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60人の腎臓移植チェーン

腎臓移植に関する記事をUpします。

記事を書いたのはケビン・サック(Kevin Sack)さんです。元記事はここにあります。

複数の患者とドナーの間で腎臓移植のチェーンを繋げる話です。

~~ここから~~

全て繋がった60人の命と30個の腎臓

カリフォルニア州リバーサイドにて――リック・ルザメンティ(Rick Ruzzamenti)は自ら認めるように若干衝動的だ。彼はある日、啓示を受けてカトリックから仏教へと宗旨替えした。出会ったばかりのベトナム人女性と結婚した。そして1年前、余り考えもせずに、左の腎臓を誰か見知らぬ人へ寄付しようと決めた。

2011年2月、ルザメンティ氏は、自分が通うヨガ・スタジオの受付嬢から、最近、病気の友人へ腎臓を提供した話を聞いた。その友人はターゲット(Target:アメリカのディスカウント百貨店チェーン)で偶然出会った人だった。44歳のルザメンティ氏は今まで献血もした事が無い。しかしその話は彼を捉えた。彼は2日後、リバーサイド・コミュニティ病院に電話し、どうやったら自分にも同じ事が出来るのか訊いた。

一方、国を半分ほど離れた場所、イリノイス州ジュリエットで、ドナルド・C・テリー・ジュニア(Donald C. Terry Jr.)は、差し迫って腎臓を必要としていた。40代半ばに糖尿病の合併症で腎臓を病んでから、彼は炎症と腫瘍、それに1年に何回も受けないといけない陰鬱な透析を耐え忍んできた。家族の中に腎臓を提供できる人がいなかった彼は医者に警告されていた。死亡者からの移植待ちリストの中を彼の名前がゆっくり上がっていって、移植を受けられるまでには5年間はかかるだろうと。

「まるで刑務所に閉じ込められていたようなものですよ。」テリー氏はそう回顧する。「何か悪いことをしてその報いを受けているような気分でした。」

12月20日のシカゴ、夜明けの冷たさが太陽によって破られる時間、ロヨラ大学医療センター(Loyola University Medical Center)で、テリー氏は丸々としたピンクの腎臓を移植してもらった。彼はそれをルザメンティ氏から受け取ったのでは無い。少なくとも直接には。しかし2人の男は1つの繋がりを永遠に共有する事になった。2人はかつて作られた内でも最長の腎臓移植チェーンの最初と最後の人間となったのだ。喜んで臓器を提供しようと言う30人の人間と、その臓器が無ければ死んでしまったであろう30人をつないだチェーンの最初と最後だ。

この60件の手術によるドミノ倒しチェーンを可能としたのは、見返りを求める事無く最初の腎臓を提供した、良きサマリア人たる、ルザメンティ氏。そしてこれに弾みを付けたのは、血液型とか抗体が合わない為に自分の愛する人へは腎臓を提供できないと知り、他人への提供に合意したドナー達の、無私の心と私欲の混合物だった。それぞれのドナーの大切な人々は、代わりの別の人から適合する腎臓を提供される。

非営利団体National Kidney Registry(全国腎臓レジストリ)によってチェーン124とラベルされたチェーンは、11州に跨る17の病院の間で4ヶ月かけて行う互いに密接に関連した共同作業を必要とした。これはコンピュータ・マッチング、手術の技術と臓器空輸、それにロングアイランドのビジネスマン、ガレット・ヒル(Garet Hil)の決断によって生み出されたイノベーションだ。ガレットは自分の娘の病と「ペイフォワード(paying it forward)」の考え方に触発されて行動を起こした。

ジョンズ・ホプキンズ病院の移植手術のパイオニア、ロバート・A・モンゴメリー博士(Dr. Robert A. Montgomery)は、チェーン124には関係していないが、この動きを「重大な偉業(momentous feat)」と呼び、腎臓移植のあり方を変えるほどの可能性を示したと言っている。「私達は今、移植の奇跡を、毎年数千人も多くの患者へと広げる夢を実感しているところです。」彼は言った。

このチェーンは1つのアルゴリズムと1人の利他主義者によって始まる。何ヶ月にも渡ってチェーンは繰り返し破れ、ヒル氏が全ての破れを修復できるまで、そのラインに繋がる人々の運命を停滞させた。最終的にヒル氏は、干し藁の中の小さな針、抗体の為に適合するドナーが殆どいない患者に適合するチェーンを発見する。

現在までのところ、ドナーとレシピエント(臓器受容者)の殆どは互いの名前を知らない。しかし60人の参加者の内、59人はザ・ニューヨーク・タイムズ紙の求めに応じて顔を出すことに同意し、それぞれ異なる陰影を持った物語、最終的に彼ら全てを結び合わせる事になる物語を語ってくれた。

ミシガン州の男性は、特別苦々しい破綻に見舞われたにも関わらず、自分の前のガールフレンドの為に腎臓を提供する事に同意した。2人の間に出来た2歳になる娘の為だった。トロントに住む女性は、ブルックリンのベンソンハーストに住む自分の5番目の従兄弟の為にドナーとなった。彼とはイタリアで偶然会っただけで、その後も連絡は殆どテキスト・メッセージだけだった。

子供は親の為にドナーとなり、夫は妻の為、姉は弟の為にドナーとなった。テキサス州の26歳の学生は、殆ど会ったことの無いカリフォルニアに住む44歳の伯父の為にドナーとなった。ステージ4・ホジキンリンパ腫から回復した62歳のサン・フランシスコ在住の女性は、自分の義理の息子の為にドナーとなった。

8月15日、ルザメンティ氏の腎臓は、ロサンゼルスからニューアークへ向かうコンティネンタル社の夜行便に乗って東へ飛び、ニュージャージー州リビングストンの聖バーナバス医療センター(Saint Barnabas Medical Center)へ急行した。そこで腎臓は66歳の男性の腹中に縫い合わされる。

その男性の姪、34歳の看護師は、伯父に腎臓を提供したいと考えていたが、A型の彼女の血液はO型の伯父に合わなかった。それで、ルザメンティ氏の贈り物の代わりに、彼女は自分の腎臓を提供する。その腎臓は、マディソンのウィスコンシン大学病院へ運ばれて、ブルック・R・キッツマン(Brooke R. Kitzman)へ移植される。彼女の為に腎臓を提供するのは、前のボーイフレンド、デイヴィッド・マドッシュ(David Madosh)、辛らつな別離をしたにも関わらず腎臓の提供に同意した男性だ。

マドッシュ氏の腎臓はピッツバーグへ飛んで、ジャンナ・ダニエルズ(Janna Daniels)へ行く。事務長の仕事を持つ彼女は、アレゲニー総合病院(Allegheny General Hospital)で移植を受ける。彼女の夫で機械工のショーン(Shaun)の腎臓は、サン・ディエゴのシャープ記念病院(Sharp Memorial Hospital)で待つ2人の息子の父親、ムスタファ・パークス(Mustafa Parks)へ送られる。

一歩一歩、チェーンは伸びてゆく。腎臓はGPSを付けたダンボール箱の中で氷で冷やされ、一般の旅客機に格納されて、両岸の間を飛ぶ。

このシステムは信頼によって築かれ、奇跡を信じる一つ一つの思いが、次から次へ受け継がれてゆく事で成り立っている。ドナーが移動しなくても良いように、国全体に手術をスケジュールすると言う事は、手術が同時には行われない、連続してさえ無い事を意味している。最も心配なリスクは、自分が愛する人が腎臓を貰った後、ドナーが心変わりしてしまう事だ。

「私は業(karma)と言うものを信じています。」クラーク女史は言う。「もしチェーンを途切れさせてしまったら、それはとんでもなく悪い業でしょう。私の腎臓が必要な誰かが確かにいるのですから。」

余分な臓器

廃棄物を濾過し余分な液体と共に体外へ排出するには1つの腎臓で充分なのに、人体に2つの腎臓がある事実は、進化の気まぐれと解釈されている。しかし腎臓が不調になる場合、それが糖尿病からにしろ高血圧からにしろ、あるいは遺伝性疾患にしろ、一般的に両方とも同時に不調になる。

もし透析で血液を綺麗にしなければ、殆どの腎臓病患者は数週間で死に至る。透析は週3回は行わなければならず、毎回時間がかかる。そして殆どの人は透析の後、疲れ果てて働くことなど出来ない。透析患者で3年以上生き延びられる人間は半分しかいない。

400,000人いるアメリカ人透析患者の多くは、正常な状態へ戻る方法として移植を夢見る。しかしドナー数の増加より遥かに早く増大する腎臓の需要は、待ちリストをどんどん長いものにしている。政府の為に待ちリストを管理する、合衆国臓器共有ネットワーク(United Network for Organ Sharing)によれば、約90,000人が腎臓を待っている状況で、毎年17,000人しか受け取っていない。そして約4500人が毎年、待ち状態のまま死んでいる。

移植される腎臓の内、生きているドナーからのものは約3分の1にすぎない。しかし死体から摘出された腎臓に比べて長持ちする為に、多くの人に求められている。1999年に行われた腎臓移植では、生きているドナーから移植された腎臓の60%は10年後でも活動している一方、死んだドナーからでは43%だ。

生きているドナーからの他の臓器も移植は可能だ。すい臓の一片であるとか、肝臓、腸、骨髄、肺葉など。しかし腎臓は、ドナーが予備を持っていると言う点、及び、殆ど失敗が無いと言う点で、特別に生体移植に適した存在である。

しかしながら、生体腎臓ドナーが少ない理由は、善意のドナーを持つレシピエントの約3分の1に免疫的不適合が見つかってしまう事にある。おそらくは以前の移植であるとか輸血とか妊娠のせいで抗体を持ってしまっていて、新たな腎臓を拒絶する可能性が高い状態の人々が居る。

今ではプラズマフェレシス(plasmapheresis)と呼ばれる血液フィルター技術によって、医師はレシピエントが不適合な腎臓を拒絶する可能性を下げることが出来る。しかしこの処置は患者の負担が大きく費用も高い。

ドミノ・チェーンは最初、2005年にジョンズ・ホプキンズで試みられた。生体ドナーで助けられる人を増やすのが目的だった。2010年、チェーン方式を含む、対になった人たちが腎臓を交換する方法で429件の移植が行われた。コンピュータ・モデルによれば、もしより多くのアメリカ人がこのようなプログラムについて知り、全国的なドナー候補とレシピエント候補のプールが作られれば、年間2000件から4000件多く移植が出来る事を示唆している。

このような移植は最終的に経費を下げ、命も救う事になる。重篤な腎臓疾患の殆どの費用を負担している連邦政府の医療プログラムは、生体腎移植で人工透析を免れる人1人当たり約50万ドルから1千万ドル費用を削減できる(手術にかかる費用は一般的に100,000ドルから200,000ドルでしか無い)。腎臓疾患の為に政府は年に300億ドル負担しており、これは医療予算の6%に当たる。

人工透析は、合衆国では殆ど常に外来診療で行われているが、介護士と患者の生産性を消耗させる。約2年前、テキサス州オースチンに住む47歳のケント・ボーウェン(Kent Bowen)は、自宅で自分の母親、メアリー・ジェーン・ウィルソン(Mary Jane Wilson)に人工透析を施す為、殆どの自由時間と雨樋敷設の職業をあきらめた。

チェーンの1人として12月17日にヒューストンのメソジスト病院で腎臓を提供する前から、ボーウェン氏は言っていた。母親を助けるだけで無く、長い間あきらめていた釣りに行くのを楽しみにしているんだと。

「全くの話、」彼は言う。「自分の人生を取り戻す事に比べれば腎臓を提供するなんて小さな出費さ。」

痛みを理解する

ガレット・ヒルと妻のジャン(Jan)にとって2007年2月の雪の夜の出来事は忘れられ無い。その日2人は、インフルエンザの症状を訴えていた10歳の娘について、驚くべき診断結果を言い渡された。髄質性嚢胞腎(nephronophthisis)、先天性の腎臓障害だ。2人にとって娘の青春を人工透析で台無しにする事など考えられなかった。

ヒル氏と娘は同じ血液型だったので、自分の腎臓を1つあげられると考えた。しかし手術の2日前、拒否反応を起こす抗体が娘から発見され、医師は手術を中止した。

ジャン・ヒルとその他6人の家族が提供を申し出たが、やはり駄目だった。ヒル氏と娘はその当時、腎臓交換を始めていた幾つかのレジストリに登録した。しかしプールは小さく適合するものを見つけられなかった。幸運なことに、ヒル氏の甥の1人がテストされ、ドナーと成る事が出来た。

移植が成功した後、ベテランのビジネスマンであるヒル氏はNational Kidney Registry(全国腎臓レジストリ)を立ち上げる。ニューヨーク、ブルックリンにある古い羽目板の家の中に事務スペースを借り、夫妻が300,000ドルを投資して業務を開始した。今49歳になったヒル氏は給与なしでレジストリを運営している。

「目標はいたって単純です。生体腎提供者がいる人なら誰でも、半年以内に移植を受けられるようにする事です。」彼は言った。「私達を駆り立てた要因の1つは問題の巨大さです。もう一つの要因は、私達がその状況の痛みを理解している事です。」

始まったばかりの腎臓交換に関わる科学に起業家的ひらめきを注入するには、ヒル氏は打って付けの人物だった。以前海兵隊の偵察レンジャーをしていて、ワートン大学でM.B.A.を取得しているヒル氏は、ボストンやニューヨークで、データやロジスティックに関わる会社を経営していた事もあった。そしてコンピュータと財務に関する言葉にも精通していた。

既に一財産築いていたヒル氏は、一旦自分のキャリアを中断し、レジストリの為に自分の時間と自分が経営するソフトウェア・コンサルティング会社の資産を振り向ける事が出来た。彼は数学の教養を持ち、臓器適合性に関する医療文献を読みこなす熱意も備えていた。彼は長い時間をかけて、洗練されたソフトウェアをデザインするチームを指揮した。より長いチェーンを構築する為にソフトウェアの改良を続けた。

ディズニー映画のヒーローのようにハンサムで、割れた顎と長いウェーブのかかった髪を持つヒル氏は、自分のレジストリをパワーポイントと情熱でもって病院へ売り込んだ。移植関係者は当初、彼の事をよそ者と見ていた。しかし彼は現在、国内に236カ所ある腎臓移植センターの内、最大の施設を含む58カ所を説き伏せて、腎臓レシピエント予定者と不適合なドナーの組み合わせ情報を、彼のデータベースへ提供させている。

ヒル氏は何時も、平日の午前5時から作業を始める。何回かのマウス・クリックで数百のペアと幾つかの移植チェーンを操作する。去年彼はこのやり方で、チェーン124の30件を含む175件の移植手術をアレンジした。他のどのレジストリより多い数だ。平均的にレジストリに載ってから約1年で患者は移植を受けられる。

ヒル氏の娘が病にかかった丁度同じ年、議会は全米臓器移植法(National Organ Transplant Act)を改訂し、2人組単位の腎臓交換が、臓器売買を禁止する連邦法に違反しない事を明確にした。ワシントンからの追い風は、National Kidney Registryがビジネスを始める丁度その時に、多くの病院からの抵抗を和らげる働きをした。

進化するチェーン

最初の生体腎移植が行われたのは1954年ボストンでだったが、ストーニー・ブルック大学(Stony Brook University)の外科医、フェリックス・T・ラパポート(Felix T. Rapaport)が最初に腎臓交換の理論を構築してジャーナルの記事に載せたのは30年後の1986年だ。韓国人外科医が最初の交換に成功したのは1991年。しかし合衆国の成功例はさらにその10年後だった。

最初2組のペアの間で、同じ病院内で同日に行われた単純な交換は、直ぐに3組による複雑な交換に変わり、4組、6組へと増えて行った。

そして2007年、トレド大学医療センターのマイケル・A・リース博士(Dr. Michael A.Rees)は、思わず額を打つような考えを思いついた。最初に良きサマリア人的な人物が他人へ提供する事から始めて、手術を同時に行わなくても良いのであれば、チェーンは理論的にはどんどん長く出来る。ドナーとレシピエントの数による制限があるだけだ。2009年、リース博士は10件の移植手術のチェーンをつなぎ合せたと報告した。

ヒル氏はこの考えを捉え、さらに多くの移植を可能とするアルゴリズム構築を開始した。今日、彼のプールには通常200組から350組のドナー‐レシピエント・ペアが居る。レジストリのシニア・ソフトウェア・デザイナー、リック・マルタ(Rick Marta)によれば、その数は、もし全てのペアが適合するなら、最長20件のチェーンが10の100乗通り作れる数だと言う。

プログラムは、血液型の不適合とか抗体とかの為に使え無いチェーンを素早く捨て去る。又、ある年齢以下のドナーしか受け付けられないレシピエントとか、類似の免疫システムを持ったドナーしか受け入れられないケースとかも計算に入れる。そして1秒間に8000件のペースで、100万の可能な組み合わせを構築する。

このアルゴリズムは出来上がった組み合わせを、移植可能数によってランク付けする。そして、適合者が少ない患者とか、長い間待たされている患者とかの重みづけも行う。

ヒル氏のレジストリのようなものは幾つか存在し、それぞれ独自のアプローチを採用している。現在政府による規制が殆ど無いため、管理方法について倫理的に微妙な問題が引き起こされている。その中には、何を基準に腎臓を割り振るのかと言う問題も含まれる。こういった問題、およびペアによる交換に関係する多くの問題について合意を得ようと、複数の医学学会が3月に会合を持って話し合っている。

ヒル氏は彼のプールの患者について、コードネームを通してしか知らず、各個人との接触は病院に任せている。彼は複数のチェーンを同時に扱っていて、その作業は3次元チェスを指すようだと言っている。

チェーン124には、免疫システム的に適合しているペアすらも存在する。トロントの不動産業者で40歳、O型血液のジョセフィン・ボンベンター(Josephine Bonventre)は自分の五番目の従弟、B型血液でブルックリンに住む27歳のタイル作業員、チェーザレ・ボンベンター(Cesare Bonventre)へ直接腎臓を提供出来る。

しかし第2段階のマッチング試験で、6通りの抗原(適合を決定する一連のタンパク質)の一致をチェックしたところ、より適合した腎臓が見つかる。ジョセフィンはチェーンに参加する事で、より適合した腎臓をチェーザレに提供できるのだ。12月6日、ニューヨーク・プレスビテリアン病院でチェーザレは、1つでは無く3つの抗原が一致した腎臓の移植を受ける。彼女の貴重なO型血液の腎臓は、最後に残る11件の移植用に使われた。

レジストリは2010年まで提携する移植センターを変更していない。しかし2010年、ヒル氏は費用をカバーする為に手数料の徴収を始めた。病院は現在、メンバーシップ費を払い、移植1件あたり3000ドルを徴収する。その多くはメディケアでは無く、民間医療保険で支払われている。移植レシピエントは保険に入っていなければならない。

毎年、レジストリのチェーンは長く成っていった。チェーン124はそれ以前の最長記録より7つ長く成っている。「私達は未だ表面を引っ掻いているに過ぎません。」金色の腎臓型カフスボタンを着けたヒル氏は言う。

長いチェーンは短いチェーンより多くの命を救う事が出来る。しかしそれはトレードオフを伴う。長く成れば成るほど、途中でドナーが拒否したり、あるいは別の要因でリンクが切れるリスクが高まるのだ。

途中で切れたチェーンはレジストリ内の予備とか計画の作り直しで助け出される。8月29日、最初の5件の移植が終わった後、ドナーの1人が、手術に必要な2~3週間の離職が出来なくなり、リンクが切れた。その日遅く、別のリンクも失われた。レシピエント予定者の1人が不法移民である事が判り、メディケアが受けられないと移植コーディネーターが知らせて来たのだ。

8月の終りごろ、サン・フランシスコのカリフォルニア・パシフィック医療センターでドナーが説明無しの「個人的理由」で辞退してしまい、全てのセグメントがバラバラになった。まるで途中のドミノが、次のドミノに届かなくなり、残りを凍りつかせたような状態だった。

「皆、気分が悪くなったよ。」スティーブン・カツネルソン博士(Dr. Steven Katznelson)はヒル氏にe-mailしている。「こんな事が起きるとは誰も思わなかった。」

「ワオッ」ヒル氏は返信した。そのドナーは「23人の患者を正に危機に陥れたわけだ。」

それぞれのリンクが持つ依存性は、残りの患者を崖っぷちに追い込む。「あらゆる事が起こり得るのよ。」キャンディス・ライアン(Candice Ran)は、マサチューセッツ総合病院での12月5日の移植手術の前、不安に襲われていた。「全てがうまく行くように祈るだけよ。テーブルの上で眠りに着くまでリラックスなんて出来ないわ。」

どんな時でも自分のレジストリから補充できる事を頼りに、ヒル氏は現実的に許される限り長いチェーンを作る事を好む。そしてドナーが適合し難い場合とか、1つのチェーンで多くを使いすぎてしまう場合だけチェーンを終わらせる。

ヒル氏は最後に幸運なレシピエント、例えばテリー氏のようなドナーに成ってくれる人が居ないレシピエントを持って来てチェーンを終わらせる。

最初のリンク

最近まで、多くの病院では通常、良きサマリア人的なドナーを断って来た。彼らは気まぐれだろうと言う推測に基づくものだった。しかしそれも経験によって若干修正されている。それでも、リック・ルザメンティがリバーサイド・コミュニティ病院に現れ、誰にでも必要な人に腎臓を提供したいと申し出た時、彼は一連の心理テスト、医療テストに晒された。

医師やソーシャル・ワーカーは最初、ルザメンティ氏をどう扱ったらよいのか判らなかった。彼は平静で冗談もあまり通じず、直ぐには心を開かない人物だった。病院の移植コーディネーター、シャノン・ホワイト(Shannon White)は彼に、どんな動機と期待を持っているのか話すよう強要した。彼は自分の決断は明らかだと説明した。

「皆、私が腎臓を寄付するのはとても奇妙な事だと思っているようですが、」彼はホワイトに言った。「皆がそんなに奇妙だと思っている事が、私にとってはとても奇妙です。」

病院は、彼が栄光を、あるいは感謝をさえ、期待していない事をハッキリさせたかった。ルザメンティ氏は、自分の事を聖者だと間違える人など何処にもいないと強調した。

実際のところ、彼は若い頃大酒のみで、海軍時代も酒盛りを続けていた。仕事場で彼はニコリともしなかったりする。仕事は、電力契約に関連する家業の経営を助ける事だ。彼自身、両親や祖母をあまり訪問していない事を認めている。

時々見せる不機嫌な様子に関わらず、ルザメンティ氏は可能であれば他人を助けたいと言う欲求を持っていると言う。そして彼が臓器移植に付随するリスクと便益を考慮したところ、これは理にかなったものだと思えたのだと言う。「これは世界にシフトを起こすものだと思います」彼は言った。

彼自身が言うところでは、おそらくチベット瞑想法の影響もあるだろうと言う。6年前彼が仏教に惹かれた際に練習したもので、トングレン(Tonglen)として知られているものだ。「誰かが感じている痛みを考えるんです。その人から痛みを取り去って、なにか良いものを返す事を想像するんです。」彼は言った。

ルザメンティ氏が言うには、彼がドナーに成れるのは、経済状況悪化で仕事が無くなったからだと言う。彼は今、実質的に失業中で回復の為の時間を取る事ができる。彼は簡潔に言った。30人の腎臓レシピエントは「皆不況に感謝しても良いと思います。」

ルザメンティ氏が妻のマイ・ニャン(My Nhanh)に自分の計画を話した時、妻は、たどたどしい英語ではあったが、充分過ぎるほどはっきりと言った。もしその計画を実行するなら、別れてベトナムへ帰ると。彼女は8カ月前、移民してきたばかりだ。2人はルザメンティ氏がボランティアで庭園管理人をしていた仏教寺院が主にアレンジして結婚した。もし彼が手術で死んでしまったら、こんなにも場違いに感じる国の中で彼女はどうやって暮らしてゆける?

「私は夫を怖がらせたかったんです。」ルーシーと呼ばれているルザメンティ夫人は、夫の短く刈った髪の毛を指で梳きながら言った。「そして私が怖がっている事も伝えたかった。」

ルザメンティ氏は華奢な妻の持つ激しさに驚いた。「彼女は私を脅そうとしていました。」彼は言う。しかし彼は妻の言う危険を顧みなかった。彼は腎臓摘出手術の死亡率が10,000回に3件であると言う研究結果を知っていたし、1つしか腎臓が無い人も2つ腎臓を持つ人と同じくらい長生きする事も知っていた。彼にとって、腎臓提供がもたらす良い効果は、彼と妻の一時的な不安を遥かに凌ぐものである事に、疑いの余地は無かった。

手術の後、リバーサイド病院で回復中、ルザメンティ氏は異常なレベルの痛みを感じていた。彼はしばらく丸まって痛みに耐えていた。鎮痛剤のデメロールは頭をぼうっとさせてくれるだけだった。彼は本当のところ、付き添いは望んでいなかった。しかし夜中に痛みで目覚めた時、自分の横の病院ベッドにルーシーが寝ているのが見えた。

献身的な行動

他の場所でも愛の物語が進んでいた。

グレゴリー・パーソン(Gregory Person)とゼノヴィア・デューク(Zenovia duke)は両方とも38歳、アストリアの中学校で1987年のプロム(卒業記念ダンスパーティー)の時、デートした仲だった。二人はその後離れ、お互いに離婚した後、フェイスブックで再会した。2人は時々会っていたが、彼はクイーンズに住み、彼女はアルバニーの付近と離れていたので、関係は真剣なものには発展しなかった。

2人が再会して直ぐの頃、パーソン氏の異母妹が腎臓疾患で死亡した。彼はもし機会があれば同じ疾患の人を助けようと誓っていた。そしてデューク女史は、自分に移植が必要な事を告げられた。

8月31日、デューク女史はカリフォルニアの女性から腎臓を貰い、パーソン氏の腎臓はオハイオへ送られた、2人がプレスビテリアン病院で回復している間、パーソン氏は毎日のように彼女の部屋を訪ねる自分を発見していた。退院した後、2人は以前より頻繁にデートするように成っている。

「今までの人生で、やると言っていた事を本当にやった人に会ったこと無いんです。」デューク女史は言う。「特に男にはね。彼が約束を守る男だって事は、大いに意味があるわ。」

47歳のデイヴィッド・マドッシュが30歳のブルック・キッツマンの為に腎臓を提供したのは、他の種類の献身だった。4年間付き合い、2歳の娘もいた2人の関係は、彼がドナーの可能性をテストした頃、壊れかけていた。破局は部分的に彼女の病がもたらす困難さの為であり、充分醜いものだったので、キッツマン女史がチェーンに加わる事が出来た時、マドッシュ氏がまだドナーと成ってくれるのかは50-50だと彼女は思っていた。

しかし5歳の時、母親を亡くしていたマドッシュ氏は、自分の娘、エルシー(Elsie)を同じ目に遭わせたく無かった。

12人兄弟の最年少だった彼は、里親の家を転々としたと言う。全部で8軒、ある家はまるで労働キャンプのようだったと言う。「自分の娘にあんな経験はさせられない。」木こりを職業とするマドッシュ氏は言った。「どんな犠牲を払っても、娘には母親が必要だ。」

キッツマン女史はマドッシュ氏の腎臓に感謝していて、病院の廊下で会ったときそれを伝えたと言う。しかし彼の行動は2人の間の緊張感を和らげる事は無いと2人共ハッキリと述べた。

マドッシュ氏は、元気に成った母親とエルシーが一緒に遊んでいるのを見て、充分満足だと言う。「ママが娘を迎えに来て抱きしめてキスする。それが正しい事さ。」彼は言った。

夢の実現

12月19日、チェーン124は完結へ向けて突き進んでおり、ロサンゼルスのロナルド・レイガンU.C.L.A.医療センターでは最後の山場を迎えていた。夜明けから夕方までに、3つの腎臓が摘出され、3つの腎臓が隣の手術室で移植された。1つの腎臓はサンフランシスコから飛んできたもの。最後の1つはシカゴ、オヘア空港へ向けて飛び立つ。

この集団の最後はキース・ジンマーマン(Keith Zimmerman)、ヤギ髭を生やした53歳のクマのような陽気な男と、彼の姉、59歳のシェリー・グルコウスキー(Sherry Gluchowski)。彼女は最近カリフォルニアからテキサスに引っ越していたが、腎臓を提供する為に帰って来ていた。

姉弟は何時も近しい間だったが、家族の者は、2人がピーナッツバター・サンドウィッチを作る正しいやり方について15分も口げんか出来る能力に驚いていた。2人の母親、エルザ・リカーズ(Elsa Rickards)は、2人が子供だった時、「ママやパパは何時までも居るわけでは無いけど、2人は何時でも一緒だからね」と教えた事を覚えている。

サンタクララで妻と共に商品回収会社を経営しているジンマーマン氏は、25年前に腎臓病の診断を受けた。栄養士の助けを借りて、彼は直前まで透析を免れて来たが、ついに医師は、体の余分な液体を綺麗にする処置が必要になったと告げた。

手術前、病院内の自分の部屋で、7人の家族が窮屈そうに佇む中、ジンマーマン氏はiPodでアーロン・ネヴィル(Aaron Neville)を聞きながら神経を落ち着かせようとしていた。彼は自分の事を、チェーンの中では、くじ引きに当たった幸運者と思っている。自分に肝臓を提供してくれるのが、健康な28歳の若者、オレゴン州ベンド在住のコナー・バイデルスパッチ(Conor Bidelspach)だからだ。

ネフレクトミー(nephrectomy)として知られる腎臓摘出手術は今日、非常に出血量の少ない手術とされている。ピーター・G・シュラム博士(Dr. Peter G. Shulam)は、手術台に乗ったバイデルスパッチ氏の左腹部に、10セント硬貨ほどの切り込みを4つ開けた。切り込みから挿入されたチューブを通して、内視鏡カメラや電気メスを操りながら、外科医チームは手術を行う。内視鏡カメラはバイデルスパッチ氏の体内を頭上のモニターに映し出していた。

電気メスの高温に熱せられた先端がカニのハサミのように降りて行き、腎臓を周りの組織から切り取る。筋肉は一切傷つける必要が無い。

腎臓が周りの組織から自由になると、シュラム博士は腎臓から延びる動脈、静脈それに尿管を止め、切り離す。博士はプラスチックの袋に腎臓を入れ、しっかりと閉じる。そして骨盤の線に沿って開けられた指の長さ切れ間から素早く取り出した。

シュラム博士はボウルの中の氷水に腎臓を入れ、残っていた血液を洗い流す。ボウルの中の氷水はピンク色に染まった。

他の人がバイデルスパッチ氏の縫合をしている間、シュラム博士はカートに乗せた腎臓を隣接した次の手術室へ押してゆく。そこではジンマーマン氏が既に麻酔をかけられて眠っている。ジンマーマン氏の腹部に開けた切り込みを金属製リトラクターで広げた後、ジェフレイ・L・ヴィール博士(Dr. Jeffrey L. Veale)は腎臓を中におろし、動脈と静脈を繋げる。止血鉗子を離すと同時に腎臓は血流でピンクに染まる。尿管を膀胱へ繋げる前に、博士は2本の指でそっと細い管をマッサージし、そこから数滴の尿が出てくる事を確認した。

「ジンマーマンさん、もう透析は必要ありませんよ。」ヴィール博士は宣言した。「全く他人の腎臓ですが、こいつがおしっこをさせてくれますから。」ジンマーマン氏の元々の腎臓は、そのまま縮退して行くに任された(摘出するのは外科的リスクを増やす事に成る)。

その間、シュラム博士は又別の手術室で、グルチョウスキー女史(Ms. Gluchowski)の腎臓を摘出している。彼はそれを、保存液を満たしたプラスチック袋の中に居れ、堅く封をした。まるでペットショップから買ってきた金魚のように。それはそのままプラスチック・チューブに入れられ、氷と共にダンボール箱に入れられる。箱には「Left Kidney ― Donated Human Organ/Tissue for Transplant ― Keep Upright(左腎臓、移植用に寄付された人体臓器/組織、天地無用)」と表記されている。

クイック・インターナショナル社の大きな赤いバンの1台がシェリー・グルチョウスキーの腎臓を、インターステート405の混雑した道を通ってロサンゼルス空港へ運ぶ。運送会社のオペレーション・スーパバイザ、シンシア・ゴフ(Synthia Goff)がシカゴまで腎臓を運ぶ仕事を自らすすんで担当し、機内持ち込み手荷物の上にゴムバンドで箱を括り付けて運んだ。旅行用犬舎に入れられるのを待つピットブルがその周りを嗅ぎまわっている。

デスクトップ・スキャナーで保安員が箱を検査した後、ゴフ女史はコンコースを通って腎臓の入った荷物を転がしてゆく。両替所とか、クリスマスの贈り物用にエルモの縫い包みを売る店を通りすぎる。ユナイテッド564便、シカゴに午前5時に着く夜行便にエスコートされ、彼女は箱をビジネスクラスのクローゼットへ収める。フライト・アテンダントのコートの隣だ。

移植臓器を乗せた飛行機は特別扱いを許されている。離陸待ち行列の先頭へ、空の交通渋滞の前に行く事が出来る。ヒル氏は腎臓を運ぶ時、乗換を避けて予備の便も用意するよう努めている。自分のレジストリのどの移植も輸送トラブルの影響を受けた事は無いと彼は言う。

グルチョウスキー女史の腎臓がロヨラへ着いて、テリー氏に移植される頃には、12時間もたっている為にすっかり冷たくなっている。今までの研究では、このような遠距離の輸送が腎臓の機能に影響すると言う証拠は見つかっていない。

チェーン124はロヨラで完了する。最後の腎臓が、良きサマリア人たるドナーがチェーンを開始した場所に来るようにヒル氏が調節したのだ。かくてループは閉じる。ロヨラの移植外科医、ジョン・ミルナー博士(Dr. John Milner)が腎臓を受け取る人としてテリー氏を選んだのは、病院の待ちリストの中で、免疫的に最も適合していたからだと言う。

12月初頭にミルナー博士からそのニュースを聞かされた時、テリー氏は思いがけない自分の幸運に倒れてしまったと言う。最初に人工透析を受けた時、不当に自分が苦しめられていると感じたテリー氏は今、他の90,000人が同じように待っている時、自分はこの贈り物を受けるにふさわしい事をしたのだろうかと思い悩んでいる。

彼が受け取る腎臓が、30個の互いに絡み合った移植の最後のものだと知った時、テリー氏は罪の意識を感じ始めた。自分が原因でチェーンが止まったのではないだろうかと。「これは続くんでしょうか?」彼はミルナー博士に訊いた。「何であろうと、自分が止める理由には成りたくない。」

「いや、いや、いや。」博士は彼に確約した。「このチェーンは終わります。しかし又、別のが始まりますから。」

~~ここまで~~

次回更新は3月24日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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