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クレイグ・ベンターの微生物が世界を救うかも知れない

合成生物学関連の記事をUpします。

記事を書いたのはウィル・S・ヒルトン(Wil S. Hylton)さんです。元記事はここにあります。

ヒトゲノムプロジェクトで有名になったクレイグ・ベンターさんの記事です。

~~ここから~~

クレイグ・ベンターの微生物が世界を救うかも知れない

クレイグ・ベンター(Craig Venter)の想像上の動物園では、小さな微生物が世界を救う。その微生物達はカスタム微生物、デザインされた微生物、ベンターだけが作り出せる微生物だ。ベンターは研究室の中で幾つかのDNAの断片から微生物を作り上げる。そして彼はそいつらを空気中や水中、煙突の中とか流出した原油の中、病院や工場やあなた方の家庭へと解き放つ。

微生物はそれぞれ役目を負わされる事になる。その内の幾つかは、例えば汚染物質を貪り食べるだろう。他のものは食料や燃料を作り出すかも知れない。地球温暖化と戦う微生物とか、有毒廃棄物を綺麗にする微生物とか、薬を作り出したり病気を診断したりする微生物とかもいるだろう。そして微生物達はこういった仕事を、正に合成DNAがもたらす性質によって達成するのだ。

今現在、ベンターは微生物の事を考えている。彼が考えているのは池の中を泳いで太陽の光を吸い込み、自動車燃料の尿を出す微生物。あるいは工場の中に生息し、排気ガスを飲み込んで新鮮な空気のおならをする微生物。一見、彼はこういった事を考えているようには見えないかも知れない。何も考えて無いようにさえ見えるかも知れない。彼はドイツ製オートバイに乗ってカリフォルニア山中を走り回り、きついカーブを曲がりながら膝当てを路面に擦り付けているかも知れない。しかしこれがベンターが考え事をする時のやり方なのだ。彼は又、太平洋の真ん中で嵐にあいながら、95フィートの帆船のデッキで思考を楽しんでいるかも知れない。あるいはサルガッソ海の底でポルトガルの軍艦の間を裸でスノーケリングしながら思考中かも知れない。ベンターはサンフランシスコでの少年時代、空港へ自転車で行き、旅客機が滑走路に降り立つのと競争していた。海軍衛生兵だった頃ベトナムで、敵が発泡してくる中、ディンギーで海岸線をゆっくり帆走しながら午後のひと時を過ごした事もある。

ベンターに関する最も奇妙な話は、こういったやり方が上手く行く事だ。彼が空とか海とかをすっ飛んでいる間に見つけるものは明確だ。彼が最も羽目を外している間に思い浮かんだ夢とか、でっち上げたファンタジーとかは、実際に実現している。彼はヒトゲノムの解析を夢見て実現した。彼は合成生物の作成を夢見て実際に作り出した。2003年彼は世界地図の上に線を引き、小さなチームと共に船に乗って、新しい生物の形態を探しに地球を旅した。2年後に帰ってきた時、チームは歴史上の誰よりも多くの種を発見していた。

そして昨年秋、ベンターは又別の旅の最後に活動を開始した。彼はアメリカ南西部を巡る旅の最後の旅程をツアー・バイクの上に被さりながら進んでいた。彼が山麓の靄の中を駆け抜ける後ろには、数名の友人が続いている。彼はその次の日にもオフィスへ帰り、カスタムメイド微生物のデザインをつなぎ合わせる予定だった。しかしラボへ帰る道を進む途中、最後の寄り道をした。新鮮なパイを買いにベーカリーの駐車場に止まったのだ。バイクから飛び降りてヘルメットを外したベンターはカリフォルニアの太陽に向けて微笑んだ。「110は出てたぜ!」彼は言った。「これで仕事に戻れそうだ。」

この記事は以下のように進む。
・サイエンス・フィクションのファンタジーは可能なのか?
・新しい命の探索
・黄色い藻は単なる出発点
・生命を作り出す技術
・何も無いところから始める

・サイエンス・フィクションのファンタジーは可能なのか?

人工生命の可能性は余りにも浮世離れしている為、言葉通りの意味を持たない場合が多い。大概の場合その言葉は、賢いアンドロイドとか話すコンピュータとかを意味している。サイエンス・フィクションの中でさえ普通は文字通りの意味までは行かない。一般的に陰鬱な近未来物語では、何時もロボットが世界を乗っ取り、軍隊を作り出して死の光線を発射したりする。中には愛を学ぶものさえあるかも知れない。しかし彼らのまがい物の皮膚の下は鉄の塊で作られている。ターミネーターからマトリックス、あるいは目覚めたHALまで、最近のイマジネーションは知覚を持つまでに発達した機械に占められている。人工生命そのものでは無い。

しかし生命工学の研究所の中では、もっと実際的な可能性が形を成しつつある。実際に機械が生きていたらどうだろう?これはある程度までなら実現しているのだ。酒造所とかベーカリーは長いこと、ビールやパンを作るイースト菌の勤勉な働きに依存してきた。そして薬品製造会社では、青かびのようなものを利用するのは、既に薬品を作り出す上の決まりきった手順だ。デュポンのエンジニアは絨毯用ポリエステルを作るために、修正した大腸菌を使っているし、製薬会社大手のサノフィ(Sanofi)では、合成DNAを注入したイースト菌を、薬の作成に使っている。しかし、何であれ私達が望む化合物を作り出す生物を、完全な合成DNAから作ることは、生物工学における長足の進歩を意味し、製造業におけるパラダイム・シフトを意味する。

生物機械が持つ魅力には多くの側面がある。一つの魅力は、生物が再生してゆく事。こういった機械は目的の製品を作り出すだけで無く、同じ事が出来る工場も又、作り出してゆく。そしてさらに、微生物は新たな燃料を使う。貴方が送電線網から切り離されていない限り、貴方が使うあらゆる機械、iPhoneからオーブン・トースターまで全ての機械は、化石燃料を燃やす事に依存している。仮に貴方が送電線網から切り離されていたとしても、こういった機械を作る為には、膨大な二酸化炭素の排出を必要とするのだ。生物機械ではそういった事は当てはまらない。カスタム生物は、汚染物質の成分とか太陽光線とかを餌としながら、産業プラントが作るのと同じプラスチックや金属を作り出しうるのだ。

そしてここには又、生産性と言う問題もある。過去60年間、農業生産力は向上を続けた。それは大部分、品種改良、化学肥料、そして灌漑によってもたらされた。しかし世界の人口が増え続け、過去10年間に10億人近くが増え、主要な地下水も使い尽くされる中、農業が世界の需要増大に合わせて発展し続ける事は期待しがたくなっている。もし藻の一種が高い生産性でタンパク質を分泌し、伝統的作物より少ない土地と水しか消費しなければ、この爆発しつつある惑星を養う為の最善の希望となりうるだろう。

最終的に、生物機械の隆盛はスポット生産の時代を切り開く可能性がある。「生物学は究極の分散型製造プラットフォームだ。」スタンフォード大学の助教授ドリュウ・エンディ(Drew Endy)はそう私に言った。エンディはエンジニアとして教育を受けた人物だが、合成生物学の指導的推進者と成った。彼は微生物による「分散型製造」がどのように見えるかスケッチを描いた。例えば香水を作る会社は、良い匂いを出すバクテリアをデザインできるかも知れない。そして「巨大な発酵槽でそれを増やしてゆく代わりに、未来のiTunes相当の何かにDNAをアップロードするのさ。」彼は言う。「そしたら世界中の人間がお金を払って情報をダウンロードする。」顧客は微生物を単に家で合成し、自分達の皮膚の上で育てるんだ、とエンディは説明する。「微生物は外皮の生態系を変化させて、匂いや香りを生成する生きた製品となるんだ。」彼は言う。「生きている香水さ!」

こういった事が本当に起きるのか、あるいは起こすべきなのかと言う質問の答えは、誰にそれを訊くかによって異なる。合成バクテリアを生のDNAから作り出す挑戦なるものは、その言葉の響き通りに異様なものであるだろう。それは4種類の化合物、DNAを構成するアデニン(adenine)、チミン(thymine)、シトシン(cytosine)、グアニン(guanine)を取り出し、少なくとも50万の長さの数珠繋ぎにし、その巨大分子をホスト細胞へ挿入し、生命として活動を開始することを祈ると言う作業だ。それも単に成長し分裂するだけでは無い。デザイナーが目的としたものを生成させるのだ。(イカルスとかフランケンシュタインとかと同じ傲慢な考えの系譜だ。)1990年代後半以降、世界中の研究所で合成生物学の実験が行われている。しかし多くの科学者が、主要な変化が起きるのに後数十年は必要だと信じている。「私達は依然として初期段階にいる。」エンディは言った。「別の言葉で言えば、まだまだ全然ダメさ。」

ベンターはそれに同意しない。彼に言わせれば、未来は私達が考えているよりずっと近い。既に多くの基礎的な仕事が完了している。2003年、ベンターのラボでは、DNAの断片をつなぎ合わせる新しい方法を使って、自然のウイルスと全く同じものを作った。そしてそのウイルスが活動を始めて細胞に襲い掛かるのを観察した。2008年にはさらに長いゲノムを構築し、1つのバクテリアのDNAを置き換えた。そして2010年、彼らは合成DNAを持つバクテリアに生命を与えたと発表した。依然としてその生物の殆どは自然のもののコピーではあるが、ベンターと彼のチームは装飾として、自分達の名前とか、ジェームズ・ジョイスやJ・ロバート・オッペンハイマーの文章の抜粋、あるいは秘密のメッセージとかをDNAの中に組み込んだ。バクテリアが繁殖すると共に、引用文や名前やメッセージは、その一族のDNA中に受け継がれた。

理論的には、ベンターとカスタム種の間に残っているのは1ステップだけだ。もし彼が名前よりも役に立つ何かを合成DNAに書き、その遺伝子的機能を注意深いやり方で変更する事ができれば、彼はデザイン生命への境界線を越えた事になる。

彼がもうやっていなければの話しだが。

・新しい命の探索

外見上、ベンターは65歳のがっしりした男で、灰色の髪が頭を取り巻いている。深く日焼けしていて何時も無精ひげを生やし、目の横のカラスの足跡は、元気良くダンスしている。1998年に世界の注目を浴びた時、彼は自分の会社であるセレラ・ジェノミックス(Celera Genomics)を率い、最初のヒトDNAマップ造りで、政府のヒューマン・ゲノム・プロジェクトと競争していた。その競争は2000年6月に終了する。ベンターと政府プログラムのディレクター、フランシス・S・コリンズ(Francis S. Collins)はホワイト・ハウスの演台に共に立ち、引き分けを宣言した。両者ともその場には特に行きたく無かったし、両者とも、自分のマップの方が優れていると思っていた。しかし科学の利益の為と、ビル・クリントン大統領の要請で、両者は渋々従ったのだ。

それからの十年間でコリンズは国立衛生研究所(National Institute of Health:N.I.H.)の長官になり、ベンターは首都から殆ど離れて過ごした。ベンターのN.I.H.への挑戦で、両者が特に友情を育むような事も無かった。彼の非営利組織、J・クレイグ・ベンター研究所は、メリーランド州ロックビルに本拠を置いているが、彼自身は殆どカリフォルニアで過ごしている。そこは彼の育った場所であるし、彼は今、350万ドルかけて、母校のカリフォルニア州立大学サンディエゴ校キャンパスに研究所を建てている。その建物は太陽エネルギーと雨水の保存機能を持った2酸化炭素中立に設計された建物で、太平洋を見下ろす1.75エーカーの敷地に位置している。ベンターはそこから2マイルも離れていない場所に600万ドルの家を買い改装した。滑らかな曲線構造を持つその家は、丘の頂上の息を呑むような景観の中に建っている。

彼の贅沢な家やオフィスとは対照的に、彼の企業は平凡な外見をしている。自宅から数マイル北にある、郊外のオフィース・パークに押し込められたシンセティック・ジェノミックス・インク(Synthetic Genomics Inc:S.G.I.)の本社は、高速道路の側に立つ2階建ての賃貸社屋だ。それでもその建物はある意味、ベンターの仕事のエキサイティングな中心地である。同社の敷地とミッションは、研究所のものよりも狭くはあるが、S.G.I.はベンターのブレークスルーが精製され、実世界で可能性を持ち次第、市場へと出してゆく場所だ。

最近のある日、私はS.G.I.の建物を見学に訪れた。ベンターは2階の自分のオフィスにいて、昨年秋、レースで時速120マイル出して殆どクラッシュしかけた時のビデオをiPadで見ていた。私達はちょっとの間それを見た後、又別の、オートバイ旅行のビデオを見た。ベンターは、最近初めてヘリコプターを運転したんだと言った。

科学者としてベンターはラボで少しの時間しか過ごさない。しかしそれを集中力の不足と混同するのは間違いだろう。彼の会社及び研究所では、全ての重要な決断はベンターのところに上がってくる。彼は約500人いる科学者の仕事に毎日注意を払っていて、色々な種類の助言や方向付けを与える。衛星電話でしか話せないような場合でも直接指示する。彼のオフィスに着いて数分後、会社の微生物探索部門シニア・ディレクターのジェラルド・トレド(Gerardo Toledo)が入ってきた。トレドは茶色い肌の痩せて骨ばった人物で、いつも愉快そうに目を輝かせている。休みのときは、アイアンマン・トライアスロンをしたり、カリフォルニアの山中でオフロード・バイクでベンターと競ったりしている。彼は1階のラボの見学を勧めた。階段を降りてゆく間、会社のミッションの1つは主に自然界から合成生物に利用可能な遺伝子部品を見つけてくることだと説明してくれた。トレドにとってそれは、珍しい遺伝子を持った興味深い微生物を、地球を巡って探し回る事を意味する。「これは微生物多様性がどれだけの広がりを持ちうるものなのかを理解しようと言う試みなんだ。」

地球は微生物の惑星だ。この惑星上の微生物は、生命全体の約半分を占めていて、彼ら無しでは大きな動物も生き延びる事は出来ない。彼らはそれほど小さく、それほど豊富に存在し、それほど多様性に富んでいる為に、地球上の遺伝子多様性の殆どを網羅している。N.I.H.とセレラで行われたヒトゲノム・プロジェクトがもたらした最も重要な発見の1つは、人間が比較的少ない遺伝子しか持っていない事だった。ヒトゲノム・マップが出来る前、殆どの科学者は、私達のDNAには100,000程度の遺伝子が含まれていると推計していた。実際にはその数は20,000くらい、一般的な葡萄よりも少ない程度だ。この発見こそが、ベンターをして、海洋をトローリングして新しい形態の微生物の探索を始めさせた理由の1つだ。過去9年間、彼と研究所の彼のクルー達は、何千と言う場所から水質サンプルを採取し、研究所でスクリーニングし、遺伝子的位置付けを行った。合計で彼らは数十万の新たな種を発見し(数字は不正確にならざるを得ない。何故なら「種」と言う言葉そのものが曖昧だからだ)、約6千万の新しい遺伝子を発見した。その中には、化学的に有害な水の中で生き延びる為の遺伝子があり、水素を生成する遺伝子があり、抗生物質の作成を即す遺伝子もある。そしてそれは、ほんの序の口に過ぎない。これらの遺伝子を如何にしてベンターがデザイナー種に纏め上げるかは、その日が来るまで見ることが出来ない。しかし私達がS.G.I.の階段ホールを降りている時、会社の微生物探索の旅は海洋に限られているわけでは無いとトレドは説明した。

彼はフレームに入った写真の前で止まった。写真には、土を一杯持った手だけが写っている。「この写真はマレーシアで撮ったんだ。」彼は言った。「オイル・パーム(oil palm)は最も効率の良い油生成作物の1つだが、私達はそれを強化できないかどうか試している。最初にこれのゲノムを理解して、どうしたらそれを改善できるか見る。2番目にこの微生物に最も適していてこれを助けられる環境を理解する。例えば養分を吸収したり、病気を防いだりするのに適した環境を理解するのさ。」

私達は幾つかのガラス張り研究室を通り過ぎた。中では科学者達が、フラスコに詰まった緑の液体の上に屈み込んでいた。トレドの説明では、S.G.I.が最初に修正を加える事を計画しているのは、藻の系統になるだろうと言う。何故なら藻は、自然のままでさえ、とても魅力的な特徴の組み合わせを保持しているからだ。彼らは太陽からエネルギーを得て光合成を行う。彼らは2酸化炭素を吸い込める。環境から温室効果ガスを取り除けるのだ。そして彼らはエネルギーを溜め込んだ油を作り出す。その油は食べ物を培養したり、燃料となったりする。何十年もの間、科学者達は、藻を品種改良して、寄り生産的に効率的にしようとしてきた。しかし成功は何時も逃げて行った。ベンターは、単なる品種改良では問題は解決しないと確信している。「藻は決して1エーカー当たり何万ガロンもの油を産出するようには進化しない。」彼は言う。「だから私達は進化を強制しなければいけない。」今でもS.G.I.は自然の系統を研究している。しかしゴールはその中の1つを選ぶ事では無い。それぞれの最善の特徴を組み合わせる事だ。「私達はこれら全ての知識を集めた。」ベンターは言った。「そしたら、それらを全てまとめて、今迄には存在しなかった何かをデザインしなければ成らない。」

・黄色い藻は単なる出発点

もし合成生物学が約束するものが壮大なものであるのなら、それがもたらす災厄も自明だ。生物機械実現が近づくに連れ、そのリスクを理解する必要性も緊急なものとなる。園芸を趣味とする全ての人が知っているように、外来種は急速に環境を破壊する。エバーグレーズ国立公園では、葛からマイマイガからビルマニシキヘビまで多くの外来種が繁殖している。私達はしばしば手遅れに成るまでそのインパクトに気が付かない。生物機械時代の夜明けを眺めながら、多くの環境関連グループは合成微生物が最終的に侵略的種族と成る事を恐れている。「ある程度まで逃げ出すものが出てくるのは殆ど不可避に思われます。」監視グループ、ジーンウォッチ(GeneWatch)のエグゼクティブ・ディレクター、ヘレン・ワレス(Helen Wallace)は私に言った。「疑問点は、これらの生物が生き延びて繁殖するかどうかです。私には誰かにそれが判っているとは思えません。」

ベンターや他の推進者が提供する確証は、誰にとっても納得できるものでは無さそうだ。彼らに言わせると、合成微生物は競争的な自然環境で生き延びるチャンスは殆ど無いらしい。最終的には、合成微生物を、特定の化合物が供給されなければ死んでしまうように設計できると言っている。2010年にオバマ大統領は自ら招集した生命技術委員会にベンターの仕事が意味するところを調べるように命じ、委員会は「リスクは限定的である」と報告した。それでも、映画「ジュラシック・パーク」でイアン・マルコム博士が遺伝子エンジニアに笑いながらこう言うシーンを人は思い浮かべるだろう。「生命は道を見つける」と。

S.G.I.のオフィスでベンターは、外に出てグリーンハウスを見ることを勧めた。グリーンハウスでは既に有望な藻の系統の殆どが外気の中で育てられている。私達は途中でチーフ・テクノロジー・オフィサーのジム・フラット(Jim Flatt)に会い、木立の中の狭い道を進んで巨大なガラス構築物の前に出た。そしてフラスコとかホースが集積している場所へと入って行った。そこはコンピュータや機械類が詰め込まれた研究室の横だった。壁に開いた窓からメイン・ルームが見通せた。メイン・ルームでは明るい太陽光の下でバットに入った藻が繁殖している。それぞれには細いプラスティック・チューブが接続され2酸化炭素が供給されていた。「私達は瓶詰めのCO2使っている。」フラットは言った。「工業施設であればプラントが排出するCO2を使えるだろう。発電所等から排出されるものを捕まえるんだ。地熱発電所からも手に入るかも知れない。セメント・プラントとか醸造所からもね。」

フラットと私が歩き回っている間、ベンターはコンピュータで藻をモニターしている科学者と話し込んでいた。そして彼は、4つの円錐形フラスコを持つベンチトップ・シェーカーに屈み込んだ。3つのフラスコには深い緑のサンプルが入っていて、残りの1つに入ったサンプルは明るい黄色だった。黄色い藻は合成D.N.A.を一部含むようにS.G.I.が調整した最初の系統だとベンターは説明した。実際のところ、その藻の色こそが合成によって変更された性質だ。藻の色を変更するのはつまらない事に思えるかも知れない。しかし商業的成功の為には重要な要素なのだ。藻を大量に繁殖させる上での問題の1つは、急速に繁殖する優勢な藻は直ぐに深い緑色になる事だった。これによって下層の藻が太陽光から遮られ、頻繁なケアと刈り取りが必要になる。明るい色に調整された系統は、成長に必要な光をさえぎる事無く、より緊密に繁殖する。ベンターのグリーンハウスにある黄色い藻は合成による修正を加えられた最初のものだ。しかし同じ様な変更がさらに加えられようとしている。会社は色を変えただけでなく、油の製造を加速する変更も加えようとしており、さらに油を周囲の水へ分泌する事を藻に強要しようとしている。「藻の目的は成長し、生き抜く事だ。」フラットは言った。「我々の為に何かを生成する事は必要として無い。だからそこにエンジニアが介入する必要がある。私達は藻にこう言っているのさ、『俺達はお前にそれを受け入れさせてやる』ってね。」

私達はグリーンハウスのメイン・ルームに入り、藻に溢れた巨大な浴槽の間を歩いた。次のステップは藻を外の大きな池へ移すことだとベンターは言った。「こういった研究室規模で出来る全ての事には、実際の意味は余り無い。」彼は言う。「人々は、小さな試験管に色々詰め込んで、それを何百万回か繰り返して言うんだ。成果が得られたってね。しかし巨大な施設に移してみたら全く上手く行かない。殆どのものは外へ持ち出すと失敗するんだ。」その目的の為に、S.G.I.は最近150マイル離れたソルトン・シー(Salton Sea)の直ぐ横に81エーカーの土地1区画を購入し、最も成功した系統をそこで育てようとしている。その場所は又、地熱発電所の近くでもあると、彼は言った。地熱発電は化石燃料を燃やしてはいないが、地下から2酸化炭素を放出している。ベンターは既にプラント所有者と、放出される2酸化炭素を藻へ振り向けることを交渉中だ。数ヵ月以内に、彼の藻が汚染物質を食料とか油へ返還することが出来るかも知れない。

私達は部屋の中の最後の浴槽へ来た。それは意味ありげな黄色い藻で満たされていた。合成DNAで修正され、オープンエアで培養中の一群の生物だ。藻はレモンライムのスポーツドリンク色をして、太陽の光の中で輝いていた。まるで、1000本のライトスティックのジュースで満たされた浴槽を覗き込んでいるようだった。

ベンターは幸せそうに藻を眺めている。「光合成プロセスは約35億年ほど動作し続けてきた。」彼は言った。「これは最初の大きな変更だ。」

・生命を作り出す技術

ラホヤ(La Jolla)の上にあるベンターの家は、クリーンで近代的な線が渦巻いている。広々としたキッチンが一方の端にあり、隠れた小部屋があちこちにある。加湿部屋としても使われているワイン・ルームがあり、海に繋がっているかのようなアウトドア・プールが在り、眼下のガレージには電気自動車のテスラ・ロードスターが入っている。0-60(静止状態から時速60マイルまでにかかる時間)が4秒以下の車だ。

2週間前、スウェットシャツとジーンズ姿のベンターは私をドアの所で迎えてくれた。私達は太平洋を見下ろす居間の、茶色いレザー・ソファに座って話した。近くには節くれだった硬材から切り出した、6フィートのザトウクジラの彫刻が置いてある。ベンターは飲み物を一口飲むと、溜息をついて後ろに寄りかかった。「インタビューをしなきゃならないなんて、全く残念なことだ。」彼は言った。

過去10年間私はベンターの仕事を近くから追いかけてきた。それは又、ベンター自身の奇妙で苦しい旅に付いて行く事をも意味している。何年もの間、私は彼と航海し、空を飛び、海にもぐったり、砂漠をオートバイで共に走ったりした。しばしば私が行くべきでないと判断した方向へ進み、思い出したくも無いスピードを出した。科学の領域でのベンターの同僚達の多くは、彼の向こう見ずな趣味とその気質を不快なものと思っている。彼の仕事の物語で、彼を嫌悪する大勢の生物学者とか彼の伝説的な自我とかについて、言及されない物語は無い。その敵意は部分的に、彼の科学に対する企業家的アプローチから来ている。1953年にDNA構造の共同発見者となった高名なジェームズ・D・ワトソン(James D. Watson)は、ベンターが1990年代にヒトゲノム・プロジェクトへ挑戦した時、「ヒトラーが世界を欲したように、ヒトゲノムを所有しようとした」と言って彼を非難した。しかし何十年もベンターと働いてきた人達は、彼の利己主義者としての名声に戸惑っている。夕食の席とかカクテル・パーティーの場では、ベンターは自分の仕事上の業績よりも、ドミノの腕を自慢する事の方が遥かに多い。そしてレセプションとかで賞賛者の一群に囲まれると、すぐさま落ち着かなくなりイライラし始める。

それはベンターが温和である事を意味しているのでは無い。彼は温和では無い。彼と言う人間を定義するものは、その自我の顕示欲よりも、むしろ彼と言う自我の動かしがたい重量だ。ベンターが科学的課題に取り組むとき、その仕事に取り組む他のあらゆる人間を彼は無視する。他の人間がどんなアプローチを取ろうと気にしない。そしてフィニッシュラインへ誰よりも早く駆け込む道を突き進む。スピードこそがベンターのミューズでありセイレーンだ。その同じ熱狂的な情熱が彼をレース・カーとかスピードボートへ駆り立て、彼の仕事を活気溢れるものにしている。そしてブレークスルーによって多くの敵を遥か後ろへと置き去りにする。

2010年にベンターが、完全な合成DNAを持つバクテリアに生命を与えたと発表した時、彼は賞賛と同じくらいの否定的意見に遭遇した。多くの科学者が、人類の歴史で分水嶺となる業績だとして賞賛した。「新しい形の生命をデザインし生み出す能力は、」高名な物理学者フリーマン・ダイソン(Freeman Dyson)は宣言した、「我々の種とこの惑星の分岐点として記録されるだろう。」それでも、その合成DNAが自然に存在する生物をモデルとしていて、自然の細胞へ挿入されたが故に、「合成生物」と言うのは誇張であると、主張する人々もいる。「彼は生命を作り出したのでは無い。真似しただけだ。」ノーベル賞受賞者のデイビッド・ボルティモア(David Baltimore)は主張する。

生命倫理学者のアーサー・カプラン(Arthur Caplan)に、この極端な賞賛と冷淡について訊いた時、カプランは迷いもせずに答えた。カプランはオバマ政権の倫理委員会が合成生物学のリスクを低く見積もった事については批判的だが、ベンター自身については、革命的な業績として賞賛した。「彼は、既に取っているべきノーベル賞並みの主要なイノベーションを3件達成している。」カプランは言う。「若し君が彼のようなブレークスルーや洞察を持っていたとしたら、君がノーベル賞の類を受けていないのは許しがたい事に思えるだろう。そしてそうなっている主な理由は、彼についての他の何物でもない、彼の個性とか性格の為なんだ。」

私がベンターに、科学者達から受ける自分の評価について質問したとき、彼はその性格に似合わず、気にしてないように見えた。「他の誰よりも理論に詳しいはずの古参生物学者の何人かは、細胞の重要性について言及している。」彼は肩をすくめた。「彼らは主張するんだ。『ああ、細胞は何らかの貢献をしている。単にDNAだけでは無いはずだ。』そういった言い方は、神は何らかの貢献をしているはずだと言っているようなものさ。こういった人々の問題は、現実は単にDNAだけだと言う事なんだ。もちろんDNAを読むために細胞は必要だ。しかし私達生物は100%、DNAソフトウェアシステムなんだ。」彼は研究室で1つの生物から取り出したDNAを別の細胞に挿入した例を指摘した。細胞は異なる生物へと変わってしまう。

ベンターは、自分が未だイノベーションに奉仕できる微生物を作り上げていない事を即座に認めた。「申し訳ないが私達は未だ、口火となるような、いまだかつて存在しない新しい生物をデザインできていない。」彼は笑いながら言った。「私達が公表できたのは、概念の証明だけだ。まあそれは、『あ~、ライト兄弟が音速ジェットを発明できていたら、どんなに良かっただろう!そのほうがずっと役に立つんだから!』と言うようなものさ。」

私はこの機会に、ベンターがはたしてゴールに近づいているのかどうか、訪ねてみようと思った。S.G.I.での藻に対する修正に加えて、研究所の彼のチームは、他にもゲノム全体の組み立て作業をしているのだろうか。2010年5月の声明以来、ベンターは比較的静かだった。しかし彼が批判者を黙らせずにいる事は彼らしく無かった。過去2年間にどのくらい進んだのか彼に尋ねた。

ベンターはしばしの間、黙った。何かを計算しているかのように肯いた後、言った。「私達は壮大な実験をしている。何も無いところから最初の細胞を作り出そうとしているんだ。」彼は、合成生物学において最も近しいパートナー2人と街で夕食を取る事を提案した。彼らが今取り組んでいる飛躍について話し合う為に。

「これは少しばかりブラックなアートなんだ。」彼は言った。

・何も無いところから始める

研究所におけるベンターと最も近しい協力者は、ハミルトン・O・スミス(Hamilton O. Smith)とクライド・A・ハッチソン2世(Clyde A. Hutchison II)だ。2人とも、自らの業績を誇れる人間だ。スミスは1978年、酵素の働きを抑える研究によってノーベル賞の共同受賞者になった。ハッチソンは1975年に始まった遺伝子マッピングの正統な継承者だ。その年、彼はこの分野のパイオニア、フレデリック・サンガー(Frederick Sanger)がウイルスのゲノムを最初に解析するのを助けた。サンガーは1980年にその功績で、自身2回目となるノーベル賞の共同受賞者となった。80歳のスミスは背が高く温和で、補聴器を使っていて少し前屈みだ。ハッチソンはそれより10歳若い。少年のように前髪が目に被さり、何時もソワソワしている雰囲気の人物だった。二人は風変わりな親近感を保っていて、それはベンターを果てし無く喜ばせるもののようだ。「2人は人形劇のバルコニーに出てくる老人達のようなんだ。」彼は言う。「しかし2人とも、自分達のキャリアにおいて、20年前だったら取れないようなリスクでも取れる立場に居る。まるで世界で最も古くて賢いポスドク(post doc)のような人達さ。」

ラホアのダウンタウンで、私達がディナーテーブルに着くと、シェフのサービスでウェイトレスがフォアグラを持って来て、スミスとハッチソンの間に置いた。2人は直ぐに前屈みになって観察した。

「なんだいこれは?」ハッチソンが訪ねる。

「ガチョウのレバーさ。」ベンターが答える。

「おお、」ハッチソンが言う。「レバーは好きなんだ。」

スミスは顔をしかめる。「こいつはグリコーゲンだ。」彼は言った。

「ああ、グリコーゲンさ。」ハッチソンは言った。「グリコーゲンは殆ど炭水化物だ。」

「こいつは炭水化物だ。」スミスは言う。

ハッチソンは肯いた。「君が低炭水化物ダイエットをしてるなら、レバーを食べるべきじゃ無いだろうな。」彼は言った。

そして2人はフォークでフォアグラを食べ始めた。

ベンターとスミスは最初、1993年のスペインでのカンファレンスで知り合った。スミスは講義の後、ベンターに近づいてきた。ベンターは当時未だ46歳だったが、既に論争の的になっていた。彼は自分の研究室で遺伝子の断片をマップしその結果を民間会社にライセンスする為にN.I.H.を去ったばかりで、その行為は生命を所有しようとする試みとして警告が発せられていた。ベンターはディナーの席で思い返した。講義の後、「ハムがやってきて言ったんだ。『お前の角は何処にあるんだ?』ってさ。それで言ったんだ『何だって?』。彼は言うんだ、『お前は悪魔に違いないからさ。何処に角を隠しているんだ。』」

スミスは大笑いした。「そうだね、」彼は言った。「彼は学会の人間を大勢怒らせていたんだ!」

数ヶ月の内にスミスはベンターの非営利団体へ参加した。そして1995年、初めてバクテリアの遺伝子配列を完成させる。20年前にサンガーの研究室でやっていた仕事を拡張したものだ。そのフォローアップとして2人はハッチソンに近づいた。ハッチソンは別のバクテリアをノース・キャロライナ大学で研究していた。2人はハッチソンにゲノム・マップを提供しようと申し出たのだ。2日後にハッチソンは小瓶に入ったDNAをベンターとスミスに送った。「もしも今やろうとしたら、」スミスは言った。「3ヶ月間弁護士の一団と仕事しなければならなかっただろう。」ハッチソンは肩をすくめた。「2人はとても断れないような申し出をしたんだ。」彼は言った。

ベンターとスミスは素早く動いた。最初のバクテリアの時に開発した方法を使い、ハッチソンの遺伝子マップを3ヶ月で完成させた。しかし3人は共に次のゲノムへ進む。それは最初のものに比べて3分の1の大きさしか無かった。3人は、どのくらいゲノムは小さく成れるのかと言う問題に興味を覚えた。自由に生きられる生物を維持するに必要な最小の遺伝子の数は幾つなのだろう?

「多分、私達と同じ様な位置にいる好奇心の強い科学者は皆同じ疑問を持っていると思う。」ベンターは言う。「しかしどうやってそこまで到達する?現状の分子生物学は充分なツールを提供してはいない。」彼らは共に働きながら、遺伝子の活動を中断させるDNAの断片を挿入することで、ゲノムを篩いに掛ける作業を始めた。理論的には細胞を殺す事無く活動を中断させられた遺伝子は何であれ本質的なものでは無い事になる。1999年、彼らはジャーナル・サイセンス誌上で記事を発表する。その記事は、「1,354の別々のサイトへ挿入したが、致死的では無かった」と説明し、バクテリアDNAの内、4分の1以上が余分であると推測している。しかし確証を得る方法は依然存在しない。一度に全ての本質的で無い遺伝子を排除し、生物が生き延びられる事を確かめる方法は存在しない。1999年の記事の最後の文章で、彼らは新しい解法を提案している。「自己増殖可能な生命の最小遺伝子セットを特定する一つの方法は、カセット・ベースの人口染色体を作り上げてテストする方法であるだろう。」

染色体を作り出す。それは未だ科学が到達できる遥か先の事柄だ。そして後付で振り返れば、今日私達が知っている合成生物学についての、最も早い言及だ。しかし記事が世に出た1999年12月、ベンターとスミスは興味の対象をセレラにおけるヒトゲノム・プロジェクトへ移してしまう。この仕事は3年間、彼らの集中力を消費した。振り返ってみれば、ベンターは言う、「ヒトゲノムは回り道だった。」セレラのマップが完成して直ぐ、彼らは合成プロジェクトへ戻る。2003年、彼らはDNAの断片を組み立てる新しい方法を開発する。そして最初のウイルスを作り上げる。それが上手く行くと今度はバクテリアへと拡大した。最終的に自分達の名前や引用文をコードに含めた。しかし真の目的物は、依然として1999年に最初に提案した最小の生物、自然界のどれよりも少ないDNAで自由に生きるバクテリアであり、それは未だ達成されていない。それが達成できれば、基本的遺伝子に関する彼らの理論がテストされるのみならず、将来の生物に対するフレームワークを提供する事になるだろう。一度彼らが最小ゲノムを手に入れたら、彼らはそれを、他の遺伝子を付加する車台として使うことが出来る。おそらくは硫黄を食べる遺伝子コンポーネントとか、水素を分泌したりする遺伝子コンポーネントとか、あるいは両方ともを追加する車台として。

「だからこそ、それは貴重なんだ。」ベンターは言った。「若し私達が真に複雑な生物学的機械をデザインしようとしたら、こういった基本的なものが必要となる。」

しかし最小ゲノムはおそらく、さらに基本的な疑問を投げかけるだろう。それはこのイノベーションの性質に関わる疑問だ。私達が技術的変化を考えるとき、私達はこの進歩をとても狭いレンズを通して見ている。現代生活をより便利にする新しい器具とか機械を思い浮かべるのだ。歴史上最も進化した技術文明を新たな高みへと導く技術的進歩だ。しかし長期的な観点で重要となるイノベーションは進歩とは余り関係が無い。重要なイノベーションは私達の生活の質的向上には役立たず、むしろ上質の生活を世界中に広げる方に役に立つと思われる。世界の人口が増え続ける中で、私達が直面する最大の技術的難問は、地球上の広大な地域を、後ろに置き去りにするのを避ける事にある。ベンターが提案する合成生物学は、最小ゲノムをプラットフォームとして使いながら、食物とか燃料とか薬品とか健全な環境とかを作ろうとするものだが、生物学的災厄へとバックファイアするかも知れない。しかしそれは、明白な解法が存在しない一連の問題への、画期的なアプローチを提供するものでもあるだろう。

「私達が現在知っているような農業は消え去らねばならない。」ベンターは言った。「私達は自然界が提供するタンパク質よりも上質で健康的なものを手に入れられる。」彼は別にリンゴをシャーレで育てようと言っているわけでは無い。彼が言いたいのは、大量に生産される必需品、例えばコーンとか大豆とか麦のような、豆腐やシリアルといったプロセス製品の原料となる作物の生産の事だ。「もし鍵と成る作物を、10倍とか100倍効率的に生産できたら、」彼は言う。「土地や原料の寄りよい活用法になるだろう。」

私達がロブスターとか新鮮な野菜といった、まごう事無き現実のディナーを楽しんでいる間、ベンターは、最初の合成された最小ゲノムの実験まであと数日だと説明した。2年もの間、S.G.I.のチームが藻の培養に取り組んでいる間にも、研究所のチームは新しいゲノムのデザインに研究を集中していた。時としてそのプロセスは単調なものだった。「3週間前まで、」スミスは言う、「私達はとてもなだらかな道を進んでいた。全てが完了するまですごく長い時間がかかると思っていたんだ。そしたらクレイグが言った。『くそくらえ、少し想像力を働かせようじゃないか。自分達が知っている事を元にでっち上げてみるんだ。必ず動くさ!』」

ベンターは笑った。「私達はこれを、ヘイル・マリー・ゲノム(Hail Mary Genomu:破れかぶれゲノム)って呼んでいる。」

彼の話では、ほんの数日前に2つのデザインを完了したと言う。一つはメリーランドのオフィスが中心となってデザインしたもので、もう一つはカリフォルニアのハッチソンのチームのものだ。この後彼らは数日間かけて両方とも組み立ててみる。どちらかが上手く行けば、それは、この地球上の全ての自由な生き物の内、最小の遺伝的コードを持つものと成る。コピーとして無視することが不可能な存在だ。私達がディナーのテーブルに着いている間にも、既にベンターとスミスとハッチソンはそれを手に入れている可能性がある。彼らの研究所のどこかでは、合成DNAによる最初のカスタム生物のデザインが保管されているかも知れない。

ハッチソンは2つのドラフトに重複がある事に勇気付けられている。「両者の違いは30個ほどの遺伝子だけだ、」彼は言った。

スミスはニヤリとした。「私はクライドのドラフトに賭けるね。」彼は言った。

「まあ、私のやつの方が小さいけどね。」ハッチソンは言った。「私の考えでは、一方のデザインから幾つかピースを選択し、もう一方からも選び出すといった作業をこれからする事になるだろう。」

「同時に又、より理論的なやり方でゲノムを設計し直す事にもなると思う。」ベンターは言った。「私達は、もし神が存在したとしたら、やるだろうやり方でやろうとしているんだ。」

「進化は非常に複雑さ。」スミスは付け加えた。

「私達はそれを綺麗にしようとしている。」ベンターは言った。

「それは何時までかかるんだい?」私は尋ねた。

「私の考えでは年内かな。」ハッチソンは言った。

ベンターは首を振った。「夏が終る前さ。」彼は主張した。

ハッチソンはクスクス笑った。

「多分、夏が終る前だろう。」スミスは言った。

「これは最初の合理的にデザインされたゲノムになる。」ベンターは言った。

「実際のところ、私は針の先を突くような細かいやり方は好きじゃない。」スミスは言った。「もっと大きな30とか40とかの塊を取って、減らしてゆくのが好きなんだ。」

「そのやり方で出来るさ。」ハッチソンは言った。

「そうしようじゃないか。」スミスは言った。「残りはどうでもいいんだから。」

~~ここまで~~

次回更新は6月30日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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