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世界から医師を吸い寄せるアメリカ

医療に関する記事をUpします。

記事を書いたのはマット・マカレスター(Matt McAllester)さんです。元記事はここにあります。

アメリカが世界中の医師を引き寄せてしまっている話です。

~~ここから~~

世界から医師を盗むアメリカ

その患者の死はこれと言って珍しいものでは無かった。ザンビアのルサカ(Lusaka)にある大学教育病院で研修を受ける若き医師、クンジ・デサイ(Kunj Desai)は、同じような数多くの不必要な死を今まで見てきた。それでもその死は彼の全ての計画を変えてしまった。「1人の男がやって来たんだ。彼は刺し傷を負っていた。」デサイは振り返る。「腸まで傷ついていた。」手術は延び延びになり、傷口は化膿し始めた。「何を食べても腹から出て来てしまう状態だった」デサイは言う。注意深い食事療法を施せれば、その男の回復を助けられただろう、しかし病院には1人も栄養士が居なかったし、栄養剤を点滴する設備すら無かった。「死ぬまでに100ポンドは体重を減らしていたと思う。」

男は30代で、彼の妻と子供達はこれから自分達だけでやって行かねばならない。それは2004年の出来事だった。そのひどく人手不足で予算も少ない病院で、デサイは既に1年半勤務していた。病院の血液備蓄はしばしば足りなくなるし、施設の信頼性は低かった。患者たちは貧しい者ばかりで、デサイは個人的な追加テストについては自分で費用を負担しなければならなかった。未熟児を救う事が出来ず、泣きながら家へ帰った事もある。その刺傷男性が死んだ時、数多くの避けられた死がもたらす重み、それも彼が覚えている限り国内最高の公共病院での死がもたらす重みは、ついに臨界点を超えてしまった。

「私達は医師のふりをしていた。」35歳のデサイは最初に私と会った時、そう言った。その時私達はニューアークの大学病院のカフェテリアに居て、デサイは30時間シフトが終わったばかり、まだ手術着を着ていた。彼はルサカでの体験を、まるで退役軍人が戦場での経験を内的独白するように話した。「実際僕は何をしていたんだろう?」彼は言った。「自己満足の行為?とんでもない。」

デサイは理想に燃えるエネルギッシュな若き医師の1人であり、自分を最も必要とするこのザンビアでキャリアを積んでゆくつもりだった。しかし教育病院での月日が過ぎてゆく間に、彼は別の人生を思い描き始めた。アメリカで医師として暮らすのだ。彼は2004年にインターンシップが終了してから仕事を止め、アメリカの病院で研修医に成る為、試験勉強を始めた。そうしている間も、アメリカでの研修が終わったらザンビアに帰るつもりだった。仲間のザンビア人達が、世界で最も重大な医療危機と立ち向かっているのを彼は知っていた。その危機の少なからぬ部分が、国を出たザンビア人医師が帰ってこない事によるものであるのも知っていた。「合衆国での研修期間が終了したらザンビアに帰り、医療が最も必要とされる僻地へ赴任する事を希望しています」、2005年、彼が合衆国の仕事に応募した時の志望動機書にはそう書かれている。「私はザンビア人であり、仲間のザンビア人が受ける医療の改善に尽くしたいと考えています。」

2年後にはデサイは、アメリカで完全な外科医としての資格を得る。彼には妻がいて幼い娘もいる(合衆国に来た時は独身だった)。資格を得た後は豊かな生活が待っている事も知っている。ニュージャージーで外科医の平均的年俸は216,000ドルだ。ルサカでデサイが働いていた主力病院では、外科医の年俸は24,000ドルだ。デサイが合衆国へ来た時、心の内に仕舞い込んでおいた不愉快な質問は、再び浮上して彼を悩ませ始めている。彼は自分自身と国への約束を果たすのか?

カフェテリアに2人して座っていた時、ザンビアに戻ったら君はたぶん帰郷した英雄みたいに迎えられるだろうと、私は言った。デサイは本来、礼儀正しい丁寧な人間だ。しかし不正を見つけた時に、見逃すような人間では無い。この場合、彼の攻撃目標は自分自身だった。彼はテーブルを見つめて言った。「英雄はあそこに留まっている人間達だ。彼らは止めない、逃げない。」

グローバル化した経済の下では、最も支払いが良く、最も大きな昇進の機会を与えられる国が、最高の才能を集める傾向にある。南米でベストなサッカー選手はたいていヨーロッパへ行ってしまう。そこではブラジルやアルゼンチンよりも給料が良く、トーナメントも輝いている。インドや中国のハイテク技術者の多くは合衆国へ移住してアメリカの会社で働いている。そして合衆国は医学の分野でも同じように、高い給与とテクノロジーのイノベーションによって、世界で最も強く医師を引き寄せる磁石となっている。毎年、医師の移住先として世界第2位に連なる国々、英国、カナダ、オーストラリアを合計した数より多くの医師を引き寄せているのだ。

The Council on Physician and Nurse Supply(外科医/看護師供給評議会)は、今後10年間に合衆国では200,000人の医師が不足すると推計している。既にこの国で働く4人に1人の医師は海外で研修を受けた者達だ(この中にはしかし、合衆国外の医学学校に入学したアメリカ人医師も含まれる)。アメリカの医学学校は多くの卒業生を出しているが、その多くは給与の高い専門医に成る。初歩的な医療を施す医師の需要は依然として高く、外国の医学学校卒業生への需要を高止まりさせている。

仮にアメリカの医学学校がもっと多くの一般診療を行う人材を生み出すような、ありそうもない想定をしたとしても、アメリカが世界中の優秀な若い医師達を、より取り見取りで連れて来る事に対する歯止めは、法的な規制をする以外にありえないと、外交問題評議会のシニア・フェロー、ローリー・ギャレット(Laurie Garrett)は言う。「地球全体から候補者を選べると言うのに、どうしてアメリカ人だけから選ぶ必要がある?」ギャレットは言った。「当分の間、全ての医療機関、それこそハーバード大学の附属病院からエチオピアの砂漠で開業する地方の診療所までが、医学のタレントを取り合う事になる。そして勝者はお金を持った機関なのさ。」

医療従事者の移民に関する責任の一端は受け入れ国の入国管理法にある。1994年、ノースダコタ選出の民主党上院議員、ケント・コンラッド(Kent Conrad)はJ-1学生ビサで来る外国籍の医師に対して、州政府に特例を認める権限を与える法律を導入した。アメリカの病院で研修を終えた後も、もし医師の少ない土地での診療に同意するなら、合衆国に留まれるようになった。この法律は下院で更新され続けており、8,500人以上の外国籍医師が地方のコミュニティーで職を得る事を可能にした。対象となるコミュニティーは、医療を受ける為に遠方まで車で行かなければならない場所とか、医師の少ない都市とかになる。

ネブラスカの地方に住む糖尿病患者とか心臓病患者にとっては、疑問の余地なく良い事だ。しかし恩恵を受ける人々は、それが貧しい国の損失によって得られている事を知らない。医師や看護師が貧しい国から豊かな国へ移民する事に対して、極めて感情的な反応が返る事もある。道徳的な議論が巻き起こっている事は言うまでも無い。2008年、アフリカ出身者を含む数人の医師は共同で記事を執筆した。英国の医学雑誌ランセット(The Lancet)に載ったその記事「Should Active Recruitment of Health Workers From Sub-Saharan Africa Be viewed as a Crime?(サハラ砂漠以南のアフリカから積極的に医療従事者をリクルートするのは犯罪では無いのか?)」で彼らは、そのような行為は犯罪であると断じている。他にも批判的な記事は存在し、それらの記事は「略奪(looting)」とか「泥棒(theft)」とか言う言葉を使っている。

故郷を離れた医師に怒りが向く場合もある。ルサカの大学教育病院のマネージング・ディレクター、ラクソン・カソンカ(Lackson Kasonka)は、国家の援助で教育を受けた医師が故郷を去るのは、「不正直な背信行為」だと私に示唆した。(デサイはこのグループに入らない。彼の両親はインドからザンビアに移民した人達で、自分達の生まれ故郷、インドで彼が受けた医学教育の資金を払った。)ザンビア保健省の長官、ピーター・ムワバ(Peter Mwaba)は言う。海外に出た医師は、事態が充分好転するまで外国に留まるような事をして、「故郷を苦しめる」べきでは無いと。

ザンビアの公衆衛生問題は深刻だ。平均寿命は46歳、1400万の国民の100万人以上がH.I.V.あるいはAIDSに罹っている。そして子供の10人に1人は5歳に成る前に死亡する。この状況を改善する為に公共部門で働く医師は600人を少し越える程度。ほとんどのザンビア人が診療を受けるのはその公共部門なのだ。これは23,000人に1人の医師という割合だ。合衆国ではその割合は416人に1人。もしデサイが合衆国に留まれば、世界で最も富裕な国は若くて有能な医師を手に入れられる。一方ザンビアの損失は遥かに大きい。

ザンビアのような国の給与や職場の環境が合衆国並みになる事はありそうも無い。しかし人々が移住を決意する要因はそれだけでは無い。家族の絆、生活にかかる費用、馴染みある言語や文化の中で暮らす事。一時期ガーナの医師達は、当然のように合衆国へ逃げてきた。しかし最近同国における医師や看護師の定着率は大きく改善している。給与の増額が、人々が留まる方へと、大きく秤を傾けたのだ。

貧しい国での医療頭脳の枯渇は、国際的な医療関係者サークルから大きな注目を浴びている。医師枯渇を解決しようと、多くの個人や組織が活動している。デサイが研修を受けたルサカの教育病院は、合衆国が1億3千万ドルの資金を提供して行っている、より多くの質の高い卒業性を生み出すプログラムから、援助を受けている。世界AIDS・結核・マラリア対策基金(The Global Fund to Fight AIDS, Tuberculosis and Malaria)は、ザンビア保健省へ、医師のリクルートと保持の為に資金を提供している。西洋の援助機関、その多くがビル・アンド・メリンダ・ゲーツなどからの寄付で運営されている機関も、現地の医師を高い給与で雇用している。しかし、社会的に目立つ解決策がさらなる問題を起こす場合もある。援助機関が雇う医師の多くは研究に従事するのだ。患者を診療しない。ザンビアや開発途上国の保健省は苛立ち、これを「内なる頭脳枯渇」と呼んでいる。

ノースキャロライナ州ダーハムにあるデューク小児科病院の小児心臓科准教授であるガーナ人のジョージ・オフォリ‐アマンフォ(George Ofori-Amanfo)はガーナ内科/外科基金に加わっている。同基金のメンバーは合衆国に居住しながらも、ガーナの4つの医学学校の大学院教育の改善に取り組んでいる。彼は毎年3回ガーナに赴き、若い医師の教育を行っている。「時々罪の意識に捉われるんですよ」とオフォリ‐アマンフォは言った。彼は1995年30歳の時、合衆国へ来た。ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンによると、2006年に合衆国で診療をしているガーナ人医師は約530人おり、ガーナを離れた医師の約20%にのぼると言う。その中の1人オフォリ‐アマンフォは、帰国は全く考えていない。

「私が受けた基本的トレーニングの為に国がしてくれた投資とか、国が私に期待している貢献を思えば、」オフォリ‐アマンフォは言う。「とてつもなく後ろめたいんです。私が学校へ行く金を払う為に、大勢のココア農家の人が一生懸命働いて税金を払った事でしょう。」

もしクンジ・デサイがザンビアに留まったとすれば、おそらく彼が経験するのは、彼の古い友人であるエマニュエル・マカサ(Emmanuel Makasa)が経験している事と同じようなものに成っただろう。38歳の整形外科医マカサの年俸はだいたい24,000ドルだ。収入を増やすために自分の個人診療所でも働いている。マカサは言わば医師の移民に関する権威でもある。「ザンビアにおける人的資源枯渇の問題は、公衆衛生システムが壊れる寸前の危機的状況にある。」マカサは2008年にメディカル・ジャーナル・オブ・ザンビア(Medical Journal of Zambia)にそう書いたが、故郷を離れた同僚に恨みがましい言葉は一言も書かなかった。彼はフルブライト奨学金を貰い、バーミンガムのアラバマ大学で教育を受け、外国医療機関卒業生が英国内で仕事を得る際に英国政府が求める試験の最初の2つを受けて合格している。彼は私に、一時期永久に移住する事も考えたと語った。

しかし合衆国で暮らし、英国を訪問する間に、彼は微妙な人種差別を感じた。彼は英国の気候を好きになれず、友人のザンビア人医師が英国内のあまり好ましく無い場所で不満の多い生活をしているのも目の当りにした。そしてザンビアで1人の外科医が起こす事の出来る変化も知っていた。それで彼はアメリカ人の妻と2人の娘と共に、2010年にザンビアへ移住した。

「世界でもこの辺りには、ほんのわずかしか医師がいない。」マカサは私に言った。「ここを離れれば、そうだね、良い生活を送れるだろう。もちろん、もっと多くの収入を得られる。そうさ、だけど、自分の母親が飢えている時に、食事を楽しむ事は出来ないだろう。」

マカサは同僚達と2005年にDoctors Outreach Care International(国際出張診療医師団)を立ち上げた。企業スポンサーから資金を得て、恵まれないコミュニティーへ医療を提供する団体だ。「私は機会が無い為にザンビアに留まっているのでは無い。」マカサは言った。「私がザンビアに居るのは、ザンビアで出来る事があると信じているからだ。」

私はデサイに、昔居た病院での診療がどのようなものか話したかった。それでマカサと同僚達が足を折った患者を治療するのを見させてもらった。手術室の床には汚れたメスの刃が転がっていた。補助スタッフは遅れてゆっくりと入って来て、手術の開始を予定より30分遅らせた。空調は壊れている。看護師は手術室内で2回、個人的な要件の携帯電話に答えた。患者の骨にドリルで穴を開ける段階になった時、看護師がケースからボッシュのパワードリルを取り出した。彼女は除菌の為に緑の布でドリルを覆い、モスリンの紐で堅く縛り付けた。

大学教育病院の医師達はベストを尽くし、患者が回復するよう、かつてデサイがそうしていたように、あらゆる手段を駆使していた。たとえそれが、出してきたばかりのパワードリルを使うというようなものであっても。そしてデサイが去った後、病院では重要な設備改善もなされていた。マカサは私に集中治療室を見せてくれた。そこの設備にはウズベキスタンから来た医師も驚いていた。備え付けのモニター、人工呼吸器、電動式ベッド。どこの近代的病院でも欲しいと思うような設備だ。すべて日本政府の寄付だった。手術室の多くの機器は新しく、手術室自身も改装されていた。病院には新たなM.R.I.があり、新たなCTスキャナーがあり、新たな透析器があった。病院が持っていないもの、誰にも寄付できないもの、それは充分な医師だった。

私は新生児集中治療室に立ち寄った。何年か前、デサイが涙を流した場所だ。デサイは一晩中、赤ん坊の肺へ手で空気を送り続けた。なぜなら使える人工呼吸器が一つも無かったからだ。次の夜、帰って来たデサイは赤ん坊が施設から消えているのを発見した。その子がどうなったのか彼は尋ねなかった。しかし推測した。彼を引き継いだ医師は手での人口呼吸を続ける事が出来なかったのだろう。私は部屋の中の数ダースの赤ん坊をながめた。部屋には3台の新しい人工呼吸器があった。やはり日本からの贈り物だ。しかし一台もコンセントに繋がっていない。スタッフは未だそれを使うトレーニングを受けていない。私はその日の部屋の担当医師、ジャッキー・バンダ(Jackie Banda)に尋ねた。この部屋はいったいどのぐらい長く人工呼吸器無しでやって来たのかと。「ここ2~3年は使っていません。」彼女は言った。

病院のマネージング・ディレクター、カソンカ(Kasonka)は、外科医としての教育を受ける為に去ったデサイを、非難はしないと言った。彼の事務所での会話中に私は、デサイが腹腔鏡手術の技術を身につけようとしている話をした。カソンカは体を前に乗り出して興味を示した。オランダが最近、腹腔鏡手術の機器を寄付してくれたのだ。しかし、患者の負担が少ないその手術方法を施術出来る外科医がザンビアにはいないと、彼は言った。

「もしデサイ博士に言えるなら言いたいですね。『やあ、デサイ博士。貴方は腹腔鏡手術を含めた新しい技術を取得されるそうじゃないですか。』」カソンカは言った。「『今私達には最先端の腹腔鏡手術の設備があるんですよ。是非戻ってきて施術してください。』彼は直ぐにも荷造りして戻ってきてくれるでしょう。」

昨年5月、ルサカから戻った私はジャージーシティのデサイの自宅を訪問した。やはりインド系ザンビア人で薬剤師をしているデサイの妻バーヴァナ(Bahvana)と、17ヶ月になる娘カイヤ(Kaiya)が玄関口で出迎えてくれた。そこはデサイ家が借りているタウンハウスで、場所はニューアーク・ベイの、空港の反対側にあるゲイテド・コミュニティーの中だった。親戚が何人か英国から訪ねて来ているところで、私達は、デサイの贔屓チーム、リバプールの最近の不調について話し合った。数分後、14時間のシフトを終えたデサイが手術着のまま帰ってきた。

オフォリ‐アマンフォと同じように、デサイも故国を助けたいと強く思っている。「私にとっては依然として故郷なんですから。」私達が最初に会った時、彼はそう言った。「私は未だ故国で死ぬつもりなんです。引退したら住む場所も決めてあるんです。」インタビューの間、私はデサイの顔に間違えようの無い怒りの表情が浮かぶのに気が付いた。彼の怒りは幾つかの方向に同時に向けられているように思えた。彼の故国の失政に対して、グローバル経済の不平等性に対して、そして彼自身に対して。私達西洋社会は彼の才能に対する需要を作り出し、彼の才能から恩恵を受けている。私の息子を診察した最初の医師はナイジェリア人の小児科医だった。彼の故国も又、深刻な医師不足に悩まされている。彼も故国に帰れば、もっと多くの、より差し迫った状況の子供達を助けることが出来るだろうに。

私達の会話とe-mailのやり取りを通して、デサイは故郷へ帰る道を探しているかのようだった。彼は両親の最後の日々を心配する唯一の子供だ。そして娘のカイヤが、アメリカ人では無く、ザンビア人として育つ事を期待している。しかし彼は同時にザンビアの公衆衛生システムに絶望してもいる。そして金持ち相手の個別診療には嫌悪感を持っていた。故郷に帰って自分の診療所を開く話をしていたこともある。そこでは金持だけでなく、全ての人を診療するのだ。あるいは、外国の援助機関と一緒に故国で働くことも出来るかも知れない。

しかしそれらの代替手段に対するデサイの情熱は、移ろいやすく、限られたものでしか無いようにも見えた。まるで自分の相反する欲求が完全に満たされることは無いのを認識しているかのように。「私は日々の仕事に完璧に捕らわれているんです。」彼は言った。「今から30年後、ある朝目覚めたら思うんでしょうね。『故郷へ帰る計画はどうしちゃったんだろう?』ってね。」

私が教育病院で見て来た事が、果たして彼の計画変更を少しでも即すものであるのかどうか、私は半信半疑だった。私達は彼の家のダイニング・テーブルに置いた私のコンピュータの前に座った。彼はビールを飲みながら病院の写真を見て私の説明を聞いた。新しく新設されたI.C.U.や改装された手術室、それに人工透析器は彼に嬉しい驚きをもたらした。混雑した病棟や、壊れたエレベーター、新生児室のコンセントの外れた人工呼吸器の写真にはがっかりしていた。

私はボッシュのパワードリルが動く場面も見せた。

「ファンタスティックだ」彼は笑いながら言った。元同僚達の創意工夫に敬意を表していた。「本当にファンタスティックだよ。」自分が働いていた時、病院で使っていた手動ドリルに比べたら、実際パワードリルは大変な進歩だと彼は言った。

カソンカの新たな腹腔鏡施設と、マネージング・ディレクターである彼が、デサイがもし戻ってきたら自由にそれを使わせようと申し出ている話を私がすると、彼は驚いた。

「面白いね。面白い。」彼は言った。「ワオッ。クレイジーだ。」

しかし彼の驚きは、直ぐに批判的な態度に変わった。「とてもすごいと思う。だけど、あ~、もし戻ったとしても、それがどれぐらいの間、動いていると思う?」デサイは、小さな穴を通して手術するのに使う腹腔鏡などの機器が正しくメンテナンスされるのは、殆ど期待できない事に気付いた。彼はボトルからビールを一口飲んで言った。「基本的な部分の欠陥と根の深い問題がそこにはあるのさ。」

~~ここまで~~

次回更新は4月14日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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