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マージ伯母はどうして冷蔵庫で氷付けになったのか

ある殺人事件の記事です。

記事を書いたのはジョー・ローデス(Joe Rhodes)さんです。元記事はここにあります。

映画「Bernie」の題材ともなった殺人事件です。

~~ここから~~

マージ伯母はどうして冷蔵庫で凍りづけになったのか

「バーニー(Bernie)」は、「バッド・チューニング(Dazed and Confused)」を監督したリチャード・リンクレーター(Richard Linklater)の新作映画で、暗い雰囲気のデッドパン・コメディー(deadpan comedy:無表情で演じる喜劇)だ。リンクレーター自身はイースト・テキサス版「ファーゴ(Fargo)」だと言っている。ジャック・ブラック(Jack Black)が主役のバーニー・ティーディ(Bernie Tiede)を演じる。バーニーは小さな街の葬儀屋で、テキサス州カーセージ(Carthage)の全ての人間から愛されていた。イエス・キリストと歌謡曲が好きな優しくて社交的な人物、そして、シャーリー・マクレーン(Shirley Maclaine)扮する裕福な気難しい未亡人を殺害してしまう人物だ。ティーディは彼女に4発銃弾を打ち込んだ後、冷蔵庫に死体を押し込む。彼女の凍りついた体は9ヶ月間そこにあった。その間バーニーは彼女の財産、数百万ドルのかなりを使ってしまう。種々の善行とか大盤振る舞いで。カーセージの人々が望むものを何でも買い与えた。自動車、ジェット・スキー、飛行機。メソジスト教会に新しい翼廊をつける事も約束した。彼が何処から金を得ているのか誰一人気にしていなかった。

遺体が発見されてバーニーが犯罪を白状した後でさえ、カーセージの多くの人は彼にそんな事が出来るとは信じなかった。(「バーニーだって。あの心優しいバーニーか?」)地区の司法長官は(マシュー・マコノヒー(Matthew McConaughey)が演じている)彼を有罪に出来る人物を見つけるために裁判の場所を、2つの別の郡へ移さなければならなかった。これは、例え反証があったとしても人間は自分の信じたいものしか信じないと言う物語である。又、人間は見た目とは異なる事もあるという物語でもあり、そしてポスターに描いてある通り、「本当にあったとは信じられない事件」の物語でもある。

しかしこれは本当にあったのだ。何故私がそれを知っているかと言うと、冷蔵庫にしまわれた未亡人、現実の未亡人は、私のマージ伯母さんだからだ。マージョリー・ニュージェント夫人(Mrs. Marjorie Nugent)は母の姉で、人によってはイースト・テキサス一の意地悪と言われていた人物だ。殺害された時81歳で、彼女と何時も一緒にいて情夫と噂されていたバーニー・ティーディはその時38歳。彼は2027年、69歳になるまで保釈されない。

「バーニー」の中には正確には真実では無いものも存在する。一寸した会話とか名前を変えている箇所がそこかしこにある。しかし大きな部分、最も奇妙に思える部分、おそらくは視聴者が作り話だろうと思うであろう部分が、実は映画の通りだ。法廷弁護士は実際にカウボーイハットを被りカウボーイブーツを履いていた。そして名前は本当にダニー・バック・デイビッドソン(Danny Buck Davidson)とスクラッピー・ホームズ(Scrappy Holmes)だった。ダディー・サム(Daddy Sam)のバーベキューと保釈金(bail bond)の店には、本当に「You Kill it, I’ll Cook It!(お前が殺し、俺が料理する!)」と看板がかかっている。その店は人口6,700人のカーセージの町の、裁判所から数ブロック離れた場所に建っている。そしてマージ伯母は、本当に冷蔵庫の中のマリー・カレンダー・チキン・ポットパイの下、ヒラメの上に乗っかって、ランズエンドのシートに包まって発見された。警察は検死をするのに2日間待たねば成らなかった。彼女が解凍されるのにそれだけかかったのだ。

1996年にマージ伯母が殺害された時、私はロサンゼルスに住んでいて、もう何年も生まれ故郷のカーセージへ帰って無かった。私は1998年、裁判の為に帰郷した。裁判を見たかった理由は正直な話、家族の誰かがセンセーショナルな殺人事件に関わる事などあまり無いからだ。ローカル・ニュースでは何週間も取り上げられていたし、彼女が亡くなった状況は、余りにも奇妙でいかがわしかったので、その物語は大衆誌「Hard Copy」に掲載された。ついには、実際の犯罪を興味本位で扱うケーブル・テレビ番組、「City Confidential」でも取り上げられた。そしてマージ伯母が最終的に冷蔵庫に納められた事について、なんとなく相応しい最後であるかのような感覚があった。伯母は何時も、ある種冷たい心の持ち主だった。これは、似つかわしくない最後では無い。

マージ伯母は亡くなった時、直接の家族と親しく話を交わす関係に無かった。私の母とも疎遠だった。母とは祖父の遺言を巡って醜い喧嘩別れをしていた。唯一の息子、ロッド・ニュージェント・ジュニア(Rod Nugent Jr.)とも疎遠だった。彼はアマリロ市で病理学者として成功しているが、もう彼女と何年も会っていない。孫達は、幾つかの受託金の使用が許されなかったことで彼女を告訴している。マージ伯母さんの死を知らされた時、もう1人の妹、スー叔母は言った。「ホッとしたわ。」

マージ伯母がバーニー・ティーディと会ったのは1990年、ニュージェント伯父の葬式でだった。バーニーは伯父にエンバーミング(死体保存措置)を施した。彼は棺と墓石を選ぶのを助けた。花をアレンジし、葬式で賛美歌を歌い、墓地への行き帰りで伯母をエスコートした。墓地では冷たい風が吹いていたので自分のコートを伯母へ貸してあげた。伯母はそれを着て家へ帰った。

2010年に私がオースチン郊外の「バーニー」撮影セットを訪れた時、ちょうどそのシーンを撮っていた。伯父の葬式で伯母が、やがて自分を殺害することになる男と、初めて意味のある出会いを果たした場面だ。母の役を演じているテキサスの俳優、マーガレット・ボウマン(Margaret Bowman)が前列に座っていた。そこから30フィートばかり離れた場所、私の親族を演じる半ダースほどの人々の向こうに、マージ伯母役のシャーリー・マクレーンが座っていた。

私は実際の葬式に行っていないので、私の役を演じる俳優は居なかった。しかしそれは、多分その日をよりシュールリアルに感じさせる唯一の要素だったろう。私はそのシーンの30分前、自分の「母親」と会っていた。彼女はメーキャップ中だった。私達は2人で写真に納まった。後に実際の母にその写真を見せた時、母は自分との相似に充分喜んでいるようだった。「彼女素敵に見えるわ。」母は言った。

しかしはるかにゾッとさせられたのは、シャーリー・マクレーンが余りにもマージ伯母に似ていた事だった。自然な身体的相似があった。マージ伯母はマクレーンと同じ、赤い髪をしていて青白く、そばかすを浮かべていた。しかし本当に私を不安にしたのは、役に入ったときのマクレーンの表情だった。すぼめられた唇と咎めるような眼差し。その顔を見たことがあった。マージ伯母が何かを咎める時にした顔だ。そして彼女は何時でも何かしら咎めていた。その表情は、彼女が不明瞭さの無い言葉で、如何にお前が悪く愚劣で彼女の時間を使うのに値しないかを言おうとしている事を意味していた。彼女はその表情を、店員やウェイター、庭師、家政婦、コック相手に使っていた。彼女は同じ事を私の両親にもしていた。私に対してもしていた。私はその表情が本当に嫌だった。

そのシーンの撮影が終った後、私はマクレーンのトレーラーで昼食をとった。彼女は衣装を着たままで、私はまだ少しゾッとしていた。彼女は、私がしたより多くの質問をしてきた。私が何年もの間、話して無かった事を彼女は聞き出した。私が髪を切らなかったので、精神病院へ入れるとマージ伯母に脅された話。スズメバチの巣を素手で片付けなかったからといって、刈り込みバサミを持ったマージ伯母が私を庭中追い掛け回した話。14歳のとき2日間彼女の家に閉じ込めて、自宅へ電話させてくれなかった話。家政婦が気の毒がって寝室のドアを開けてくれたので、母に電話して助け出してくれとお願いすることが出来た。母はその通りにしてくれた。それが私がマージ伯母の家へ行った最後だった。

最後の数年について、私が知らなかった暗い話もあった。編み物と買い物が好きだが娘がいなかったマージ伯母は、私の姉、キャリー(Carrie)の親権を奪い取ろうとした。私の両親には保護者の資格が無いと申し立てたのだ。伯母は私の父がアルコール中毒だと主張し、(嘘の主張だ、父は殆どアルコールを飲まない)自分ならもっと良い養育環境を提供できると言った。それは上手く行かなかった。しかし彼女は司法官と面接までするくらいに、明らかに真剣だった。

映画は、バーニー以外のカーセージの住人が、伯母の憤怒に出会わない為に、出来るだけ彼女を避けている様子を強調している。伯母はカーセージで育ち、後に40マイル離れたロングビューへ引っ越した。彼女の夫、ロッド・ニュージェント・シニアは独立系の石油業者として富を築いた冷酷な経営者だった。1989年に2人はカーセージへ戻ってくる(伯父が死ぬ丁度1年前だ)。土地の銀行の株式を過半数取得し、大きなオースチン風石造家屋を町の郊外、ディキシー・レイク道路から少し外れた場所に建てた。マージは出合う人全てに自分の財産と地位を威張り散らしていたようだ。映画の中の登場人物の1人は言っている。「マージョリー・ヌージェントの鼻は余りにも高いので、暴風雨の中だと溺れてしまうだろう。」

伯母の膨れ上がった特権意識はおそらく単純に、彼女が土地の重要な商売人であり地主である私の祖父、スペンサー・ミジェット(Spencer Midyett)の長女であるところから来ているらしい。彼女は母より12歳年上で、生涯、母をあごで使っていた。「彼女は本当に要求の多い人だった。」母は言う。「どんな事をやっても、自分の基準に照らして足りないと思ったら引き裂いて最初からやり直しさせるのよ。」

私の母とマージ伯母が余り親しくないのは昔から判っていた。しかしそれでも、母は伯母の通夜のホストになり、公の場では優しい言葉しか話さなかった。母が2人の関係がどのぐらい酷かったか喜んで話すようになったのは、殺人事件や裁判、映画撮影が終わって、つい最近になってからだ。

「姉はお前の父さんのことを嫌っていた。」母は私に言った。「多分全ての人を嫌ってたと思う。あんなに多くの人に酷く当たり続けるのがどうしてなのか、私には判らないんだけど、でも姉はそういう人だったの。」そして母は、私が今まで母の口からは一度も聞いたことが無い話をした。もし事前に聞いていたら、シャーリー・マクレーンに話したであろう話を。

「私は姉が怖かった。」母は自分の最年長の姉に対して言った。「私が思うにメム(Mem:私の祖母でマージの母)も死ぬほど姉が怖かったと思う。時々思ったのよ。姉はこの世の悪魔だって。」

バーニー・ティーディは現在カーセージから100マイル北方のテキサス州ニュー・ボストン郊外、テキサス州刑事裁判省(Texas Deartment of Criminal Justice)管轄のテルフォード施設に収容されている。彼はそこで、犯罪者番号00864378として登録され終身刑に服している。私が去年の春に彼をインタビューしたのも、そこだった。14年前の裁判以後、彼を見るのは初めてだった。1998年の時、6フィート3インチ270ポンドの彼は、葬儀屋と言うよりもミドル・ラインバッカーのようだった。今彼は40ポンド以上痩せ、髪の毛も全くの灰色になっている。

彼は私を見ると直ぐに泣き出した。私達は監獄のシーンがある全ての映画で見られるように、ガラス窓を挟んで相対した。会話を始めて5分たった頃、彼が「母上はどうされていますか?」と聞いた直後、看守は私達が同室しても問題無いと判断した。

彼は訪問者用の部屋へ出てきた。そこはリノリウムの床とブロック塀の部屋で、長いテーブルに茶色いプラスチック製の椅子が並んでいた。彼は私を今まで経験した事が無いほど、長い間強く抱きしめていた。「ああ、素晴らしい。」バーニーは言った。「貴方が着てくれて本当に嬉しいです。」

そこに囚人服を着て座っているバーニーは、カーセージの全ての人が知っていた愛すべき良きサマリア人の優しい人物意外の何者でも無いように思えた。彼は1985年にホーソーン葬儀社で働き始めて直ぐ、俗籍の説教師になり、ファースト・ユナイテッド・メソジスト教会のコーラス隊でソリストも務めた。リトル・リーグ・チームのスポンサーになり、土地のコミュニティー・カレッジでボランティアとして音楽と演劇の学部で働いた。商工会議所のクリスマスの飾りつけの委員会にも入った。彼は結婚式と葬式で歌い、もちろん日曜日の教会でも歌った。寝たきり老人達に暖かい食事を運んでいた。カーセージではバーニー・ティーディを天使だと言う人は1人では無い。州検察官のダニー・バック・デイビッドソンは裁判で言っている。「あ~、彼が天使だと言うのですね。いいでしょう。死の天使です!」

バーニーの仕事振りは素晴らしかった。死体の扱いに関してだけでは無い(彼はメーキャップと髪の毛の扱いに才能を発揮した)遺族を慰める事においても優れていた。彼は嘆き悲しむ未亡人に寄り添い、慰めて手を握ってあげた。しばしば、埋葬の後、葬儀ディレクターとしての責任が終った後でも長い間、遺族が大丈夫である事を確認するだけの為に何週間もの間、毎日のように注意を払っていた。

「彼女には友達が誰も居ないように見えたんです。」彼は私に言った。「それで私は捕らわれてしまったんです。自分が必要だと思う事に。彼女に何らかの友情を与えようと言う考えに。良くは判りませんが、私は彼女を救えると考えていたんだと思います。」

彼は色々な場所へ彼女を連れ出した。買い物に連れ出したりディナーへ連れ出したり。直ぐにどんなところへも一緒に行くようになった。手を繋いでいるところも見られている。2人はダラスやニューヨークのような遠い場所へ旅行に行くようにもなった。ニューヨークではブロードウェイでショーを見ている。町では奇妙な組み合わせに見えたことだろう。そしてたくさんのゴシップが生まれた。2人の関係は疑われ始めていた。町の外へ行く旅行では2人は寝室を共にしていると噂された。カーセージのあらゆるコーヒーショップでこの話題は囁かれ、スキャンダルは育っていった。

ニュージェント伯父の仕事上の同僚だったロバート・エバンスは裁判で証言している。シュレヴポートの昼食にマージがバーニーを伴ってきた時、2人の「肉体的に親しそうな様子」に落ち着かない思いをしたと。

「挨拶のキッスとかお別れのキッスは、普通の人が母親とするようなキッスではありませんでした。」彼はそう証言している。

バーニーは今、その噂について知っていたこと、そして人々が何故2人の関係を、単なる友人同士では無いものと見るようになったのか理解できるとすら言った。しかし2人の関係は性的なものでは無かったと彼は言う。彼にとって彼女は、むしろ母親とか友人のような存在であった。何よりもバーニーはゲイだった。

「その事を話し合ってはいませんでした。」マージ伯母が彼をゲイだと知っていたかどうか聞いたとき、彼はそう答えた。「その話題は持ち上がらなかったんです。」

2人は世界を一緒に旅した。マージ伯母が代金を払って。2人は香港、バンコック、ロシアへ行った。ナイル河やライン河をクルーズした。サンフランシスコやラスベガスへ旅行した。ショッピングを楽しみ、贅沢な食事をした。マージ伯母がその全てを支払い、葬儀屋の年収が25,000ドルに満たないバーニーは嫌だとは言えなかった。

「彼女はいわば花開いたんです。」バーニーは最初の数年のことについてそう言った。彼はとんでもなく依怙地だった伯母が何故自分には違う振る舞いをしたのか説明しようとしていた。「彼女はコンサートへ行きたがりました。旅行が好きでした。そして私が思うに、ニュージェント氏が存命の時はそれらの何一つ出来なかったんだと思います。」

「私達は素晴らしい時間を過ごしていました。」彼は言った。「彼女は多分、家族の誰と一緒だったときよりも幸せだったと思います。夫と一緒にいた時よりもです。彼女は私に心を開いてくれました。今までと別の人間になったのです。」

いずれにしてもそれは、しばらくの間にすぎなかった。時間が過ぎると共に、バーニーはマージ伯母が次第に抑圧的になるのを感じていた。彼女は彼が他の友達を持つのに憤慨しているようだった。自分の望む時間なら24時間何時でも、毎日会える事を期待した。バーニーが仕事中でもかまわず呼び出した。時として1時間に2度3度と呼び出して、なにかしら用を言いつけた。彼は毎日、朝、彼女の家に行きコーヒーを作り、昼食を共にした。

「私は彼女の為に洋服を出してやり、洗濯を手伝いました。」裁判でバーニーは証言している。「時には足の爪を切ってやったり、頬に生えた長い毛を抜いてやったり、朝、髪を梳かしてやったり。考えられるあらゆる事をしました。彼女がそうする事を望んだのです。」

バーニーは今になって言っている。自分がそうしたのは、彼女に捨てられたと思わせたく無かったからだと。又その見返りがとても良いものだったからだと。ファースト・クラスの全ての旅行。買ってもらった全ての服。7,000ドルのローレックス。出会って3年後の1993年、マージはバーニーに、葬儀社の仕事を止めてフルタイムで自分の為に働いて欲しいと言った。彼女の「ビジネス・マネージャー」として。彼女は自分の預金通帳を彼に預け、自分宛の請求書を彼が払えるようにした。そして彼自身で、いくらかお金を使うことを即した。彼女は彼が新しい家や新しい車を買うのを望んだ。さらには遺言書を書き換えて、バーニーを唯一の相続人にした。全く気前の良い取引だった。

「お金は魅力でした。判るでしょう?」彼は私に言った。自分がマージ伯母の足の爪を切ったのは単純な善意からでは無かった事を認めた。「私は彼女の元を去る事が怖かった。彼女はとても冷酷になれる人間です。私はそれも見ている。」

バーニーは伯母を殺す1ヶ月前、伯母の元を去ることを考えた。しかし彼はその勇気を奮い起こせなかった。彼は野球のバットで伯母の頭を殴る事を想像したりしたが、伯母が受ける痛みを考えると堪えられなかった。

「彼女は正にコントロールしていたんです。」彼は言った。「彼女はまるで私を所有できると考えているようだった。彼女は正に所有していたのだと、私もある程度思います。私は丁度、本で読んだ配偶者虐待のケースと同じ様な感じになっていた。夫の元へ帰るべきでは無いと知っているのに帰ってしまう妻のような感じです。私は時としてそういう風に感じていました。」

「まるで監獄の中にいるようでして。今、それが正にどんな感じなのか判りますけどね。」

私は今までに映画「バーニー」を2回見ている。そして幾つかの些細な点、マージ伯母の髪がシャーリー・マクレーンの髪みたいに長かった事は無いとか、ダニー・バック・デイビッドソン(背が低くて色白、二重あご)はマシュー・マコノヒーとは全く似てないとかいった点意外は、実際に起きた事件を映画は忠実になぞっている。私の知る限り、従兄弟のロッド、マージ伯母の唯一の子供は、まだ映画を見ていない。しかし彼はこれを嫌うだろうと保証する。彼についても、この記事に書きたかった。彼の家に何度も電話したが、ずっと留守番電話の声しか聞けなかった。最後に彼の妻シルビア(Sylvia)が出た。私が何故電話したのか告げたら直ぐに彼女は言った。「私達、あなたと話したくありません。」そして電話は切れた。

数週間後、私はダラスに居る彼の弁護士、チャールズ・M・ホッシュ(Charles M. Hosch)から手紙を受け取った。手紙は、彼がこの記事の「全ての語(syllable)を、法律が定める厳しい要求に従って評価する」と警告していた。そして手紙は、マージ伯母に対するあらゆる「不快」な性格付けは間違った推定に基づいていると続く。「その理由は、マージョリー・ニュージェントがとてもシャイな人間である為である」と手紙は主張している。「彼女の殺害に関するストーリー・ラインも同じ様に真実では無い。犯人の男は同情的では無かった。彼は年老いた無防備の未亡人を餌食にしたのだ。彼は彼女を騙し、貯えを盗み、友情を買おうとして彼女の金を使ったのだ。」

「マージョリー・ニュージェントの息子と孫は、彼らの母であり祖母である人物の思い出を馬鹿にされ泥まみれにされ、彼女の殺人者を賞賛することを望まない。何年もたって彼らはやっと安息を得たのだ。私達は、マージョリー・ニュージェントがこれら全てを乗り越えて、光に包まれ安らかな場所に居ることを望む。」

最終的にバーニーが折れてしまったのは1996年、サンクスギビングの前だった。その日何が起きたのか彼に聞いた時、彼は2時間の訪問の中で初めて、目に見えて落ち着きが無くなり警戒し始めた。空中に手をさまよわせ深い溜息をついた。

「ふう、あの時の出来事を最後に振り返ったのは、もうずいぶん前になります。」彼は言った。「あの話をしたのは16年前です。私は座ってじっくり考えた事がありませんでした。許してください、しかし私はあの日の事を考えずに来たんです。あれは何か解離性障害だったのでしょうか?判りません!判りません!そういう風に言う人も居ます。私は自分の中の考えを棚上げして遠ざけて来たのでしょうか?もちろんそうです。皆がそうするように。」

しかし裁判の時、バーニーはその日の出来事を詳細に説明している。彼は午前7時にマージ伯母の家へ行った。朝食を作って自宅に戻りシャワーを浴びた。彼はマージ伯母の家を出る前に、ブローニングの22口径ライフルに気がついた。それは、伯母がアルマジロを殺したり、カラスやリスを脅して鳥の餌場から遠ざける為に所持していた銃だった。バーニーはガレージの側のバスルームのその銃を移した。

彼は午前10時前後にマージ伯母の家へ戻る。マージ伯母をロングビューのドライクリーニング店へ連れてゆく為だった。伯母は既にガレージに居た。伯母が立ち止まって、ペットの犬、チャウチャウのミックス、ボーを撫でていた時、バーニーはバスルームからライフルを取り出し、マージ伯母の背中を撃った。最初の1発で伯母は倒れたが、まだ息があった。バーニーはさらに3発撃った。

彼は伯母の体を引きずって玄関広間を通り、ユーティリティ・ルームへ行った。そこにはアマダ社の大きな冷蔵庫がある。彼はマージ伯母が入る空きを作るのに(彼女は身長5フィート2インチある)充分な食料をどかした。そしてランズエンドのシートで彼女を包むと、冷蔵庫の中に伯母を収め、その上にどかした食料を乗せた。ガレージの血をホースで洗い流し、弾丸の薬莢を見つけ出して遠くへ放り投げた。ライフルは冷蔵庫の側に置いておいた。そしてその日の自分の用事を続けた。パノラ大学の劇、「Guys and Dolls」のリハーサルに行き、夜はピザ・ハットで出演者の夕食を買った。その日バーニーを見た全ての人は、(その日に限らずその後数週間ずっと)彼は普通で今までと全く変わりなかったと言っている。

バーニーは引き続き、教会で説教したり歌ったりしている。マージ伯母の請求書を支払い庭の芝刈りをし、伯母の家のドライブウェイを掃除した。マージに会いに来た人には、どこにいるか知らないとか、昼寝しているとか答えた。伯母に言付けを伝えると約束し、電話を返すように伝えると言った。外目には彼は笑顔を絶やさず自信に溢れていて、いつもと変わりないようだった。内面はどうだったのだろう?

「私は怯えていました。」彼は言った。「ああ、何てことだろう。どんな瞬間も、いつか見つかってしまうと考えていました。」

もし別のやり方を取っていたら、バーニーはうまくやりおおせていただろう。彼は何百回もシナリオを頭の中で反芻していた。いずれにしても伯母は、不機嫌な心臓の弱い81歳の女性だ。伯母が亡くなるのを待つだけで良い。あるいは伯母の死体をどこかに遺棄する事もできた。「飛行機からメキシコ湾へ捨ててしまう事も出来たと言う人も居ました。」彼は言った。「もしそうしていたら、監獄で貴方と会う事も無かったでしょう。何処かで逃亡者として暮らしていたかも知れません。彼女は見つからなかったかも知れません。だけどそんな考えは浮かんで来ませんでした。何故なら準備してやった事では無かったからです。あの日彼女を殺すのは私の意志では無かった。一度も考えた事はありませんでした。」

いずれ誰かが伯母を見つけると、彼には判っていた。それが最も良いと彼は自分に言い聞かせていた。「彼女が正しく埋葬される事を望んでいました」彼はそう言った。その間にも、彼は伯母の金を使い続ける。自分の為、他の人の為、町の為に。彼は飛行機を数台と格納庫を買い、パノラ郡飛行場に設置した。彼はブート・スクーティンのウェスタン・ウェア・ショップに投資した。教会の建設基金に資金を提供した。少なくとも10人に自動車を買ってあげた。逮捕される9ヶ月前、彼は推計200万ドル消費していた。そして彼は、それが伯母の意志だと自分に言い聞かせていた。

「彼女は私がお金で楽しむことを望んでいました。」彼は言った。「彼女は私にそう言ったのです。」だからこそ、伯母は彼が自分の貯金を際限なく使えるようにしたのだ。全ての遺産を彼に残したのだ。「彼女が元も気にかけていたのは、遺産が家族の誰にも渡らないようにする事でした。いつも言っていました『1ダイムぽっちと言えどもね』と。ああなんて事だ。数え切れないほど、そう言っていたんです。」

何ヶ月も経つうちに、バーニーの嘘はより手が込んできた。彼は人々にマージ伯母がオハイオに行ったと言い始めた。妹を訪問していると。あるいは、梗塞を患って喋れなくなり、病院に入院していると言った。「私はうまい嘘つきではありませんでした。」バーニーは私に言った。「私はあらゆる嘘をつきました。あんまり多いので誰に何を言ったか思い出せません。どうやって辻褄を合わせるか判りませんでした。しかし私は明らかにそうして来たのです。」彼は時々自慢しているかのように聞こえた。「何人かが、『あの演技はアカデミー賞ものだ』と言っていました。」

マージ伯母の株式仲買人は次第に疑念を強めていた。伯母は感謝の印のクリスマスの七面鳥を送らなくなっていた。幾つかの重要な投資書類にサインをしに来なかったことでさらに疑念が強まった。彼は保安官事務所に電話した。保安官事務所は、何回か匿名で、マージを探すよう電話を受けていた。最終的に代理人は、マージ伯母と疎遠だった息子ロッドに電話し、彼の母に何かが起きているかも知れないと告げた。

ロッドと彼の娘ジェニファー(Jennifer)それにパノラ郡職員数名がディキシー・レイク通りの家へ行ったのは1997年8月19日だった。彼らはマージが居る場所の手がかりを探した。病院の領収書とかいったものだ。そしてその代わりに、冷蔵庫の中で伯母を見つけた。職員は冷蔵庫を中身ごとピックアップ・トラックの荷台に載せ、コンセントを発電機に繋げた。そうやってマージ伯母をダラスの検死官の元へ運んだのだ。氷付けのまま。

「私は監獄に入るに相応しい事をしました。」バーニーは私にそう言った。「もちろんその通りです。しかしこんなに長い刑期に値するとは思ってないんです。ここには、私の想像を遥かに超える邪悪な事をしてきた人もいます。そういった人たちが私より早く家へ帰っているのです。」彼は再び泣き出した。「ここにもだいぶ慣れました。しかし芝生の上を歩いてみたい。コンクリート以外のものを感じてみたいんです。絨毯の上を歩いてみたい。もう14年も絨毯を歩いていません。」彼は屈みこみ、震える声は殆ど囁き声になった。

「家へ帰りたい。」彼は言った。涙が溢れ出していた。「毎日帰りたいと願います。何時の日か返してくれる事を願っています。」

映画「バーニー」のセットへの訪問は、私にとってより、役者やスタッフにとっての方が、より困惑させられるものであったようだ。脚本の共同執筆者、スキップ・ホランズワース(Skip Hollandsworth)が私を紹介して回る間、何人かの人々は明らかにどう反応したら良いか判らない様子をしていた。私の伯母の殺人事件でコメディーを作ることを謝れば良いのだろうか?私に対してお悔やみを言うべきだろうか?私は皆に気にしないでくれと言った。「バーニーは伯母を殺そうと思った最初の人間では無いですよ。」私は彼らに言った。「バーニーは最初に実行した人物であるに過ぎません。」

それとは別に全ての出来事は、それが起きた瞬間から、まるで道化芝居のようだった。家族にとってさえもがそうなのだ。私は真剣だ。チキン・ポットパイの下だって?町で一番の好漢に撃たれて、そいつがブート・スクーティンのウェスタン・ウェア・ショップに投資したって?(その他、ドイツ製ゲイ・ポルノにも投資していたらしい)これが可笑しくなくてなんだ?映画が上手く行ったらプロデューサーはブロードウェイのミュージカルにしようとするかも知れないらしい。私にはそれも、余り酷い考えとは思えなかった。

しかし私の母はこれを受け入れるのに少し時間がかかったようだ。母はゆっくりと受け入れた。姉の殺人事件に関して、映画版の事件こそが殆どの人間が知ることになる事件なのだと言う事を。母は今でも、スーパーとかで自分の背後の人々が囁き合っている事だとか、伯母の遺言を知らない人々が、まるで良く知っているかのように振舞う事だとかを、あまり居心地良い事だとは思っていない。母は南部の小さな町に住む83歳の女性だ。こういった事全てを自分の事として受け止めるだろう。

昨年春、私は母をバス演劇ホールへ連れて行った。シャーリー・マクレーンがそこでワンマンショーを公演していたのだ。題名は単純に「シャーリー・マクレーンとの夕べ」。舞台上で彼女は居心地良さそうな椅子に座り、自分のキャリアから選んだ写真や映画の1場面を見せながら、知り合った有名人の物語をする。生まれ変わったらどうしたいかとかも話していた。フランク・シナトラがそうしていたように。

ショーの後、私は母をバックステージに案内した。ファンの長い列、写真とか、マヤのカレンダーが終ったらどうしたら良いか助言を求めるファンの長い列を通り過ぎて先へ進む。2人のセキュリティー・ガードを肘で押しのけて、ついにマクレーンが少人数のV.I.P.や支援者に囲まれている後ろのホールへとたどり着いた。彼女は母が部屋に入ると直ぐに取り巻きを離れた。

私は母を紹介しようと思っていたのだが必要無さそうだった。マクレーンは手を伸ばしながら小走りに母のところ来た。「貴方が来て嬉しいわ。」彼女は母に言った。そして2人は長い間抱き合っていた。一言も喋らず、2人とも涙を浮かべていた。それは単に映画スターに会った嬉しさだったのかも知れない。しかしそれ以上のものが2人から感じられた。ちょっとの間、シャーリー・マクレーンは再びマージ伯母になったかのようだった。しかし今、彼女はあの表情を浮かべていない。

「又、お会いしたいわ。」母の頬に触れる前に彼女は言った。

「私も。」母も言った。母はここ何年見た事も無いほど幸福そうだった。

~~ここまで~~

次回更新は5月26日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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