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ロバート・キャロの深堀り

作家のロバート・キャロさんに関する記事をUpします。

記事を書いたのはチャールズ・マクグラス(Charles McGrath)さんです。元記事はここにあります。

ロバート・キャロさんはジョンソン大統領の伝記を執筆中です。

~~ここから~~

ロバート・キャロの深堀り

ロバート・キャロは恐らく権力について、特に政治権力についてなら、そういったものを持ったことの無い誰よりも詳しいだろう。彼自身は一度もオフィスとかを運営した事は無い。もしあったとしても直ぐ駄目に成っただろうが。彼はシャイで柔らかい語り口の男だ。オールド・ファッションな物腰にオールド・ファッションなニューヨーク訛り(彼はタイム(time)をトイム(toime)と発音し、ファイン(fine)をフォイン(foine)と発音する)、自意識が強すぎるので自分の事を話す時、少しばかり斜視になる。権力という概念、あるいは権力を持った人間は、彼にとって魅惑される対象であると同時に嫌悪の対象でもあるようだ。それでもなお、キャロは大人になってからの人生の殆どの時間、権力について、および権力で何が出来るのかについて研究して過ごした。最初に、偉大なる開発者にして都市計画の専門家、ロバート・モーゼス(Robert Moses)について、そして次にリンドン・ジョンソン(Lyndon Johnson)について研究している。ジョンソンの伝記を彼は既に40年かけて書き続けている。キャロは2人の事なら正確に話す事が出来る。モーゼスが如何に考えなしに、クロス・ブロンクス高速道路を中産階級の住む町中に通し、それによって何千もの家族を移動させたかを。あるいはジョンソンが1948年、テキサス州上院議員選挙で、如何にして87票の疑わしい票を手に入れ上院議員の椅子を盗み取ったかを。こういった物語は今でも彼を怒りで満たすと同時に、驚嘆に近い感情でも満たしている。この2つの感情は、孤独でディケンズ的な仕事を長時間、殆ど休日無しで続ける事を彼に強いる。

キャロは19世紀型伝記作者の最後となる人間だろう。偉大な人間、あるいは強力な人間の一生は薄い本では表す事が出来ない、それどころか厚い本でも表せず、本棚全部を占めるほどの分量が必要だと考える人間達だ。彼は毎日、ジャケットを着てネクタイを締め、コロンバス・サークル近くにある何の変哲も無いビルの22階にあるオフィスへ出向く。彼のオフィスはまるで公認会計士の事務所のようだ。それもまだ台帳と手回し式加算器を使っているような事務所だ。木製の古いデスクがあり木製のファイル・キャビネットがあり、いまだかつて誰も座った事の無いえび茶色の革のソファーがある。ここで彼は執筆をする。オールド・ファッションなやり方、リーガルサイズのシートに手書きという方法で。

キャロが1976年、何巻にも亘る第36代大統領の伝記、「The Years of Lyndon Johnson」を書き始めたのは、ピューリツアー賞を受賞したモーゼスの大部の伝記「The Power Broker」を書き終えて直ぐだった。その時彼はジョンソンの一生を3巻におさめられると思っていた。だいたい6年がかりだ。今年の5月、シリーズ4作目となる「The Passage of Power」が10年前に出た前作「Master of the Senate」の続編として出版される。その前作はそのまた12年前に出た「Means of Ascent」の続編で、それは又その8年前の第1作「The Path to Power」の続編だ。これら全ての本は普通のサイズでは無い。「Means of Ascent」は500ページくらいだが、このシリーズでは薄い方だ。「The Path to Power」は約900ページ、「Master of the Senate」は1200ページ近くある。前作2つを合わせたくらいの長さだ。もし貴方がこれら全てを、愚かしくも私が挑戦したように、2週間程度で読んでしまおうと思ったら、貴方は途中で止めたく無くなるかも知れないが、同時に目玉が飛び出さないか心配にもなるだろう。

新しく出る本は、その抜粋が最近The New Yorkerに連載されているが、736ページある。本がカバーしているのは6年間だけだ。物語は1958年に始まる。決断力と行動の男として有名なジョンソンが1960年大統領選挙に出馬すべきかどうか迷っている時だ。そして本は民主党大会第一回投票で彼がケネディに敗れる様子を描写する。そして彼の惨めで恥ずべき副大統領の日々が続く。その後、本の殆ど半分を占める47日間の記述、1963年11月のケネディ暗殺(キャロが書いた、ジョンソンの目から見た記述は今までで一番面白い記述だ)から翌年1月の一般教書演説までの記述が続く。ジョンソンが息を飲むほどの短い期間に権力を掌握し、グレート・ソサイエティ法制定へ動きだすまでの期間だ。

別の言葉で言えば、リンドン・ジョンソンの時代を書くキャロのペースは、ジョンソンが実際にその月日を生きたペースよりも遅い。そしてキャロはまだ終り近くにも来ていない。この先にはまだ、1964年の選挙があって、ボビー・ベイカー(Bobby Baker)とウォルター・ジェンキンズ(Walter Jenkins)のスキャンダルがあって、ベトナム戦争があって、二期目に出馬しないと言う決断が来る(訳注:ボビー・ベイカーは東ドイツのスパイと言われるエレン・ロメッチ(Ellen Rometch)をジョン・F・ケネディに引き合わせたとされている。ウォルター・ジェンキンズはジョンソンの首席補佐官で1964年、セックススキャンダルの後で辞任)。私達の多くが覚えているジョンソン(そして私達の多くが通りを行進して抗議した人物)、頑固でしかめっ面のジョンソン、大きな顎と垂れ下がった象の様な耳と胆嚢手術の跡がある人物は、やっと姿を現した段階だ。

自分自身でも長生き出来ないと予想していたジョンソンは64歳で亡くなった。キャロはすでに76歳。2004年に膵臓炎の恐ろしい発作を経験した後は健康そのものだ。彼は「The Passage of Power」がこんなに長くかかった理由として、執筆と同時に次の物語のリサーチをしているからだと言った。そして彼は残りの物語を、筋の通った配置をした上で、後わずか1巻でまとめられると言っている。彼は同じことを「Master of the Senate」が終わった時も言っていた。(彼は又、「The Power Broker」の時、9カ月程度で書き上げられると言っていた。しかし実際は7年かかり、その間に彼と妻のイーナ(Ina)は一文無しになっている。)クノッフ社の編集長だった時にキャロと「The Years of Lyndon Johnson」の契約を結んだロバート・ゴットリーブ(Robert Gottlieb)が引き続きキャロの全ての本の編集をしている。公式に会社を離れた後でもだ(彼は又、The New Yorkerの編集長だった時、第2巻の抜粋を担当した。)ゴットリーブはそんなに前で無いある日、キャロに話したと言う。「この状況を保険会社みたいな見方で見てみようじゃないか。私はもう80で君は75だ。保険会社的見方だと、もし君がこの先何年もこれにかけていたら、私が担当し続けられる可能性は低い。」ゴットリーブは付け加えて私に言った。「真実の話、ボブには私は必要じゃ無い。しかし彼は自分には私が必要だと思っているんだ。」

ジョンソンの仕事をする日々の中で、ロバート・キャロはジョンソンを寄り良く知るようになった。あるいは寄り良く理解するようになった。ジョンソンが自分自身を理解している以上にだ。彼はジョンソンの良い面も悪い面も知っている。ジョンソンが如何にして史上最年少の上院院内総務に成ったのか、そして如何にして1957年の市民権法を成立させたのか。ジョンソンは南部諸州の上院議員の耳に囁いた事と、全く別の事を北部諸州の上院議員の耳に囁いた。そして、その市民権法は1875年以降の全ての市民権法を廃棄するものだった。その他、ジョンソンが如何にして従軍記録を改ざんし、実際は飛行機に1回乗っただけなのに勲章をせしめたか。キューバ危機の時、副大統領だったジョンソンは、そのタカ派ぶりでケネディ大統領と弟のロバートを心底恐れさせた。キャロは研究した、ジョンソンの怒りを、彼の冷酷さを、彼の嘘を、彼が払ったワイロを、彼の不安、彼の甘言、彼の卑屈さ、彼の癇癪、彼のおべっか、彼の子分やチンピラ、彼のテーブルマナー、彼の飲酒癖、彼のペニスのニックネームすら知っている。それはジョンソンじゃなくてジャンボだ。

こういった知識は簡単には手に入らない。安価でも無い。キャロは余りにも長くジョンソンに関わったので、キャロのエージェントであるリン・ネスビット(Lynn Nesbit)はもう何回契約し直したのか覚えていない。彼の出版社には2人の編集長が居るが、もはや〆切を気にする事は無い。本は出来上がる時に出来上がるのだ。「私は施しを受けているわけでは無い。」クノッフ社がどうやってこんなに長い年月待っていられるのか、先月私が訊いた時、キャロはそう答えた。ジョンソンの伝記が輝かしい評価を受けているのは事実だ(「The Path to Power」と「Means of Ascent」は共に、全米批評家協会賞(National Book Critics Circle Award)を受賞しているし、「Master of the Senate」はピューリッツア賞と全米図書賞(National Book Award)を受賞している。そして全部がベスト・セラーに成った。しかし又、こういった本があまりにも不定期に出ているので、キャロはブランド・ネームとは見做されていない)。「これらの本は利益をだしているだろうか?」クノッフ社の現在の社長で、1987年にゴットリーブが退社した後、ジョンソン・プロジェクトを(熱狂的に)引き継いだソニー・メータは先月言っている「たぶんね。」彼はしばし考えてから最終的に言った「何故ってあんな本は他に無いからね。」

ゴットリーブはもっと哲学的だ。「45年経った後で、私達が会計上損をしていたからと言ってそれがなんだ?」彼は言った。「彼が残したものを考えてみてくれ。彼がこの世に追加したものを。どうやってその重みが測れるんだ?」

ゴットリーブとキャロ、この2人のボブは、編集作業上、奇妙な関係を保っている。互いを尊敬しつつも殆どケンカ腰だ。例えば2人はいまだに議論している。あるいは議論する振りをしている。ゴトリーブが「The Power Broker」からどれだけ多くの言葉を削ったかについて。削られたのは350,000語、充分に2~3冊の本に匹敵する分量だ。そしてキャロは殆ど誰に対しても愚痴をこぼす。「あれは『The Power Broker』から削られるべきでは無かった。」ある日彼は私に悲しそうに語った。そして個人で所有している本を見せてくれた。ページの端が折れていて背表紙も壊れている。アンダーラインがいっぱい引いてあって、行間に修正書きがいっぱいしてあった。キャロは少しばかりバルザックに似ている。バルザックも自分の本が出版された後でも文句を言い続ける人だった。

ゴットリーブとキャロは又、そもそもジョンソン・プロジェクトがどのようにして始まったかについて若干食い違っている。キャロの最初の契約では、モーゼスの伝記が終わった後、ニューヨーク市市長だったフィオレロ・ラガーディア(Fiorello LaGuardia)の伝記を書くはずだった。ゴットリーブの話では、1974年キャロが来てそのプロジェクトについて話していた時、彼はキャロにこう言った。「ラガーディアは間違いだ。私の頭には2人の神が居る。30年代と40年代。F.D.R.(フランクリン・D・ルーズベルト)とラガーディアだ。しかしラガーチアは袋小路だ。変わり種だ。何処からともなく現れて、追随者も現れない。君はリンドン・ジョンソンを書くべきだ。」私を見て頭を振りながら彼は付け加えた。「判って欲しいんだ。その時私はリンドン・ジョンソンについて何も知らなかった。リンドン・ジョンソンなんて気にもしていなかった。その瞬間までボブがやるべきなのはそれだなんて考えは思いつきもしなかった。あれは、いわば説明しがたい偉大な瞬間だった。何故って何処からともなく現れたんだから。」

キャロの話では、その時彼は既に心を決めていたと言う。次の題材は、その頃亡くなったばかりのジョンソンであると。その理由は部分的に、再びニューヨークについて書くのが嫌だったからでもある。しかし彼はゴットリーブが話すのを静かに聞いていた。「いつも感じている事なんですが、私は『それこそ私がやりたい事だ』とも言わず、ただ黙って座っている方が、物事が思い通りに進んで行くようなんです。」彼はそう私に言った。

ゴットリーブとキャロは本の長さでも論争したが文体でも同じくらい争う。時として句読点で争う事もある。「判るだろう?馬鹿げた古い言い回しさ。『彼の欠点の性質は、彼の性質の欠点なのだ』とかいったやつだ。」ゴットリーブは言った。「それはボブにとっては正に真実だ。何故彼があれ程の調査の天才なのか、何故彼が信頼できるのか、それは、彼にとって全てが同じ重要性を持っているからなんだ。セミコロンをどこに入れるかって問題は、私は知らんが、ジョンソンがゲイかどうかと同じくらい重要なんだ。しかし残念ながら、こと言葉(English)に関する限り、私も同じような傾向を持っている。セミコロンで戦争も辞さない。それは私にとって誰がどの法案に投票するかと同じくらい重要なんだ。」

2人の最悪の戦いはジョンソンの第2巻「Means of Ascent」で行われた。1948年の上院選挙で議席を盗んだ話を中心とする巻だ。ゴットリーブはキャロに物語を長くする事を勧めた。彼自身が地方政治の詳細に魅せられていたからだ。しかし彼は、多くの批評家と同様、選挙におけるジョンソンの相手、元テキサス州知事コーク・スティーブンソン(Coke Stevenson)に対するキャロの性格付けに文句を言った。ほとんど英雄的な言辞で装飾されていたのだ。「私たちは正面から衝突した。口角泡を飛ばし、鼻を突き合わせてね。コーク・スティーブンソンを理想視する事は、どうしても了承できなかった。」ゴットリーブは言う。「本当に殺し合いになりそうだったよ。」

一番新しい本の編集はもっと滑らかに進んだとゴットリーブは言う。彼は説明した。「2人共昔より行儀よくなったのさ。本当に酷い時期を潜り抜けて来たからな。2人ともが心から楽しんで仕事をしたのは初めてかも知れない。例えば彼が言う。『君がこの部分全部が気に入らないのは判ってる。』そしたら私が言うのさ。『それが判るとは、なんと面白い事か!』私が思うに2人とも変わった。変わりうる限界まで変わったのさ。」彼は笑って付け加えた。「どうしたらこんな事が起きるのかって?これ全部に価値があるって信じて始めただけさ。何も知らない内にね。今から500年後に誰かが43巻目に注釈を付けているかも知れないなんてね。」

「計画なんてものは有りませんでした。」自分がどのようにして歴史家、および伝記作家に成ったのか私に説明する時、キャロは言った。「一連の間違いがあっただけです。」キャロは1935年10月に生まれ、94番通りのセントラル・パーク・ウェストで育った。ビジネスマンだった彼の父は英語と同じくらいイディッシュ語が話せたが、どちらの言葉も、あまり話す人間では無かった。彼は「とても寡黙でした」とキャロは言う。そしてキャロの母が死んでからは益々寡黙に成った。母親は長い病気の後、キャロが12歳の時に亡くなった。「あまり長い時間過ごしたく無いと思うような異常な家庭でした。」彼は言う。今は引退した不動産業マネージャーである兄のマイケル(Michael)を、彼は好きだったと言うが、2人の関係は普通の兄弟のような関係では無かったと彼は付け加えた。彼は出来るだけ長い時間をホレイス・マン学校(Horace Mann School)で過ごした。その学校に通う事は、母親の遺言だった。あるいは本を持ってセントラル・パークのベンチに座って過ごした。彼はいつも何か書いていた。その当時でさえ彼の書くものは長かった。6年生の時書いた作文は他の誰よりも圧倒的に長かった。彼が聞いた話では、プリンストンで彼が書いた卒業論文、ヘミングウェイにおける実存主義は、あまりにも長かったので、大学の英文学部は提出される卒業論文のページ数制限ルールを直後に決めたと言う。

キャロは今、プリンストンへ言ったのは間違いの1つだったと言う。ハーバードへ行くべきだったと。彼がプリンストンへ行ったのはパーティーの為だったらしい。50年代中頃のプリンストンはユダヤ人に優しい場所では無かった。キャロは個人的に反ユダヤ主義に苦しめられた事は無かったと言うが、大勢の学生が苦しめられているのを見たと言う。「私の考えでは、私はプリンストンに居たわけでは無かった。」彼は言った。「私が居たのは、新聞とか文学雑誌とかだった。」彼はスポーツ・コラム、「Ivy Inkling」をThe Daily Princetonianに書いた。彼はそこで最終的に編集長に成っている(トップ編集長は退学するまで、R・W・アップル・ジュニア(R.W.Apple Jr.)だった。後にニューヨークタイムズの伝説的編集長になる人物だ)。彼はまたショート・ストーリーも書いている。もっとも、そんなに短くも無いかもしれない。その中の1つは、ガールフレンドを妊娠させた少年の話で、ユーモアと文学の雑誌、The Prinston Tigerの殆ど丸々1冊を使って発表された。

キャロが妻のイーナと会ったのもプリンストンだった。イーナは彼が信頼する殆ど唯一の助手であり調査員である人物だ。2人が出会った時、イーナは16歳だった。近くのトレントン(Trenton)高校から、ヒレル(Hillel:ユダヤ人のキャンパス組織)主催のダンス・パーティに友人と来ていた。彼女はダンスホールの中に居たキャロを認めて(その当時の写真から判断すればとてもハンサムだった)、親友に行った。「あの人と結婚すると思う。」3年後、彼女はその通りにする。両親の希望に逆らって大学をドロップアウトして結婚した。大学卒業を目前としていて、学位を1つ余分に取得し(中世ヨーロッパ歴史)、自分で2冊の本も書いていた彼女が夫に人生を捧げたのは、今日の基準かれ見れば際立って珍しい行動と言えるだろう。「The Power Broker」を書いていた最悪期、キャロが資金を使い果たし、執筆を完了させるのに絶望的になった事がある。その時、彼女はロング・アイランド郊外の自宅を売却し、ブロンクスのアパートに家族で引越し(キャロ家には息子が1人いる。チェイス(Chase)は現在ITビジネスで働いている)学校で教える仕事を始めた。夫に書き続けさせる為に。

「あの時は酷かった、本当に酷い時期でした。」キャロは思い返す。

「私はいつも、最も大事なことはボブが執筆できる事だって感じていたんです。」イーナは言った。「家だとかお金だとかは大した事ではありません。飼っていた犬の為には大事だったかも知れませんけどね。」彼女がそう言ったのは、アッパーウエストサイドにある彼らの大きなアパートを私が訪問したある朝の事だった。彼女は付け加えて言った。「しかし私はいつも、これが彼の書くべき全てだとは思っていないんです。私はいつも彼に小説を完成させて欲しいんです。」彼女は今現在でも、ジョンソンの伝記が2人の人生を捧げた偉大な業績であると認めることは難しいと付け加えた。「誰だって死ぬことは考えていません。」彼女は言った。「いつでも人間はまだ時間があるって考えるものなんです。」

結婚する為にキャロは仕事に就く必要があった。タイムズ社は彼にコピー係りの仕事をオファーした。彼の記憶では給料は、「たしか週37ドル50セントだったと思う。」The New Brunswick Daily Home News and Sunday Times社が彼に週52ドルのレポーターの職をオファーし、キャロはこの仕事に就いた。キャロのもう一つの間違いだった。もっともこの仕事はパワー・ポリティックスに関する初歩的なレッスンとなった。新聞の主席政治記者が選挙期間中、ミドルセックス郡の民主党の仕事の為に休職したが、病気を患ってしまってキャロがその代役になったのだ。キャロは民主党のボスの為にスピーチを書き、P.R.に努めた。投票日にはその男と一緒に投票所を回った。あるところで、警官が黒人を警察のワゴン車へ乗せている場面に出くわした。「警官の1人が説明してくれました。黒人選挙監視員がトラブルを起こしたが警官達が取り押さえたんだって。」キャロは回想する。「今でもその時の事を考えるんです。その時私にショックを与えたのは警官達の乱暴さでは無かったと思います。それは・・・、従順と言う言葉は正しくないでしょう。そこで起きていた事態を皆が受け入れていると言う事実が私にショックを与えたんだと思います。私はとにかく車から降りたくなりました。それで車が次に止まった時、直ぐに出たんです。ボスは私を呼び止めませんでした。多分私がどんな気分だったのか判ってたんでしょう。」

そしてキャロは60年代初頭の権力と言うものについて更に深い啓示を受ける。彼はNewsdayへ転職し、そこで自分に調査報道の才能が有る事を発見する。彼はロバート・モーゼスの計画を調査する仕事を割り振られる。それはニューヨークのライからロング・アイランド・サウンドを通ってオイスター・ベイへと繋がる橋を建てる計画だ。「世界最悪のアイデアだったと思います。」彼はそう私に言った。「橋脚がとても巨大に成り、おそらくは潮を止めてしまう事が判っていました。」キャロはこの計画の愚劣さを暴く連載を執筆した。その連載はネルソン・ロックフェラー(Nelson Rockefelle)知事を含む全ての人を説得する力を持っていたと思われた。しかしアルバニーに住む友人から呼び出された時の事をキャロは良く覚えている。「ボブ、私が思うに君は此処に来るべきだ。」友人はそう言ってキャロを呼び出した。「橋の建設に繋がる事前工事の承認をかけて議会が投票する現場に私は居合わせました。法案は通過したんです。134対4ぐらいの大差で。あれは私の人生でも転換点となる出来事でした。自動車に乗ってロング・アイランドへ戻る間ずっと考えていたんです。『お前がやった事は全てたわごとだ。お前は民主主義の力は投票箱から来ると信じて書いてきた。ところがこの男は、何かしらに当選したわけでも無いのに、州全部をひっくり返す力を持っているんだ。そしてお前は彼がどうやってその力を得たのか、ほんのわずかの考えも持って無いと来ている。』」

そして教訓は1965年にも繰り返される。キャロはハーバードで、ニールマンの特別奨学金を得て土地使用と都市計画について学んでいた。「ある日の事です。高速道路を何処に作るべきかが話題に成りました。」彼は思い返す。「そういった問題については数学的な公式が存在します。交通量や人口密度とかを扱うものです。だけどその時、私は自分自身に言い始めたんです。『これは全く間違っている。ここには何故高速道路が建設されるかが入ってない。高速道路が建設されたのは、ロバート・モーゼスがあそこに建設したかったからだ。ロバート・モーゼスが何処から権力を手に入れたのか見つけ出して説明できなければ、他の全ての説明は不正直なものでしか無い。』」

キャロの権力に対するこだわりは、彼の仕事の多くの特質を説明してくれる。彼の書く全ての本は、大部分が権力を扱っている。キャロは自分の本を単なる伝記だとは思っておらず、政治権力の研究だと思っている。政治権力がいかに、それを持つものと持たないもの両方に影響を与えているかを研究した本だと。権力は、少なくともキャロの理解においては、本の登場人物と構成についての彼の着想の基礎と成っている。「The Power Broker」において権力は、貪欲なモーゼスが求め続け、ついに彼を変えてしまった麻薬として書かれている。彼を理想主義者から人間的感覚を持たない怪物に変えてしまったもの。自己満足な目的の為に道路を通し橋を掛け、近隣を破壊させたものとして書かれている。ジョンソンの本を貫いているものは、キャロが言う所の、「明と暗を表す2本の糸」だ。明を表すのは、むき出しで情け容赦のない権力への飢え。「権力は他人の生活を改善しない、しかし他人を操作したり支配したりできる。彼の意志に従わせる事ができる。」そして他人はしばしば、彼の権力の使用に対して寛容だ。キャロが描き出したモーゼスが芝居じみた存在、街を変貌させるファウスト的存在であるとするならば、彼が描いたジョンソンは、シェークスピアに出てくるリチャード3世、リア王、イアーゴ、キャシオを全て1人の人物に凝縮させたような存在だ。大学時代のジョンソンがどんなに酷かったかを貴方が呼んだ時、目的の為に手段を選ばず、仲間の学生を陥れ、教授に取り入る様子を読んだ時、あるいは、コーク・スティーブンソン相手にジョンソンが展開したネガティブ・キャンペーンを読んだ時、おそらく貴方はキャロが吐きそうになっているのを実際に感じ取る事が出来るだろう。しかし数巻の後に、ジョンソンが市民権法案を支持する場面の描写では、キャロが再び、自分の書く人物に対する思いやりを甦らせているのを感じるだろう。

色々な意味で、キャロの人物に対する見方はロマンティックで理想主義的だ。そして彼の本の原動力は、まるで裏切られた恋人のような、落胆であるとか正義とかであるだろう。彼の方法に欠点があるとすれば、どんな人間の一生でも、例えば私の一生であるとか貴方の一生でも、キャロ的詳細さで描写すれば、叙事詩的でロマンチックな相貌を得てしまうであろう事だ。違いがあるとすれば、私達の一生は権力を持たざる者の叙事詩であると言うだけで、使われる言葉はおそらく同じようなものになる。キャロのスタイルは大胆で大げさだ。批判的な者に言わせれば、気取り過ぎている。それはオールド・ファッションの歴史家、ギボン(Gibbon)とかマコーレー(Macaulay)に近い。あるいはホメロス(Homer)とかミルトン(Milton)にさえ近いかも知れない。そして力強い新聞記事的な記述だ。彼は長大な目録を好む(「The Power Broker」の書き出しには、長々とした高速道路のリストが出て来る。それは「イリヤッド」の中に出て来ても不自然では無いようなものだ。最もギリシャ人やトロヤ人が自動車の運転方法を知っていたらの話だが)。そして長々とした大時代の文章を好む。時として語気の強い単文文節が続く。劇的効果を高める為に主題や情景描写を繰り返す事も厭わない。

こういったスタイルは、The New Yorkerの洒落た短い文節と相性が良いとは言えない。特に1974年、The New Yorkerが「The Power Broker」を4回に亘って連載した時、その当時でもそれは長々とした文章だった。当時の雑誌は多くの広告を載せていて、全ての記事を載せるのにしばしば問題を起こした。私はその時、The New Yorkerで校正読みを担当していた。私の事務所は、「The Power Broker」抜粋の担当編集者ウィリアム・ホイットワース(William Whitworth)の事務所の向かい側だった。私は彼が、編集長ウィリアム・ショーン(William Shawn)の事務所とキャロが借りていた事務所の間を、まるでバルカン半島の外交官のように疲れた様子で行ったり来たりするのを見ていた。キャロはその年の夏、詩文編集者ハワード・モス(Howard Moss)の事務所に間借りしていた。キャロは雑誌が彼の散文を不当にいじくっていると文句を言っていた。彼は間違っていない。ホイットワースは、普通行われるように、本の原稿から単純に文章を切り出して来るのでは無く、全体を圧縮しようとしていた。それは即ち、一つの文節から始まって数ページ先まで続く大部の文章を圧搾する事を意味する。「彼らは僕のスタイルを和らげたんだ。」キャロは言う。ショーンは一方で雑誌の基準を守ろうと奮闘した。The New Yorkerは、時として気難しい独自の句読法を強要した。長々とした湾曲な文章は許されない。繰り返しも許されない。特に単文文節は許されない。厳密なキャロ的情景描写は例えば次のような文章になるだろう。

「編集の世界においてウィリアム・ショーンは計り知れない力を持った男である。彼はその力を静かに、緩やかに、殆ど囁くように行使する。何れにしろ彼が力を行使する事に変りは無い。作家にとってショーンの長い木目の机は神殿であり祭壇だ。磨き上げられた輝く机の上で数多くの校正原稿がやり取りされる。何ページもの校正原稿、積み上げられた校正原稿、束に成って綴じられた校正原稿、事実関係を精査され、法的、文法的チェックを経た校正原稿、太い赤ペンで繊細な殴り書きをされた校正原稿。それらは何らかの魔法のような、あるいは錬金術の様なやり方でふるいにかけられ、不純物の無い一般的かつ現世的な文章が取り出され、それにいわく言い難い魅惑的輝きが注入される。真にThe New Yorkerスタイルの輝きだ。

しかしそのスタイルは万人のものでは無い。

そしてそれはロバート・キャロのスタイルでは無かった。」

交渉は緊張に満ちたものだった。その為に第2回と第3回の掲載の間には一週間の空きが出来てしまう。その当時には考えられない事態だった。その間、両者は睨み合い、残りの2回分はご破算に成りそうだった。雑誌に携わっていた全ての人間はあっけにとられた。キャロは頑固さにおいてショーンと大差ないことが分かった。38歳のその男は無名で新聞以外には一言も出版された事が無いと言うのに。さらに言えば彼は文無しで、人生最大の報酬に背を向けられるような立場には無かった。しかしThe New Yorker寄稿者の中で唯一、彼はあえてバートルビー(Bartleby:ハーマン・メルビルの小説の主人公)に成ろうとし、自分の力の無さを主張の中心に据えた。

キャロは今、彼が最も深く憂慮した部分について、ショーンが変更を元に戻すことに同意したと言っている。しかし何れにしろ雑誌掲載版はオリジナルとは異なっていて、キャロの句読点と文節は変更されている。The New Yorkerの連載はオリジナルより読みやすい抜粋だろう。本質的情報は犠牲に成っておらず、膨大な時間を要する原本よりも、興味の持続がしやすい長さになった。しかし善きにしろ悪しきにしろ、オリジナルほどの主張の強さは無い。

ホイットワースはこれに怯む事無くThe Atlantic誌で、1980年に自分が編集者に成った後、ジョンソンの最初の巻の抜粋を載せている。

キャロが執筆にこんなに長くかかるのは、書くのが遅いからでは無く、書き直しの為である。大学時代、彼は非常に速い器用な書き手だった。あまりにも速くタイプ出来るので、教師の一人、批評家のR.P.ブラックマー(Blackmur)はある時、彼に言った。「指先で考えるのを止められなければ」君は何一つ達成できないだろうと。そしてキャロは実際、スロー・ダウンさせる事を試みている。彼は4回か5回の手書きの下書きを終えるまでタイプを始めない。彼のタイプは古臭いスミス・コロナ・エレクトラ210だ。コンピュータでは無い。そして彼はタイプした文章に書きなおす。12月初めのある日、私が訪問した時、彼は「The Passage of Power」の校正原稿を修正していた。まるでプルーストが校正原稿を修正するようなやり方だった。線で消して行間に書き込む、または追加の文章を別紙に書いて挟むと言うやり方だ。

キャロは又、同じくらいの熱意で調査を行う。ゴットリーブは、「The Power Broker」の最初の方に出てくる文章を好んで取り上げる。その文章は、モーゼスの両親が、貧しい子供達の為に自分達で設立したフレッシュ・エア・チャリティーの行事でキャンプ・マディソンのロッジに居たある朝に、The Timesの記事を見た時の様子を書いた文章だ。両親は息子が土地収用の不正で22,000ドルの罰金を科されたのを知った。「なんてことでしょう、あの子は今まで1ドルも稼いだことが無いのに。私達が払わなければいけないわ。」ベラ・モーゼスはそう言った。

「どうやって、こんな事を知ったんだい?」ゴットリーブはキャロに訊いた。キャロの説明では、彼はキャンプ・マディソンで働いていた全てのソーシャル・ワーカーにインタビューしたのだと言う。その中の1人がモーゼス夫妻に新聞を届けた人間だった。「まるで、『外が雨だってどうやって判ったんだい?』って聞かれて答えているみたいに、自然な回答だった。」ゴットリーブは私にそう言い、そして付け加えた。「『The Power Broker』が出版された時、他の作家たちは驚いていたよ。誰もあんな本は見たことが無かった。この業界における記念碑と言うようなものでは無い。そんなものはいくらでもある。もっと違うものだ。なんて呼んだら良いかも私にも判らないくらいだ。」

キャロはかつて、テキサス州ヒル郡で数夜、寝袋で過ごした事がある。その辺鄙な場所の孤独感がどういったものか理解する為だ。ジョンソンの伝記の為に彼は何千ものインタビューをこなした。その多くはジョンソンの友人達や同時代人だ。(レディー・バード(Lady Bird:ジョンソンの妻)は数回インタビューに答えたが、理由を言わずに途中で打ち切った。ジョンソンの報道官、ビル・モイヤーズ(Bill Moyers)は一度としてインタビューに応じなかった。しかしジョンソンの近しい仲間達の多くは応じている。その中にはジョン・コナリー(John Connally:ケネディ政権の海軍長官、テキサス州知事)とジョージ・クリスチャン(George Christian)も含まれている。ジョージ・クリスチャンはジョンソンの最後の報道官で、死の床でキャロのインタビューを受け、録音中に亡くなっている。)彼は実質的に数年間、テキサス州オースチンのジョンソン図書館で過ごしている。赤い背表紙に綴じられたジョンソンの文書を辛抱強く精査し、幾つかの暴露的資料の最初の発見者と成っている。「何回も何回も、誰も知らなかった重要資料を見つけました。」彼は言った。「注意深く見てゆけば何時だって原資料が見つかるものです。」彼が付け加えて言うには、何時でもNewsday時代の編集長、アラン・ハサウェイ(Alan Hathway)、気難しくて古臭い新聞屋が言った言葉を心掛けているのだと言う。ハサウェイは、キャロがアイビーリーグを卒業しただけで未だ何者でも無いと言い放った後、こう告げた。「くそ忌々しいページを全部めくるんだ。」

長めのリーガル・シートにタイプされた彼のノートには、幾つかの重要な方向付けが大文字で書かれていて、彼の本棚を埋めている。彼は執筆を始める前に、関連するファイルの目録を、大きめのルーズ・リーフ・ノートにまとめる。それはまるで、自動車部品店のカウンターに置かれている台帳に似ているかも知れない。コンピュータは使われておらず、グーグルもウィキペディアも無しだ。

キャロの本がかくも長くかかる理由の1つは、彼が何回もファイルを探し回るからでもある。そして彼は思いもかけない発見を何回も繰り返している。最初の巻を始める前、彼はジョンソンの若い頃の話を2章くらいにまとめるつもりだった。大学時代のジョンソンの級友に会って、今まで誰も語らなかった彼の嘘と陰謀を知るまでは。その巻には議会でのジョンソンの師であるサム・レイバーン(Sam Rayburn)の小伝が含まれているし、電気が通じた事でヒル郡の生活がどんなに変わったかを生き生きと伝える描写も入っている。その多くはイーナが行ったインタビューによっている。イーナは手作りの保存食を持ってヒル郡の女性達を訪問し、彼女たちの好意を得た。イーナは、皆と同じように自分もシャイでナーバスだったから好感を持たれたのだといっている。

キャロは上院議員時代の巻で、1948年の上院議員選挙に1章しか割かないつもりだった。しかしその話は、最終的に第2巻となるその本の殆どを占める事になる。ジョンソンの支持者はかつて、その選挙が不正かどうか「誰一人として確証は無い」と言っていた。キャロはしかし確信している。彼は、選挙のボスであり党の使い走りだったルイス・サラス(Luis Salas)の手書きメモを発見したからだ。そこには、彼が如何にして記録を誤魔化したかが詳細に記されていた。上院議員時代を書いた第3巻は100ページもの長さの上院の歴史から始まる。キャルホーン(Calhoun)とウェブスター(Webster)の時代から始まる話で、上院を理解するにはその偉大な時代を見なければならないとキャロが感じていた為に書かれた。この本にはヒューバート・ハンフレイ(Hubert Humphrey:ジョンソン政権副大統領)と、長年の南部における上院のリーダー、リチャード・ラッセル・ジュニア(Richard Russell Jr.)の小伝も含まれている。そして1957年の公民権法成立に関する、殆ど1票ずつの詳細な記述で終わる。ジョンソン政権の最初の数週間の話、最新巻で大きな場所を占める話は、当初最終巻の1つの章で終わる予定だった。そして最新巻には、キャロが予想していたよりも、ケネディ兄弟の話が多く含まれている。例えば彼は、ジョンソンとロバート・ケネディとの諍いを詳細に記述している。1960年の民主党大会後に、ボビーがロサンゼルスのホテルの部屋にジョンソンを訪ねて、副大統領候補を降りるように迫る場面が描かれている。

こうして一巻に入る話は膨れ上がり続ける。別の言葉で言えば、キャロが新しい発見をするにつれ、サブプロットとか物語中の物語が増え続けるのだ。彼は今、第5巻とベトナムの話を書こうとしていて、その予兆はキューバ・ミサイル危機に対するジョンソンのタカ派的苛立ちに現れている。私が彼を訪ねたある日の事、キャロは自分で書いたノートの分厚いファイルを取り出した。そのファイルには毎週火曜に開催されていた閣僚会議に関する資料の写しが含まれている。会議にはジョンソンと、ディーン・ラスク(Dean rusk)、ロバート・マクナマラ(Robert McNamara)、イーリー・ホイーラー(Earle Wheeler)、そしてウォルト・ロストウ(Walt Rostow)が出席していて、紛争をエスカレートさせるべきかと言う問題が繰り返し議論されていた。「これを見てくれ。」キャロは私に言った。「信じがたい事だ!」

キャロは今や、今まで以上にジョンソンに魅了されていると私に言い、付け加えて言った。「これは彼が好きか嫌いかと言う問題では無いのです。私は20世紀後半のアメリカで政治権力がどのように働いたかを説明したいんです。ここに1人の権力を理解した男が居て、今まで誰もやらなかったやり方でそれを使ったんです。彼は権力を手に入れるにあたって無慈悲でした。それは彼が無慈悲な人間だと知っている私でさえ驚く程な冷酷さなんです。しかし彼が、貧民や有色人種を助けたいと常に思っていると言った時、彼は本当にそう思っているんです。そして素晴らしい結果を残す為に、彼が無慈悲に、残忍に行動するのを見る事になります。彼は性格を変えたのでしょうか?違います。ジョンソンに対する私の感情は矛盾しているのでしょうか?もちろんです。今まで常に矛盾していたんです。」

机の横の壁にかかったコルク・ボードに、キャロは「The Years of Lyndon Johnson」のアウトラインを書いたリーガル・シート大の紙をピンで留めている。それは古典的なアウトライン、段付けされて見出しとか小見出しに番号が付いたもの、では無い。文章とか文節とか覚書の迷路のようなものだ。最近では、一番上の方が若干空いている。空いたのは、新しい本に収まったシートが、かつて占めていた場所だ。しかし未だ何列かが残されていて、その他に13ページの追加が壁に割り振られずに残っている。それらはこれから、さらに増えそうだ。これらのシートの何処かには、既に「The Years of Lyndon Johnson」の最後の文章が、それが第何巻に入るにしろ、書かれているはずだった。私はキャロに一度ならずお願いしたが、彼はその最後の文章を決して教えようとはしなかった。

キャロが次に行う計画に困る事は無い。ジョンソンの本が終わった後のトピックも既に決めてある。しかし彼はそれが何か明かそうとしない。彼は私に、1928年の大統領候補でニューヨーク州知事だったアル・スミス(Al Smith)の伝記も考えられると話した事があった。しかし彼が、ある意味、終わらせたく無いと思っている可能性もある。無意識の内にジョンソンの話を引き延ばしていると言う可能性だ。何故なら、伝記作家が仕事を完成させた時、つまりは自分の主人公を葬った時、伝記作家自身も少し死ぬのだから。キャロはギボンの偉大なる弟子だろう。そしてギボンが1787年、スイスのローザンヌの自宅で「ローマ帝国衰亡史」を完成させた時に書いた文章は、キャロにとっても馴染み深いものであるに違いない。「私は自由を取り戻した喜び、そして、おそらくは名声を打ち立てたられた喜びを偽るつもりは無い。しかし私の満足感など直ぐに萎んでしまった。そして悲しい憂鬱さが心に広がり始めている。それは古い馴染の仲間と永遠の別れを告げた事から来るものだ。そして私が書いた歴史書の未来がどの様なものに成ろうとも、歴史家の人生などと言うものは、短くも儚いものでしかないのだ。」

~~ここまで~~

次回更新は5月19日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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