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RVで風の吹くまま気の向くまま

連休と言う事で旅行記をUpします。

記事を書いたのはアンディ・アイザックソン(Ancy Isaacson)さんです。元記事はここにあります。

RVで巡る自動車旅行の記事です。

~~ここから~~

俺と俺のRV、ただそれだけ

私はウォルマートの駐車場で一夜を明かした。私はバックミラーで後ろに繋がる車を見ながら自然公園を走ってきた。プラスチックのホースを通して排泄物を捨てる方法も覚えた。そして1週間の間に、ありえないと思えるほど何回もガソリンを補給してきた。

しかしこういった事は、予測しておくべき事なのだ。もしも貴方がワンルーム・マンションを運転して出かけようと思ったのなら、あるいは私がそう呼び始めたように、「リグ(rig:装備)」を運転して出かけようと思ったのなら。カリフォルニア州境の辺鄙なところに住むある男は、この車をキュートだとさえ言う。彼はこの車をドリトス(Doritos)のデリバリー・トラックみたいだと言った。

リグは19フィートの長さで白く輝くクラス-Cのモーター・ホーム、国内最大のリクリエーション車両レンタル会社クルーズ・アメリカから借りたRVだ。800-RV-4RENTといったマークが、アメリカの自然公園や自然資産のカラフルなイメージと共に、車の外側、目立つところに掲げられている。

それはバックパックとかに縫い付けられているのを良く見るサインであり、旅行中はなるべく旅行者と思われないよう振舞おうとする人間にとって、誤魔化す必要性を無くすサインでもある。そしてサインにふさわしく、私は今まで一回もRVを運転した事が無い。自分の国の中で、毎年夏に数百万人が経験し、もう100年は続いているであろう行事を、私は一度として経験してないと断言できる。

2ヶ月前にオンラインからRVの予約をした時、私は旅行モードに入った時に必要となる感覚を余り感じていない自分に気がついた。「クルーズ・アメリカのRVがあれば、」ウェブサイトは言っている。「どんな場所でも貴方の心の赴くままです。合衆国全土、それにカナダを、さまよう事ができます。完全なキッチンを備えたRVと共に、貴方はドライブ・スルーの終わりないメニューをスキップし、より満足行く食事やスナックを楽しめます。」さまようだとか、心の赴くままだとか、充分な食事だとか、こういった言葉は、レンタカーとか飛行機の座席とかを売り込む時によく使われる言葉では無い。RVによる自動車旅行は、自由と柔軟性、快適さと利便性において際立った特色を約束する。予め必要なものを確保する負担を感じさせない旅行体験だ。

私は友人のタイソン(Tyson)とアンジェリーナ(Angelina)を誘い、大まかなプランを立てた。カリフォルニア州オークランドからオレゴンへ向かい、帰ってくる8日間の旅だ。私達は何処でも行きたいと思った時、行きたいと思った場所に行く。私達は余り人が訪れない自然公園を巡り、辺鄙な町を訪れ、何処でも適当な場所で眠る。

RVersは道路の上を一定の割合で占める種族だ。そして私が学んだところでは、数千人がオレゴン中心部へ集うと言う。Great RV Rally in the Worldが開催される為だ。7月のある日の午後、クルーズ・アメリカの駐車場で、RVの飲料水レベルのチェック方法だとか、排泄物タンクの捨て方だとかの指示を受けた後、私達はインターステート80へと乗り出した。

RV自動車旅行の荷造りは、週末に快適なキャビンで過ごす準備と似ている。部屋の豪華さを演出し、家庭的な雰囲気を出す為に、私はロウソクとかパプリカ、柔らかい綿のシーツ、それに余分な枕を持ってゆく事にした。私は他にも鋭いナイフ、折りたたみの椅子、楽器を持ち込んだ。そしてアボガドとレモンが入ったボウルをキッチンのカウンターに入れた。私達はコートをクローゼットのハンガーにかけた。私がリグを運転している間、タイソンとアンジェリーナは食料雑貨をしまった。

コンパクトなRVはバンのように運転する事ができる。しかしその大きさは直ちにハンドルを握る私のパーソナリティーを変えた。私は黄色い速度標識により多く注意を払って速度を調節し、あまり車線変更をしなくなった。忍耐強く真っ直ぐに進む事に普段と違った満足感を覚えるようになった。(いずれにしても突然の変更は、引き出しとか棚を開かせ、転がりだした玉葱をあわてて追いかけるはめになるのだから。)高い運転席からはより広い地面が見渡せ、対処が容易になる。カリフォルニアのセントラル・バレーからインターステート5に入ると、道路上のトラック運転手に、より親しみを覚えるようになった。特に最初の夜、ウォルマートの駐車場へ入った時はそうだった。

ウォルマートについて知られている全ての事柄(低価格だとか訴訟だとかパパ・ママ・ショップの頭痛の種だとかいった事柄)の中には、RV旅行者達の夜間駐車場と言うのは入っていない。しかし混雑する高速道路沿いにあるウォルマートの駐車場を夜に訪れてみれば、幾つものモーター・ホームが駐車しているのを見つける事が出来るだろう。

RVerは、しばしば何週間も路上で過ごす。道路は長く、その道沿いにはたくさんのウォルマートが存在している。ウォルマートが認識しているように、RVは自分でバス・トイレを持ってやって来る。そして、もちろん運転手は買い物をする。全ての人にハッピーだ。携帯でサーチしてみたら、カリフォルニア北部のインターステート5では、30マイルに3軒のウォルマートが点在していた。

日没間際、私はレッド・ブラフのウォルマート店に、言わばチェックインした。駐車場には幾つも空きがある。私達の後で、別のモーター・ホームが入ってきた。運転手の中年男性はサイド・ドアの外に足乗せ台を置いて寛いでいた。彼はその場所の半永久的な住人だと話している。土地のコミュニティー・カレッジにそこから通勤している。「今丁度、ジムから帰ってきたところなんだ。」彼は言った。

まだ時間が早かったので、私達は宿主で買い物をした。仲間がビーチサンダルとか飲料水ボトルを買っている間、私はインバーターを買った。RVのガスコンロで夕食を料理し、アスファルトの上にローン・チェアを並べた。一晩中、ウォルマートの輝くネオンサインは青白い月の光のようにモーター・ホームを照らしていた。

朝になると、私達は東に折れてハイウェイ44に入った。カスケード山脈南側の火山の山麓となる一帯だ。セントラル・バレー近辺の、一つの作物で覆われていた肥沃な農地は、とがったモミの木や松の森林に場所を譲った。カリフォルニア州シングルトンで私は手書きの大きな看板を見つけた。「Great Food. Bakery. RVs O.K.」私は、大きな自動車のシートからは、如何に世界が違って見えるかが次第に判り始めていた。大きな図体故に異なったサービスも必要となるのだ。

私達は又、世の中からあまり多くのものを必要としていない。自分たち自身のトイレと小さな売店とモーテルの部屋を持って旅していると、時間をあまり気にせずに気ままな立ち寄りが出来るようになる。私達はさまよう事が出来るのだ。

道路を走っていると、道路沿いにある一風変わった木工ワークショップが目に止まった。「Paul Bunyan. Holiday Log Style Gifts, World’s Best Bird Houses, benches, Teepees and More(ポール・バニヤン、ホリデー・ログ・スタイル・ギフト、世界最高の鳥の巣箱、ベンチ、三角テント、その他たくさん)」車を乗り入れると、背の高い男がチェーン・ソーを握っていた。その男はヘルメットをかぶり、オーバーオールを着て、アメリカ国旗のピンバッジをストラップに付けていた。男はスティーブン・ペローザ(Steven Pelloza)だと自己紹介した。「又の名をポール・バニヤンさ。その名に恥じない生き方をしていると確信している。俺たちはポール・バニヤン自然保護協会なんだ。」

それはプロの木材業者の環境保護グループだとペローザ氏は説明した。「俺たちは森を掃除して製品を作る。例えば世界で最もグレートな鳥の巣箱とか、あそこにあるよ。」彼は松の木から切り出した、2つの穴の開いた箱を指差した。私達はその近辺の様子について少しお喋りをした。彼は私に、アラスカ南東部で木こりをしていた時の経験を話してくれた。それはエクソン・バルデス原油流出事故の後だった。(「トラック一杯の金が払われた。全くのタナボタさ。」)私が出発しようと言う時、彼は巣箱を一つ手に取った。「ほら、」彼は言った。「1つ持って行きなよ。」

原住民のモドック(Modoc)族はカリフォルニア北西部の人気の無い一帯を「神の微笑み」と呼んでいた。そして1915年、この地は神の怒りを招く。ラッセン(Lassen)山頂が噴火し、周辺の標高の高い砂漠を火山灰で埋めたのだ。今日この辺の地区の1つは、公式スローガンとして「未だ西部が残っている場所」を謳っている。しかし板を打ち付けて閉じられた建物が、この地の歴史を物語っている。例えば、オールド・ステーションのアンクル・ランツ・ウォータリング・ホールのような建物。打ち捨てられた邸宅だ。

過酷な開拓民の生活を送っていても、人々は風変わりなユーモアのセンスを失ってはいないようだ。オレゴン州との州境の町、アルトゥラス(Alturas)の通りに並んでいる店は、アウトドア用品店のBelligerent Duck(喧嘩っ早いアヒル)とか、ヘア・サロンのSkirts N Spurs(たぶんSkirts N Sportsの駄洒落)とか、衣料品店のClassy Lassieとかだった。家の芝生にこんな立て看板が立っているのも見た「Land of the Free Because of the Brave (勇気で勝ち取った自由の地)」。アディン(Adin)の町にあったアディン・サプライ・カンパニー(1906年創立)の立て看板には「スターバックスは70マイル先、ここなら直ぐコーヒーが手に入る」とある。

殆どあらゆる町に、骨董品とか収集品を売りに出している住人がいるようだ。「入ってこない人もけっこういるんだよ。」オレゴン州ニュー・パイン・クリークでJust Stuffと言う店を開いて自ら「ハードコア・ジャンキー」だと名乗るサリー・B(Sally B)は言った。「ちょっと顔をのぞかせただけで行ってしまうんだよね。でも中まで入ってきて買ってく人もいる。」私の友人も中に入る口だった。音楽家のタイソンはオモチャのピアノを見つけた。アンジェリーナは黒い革のジャケットとベレー帽を買って出てきた。

その日はあちこちよった為に暗くなってしまい、国有林の中を通る道を数マイル川上に登った川辺に駐車した。

RVは長い間、アメリカの自由と機動性と独立心といった神話と強く結びついた存在だった。西部フロンティアのシンボルである幌馬車を思い起こさせるものだ。

リクリエーション車両(その中には、モーター・ホームとか、5輪トレーラーとか、折りたたみ式キャンピング・トレーラー、旅行用トレーラー、トラック・キャンパー、スポーツ・ユーティリティーRVが含まれる)の類はT型フォードまでさかのぼれる。1922年、ニューヨーク・タイムズはその当時の1080万台の自動車の内、500万台はモーター・キャンピングに使われていると推計している。最初のこれらの「オート・キャンパー」達は、車の外にテントとか荷物を取り付けただけの存在だった。しかし少数の器用な人たちは、布製テントを支えるプラットフォームを取り付け始めた。

やがてテントは硬い壁を持ち、棚や衣装ケースやキッチンまでも備えるようになる。1920年代後半になると、製造業者が「キャンプ・ボディー」を車台に取り付けるようになった。禁酒法の暗黒時代には、アンハイザー・ブッシュ(Anheuser-Busch:アメリカのビール製造業者)までもがRVを作り、フィールド&ストリーム誌に広告を載せていた。

自動車の牽引力が増すに連れ、ハウス・トレーラーのサイズも大きくなった。1930年代後半には、ビルトインのアイスボックスにキッチン・レンジ、水洗トイレがつくようになる。飛行機のようなプロペラをつけて風力発電をするようなのも存在した。

リクレーション車両はバケーションをより安く容易にしてくれた。「『ホーム・スイート・ホーム』何処へ行こうとも」、1936年、コジー・コーチ社製トレーラーの宣伝チラシに書かれた謳い文句だ。「『全部を置いて』今直ぐ出かけるより素晴らしい事があるでしょうか?水辺に出かける。森で狩をする。丘を登る、あるいはただ単に青空の下で寝ころがる。それこそが人生です!」

最初の頃、オート・キャンパーは「ジプシー」とか「ゴミ箱トレーラー」とか「ブリキ缶ツーリスト」とか呼ばれてからかわれた。1919年の冬、22組の家族が、手製の移動式シェルターをタンパ近郊のデソト・オート・パーク(Desoto Auto Park)に停めた。そこはフロリダで最初のパブリック・キャンプ場だった。そこで彼らはRVの親睦会、アメリカ・ブリキ缶ツーリスト(Tin Can tourists of America)を設立する。会員数は1935年までに300,000まで膨れ上がった。

今日では、数多くのRVクラブが存在し、もちろんブログも存在する。その内の幾つかは特定のRVブランドに特化している。例えば、1955年に設立されたワリー・バイアム・キャラバン・グラブはエアストリーム(Airstream:ワリー・バイアム(Wally Byam)氏が作ったRVおよび会社の名前)のオーナーの会で今日5,600名の忠実なメンバーを持っている。他にも、特定のRVライフスタイルに特化したものもある。例えばエスケーピーズ(Escapees:脱獄者)は「フル・タイム」の人間のクラブだ。

The Greatest RV Rally in the Worldは年3回、国内の別々の場所で開催する大会で、丁度オレゴン州レッドモンド郊外のエキスポ・グラウンドで開かれていた。その大会には、870,000組のメンバー家族を抱える世界最大のRVグラブ、Good Sam Clubが参加している。私と友人達がその場所に着いた時、丁度、夕べのエンターテイメントとして、1960年代の流行歌手、甘い歌声のボビー・ビントン(Bobby Vinton)がメイン・ステージに上がったところだった。

受付の建物で参加者は、合衆国の地図を、自分のホーム・タウンにピンを立てて飾っていた。ピンが立つ場所はハワイやアラスカから国境の町、テキサス州ファー(Pharr)にまで及んでいる。あるRVはフロリダ州南部のホームステッドから来ていた。3,191マイルの彼方だ。黄色いポストイットが1つ東海岸の外にある。それにはドイツと書いてあった。

私は駐車場代金を奮発して、完全な電気・下水道設備の整った場所にした。セージの茂みに点在する2,500台のリグは、マリーナに停泊するヨットのようだった。アメリカ国旗や州旗を頭上に掲げ、花瓶に入った造花がフロント・ドア前に敷いた人工芝の上に置いてある。住人を示すプラカードが窓にぶら下がっていた。プラカードには例えば「グラミー(Grammy)とグランピー(Grumpy)のモーター・ホーム」と書いてある。あるモーター・ホームが特別に私の目を惹いた。おそらくその辺りでも最も豪華な車、あるいは最もすさまじい車だ。45フィートで黒と褐色のブチに塗られたカントリー・コーチ・ベランダ(Country Coach Veranda)400。ガラス壁の屋外デッキがリビング・ルームの横に取り付けられていた。

その車のオーナー、アイオワ州アトキンスから来たスティーブ・コリンズ(Steve Collins)は、デッキの上で革のバー・スツールに座り、おかしな熊の足形スリッパを履き、ビールを飲んでいた。42インチのフラット・スクリーン・テレビでは野球の試合が映っている。そのリグは車輪に乗った小型邸宅だ。モーター・ホームの横に3台の電動スケート・ボードと1台のゴルフ・カート、オモチャの電動リモコン・ヘリにプラスチックのナスカー・レーサーが並んでいる。これら全てはRV下部の大きな格納庫にフィットしている。「俺は世界で最も幸運な男さ。」彼は私にバドワイザーのボトルを勧めながら言った。「この車を見る度に誇らしくなるんだ。」

コリン氏と彼の妻の話では、自宅ではRVは、家の横、リモコン・ゲートの向こうに駐車していると言う。出かける度に2頭のグレートデンと数羽のパラキート(インコの一種)を連れてゆく。パラキートは、コリンズ夫人がローン・チェアの上で、売りものとして宣伝していた。コンビニに車で出かけると、子供たちがコリンズ氏に、ツアー中の音楽家なのかと聞いてくると言う。彼にはそれが、何よりも楽しみだ。RVには自慢のナンバー・プレートがついていた。TOYZILLAと書いてある。コリンズ氏の話だと妻はIGOTMINEが欲しかったのだと言う。しかし彼は人から恨まれる事はしたく無かった。「俺が欲しかったのはPRIAPISMだったんだけどね。」彼は言った。

ラリーでは夜に開催されるエンターテイメントが付随している。その中にはカントリー・シンガーのヴィンス・ギル(Vince Gill) (「ようこそ、キャンパー達!まあ、RVは本当はキャンプじゃ無いけどね。」) とか、1960年代のブリティッシュ・インベーション・ロック・グループ、ハーマンズ・ハーミット(Herman’s Hermits)とかがいた。ショーの前、私は、6,500人のラリー参加者の中、1798人で行ったギネス世界記録、同時ハイ・ファイブの兆戦に参加した(そして私達は記録を達成したと信じていた、しかしノルウェーのグループが2週間前にもっと多い記録を作っていた)。

私は又、エキスポ・グラウンドのテントで朝に開催されたドッグ・ショーも見た。「犬用スイムスーツ・コンペティションが最初です。直ぐに水着を着させてください。」M.C.が開会の宣言をした。「ゴミ袋がいる人はステージの後ろにありますからね。」1ダース以上のRVオーナーが自分たちの犬を歩かせた。犬達は色とりどりのスイム・キャップを被り、プラスチックのサングラスをして、ビキニのパンツを履いている。1頭の犬は赤い紙の冠を被っているだけだった。サインボードには「2011年ヌード・ビーチ・クイーン」とあった。

「私達はここに真の水着美犬を数頭、紹介したいと思います。」M.C.は言った。ポール・アンカの「Puppy Love」のサウンド・トラックを背景に、黒いラブラドールが前を通って行った。ピンクのポルカ・ドットのワンピースを着てスイミング・ゴーグルをつけている。次に続くのは飼い主が使っていたSpeedosを着たビションフリーゼ。ピンクのトーネイルを塗った、ふさふさの黒いプードルも通って行った。「ダブル・ビジョン」カテゴリー(犬と飼い主がどれだけ似ているかの競技)で、1人の参加者がペットのチワワ・シェパードを連れて入ってきた時、テントの中がしのび笑いで包まれた。「皆が何を考えているか判ってるよ。」M.C.が言う。「チワワ・シェパードのセックスは本当に可笑しいからね。」

RVラリーにはいつも、同志愛と商業主義が付きまとう。そしてGreatest RV Rally in the Worldの開催場所には真剣な商売も存在する。ベンダーはRVとかRV日よけとか、衛星テレビ・パッケージとか武器秘匿許可証とかを売り込んでいる。そしてセミナーも開催されていた。「グリーンRV(別に撞着語では無い)」とか「道路上で快適に元気でいられる方法」(緑茶を飲んで訓練しなさい)とかだ。

私は、メリーランドから来た引退した夫妻に会った。2人はこのイベントの後、ワシントン州コロンビア峡谷へ向かうと言っていた。彼らの話しでは、その後は「何処へでも風の向くままさ。」ミシガンから来たフル・タイマーは、道路上の生活の為にどうして家を売る事が出来るのか、友人達から何回も訊かれたと言う。「だってただの財産だもの。」彼女は言った。「これが私達のやり方なの。どこでも自分のいるところがホームなのよ。」私自身はおそらく、ラリー参加者では若い方になる30歳そこそこで、たぶん唯一のレンタルRVドライバーだ。でもこういった言葉は私にも理解できた。彼らはさまよう事に傾倒したドライバーなのだ。クルーズ・アメリカの言葉で言えば、何処へでも心の赴くままに出かける人達だ。

ラリーで3日間過ごした後、私と友人達は風に吹かれて西へ向かい、カスケード山脈へ入った。途中、クレーター湖国立公園を通る。いつも思い描いていた通りの地球に空いた荘厳な青い陥穽だった。私は自然公園内の道路近くに自然なままの温泉があると友人から聞いていた。それで砂利の駐車場へ入り、屋外トイレの横に停めた。トイレには看板がかけてある。「裸体。ウンプクア(Umpqua)温泉ではヌードでの入浴が一般的です。もし貴方が嫌なら、入場をお勧めいたしません。」

私達の隣に停まっていたのは、植物油で走るクリーム色の1966年製、ギリス・スクールバスだった。黄色いフォルクルワーゲンのバンを引っ張っている。乗客はそこらをうろついているようだった。1人の女性は、黄色い髪をドレッドロックにして、革の小片で作ったキルトスカートを履き、コヨーテの尻尾をつけていた。私はこのグループに何処へ向かっているのか訊いた。

「私達はジプシーさ。」1人の男が答えた。「動き出す時が私達の動く時なんだ。」他の1人はパンツに「I may be lost but I’m Makin good time(たぶん道に迷っているんだけど、うまくやってるのさ)」と書いてある。その人物が言う事には、「1998年から風の向くまま」であるらしい。

彼らのドライバー、マニー(Manny)と言う名の髪の長い男が話してくれたところでは、ワシントン州で毎年行われるレインボウ集会で他のメンバーを乗せたばかりだと言う。マニーは着古したオーバーオールにグレートフル・デッドのTシャツと茶色のパーカーを着ていた。彼のバスにはFamily Coach Motorhome Associationのプラカードが付いている。それはラリーに参加した多くのRVも付けていたものだ。ボビー・ヴィントン(Bobby Vinton)のコンサートで会った引退した人達とマニーを、同じグループとして見ることの違和感と私が戦い始めた時、マニーは、自分がGood Sam Clubの永久メンバーでもあるんだと言った。

「だけどキャンプ場から追い出されちゃったんだよ。」彼は気にする風も無く言った。「彼らが言ったのは、『お前のバスは古すぎる。他のキャンパーが隣に来たがらない。』とかそう言った事さ。」

ウンプクアは横道に逸れたがる人々を惹き付ける場所のようだ。浴槽は険しい川岸を削って出来ていて、霧のかかった針葉樹(hemlock)の森を見下ろしている。その内の1つには日本人家族が、穏当な入浴着を着て入っていた。私は別の浴槽に入り、別の2人組とお喋りをした。彼らはオレゴン州海岸で行われていたKinetic Sculpture Race(動く彫刻レース:人力で動く水陸両用の彫刻のレース)から家へ帰る途中だと言う。夜の帳が下りると、近くにいた新異教主義(neo-pagan)の女性達、オレゴン州南部の「夏の魔女キャンプ」で会ったばかりだと言う女性たちが賛美歌を歌いだした。

ハーベスト・ホスツ (Harvest Hosts)と言うのは、新しいプログラムの名前だ。そのプログラムは国内のワイナリーや農場でRV旅行者を無料で泊めると言うものだ。(例えば、シングルトンのベーカリーでは、RVはO.K.だが、普通の自動車はダメだ。)年間のメンバーシップは35ドルで、入会すれば国内のホストのネットワークにアクセスできる。私達が次の日の夕方、ローズバーグ近郊のヒルクレスト・ボンデッド・ワイナリー44に到着したのは、そのプログラムの為だ。

経営者でワインメーカーのダイソン・デマラ(Dyson DeMara)は気取らない様子で歓迎してくれた。彼は私達に素敵なワインを注いでくれた。ヒルクレストはオレゴン州で最も古くからワイナリーが存在している場所で、州で最初にピノ・ノワール・ワインを産出した場所でもある。

彼はテイスティング・ルーム横の草の生えた空き地を指差し、夜の間そこにリグを停められると言った。隣には石造りの炉が出来ていて薪が積まれていた。「それがワインの精神なのさ」と言うのが、どうしてボランティアのホストになろうと思ったのか訊いたときのデラマ氏の答えだ。「新世界のワインはビジネスだろうさ。しかし旧世界のワインは、自分の扉を開くような、そんな仕事なんだ。」

私達は州境を越えてカリフォルニアへ戻り、クレセント・シティからハイウェイ101に入った。そこで私は、曲がり角のSTOP標識にもたれかかり、杖をつかんだ人間が親指を上げているのを見つけた。リグには空きがあり、その人物は危険そうに見えなかったので乗せてあげることにした。

彼の名はダン(Dan)と言った。現在61歳。以前ノース・カロライナでトラック運転手をしていたと言う。礼儀正しくゆっくり話す男だった。彼は通りすがりの何にでも乗せてもらいながら、ヒッチハイクで西海岸を南下していた。ダンの話では、1年前にハーレーに乗っていて鹿とぶつかって入院したと言う。医師に余命わずかしか無いと言われたが、まだ命が無くなったわけでは無い。それで自分のセカンドライフを見つけてやろうと思って、西方のシアトルへ向かうバスに飛び乗った。

ダンは、マニーと仲間のネオ・ヒッピー「ジプシー」達のようなやり方でさまよっている。丁度Good Sam ClubのRVer達や100年前のブリキ缶ツーリスト達と同じ様に。私のリグも又、私に似たような自由を与えてくれた。予約も取らず「心の赴くままに」うろつく事がもたらす何ものかだ。それはつまり、終わりの無いドライブ・スルー・メニューなのだろう。

~~ここまで~~

次回更新は10月13日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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