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ポール・ライアンに負けは無し

大統領選挙関連の記事をUpします。

記事を書いたのはマーク・リーボビッチ(Mark Leibovich)さんです。元記事はここにあります。

共和党副大統領候補ポール・ライアンさんに関する記事です。

~~ここから~~

ポール・ライアンに負けは無し

9月末の月曜夜、ポール・ライアンはシンシナチアン・ホテルに借りたスイートのソファの端に腰掛けていた。彼は左手でミラー・ライトのビンの首を握っていたが、余りにも強く握り締めていた為に血管が浮き出ていた。それは長い1日の終わりだった。その日の朝、ライアンは故郷のジェーンズビレで目覚めた。彼は故郷での週末を副大統領ディベートの準備をして過ごした。月曜日の早朝彼は2人いるファンド・レイザーの最初の人物の所へ飛んだ。直後に地方のテレビ局3社のインタビューを受け、フォックス・ビジネス・ネットワークで少し話し、さらにはタウン・ホール・ミーティングをこなしてから、30分ほどミット・ロムニーと電話で話した。そしてやっと最後にソファに腰掛け、彼のフットボール・チーム、グリーン・ベイ・パッカーズがシアトル・シーホークスと対戦する「マンデイ・ナイト・フットボール」を見る事が出来たのだ。キックオフ数分後、旅行中ライアンの帯同報道官を務めるマイケル・スティール(Michael Steel)が私をスイートへ入れてくれた。部屋ではライアンが、兄のトービン(Tobin)、キャンペーン・アドバイザーでオハイオ州上院議員のロブ・ポートマン(Rob Portman)と試合を観戦していた。

「彼が僕に痛撃を与えた記者かい?」ライアンは握手の手を上げながら訊いた。彼は緊張を解いて場を取り繕う皮肉を扱うのが得意だった。親密さのサインを送り、どっちが有利にゲームを進めているかを運命論的に受け止めるような皮肉だ。42歳のライアンはテレビで見るよりずっと若く、骨ばった人物に見えた。彼の話だと、子供の時は髪型が似てたので、エディー・マンスター(Eddie Munster:怪物が出るテレビドラマ、マンスターズの子役)みたいだとからかわれたと言う。この記事を書く間にも私は、彼の事を、グレッグ・ブラディー(Greg Brady)に似てるとか、「Glee」の音楽クラブ・ディレクター、ウィル・シュースター(Will Schuester)に似てるとか、「Twin Peaks」でスペシャル・エージェントのデイル・クーパーを演じたカイル・マクラクラン(Kyle MacLachlan)に似てるとか、コウモリに似てるとか、フクロウに似てるとか、「Growing Pains」のボーナー(Borner)に似てるとか言う話を聞かされてきた。

「自由にリブ(あばら肉)を取ってくれ。」握手をするとライアンは言った。その部屋に居る人間は皆、膝に皿を乗せて、リブとかチキンとかコールスローを取っていた。ライアンがオハイオ州オックスフォードのマイアミ大学の学生だった頃良く行ったシンシナチ・バーベキュー店から取り寄せたものだった。TVの試合は酷いものだった。犯罪だとライアンは言った。審判団のロックアウトを強硬に決着させてスタートしたこの試合で、シアトルは最後のセカンド・タッチダウン・パスを成功させた。しかしそれは、インターセプトか攻撃側パス妨害を代替審判が宣言してしかるべきパスだった。翌日朝の集会でライアンは、代替審判の出来の悪さをオバマ大統領の経済運営と並べて非難する事だろう。しかし今や災難はパッカーズのオフェンス・ラインにも及んでいた。オフェンス・ラインはシアトルのパス・ラッシュに引き裂かれていた。ファースト・ハーフで既にクォーターバックのアーロン・ロジャーズ(Aaron Rodgers)は8回もパス・ラッシュに飲み込まれた。「そして私達はこのラインマン達を集めてきたわけだ。」ライアンは言った。

ライアンは自分のスケジュールをパッカーズの試合に合わせて組むようにしている。パッカーズは合衆国で唯一のコミュニティーに運営される非営利のプロスポーツ・チームで、ライアンはパッカーズの株を持っている。「僕はオーナーの1人なんだ。」彼は誇らしそうに言った。3月にロムニーは普通の人らしさをアピールしようとして、2人の友人の話を持ち出したが、その友人が2人ともN.F.L.の大物と判って顰蹙を買った事があった。私はその話を念頭に、ミット・ロムニーの、N.F.L.を所有する富豪の友人達の1人になるのはどんな気分だいと、混ぜっ返したのだが、ライアンは何の話か判らないようだった。あるいは判らないふりをしていたのかも知れない。

ライアンが座ったソファの反対側にいたポートマンが、テレビの横に置かれたガラスボールを指して、私のリブに「ソースを使えよ」としきりに勧めた。以前下院議員を務めていてホワイトハウスの予算ディレクターだった事もあるポートマンは、副大統領レースにおけるライアンの同伴者の中でトップとなる人間だ。この富裕な上院議員に対する否定的な見解の1つとして、彼がロムニー的な鋳型にはまり込んだグレイ・プーポン・リパブリカン(グレイ・プーポン:Grey Pouponは高級マスタード、お高く留まった共和党員と言ったようなイメージ)として見られるだろうと言うものがある。それは正にライアンのイメージ、鹿狩りが好きで、フットボールを愛し、ロックバンドのレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを聞くと言った庶民的スタイルで相殺しようとするイメージだ。シアトルのクォーターバックがミッドフィールドからロングパスを放った時、そしてポートマンが私を見て再び「ソースこそが大事なんだ」と言った時、ライアン兄弟は2人して同時にうめいた。シーホークスが7-0でリードしたのだ。ライアンはビールをあおり、鼻を鳴らすと、その後何度も言及する事になる酷い鼻風邪について初めて口にした。「本当はアルコールを飲まない方が良いんだ。」彼は言った。「だけどこのリブだろ、フットボールだろ。飲まずにいられないだろ。」そして彼は何回か咳き込んだ後、セコンド・ハーフはベッドで寝ながら見ると言った。

10月初め、私はケンタッキー州ダンブルへ旅し、副大統領候補ディベートを見た。ライアンは、若干鋭さに欠けたとしても充分満足の行くパフォーマンスを、ジョー・バイデン(Joe Biden)の何時もの精力的な話しぶりに圧倒されながらも披露した。この選挙運動を彩る一連の物語の中で、この夜のディベートは、とても面白い勇気付けられるスペクタクルとして振り返られる事になるだろう。たとえ最終結果にほとんど影響しなかったとしてもだ。私にとって最も印象的だったのは、ロムニー陣営と一般の共和党員に突然訪れた、ほとんど陽気とも言えるムードだった。スピン・ルーム(報道関係者が集まった部屋)では、シーン・ハニティー(Sean Hannity)がハイ・ファイブをし、代理人達は口々に「次期副大統領」の健闘を称えた。その様子はまるで、ほとんど負けを覚悟していて、残された作業は予防措置的な、次は何だ、あるいは誰だ、といった自己分析のみと言った暗い期間の後、まるで初めてその時彼らの頭に、勝てるのではないかと言う考えが浮かんだかのようだった。

9月終わり頃に私がライアンの取材を始めた時、ミット・ロムニーを巡る状況は良く無かった。悪い状況の中、自己分析はライアンにも向けられていた。特に、何故彼がもっと大きな目立つ役割を選挙戦で果たしていないのかに向けられていた。なんと言っても主役のロムニーは状況を打開できそうも無く、多くの保守派は彼を、何故穏健派を候補に選んではいけないかを示す新たな事例に書き加えることで済まして、次へ行こうとしていた。選挙戦は蛇に咬まれたようにダラダラと進む。7月にはロムニーのヨーロッパ・ツアーがあり、8月には反発力の少ないロムニーの集会があり、失敗に彩られた9月が過ぎ、最終にロムニーの力強いパフォーマンスが見られた(あるいはオバマの恐るべきパフォーマンスが見られた、どちらの見方をとるかは人それぞれだ)10月3日の第一回大統領ディベートへと続く。しかしライアンには、苦悩する選挙戦にちりばめられた罠は何の傷も残さなかった。彼の選挙戦にも彼自身にも。「大統領選挙における良き兵士である事には何にも悪い面が無い。ライアンはそれが判るくらい充分賢いのさ。」アイオワ州共和党で政策ディレクターをしていたクレイグ・ロビンソン(Craig Robinson)はそう私に言った。その日は副大統領ディベートの2日前で、彼はダビューク(Dubuque)で行われるライアンの集会へ向かうところだった。「ロムニーが負けたらG.O.P.が直ぐに次へ向かう事には何の疑問も無い。」ロビンソンは付け加えた。「そしてライアンも次へ向かうさ。」

彼は多くの共和党員が意識し、表明し始めている考えを口にした、――オバマが再選されたとしたら、それは悪い事ではあるが、党には新たな顔が現れるかも知れないと言う考えだ。4年前の手痛い敗戦があり、予備選における異様な展開があり、出来の悪い夏が過ぎ、今や、より若々しく活動的で真に保守的な未来を考えるべき時だ。多くの人にとってポール・ライアンはその未来のキーとなる人物の1人だ。唯一のキーでは無いとしても。実際に副大統領候補として彼を選択した事により、保守派エスタブリッシュメントを何回も悩ませた2つの基本的な問題点が簡単に消え去った。その1つは、彼らの標準を体現するべきロムニーは隠れた穏健派で、ハードコアな「保守運動家」の支持を勝ち取れない事。もう1つは、ティー・パーティー運動を駆り立てた熱狂が、危険なほど反知性的な係累を招き寄せた事。サラ・ペイリン、ミシェル・バックマン、ハーマン・ケインなどによって体現される人々だ。私がライアンに、今日の共和党は2年前より「アイデア・ベース」になってないかと聞いた時、彼はその鋭い眼差しを細め、深く肯いて、イエスと言った。私はさらに彼の意見を聞いた。幾人かの保守的ポピュリズムの人たち、例えばペイリンやバックマンのような人たちの、言わば、知識忌避的な傾向についての意見を。もちろん、彼がこういった人達やその支持者を、あからさまに批判できない事は明らかだった。「僕はポーカーフェイスを貫かせてもらうよ。」ライアンはそう言うと、きつく唇を引き結んだ微笑を浮かた。

ロムニーが熟慮している間にも、右派の評論家の間でライアンは、明確に副大統領候補として選択するべき人物と見なされていた。(「共和党の知的リーダー」と題し、スティーブン・F・ヘイズ(Stephen F. Hayes)とウィリアム・クリストル(William Kristol)はウィークリー・スタンダーズへ記事を書いた。(クリストルはこの雑誌がホストとして開催した2007年のクルーズで、ペイリンを「発見」した人物の1人と見なされている。)ライアンは数人の競争相手の間では大穴と見られていた。彼は若過ぎる。保守的であり過ぎるし、メディケアの改革案の為に高齢の選挙民に嫌われる可能性が高過ぎた。他にも欠点として、全国的選挙で広い層から支持を得るには、彼は頭でっかちの「がり勉」タイプであり過ぎると言うものがあった。こういった批判は、実際はお世辞である裏返しの批判の類だろう。別の言葉で言えば、彼は「頭が良すぎる」とか「存在感があり過ぎる」とか言う、選挙演説から切り出した謳い文句の短縮形だ。

ライアンはワシントンではしばしば、「真面目な男」と言う外套を身にまとう。これは両方の陣営からつけられた世評だ(オバマ大統領は2010年に彼の予算案を「真面目な提案」だと呼んだ)。そしてライアンが選ばれた時、ワシントンD.C.の指導的思索家はロムニーの大胆さと実際的行動を称えた。私がライアンに接近した時、彼を取り巻く全ての人間は、彼が正に重要事項の細部に注意を払う人間である事を売り込もうとしていた。私がバーベキュー・ソースの味を褒め称えたのに満足したロブ・ポートマンは、ライアンのスイートから出る際、その日のリマでのタウンホール・ミーティングに出席したかどうか私に尋ねた。私はイエスと答えた。

「いったいどのくらいの数の政治家があれを出来ると思う?」ポートマンは訊いた。

「あれとは?」

「あそこまでの知的正直さと細部へのこだわりを持ちながら、群集の前に出て行くって事さ。私は感心したよ。」

「そして酷い鼻風邪も一緒にね!」ライアンが割り込んだ。

ライアンは、激しい野望を羊のような無頓着さで包む才能を持っている。わざとやっていると見せないで他人を感心させ続けると言うのは、政治家として重要なスキルであり、過去および現在の多くの政治家が持っていないスキルでもある。彼は又、全く正確でも専門的でも無い事柄について、正確で専門性があると言う印象を与えるのに長けている。彼は自分のイメージを注意深く研ぎ澄ましてきており、演台の上に立つとそれをためらう事無く演じて見せる。9月の終わりごろ、ライアンは自分の舞台を演出するスライドショーを作った。「僕は言ってみればパワーポイント野郎なのさ。何時も持ち歩いているんだ。」彼の話では、パワーポイントを最初に使ったのはフロリダ州オーランドでの事だったと言う。それは安心感を与えるお守り無しに上手くコミュニケートできない自分の明らかな欠点に対する言い訳のようだった。彼のパワーポイント・プレゼンテーションは、極めて基本的な4つのスライドからなるチュートリアルで、第2次大戦以降、国の債務がどの位増えているかを示していた。恐らくは小学5年生であれば意味をつかめるだろうものだ。彼の故郷の群集は皆同じように肯き、不都合な真実に対する自分達の理解力を信頼する彼を称えた。パワーポイントの巧さと、ロックバンドAC/DCのような激しいエネルギーの組み合わせ(ライアンがステージに上がると「It’s a long way to the top if you wanna rock’n’ roll」と鳴り響く)が、あまり控えめとは言えないメッセージを届ける。そのメッセージとは、ライアンは全くロムニー的で無い次世代ハイブリッドの人間であり、真実の話をするために、その場にやって来たと言うメッセージだ。

しかしどんな全国キャンペーンにも、何かしらの困難が付きまとう。彼の健康であるとか(鼻風邪は何週間も続いた)、彼の忍耐力であるとか(10月初めのミシガン州地方紙のインタビューは怒ったまま終わった)、そして最も重要な問題、実際的保守主義のパワーを伝える伝道者としての彼の世評に対する困難さだ(集会での彼の演説はまるでクリスマスの朝のファクト・チェッカー(fact-checkers:報道内容の正誤をチェックして回る人たち)のようだった)。8月にライアンは、ハフ・ヒューイット(Hugh Hewitt)がホストを務めるラジオ放送で恥をかいた。マラソンで「3時間切り(under three)、2時間後半(high two)」を出したことがあると言ったのだ。(ランナーズ・ワールドの記者がミネソタ州ダルースで行われたグランマ・マラソンの記録を調べた後に、ライアンは自分の実際の記録は4時間1分15秒であると認めた)。そしてもっと大変だったのは「フォックス・ニュース・サンデイ」でのクリス・ウォレス(Chris Wallace)からのインタビューだった。彼はロムニーの税法案が主張する20%の削減をどうやって埋め合わせるのか繰り返し尋ねた。それはオバマ側の選挙運動が、独立機関の試算を引用しながら、10年以上に亘り5兆ドルの負担を政府に強いると主張している法案だった。ライアンはその金額に異議を唱えた。しかしウォレスは容赦しなかった。どんな金額になるにせよ、減税の穴埋めをどうやってするのかを問うた。「これは歳入中立的なんだ。」ライアンは言い続けた。税逃れのループホールや控除を取りやめる事で削減を埋め合わせると言う。具体的にどれですか?彼はそれを言わなかった。そしてウォレスが強いると、ライアンは長広舌(filibuster)に入り、何故政府に金を与えるより、個人に与える方が最善なのか話した。彼は自身の経歴から自分の言葉の信用性を訴えた、(私は12年間も下院予算委員会にいるんだ)。統計数字に含まれる無意味な主観性をあげつらい、彼の決まり文句「我々には出来るんだ(we can do this)」と言う確約を繰り返した。それでも最後にウォレスが再び、どのような数字になるのかライアンに訊くと、ライアンは断言した。「全ての数学を説明するには、時間がかかり過ぎるんだ。」

ウォレスのインタビューはロムニーの選挙戦に問題含みのストーリーを導入した。彼らの数字はちゃんと計算されていないと言うストーリーを。それは同時にライアンのがり勉としての輝きを少し減じさせた。あるいは少なくとも、大統領選挙で党の方針に縛られた状態では、「大胆なアイデア」とか「厳しい現実」の売り手とされる人物でも限界があると言う実地の教訓となったようだ。

2日後にアイオワ州クリントンで、ライアンは友好的な群集の前へ姿を現した。「彼女の質問を受けましょう。」ライアンはパッカーズのジャケットを着て手を上げている女性を指して言った。その女性、リンダ・モリソン(Linda Morrison)は訊いた。「回答は何だったのでしょう?私が訊きたいのは、どうしてもっとハッキリ言わなかったのですか?私は日曜日に貴方がフォックス・ニュースで話しているのを聞きました。貴方は彼の質問、私達がどうするつもりなのかと訊かれて答えなかった。判るでしょう?貴方の計画は何なのでしょう?」

ゆっくりと肯きながら、ライアンは自分達の5つの優先事項リストを読み上げた。エネルギー、貿易、財政赤字、その他。ウォレスの質問は彼の税制に関してだったのだが、彼はそれを最後に上げた。彼は税逃れループホールと控除の削除を、再びどれとは言わずに取り上げた。彼はモリソンに、計画の計算はハッキリしていると確約した。しかしそれは複雑なものだ。「問題は、これを全て説明するのに5分しか与えられていない事なんです。」ライアンは言った。「30分間しか無いテレビ・ショーでは、」彼は付け加えた。「あまり多くの事はできません。」

集会の後、私はライアンにウォレスのインタビューで後悔している事は無いか訊いた。「僕はあまり多くの後悔をするような人間では無い。」彼は言った。そして再び、テレビと言うメディアが提供する製品として、ウォレスに対し明確に述べる事に不本意であると述べた。むしろ、自分の主張が不明確になってしまう事に甘んじると。何れにしろ、ライアンに言わせれば、彼の問題は、余りにも細部に浸ってしまう事であり、それを明らかにするのを嫌がったりはしないと言う。「私は茂みの中にあまりにも深く、あまりにも早く行き過ぎてしまう。それで皆を置き去りにしてしまうんだ。」彼は私に言った。「私はクリスに質問された時、7つの統計情報が頭に浮かんだ。それで、若しこれら全てを引用していったら直ぐに3分は過ぎてしまうと、そう思ったんだ。そしたら視聴者はチャンネルを変えてしまうだろう。」ライアンはこの回答を、彼の決まり文句で締めくくった。「僕を信じて欲しい。」彼は私に再度確約した。「我々は、やると言っている事をやる事が出来る。それについて我々は明確だ。私は何年もの間、数多くの税制改革提案を検討して来たんだ。」

批判的な人間に言わせると、ライアンのスーパーがり勉的立場は、何らかの膨大な知識とか深さ故では無く、彼の同僚達との比較の上で言われているものに過ぎないと言う。ザ・ニュー・リパブリック誌に最近、アレック・マクギリス(Alec McGillis)が書いたライアンの評伝の中で、バーニー・フランク(Barney Frank)は、この同僚の頭脳的評価は、他の下院共和党議員との比較によるものだといって否定している。その下院共和党議員達と言えば、昨夏の議員団のイスラエル旅行で夜遅くに浮かれ騒ぎをした人間が何人もいる。「彼は平均曲線の上に位置しているだけだ。」フランクはライアンについて言った。「平均曲線を作っている人間達と言えば、神様に近づきたいと言ってガリラヤ湖(Sea of Galilee)に飛び込むようなやつらなんだ。」

ジャレッド・バーンスタイン(Jared Bernstein)は、バイデン副大統領の下でチーフ・エコノミスト、およびエコノミック・アドバイザーをしていた時に、ライアンの予算案を読んだ。彼はライアンの名声についてより批判的だ。「全く持って彼は、話の為の話をしているに過ぎない。」彼は私に言った。「彼は一連の特別な言葉をとても巧みに操るんだ。例えば『baseline(基本歳入)』だとか『nondefense discretionary(非防衛裁量:非防衛目的で自由に使える予算)』とかそういった類の言葉をね。」バーンスタインが最終的に到達した見解では、ライアンはおそらく、基本概念は理解しているだろうが、「予算を作り上げる事がどんなものなのかを実際には理解していない。」その事は2010年にライアンが下院予算委員会のチェアマンになってから明らかになりつつある。「私に言わせれば、現時点で彼の予算に関する知識は、彼のイデオロギーの為の見せ掛けに過ぎない。」バーンスタインはそう私に言った。その意味するところは、重要なのは実際に予算を均衡させる事よりも、政府支出とか、メディケアとか、社会保障プログラムとかを切り詰める事、そしてそれらのプログラムに資金を提供する収入源としての税なのだと言う事だ。ライアンを選択する事でロムニーは自分自身もビッグ・アイデアの保守派にどっぷり浸かると言うシグナルを送った。そしてそこに、丁度そういう男が居た。人々に人気があり、下院で好かれている。ビッグ・アイデアをアメリカへ売るのを助けてくれるだろう男が。

ワシントンが巨大な高校のように機能していると言う主張は使い古されてはいるが、現状を良く言い表している。「アメリカの公立高校を経験している人間だったら、1992年に選挙に打って出て、地方の思春期でお馴染みのセックス狂いを認めることで失敗したウィリアム・ジェファーソン・クリントン(William Jefferson Clinton)のような人間を見たことがあるに違いない。」ジョアン・ディディオン(Joan Didion)は前大統領について、自著「ポリティカル・フィクション(Political Fiction)」の中でそう書いた。2000年の大統領選挙の時、ローリング・ストーン誌に載ったジョン・マケイン(John McCain)の 評伝で、デイビッド・フォスター・ウォレス(David Foster Wallace)は、当時一匹狼だったこの共和党員について、「代表選手で好漢でお騒がせ屋、そのパーティーやセックスでの凄さが同級生の間で語り草になるような人物」と書いた。ライアンが実際に、ジェーンズビレのジョセフ・A・グレイグ高校で高校生だった時、彼は何万ものクラブに入り、教師と友達になり、年鑑の中ではクラス1のおべっか使いとして認識されていた。両党の人々は私に、彼の事を、人当たりが良く思慮深く、下院の中では一緒に仕事をし易い人物だと説明する。その他に、彼は傲慢で、自己正当化が強く、下院やホワイトハウスのスタッフ(それにシンクタンクとか政策研究所とかロビイストとか)で党の別にこだわらずに数多く存在する上昇志向の強いタイプの典型だと言う人もいる

多かれ少なかれ、全ての政治家が首都に留まる術を探す中、ライアンは当初から反ワシントン気分を表明していた。「D.C.人間では無い」と言うのが、彼が自分自身を私に説明した時の表現だ。それはシンシナチで、彼が大学時代に愛飲していたベンガル風味のビール、Hu-Deyについて喋った後の事だった。彼は事務所の簡易ベッドに寝る(この下院議員が首都に根を降ろしてない事を証明する言い古されたシンボルだ)。遅くまで働くのに便利だし家賃を節約できる。それに週末、家族に会うためにジェーンズビレへ帰るのにも都合が良い。

事実としては、ライアンは人生の半分近くをワシントンで過ごしている。大学卒業直後から、1998年に下院で当選するまで、一連のスタッフとしての仕事をしている。彼は妻のジャンナ(Janna)、オクラホマ州選出の穏健派民主党員ダン・ボレン(Dan Boren)議員の従妹である女性と、ワシントン近郊のパーティーで出会っている。彼女が法律家およびロビイストとしてプライスウォーターハウスクーパーズ(PricewaterhouseCoopers)で働いていた90年代後半の頃だ。彼は下院でロブ・ポートマン(Rob Portman)と近しく働いていた。数年後にポートマンがジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)政権で予算ディレクターに成った時も一緒に働いた。彼は90年代中頃、ダン・セノール(Dan Senor)と会った。2人が下院のスタッフ・メンバーだった頃だ。ライアンとの一寸した「彼を知ってるか?」ゲームをすると、議事堂関係者の名前が切り無く出てくる。私のニューヨークタイムズの同僚で長年の議会特派員カール・ホルス(Carl Hulse)が出てきた時、ライアンは、自分とカールが、議事堂にあるサロン、バブルスで同じスタイリストのハンナ(Hanna)に髪を切ってもらっているんだと言った。

ライアンと話していると、彼がキャリアの各段階全てで関わってきたメンターの多さに感心させられる(おそらく、さらに多くの人が自らをメンターだと言っている事だろう)。彼は自分のそういった傾向を、速いうちに父親を亡くしたことに帰している。父は優秀な法律家で彼が16歳の時に亡くなった。ライアンは21歳の時にワシントンに来て、次から次へと保守派の著名人の知り合いになった。その多くは彼の上司だった。彼はレイガン時代の教育相ウィリアム・ベネット(William Bennett)の下で働き、彼とは何年間も共にコロラドの山登りに出かけた。やはり前下院議員でサプライサイドの賢者、ジャック・ケンプとも働いた。2009年になくなったケンプはライアンの父親代わりとも言われていた。「彼は直感的にどう振舞えば良いか判るんだ。」前下院議員でカンサス州知事のサム・ブラウンバック(Sam Brownback)は言う。彼とライアンは90年代中頃、共に立法ディレクター(legislative director)をしていた。ブラウンバックによれは、ライアンはその力で、政策への洞察力と政治的動機を結び合わせ、どの問題がホットに成り、どの法案に成立するチャンスがあるか判るのだと言う。

職制上、ライアンに最も影響力を持つ人物の1人は、オクラホマ州共和党上院議員のトム・コバーン(Tom Coburn)だ。1990年代終わり頃、彼とライアンは一期だけ同時に下院にいた事がある。コバーンは腹の底から反ワシントンの保守派であり、反ワシントン的気分がティー・パーティーの形を取るずっと前からそうだった。ドクター・ノーとして知られ、最近内科医を引退したコバーンは、自分の政治キャリアを通して、支持基盤となる人々を不快にする事で過ぎしてきた。それらの人々には、運動家、献金者、党首脳、そして彼の多くの同僚が含まれる。そういった人々への彼の嫌悪感は生まれながらのもののようで、党をまたいでいる。そして多くのケースで相手にも嫌われている。彼はある時、上院議員の70%に「背骨の移植」が必要だと診断した事があるし、別の時には同僚たちの「生殖器はBB弾ほどの大きさだ」と言った。

コバーンに言わせると、今日の議会における中心命題は「キャリアリズム(careerism)」だと言う。政治家の最も基本的な自己防衛本能をからかった言い方だ。「今日両党は、最終的に概念でコントロールされてはいない。コントロールしたいと言う欲求でコントロールされているのだ。大胆な変革に対する動機付けを殆ど生み出さない姿勢と言えるだろう。」2003年の自著「Breach of Trust(信認不履行)」の中で彼はそう書いた。ライアンはコバーンの本を注意深く何回も読んだと言う。その本の主張はブッシュ政権時代を通して彼の中で響き続けた。その時代、共和党が多数派を占めていたにも関わらず、肥大化を続ける政府とそれに協力する自分自身に対し、彼は根深い欲求不満を抱え不幸だった。

「あの時代、僕は数多くの保身的投票をした。」ライアンは言った。彼は特に、2003年の法案、メディケアをオーバーホールし高齢者向け処方薬へ便宜を図る法案、当初見積もりで10年間で総額4000億ドルかかる法案を指して言った。(「Catholic guilt(不必要な罪悪感)だけどね。」ライアンは自分の投票について冗談交じりに言った。)法案は、彼の党の統治原理である財政規律を覆して圧倒的多数を獲得した。「自身の行く道を定めよ。進む道のリボンカットをするのだ。さすれば汝の職は保たれん。」ライアンは言った。2006年、下院民主党は中間選挙で多数派を奪還した。共和党にとって、ブッシュ自身が言うところの「thumpin(痛い打撃?)」だ。当然の報いだとライアンは言う。彼は下院を辞して政策グループに参加する事を真剣に考えていた。彼はたくさんのボウ・ハンティング(bowhunting:弓矢でやる狩)をし、ツリースタンド(狩のために木に作る足場)で何日間もじっくりと考えた。彼はコバーンと数多くの会話をした。「彼が教えてくれたのは、正確に自らが信じる事をやると言う事、そして結果を運に任せる事だ。」ライアンはそう私に言った。

2008年5月、彼は自ら署名した最初の予算案「Roadmap for America’s Future(アメリカの未来の為のロードマップ)」を世に出した。下院でサインした共和党員は8名だけだった。多くの者は、メディケアと社会保障のオーバーホールを支持すると見られる事で有権者から報復されるのを恐れた。「皆言っていた。『これは政治的自殺行為だ』ってね。」ライアンは私に言った。「僕は言わば、『気にしないさ。まず第一にその見解は正しく無いと思う。そして結果はいずれ出るさ』と言う感じだった。」彼は2010年に上院に立候補する事を考えた。しかし可能な限り最も良い結果が得られたとしても、それに魅力を感じなかった。「最初は6年間、次に12年間、」ライアンは言う。「そしたらその次は18年間だ。議会に一生を捧げる事になるんだ。」彼はその言葉を、思いっきり顔をしかめて軽蔑的なトーンで言った。その選択は彼の多くの同僚が選んだものである事を思うと、その反応は若干驚くべきものだろう。

「あれが彼を自由にしたんだ。」コバーンは、2006年にライアンが自分に立てた誓いについて、私にそう言った。「もし人が、政治ゲームをプレイするので無く、単にやりたい事をやろうと思ったら...突然楽しくなるのさ。」私はコバーンに尋ねた。ワシントンにおけるキャリアリズムな人達の中で、ライアンはどの辺に位置しているのだろうかと。いずれにしても、彼は半生をこのワシントンで過ごしているし、コバーン・スタイルのイライラさせられる人物であるよりも、人々の気に入るように行動した時間の方がはるかに長いのだから。多くの人が定義するワシントンのキャリアリストに彼は当てはまるはずだ。

「私の中ではポール・ライアンは珍しい例外だ。何故なら彼はまだ大胆なポジションを続けているからね。」コバーンは言った。「私がキャリア志向政治家に向けている批判は、彼らが常に自分のキャリアに都合の良い事しかしないところなんだ。私には、メディケアや社会保障に対してライアンが推奨しているものは、彼のキャリアに良いとは思えない。」

10月初め、ライアンはアイオワ州クリントンの、義理の母親が育った家を訪問し、現在の家主と記念写真を撮った後、ミシシッピ河に沿って1時間程度車で移動し、マスカティンの町へ向かった。マイケル・スティール(Michael Steel)が私をクッションの利いたキャンペーン・バスの中へ案内してくれた。バスの中のビニール・シートにはロムニー-ライアンの印章があしらわれている。その他、木目パネルのキッチン、奥にしつらえた居間、あらゆる種類のラップトップ、テレビ、その他の通信機材がバスには詰め込まれていた。私の斜め向かいに座ったライアンは、共和党は穏健な中道に戻るよりもさらに右へ進むだろうと言った。「ティー・パーティーは神からのたまわりものさ。」彼は言った。何故ならこの運動は予算問題に注目を集めたのだから。2010年の選挙は下院に断固とした保守派の新鮮な波を呼び込んだ。「しかし仕事を完了させる為には新しいサイクルが必要だ。キャリアよりも大儀をより重んじる人々さ。」ライアンは言う。「それこそ僕が勇気付けたいと思っている人々なんだ。」

演台に立つライアンには、いつも言う言葉がある。それは「現在の混乱は両方の党が起こしたものだ」と言うものだ。この言葉が発せられると必ず大きな歓声が沸き起こる。そしてこの言葉は、彼の党派性の深い政治主張と、13年間の下院生活で主要な超党派法案に一切参加してない個人履歴に、薄い超党派的膜を被せるためにデザインされている。ライアンは又、演説で主張する。この選挙で勝つことでロムニーとライアンは「倫理的権威」を与えられる。そして自分たちのアジェンダを成立させ国を絶対的に右へと動かする「義務」を負うのだと。しかしながら、最初のディベートでロムニーが成功して以来、選挙運動から発せられるメッセージは明らかに中道よりになっている。ロムニーはマサチューセッツ州知事時代に行った民主党との間に橋をかける努力を、今までより強調し始めている(予備選の間この前知事は、その話題を口にする事すらためらっているように見えたのに)。ロムニーは、少なくとも一時的に、堕胎に対するトーンを弱めさえした。アイオワ州の新聞に対し彼は、「私の知る限り、如何なる堕胎関連法案も、私のアジェンダの一部になる事はありません」と言った。次に日に彼は、自分の反堕胎合法性の立場を再度強調することに追われた。レポーターに対し「家族計画連盟(Planned Parenthood)から資金を引き上げる」事を確約した。

副大統領候補ディベードの中で、ライアンは、たとえ自分の意見と異なっていても、堕胎に関するロムニー政権の立場を支持する事を強調した。「私は彼を、実際的保守派と呼んで良いと思う」ブラウンバックはライアンについてそう言った。ライアンは自分のスタッフと共にいる時は真の保守派だと彼は言う。例えば、農業州のカンサスで人気があるエタノールに対する政府補助金に対してなど、特に批判的だ。しかし後にライアンが下院に当選してから、ウィスコンシン州酪農家に対する補助金を支持した事で、ブラウンバックは彼をからかった。「この問題ではけっこう彼に酷い言葉を投げかけたものさ」ブラウンバックは言った。「こんな風に言うのさ、『O.K.清潔屋さん、思っていたより易しく無いだろう。違うかい?』」

ライアンは副大統領職について、税制問題や経済問題に関連する膨大なポートフォリオを監督するものと考えている。彼は、自分のアドバイザーが最初に示唆した考え、彼の職が、9/11以後にディック・チェイニー(Dick Cheney)が国家安全保障で果たした役割の財政版であうという示唆に、完全に同意している。「それこそが、自分が専門性を持ち、『付加価値』を持ち、やろうと望んでもいる役割さ。」ライアンは会話の中で、60秒間に3回は『付加価値』と言う言葉を繰り返した。「下院がどう機能するか、予算がどう機能するかと言う知識。経済政策。それが僕の『付加価値』さ。」

ロムニーが穏健派として選挙を続けて勝利し、そのまま統治を始めた時、何が起きるかを考えないですます事は困難だ。ライアン-バイデン・ディベートの後のスピン・ルームで、私はジェブ・ヘンサーリング(Jeb Hensarling)に質問した。テキサス州選出共和党下院議員で下院保守会派の前チェアマンである彼に、最近のロムニーの中道への方向転換をどう思うか尋ねた。ヘンサーリングは即座に言い返してきた。「あらゆる保守派がミット・ロムニーに対して抱いていた全ての疑念は、」彼は言う。「彼がポール・ライアンを副大統領候補に選んだ時に氷解した。」ヘンサーリングがロムニーにかける情熱はこの場ではそれほど意外では無い。ここはスピン・ルームなのだし、何れにしろ個人的疑念をやり取りするのに理想的な場所では全く無い。しかし私は、ロムニーの選挙コーディネーターが若干異なる言葉を発し始めているのにも関わらず、保守派がライアンの選択をロムニーに取っての万能釈放カードと見ている事に衝撃を受けた。

後にマスカティンへ向かう車の中で、報道官のマイケル・スティールは、ライアンが選挙での自分の役割に満足していると確信したかどうか、私に尋ねた。ライアンとロムニーの親密さは良好であり、彼は自分の使われ方に満足していると。(私は実際にライアンに質問し、その答えは驚くべきことにイエスだった。)

「ただの雑音さ。」ライアンは彼の使用法に対する後付の批判に対してそう言った。批判的な人間は「僕の事をデイトン・テレビとか、リッチモンド・テレビとか、ダビューク・テレビとかでは見ていない。」彼は言った。「実際そうなんだ。もし僕がフォックス・ニュースに36時間毎に出てなければ、たぶん木こりでもして姿を見せないんだろうって思っているのさ。」

ライアンのバスがマスカティンに近づいた時、彼は3週間前ロムニーが送ってきた個人的なe-mailについて説明してくれた。「彼は言ったんだ、『私が君を選択したのは、基本的に、君が私の統治を助けてくれると考えたからなんだ。』」ライアンは言った。「『君が選挙活動に力を与えてくれるかどうかは全く判らなかった。ところがなんと、選挙活動でも有益な人だったのさ。とても感謝しているよ。』」

私は彼に、ロムニーをメンターと考えているかどうか質問した。彼はしばし考えた。「彼の事は年上のパートナーだと考えている。」彼は言った。「判って欲しいのは、僕が下院に当選したのは28歳の時なんだ。だからずっと年上の人間と働くのは慣れているんだ。これは僕にとって馴染み深い関係なんだ。」

あらゆる協力関係の中で、大統領と副大統領の間の関係ほど不安定なものはあまり無い。戦略的にも、政治的にも、心理学的にもだ。ホワイトハウスの中で両者の関係がどのように変化してゆくか、懸念を覚えないでいられるのは難しい。もしライアンが、「年上のパートナー」が統治上の現実的からしてくる要求と、彼が出てきた運動や議会の、真に信じるシステムとの板ばさみになった時、何が起きるのだろうか。

ロムニーが負けた時、共和党の中で行われる犯人探しには2通りの道筋が考えられる。おそらく一方に、党はもっと大きな票田、独立系の人々や穏健派の人々、非白人有権者を惹きつけるべきだったと主張する人間がいるだろう。彼らはロムニーが最初のディベート直後に採用した、保守的厳格さを緩めたトーンに賛成する。彼らはさらに、ライアンを副大統領候補に選らんだ事は最終的に減点だったと主張するかも知れない。彼を選択した事は、世論をロムニー支持の方向へ動かさなかったし、投票してくれたかも知れない有権者をむしろ遠ざけたと。

しかしはるかに声高で、恐らくは多数を占める右翼の人々は、候補者が充分保守的では無かったと主張するだろう。彼らは、共和党はもうエスタブリッシュメントに連なる人間を候補にするのを止めるべきだと主張するだろう。彼らに言わせれば、ミット・ロムニーは汚らしい選挙戦を展開したと言う。唯一の例外、大変素晴らしいボーイ・スカウトで自分の出番を待っていたポール・ライアンの選択という最善の行動以外は。

~~ここまで~~

次回更新は11月10日ごろになると思います。
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まとめ【ポール・ライアンに負】

大統領選挙関連の記事をUpします。記事を書いたのはマーク・リーボビッチ(Mark Leibovich)さんです。元記

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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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