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ラドクリフ選手欠場

オリンピック関連の記事をUpします。

記事を書いたのはクリストファー・クレイリー(Christopher Clarey)さんです。元記事はここにあります。

ポーラ・ラドクリフ(Paula Radcliffe)さんの記事です。

~~ここから~~

ついにたどり付けなかったフィニッシュ・ライン

ロンドンにて――仮にその勝利が簡単で、大した距離に感じなかったとしても、ポーラ・ラドクリルは、いつも苦しんでいるように見えた。彼女の頭はストライドの度に揺れ動く、まるでその細い体と敏感な心にとって大きすぎる負担に耐えているかのように。

しかしオリンピックで感じる痛みは錯覚などでは無い。そして日曜日に感じた痛みは、遥かに遥かに大きなものだった。

依然として歴史上最も早いマラソンランナーであるラドクリフは、英国オリンピック・チームから抜けた。足関節の病状悪化が、最後のチャンスとなる試合までに回復する見込みが無かった為だ。

その事態は予想された事ではあったが、だからと言って悲痛さが和らぐものでも無い。

オリンピックは不公平に切られたトランプだ。ロンドンには10,000人以上のアスリートが参加する。その数は4年前の北京と同じくらい。その中の数百人しかメダルを持ち帰れない。その意味するところは、オリンピック精神を歌い上げる数多くの歌詞に関わらず、試合が行われるトラックやマットや良く手入れされた競技場では、喜びよりも失望の方が多いと言う事だ。

日曜日にアメリカのスター体操選手、ジョーディン・ウィーバー(Jordyn Wieber)は泣いた。女子個人総合の決勝に残れなかったのだ。彼女はその競技の世界チャンピオンであるにも関わらず。

しかしウィーバーは未だ17歳で最初のオリンピックだ。まだロンドンでもこの後のオリンピックでも表彰台に立つチャンスが残されている。ラドクリフは38歳で最後のカードを切ってしまった。

今、同情を寄せるべきオリンピック選手としては彼女以上の人はいないかも知れない。

「ロンドンが次のオリンピック会場に選ばれたその日から、ロンドン・オリンピックに参加して良い成績を上げるのは、私の人生の大事な目標になりました。」ラドクリフは声明を読み上げた。それは声明と言うよりもエッセイのように聞こえた。

「故国で5番目のオリンピックのゴール、これ以上のものがあるでしょうか?前2回のオリンピックでの苦い失望を癒すチャンスでした。数多くの困難な時間に、その目標が私を奮い立たせ、励まし、集中させてきました。だからこそ、最終的に、それがかなわないことを自分自身で認めるのが、こんなにも辛いのです。」

「私のスポーツは美しいスポーツです。私はこのスポーツからとても大きな喜びと面白さを受け取りました。自分がこのスポーツでより良い人になれたと思っています。そして幸運にも、とても大きな成功も収める事が出来、数多くの美しく幸福な思い出を手に入れました。」

「しかしながら、欠点としては、頭や心が望むように単純には体が動かないような時、幾度と無く精神や心が破れてしまう事でしょうか。」

ラドクリフの頭と心は、1996年アトランタ五輪の5000メーターで5位になって以来、体が可能にする以上のものをオリンピックで望んできた。ライバル達に比べてフィニッシュ・スピードで劣る彼女は2000年のシドニー五輪で10,000メーターに変更した。そして最初のラップから最終ラップが始まる前までリードを保った。しかし、デラルツ・ツル(Derartu Tulu)、ゲテ・ワミ(Gete Wami)、そしてフェルナンダ・リベイロ(Fernanda Ribeiro)に抜かれて4位に終った。

ラドクリフは、最も必要な場面で使えるキック力を依然として持っていない。しかし2002年、最終的に彼女は自分に最も合った距離を見つけてマラソンに転向する。比較的平らなロンドンのコースで彼女は2時間18分56秒の記録を作った。女子のみのレースでの最高タイムだった。

翌年を通して、頭を後ろに傾け着圧ソックスを履いた足を高く上げる彼女は、持久走の世界でさらに遠い場所へとたどり着く。

2003年ロンドン・マラソンで彼女が出した2時間15分25秒は世界最高タイムだ。そのタイムは、トラックやフィールドで競技する人々がマラソンにおける公式のワールド・レコードと認めるタイムとなった。

この記録は未だに破られていない。この8年間、マラソンにどれだけのお金とタレントが注ぎ込まれてきたかを考えると、大変な偉業だ。才能があり高い意欲を持ったマラソンランナーが、例えばケニアやエチオピアや日本に、いったいどれだけ沢山居ることだろうか。

これら全てのことがラドクリフを、英国で高いグレードのスターにしてきた。そしてそれはオリンピックにおける失望を寄り高めただけだった。道端で、あるいは遠くから、彼女を眺めていた人々にとって、そのイメージは拭い去り難いものだろう。

2004年アテネの猛暑の中、ラドクリフは縁石に座り、腰から上を前に傾けて涙を流していた。残り約4キロメーター、約2.4マイル残した所でよろめき、止まったのだ。

北京にもラドクリフは居た。ルーマニアのコンスタンティナ・ディタ・トメスクが金メダルを勝ち取ったレースで、やはり立ち止まり、再スタートして23位に終った。

ディタ・トメスクが金メダルを取ったのは38歳、銀メダルのケニア選手、キャサリン・ヌデレバ(Catherine Ndereba)は36歳。その事実は、何故ラドクリフが、ロンドン・オリンピックをプロフェッショナルとして考える事が出来なかったのか、最後のオリンピックを楽しむチャンスとして捉えられなかったのか、大勢の群集(彼女の群集だ、)の応援の声を、期待の重荷を感じずに聞くことが出来なかったのかを、説明してくれる。

彼女は、自分に欠けていたものを、真に望んでいた。彼女は本当にそれを望む余り、夫と2人の幼子を残して、ケニヤでの長いトレーニングに臨んだ。

「私の人生で最も重要な3人の人々と離れて2ヶ月間過ごしました、」ラドクリフは言った。「しかしながら、出場するあらゆるアスリートは同じような犠牲を払っています。全てを捧げて準備するのです。そして悲しむべき事に、ゴールを目指して心破れた人は、私だけではありません。最も重要なのは、何時も私が信じていたように、夢のために出来るあらゆる事をしたと知る事です。」

「もしオリンピックがあと6週間早く始まっていたら、ここ暫くの間で最高のコンディションであるのを知りつつ、私は自信を持って出場していたかも知れません。しかし、それはもう判りません。そして私はこういう事を経験する最初の人間でもありません。誰も自分の体の限界が何処にあるか教えてはくれないのです。そしてその限界を押して進むことは、最高のゴールや夢を達成する唯一の道なのです。」

ラドクリフは金メダルを獲得している。2005年フィンランドのヘルシンキで行われたワールド・チャンピオンシップで。大きなマラソン大会で優勝してもいる。ロンドン、シカゴ、そしてニューヨークで。

「私が思うに、ポーラのキャリアがオリンピックのサイクルと合ってなかったと私達が見ている事は重要です。」ロンドンのトラック・フィールド競技の英国チーム・リーダー、チャールズ・フォン・コミニー(Charles van Commenee)は言った。「彼女が歴史上最も偉大な女子長距離ランナーの1人であることは、疑いありません。」

しかし彼女は今、雨の降る憂鬱な日を自宅で過ごしながら、自分が何をおいても避けたかったリストに加わる事となった。オリンピックのメダルを取れなかった偉大なアスリートのリストに。

~~ここまで~~

次回更新は8月11日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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