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アフガニスタン戦闘継続中

アフガニスタンに関する記事をUpします。

記事を書いたのはリューク・モーゲルソン(Luke Mogelson)さんです。元記事はここにあります。

不安定な最前線への従軍記です。

~~ここから~~

アフガニスタンを出る苦難の道

アフガニスタン北方のヘルマンド地方、ムサ・カラ州の辺鄙な場所、ジャズ・ゴーレイ村では何年もの間、タリバンが勝手気ままな支配を行っていた。土地のケシ栽培農家から税金を集め、アグリー・ヒル(Ugly Hill:醜い丘)と呼ばれる険しい不毛の台地へ侵入した外国のパトロール部隊が射程距離へ入ると攻撃した。去年、海兵隊がアグリー・ヒル内の切り立った谷間で9個のI.E.D.(Improvised Explosive Device:手製爆弾)を発見してから後、同盟軍は殆ど近寄って無い。10月のある夜、第4海兵連隊第2大隊のエコー(Echo)中隊、ベトナム戦争以来、飛び切りのくそったれどもとして知られている部隊は、静かにジャズ・ゴーレイ村へ忍び入り、民家のドアや窓に張り紙をした。エコー中隊がやろうとしたのは、悪名高いタリバンのやり方、政府を支持する者の処刑を夜中に手紙でほのめかして脅すやり方を真似る事だった。海兵隊の張り紙はアフガニスタンの国の色をしていて、パシュトン語とダリ語でこう書いてあった。「アフガニスタン治安軍が来る。」2週間後エコー中隊の60名と30名のアフガニスタン国軍兵士は、夜中に徒歩で移動し、一発も撃たれずにアグリー・ヒルを占領した。夜明けと共に家から出てきた村人は、新たなアフガニスタン警察の駐在所が土嚢で守られているのを見つける。そこには、さらに別のものもあった。ジャズ・ゴーレイ村の住人が今まで見たことの無いもの。アフガニスタンの国旗が旗竿の上に翻っていたのだ。

政府にとって新しい駐在地はその支配地の拡張を表す目に見える印だ。ささやかなものだが成果ではある。しかしそれなりのコストが必要な成果だった。アグリー・ヒルをアフガニスタン軍が占領する前に、2名の海兵隊員が地雷除去をした。アーカンサスから来た26歳の軍曹、ジョシュア・リー(Joshua Lee)は金属探知機で最初のI.E.D.を見つけた。その爆弾の処理中、2つ目を見つけ、体制を立て直そうとして3つ目を踏んでしまった。爆発は彼の右足を砕いた。膝の下で横に折れ曲がった脚の先には、ずたずたになった足が骨と肉からぶら下がった。

朝、アグリー・ヒルのふもとの建物を捜索中、海兵隊はさらに3つ、100ポンドの爆発物を含む完成したI.E.D.を見つける。技師が爆発物を掩蔽して爆破すると、敷地内の建物が1つ建っていた場所に6フィートのクレーターが出来た。同じ日の夕方、エコー中隊は南下を続けて小石が堅く敷き詰められた大地にキャンプを張った。不毛な大地で夜が冷えてゆく時、小さなコンボイが到着して兵士たちに水と食料を届けた。コンボイが険しい坂を上ろうと向きを変えた時、先頭車両が又別の爆弾を踏んだ。地雷ローラー、前方に突き出た車軸に付いている地面をテストする重い車輪が、爆発の衝撃を吸収した。しかし近くを歩いていた若い一等軍曹ジェイコブ・マクスウェル(Jacob Maxwell)が倒された。破砕されたローラーの破片や岩が脚と背中に当たったのだ。

マクスウェルにとってこれは5回目の派兵だった。2006年イラクに派兵されていた間、彼はI.E.D.の爆発を4回経験している。砂埃が静まった時、彼は道端に座っていた。切り傷とあざを負っていたが、他は無傷だった。彼を治療した衛生兵は、その風変わりな幸運を賞賛した。マクスウェルは、爆発のあとも今までと変わりなく自分の小隊を率いて次の任務に当たると私に保障した。次の任務で中隊は、さらにタリバン領内深くに入る。ジャズ・ゴーレイよりも先の村、新政府が出来て10年経ってもいまだ有意な連絡が取れない場所だ。「海兵隊は奥地へ入る。」大隊の前線指揮官フランク・ディオリオ(Frank Diorio)少佐は私に言った。「これから向かう場所はどの基地とも切り離されている。この作戦は我々が撤退後も続く作戦だ。継続して続く作戦になるだろう。」

海兵隊は2009年までヘルマンド地方へは足を踏み入れていない。以前は英国がこの地方を担当していた。英国隊は兵力不足で装備不足、とても薄く展開していた為に、2006年以降既にヘルマンド地方一帯で再起していたタリバンを抑え込むことは出来なかった。2010年になってやっと、オバマの増派に支えられた同盟軍は、スタンレイ・マクリスタル(Stanley McChrystal)将軍の言うところの「血を流している腫瘍」マルジャ(Marja)の町の焼灼治療に乗り出した。マルジャは州都の直ぐそばの町で、高い利益を上げるケシ産業を支配するタリバンが何の邪魔もされずに支配していた場所だ。今日ではマルジャのタリバンは殺されたり人口僅かな不毛の土地へと追いやられたりしている。そしてアフガニスタン治安軍が街の治安に殆どの責任を負っている。マルジャの成功はしかし、他の地方では不可能なほどの、兵力と資源を投入した結果成し遂げられたものだった。アフガニスタンで良く知られる寓話に例えれば、水の入った袋のようなものだ。下の部分を絞れば、上の部分が膨らむ。それと同じようにマルジャや首都近辺の町の制圧によって、ヘルマンド地方の戦闘は河の上流へと移動した。その上流、カジャキとかサンギン、ムサ・カラのような場所では、10年の歳月と821人の死者、何千人もの負傷者を出したにも関わらず、反乱軍ははびこったままだ。

毎年毎年、毎月毎月、ヘルマンド地方はアフガニスタンにおける最も厳しい暴力的な地方であり続けた。他のどの地方も足元にも及ばない。しかしながら、パキスタンの国境沿いで膨らむ懸念が示唆するように、アメリカ軍撤退の影響が最も早く表れるのは東部諸州よりもヘルマンド地方であるだろう。来年にかけてこの地方駐留海兵隊員の数は数千名へと縮小される。今年の夏にも、海兵隊が詰めている基地は閉鎖されるか、アフガニスタン軍や警察へと引き継がれる。それまでに反乱軍が打倒されていると信じる人間はいない。すでにはるか前に、タリバンを如何に撲滅するかと言う問題では無くなっている。そんな事は不可能だ。むしろ、撤退による完全なタリバン復活を如何に阻止するかと言う問題に変わっている。去年の戦闘季節の終わり頃、冬の雨季が近づく時期に、私は海兵隊と共にヘルマンド地方の多くの場所を訪れた。何処へ行っても問題に対する回答は基本的に同じだった。まず第一に充分な治安軍を残してゆく。第二に、時間が許す限り治安軍に余裕を持たせてあげる。

海兵隊がジャズ・ゴーレイへ押し出したのはこの計画に従った行動だった。この地方一帯の撤退ブループリントに従って、エコー中隊は最近2カ所のパトロール基地を閉鎖した。それによって中隊は、以前は不可能だった遠距離まで届く作戦、例えばアグリー・ヒル制圧とかが可能になった。「基本的に我々はアメリカ軍の力を補強し、さらに深くまで届く作戦を促進する為に、基地をアフガニスタン軍へ明け渡そうとしている。」そう小隊の指揮官ニコラウス・デ・マリア(Nikolaos de Maria)大尉が言ったのは、リーとマクスウェルが負傷したI.E.D.攻撃の直ぐ後だった。「従って中心と成るのはアフガニスタン警察だ。そしてその周りを取り巻くのがアフガニスタン軍。その次が我々さ。我々はさらに深い場所へと侵入を試みる。だから中心を同じくする3つの輪なのだ。我々は一番外側で困難な戦いに備えている。」

その日の午後、海兵隊がジャズ・ゴーレイへ行く途中渡った河の乾いた底に、反乱軍が3つのI.E.D.を埋めたと、土地の男が知らせてきた。その内1つを発見し、爆破した後、数名が現地に留まり、夜の間見張りについた。朝に成って、何処か目に見えない東側の場所から、機関銃と重火器による攻撃を受けた。アグリー・ヒルで戦闘の音を聞いたデ・マリアは小隊の残りとアフガニスタン軍を急行させた。防弾チョッキを着こみ無線機を背負ってカービン銃を装填する間、兵士達は何時もの様に気合いを入れている。しかしそこには何時もとは違うものも含まれていた。実際に向って来る敵と相対する事による解放感だ。「俺たちがハンマーを持って駆け付ける。」デ・マリアは無線に向って言った。

ブランドン・シッソン(Brandon Sisson)伍長は小隊を率いて丘を下り、無人の村を通過した。シッソンは痩せていて向こう気が強く喧嘩っ早い男で、もっと前に軍曹に成っていておかしくない人物だった。しかしイラクで仲間の海兵隊員の顎をひどく砕いてドイツの病因送りにしてしまった事で彼の昇進は止められた。今23歳で妻と子がいて、次が生まれようとしているシッソンは、年齢と共に丸くなったと言われている。農地に出たところで、さらに多くの銃撃が襲ってきた。海兵隊員はてんでに掩蔽を探して隠れた。耕されたケシ畑の泥に腹ばいになりながら、シッソンは首を振った。「イラクの方が良かったぜ。」彼は言った。「相手が見えたからな。」

ちょうどその時、2名のアフガニスタン兵士が、まるで傘の様に武器をかざしながら進んできた。彼らは、誰かが発砲してきてるのを、まるで気にしていないかのように見えた。その内の1人を私は知っていた。彼はライフル銃の代わりにリュックサック一杯のロケット・プロペルド・グレネード(R.P.G.)を持っている。その為、海兵隊員に人気がある彼はR.P.G.と言うニックネームを付けられていた。その他の兵士は余り人気が無い。何故なら彼らは怠け者だし、文句が多いし、臭いし、盗むし、しょっちゅう麻薬でラリッているから。彼らに対する愚痴はまだまだ続く。しかしながらその愚痴のリストには、最終的に最も重要な欠点が挙げられる事は無い。彼らは臆病では無い。戦闘を厭わない。

もしアフガニスタン兵士と合衆国海兵隊員の間の重要な違いを一点だけ挙げるとすれば、それは「規律」と言う言葉に最も良く集約されるだろう。海兵隊は存在論的に規律によって定義される。アフガニスタンにはその概念が乏しい。以前の或る日、私はアフガニスタン部隊がジャズ・ゴーレイをパトロールするのに同行した。彼らは最初に見つけた建物を調査する事を義務付けられていた。同行した海兵隊員のアダム・スウィート(Adam Sweet)軍曹は驚いた。捜索する場所があまりにも近かったのだ。私達にはまだ長い距離が残っていて、その場所には特に怪しげなものは何も無かった。「これか?」彼はアフガニスタン部隊の指揮官に訊いた。

「ああ。これだ。」アフガニスタン指揮官は答えた。「俺たちは今からここを捜索する。」

スウィートが海兵隊員に成ったのは全くの偶然だった。彼は麻薬を打って自動車を運転して逮捕された後、大学を最初の学期でドロップアウトした。アパートを追い出されて故郷のネブラスカで母親と暮らす事に成った彼は、1人の女性に会う。彼女は一緒にコロラドのフォート・コリンズへ行こうと彼を誘った。彼女はフォート・コリンズで学校に通っていた。スウィートは同行した。6カ月後に彼女は別れると宣言し妹達と一緒に暮らすと言い始めた。「何をしたら良いか解らなかった。」スウィートは私に言った。「それで或る夜、酔っ払って自分に言い聞かせたんだ。空軍に入ろうってね。次の朝、空軍に入る為に出かけたら、閉まってた。それで隣の海兵隊入隊事務所が開いてたんで、入って書類にサインしたのさ。」1年半後、スウィートは機関銃を抱えてファルージャの街を進んでいた。

ジャズ・ゴーレイの捜索で、肩をすくめた彼はアフガニスタン軍に続いて建物へ入った。誰もいなかった。スウィートが部屋から部屋へと興味深そうに探索している間、(飾り戸棚を開けたり、重い毛布を揺すったり、干し草の山をかき分けたり、プラスチックの燃料容器の匂いを嗅いだり)私は1人のアフガニスタン兵が大きなプロパンガスのタンクを持って庭を横切るのに気が付いた。その後もう1人が金属製の鍋を持って横切った。最後に3番目が自分のシャツを籠にして新鮮な卵を一杯運んで来た。数分後スウィートと私は部隊全員が鳥小屋の中に集まっているのを見つけた。ぼさぼさ頭にチェ・スタイルのベレー帽をかぶった兵士がおどおどしながら微笑んだ。「朝飯?」彼は言った。

今、泥だらけのケシ畑に居る我々に向って銃弾がバリバリと音を立てる中、R.P.G.が親指を上げた。「タリバンは良いね!」彼は言った。

シッソン軍曹は同じジェスチャーを返した。「願わくば、タリバンが死んでくれると良いんだがな。」

私達はトウモロコシ畑を通ってずっと東の別の村へと向かった。家族全員が逃げて行くところだった。シッソンはずっと先の端っこに1人の人影と太陽を反射する金属の光を見つけた。

「俺たちは監視兵を見つけた。」彼はデ・マリアへ報告した。

弾丸が数名の海兵隊員の側の泥を撥ね返した。小隊は村を通って反対側の、白い岩で縁取られた小川へ出た。部隊が前進して良いのはそこまでだった。海兵隊員は川に向ってきつい坂を成す崩れそうな護岸の端まで来て、人々が列を成して東の丘へ逃げて行くのを見つめた。尾根の上の監視兵の姿が消えると同時に2人のオートバイに乗った人間が村人の間に現れた。

「奴らは女と子供を選り分けているんだ。」シッソンが言った。オートバイに乗った男たちの姿が良く見える場所を海兵隊員が探している時、逃げて行く群衆から1人が離れて、私達の方へ向かって歩き出した。それは若い男の子だった。たぶん9歳か10歳。頭の上に大きな黒いスカーフを掲げていた。スカーフは暑い風を受けてはためいている。

シッソンは吐き捨てた。「あいつら、わざとやっているんだ。」

少年はずっと歩いて来て、小川の所で少し立ち止まった。海兵隊員とアフガニスタン兵が止まれと叫んでいるのを聞いたようだった。そして振り向いて立ち去ろうとした。しかし又近づいてきた。小川を渡り、護岸をよじ登った。彼は逆上して怒鳴りつける兵士達の真ん中を通り過ぎた。その間ずっとスカーフを掲げている。まるで旗のように。オートバイに乗った男たちは近づいたり遠ざかったりしながら、人々を選び出し、残りを打ち捨てた。その様子は侮蔑的に見えた。直ぐに太陽が陰り始めた。男たちのぼやけた姿は深い野山の中へと溶け込んでゆく。海兵隊が追ってこないと彼らが知っている土地の中に。私が振り向いて少年を探した時、彼も又去っていた。

オートバイに乗った男達と村人達の列が逃げて行ったのはカジャキ(Kajaki)の方角だ。カジャキはヘルマンド川沿いの小さな地区で、タリバンが支配する道でムサ・カラと繋がっている。道にはカレツ(karez:古代から伝わる地下水道。反乱側が人間や物資を運ぶのに良く使う)が縦横に走っている。何年もの間、カジャキはゴーストタウンだった。山の頂上から広大な渓谷越しに見ると、村はある意味、黙示録の後の台地のように見える。耕されていない農地に、倒壊した家屋の廃墟。打ち捨てられた道にはI.E.D.が爆発した後がそこかしこに見える。ブルドーザーで根こそぎにされた切り株。かつて広い市場として使われた場所の出店は略奪され閉まっている。夜中にはジャッカルの群れがうろつき吠え声をあげている。しかし人々が逃げ去った後でもカジャキの戦いは終わらない。なぜなら戦いは人間を巡って行われているわけでは無いからだ。戦いはダムを巡って行われている。

300フィート以上の高さの壁でヘルマンド川上流の狭い渓谷を堰き止めて出来たカジャキダムは、巨大な湖を作り出した。湖が作り出す湾は、険しい渓谷の奥深くまでその指を伸ばしている。湖からの流水をコントロールする事で作り出される電力は南部アフガニスタンの多くの地域へ提供され、50万エーカー以上の農地へ灌漑用水を提供している。そして湖が持つ可能性はさらに大きい。「ダムは30%くらいしか稼働していないんだ。」以前この地域へ派遣された海兵隊大隊の指揮官マット・リッチー(Matt Ritchie)大尉、は私に言った。容量一杯の能力を引き出す為にはタービンを増設しなければ成らず、それには何百トンものコンクリートが必要になる。しかしながら、この地区の海兵隊本部、キャンプ・レザーネックとカジャキをつなぐ主要道路は、最近まで物資を輸送するには危険過ぎた。「ダムがある為に、」リッチーは説明する、「カジャキは重要だ。しかしここは切り離された地区なんだ。我々は半径20キロ圏内の他のどの地区とも連絡を取れていない。」昨年10月に海兵隊は、おそらくアフガニスタン国内で最後になるであろう攻勢を開始した。その目的はカジャキの孤立を終わらせる事だ。

歩兵大隊が南方から侵入する間、リッチーの大隊から2個小隊がヘリコプターで北方の森林地帯へ派遣される。長い間タリバンの支配下にあった場所だ。「文字通り、泥の中にフェンスを立てるのさ。」ある小隊指揮官が私に話した。「鉄条網を巡らして言うんだ。『ここから北へは行けないぜ』ってね。2つの正面を担当する海兵隊の間で、将校たちは言っている。「あそこにいる3日から4日の間に、奴らを30人くらい殺す事に成るだろう。それで奴らも犠牲者を選ぶのを止めるさ。」反乱軍の唯一の退却路はヘルマンド川を押し渡ってザミンダワー(Zamindawar)へ消える事だ。ザミンダワーは、ダムから始まり、数マイル北方にある険しい山脈の麓まで広がる無政府状態の不毛の地だ。「奴らは正にそうせざるをえないだろうね。」小隊指揮官は言った。「あそこは高台のワイルド・ウェストさ。我々も今まで足を踏み入れた事が無い土地だ。」

私が11月初旬にカジャキに着いた時、ダムの下の村に数軒の家族が帰って来ていた。6年間も経った後、まだ家が建っているかどうか初めて見に来ているのだ。その時、リッチー大尉は7カ月に及ぶ任務が終了したところで、新しい部隊は到着したばかりだった。いまやキャンプ・レザーネックとの道は確保され、新任部隊の任務は「主にアフガニスタン治安部隊を発展させ、ダム防衛の戦場を任せる事だ」と、新しい指揮官は私に話した。実際のところ、カジャキの海兵隊は夏までに完全撤退するかも知れない。もしそうなったら、残されたアフガニスタン人警官と兵士達は、米軍撤退の脆弱性をつこうとてやって来るザミンダワーの反乱軍と、厳しい戦いに直面する事だろう。アフガニスタン軍が受け継ぐ駐屯地の内、最も支え難いのはシュラインと呼ばれる場所だ。ヘルマンド川北方唯一の海兵隊駐屯地で、ワイルド・ウェストのフロンティアの小さな丘の上にある。

約半ダースのアフガニスタン警官が海兵隊と共に、定期的に交代しながらシュラインを守っている。狭い駐屯地における強制された親密さと、常に攻撃にさらされる経験が、そこに駐留する海兵隊とアフガニスタン人との間に、おそらくは、他では見られない効率性と仲間意識を育てている。彼らはお互いの名前を知り、責任を共有し、ジョークを言って笑いあい、時として一緒に食事をする。シュラインにいるアフガニスタン人警官は全て、北部のタジク人かウズベク人だ。彼らがパシュトゥン人の南方へやって来たのは、自分の国と政府を信じているからだと言う。彼らは愛国者だった。彼らの指揮官はほっそりした壮年のウズベク人、グーラム・ジャラーニ(Ghulam Jalani)だ。私は彼と部下たちが暮らす狭い小屋で、何回か米とラム肉の食事をした。彼は海兵隊に対する深い尊敬の念を表明した。彼も又、海兵隊が撤退する日を恐れている。「私には教養が無い。」ある夜、ジャラーニは私に言った。「本当のところ、字も読めないんだ。しかしこれは言える。海兵隊がここを去れば、タリバンが戻って来る。」

次の朝、新任部隊が初めてシュラインへやって来た。部隊の指揮官、25歳のエリック・グラナドス(Erick Granados)は第一世代のアメリカ人だ。両親と共にエルサルバドルから移民して来た。レスラーのように体を鍛え入れ墨に覆われた彼は、部隊で一番背の低い人物でもあった。グラナドスは海兵隊の基準に照らしても深く、殆ど狂信的なほど愛国的だった。彼がアフガニスタンへ持ってきたものの中には大きなアメリカ国旗があった。彼はシュラインに着いて直ぐ、他の者達がまだ荷解きをしている間に兵営の屋根に上り、2つの土嚢の間に旗を立てた。旗が翻るその景色は驚くほど明るく感じられた。アフガニタンではあまり見られない景色、合衆国が注意深く占領軍の汚名と戦っていて、自身の活動を同国政府への補助的役割に規定しているこの国では、あまり見られない景色だ。

一方私は、やはり旗を持っていた前任部隊から聞いていた。旗を立てると、ほぼ間違いなくシュラインは攻撃を受けると。

今回反乱軍は暗く成るまで待っていた。真夜中少し前に駐屯地を自動小銃で撃って来た。ジャラーニと数名のアフガニスタン警官がTシャツ、サンダルの姿でマシンガンへと走り、暗闇へ向けてバラバラに銃弾を撃ち込んだ。赤外線レンズを着けたグラナドスが2人の男が狭い渓谷を下って行くのを見つけた。その渓谷はシュライン北部のタリバン支配地域、チナー(Chinah)へと、うねりながら続く渓谷だ。照明弾が打ち上げられ夜空にゆっくりと光の軌跡を残し、薄暗い大地を蛍光色で照らし出した。海兵隊は渓谷へ数回、一斉射撃をした。2等軍曹のヴィンセント・ベル(Vincent Bell)はこの機会に、警官がPKマシンガンを打つのを指導した。ベルはイラクに4回派兵された事があるがアフガニスタンは今回初めてだった。警官達が、口から垂れ下がるタバコの灰を落とすのに時々止まりながらも、渓谷の方角へ一斉射撃の弾丸をばら撒いている間、ベルは叫んでいた。「お前たち、下手だな!下手、下手、下手だ!」1人のアフガニスタン人が戸惑ったような視線を彼に投げた。まるで叱られているのかどうか判っていないかのように。「間違えるなよ。」ベルは彼に言った。「俺はこう言うのは嫌いじゃ無いんだ。」

最終的に銃撃は止んだ。しかし2時間後、ダムにある主基地とシュラインとを結ぶ道路の側で2人の男がシャベルで何か掘り返しているのを1人の海兵隊員が見つけた。彼はグラナドス軍曹に報告した。グラナドス軍曹は塔の上にあるリモコン・カメラで男たちを拡大して見た。カメラは塔の足元のモニターへ赤外線映像を送って来る。男たちが穴を掘って何かを中に埋めているのを見たグラナドスは、上官を呼び出して彼らを撃つ許可を求めた。許可は降りなかった。「何を埋めたか見たいんだとさ。」グラナドスは不満を漏らした。「電線とか容器とかが見たいらしい。俺たちは地面に埋められたものを確かめなきゃならん。連中にとっちゃ、願ったりかなったりさ。」男たちが幾つかの小枝を上にまき、急いでチナーへと逃げて行くのを海兵隊員は見ていた。

銃撃戦は夜明けまで断続的に続いた。太陽が険しい尾根の上に顔をだすと谷全体を明るい光で照らしだした。川べりを覆う猫じゃらしや、野生のラクダが食む黄色い牧草や、西方の砂漠からふく風に倒された稲穂とかが浮かび上がった。私がジャラーニとお茶を飲んでいた時、2台のトラックが現れた。トラックは、その年の最後の収穫を刈り取る農夫を乗せて、駐屯地へ向かうでこぼこ道を進んできた。昨夜2人の男が掘り返していた場所へトラックが来た時、大爆発が起きて谷を揺らした。トラックは巻き上がった土砂の中に消えた。トラックには女子供を含む13人が詰め込まれていたが、どういうわけか、誰も死んだり深く傷ついたりしていなかった。数分後、鞄や道具を抱えながら、アフガニスタン人は歩いて先へ進んだ。

「彼らは何処へ行くんだい?」私はジャラーニに訊いた。

「働きに行くのさ。」彼は答えた。

その日の午後グラナドス部隊の別の小隊、サミュエル・ウィンディッシュ(Samuel Windisch)軍曹が率いる小隊が、初めてカジャキを徒歩でパトロールした。シュラインの北部および西部、ブラウン・ゾーンと呼ばれる一帯で、海兵隊が支配する土地と無法地帯ザミンダワーが接している場所のパトロールだ。ウィンディッシュが私に話したところでは、パトロールの目的は、「敵が関与する前線をテストするのさ。基本的に戦闘を想定したパトロールだ。」ウィンディッシュは2005年にファルージャで狙撃兵に撃たれた経験がある。弾丸は胸板の右上の端に当たり、彼は打ち倒された。でかいハンマーでぶん殴られたみたいだったと彼は言う。それにもかかわらず再度入隊した彼は、2年後に同じ街で任務に就いた。交代で出て行く前の海兵隊部隊は今日のルートについて何かアドバイスしたか彼に訊くと、ウィンディッシュは答えた。「ああ、『きっと撃たれるぜ』って言ってたよ。」

ウィンディッシュの部隊は、I.E.D.を捜索しながら進む若い兵長、ジョシュア・グレイ(Joshua Gray)の後に続いて、デボン・ヒル(Devon Hill)へ向かった。西部の砂漠に盛り上がる険しい小山だ。私達は連合軍側に友好的な村、カンジ(Kanzi)を通り過ぎて泥の道へでた。そこでグレイは何かを見つけて立ち止まった。道を横切って、殆ど境界線のように、きちんと並んだ石が完璧な線を成していた。爆弾捜索犬が調査の為に先に行かされた。爆発物が発見されなかったので、海兵隊は先へ進む。後でウィンディッシュは思い返している。あの石はひょっとして、「目印じゃないか。文字通り砂に引いた線さ。」いまだ反乱軍が猖獗している地域との境界を示す。

海兵隊はデボン・ヒルの北側へ回り込んで、初めて丘の反対側に広がる景色を見た。曲がりくねった渓谷の端に、泥と漆喰で出来た家が数軒かたまっている。女性が洗濯物を干し、子供が屋根の上で追いかけっこをしている。農地では男たちが鎌で刈り取りをしている。シュラインから4分の1マイルと離れていない完全なコミュニティだ。アフガニスタン政府から切り離され、その法律や軍隊や警察と関連していないコミュニティ。

直ぐにグレイは再びパトロールを止めた。今回彼は、石の中に僅かに見える、手で折り曲げられた小枝の端を見つけた。長い柄がついた鎌を持つ伍長がグレイに加わりあたりの地面をそっとなぜた。そこの地面は荒れていて、鎌の刃は偶然その物体を取り出した。出て来たのはシリンダーととがった釘で注意深く組み立てられた装置だった。非金属製スイッチだ。圧力が解放されると、小枝が爆発性のパウダーを打つように出来ている。それが爆発コードを起動し主爆弾、地中深く埋まってる手製の爆発物を詰めたプラスチック製の容器を破裂させる。最初の1つを発見した後、グレイは2番目を見つける。同じようの木製スイッチが数フィート先に突き出ていた。

ウィンディッシュと上官のテレンス・セイウィック(Terence Sawick)中尉がグレイの発見を本部へ報告している間、部隊のアフガン人通訳、穏やかな話し方でひ弱な外見の若い男、私がムクタ(Mukhtar)と呼んでいる人物(彼はアメリカ人の為に働いている事をアフガニスタン人の間で知られたくなかった)は、神経質そうに村を調べていた。ムクタは海兵隊が英国軍を引き継いでからずっと一緒に働いている。彼の英語は完璧で、私がアフタニスタンで出会った中でも最高だった。(彼に聞いたところでは、バラク・オバマの演説を聞いて英語を磨いたそうだ。)ムクタはもう2年以上カブールに居る家族と離れている。彼の収入は月に865ドル、しかし彼がカジャキに留まっているのは、いつの日か合衆国入国のビザを手に入れる為だ。今、不安を表に出しながら彼は私に囁いた。「ここは留まるのに悪い場所だ。」私が何故か聞く前にウィンディッシュが部隊に向って叫んだ。「我々は帰投する。」グレイは東へ向きを変えた。デボン・ヒルの広い斜面を横切っている時、我々は集中砲火を受けた。銃撃は、近くの建物や遠くの建物など、複数の方角から来ていた。銃弾は唸りを上げて通り過ぎる。マンガの中で太った男のコートのボタンが弾け飛ぶようなポンポン言う高い音や、ぴんと張ったワイアが唸る音がした。何発か足元の地面に突き刺さって小さな砂埃を上げ、何発かは岩に当たって音を立てた。

「伏せろ!伏せろ!」

「何処から撃って来ている?」

険しい下り坂がパトロール隊の後ろ側と遠くにある丘を隔てている。部隊の副指揮官マイケル・スブ(Michael Subu)伍長、(最近軍曹に昇進した)が、下に足止めされた海兵隊員へ上がってくるように叫んだ。「直ぐここまで上がって来い!」弾丸は依然頭をかすめて行く。敵はそれぞれの場所に少なくとも1つ機関銃を持っているようだ。銃口の炎を見つけた海兵隊員は、建物の「マーダー・ホール(murder holes)」、内側から銃を撃つ為に建物の壁に穿たれた狭い穴へ狙いを定めた。幾人かは50ヤードと離れていない家の中にAK-47を持つ4人の男を見つけた。チームが自分の後ろを通って坂を上って行く間、スブはその窓に向けて素早く弾丸を撃ち込んだ。22歳の機関銃手ジョシュア・ドナルド(Joshua Donald)は重い武器を下り勾配に設置できず、腰の高さに抱えて、北側遠方の建物へ機関銃弾を送り続けた。ウィンディッシュとセイウィックは無線で本部を呼び出し、砲撃による援護を要請した。しかし部隊は、榴弾砲や迫撃砲が発射される山と目標の間に位置していた。もし着弾が短いと、海兵隊員の中に着弾してしまう。

「移動する!」スブが号令した。

グレイが立ち上がり、金属探知機で素早く道を捜索しながら、丘の東斜面を下り始めた。海兵隊員は出来るだけくっ付いて彼に従った。時折跪き、銃を装填し直して北側へ応射しながら。耕された狭い台地まで来て、坂が平らに成った頃、新しい音が騒ぎに加わった。重砲が何処か高いところで音を立てている。

「何だあれは?」

「シュラインだ!」

約4分の1マイル離れた高台の駐屯地から、グラナドスが無線でウィンディッシュに目標をマークするよう頼んだ。ウィンディッシュは肩撃ち式グレネードランチャーを、銃火を認めた建物の一つへ向けた。グレネードは建物の壁を突き抜け、金属のドアが爆風で吹き飛んだ。一瞬ののちシュラインの海兵隊は爆弾の雨あられを落とし始めた。

台地の麓からあまり離れていない場所に、泥と漆喰の低い壁があった。しかしそこへ行く為には、敵の銃手から丸見えの開いた土地を進まなければならない。大地の上には弾丸が空中を飛び交う音が聞こえている。グレイは煙幕の缶を2本取り出して泥の上へ投げた。黄色い煙幕が張られる中を、部隊は壁まで走った。壁の後ろへ屈み込みながら、スブはさらに多くの反乱軍が約200メーター離れた林の端から撃って来ているのを認めた。ウィンディッシュはロケットランチャーを担ぎ上げた。爆発の破片が飛んでくるのを避ける為、我々は耳を塞いで伏せた。ロケットは長距離を飛び、丁度木々の間で爆発した。

「移動する!」セイウィックは叫んだ。「動き続けろ!」

開けた土地があと1つ残っていた。デボン・ヒルへ来る時通った浅い川底だ。セイウィック、ウィンディッシュ、それにスブが川底に入った時、鳴り響く機関銃が彼らを捉えそうになった。弾丸は周囲の石に当たり、跳ね返って頭をかすめて行った。その時までに、シュラインの海兵隊は敵の無線を傍受していた。2人の反乱軍兵士が重火器を持って移動し、背後から我々を襲おうとしていた。

「動き続けろ!」セイウィックは即した。シュラインからの絶え間ない砲撃にかかわらず、敵の銃撃はカンジまで戻る間中追いかけてきた。とうとう村までたどり着いた時、農夫の一団が外に立って待っていた。周りを子供達が囲んでいる。男たちが親指を上げて歓迎している間、子供達は走って来てチョコレートをせがんだ。セイウィックはムクタを通して、長老に残りの道を案内してくれるよう頼んだ。予想された事だが、長老は躊躇した。セイウィックは強要した。そして海兵隊員は長老が地面を案内する後ろに、くっ付いて進んだ。長老は予想もしない場所で曲がり、彼が覚えている目に見えない道に従ってジグザグに進んだ。

シュライン基地に戻った海兵隊員はタバコを点けて互いに喜び合った。この戦闘は、ベル2等軍曹と、ウィンディッシュ軍曹、スブ伍長を除けば、この部隊で初めての戦闘だった。スブは22歳の時、クナル州で海軍・海兵隊軍人章(Navy and Marine Corps Medal)を受けている。2008年冬、氷のように冷たい川に飛び込んで低体温症と戦いながら溺れている部隊指揮官を救出した英雄的行為を称えたものだった。若い海兵隊員達がアドレナリンで浮かれながら冗談を言い合って笑っている間、スブはウィンディッシュを向いて首を振った。「危ないところだった。」彼は言った。少し考え込みながら、何と答えれば良いか判らないかのように、ウィンディッシュは彼に言った。「人に向けてライフルを撃つようになってから、もう6年に成る。」私はムクタを探した。彼は1人離れて立っていた。ムクタはヘルメットを脱ぎ、バンダナを地面に広げると跪いた。北からの銃声がまだ続き、シュラインがそれに応戦している間、ムクタは頭を下げ何かつぶやいた。彼はオレンジの太陽がデボン・ヒルへ沈むのに向けて祈りを捧げていた。

その夜カラジはいつもと違い静かだった。村に伝わる噂話では5人のタリバンが殺されたと言う。「奴らをしばらく静かにさせるぐらいの地獄を与えられたんじゃないか。」ウィンディッシュは予想した。しかし次の日の夕方、数人のアフタニスタン警官が川の土手で戦闘を経験した。そして次の朝、グラナドスは再び旗を掲げた。実際のところ彼は兵舎の屋根に上がって、北に向って旗を振ってから立てたのだ。私は若い海兵隊員と朝食を食べていたが、隊員は笑いながら言った。「直ぐに撃って来るぜ!」15分後82ミリ迫撃砲弾が唸りを上げて頭上を飛び越え、丘の中腹に着弾した。砲弾は、部隊が小便をする半分埋まったパイプから、あまり離れていない所にクレーターを穿った。

デボン・ヒルで待ち伏せを受けた後、海兵隊はさらなる北へのパトロールを中断した。「銃撃戦をする事以外には、あそこまで行く戦術的利点は無いからね。」ある兵士がそう私に言った。「この後10年アフガニスタンに留まっても、まだああいった戦いを続けているだろうさ。もっと大きな絵を描かないといけない。こういった事を全部アフガニスタン人に任せるのさ。」

基地での最後の夜、私はグーラム・ジャラーニと夕食を共にした。「ここに留まる為には海兵隊が必要だ。」彼は再度私に言った。「我々だけではこの領域を守れない。」全くのところ、半ダースのアフガニスタン人だけでシュラインを維持しているところは想像し難い。海兵隊がここを守るのに必要としている、カメラ塔や赤外線レンズ、高倍率双眼鏡、重機関銃、照明弾、狙撃銃、近距離迫撃砲に榴弾砲も海兵隊と共に去る。そして、こういった装備無しにジャラーニ達が、自分たちの言葉をしゃべらないパシュトゥン人の為に命を危険にさらしてまで、妻や子供の待つ北へ向かう事も想像し難い。

夕食の後、警官の1人が私の簡易ベッドの側をうろつき、私の荷造りを見ていた。彼は何か言おうと勇気を振り絞っているようだった。最後には私が彼に、何か欲しいのかと尋ねた。彼は説明した。もうかなり寒くなっていると。そして彼はソックスを履いていなかった。

一週間半の後、ヴィンセント・ベル2等軍曹がI.E.D.を踏んで殺された。

ベルの死の知らせを聞いた時、彼が28歳だったのを知って驚いた。私と同年代だ。彼はもっと年上だと思っていた。彼は高校を卒業して入隊している。9/11の数か月前だ。そしてイラク侵略に参加した。彼は最悪の時期に4回派遣させられている。多くの海兵隊員と同様、戦争はベルの成長を身体的にも精神的にも加速させた。パトロールの時、彼はI.E.D.を非常に気にしていた。それは気にし過ぎではないかと思わせるほどだった。しかしおそらく、心配することこそ正しい心の使い方であるのを彼は知っていたのだろう。私は2回彼の後ろを歩いた。そして彼は私が後を歩いた海兵隊員の中でも最も注意深い人間だった。彼は偶然をあてにしない。彼は出来る事を全てやる人間だった。

戦場における種々の危険性は、それぞれ関連する恐怖を植え付ける。I.E.D.に関連する恐怖に独特なのはその無力感だ。海兵隊員にとってこの恐怖は、他の何にも増して深刻なものだ。戦術的な陣形をあきらめて、彼らはしばしば金属探知機を持った技師の後ろに並んで進む。竹竿の先に着けたフックで怪しげな岩をひっくり返す。全ての曲がり角の土の上にシェービング・グリームとかベビー・パウダーで印をつける。屋根の上を進み、家から家へ渡る為に、隣家との間の小道に梯子をかける。暗くなってからは、暗視ゴーグルで光って見える、化学処理されたQチップを通り道に残してゆく。そして踏み出す全ての地面に人の手が入った跡が無いか注意する。しかしこういった準備全てには、勤勉な作業で確保する安全性の限界が存在する。最終的に殺されるか生き延びるかは運次第だ。この恐怖、運次第だと言う恐怖とそれに対する無力感は、北部ヘルマンドの爆弾が散らばった地域を、毎日徒歩でパトロールする際に、常について回るのだ。

他の何処よりもI.E.D.が遍在し猛威を振るっている場所は、カジャキのすぐ南、へルマンド川の交通要所、サンギン(Sangin)をおいて無い。州2番目に大きい市場がある所で、深く根を下ろした麻薬取引の現場、そしてカンダハールやパキスタンとの交通要所であるサンギンは、戦争を通してタリバンが最も激しく抵抗した場所だ。

2006年から2010年の間に英軍は106名の兵士をこの地で失った。海兵隊がこの地方を引き継いだ後、大兵力を投入し積極的に敵を攻撃し、英軍が打ち捨てておいた地域へ強力に押し出した。「こいつはベトナムだ。」前の指揮官は私に話した。「毎日のように生き延びる為に戦ったよ。」英軍の次に配備された海兵隊部隊はサンギンで25人を失い200名以上の負傷者を出した。戦争開始以来、アメリカの大隊で出した犠牲者数としては最大のものだった。

今日サンギンでの戦いは変化している。負け続けた経験から学んだ反乱軍側は、散発的に海兵隊を待ち伏せる時も、少数の兵力しか使わないようになった。そして、殆どI.E.D.に頼るようになる。I.E.D.に関して反乱軍側はかなり上達した。サンギンで使われる爆弾は携帯探知機では検知できないほど少ししか金属部品を使っていない。プラスチック容器一杯の塩酸カリウム。数個の9ボルト電池、古いスピーカーワイア、木と銅の板で出来た圧力版、洗濯バサミやブレーキランプや注射針などで作った解除を阻止する装置、それに手製の信管、それで必要な全てだ。2010年に英軍と交代したのと同じ部隊、第7海兵連隊第3大隊が、10月に再びサンギンへ戻った。私は11月の終わりにかけて彼らを訪ねた。既に4名の海兵隊員がI.E.D.で殺害されており、17名が重傷、内10名は手足を失っていた。

隠れた爆発物の遍在が日常と成ってしまった事は、戦争に疲れたサンギンの住民を反抗的無感動へと追いやっていた。この地方に入った最初の日、私が小さな基地に着いたのは、海兵隊の1部隊が日課のパトロールに出た直ぐ後だった。鉄条網の外600メーターほど進んだところで小さな少年が彼らを止めて、近くにあるI.E.D.を示した。私はテントの中で、部隊の指揮官と一緒だった。指揮官はリモコン・カメラで部隊を見つけ、少年にズームした。彼は12歳ぐらいに見えた。「この子は爆弾を持ってこようとしています。」部隊の指揮官は無線で大尉に報告した。

「だめだ。」大尉は言った。「止めさせろ。」

しかし少年は既に駆け戻って、何かを高い草むらから取り出すと、海兵隊員の所へ持ってきた。「ただの圧力版ですね。」部隊指揮官は無線で言った。「訂正します。あの子はI.E.D.を全部持って来てます。」

海兵隊員は叫んだ。「降ろせ!降ろせ!」ついに少年は装置を放り出した。容器と圧力版と電線を、荒々しく地面に落とした。子供は肩をすくめているようだった。大尉は頭を振った。こう言う事はもう何回か起きてるんだと、彼は私に言った。

数日後、私は又、別の部隊とパトロールに出かけた。指揮官はマット・ペリー(Matt Perry)中尉だった。パトロールの間に私達は、頭からつま先まで泥がはねかけられている若い男に、建物の中へ招かれた。その男、カリーム・ダタ(Kareem Dada)は最近父親から受け継いだ家に壁を追加しようとしていた。彼がペリーと話している間、近くにはカリームの9歳の弟が古い松葉杖にすがって立っていた。彼は両脇の下の松葉杖に交互に体重を預けて、1本しか無い足にかかる体重を調節している。2ヶ月前、その子供と他に2人の兄弟が家の近くの小道で遊んでいた時、I.E.D.の引き金を引いてしまった。爆発で1人が死に2人が重症を負った。2人はキャンプ・レザーネックで手術を受けた。2人に会いに行く途中、ヘルマンド川に沿って急いでいた時に、カリームの両親は車をぶつけて死んだ。

「いったい誰のせいだと思う?」ペリーは知りたがった。

「タリバンさ。」カリームは殆ど自動的に答えた。「あいつらが憎い。あいつらが何をしたか見てくれ。」

海兵隊が建物から出るとき、3番目の弟を見つけた。13歳くらいで車椅子に乗って外で待っていた。両足は膝の上で切断されている。彼はむき出しの嫌悪感で私達を見た。そして私達が通り過ぎるとき、英語で悪態をついた。

基地に戻って私はペリーに尋ねた。どうして3番目の弟の海兵隊に対する態度は、あんなにもカリームと違うのか。中尉は両手を上に上げた。多分我々が誰だか言ってなかったからだろう。あるいはカリームの話は全部嘘で、彼らはI.E.D.を設置するのに加わっていて間違えて爆発させたのかも知れない。それは心をかき乱される考えだが、ありそうな事でもあった。しかしペリーは又別の説明を述べた。その説明は対反乱軍作戦に本質的に付きまとうパラドックスを示唆している。「もし我々がいなかったら、爆弾が設置されることも無かったと感じたのかも知れないね。」

アメリカ軍が英軍を引き継いだとき、大隊本部以外のパトロール基地は僅かしか無く、どこも重厚に防御を固めていた。その後、海兵隊はサンギン中に数多くの基地を築き、タリバンを州の中心部から追い出した。しかしながらそれでも反乱軍の攻撃は完全には阻止できていない。「我々が相対している敵の最終ラインのやつらは、市民の服を着ている。オートバイに乗っていて武装していない。」海兵隊の大隊長セス・フォルソム(Seth Folsom)中佐は私にそう言った。「やつらは隠し場所を使って行動している。隠し場所から隠し場所へと移動するんだ。必要な物資を手に入れてI.E.D.を設置する。奴らは我々がオートバイに乗っていると言うだけで捕まえたりしない事を知っているんだ。だから我々がどんなに大きな網を広げても、たくさんの魚が逃げてしまう。」

殆どの隠し場所は、州の中心部から離れた不毛の土地に散らばっていると信じられている。特に東側、カンダハールとの境界近くだ。そこから部品が1つ1つ秘かに運び込まれる。ある日は容器、次の日は圧力スイッチと言うように。そして後でサンギンで正しく組み立てられる。「どうやって組み立てるのか知っていれば、」フォルソムは説明する。「数分しかかからない。数秒では無いとしてもね。奴らが動いている最中を捉えられれば、奴らの上に爆弾を降らす事もできる。しかし逃げ出した後だと、東に追いかけて行ったとしても姿を眩まされる事になるだろう。」最近まで海兵隊は、固定された基地に分散配置されていて、隠し場所を突き止めたり、東から進入して来る反乱軍を阻止したりするには人数が足りなかった。しかし今では、例えばムサ・カラとか幾つかの州では基地をアフガニスタン軍へ明け渡し始めていて、「ヒンターランド(後背地)」の作戦行動へ向ける兵員が自由になりはじめている。私がサンギンにいる間に、最初の海兵隊パトロール基地が公式にアフガニスタン国軍へ受け渡された。その同じ週の後半、初めて大隊全軍で東へと移動を開始した。カンダハールへ向けて移動を続けたのだ。

4日間彼らは砂漠を歩き続けた。午後の暑さの中で汗をかき、夜の厳しい寒さに凍えながら。村々で宿泊し、通り過ぎる家や穴蔵を捜索した。彼らは抵抗を予測していた。しかしその代わり見つけたのは明白な、殆ど奇妙なほどの、兵員年齢の男の不在だった。「電灯を点けたら全てのゴキブリが居なくなっているのと同じさ。」フォルソムはある日の午後そう言った。「電灯を消したら皆戻ってくる。」

反乱軍は居らず、その痕跡はあらゆる場所に残っていた。ある日、どの村からも離れた建物を捜索した時、海兵隊は、4つの容器に入った爆発物、巻き取られた白いスピーカーワイアの束、U.S.照明弾のケース(たぶん拾ってきて弾として使うつもりだったのだろう)、そして幾つかの無線送信機を見つけた。無線送信機は特に不安を覚えさせるものだった。大隊はまだサンギンで、遠隔操作の爆弾に出くわしていない。「これが指し示すものは、敵が未だ我々のいる場所で遠隔操作I.E.D.を使っていないとしても、直ぐに出現するだろうと言う事だ。」フォルソムは言った。そして実際私が離れた後、海兵隊はそれに遭遇する事に成る。

2日後、砂の多い岩棚で、1人の技師が金属探知機で何かを発見した。軍曹がナイフであたりの地面を探り、タイヤのゴムで包まれた膨らんだ物体を掘り出した。ゴムを切り開き、その下の柄のついた布を開いた軍曹は、ロシア製の機関銃を発見した。彼が機関銃の部品を組み立てている間に、遠くの川岸にいた別の海兵隊員が声を上げた。「ここにも何かあります。」それは地面の直ぐ下に埋められたAK-47だった。数分後には弾丸が装填されたマガジンが見つかった。そして麻布にくるまれた130ポンドの硝酸化アンモニウム。次にはプラスチック容器に入った17ポンドの硝酸化アルミニウムと粉末アンモニアの混合物。幾つかの圧力版。装置を発火させる両方向無線通信機。カーボン・ロッド、爆破コード、信管、スピーカーワイア。

その隠し場所の側には建物が建っていた。1日前に海兵隊はその建物の持ち主に、敷地内で一泊して良いか尋ねた。幾人かの印象では、持ち主は怪しいほど荒々しく拒絶したと言う。隠し場所が発見される頃には、彼は居なくなっていた。

別の夜には、又別の土地の人間が自分の敷地に全軍を歓待してくれた。70名そこそこの海兵隊員が建物の土の庭で、ヤギや牛や鳥に囲まれながら、寝袋を広げた。アフガニスタン治安軍の兵士は小さな土の部屋で、ホストや彼の息子数人と、お茶を飲んだり、ピーナッツバターやクラッカーを分け合って食べたりした。建物の持ち主で、明るい目をした赤ら顔のハジ・アブドゥル・ラヒム(Haji Abdul Rahim)はコーランを使った治療者である事が判った。彼は家畜と引き換えに、ムスリムの聖なる書から適当な文章を唱えて、病気や怪我の治療をする。

その夜、私達は夜遅くまで起きて、ラヒムが話す奇跡を聞いた。彼の祖父はサンギンで崇敬される精神的指導者だった。彼が死んで、ラヒムの家から程近い墓地に埋められた後、彼の白い墓標には野生の鹿が定期的に訪れたと言う。アフガニスタン中の敬虔な信者がサンギンへ墓参りに訪れた。それは1980年代、ジハードの時代だった。ソビエトが墓地の魔力とそこが引き寄せる巡礼者の事を知り、ヘリコプターをよこして破壊しようとした。弾丸が墓標の白い石を貫くと、そこからゆっくりと血が流れ出したと言う。石は今でも血を流し続けているとラヒムは主張する。墓の下の深いプールは常に満たされ続けているのだと。

「この国であなた方はたくさんの奇妙な出来事を見る事でしょう。」ラヒムは指を上げながら言った。「たくさんの奇跡がこの地では起きるのです。」

朝になり、海兵隊員が寝袋を片付けてリュックサックを背負っている間、ラヒムは部隊司令官へ近づいてきた。娘の1人が怪我をしているという。踵を挫いて酷く腫れてしまったらしい。海兵隊は何か薬を持っていないでしょうか?

衛生兵がイブプロフェンを幾つか出すと、ラヒムはとても感謝した。

最近の午後、キャンプ・レザーネックで私は、南西アフガニスタン連合軍司令官ジョン・トゥーラン(John Toolan)少将と会っていた。私達は彼のオフィスの外にあるポーチに座っていた。会話の途中のある時点で、少将は半分建設中のビルの鉄骨を指した。「見てくれ。」彼は言った。「今建設中なんだ。我々は何処にも行かない。もちろん現在やっているような作戦はやらなくなる。しかし離れるわけでは無い。私はあらゆる種類の人間をここに連れてきて話をしている。私は言うんだ。『あそこに建設中の建物が見えますか?これが終わるまでどのくらい時間がかかると思います。25年、あるいは30年?』」

合衆国が2014年以降も長い期間、何らかの形で留まろうとするのは確実だ。大規模基地はおそらく残るだろう。トレイナーやアドバイザーが繰り返しやって来るだろう。特殊部隊は引き続き、目標を定めた「逮捕-殺人」作戦を続けるだろう。しかし通常兵力は撤退する。撤退した後は、勝利宣言も敗北宣言も無い奇妙な終焉が確実にやって来る。何故ならアフガニスタンの戦争は、殆ど確実に、終了しないからだ。戦争は我々抜きで続く。どんな風になるのか誰も予測できない。悲観的になるのは簡単だ。しかし悲観的に成っても、未来が次第に不確かに成って来ている事に変わりは無い。

「人々は常に質問して来る。『アフガニスタン治安軍は我々が築いた安全を守れるでしょうか?』とね。」トゥーラン少将は私に言った。「私は言うんだ。もちろん。彼らは良く訓練されていて、装備も良く、反乱軍よりも好かれている。彼らならやれる。しかしながら重要なのは彼らの意志だ。彼らの意志は指導者達によってもたらされる。そして指導者達はしばしば腐敗に影響され易い。」おそらくこれこそが、あらゆるものの中で最大の悲劇だろう。2006年以降同盟軍がヘルマンド地方で獲得したものが、意志の欠如によって失われるとしたら、英国とアメリカは何の為にかくも大きな犠牲を払ったのだ?私達は自らの命を捧げた821名へ、どのような終わりを語れるのだろうか?

私はサンギンを離れる前、I.E.D.で1週間前に殺された2名の海兵隊員の葬儀に参列した。海兵隊員の葬儀の中心となるのは死者のバトル・クロスだ。ライフルが銃剣を下に地面に刺さり、ヘルメットが銃床に乗っている。認識票(dog tag)がグリップから垂れ下がり、靴が地面に並べられていた。中心装備で作られたバトル・クロスは感動的なほど死者を感じさせるものだった。全てを1つにまとめているのはライフルだった。明らかにライフルは要に類するものを象徴している。唯一生命力のある物だ。それでもやはり、重要なのは靴だった。靴紐がきちんと通され縛られた靴は殆ど痛ましかった。死者の不在を最も感じさせたものはライフルでは無く靴だった。若い海兵隊員がその前で跪いたとき、手を伸ばして触れたのもやはり靴だった。

~~ここまで~~

次回更新は3月3日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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