラエル人は取り付かれたように問いを繰り返している。果たしてネタニヤフとバラクは本当に攻撃を計画しているのか、あるいは、ヨーロッパと合衆国へ更に強硬な経済制裁を即す圧力をかける為にそう言っているだけなのか。私は両方とも正しいと考えている。しかしシニア情報局員でイスラエルのトップ指導層としばしば会議をしている人物が私に言った。彼らの意図を真に知っているのは、もちろん、ネタニヤフとバラクだけだと。そして最近の発言、決断しないと言う解が差し迫っている、と言う発言も考慮すべきだ。

多くのイスラエルのシニア・リーダー達、および軍や情報局の局長達と話した結果、私は2012年中にイスラエルはイランを攻撃すると信ずるに至った。おそらくは、どんどん狭くなり消えつつある、残された時間枠の中で、合衆国は介入する事を選択するだろう。しかしここ、イスラエルから見ると、あまり希望は見えない。その代わりこの場所には、イスラエルに特徴的な不安の混合物がある。イスラエルの生存が他国の暗黙の援助に依存している事に根ざした不安だ。そしてそれが正しかろうが間違っていようが、頑強な熱狂的確信も存在する。イスラエルを守れるのはイスラエル人だけだという確信が。

~~ここまで~~

次回更新は2月18日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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