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アルツハイマー病遺伝子と共に生きる

アルツハイマー病に関連する記事をUpします。

記事を書いたのはジーナ・コラータ(Gina Kolata)さんです。元記事はここにあります。

アルツハイマー遺伝子にまつわる話です。

~~ここから~~

アルツハイマー遺伝子所持者と知って、如何に生きるか

1959年8月の暑い日、それは完璧に普通の出来事に思われた。3世代に渡るオクラホマの大家族がテキサス州ペリートン近郊のスタジオに集まり、年長者の集合写真を撮ったのだ。14人の兄弟の年齢は29歳から52歳まで。写真を撮った後、全員で近くの公園へピクニックに出かけた。

そのグループの中に2人の従兄弟がいた。当時10歳のダグ・ホイットニー(Doug Whitney)と19歳のゲイリー・レイスウィグ(Gary Reiswig)だ。ダグの母親とゲイリーの父親は兄妹だった。ダグはその日の事を詳しく覚えていない。しかしゲイリーは忘れることが出来なかった。彼の父親とか、伯母とか伯父とかの何人かは正常に見えなかった。彼らは無表情で何かを見つめている。困惑していたり、微笑んでいたり、肯いたりしていたが、実際は会話についてゆけて無いようだった。

その人達の様子はゲイリーに、数年前祖父がどうだったかを思い起こさせた。1936年、彼の祖父は祖母を乗せて車を運転していて、説明できない理由で列車が来る方向へハンドルを切った。祖父は生き延びたが祖母は死んだ。その後の10年間、彼はどんどん混乱を深めていった。63歳で死んだ時は、喋る事も出来ず、自分の世話も出来ず、家の周りの道も判らなくなっていた。そして今、祖父の子供たちには、同じ様な症状の最初の兆候が見て取れた。

「私達はお互い、気味の悪さを表情に浮かべていました。」ゲイリーは言う。「その後私達は次第に、皆で集まることを止めていったんです。」

それがゲイリーの父親とその兄弟達の、長い衰弱の始まりだった。彼らの記憶は次第に劣化してゆき、判断力は失われてゆき、混乱を深めてゆく。1963年のある日、ゲイリーは母親と一緒に父をオクラホマ・シティーの医者へ連れて行った。その医者は最近、父の兄を診察した医師だった。幾つかの単純な記憶力テストを施して、家族の他のメンバーに聞き込みをした後、父の兄がおそらくはアルツハイマー病であると医師は結論を下した。ゲイリーと母は、父に同じ試験を受けさせた。そして医師はゲイリーの恐れを裏付けた。

ゲイリーの母は父の状態を秘密にしたがって、誰にも言うなとゲイリーに頼んだ。しかし彼の伯父の妻、エスター・メイ伯母は、家族に皆に伝えたいと思っていた。多くの者は、ゲイリーの母と同じ反応をした。アルツハイマーに関する情報を自分達だけで留めたがったのだ。

ダグが最初にそのニュースを聞いた時、彼は自分の母、ミルドレッド・ホイットニー(Mildred Whitney)が恐るべき病から逃れられる事を願った。数年間彼女は大丈夫に見えた。しかし1971年のサンクスギビングの日、当時50歳だったミルドレッドは、今までずっとレシピを見ないで作れていた得意料理のカボチャパイを、作れなくなっていた。

そしてそれが始まりだった。彼女の容態は急速に悪化した。5年後、歩く能力も失い、喋る事も出来ず、自分の子供も判らなくなってから、彼女は死んだ。最終的に14人の兄弟姉妹の内、10人がアルツハイマーを患い、平均して50歳の時に症状を見せ始めた。かつて緊密だった家族は疎遠になり、14人兄弟の子孫はそれぞれ、次に自分が患う可能性と共に、生きる道を探している。

約50年の後、ゲイリーの親族は、アルツハイマー遺伝子を持つ家族に対する大規模な国際的研究に協力する為に集まる事に成る。DIAN(Dominantly Inherited Alzheimer Network:アルツハイマー優性遺伝ネットワーク)として知られる研究には、合衆国、英国、及びオーストラリアの260人以上の人間が参加している。その中にはダグとゲイリーの家族10人も含まれている。2008年以降、研究者達はアルツハイマーを起こすとされる3種類の遺伝子変異を抱える被験者の脳をモニターし、症状が現れる前に病がどのように進行するのか観察してきた。DIANによる研究は翌年早々に次のフェーズへ移行を計画中だ。次のフェーズでは、被験者は3つの試薬の内の1つを受け取る。その試薬は、不可避的に進む病気の進行を遅くする、あるいは止めることを目指したものだ。(同じような研究が同時期にコロンビア大学でも開始されようとしている。アルツハイマー病原遺伝子変異の1つを持つ大家族で、試薬の1つがテストされようとしている。)

アルツハイマー患者の約99%は、現在知られている遺伝子変異が原因で罹った人達では無い。しかし研究者達は、治療法を見つける最善の道は、この病を起こす変異を持った人々を研究する事だと考えている。これは他の病気で有効だった方法だ。体内のコレステロール合成物をブロックする為に広く処方されている薬品、スタチン(Statin)は、早期に重篤な心臓病を発症する稀な遺伝子を受け継ぐ人々の研究から効果が確認された薬品だ。

アルツハイマー病は合衆国内で、死因として6番目に位置する。そして10種類の致命的な病の内、唯一、抑止も遅延も治癒も不可能な病だ。しかしDIANの研究者達は、今後10年以内に、脳の破壊と死を防ぐ薬ができるだろうと言っている。

この楽観的な見通しに達するまでには長い時間がかかった。1901年ドイツ人精神科医アロイス・アルツハイマー(Alois Alzheimer)は、最初にこの病の記録を書いた。それはオーギュスト・デーテル(Auguste Deter)と言う51歳の女性の症状を説明する文書だった。「彼女は困惑した表情を浮かべてベッドに座っている。」アルツハイマーは書いた。「貴方の名前は何ですか?オーギュスト。貴方の夫は?えっと、夫。彼女は質問の意味が判らないかのようだった。」

5年後、オーギュスト・デーテルが亡くなった時、アルツハイマーは彼女の脳を調べた。それは普通の脳と同じく、豆腐のような肌触りでサンド・ペーパーのような色をしていた。 しかし似ていたのはそこまでだ。デーテルの脳は縮んでおり、小さな粒々がまるで富士壺のように散りばめられていた。誰も脳がこのような状態になっているのを見た事が無かった。

今では病理学者は、この粒々が堆積されたタンパク質の断片、ベータ・アミロイド(beta amyloid)で、アルツハイマー病に罹った人の脳に蓄積され、この病の特徴となっている事を知っている。アルツハイマーは他にもデーテルの脳で発見をしている。彼女の荒廃した脳細胞の中には、現在ではタウ(tau)として知られる、グロテスクに捻じ曲がったタンパク質のロープが絡み付いていた。これはアルツハイマー病固有のものでは無く、その他の加齢に伴う退行性脳疾患、例えばパーキンソン病であるとかピック病(行動障害を伴う稀な形態の痴呆症)とかでも共通に見られるものだ。この脳細胞内部に絡み付いたロープが脳の破壊を示す兆候であるとアルツハイマーは推測している。しかし何がこのような破壊をもたらすかは謎だった。「結論として、我々はこの病の特徴的プロセスを注視しなければならない。」アルツハイマーは書いている。

20世紀後半になるまで、この病に対する研究に大きな進展は無かった。カリフォルニア州立大学サンディアゴ校での指導的アルツハイマー病研究者、ポール・アリソンが私に話してくれたところでは、1970年代後半に彼が医学校に居た頃、彼の指導教官は一度としてアルツハイマー病について話した事は無かったと言う。この病については、退行性脳疾患で既知の原因は無く、有効な治療法も無いと言う以外、言うべき事が無かった。科学者は患者の脳の何が悪くて、何故そうなるのか知る術を持っていなかった。

全ての人が知っていたのは、この病の無慈悲な進み方であり、最初は余りにも僅かな兆候から始まる為、普通の不注意であるとか、うっかりしていたのだと、混同してしまうと言う事くらいだ。患者は今言った事すら忘れてしまったり、約束を忘れてしまったりする。車で家に帰る途中に、いつもの道が判らなくなったりする。こういった小さな記憶の喪失が進んで行くと共に、患者は表情を無くしてゆき、ついには家族の人間が判らなくなる。食べる事もトイレに行く事も出来なくなる。解剖をすると脳は荒廃している。縮退し、斑点(プラーク:plaque)が散りばめられている。

ハーバード大学でアルツハイマー病と神経学の教授をしているルドルフ・タンジ(Rudolph Tanzi)は、当時の研究者達が、アルツハイマー病の脳を見て、その破壊の原因を探ろうとした時の状況がどのようなものであったかを説明してくれた。想像してみて欲しいと、彼は言う。自分が他の惑星の異星人で、今までフットボールなんて聞いたことも無かったとするんだ。そしてゲームが終わった5時にスタジアムへ行って、スタンドに散らばったゴミとか、乱雑なフィールドとか、はがされた芝とかを見る。それが全部フットボールのゲームの結果だなんて、どうやったら想像する事が出来る?「何十年と言うもの、私達がアルツハイマー病の原因を探ろうとしていたのは、そういう場所だったんだ。」タンジは言う。

しかし、分子生物学の発展に伴い、この病気を遺伝する大家族を研究する事が出来れば、アルツハイマー病を起こす遺伝子を特定でき、それが何をしているのかを理解できるかも知れないと科学者達は考えるようになった。問題はこのような家族を探すこと、そして彼らが研究に協力してくれるよう説得する事だった。ブレイクスルーは1980年代末に訪れた。イングランドのノッティングハムに住む女性がロンドンのセント・メアリー病院の、ジョン・ハーディ(John Hardy)率いるアルツハイマー病研究チームと接触し、自分の家族を研究してくれないかと申し出たのだ。彼女の話では、アルツハイマー病が3世代に亘って出ていると言う。そして彼女の父親は5人の患者を出した10人兄弟の1人だった。

この英国の家族における遺伝のパターンは明確だった。ある人物の子供は50:50の割合でアルツハイマーを発症する可能性があった。それは遺伝子によって病気が引き起こされる強い可能性を示唆していた。家族のメンバーのアルツハイマーを発症した人のDNA配列を、発症しなかった人と比較する事によって、研究者達は、この家族の病気が染色体21の変異を原因としている事を発見した。家族の中でアルツハイマーを発症した全ての人はこの変異を持っていた。病の発症を免れた人でこの変異を持っていた人はいない。そしてこの変異を受け継いだ全ての人は最終的にアルツハイマーを発症した。例外は無かった。

「科学においてはしばしば、情報やデータはゆっくりとしか集まりません。」研究グループの若き遺伝学者だったアリソン・ゴアティ(Alison Goate)は私に言った。「この時はまるで爆発です。ユーレカ的瞬間でした。」彼女は当時こう考えていたのを覚えている。「自分がアルツハイマーの原因を見つけた最初の人間だって。」

アルツハイマー病に関する科学がゆっくりとしか進歩しなかったこの年月、ゲイリー・レイスウィグは一連の決断をした。それらの決断は彼の恐怖を反映していた。彼はキリスト教会の一派、Disciples of Christ(キリストの門人達)の保守派牧師として訓練を受けていた。しかし父親が56歳で亡くなった後、当時27歳だったゲイリーは自分の天職について疑問を持ち始めた。これがはたして、自分の残りの人生をかけたいと望む仕事なのだろうか?

彼は牧師の職を離れ、親戚に深い動揺を引き起こした。「私達のゴールデン・ボーイが信仰を拒絶した。」家族の反応をゲイリーはそのように言った。「自分の故郷に戻るのは難しかったです。」

1970年に彼は妻と別れる。そして1973年再婚した彼は、又別の困難な決定に直面する。彼の新しい妻、リタ(Rita)は子供を欲していた。彼女はゲイリーと結婚する時、家族にアルツハイマー病の遺伝がある事を知っていた。「だけどそれは、子供を持とうと話し始めるまで、現実的なものとは思えなかったんです。」ゲイリーは言う。「互いに愛し合い、子供を持ちたいと人々を駆り立てる、巨大な生きる力が存在するのです。誰もそれには打ち勝てません。」そして、生まれる子供が将来背負うリスク故に、2人はそれが真に現実的なものでは無いと思おうとした。

2人の息子は1977年に生まれる。その間にもアルツハイマー病はゲイリーの家族のかなりの人間を切り取っていった。ゲイリーの姉はオクラホマの農場に住んでいて、彼はリタと共に2年に1度くらい姉を訪問していた。姉が43歳の時に訪れたゲイリーは、間違いようの無い父と同じ病の兆候を姉が見せているのに気付いた。

1979年、ゲイリーは40歳になろうとしていて、ピッツバーグのシティー・プランナーとして働いていた。もしアルツハイマー病になったら、今の仕事を続けられないのは判っている。それである日、彼はリタに言った。「病気になった時を考えて、もう少し楽な仕事に移ろうかと思うんだ。」

ニューヨーク州イースト・ハンプトンの宿屋が売りに出されている広告を見た時、彼は自分が望んでいたものを見つけたと思った。宿屋の主人なら出来そうだと彼は思った。自分の記憶が失われていっても、単純なメンテナンス作業に移れば良いのだ。それで彼は職を止め、リタと共に宿屋を買って、ロングアイランドへ移住した。1979年6月だった。「自分の思考能力が失われ始めた時の為に、自分を上司に依存する状態から解き放つ事にしたんです。」ゲイリーはそう私に話した。

実際の仕事は想像していたよりも複雑だったが、ゲイリーは自分が基本的な知識を持っている事を発見した。彼は家族農場で父親を助けていた時、ビジネス上の決断を下す事を学んでいた。そしてシティー・プランナーとしての経験から人と付き合う術も学んでいた。しかしその間にも、ゲイリーは未来を見据えていた。「もし状況が差し迫った場合、自分の仕事を複雑なものから単純なものへシフトする事、単にマニュアル通りにすれば良いようにする事は、」易しい事では無いだろうと。

そして1986年のある日、彼は叔母のエスター・メイから電話を受け取る。彼女も又、幾つかの人生を変える選択をしていた。夫の最後を看取った後、エスター・メイは誰か家族を助けてくれる人を探すのを自分の使命にしていた。最終的に彼女の探索はトーマス・バード(Thomas Bird)へたどり着く。彼は現在、シアトルのワシントン州立大学で、神経学、薬学、医療遺伝学の教授であり、シアトル在郷軍人会病院(Seattle V.A. Hospital)の研究神経科医でもある。イングランドのアリソン・ゴアティと同じように、バードもアルツハイマー病を遺伝する大家族を探していた。血液サンプルを採取して、他にも原因となる遺伝子が特定できないか、試みる為だった。バードやその他のアルツハイマー遺伝子探索者にとって、まだ幾つか答えを見つけなければならない基本的な疑問が存在した。これらの遺伝子が何であり、病気の原因となるどのような振る舞いをするのか?これらの家族が持つアルツハイマー病原遺伝子は1つだけなのか、それとも複数存在するのか?もしこのような遺伝子が複数存在するのなら、病気に至る複数の道筋が存在するはずだった。もし1つであるのなら、あるいは複数でも変異によって同じ効果をもたらすのなら、治療法を見つけ出すのは寄り容易になるはずだった。

エスター・メイはバードと話した後、直ぐに活動を開始した。家族のメンバーに電話し、研究に協力するよう呼びかけたのだ。同意書には、全てのデータは非公開になる事、そしてこういった研究で一般的に見られるように、遺伝子が発見されても、参加者がその遺伝子を保持しているかどうかは知らされないとあった。研究に参加する事で、彼らは科学に貢献できるのだ。参加者は、将来の他の人の利益の為に、研究に参加するのであり、自分達の為では無かった。

ゲイリーは参加する事に同意した。イースト・ハンプトンのかかりつけの内科医へ行き、血液サンプルを採取してもらってバードの元へ送った。従兄弟の何人が同じ事をしたのかは定かで無い。しかし尋ね回った感じでは30人ほどが同じ事をしたと思っている。父親の世代では5人から14人が血液を提供しているようだ。その他の人は既にアルツハイマー病で亡くなっていた。

自分の姉弟に研究に参加するよう説得する必要は無かったとゲイリーは言う。「バード博士の研究が始まるころには、姉にはもう症状が出始めていました。」彼は言う。

そしてゲイリーは研究の事を頭の中から追い出した。自分が既に設定した道を進むのだ。病気に屈服する前の残された人生を有効に使う道を。

ダグは、アルツハイマー病の可能性を別の方法で扱おうとしていた。家族の悲劇から離れた生活をし、何が始まるかなるべく気にしないようにした。18歳の時、家を出て海軍に入隊した。彼は軍で20年過ごした。彼と妻のイオーネ(Ione)はその間、殆どの時間、世界の色々な場所に滞在した。直近の親族へは年に2回程、移動の途中に訪問する程度だった。1988年に海軍を引退した後、彼はワシントン州ポート・オーチャードに定住した。そこで船の定期メンタナンスの契約者として仕事を得たのだ。長い間国を離れていたので、彼はバードの研究には参加していなかった。

ダグは口数の少ない男で、自分の感情をあまり表に表さない。イオーネは話好きで元気が良く親しみ易い。イオーネはダグの代わりにインタビューに答えたり、e-mailを送ってくれたりした。彼女の話では、ダグにとって最も困難だった時期は、彼の兄弟7人の長兄、ロジャー(Roger)が48歳で病の兆候を示し始めた時だと言う(他の兄弟は未だ症状を見せていない)。2001年、ロジャーはオクラホマ州グローブの療養所で衰弱しきっていた。ダグは最後の晩を共に過ごす為にオクラホマへ飛んだ。「ロジャーが誰も判らなくなってから、もう6ヶ月が経っていました。」イオーネは言う。ダグはその日の午後と晩を共に過ごし、次の日、ロジャーは亡くなった。彼はその時55歳で3人の子供を後に残した。その内の1人は、ダグとイオーネの息子、ブライアン(Brian)より数ヶ月若いだけだった。

1995年、アリソン・ゴアティと仲間の研究者達が最初のアルツハイマー遺伝子を発見して4年後、さらに2つの遺伝子が発見された。その内1つは、ゲイリーやダグの家族を含む幾つかの家族の血液から、バードのチームが発見したものだ。他の研究者達による他の家族の研究からも、同じ様な発見がなされている。3つの遺伝子は異なる染色体に存在し、異なる家族においては異なる変異が遺伝子に起きていた。しかし全てのケースで変異した遺伝子は同じ効果を発揮している。プラークを形成する有毒なタンパク質、ベータ・アミロイドの蓄積を遅らせるブレーキが、正常に働かなくなるのだ。ベータ・アミロイドは積み重なり、避けがたい病のプロセスを発動させる。

それに続く数年間で研究者は理論を作り上げた。脳が余りにも多くのベータ・アミロイドを作り出すと、有毒な環境を構築するのという理論を。「悪い隣人達」とある研究者は述べている。ベータ・アミロイドは細胞の外側に硬いプラークを形成する。脳の細胞がこのような悪い隣人達に囲まれると、異常なタウ・タンパク質が細胞内に絡み付き始め、細胞を中から破壊する。

研究者達は、タウの蓄積を止めるよりも、ベータ・アミロイドの蓄積を止めるほうに注意を向けるようになった。殆どのベータ・アミロイド薬は、これを作り出す酵素の働きを邪魔したり、アミロイドが作り出された後、これを消し去る働きを持っている。しかし薬の開発は困難を極めた。そして効果を約束する物質を見つけ出し、臨床前テストを通すのに、薬品会社は数年を必要とした。

数年前、こういった新薬の最初の大規模な実験が、既にアルツハイマー病を発症した人を対象に実施された。こういった研究の多くは依然実施中であるが、その内の幾つかは完了している。残念な結果と共に。薬品を投与されても、アルツハイマー患者の病気の進行は止められなかった。

セント・ルイスにあるワシントン大学の医学校に設けられた、DIAN診療試験ユニット(DIAN Therapeutic Trials Unit)のディレクター、ランドール・J・ベイトマン(Randall J. Bateman)は、敗北を宣言するには早すぎると言っている。医学の歴史は、最初の研究で間違ったグループを対象としていたり、間違った処方で、あるいは、病気の進行における間違ったタイミングに投与された為に、殆ど捨て去られそうになった薬品に満ちている事を彼は指摘する。ペニシリンでさえ、最初は失敗だった。最初ペニシリンは感染した皮膚に塗りつける事でテストされたとベイトマンは言う。しかし感染に対するそのような薬の使い方、および、テストの時の過小な処方量では、他の方法なら効果を発揮する感染でさえ薬品で治癒する事は不可能だった。最終的に、正しい処方で正しい患者に投与された結果、ペニシリンは目の感染症を治癒する事が出来た。そして、ペニシリンがなければ死んでいたであろう肺炎の患者をも治癒できたのだ。

「ペニシリンのような効果的な薬品でさえ、適切に処方されなければ失敗するのだ。」ベイトマンは言う。初期の段階で投与されればアルツハイマー薬には効果がある事が、将来的には明らかになるのではないかと、彼は予測している。

「アルツハイマー病においては、症状が出てから治療するのは困難だと私達は認識し始めている。」ベイツマンは言う。その頃までには、「広範囲の神経細胞の死滅が起きている。」タウは脳細胞を破壊し始めており、「成人の脳は死滅した細胞を取替えられない。」

他の病気でもこれは同じ様に働く。例えばパーキンソン病では、行動をコントロールする三日月形の黒い脳細胞のグループ、黒質(substantia nigra)が死に始める。しかし黒質の70%から90%が死滅しないと、症状は現れない。失われた細胞を再生させる方法は誰も発見していない。

これを証明するためにDIANの研究者は、アルツハイマー遺伝子を持ちながら未だ発症していない人々で、アミロイドの蓄積を薬で止める試みをしていると、ベイトマン言う。その他の研究者は、中年の被験者を何年にも亘ってフォローし、最終的にアルツハイマーを発症する人の、最初の脳内の兆候を監視する研究を実施している。

ある研究は特に期待されている。それはADNI(Alzheimer’s Disease Neuroimaging Initiative:アルツハイマー病神経画像事業)と呼ばれる研究で2004年10月にスタートした。ADNIには200名の正常な記憶を持つ人々、400名の中程度な記憶障害を持つ、おそらくはアルツハイマー病初期症状の人々、そして200名のアルツハイマー病の人々が参加している。研究者達は、定期的に被験者の記憶テストを行い、脳画像を採取し、その他のアルツハイマー病進行状態を監視するテストを実施する。研究では脳の特徴的な変化、すなわち、記憶中枢の縮退、ベータ・アミロイド・プラーク、ベータ・アミロイドとタウの過剰な生成、といった変化が、症状が発症する10年以上前から起きている事が発見されている。

DIAN研究の最初のフェーズは、脳内のアルツハイマー病進行状態を観察することだ。そしてこれはアルツハイマー遺伝子を保持した家族しか被験者としていない。これらの人々がDIANに参加した時、ベイトマンと同僚達は、彼らの記憶力と推論力をテストすると同時に、脳脊髄液採取と、脳画像採取をして、脳の変化をモニターする。研究者達は被験者を3年に1回テストした。そして、被験者の両親がアルツハイマー病を診断された年齢から判断して、症状が出ると予測される20年も前から、アルツハイマー遺伝子を持つ人々の脳に問題となる変化が起きているのを発見している。DIANの結果、および他の研究結果から判断して、試薬投与の理想的なタイミングは、病気発症が予測される時点から15年前までとベイトマンは結論付けている。

しかしながら、アルツハイマー遺伝子を持つ人々に試薬を投与する前に、研究者達はデリケートな問題を解かなければ成らない。DIAN参加者は、自分がアルツハイマー遺伝子を所持している確率は半々だと知っている。そして自分が遺伝子を持っているかどうかテストで知ることが出来る事も判っている。しかし殆ど誰一人知りたがっていなかった。しかしながら研究者は、遺伝子を持った人にしか薬を投与できない(脳に影響を与える薬を健常者に投与したいとは思わないだろう)。もし研究で、遺伝子を持った人しか被験者としなかったら、研究に同意した人は全て遺伝子を持っていると判ってしまう。このような問題を避ける為、DIANの研究者は、遺伝子を持った家族のメンバーに対し、それぞれが遺伝子を持っているかどうか判らないまま参加を呼びかけた。被験者はどちらのグループに自分が入っているか判らないが、研究者は知っている。そして研究者は、アルツハイマー遺伝子を持たない人は擬似薬(placebo)を投与するグループへ割り振る。遺伝子を持つ被験者は、3つの試薬のどれか、又は擬似薬を投与されるグループに、ランダムに割り振られる。2年以内に、試薬の有効性について徴候が見られるだろうと、研究者達は言っている。

アルツハイマー研究における次のステップは、遺伝子を持たない人々の研究だとベイトマンは言う。これは、例えば70歳の人間、認知的に正常だがアルツハイマー病発症可能性が高まっている年齢の人を対象にすると言うものだ。被験者は症状が見られなくても、アルツハイマーに繋がる変化が脳に見られるかどうか見る為に、脳スキャンやその他のテストを受ける。そして被験者は薬品研究へ招待される。もし薬がこれらの人々で病気の発症を抑えられれば、ベータ・アミロイド・プラークのテストが予防医療行為として推奨されるようになるだろうと、研究者達は予測する。人々は50歳になるとテストを受け始めるようになる。だれでもプラークを持ち始めた人は、アルツハイマー病を予防する薬をもらうのだ。

1995年、バードがゲイリーの家族のアルツハイマー遺伝子を発見した同じ年に、ゲイリー自身も新たな発見をした。その年の8月、彼の弟夫妻が訪ねて来た。弟がアルツハイマーを発症しているのは明らかだった。彼は単純な物事にも困惑していた。最初の朝、彼は留め金の掛かったドアを開けようとしてあきらめた。今度はドアだと思って窓を開けようとした。弟の状態を見てゲイリーは意気消沈した。次は自分だと思わざるをえなかった。

弟夫婦が立ち去った日、彼はニューヨーク・タイムズ紙を取り上げた。「この見出しが載っていたんです。」彼は私に言った。「『若年性アルツハイマーと関連する3番目の遺伝子』」記事はシアトルのグループが別の研究者との共同作業で発見した研究結果を説明しており、その研究結果は、同じ日に発行されるサイエンス・マガジンに掲載された。ゲイリーは発見された遺伝子が自分の家族のものだと確信した。

彼はサイエンス・マガジンを1部手に入れ記事を開いた。そこには家族の家系図が載っていて、遺伝子保持者は黒い星印で表示されている。遺伝子を持って無い人間は白い星印だった。

その図を見るのさえ怖かった。ゲイリーはその家系図の全ての人を知っていて、自分も載っている事を知っていた。自分は黒だろうか、白だろうか?彼は祖父の代から父の代へと家系図をたどった。14人の兄弟が載っている。そして自分の代へと進んだ。彼は自分の姉、アルツハイマーの診断を受けた姉が黒い星印で示されているのを見た。弟が黒い星印なのも見た。その間に挟まっているのがゲイリーだ。彼の星印は白だった。彼は成人してからの人生を全て、この遺伝子の準備をして過ごしてきた。そして驚くべき幸運の元、彼は遺伝子を持っていなかった。

私に話してくれたところでは、彼が最初に感じたのは、「軽さでした。何か重りとか、荷物とかが、自分の肩から取り払われた感じです。」数時間の間、彼は夢うつつだった。記事で浮かれていた。もう子供たちも遺伝子で悩まされる必要は無い。妻は、病の深い深淵に沈んで行くゲイリーを看病する事を、思い煩う必要が無い。彼は、自分が受け継ぐ重荷を受け止める準備をして人生を過ごしてきたのに、その重荷から逃れられたのだ。

しかし直ぐに、彼の気分は喜びから悲しみへと変わった。「私が、自分自身や子供達に対して感じた幸福感は、自分の兄弟達や家族が直面しているものへ、光を当てたのです。」ゲイリーは言った。

10年前ゲイリーとダグは、オクラホマで家族が集まった時の事について、少しだけ話した事がある。40年前の運命的なピクニック以後、2人が会ったのはその時が初めてだった。そして2009年、シアトルで、彼の家族についての本「The Thousand Mile Stare(千マイルの凝視)」を執筆中のバードに会ったゲイリーは、ダグとイオーネに会う事を決意した。2人は話し合った。ダグはゲイリーからDIAN研究について学んだあと、研究のフェーズ1に参加した。彼のテストは3月、セント・ルイスのワシントン州立大学で3日間かけて行われた。

ダグが最初に受けたのは認知力耐久コースだった。それは、次第に困難になるタスクをこなしていって脳を使いきり、限界を見極めるテストだ。例えば、ランニングマシーン上を疲れるまで走らせて心臓のストレステストをするようなものだと、ベイトマンは言った。目標は観測可能な基本値を得る事だと言う。アルツハイマー病の最初の徴候は、難しい認知力テスト、記憶力テストの成績が落ちてくる事であるのを、最新の研究は示している。

最初のタスクは単純だ。1分間に思いつく限りの動物の名前を出すと言うものだ。その他のものは寄り難しい。その内の一つは作業メモリーのテストをするもの。被験者は単純な算術計算を提示される。7+5=12のような。幾つかは正しい答えを示し、幾つかは誤っている。被験者はコンピュータのキーを押して、答えが正しいか間違っているかを示す。1つの問題が終ると直ぐに次の問題が出てくる。3つか4つの問題が終わったところで、被験者は、記憶から、それぞれの問題の2番目の数字を問われる。

ダグはこのテストが相当疲れるものであるのを悟った。午後になると、テストは標準記憶テストへ移る。イオーネは、お金を扱ったり日常生活をする上で、ダグの能力に変化があるかどうか問われた。(回答は「無い」だった)。その後のテストでイオーネは、先週起きた事とか、先月起きた事について詳細に思い出すよう求められた。そして彼女は部屋を出され、ダグが招き入れられ、同じ事を質問された(彼の成績は良かった)。そして初日の最後に、ダグはM.R.I.を撮られた。彼にとって初めてのM.R.I.だった。それはアルツハイマー病の特徴的サインである、海馬(hippocampus)の縮退が起きていないか見る為だった。

次の朝、ベイトマンはダグの脳脊髄液を採取した。ダグの脳と脊髄を満たしている液体だ。10分後ベイトマンは、ベージュがかった透明の液体が半分入った試験管を持っていた。その中にはタンパク質が入っていて、その中には、アルツハイマー病進行状態が判るベータ・アミロイドも含まれている。次の日には、さらなる脳画像の採取があり、そしてダグとイオーネは家へ帰った。

ポート・オーチャードへ帰った後、ダグは自分がアルツハイマー遺伝子を持っているかどうか知りたいと思った。イオーネの話では2人ともダグはセーフだと思っていたと言う。2人の考えでは認知テストの結果は良好で、ダグは既に60歳だった。家族の中でアルツハイマーを発症した人は、殆どが50代で発症している。

去年の3月31日、62歳の誕生日に、ダグは研究所へ行き、血液サンプルを採取した。6月に返ってきた結果はダグもイオーネも予想していないものだった。ダグには変異した遺伝子があった。

「最初の反応はショックでした。」イオーネは言った。2人はダグの40代と50代、緊張した時間を過ごしていた。彼が病の徴候を示すのを待ち続けたのだ。イオーネは今でも、ダグが慣れた道で迷った2回ほどの出来事を覚えている。

「その時思ったんですよ。ああ、ついに来たって。」彼女は言う。「常に付きまとう恐怖に飲み込まれるのは、とても簡単でした。」しかし年月と共に2人はその恐怖を忘れていった。

今それが帰ってきた。「もう既に、一通り経験し終えたような状態でした。」イオーネは言った。この恐怖には彼らの2人の子供たちの考えも織り込まれている。息子のブライアン(Brian)は40歳の既婚者で、2歳の娘がいる。娘のカレン(Karen)は38歳で独身だ。ダグと同じ様にカレンは自分も知らねば成らないと決断し、テストを受けた。彼女は遺伝子を受け継いでいなかった。

イオーネの話では、それがこの一連の出来事の中で唯一の明るい話題だと言う。カレンのニュースを聞いたとき、彼女は自分がどのくらい心配していたのかを実感した。「まるで胸の上から岩が取り除かれたみたいでした。岩があったなんて気付かなかったんですよ。でも今はそれが無くなったんです。」

ブライアンが最初にしたのは、もしもの場合に備えて新しい保険に入った事だった。彼は最初自分もテストを受けたいと言っていたが、最終的に決心が付かなかった。彼はベイトマンの研究に参加しようと思っている。もし参加すれば、もちろん彼はテストを受けるが、その結果は知らされない。

ダグは、その衝撃的なニュースがどのくらい自分に影響しているか、殆ど話さない。彼は仕事を続けていて、65歳で引退する事を考えている。そしたら、たくさん釣りをしたり、家の修理をしたりするつもりだ。

彼は又、DIAN研究の薬品フェーズにも参加したいと思っている。彼にとって研究は、試薬を投与されるグループに割り振られる事で、避けがたい事態を遠ざける一つの希望なのだ。

しかし仮に薬の効果が証明されたとしても、どの時点で薬を投与し、どのような処方が最善かを、ベイトマンと彼のチームが明らかにするには時間がかかる。今後数年以内に治療法が確立される見通しは高く無い。

ブライアンについては、若しも遺伝子を持っていたとしても、症状が現れる前に、科学が正しい薬を正しい時期に見つけ出してくれるだろう。そして仮に彼の娘も遺伝子を持っていたとしても、やはり彼女が自身の不吉な未来に直面する頃までには治療法が存在しているだろうと、研究者達は予想する。それが自分達の頼みの綱なのですと、イオーネは言った。「私はブライアンを身ごもるまで、アルツハイマーと言う言葉さえ聞いた事がありませんでした。」彼女は言った。「そして、その時点では何の希望も無かったのです。もし遺伝子を持っていたら、それで終わりです。」その間にも、彼女とダグの人生は続いてゆく。「私達はその状態に留まったままです。人生は残酷なものにもなりうるのです。」

~~ここまで~~

次回更新は7月14日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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