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レイ・ブラッドベリー氏追悼記事

作家のレイ・ブラッドベリーさんの追悼記事をUpします。

記事を書いたのはジェラルド・ジョナス(Gerald Jonas)さんです。元記事はここにあります。

ご冥福をお祈りいたします。

~~ここから~~

詩的な卓越した文章で火星を地球へ運んできた人物

レイ・ブラッドベリー、サイエンス・フィクションの巨匠であり、戦後アメリカの抱える不安と楽天性を反映した未来を、独創的かつ詩的に描いて見せた人物は、先週火曜日にロサンゼルスで亡くなった。91歳だった。

代理人のマイケル・コングドン(Michael Congdon)が彼の死を確認している。

ラッドベリー氏は多くの人間から、サイエンス・フィクションを現代文学の主流へと押し上げた人物として評価されている。彼の名前は、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)、アーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)、ローバート・A・ハインライン(Robert A. Heinlein)そしてポーランドの作家、スタニスラフ・レム(Stanislaw Lem)と並び、20世紀のサイエンス・フィクション作家を並べる名簿なら全て、トップの方に出てくる。最初に出版されてから半世紀以上経つ彼の作品は、依然として学校で取り上げられ、生徒に紹介されている。そして多くの生徒が、ブラッドベリー氏の書く物語からイマジネーションを刺激されたと語っている。

800万部を超える彼の本は、36の異なる言語に翻訳され出版されている。その中には短編集「火星年代記(The Martian Chronicles)」、「刺青の男(The Illustrated Man)」、「太陽の黄金の林檎(The Golden Apples of the Sun)」、そして長編小説、「華氏451度(Fahrenheit 451)」、「何かが道をやって来る(Something Wicked This Way Comes)」が含まれる。

ピューリッツァー賞こそ取っていないが、ブラッドベリー氏は2007年にピューリッツァー表彰を「並ぶもの無きサイエンス・フィクション作家として、そのたぐい稀な多作と、深く影響を与えたキャリアに対して」授与されている。

彼の作家としてのキャリアは先週亡くなるまでに70年を越えた。The New Yorkerはブラッドベリー氏の自伝的エッセイを6月4日発行サイエンス・フィクション特集の合併号へ載せた。その中で彼は、イリノイスで過ごした少年時代の自分の「想像性への渇望(hungry imagination)」を振り返っている。

「一つの熱狂から一つの歓喜へ、そしてまた別の情熱へ、又別のヒステリーへ、その後又別のものへと続いていた。」彼は書いている。「あんな一日中感動で満たされたような熱狂は、後の人生では滅多に味わう事がないだろう。」

ブラッドベリー氏が最初の物語を雑誌へ売ったのは、20代前半、スーパー・サイエンス・ストーリーズと言う雑誌だった。30になる前に彼は自分の名声を、「火星年代記」で作り上げる。一編ずつ一つのテーマでリンクした短編集で、1950年に出版された。

その本では、宇宙旅行のロマンスが謳い上げられると同時に、現代のテクノロジーが可能とした社会差別を非難している。そのインパクトは直接的で永続性があった。サイエンス・フィクションを、思春期のたわ言として顧みなかった批評家も、未来を舞台にして上品にモラルを語った物語として「年代記」を賞賛し、一つの曲がり角を曲がった作品とした。

ブラッドベリー氏は、科学とテクノロジーを祝福と嫌悪が混じったものとして書いた最初の作家では無い。1945年の原子爆弾の出現で、多くのアメリカ人は科学に対し、愛憎の入り混じった感情を持つようになった。第2次大戦を終らせた同じ「スーパーサイエンス」は、今や文明の存在そのものを脅かすものになった。社会における科学の役割を考える事に慣れたサイエンス・フィクション作家は、核の脅威に対して明確な意見を持っていた。

しかしながら、殆どがパルプ雑誌で発表されたサイエンス・フィクションの読者は少数で重要性を持つ存在では無かった。ブラッドベリー氏はもっと大きな範囲の読者を想定していた。大きな部数を発行している雑誌、マドモワゼル(Mademoiselle)とかサタデー・イブニング・ポストとかの読者だ。こういった読者はパルプ雑誌のサイエンス・フィクションに出てくる難解な技術用語を受け付けない。彼は作品から技術用語を消し去った。自分の未来に対する問題意識を、詩的なメタファーや馴染み易い会話文をブレンドした魅力的な文章へと纏め上げたのだ。

彼の本は、高校や大学の英文学コースの定番となっているが、ブラッドベリー氏自身は公教育を軽蔑していた。彼は自分の作家としての成功の理由を、大学へ一度として行かなかったからだとさえ考えている。

その代わり、彼は読める本を手当たり次第に読んだ。エドガー・アラン・ポー、ジュール・ヴェルヌ、H・G・ウェルズ、エドガー・ライス・バローズ、トーマス・ウルフ、アーネスト・ヘミングウェイ。1971年に彼はこういった作家達への敬意をエッセイ「どのようにして、大学で教わる代わりに、私は図書館を卒業したのか(How Instead of Being Educated in College, I Was Graduated From Libraries)」に書いている(後に彼は人生も終盤に成って、南カリフォルニアの公共図書館向け募金活動で積極的な役割を果たしている)。

ブラッドベリー氏自身は自分の事を「アイデア・ライター」であると言っている。その言葉は彼にとって博識者とか学者とは全く違った存在を意味していた。「私はアイデアをいじるのが好きなんだ。アイデアで遊ぶのさ。」彼は言う。「私は真面目な人間では無い。真面目な人間を好きでも無いしね。自分を哲学者だとも思わない。哲学なんて酷く退屈さ。」

彼は付け加えていった。「私がやりたいのは、自分と他の人を喜ばせる事さ。」

彼は自分の創作方法を「言葉の関連付け(work association)」と説明する。詩の中の好きな文章にしばしば触発される創作方法だ。

ブラッドベリー氏の書物に対する情熱は1953年に出版された近未来小説「華氏451度」の中に見ることが出来る。しかし彼は自分の原初的なインスピレーションを少年時代から引いているらしい。彼は自分が生まれたばかりの頃からの記憶を全部もっている事を自慢している。読者にはそれを疑う理由は無い。彼の物語の主人公と同様、どれだけ家から遠く離れたとしても、過去からは逃げられない事を人は学ぶのだ。

彼の最高傑作、そして自伝的な小説でもある「タンポポのお酒(Dandelion Wine:1957)」で、彼は少年時代の喜びと恐れ、そして驚異に声を与えた。

「タンポポのお酒」は夏休み最初の日の夜明け前に始まる。12歳のダクラス・スポールディング(Douglas Spaulding)は窓から町を見下ろしていた。彼の町は未だ「暗闇に覆われて、ベッドの中で休んでいた。」彼にはやるべき事があった。

「毎週1晩だけ、ダグラスは家を出ることを許されていた。父さんや母さん、それに弟のトムが住む小さな隣の家を出て、この場所、暗い螺旋階段の上、祖父母のキューポラに来る。」ブラッドベリー氏は書いている。「この魔法の塔で、雷や幻影と共に寝る。そして牛乳瓶の立てるクリスタルな響きが鳴り出す前に起き出して、魔法の儀式を行うのだ。

少年は暗闇に開け放たれた窓の前に立った。深く息を吸い込んで吐き出す。真っ黒なケーキの上に立った蝋燭のような外灯が消えた。さらに息を吐き出してゆくと、今度は星が消える。

時計の時報が微かに聞こえてくる。裁判所の大時計が鳴り出した。少年が手を振ると、まるで巣から追い払われたように鳥が木から飛び立って歌いだす。オーケストラを指揮する少年は東の空を指差す。

太陽が昇り始めた。

少年は腕を組むと微笑んだ。魔法の微笑だ。ああそうとも、皆が飛び上がり、皆が走り出す、僕が呼びかければね。素敵な季節の始まりだ。

少年は最後に、町に向けて指を鳴らした。

ドアが開き、人々が出てきた。

1928年の夏の始まりだ。」

レイモンド・ダグラス・ブラッドベリー(Raymond douglas Bradbury)は1920年8月20日に、イリノイス、ワウキガン(Waukegan)で生まれた。その小さな町が持つノーマン・ロックウェルが描いた絵のような魅力を、彼は架空の町、グリーン・タウンの描写で繰り返す。グリーン・タウンは「タンポポのお酒」および「何かが道をやって来る」の舞台、それに「火星年代記」の中の、宇宙飛行士の致死的に魅惑的なファンタジーに出てくる架空の町だ。彼の父親レオナルド(Leonard)は電気会社の架線技師で、先祖の中にマサチューセッツ州セイラム村で魔女として裁かれた女性が居る。

悪夢に悩まされる運動の得意でない子供だった彼は、グリム兄弟の物語とかL・フランク・バウム(L. Frank Baum)のオズの物語とかを味わいながら育つ。結婚前エスター・モバーグ(Esther Moberg)と言う名だった彼の母親は、そういった本を彼に読み聞かせていた。伯母の1人、ネヴァ・ブラッドベリー(Neva Bradbury)は、彼を始めて劇場へ連れて行ってくれたり、ハロウィンでモンスターのコスチュームを作ってくれたりした人物で、彼にポーの物語を紹介してくれた。彼はパルプ誌のサイエンス・フィクションを見つけ出し、冒険連載コミックのバック・ロジャーズとかフラッシュ・ゴードンとかを集め始める。作家へと向かう弾みを付けてくれたのは、ミスター・エレクトリコ(Mr. Electorico)という名のカーニバルの魔術師だった。その当時12歳だった少年を、不老不死の匂いがする会話へと導いてくれた。

1934年、未だ若いレイと両親、兄のレオナルド(Leonard)はロサンゼルスへ移住する(他の兄弟姉妹は若いうちに亡くなっている)。レイは映画ファンとなり、自分で数えたところでは週に9回は映画館に潜り込んでいたと言う。高校の英語の先生に励まされたのと、ロサンゼルス在住でサイエンス・フィクション・リーグのメンバーだったプロの作家に会ったことで、彼は1日に1000語はタイプライターで書き出す苦難の生活を始める。

彼の最初のヒットは、1947年、短編「帰郷(Homecoming)」。魔女やバンパイア、狼男の家族達が家へ帰ってくる中で、語り手である魔力を持たない1人の少年の孤独感が表現された話。マドモアゼル誌に載るたくさんの取るに足らない記事の中から、若き編集者トルーマン・カポーティ(Truman Capote)が取り上げ、その年の最高の短編小説に与えられるオー・ヘンリー賞をブラッドベリー氏に与える事になった物語だ。

同じ様な系統の26の短編と共に「帰郷(Homecoming)」はブラッドベリー氏の最初の本となる「黒いカーニバル(Dark Carnival)」に収録され、小さな専門出版社から1947年に出版された。同じ年に彼は、ロサンゼルスの本屋で知り合った女性、マーガレット・スーザン・マクルーア(Marguerite Susan McClure)と結婚する。

後に彼自身言っているように、「正に屋根裏部屋で」書いていたブラッドベリー氏は、サイエンス・フィクションを中心に書くようになる。1946年から1950年にかけての想像力の爆発で、彼は後に「火星年代記」と「刺青の男」に収録された殆どの作品を書き、「華氏451度」のベースとなる中篇小説を書いている。

純粋なサイエンス・フィクション愛好家が、ブラッドベリー氏の科学的事実に対する思慮に欠ける態度、例えば火星に呼吸可能な大気があったりるす事について不満を持つ一方、文学界のエスタブシッシュメントは次第に熱狂していった。小説家のクリストファー・イシャウッド(Christopher Isherwood)はブラッドベリー氏を「とても偉大で非常な才能の持ち主」と呼んで歓迎し、ブラッドベリー氏のヒーローの1人、アルダス・ハクスレイ(Aldous Huxley)は彼を詩人として褒め称えた。1954年、アメリカ芸術院(National Institute of Arts and Letters)は、特に小説「華氏451度」における、ブラッドベリー氏の「アメルカ文学への貢献」を表彰する。

「火星年代記」は26篇の物語からなっているが、本としてまとめることを念頭に書かれたのは、わずかしか無い。パッチワークとして集められたのは、1999年から2026年に亘って展開される一連の火星進出とその後の物語だ。物語の中の火星人は、読心力があり、当初地球人の到来に抵抗する。しかし最終的に地球人の進んだ技術力に対抗できない。人類が進展するに従い、太古の文明の残滓は破壊されて行く。

アメリカ・インディアン文化の運命と同じ道をたどる物語はパロディの域に達している。最終的に火星人は水痘の大流行で死滅してしまう。地球が核戦争で滅んでしまった後、人類の植民地の後継者達は、自分達が火星人になった事に気がつく。正しい社会を建設するセカンド・チャンスだ。

「華氏451度」はおそらく、彼の最も成功した長編小説だ。専制的な政治に対する告発として焚書を行うアメリカの近未来を記述している。主人公はファイアーマン(消防士)と呼ばれる人物で、本を燃やす事を仕事にしている。(タイトルは紙が燃える時の温度を表している。)数人の批評家はこの本をジョージ・オーウェルの1984と好んで比較する。フランソワ・トリフォー(François Truffaut)は1966年にこの本を映画化し好評を博した。オスカー・ワーナー(Oskar Werner)とジュリー・クリスティー(Julie Christie)が出演している。ブラッドベリー氏の名声が高まるに連れ、彼は新たな才能を見せ始める。彼は1956年、ジョン・ヒューストン(John Huston)監督映画「白鯨(Moby-Dick)」の台本、およびテレビシリーズの「アルフレッド・ヒッチコック劇場」の台本を手掛け、一連の詩と劇作をする。

1980年代中ごろ彼は「レイ・ブラッドベリー劇場」のホスト役でテレビに出る。彼の短編を元に作られたドラマシリーズで、ケーブル・テレビで放送された。

ブラッドベリー氏は、人類が避けるべきで無い冒険として宇宙開発計画を支持する一方、自分自身の冒険の領域はイマジネーションに限る事で満足していた。ロサンゼルスで50年以上同じ家に住み、2003年に亡くなった妻のマーガレットと共に娘達の面倒を見てきた。何年もの間、飛行機の旅を嫌い列車を好んだ。そして生涯、運転を覚えなかった。

2004年、ジョージ・W・ブッシュ大統領とファースト・レディのローラ・ブッシュは、ブラッドベリー氏に、National Medal of Arts (芸術勲章)を授けた。ブラッドベリー氏の遺族は、娘のスーザン・ニクソン(Susan Nixon)、ラモーナ・オスタージェン(Ramona Ostergen)、ベッチーナ・カラペシャン(Bettina Karapetian)そして、アレクサンドラ・ブラッドベリー(Alexandora Bradbury)、それに孫が8人いる。

椅子に座った作家生活に最も魅力を感じていた彼であるが、決して孤独好きな人間では無い。彼は講演の才能を磨いていて、国内各地から講演を依頼されていた。講演で彼は、現代生活と折り合いをつける自分の奮闘振りを話す。自分が書いた物語を活き活きと蘇らせるテーマで、観衆の大いなる共感を呼んだ。

そして彼は未来の話しをする。おそらくは彼が好む話題だ。如何に自分が未来に魅了され、同時に反発するか。如何に未来が自分を不安と希望で満たすかを話していた。

~~ここまで~~

次回更新は6月22日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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