スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1%人の本音

ミット・ロムニーさんのかつての部下、エドワード・コナード(Edward Conard)さんに関する記事をUpします。

記事を書いたのはアダム・デイビッドソン(Adam Davidson)さんです。元記事はここにあります。

エドワード・コナードさんは所得格差を擁護する本を出されたそうです。

~~ここから~~

とてつもない富豪が語るとてつもない富の役割

金融危機が始まってからと言うもの、私達は1%にあたる人々が話すのを山のように聞かされてきた。彼らが議会で自己防衛的証言をするのを聞き、法律家とかイメージ・コンサルタントに挟まって当たり障りの無い声明を読み上げるのを聞いてきた。彼らは投資とかリスク・テイクとか雇用の創造について、特徴的な決まり文句を繰り返す。そこには自分達の貢献を国民が理解していないと言う不満が隠されている。多くの人は、彼らが自分達の信じている事を本当は話していないと感じている事だろう。若しカメラが向けられていなかったら、スーパーリッチな人間達は何を語るのだろう?

そういった事を心に抱きながら、私は最近、エドワード・コナード(Edward Conard)に会った。場所はマディソン通り57丁目、彼のベイン・キャピタルのオフィスの直ぐ外だ。ベイン・キャピタルはプライベート・エクイティ会社で、コナードは同社が数百万ドル規模のビジネスを扱う会社へと発展するのに貢献した。同社は、他の会社を買収して立て直し、利益を載せて売却することを業務にしている。数年前51歳でリタイアしたコナードは単に1%のメンバーであるだけでは無い。彼は0.1%のメンバーなのだ。彼の資産はおそらく、数十万ドルにもなるだろう。コナードはファースト・アベニューから少し外れた、アッパー・イーストサイドのタウンハウスに住んでいる。そして彼は、古い友人でかつての上司、ミット・ロムニーに多額の献金をしている人間の1人だ。

コナードは昔の仲間と違って、富についてのオープンな会話を好む。彼は過去4年間ずっと本を執筆していた。そして、その本がこの社会におけるスーパーリッチの役割について、多くの人の見方を永遠に変えてくれる事を願っている。「Unintended Consequences: Why Everything You’ve Been Told About the Economy Is Wrong(意図しない結果:何故経済について言われていたことは間違っているのか)」と題され、来月ポートフォリオ社(Portfolio)から出版される本は、合衆国内の巨大で拡大しつつある収入格差が、システムの不調を示す兆候では無いと強硬に主張している。むしろそれは、我々の経済が働いている証拠だとコナードは書く。そしてもし、もう少し格差が拡大したら、全ての人々、特に99%に当たる人々は、恩恵を受けるのだと言う。おそらくこの本は、今年一番嫌われる本になるだろう。

現在合衆国経済が、一般人を犠牲にして富裕層に奉仕していると多くの人が信じている事をコナードは理解している。彼の主張によれは、その原因は、殆どのアメリカ人が、経済がどのように動いているか理解していない為だと言う。スーパーリッチは、財産のほんの少ししか自分の慰みの為に使っていない。殆どのお金は、全ての人の生活を改善する生産的なビジネスに投資しているのだ。「殆どの市民は消費者であって投資家では無い。」彼は、私との長い、時として衝突する会話の中で言った。「彼らは投資によってもたらされる消費者の利益を認識していない。」

こういったことは、1%の人間が通常使う弁解だ。コナードはしかしながら、消費者がいかに富める者から恩恵を受けているか、充分に議論を尽くした事例を並べる。例えばコンピュータを取り上げる。IT産業が発展するに伴い、少数の投資家やイノベーターが、不釣合いなほどの巨額を手に入れている。しかし彼らは競争によって製品の改良を続け、同時に価格を下げる事でお金を得たのだ。彼らの仕事は全ての人が、今までより多くの恩恵を得るのを助けている。安価で改善されたコンピュータ能力は私達の仕事を効率化し、より多くのお金を稼げるようにした。数え切れないほどの多くの産業(旅行業、テレコム、エンターテイメント)がコンピュータの力で価格を下げ、製品やサービスを改善している。こういった事は一般的に言って生活を効率化し、経済の発展に寄与している。

投資家が成功裏に競い合う事が社会に恩恵をもたらすと言う考えは、広く受け入れられている。経済政策研究センター(Center for Economic and Policy Research)の高名な進歩派経済学者ディーン・ベイカー(Dean Baker)の話では、殆どの経済学者は、富裕層の投資によって社会が恩恵を受けていると考えている。ベイカーの推計ではその割合は5対1、つまりは、投資家が投資する全てのお金において、1ドル当たり5ドル相当の利益を一般社会は受けると言う。グーグルの設立者セルゲイ・ブリン(Sergey Brin)は大変な富豪であろう、しかし世界はグーグルのお陰で遥かに豊かに成ったのだ。コナードによれば、ベイカーは投資で社会が受ける恩恵を低く見積もっていると言う。例えば彼は農業に注目する。農業では1940年代に一連のイノベーションが起こり、コストが一定の割合で下がり続けた。それらのイノベーションがもたらす利益は、例えば種子企業とかファースト・フード・レストランとかのオーナーを豊かにしたが、合衆国の平均的消費者は遥かの多くの恩恵を受けている。コナードは、投資家が受ける利益1ドル当たり、一般社会は20ドル相当の利益を得ていると結論付ける。これは、彼の主張の中で重要なポイントだ。彼はこれによって、私達が巨大な富を持つ人間達をもっと尊重するべきである事が証明されたと考えている。何故なら、私達はそれに見合うだけの恩恵を受けているのだから。

グーグルの貢献は明白だ。しかし投資銀行はどうだろう?複雑な金融派生商品を作り、大きすぎる借入金をバランスシートに抱え込んだ投資銀行は貢献しているのか?コナードは、彼らも又、経済をより効率的にしているのだと主張する。金融危機は、腐敗した銀行家が怪しげな金融商品を売ったために起きたのでは無いと彼は書いている。金融危機は、銀行業界で起きた単純で古風な事件にすぎず、銀行家は単に彼らの仕事をしていただけだと言う。私達の経済では、自分達の貯金を直ちに必要とする人々が大量に存在する。年金基金運用者とか、保険会社、銀行預金を持った貴方や私のような人々だ。そして経済は、住宅や工場の建設であるとか、研究開発であるとかの、長期的な投資によって成長する。従って銀行の主要な役割は、コナードに従えば、神経質な預金者の持つ短期的な財産を、経済成長を助ける長期的な借金に振り向ける事にある。

しかしこのシステムは、時として破れる。幾つかの理由によって預金者がパニックになり、全ての預金を引き出そうとするからだ。これは巨大な問題を引き起こす、何故なら銀行には全てのお金があるわけでは無いからだ。お金は長期ローンの形で世界へ出てしまっている。「多くの人が判っていない。2008年に起きた事は1929年に起きた事と殆ど変わらないと言う事を。」彼は言う。「預金者は銀行へ走って行き、お金を引き出そうとして発見するんだ。ベッドフォード・ファールズの市民達のようにね(訳注:1946年のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生!:It’s a wonderful Life』の1場面から引用)。金庫にはお金なんか無いと言う事を発見するのさ。お金はみんな貸し出されているんだ。」

2008年には、大手年金基金や保険会社、そして機関投資家がパニックになり、預金を引き出そうとした。後から振り返れば、こういった引き出しが危機を招いたのであり、他の多くの者が主張するように、貪欲で無責任な貸し出しが招いたのでは無いとコナードは主張する。金融危機調査委員会の報告に従えば、銀行は不動産担保証券(mortgage-backed securities)で3200億ドルの損失をこうむったが、引き出されたのはその5倍の金額に登ると言う事実を、彼は指摘する。こういった、銀行を赦免する見解は、多くのアナリストと異なる見解だ。それにも関わらず、コナードは私に言う。「銀行は人々が期待する通りの仕事をしていたのだ。彼らは短期資金を経済に還流させていたのだ。彼らに予測できなかったのは、預金者が預金を引き出す事だ。何故なら預金者が束になって預金を引き出したのは1929年からこっち無かったからね。」

銀行が幾つかの間違いを犯した事は、コナードも認めている。しかし現時点で重要なのは、さらに強力な政府の援助を彼らに与えることだと彼は言う。彼は新たな政府プログラムの作成を主張する。そのプログラムは再びこのような事態が起きた時、銀行の救済を保証するものだ。奇妙な派生商品に関しては、コナードは問題視していない。彼は、債務担保証券(collateralized-debt obligations)とか、クレジット・デフォルト・スワップ(Credit-default swaps)とか、不動産担保証券とか、その他の今では有害と見られる金融商品は、基本的には健全なものだと主張する。こういったものは、世界の最もソフィスティケイトされた投資家の要求に答える新しいツールであり、投資家達は群れをなしてこれらを買った。そして、何れにしろこういった商品はパニックを引き起こしていないと彼は言う。パニックを引き起こしたのは、預金引き出しだ。

こういう大胆な結論は、他の多くの証言と食い違っている。しかし、幾人かの経済学者は、コナードによる危機の説明には、単なる銀行家への弁明書以上のものがあると言う(しかし確実に弁明書ではある)。影響力あるハーバード大学の経済学者、アンドレイ・シュレイファー(Andrei Shleifer)は、コナードについて、「金融に関して本質的に現実離れしている(fantastic)」と考えている。

「Unintended Consequences(意図しない結果)」ではロムニーの名前は1度しか(謝辞の中でしか)出てこない。しかしコナードは、自分の本が詳述する主張によって以前の上司(ロムニー)が11月に勝利することが如何に重要であるか、読者が理解してくれる事を期待している。その上司は、政府が投資家を援助すべきだと信じているのだ。しかし私が「Unintended Consequences(意図しない結果)」を読んだ限りでは、この本は正に逆の結果を招くのではないかと思えた。強硬な共和党員やティー・パーティーのメンバー達でさえ、この本の見解、東海岸のエリートを賞賛し、才能ある中産階級の人間達が充分には自分の役割を果たしていないと言う見解に対しては、毛を逆立てて怒るだろう。コナードは、自動車エレベーターだとか何台ものキャディラックを持つ人間達が如何に一般人の感覚から離れているか、新たな例を持ち出して、彼のかつての上司の足を引っ張る事に成るのだろうか?加熱した論争の為に対立陣営間で相手の意見を稀にしか聞こうとしない現在の状況で、彼は1%の人間にしては開けっぴろげに自分を正当化しようする稀な存在だ。その主張はどのくらい説得力があるのだろうか?

私はコナードとマディソン通りの外れのカフェーに座って話し合う事にした。彼の本は数多くの抽象的な概念に満ちている。それで私は彼の考えが現実世界でどのような振る舞いを見せるのか見せてくれと頼んだ。

コナードはソーダの缶を取り上げ、頂上に向かって細くなるその形状に注意を即した。「私は缶をこういう形状に加工する会社に関わったことがあるんだ。」彼は私に言った。この形状で製造すると同じ大きさの缶を、ほんの僅か少ないアルミニウムで作ることが出来る。「缶1つ当たりでは、ほんのはした金さ。」彼は言った。「世界中には膨大なソーダ缶がある。その意味するところは、同じ資源でより多くの缶が作れるようになると言う事だ。それによってソーダ缶を買うアメリカ人は皆が少しずつ豊かに成るのさ。同じ給料でより多くのものが買えるようになるんだからね。」

ミリグラムのアルミニウムはそんなに興奮するべき事では無いだろう。しかしコナードが言おうとしているのは、これに類する、数え切れないほどのミクロの改善によって、私達がより長く、より健康的に、より豊かに暮らせるようになると言う事だ。コナードが好んで指摘するのは、こういった改善を追い求めている人々が、コンピュータ・プログラマとかエンジニアや科学者だけでは無いと言う事だ。コナードのような豊かな投資家もそれに含まれる。投資家は喜んで自分達のお金をリスクに晒し、うまく行くかどうか判らない改革に資金を提供する。こういった新しいアイデアを常に追い求め、援助する巨大なメカニズムが存在する。起業家とか多国籍企業、それにコナードにとって重要な、投資会社やヘッジファンド、その他、ボンド・トレーダーのような個人まで含むメカニズムだ。コナードが私に語ったように、ベインで学んだ重要な教訓の1つは、易しい解答を捜し求める事に意味は無いと言う事だった。競争の激しい今日の市場に残されているのは、真に困難なパズルなのだ。そういったパズルは並々ならぬリソースを要求する。私達が偉大な成功物語、ペニシリンとかiPhoneとかの話を聞かされている陰で、数え切れないほどの失敗があり、それに資金を提供した人々や会社については、稀にしか聞く事は無い。

彼の話では、合衆国経済の中心的問題は、困難な問題の解決法探求により多くの人間を投入する事、極めて小さい成功可能性にも関わらず、より多くの人間が参加したがる方法を見つけ出す事だと言う。コナードの解決法は単純だ。リスクを引き受けて成功した者に、社会はもっと多くのお金を与えるべきだと言うものだ。そしてその証明を彼は市場に求めている。近くのテーブルに、格子縞のシャツを着てぼさぼさ頭の若者が3人座っていた。あるいは彼らは、次世代ツイッターの計画を練っているのかも知れなかったが、コナードは単に彼らが傍観者的立場に居座っていると確信していた。「あいつらが何をしていると思う?こんな所に2時半に座ってコーヒーを飲んでさ。」彼は訊いた。「彼らは多分、大学を出てると思う。」コナードは、私との会話の間、時として見せる意地悪な表情を浮かべて、このグループを「芸術・歴史学部生(art-history majors)」と呼び始めた。誰であれ、幸運にも才能を持って生まれ、このリスク・テイキングな、イノベーション・ハンティングなメカニズムに参加する機会を与えられながら、より競争的で無い人生を選択した者たちに対して、コナードが付ける蔑称だった。コナードの心の中では、驚くべき事に法律家のような人も、こういった人達の中に含まれる。自分達の富を創造する可能性を最大化せずに、安定的な職業を選択した人達だ。彼に言わせれば、こういった「芸術・歴史学部生」を苛烈な競争的経済メカニズムに参加させるには、尋常でない報酬で釣るしか無いと言う。

「今の報酬は、あらゆる人にリスクを引き受けされるには充分で無い。」彼は言った。「現状の倍の人間が必要なんだ。私が見回したところでは、実現されていない改善の機会が世界には存在し、改善を成し遂げるのに必要な能力を持った、充分な数の才能ある人間が存在する。しかし喜んでリスクを引き受ける人々や投資家が不足しているんだ。私にとって、この事態は、リスクを取る人間がお金を貰いすぎている事を意味していない。全くその逆だ。」トップの人間達に集中している富は、現状の倍であるべきだと彼は言う。そうであれば、芸術・歴史学部生も、それに参加しようと駆り立てられるだろうと。

私が最初にコナードと会ったのは昨年秋、丁度その頃私は、長い時間をズコッティ・パークで過ごし、コナードのような人々こそアメリカの民主主義を破壊していると主張するアンチ・ウォール・ストリートのプロテスター達をインタビューしていた。ウォール・ストリートの指導者達の殆どは、オキュパイ運動を無視するか避けるかしていた。私はコナードも運動に対して沈黙する人間の1人だと確信していた。最近、彼自身が1%スキャンダルに巻き込まれている。ロムニーを支持する政治活動団体に100万ドルを寄付することのみが目的の会社を立ち上げていたのだ。彼は、密かに私達の政治システムに影響を拡大しつつある富豪を体現する人物と見なされつつある。若し記者を避ける人間がいるとするならば、彼こそがそうであろうと、私は考えていた。

The Times Magazineの編集者と一緒に取った昼食の席で、コナードは全く反対の人物であると判明した。彼は一見、温厚な中年男性に見えた。しかし自分の主張を始めてからは、真っ直ぐ相手の目をみて、時として辛らつで不敬な言葉を混ぜながら、全ての文節を力強く話す人物だった。コナードは、種々の難解で細かい話を交えながら、社債の金利だとか中国中央銀行の政策だとかを話す時、特別に嬉しそうに見えた。私達の経済における富豪の役割について、彼が徹底的に考えている事は明らかで、自分の意見を人に開陳することを恐れていなかった。

コナードの人生は、彼の経済哲学にとって、完璧なモデルだった。1956年に生まれ、デトロイト郊外の中産階級で育った彼は、幼稚園の先生とフォードのエンジニアの息子だった。子供の時の彼の夢は、デトロイト郊外に自分の家を持つ事だった。しかし、彼自身が好んで言う所の、一連のリスクを取る道を選んだ(例えばロー・スクールへ行くような安逸な道を選ばなかった)。そして最終的にハーバード・ビジネス・スクールに進む。1982年に卒業した時、当時芽生えつつあった経営コンサルタント業界に入った。彼はボストンを根拠地とする高名なベイン&カンパニーへ就職した。同社は9年前設立された会社で、伝統的なニューヨークを基盤とするコンサルタント会社とは極端に異なったアプローチを採用していた。伝統的なコンサルタント会社は自分達を大掛かりな全体像を考える人間だと位置づける。日々の細々した業務の遥か上にいる人々だ。それに対し、ベインのアプローチは、塹壕の中で奮闘する顧客に加わり、分析を提供し、競争に勝つためにシニア・マネージャー達と共に働く。

1990年、コナードは、さらなる富を追い求めてベインを退職し、ニューヨークの投資銀行、ワッサースタイン・ペレーラ(Wasserstein Perella)でマネージャーとなる。しかし彼はこの会社の仕事が好きになれなかった。1992年、古い同僚のミット・ロムニーと昼食を共にした時、コナードはベイン・キャピタルで働きたいと申し出る。ベイン・キャピタルは、会社を買収して業務を改善する事を目的に、ロムニーが始めた会社だ。ウォール・ストリートのような報酬は払えないとロムニーが言った時、コナードは、ボーナスとかストックオプションに見あう充分な働きをしたとロムニーが判断するまで、低い報酬でかまわないと言った。最初の年の成果は抜群に良いと言う程では無かった。それでもコナードは最後に、有望な買収対象を見つけ出す。医療テスト機器を作成している会社だった。ベインは同社を5億ドルに満たない額で買収する。それ以後、この会社の価値は上昇し、70億ドル以上になる。2000年に彼はニューヨーク事務所のヘッドになった。

その後コナードは、次なる大きなリスクを取りに行く。ビジネスの世界を離れて、断固として投資家の側に立つ新しい経済概念を証明しようとしたのだ。彼は、「Unintended Consequences」での自分の主張が、充分な数の経済学者や政治家、思索家を説得しうるものであると、確信しているように見える。私は彼との数多くの会話の中で、コナードがしばしば言及するような内容のことを自由に言った場合、著名な知識人としては困難が待ち構えているだろうと示唆した。ある会話の途中で彼は、数十億ドルをチャリティーに寄付すると表明した為にウォーレン・バフェットが賞賛されている事に対して怒りをあらわにした。あんなものは犠牲でもなんでも無いと彼は主張する。バフェットは依然として彼の生活の質を維持するに足る巨額を保持している。生産的な投資から数十億ドルを取り上げる事で彼は、中産階級が1ドル当たり20ドルの収益を得る機会を喪失させているのだ。誰かしら犠牲を払っている人々がいるとすれば、これら中産階級の人々だ。「ウィニングランなんか止めろ。」彼はバフェットに向けて言った。「あのお金は中産階級の為の金だったんだ。」

コナードは厳格な数学的ロジックを殆ど全ての事象に当てはめる。例えば良き伴侶を探すような事にまで当てはめる。彼は主張する、心から真剣に、自分の住む地域の人口データを見て伴侶となる可能性のある人の数を計算するべきだと。そうしたら、ある程度時間をかけて「測定(calibration)」をするのだ。出来るかぎり多くの人とデートし、結婚市場がどういうものか感じ取るのだ。そうしたら次に選択フェーズに入る。今度は永久の伴侶を選ぶのが目的だ。測定フェーズで会った最高の人よりも、さらに良いと思える人に選択フェーズで最初に出会ったら、その人と結婚するべきだ。統計学的可能性に従えば、彼女は得られる最高の選択となる。(コナードは自分自身でこのシステムを使っている。)

このように常に計算する事、計算不能なものまで計算する事は、とても興味深いと同時に馬鹿げてもいるだろう。実際コナードが説明する世界は、しばしば無慈悲で単調に感じられる。単純な生活が持つ芸術性であるとかロマンスとか無償の満足感とかが見えない世界だ。そしてそれこそが正にコナードの世界であるように私には見えた。「神は才能ある人が幸せになれるようには、世界を作らなかった。」彼は言った。「美しく無い。苦しい仕事だ。責任とかデッドラインとかがある。赤ん坊や妻と一緒にいたくても、夜中の11時まで仕事をしなければならない。平穏でも美しくも無い。」

こういった投資家業務における勤労倫理は、彼の世界観におけるもう1つの支柱だ。ロムニーと異なり、コナードは、アメリカが「ハード・ワークや企業家精神で独占的立場にいる」という主張は取らない。「とても単純な経済なんだ。」彼は言う。「リスクを取った時の見返りが大きければ、皆もっとリスクを取るのさ。」コナードは合衆国の経済的成功は、部分的に、一連の歴史的偶然の結果だと見ている。一番最近の事例としては、ローvsウェイド裁判(訳注:女性の妊娠中絶権を認めた裁判)と1970年代の経済苦境が重なった結果、ロナルド・レイガンによる社会保守派と自由市場主唱者の団結を招き寄せ、それによりこの国は数十年間、投資を支持する道を進んだ。ヨーロッパはあらゆる間違った選択をしたと、彼は言う。平等の達成と、自分達が好む産業の保護を気にし過ぎた結果、面倒な労働法や高い税金、あらゆる種類の社会保障を導入してしまい、合衆国より貧しい状態に留め置かれている。

今、私達は特別に重要な瞬間を迎えていると彼は書いた。テクノロジーと世界的な競争の結果、合衆国が世界最高の生産性を維持し、リスクを取り、成功者に報いる社会であり続ける事の重要性は、以前より増している。コナードによれば、オバマは「インセンティブを捨て去ろうとしている。」あるいは、さらに悪いとコナードは言う。収入格差と戦う事で、彼は「エクイティーの集中を遅くしている。」プロの投資家が大統領になって初めてアメリカ経済はその可能性を最大に発揮するのだと彼は言う。

コナードの本は、その中心に、恐らくは経済学における最も重要な質問を据えている。アダム・スミスが「国富論」で回答しようと試みた質問だ。何故特定の国が豊かで、他の国は貧しいままなのか?その質問にどのように答えるかは、その人物の政治意識が、経済的世界観と同じくらい強く影響する(2つはしばしば同じものであるが)。ロムニーのチーフ・エコノミック・アドバイザーの一人で高名な経済学者、グレン・ハッバード(Glenn Hubbard)は、コナードの考えを真剣に受け止めている。「彼はモデルベースで世界を見ておらず、その為に視野を妨げられていない。それは彼の利点であり欠点でもある。」ハッバードは私にそう言った。他の人たち、例えば進歩派経済学者のディーン・べイカー(Dean Baker)は、より厳しい。「あまり説得力のある説明は無かったね。」彼は私に言った。ニューヨーク大学の著名な経済学者ノリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)は、彼らしい言い方で、コナードの、「鋭敏な心には、大きな知的敬意を払っている」と述べた。しかし多くの点で同意できない、特に格差の利点については同意できないとしている。

私が話した殆どの経済学者は、コナードは現実の価値を作り出した人のみに報いる市場の能力を信頼し過ぎていると言う。例えばコナードは、最も如何わしい金融商品でさえ、何らかの利益をもたらすものであると強弁する。そうでなければ、まず誰もそれを買わなかっただろうから。たとえウォール・ストリートのトレーダーや企業のCEOが堕落した富豪であったとしても、経済が行う無慈悲な選択プロセスは、彼らが何らかの利益を社会にもたらしている事を保障しているとコナードは言う。市場主義のロムニー支持者でさえ、この考えには強く反対する。「エドは仲間内で共謀する悪しき資本主義をもっと警戒するべきだ。」ハッバードはそう言った。

「Unintended Consequences」は過去数十年の最も重要な経済学的仕事、権力や政治がいかに経済に影響を与えるかを扱った仕事を無視している。テクニカルな言葉で言えば、この分野は「レント・シーキング(rent seeking)」を研究したもので、企業や個人が、そのアイデアでは無く権力によって豊かになるケースだ。この分野は左翼と右翼が、等しく考えを共有し影響を与えている数少ない分野でもある。すなわち、富裕な企業や個人が、政治家や監査人に影響を及ぼし、法規に一見重要で無い変更をして、自分達に利益をもたらす。別の言葉で言えば、自分達の都合の良いようにゲームのルールを変えるのだ。1つの古典的例として銀行業の例がある。銀行は膨大なリソースを持ち、常に目に見える圧力や目に見えない圧力を、法律家や監査人にかけて、法規が自分達の利益に資するように変更しようとする。

コナード版の金融危機は、数多くのリポートや分析を無視している。その中には、私がNPRの「プラネット・マネー」チームと共同で行ったものも含まれている。それらのレポートは、国内の巨大銀行が顧客と監査人を、時として株主をも、積極的に誤魔化し、危険なリスクから利益を得ようとている様子を報道している。そして多くの経済学者は、拡大する不平等が全体として社会に対し、正に悪い結果をもたらすと考えている。不平等は、単に全ての人に、利益をもたらすかも知れないリスクを取りに行かせるように働くのでは無く、富裕者が新しいアイデアを潰す方向にも働くのだ。

私はコナードとの会話の中で、繰り返しこの質問をあげたが、その度に彼はこの話題を避けた。「私はレント・シーキングについて話したくない。」彼はそう言った。「第3世界へ行けば、『電話会社のフランチャイズ権を義理の兄弟に与えようと思うんだ』と喋っている独裁者が居るかも知れないさ。しかしそんな事をこの国で行うのはとても難しい。」それに対し、合衆国におけるレント・シーキングは見え難いが、やはり同じように破壊的なプロセスとして存在すると見ている多くの経済学者をあげて私は反論した。もし数人の富裕者が、ルールを変更する事で富を得たり、富裕であり続けたりしているなら、芸術・歴史学部生達は、緊密に連絡を取り合い強固に守られているエリート層には、入るチャンスが無いと感じてしまう事だろう。

恐らくは、集中する富が国中のイノベーティブな問題解決者達を刺激する事もあるだろう。しかし、若し多くの経済学者の見解が正しいなら、つまりは集中する富がイノベーションの意欲を妨げる事があるのなら、私達は憂えなければならない。殆ど全ての事柄に対して、深くて細かい分析を展開するコナードが、この話題に関しては、逸話であるとか直感とかへ逃げ込んでいる。ベインで働いていた時、成功する企業は互いに競い合わねばならないのを彼は見てきたと言う。誰一人として、その持てる権力故にフリー・ライドを与えられる事は無い。「例えば私のような人間が、機会を排除されていたと言うような事があるだろうか?」彼は修辞法的に問いかけた。「若しそうだったとしても、私には判らなかった!」

私は両方とも正しいのではないかと示唆した。豊かな人間は、そのハード・ワークと能力と幸運によって自分の富の大部分を得た。彼らは同時に、富によって得た影響力によって、さらに豊かになった。私達の時代の、政治的、経済的に大きな問題の1つは、社会に益する富と、社会を捻じ曲げる富の間のバランスを見出す事だ。もちろん私達は、人々がリスクを取り、イノベーションが存在する生産的な領域を探しに行くよう鼓舞したいと思っている。しかし豊かな人々が、政治的プロセスを捻じ曲げて、新しい良いアイデアを妨げる事を許すのは、合衆国の利益に反している。

果たして、コナードが見るところの、非政治的な検閲を受けてない望ましい人物は、大統領に成れるのだろうか。ロムニーの選挙組織は、「Unintended Consequences」について何のコメントも出すつもりは無いと言う。そしてコナードは、古い友人達との個人的会話について、私には何も話さなかった。グレン・ハッバードの話では、大雑把に言ってロムニーとコナードは、「イノベーションとか経済成長とか責任あるリスク・テイクとかの信念について」共有していると言う。

コナードとロムニーが数多くの政策において同じ見解を持っている事は確かだ。多くの共和党員と同様、彼らは、財産を成した人に対して、低い税率と少ない法規制を与える事を促進しようと思っている。ロムニーは又、拡大する格差そのものは問題では無いと言う、そしてこの問題が注目を浴びるのは「羨望ゆえだ。これは階級闘争のようなものであると考えている」と言った。2人の相違点もまた著しい。ロムニーの経済基盤や、マサチューセッツ州知事としての彼の実績は、彼がコナードより中道寄りで有る事を示唆する。ロムニーは年収200,000ドル以下の人に対してはキャピタル・ゲイン課税を無しにする事を望んでいるが、その割合は1%に保とうとしている。コナードはそれに対して、スタートとしては良い考えだが、不十分だと述べている。

もっとも大きな相違は、ロムニーが大統領選挙に出馬しているが故に、寄り多くの人から好感を得る必要があるのに対し、コナードはそれを気にする必要が無い。「人々は考えを変える前には、とても怒るだろう。」彼は言った。「経済学者達は直感的に間違っている。正にそうなんだ。」私は彼に、正にその通りだろうと言った。しかし彼の考えこそ、経済学に精通した人にとってさえ、直感的に間違っているのだ。最後に彼と話し合った後、彼は自分の主張をまとめたものをe-mailで送ってきた。基本的に、莫大な富を持つ少数のエリートが存在する事は、貧しい人々や、中産階級の人々にとっても良いことなのだと彼は主張する。「私の見地からすれば、」彼は言った。「これはきわどい判定などでは無いのだ。」

~~ここまで~~

次回更新は6月2日ごろになると思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
広告
海外格安航空券ena 【イーナドットトラベル】 Hotels.com【海外・国内ホテル予約サイト ホテルズドットコム】 【限定募集】ヒアリングマラソン・ベーシックkikuzo! 特別お試し3カ月コース デル株式会社
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。