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イーナ・ドルーとロンドン・ホエール

銀行業界に関連する記事をUpします。

記事を書いたのはスーザン・ドミナス(Susan Dominus)さんです。元記事はここにあります。

ロンドン・ホエールに絡んで辞任した女性の話です。

~~ここから~~

JPモルガン・チェース失敗の責任を取った女性

2011年2月、JPモルガン・チェースの代表取締役、ジェイミー・ダイモン(Jamie Dimon)は、フロリダ州キー・ビスケーンに建つリッツ・カールトン・ホテルのホールで、演台へと近づいた。世界中から集まった300人のシニア・エグゼクティブが、同銀行で毎年恒例のオフ‐サイト・カンファレンスの為に集まっている。その時点で既に、経済危機がもたらすぞっとするような恐怖は少し過去へと隔離され、新たな認識が訪れようとしていた。現在続いている業界の変化、即ち、比較的小さいリスクしか取れない制限、減少するボーナス、高められたストレス・レベル、こういう変化は殆ど永久に続くだろうと言う認識だ。その日出席していた人間によれば、ダイモンはこの機会にチームを勇気付け、業界に蔓延する不安感から覚醒させようとしていた。もちろん現状は困難だ、ダイモンは言った。しかし自分たちを強化する事は指導者たる者の務めだ。もちろん慎重であらねば成らないが立ち上がって大胆に行動する事も必要だ。彼は聴衆の中のイーナ・ドルー(Ina Drew)を見た。54歳のチーフ・インベストメント・オフィサーはテーブルの1つに座っている。「イーナは、」彼は彼女を名指して言った。「大胆だ。」

今日、公衆の場での、こういった類の賞賛を銀行家が聞いたら、おそらくは同時に遠くから鳴り響く警告音を察知して、業界の底流となっている不安感に捕らわれる事だろう。傑出した人材の力への過信は最終的には失敗へと繋がった。それも巨大な失敗、1年3ヵ月後にドルーが屈した失敗だ。彼女のチームは大胆だった。あまりにも大胆であった為に、彼女はダイモンと並んで60億ドルに達する損失の顔となってしまった。その損失額の巨大さ故に、この話題は業界紙を独占し、ダイモンは言い訳に追われ、彼女は職を失った。ネットやテレビでこの損失を巡る物語が取り上げられる度に、いつも同じ人物の顔写真が出る。明るいピンクのブークレ・ジャケットを着て微かな微笑を湛えた女性。余りに微かな微笑である為に不安感を暴露しているかのように見える女性だ。

ドルーは今まで著名に成るのを求めた事は無い。それが、ウォール・ストリート外部の人間が誰一人として問題が起きるまで彼女を知らなかった理由の1つでもある。後から振り返ってみると彼女がかくも長く無名でいたのは驚くべき事でもある。彼女はJPモルガン・チェースの為に、全部合計すると3500億ドルの投資をしている。ドルーは経済を左右する主要なレバーにその手を置いていたのだ。彼女は銀行が経済危機を切り抜けるに当たって、ダイモンがその判断を信頼していたキーとなる人物の1人だった。他の銀行家が自らの向こう見ずな行動に対して舌足らずな言い訳に終始する中で、ダイモンの抑制的行動が模範としての地位を確立した時、ドルーは彼を助けたチームの一員だった。今、ダイモンが他の銀行家となんら変わらない不安定な状態に追いやられている時、彼女はその原因を作ったトレーダー達に対して責任を負っている。そしてそれは、銀行は自分自身を管理できる、銀行家は自分たちのバランスシートをリスク耐性に出来ると、正にダイモンが政府の監視機関に対して再三主張している最中の出来事だった。

60億ドルの損失は、JPモルガン・チェースの強大なバランスシートにとっては、一寸した凹み以上のものでは無いことが今では明らかになっている。同社の株価は力強く反発したし金融界は又次の話題へと移っていった。しかしこれはイーナ・ドルーにとって、回復困難な、焼け付くような失敗の瞬間だった。銀行業界で30年間過ごしてきた彼女は、殆どの女性が知る事の無かったレベルの、富と権力を手に入れた。彼女の成功物語は、ウォール・ストリートのボーイズクラブでよそ者が成功するのはどんなものなのかを説明してくれる稀少な物語だ。彼女の没落は、銀行がそのお金でいったい何をしているのか、公衆の興味と批判が盛り上る中、エグゼクティブがどうやって傷を癒すのかを示す、普段は知りえない物語だ。5年前、強力で巨大な資本力を持った銀行の損失などに興味を持つ者が居ただろうか?一般紙を含む業界紙がこの騒動に興味を持ち始めた時は、ダイモン自身の失脚も有り得た。もちろん彼は失脚しなかった。しかしその当時交わされた話し合いは、銀行内の権力が如何に不安定だったかを反映している。それを現在最も良く理解しているのはイーナ・ドルーであろう。しかしそもそも彼女は何者なのだろうか?彼女はメディアに話すことを拒否している。そして幾つもの捜査が依然として継続中であり、この物語の複雑な全体像が明らかになるのは、まだ先だろう。しかし過去3ヶ月における何ダースもの、友人達やかつての同僚に対するインタビューが、ウォール・ストリートが劇的に変化した時期と共にキャリアを過ごした1人の女性の全体像を埋めてくれた。

後にウォール・ストリート最大のディール・メーカーとなったジェイムズ・リー(James Lee)が始めて仕事に就いたのはニューヨークのケミカル銀行(Chemical Bank)だった。彼の席はイーナ・ドルーの隣だった。彼は電話で顧客を相手に、銀行が推奨する取引についての質問に答えていた時の事を覚えている。「私は顧客に自分の考えを説明していたんだ。何回も何回もね。そして『それで、どのようにお考えですか?』って言ったのさ。」リーは言う。ところが何の回答も無かった。リーは電話を見つめてから辺りを見回した。ドルーは直ぐ近くで別の電話で話していた。しかし彼女の目はリーを見ている。そして彼女は首を振っていた。違うわ、それ正しく無い。そして彼女は手を振った。手の中に何か持っているようだった。それは電話線だった。「彼女は私の片言を聞いていたんだ。私が言った事は明らかに正しく無かった。」リーは言う。「彼女は私の電話線を引っこ抜いたのさ。」

それは1983年の事だった。ドルーはその時まだ26歳で仕事に就いて3年しか経っていなかった。しかし彼女は急速に頭角を現し、既にトレーダーの小さなグループを率いていた。ジョンズ・ホプキンズ大学を卒業し、コロンビア大学で国際関係学の修士号を取ったドルーは企業融資の仕事を望んでいた。その仕事は閉鎖的で人間関係重視だが、一流商業銀行へと導いてくれる仕事だった。しかし企業融資業務は、ニュージャージーから出てきたM.B.A.も持って無い小娘にはドアを開いていなかった。23回面接を受けた後、ドルーは、東京信託銀行(Bank of Tokyo Trust)のトレーディング・フロアで、より地味な仕事に就く、何の訓練も受けずに飛び込んだんで毎日泣いていたと、JPモルガン・チェースの部下に彼女はよく語っていた。しかしある日、スイッチが入った。彼女はコツを掴んだだけでは無い。彼女はこれに向いていた。

1981年彼女はケミカル銀行へ転職する。ほんの一寸だがステップアップと言って良い転職だ。「昔はコミカル銀行って呼ばれてたよ。」その当時その銀行で政府関連業務に就いていたトム・ブロック(Tom Block)はそう振り返る。その当時は、その銀行がやがて買収や合併を繰り返してメガバンクのJPモルガン・チェースに成るなどと言う事を思わせるものは何も無かった。

1980年代中頃、ドルーは、ケミカル銀行のグローバル財務部門長だった経済学者ペトロス・K・サバタカキス(Petros K. Sabatacakis)の下で働いていた。その部門が担当する仕事の1つに金利リスクのマネージメントがある。銀行が保有する債権とか預金とかによる金利の支払いが、貸し出し金利からの収入を上回ることが無いよう保証する仕事だった。1980年代中頃、低下する金利へのヘッジとしてグローバル財務部門は30億ドル相当の政府保証不動産担保証券へ資金を注ぎ込んだ。彼らの金利に対する予測が正しければ、投入した資金の価値は高くなるはずだった。それでも数年後に、銀行が直面する別の主要なリスク、クレジット・デフォールトに対してサバタカキスが注意を即すまで、その部門は退屈な僻地にあると思われていた。不況が訪れると、銀行は貸出先の破綻に対し最も脆弱となる。不況下では一般的に連邦準備基金は金利を下げて貸し出しと支払いを増大させようとする。サバタカキスは景気後退状況に入れば価値が上がるのだから会社は証券を買い続けるべきだと決断した。「そういうのがトレーダーのメンタリティーなんだ。」ドルーの下で22年間働いたトレーダー、グレン・ハヴリセク(Glenn Havlicek)は言う。「初歩的な事に思えるだろうね。しかしその当時トレーダー的な解法とクレジット危機に対する解法を混ぜ合わせるのは、まだ警戒を要する生まれたばかりの考えだったんだ。」

「全く狂っていたのは、」サバタカキスは言う、「我々が買いつけを終わらせる頃になると、我々の出した収益が銀行の利益の50%くらいになっていたのさ。」この類のリスク回避策がドルーのキャリアを定義付ける事になる。変わったのは単に、金額が増大しリスクをマネージする道具立てがどんどんと複雑になって行くだけの事だった。

ドルーはウォール・ストリートでは変り種で、簡単に分類できる人物では無い。彼女はその女性的な小さな声で知られている。しかし怒るとかなりの悪態をつく事もできる。彼女はニューアークの法律家の娘で、敵にすると手強いと言う世評を得ている。しかし夫について話すとき、何時も顔を赤らめる。歯周病専門医の夫は高校時代からの恋人でジョンズ・ホプキンズ大学バスケットボール・チームの選手だった。彼女は背が高く豪華なブロンド・ヘアで、オフィスでは完璧な服装を着こなす。シャネルのクラッシック・スーツを好み、マノロ・ブラニクの靴を履き、目の覚めるようなエメラルド・カットのダイヤの指輪を付けている。しかし彼女とその夫は、20年前に移り住んだニュージャージー州ショート・ヒル近辺の、豊かではあるがそれ程目立たない郊外の土地を離れようとしない。

ウォール・ストリートの管理職の階段を一定のスピードで上る稀な女性として、ドルーは際立っている。殆ど男性のみの環境で時として決まり悪そうにしている。ハヴリセクは、200人は居た部屋一杯の男性トレーダー向けにドルーが話をした時の事を覚えている。それは1991年にケミカルがマニュファクチャラーズ・ハノーバーと合併して間も無い頃だった。「自分のキャリアでこういう機会が訪れるとは思ってもいませんでした。」彼女はトレーダー達に言った。「神のご加護で、私は高校時代、バトン部のキャプテンだったんですよ。」彼女の言葉は沈黙に迎えられた。「その場には単に彼女に困惑している男が何ダースも居た。」ハヴリセクは言う。「彼女はそいつらが思うシニア・トレーダーのイメージと合わなかった。」ドルーはこういった瞬間を何回も経験していた。男たちが顔をしかめている。何か息を潜めて彼女が言ったばかりの言葉を反芻している。「彼女は何時も気にしちゃいない。」ハヴリセクは言う。「何時も自分のやるべき事をやるだけさ。」

1980年代初頭、ケミカルは女性をトレーダーとして積極的に採用していた。しかしそれによって仕事場が特に啓発される事は無かった。ドルーの親しい同僚の1人、ディーナ・ダブロン(Dina Dublon)はドルーが入った正に同じ月に銀行に入っている。「その当時の職場は、単に女性を歓迎して無いと言うどころでは無かったわね。」ダブロンは言う。彼女はドルーと共に出世し、2004年に引退する。最初の頃、ダブロンはドルーの隣の席だった。2人の女性は毎日何箱ものタバコをふかした。2人の机の周りには煙がたなびき、それはまるで味気ないジョークを防ぐバリアーのようだった。

多くの女性が止めていった。止めない女性は誘惑の申し出を礼儀正しく断り続けた。ドルーはぶっきらぼうで直接的なユーモアで避ける傾向があった。彼女は土曜日にオフィスに呼びだされた事がある。ハヴリセクの話では、ビジネスの会合だと思って彼女が行ってみると、彼女を呼び出した同僚はもっと親密な関係を求めていた。「彼女が正確に何と言ったのかは知らないんだけどね。イーナを知っている人間としては、たぶんこう言ったんだと思う。『貴方正気じゃないわよ。私帰るわ』ってね。」ハヴリセクは言う。「後になって彼女は笑ってたよ。」

1980年代や1990年代にウォール・ストリートで成功した女性達の古典的な物語は皆、スーパーウーマン的手際の良さに彩られている。オフィスで重役たちを押しのけてのし上がる一方、家事労働をこなす。彼女達はモルガン・スタンレーのCEOだったゾー・クルス(Zoe Cruz)がやっていたような、手早く料理を作るワーキング・マザーだ。クルスはバザーで売るクッキーを午前4時に焼き、5時30分には仕事に就いた。しかし一度オフィスに来ると女性的な部分は隠される。JPモルガンのグローバル・エクイティーでチーフ・オペレーティング・オフィサーだったステファニー・ニュービー(Stephanie Newby)は、幼い2人の子供の写真をオフィスには決して置かなかったし話題にもしなかったと言う。「前へ進めない事の言い訳になりそうな物は置きたく無かったのよ。」ニュービーは言う。

息子と娘が1人ずついるドルーは、家族に対してもキャリアに対しても言い訳はしなかった。学校から家に帰る時間になると、ドルーは何時も子供に電話した。時々会議を中断しさえした。オフィルの壁に2人が描いた絵を貼っていたし、学校が長期の休みに入ると仕事場に連れて来さえした。息子はゲーム・ボーイに熱中し、彼女はグローバル・ファイナンスに熱中していた。トレーダーの勤務時間は早い。しかしドルーは、自宅で家族と夕食を取る事に特別固執した。1990年代の殆ど、彼女は午前7時に仕事を初め、午後4時半には会社を離れた。「イーナはこれについては頑固だったわ。」ダブロンは言う。「もし上司の1人が4時半以降に会議の予定を組んだら、イーナは言ったでしょうね、『その時間に会議を設定しても結構ですが、私は参加できません』。簡単に出来る事では無いわ。出世の階段を上ろうとする女性が直面したく無いステレオタイプに分類されてしまうもの。」

ウォール・ストリートは正確には、女性が働く場所としては知られていない。しかしドルーは、あまり一般的で無い個人的手法で部下からの忠誠心を勝ち取っていた。何回か行われたレイオフで職を失った部下でさえもが、彼女を賞賛している。JPモルガン・チェースで彼女の下で働いたトレーダーは、名前を出さない事を確約してもらった後、次のように断言した。「僕は彼女を愛しているさ。死ぬほど愛しているんだ。」彼女は自分が主催する朝7時半の会議に必ず現れる。とてつもなく知識豊富と見なされているので、他のグループのトレーダーさえもが、彼女の市場に対する見解を知りたくて会合に顔を出していた。下位のトレーダーの赤ん坊への贈り物を自分で選んでもいた。「グループ内の人間にとって彼女はシェリル・サンドバーグ(Sheryl Sandberg)のような存在なのよ。」以前トレーダーをしていた女性はフェイスブックのチーフ・オペレーティング・オフィサーの名前を出した。「彼女は同じ様な神秘性を持っていたわ。」私は他にもドルーの下で働いた事がある女性2人に電話した。2人とも電話を切る前に同じ3語の言葉を言った。「She is phenomenal (彼女は並外れている)」以前上司だった別の8人の人間にも聞いた。その内1人はチーフ・エグゼクティブで、もう1人はチェアマンだ。全ての人が言うのは、彼女は率直で信頼でき、傑出したリスク・マネージャーであり分析的思考家だと言う事だった。

2006年までJPモルガン・チェースのチェアマンだったウィリアム・ハリソン(William Harrison)は彼女の事を好意的に振り返った。彼女は「バランスが取れていて、高く評価される」人物だったと彼は言う。そして彼女は職場で女性重役になるに当たって大きな妥協をしなかったと言う。事実として、1990年代中頃、ドルーはダイバーシティー委員会で働くようになり、経営陣に入る女性を増やすよう銀行に働きかけていた。彼女は10年以上、NOW Legal Defense and Education Fund(NOW(全米女性機構)の法務部的団体)でボードメンバーをしていた。同団体は重要な性差別訴訟やセクシャル・ハラスメント訴訟に関わってきた団体だ。「彼女とディーナ・ダブロンは私が尊敬する女性達です。」ニューヨーク証券取引所の前チーフ・ファイナンシャル・オフィサー、アミー・ビュート(Amy Butte)は言う。彼女はメリルリンチでアナリストとして仕事を始めた人物だ。「2人は、ウォール・ストリートで女性たちがどういう風にお互いを扱うべきか、基準を作った人達なんです。」そして2人は女性の為に立ち上がった人間達だった。

ある合併の後、銀行が才能ある女性を引きとめようとしていた時、彼女は降格を受け入れる事を拒否した。「彼女のオフィスに居た時の出来事を覚えているわ、イーナは机を叩いて言ったのよ。『前チェックした時は、私にもちゃんとオッパイは会ったのよ!』」ダブロンはそう言った。

ドルーは野心を持ってはいたが、チーフ・エグゼクティブへつながる役職を求めて動く事は無かった。彼女が何を尊重しているかは、上司達が彼女を信頼する理由の1つでもあった。彼女は明らかに上司の職を掠め取ろうとはしていなかった。ディーナ・ダブロンが銀行内の部門を渡り歩いて新しい役割に就き、最終的にチーフ・ファイナンシャル・オフィサーになって行くのに対し、ドルーは殆どの間同じ役割、自分が他人より抜きん出ていると認識する役割に留まり続けた。「彼女は専門外の分野へ進路を変える事が無かった。」ダブロンは言う。「彼女の自信は完全に知識の上に成り立っていたのよ。」

2005年まで銀行でマーケット・リスクのマネージをしていたレスリー・ダニエルズ・ウェブスター(Lesley Daniels Webster)の話では、ドルーが業務に優れているとすれば、それは彼女の長い経験がそうさせているのだろうと言う。「女性達は大概、一番下の階級から仕事を始めて、全ての複雑な裏表を学んで行くのです。途中から高い階級に入る人よりずっと多くの事を彼女達は学んでいます。」ダニエルズ・ウェブスターは言う。「誰も彼女を選んでこう言う人は居ませんでした。『やあ、彼女は自分があの年齢の時とそっくりだ。彼女を3年間毎に部門から部門へと渡り歩かせて、きちんとした履歴を作ってあげよう』なんてね。一定の成功を積み上げていって出世する女性は殆どいないのです。」

1970年代、債券取引はとても単純な仕事だった。誰でも充分努力すればトレーディング・フロアに上がることが出来た。しかし1980年代、テクノロジーの進歩とグルーバリゼーションの為に債権はより複雑になった。そして金額は増大し、競争は苛烈になった。銀行は他社と差別化できる新しい投資商品の開発を競い、トレーダーは市場で勝つ為に複雑なアルゴリズムに頼り始めた。2000年代初頭になると、「金融市場における数学的アプリケーションの理論的ブレークスルーに助けられて、テクノロジーに詳しいトレーダーがウォール・ストリートを占拠するようになった。」数学的ツールを振り回す銀行家を描写した本「ザ・クオンツ(The Quants)」の中で著者のスコット・パターソン(Scott Patterson)は書いている。この当時、銀行はトップ物理学者を追いかけ、世界中から数学のPh.D.を集めた。

ドルーは経営学の学位も持たず、クオンツについてはさらに詳しく無かった。それでも銀行が変貌し合併を繰り返す中でドルーは生き残った。「合併によって、相手側から自分の仕事を見るチャンスが与えられる。彼女の仕事はいつでも良く見られていた。」フレディー・マックのチーフ・エグゼクティブ、ドン・レイトン(Don Layton)は言う。彼は1991年にケミカルがマニュファクチャラーズ・ハノーバーと合併した時、ドルーを監督していた。

ドルーはさらに、もう一つの合併、2000年のチェースとJPモルガンの合併も切り抜けた。あらゆる合併は痛みを伴い、大量のレイオフと派閥抗争とあからさまな権力闘争が続く。それでもこの合併における、相手に対する互いの軽視は極めて深刻だった。JPモルガンは優れた血統を誇る会社だった。そしてその銀行員は自分達をイノベーターだと思っていた。仕組み債(structured derivatives)のような通好みの金融商品を作ってきた事を自負していた。彼らは合併を格下げと受け止めていた。まるで自分たちがディーン・アンド・デルーカ(Dean & Deluca:美食の食品チェーン)でストップ・アンド・ショップ(Stop and Shop:スーパーマーケット)に買収されたばかりであるかのように。彼らは自分たちの落胆をほとんど隠そうともしなかった。

ドルーの取引は本質的に、殆どのケースで正しく答えられる(少なくとも重要な局面では正しく答えられる)と自負するキーとなる1つの質問に依存している。金利はこれから上がるのか下がるのか?と言う質問だ。こう言った見識は重要なものではあるが、彼女の新たな同僚達にとって最先端のものでは無かった。「彼女はまるで、『私は長い』だとか『私は短い』だとか言ってる間抜けな召使のように見られていた。」かつてJPモルガンの行員だった人物は、自分の同僚たちが彼女の成功をどう見ていたのか、そう言って要約した。

銀行が合併して直ぐに、ドルーと彼女のチームは、JPモルガンの同じ役割のチームと会議室で相対した。JPモルガン側にはパトリック・エドスパー(Patrik Edsparr)という名前の人物も含まれていた。両者はそれぞれのバックグラウンドを説明した。ドルーのチームは全員、名門校の出身者だった。しかしエドスパーのグループと違って、彼らは応用数学のPh.D.を持ってなかったし、M.I.T.の卒業生でもカルテック(Calteck)の物理学者でも無かった。彼らはクオンツでは無かったのだ。「その部屋に居る人間は皆感じていたさ。パトリックと彼のチームが発している雰囲気をね。お前達は時代遅れだって言っている雰囲気さ。」ハヴリセクは言う。エドスパーが本質的にドルーに言ったのは、彼女の投資方法、抽象的数学モデルに反しマーケットの経済分析から積み上げていく方法は、無くなってゆくと言う事だった。両者は合併後も留まった。ドルーは引き続き財務部門を統括し、より安全な取引を取りまとめた。一方エドスパーは、銀行が自己資金で利益を出そうとする、自己勘定売買部門を統括した。2008年にエドスパーが出てゆくまで、両者の間の緊張感は傍目にも明らかだった。エドスパーが他の重役を交えた会議でドルーの意見に反対だった時、ドルーは鋭く言い返した。「貴方が何を考えているかなんて訊いてないわ。」(エドスパーはコメントを拒否している。)

ドルーのレベルの権力をウォール・ストリートで達成した人間は皆領土争いを経験している。そしてドルーは自分の領地の守り方を知っていた。「イーナは上司に対し、とても上手に話す能力を持っている。上司が彼女のビジネスについて訊いた質問は、とても馬鹿げた質問だと言うことを、実際にそうとは言わずに伝える能力を持っているんだ。」以前JPモルガン・チェースの行員で、ドルーとは数回、直接対決したことがある人物はそう言った。「私はその能力に対して、ひねくれた見方ではあるが、敬意を持っているよ。」

2004年、又しても、銀行を襲った新たな変革をトルーは生き延びた。バンク・ワン(Bank One)との合併の結果、次の年にジェイミー・ダイモンがチーフ・エグゼクティブになったのだ。ダイモンはドルーを留めただけでは無い。彼は彼女を常務会に参加させた。彼に直接報告する人間たちで構成されるグループだ。「これは複雑な仕事だ。そして彼女は自分の専門を熟知している。」ダイモンは言う。彼は彼女の成功を気にかけていて、時間と共にさらに彼女を信頼するようになった。「若し私が悪い考えを持っていたら、彼女はそれが悪い考えだと言ってくれる。彼女は自分の意見を持っているんだ。彼女は強く、チーム・プレーが出来るし、良心的でもある。」

チーフ・インベストメント・オフィスを率い、銀行の投資ポートフォリオのマネージャーもしていたドルーはウォール・ストリートの殆どのプレーヤーよりも多くの資金を直接コントロールできた。ブラックロックやピムコを含む国内トップの資産マネージャーと同じレベルだった。その役割の中でドルーは、JPモルガン・チェースの投資担当者やその顧客にとって有益な情報にアクセスしていた。その情報の中には、彼女が自由に公開できない情報も含まれていたが、幾つかの情報はグレー領域に含まれている。そして、それらの情報に対しても彼女は口を閉ざしている事ができた。こういった彼女の口の堅さに対し、銀行の他部門の同僚達は、それを彼女の狭量さを示すものと受け止めていた。「誰かが彼女の仕事やチームに対して質問することを彼女は歓迎しなかった。」以前JPモルガン・チェースでシニア行員だった人物はそう振り返る。リスク・マネージメントに対して生まれながらに持っている不透明性は、他の何にも増して、「商業銀行や投資銀行にいる彼女のパートナー達をクレイジーにしたものさ」と彼は言った。ドルーを弁護する人達によれば、彼女は自分が必要と感じた人には情報を与えていたと言う。しかしそういった人たちは同時に充分な権力を持った人達でもあった。

ドルーの上司達は彼女に対する不満を何年も聞いてきた。しかし通常、単なる嫉妬から来る文句として無視していた。「彼女は巨額の資金の面倒を見ている。」以前上司だった人間は言う。「あのレベルには競争心は付き物だ。誰にしろ自分に同意しない人間がいたらどう思うかって?そいつらは間抜けに違いないって思うのさ。」

銀行家と話していて「お金」と言う言葉を聴かずにどのくらいの時間話ができるか知ると驚く事だろう。彼らは、収益(yield)とかクレジットスプレッド(credit spread:債務不履行リスクに上乗せする金利)とか、代償(compensation)とか、P.& L.(利益(profit)と損失(loss))とか、色々な話をするが、何よりも一番多く話すのはリスクについてだ。リスク無しには何も得られない。リスクこそは投資における酸素であり、リスクを多く引き受けられる能力こそが威信の源だ。ドルーは銀行内で最も豊かなリスク限界を持つ人間の1人だった。「リスクをマネージするには、他の何にも増して自分の感情をマネージしなければならないと言われている。」ハヴリセクは言う。「イーナは恐れない。彼女は自然体なんだ。」

彼女の自信は主に長年共に働いてきたチームに対する信頼から来ていた。その多くはケミカル時代から彼女と共にあった。彼らは主に、合衆国国債や高品質担保物件のような殆ど安全な資産の売り買いを通してリスクをマネージしてきた。それらの価値は、金利が下がれば上がり、上がれば下がった。しかし2006年、拡大しつつあった、過去に例の無い複雑な銀行保有財産の防御の為に、より複雑な製品へとチームは踏み出すべきだと、彼女とダイモンは共に決断した。彼女のグループの国際的守備範囲を拡大し、市場における彼女の立ち位置を多様化する為に、ドルーは、外国債券や企業債権の取引を行うチームを雇った。そのチームはより複雑でリスクの高いクレジット・デリバティブの売買をする定量分析スキルを持つ人間達だった。

その仕事をリードする為に、ドルーは、ドレスナー・クラインオート・ワッサースタイン(Dresdner Kleinwort Wasserstein)で働いていたアキレス・マクリス(Achilles Macris)を雇う。彼はギリシア生まれ、魅力的で激しやすい才能豊かな人物と言われていた。そして彼は、スペイン出身で一家言持つトレーダー、ジャヴィア・マーチン=アルテイジョ(Javier Martin-Artajo)と、フランス出身で静かな本の虫、ブルーノ・イクシル(Bruno Iksil)を雇う。2人とも強力な定量分析のバックグラウンドを持っていた。

2008年という年は、殆どの銀行家が忘れたいと思っている年だ。ドルーにとってその年は彼女のキャリアのハイライトだった。2007年遅くから、彼女のグループは、安全な政府保証付き長期債権に資金を積み上げ始めた。2000億ドル近くだ。金利が下がり、市場の他の全ての製品の値下がりが明らかになるに連れ、この資金は価値を高めた。金融危機勃発後、グループはローン担保証券(collateralized loan obligation)、現在では有毒と見なされている金融商品を調べ、これ等の商品の中で最も安全なもののみを購入した。こういった投資は、財務省証券に対する投資と比べると非常に危険だ。しかしチーフ・インベストメント・オフィスが行った大規模購入は、最終的に銀行に数十億ドルの利益をもたらした。「危機にあえて飛び込む事で、その後に続く混乱の時期、C.I.O.は我々を良い位置へと導いてくれた。」ダイモンは言う。そしてこの投資行動はより大きな目的にも適っていた。他の者がその力を失っている時期に、市場を安定させる事が出来たのだ。「彼らはローン担保証券でリスクを取った。」ボストン大学で財政を教えるマーク・ウィリアムズ(Mark Williams)は言う。「彼らは重要なサービスを提供したんだ。」

その成功にも関わらず、ドルーのグループ――ニューヨークの債権トレーダーと、殆どがロンドンを本拠地とするクレジット・トレーダー――は衝突した。感情の激しさが戦いの激しさを物語っている。アルテア・デュエルステン(Althea Duersten)は10年以上ドルーと共に働いたトレーダーで、ニューヨークのグループをまとめていた。彼女は「凄くリスク回避的なんだ」と、かつてのトレーダー仲間は言う。「後から振り返って見るような時、全ての事柄が判明した後でさえ、彼女はやはりリスク回避的だった。」マクリスについて言えば、チーフ・インベストメント・オフィス内の別のエグゼクティブは彼をこう言う。「彼は銃を振り回すやつなんだ。言わば『俺はこの取引を愛している、もっと大きくしようぜ』って言う側にいるのさ。」(ドルーとチーフ・インベストメント・オフィスについてインタビューを受けた殆どの人間は、コメントを許されていないと言う理由、および職業上の影響を恐れて、名前を伏せるよう求めた。)

ドルーは自分のグループ内に、JPモルガンとの合併以来彼女を悩ませ続けたのと同じ力関係を作り出してしまった。殆ど単純な資産だけを扱うトレーダー・グループは屈辱を感じ、洗練された定量分析スキル誇る他のグループは、彼らを軽く見てビデオカンファレンスでも自分たちの軽蔑を隠そうとしなかった。「ニューヨークはロンドンを憎んでいた。」ニューヨークで働いていたトレーダーの1人はそう言った。「あいつらはリスクをたくさん取って、より多くの金を稼いでいたんだ。」

最悪の戦いは、2010年を通してライム病を患っていたドルーがオフィスを離れていた時に勃発した。彼女が復帰した2011年1月、60歳になったデュエルステンが引退した。マクリスは、ドルーが自分を唯一の代理にするのでは無く、デュエルステンの後任にヘッジ・ファンドからイレーネ・ツェ(Irene Tse)を連れてきた時、ショックを受けた。「彼は打ちひしがれていた。激怒していたよ。」マクリス本人からその話を聞いた銀行員はそう話している。マクリスはヨーロッパの投資銀行のオフィスにいる人間に、ドルーはこの仕事を判っていないと公言し始めたと、2人の人間が話している。彼は又、自分は正式にはドルーに答えているが、実際はダイモンに報告していると話したと言う。(法律家を通してマクリスはコメントを拒否している。JPモルガンは、マクリスはドルーに報告していたと言っている。) 彼は他人の目の前でドルーの意見に反論するようになった。彼女はこの状況に、人目のある所では自制心を持って望んでいた。しかし後で、ビデオカンファレンスや個人的な場面を使って「彼女は彼に仕返しをした」と、その場面を目撃した行員が証言している。「彼女は厳しい言葉も言える人間だ。つまりは、体の重要な部分を切り取ってやるとか言っていたと言う意味だけどね。」

最終的にドルーのキャリアを終らせる事件は、銀行の主張によれば、ヘッジ(予防策)として始まった。事実としてケミカル銀行で彼女を成功のキャリアパスへ乗せたのと同じ予防策、クレジット危機の可能性に対する主要な予防策だ。

さかのぼる事2007年から、主要な危機に際しても銀行を守る為、クレジット・デリバティブの予防策(ヘッジ)を銀行はロンドンのオフィスに依頼していた。(クレジット・デリバティブの幾つかは本質的に、企業や政府が財政義務を履行不能になると言う事態を予想し、賭けをする事である。)この予防策は銀行を守るだけで無く、2008年に市場が暴落した際はお金を生み出しさえした。

金融危機後も、イクシルを含むロンドンのチームは、ポジションを拡大し続けた。(クレジット・トレーダーのポジションは、幾つかの予測される結果に対する賭けの集まりとして認識できる。)イクシルのポジションは余りにも膨大だった為、その身元が確認される前から、彼はロンドン・ホエールとして認識されていた。以前グループのエグゼクティブだった人間の話では、去年12月の時点でドルーは何回か、マクリスとマーチン=アルテイジョがニューヨークにいた時、2人と共に、ポジションのチェックをしていたと言う。2人は回答していたが、実際に取引を知っていたそのエグゼクティブは、彼らが完全には情報を提供していなかったと振り返っている。「私の考えでは、彼らはイーナが知っている製品の情報、取引の金額といったレベルの細部については、うまく取り繕っていた。しかし彼女はストレスフルなシナリオにおける実際のP&L、利益(Profit)と損失(Loss)のインパクトの可能性については知らなかった。」彼はそう言った。彼女は正しい質問をしていたと彼は言う。しかし話されていない事実をすくい上げる事は出来ていないようだった。何故彼は何も言わなかったのか?それに対する一般的な回答は、確信の無いまま、階級を飛び越える事に対する抵抗、およびイクシルの判断に対する信頼だ。それに彼はイクシル達に好感を持っていた。

いずれにしても、銀行の中にはリスクを評価する事を職務とする何段階もの人々がいる。銀行でリスク・マネージャーになると言う事は、もちろん、ダンスにおける介添え役になると言う事だ。その権威は、それをひっくり返したいと望む他の人間の願望よりも大きい。「ウォール・ストリートの世界でトレーダーは、トレーダーの暴発を防ごうとする地位と権力を持った人間達よりもはるかに重要なんだ。」サンフォード・C・バーンスタインのアナリスト、ブラッド・ヒンツ(Brad Hintz)は言う。この極めて人間的な力関係をなだめようと、銀行は又、種々の静的モデルに頼っている。例えば、「バリュー・アト・リスク(Value At Risk:V.A.R.)」モデルとして知られるものもその中に含まれる。このモデルは、特定の日付において、困難な環境下だとどの程度の損失まで耐えられるかを理論的に割り出し、その可能性と共に予測を銀行家へと提供する。このV.A.R.モデルは2008年に予期せぬ事態になった時、ほとんど銀行家の助けとはならなかった。その為に今日では若干批判的な目で見られるようになっている。時としてモデルはキーとなる情報を取りこぼす。時としてそれを使う人々が、そのモデルが何を言おうとしているのかを見逃してしまう。そして時として、トレーダーはモデルを迂回してしまう。

以前エグゼクティブだった人間の話では、彼は何年もの間ダイモンに、チーフ・インベストメント・オフィスのリスク・コントロース精度は、投資銀行に比べて充分な透明性をもっていないと言い続けていた。ドルーは彼の言い分を払いのけた。そしてダイモンが彼に言ったのは、彼の言葉によると、本質的に「お前には関係ない」と言うものだった。「正直な話、私は人生において、他人にけちをつける人間が何を言おうと気にしなかった。」ダイモンは彼の警告について私が訊いた時、そう言った。「もし会社の中の誰かが知っていたなら、何か言ってきたはずだ。事件が起きる前、私の所に来て注目すべき問題が起きていると言う人間は誰もいなかった。」

チーフ・インベストメント・オフィスでのリスク限界の精査は2011年を通してゆっくりとしか進まなかった。11月末になってドルーは、数年間その職にあったピーター・ウェイランド(Peter Weiland)よりも、さらに経験のあるリスク・オフィサーが必要だと実感した。人当たりが良く温厚なウェイランドは、非常に個性が強く定量分析スキルを持つ数人の人物と対峙しなければならなかった。(ウェイランドはこの記事へのコメントを拒否している。)しかし彼女が、以前クレジット・スイス・ファースト・ボストンでチーフ・リスク・オフィサーをしていたイルヴィン・ゴールドマンを雇うのは、2月までかかった。すばらしいリスク・マネージャーとして名声を保っていたドルーは、リスク・オフィサーの職を急いで補充しようと思っていなかった可能性がある。「彼女と彼女のチームは偉大な経歴をもっていた。」シニア・エグゼクティブはそう言う。「私達は皆、彼らが状況をコントロールしていると思っていたんだ。」

後に取引が潰れた時、ゴールドマンが、銀行のオペレーティング・コミッティーのメンバーであるバリー・ズブロウ(Barry Zuburow)の義理の兄弟である事が判る。この事実はドルーの部門が、粗雑なリスク基準を使っていたことの更なる証拠と見られた。しかしながらドルーにとって、ゴールドマンの雇用は普通のものだった。彼は長年に亘る仕事上の友人で、20年間も仕事を通して話をして来た信頼できる仲間だった。

ゴールドマンはリスク限界の精査を精力的に進めた。その仕事は一般的に特殊性を持つものだ。精査によって、イクシルのポジションに関して判った重要な発見の1つは、そのリスク限界がグループ全体のポートフォリオの総リスクの中に埋め込まれている事だった。別の言葉で言えば、イクシルは警報を発する事無くポジションを増やし続ける事が出来た。さらに問題だったのは、新しいバリュー・アト・リスク・モデルが1月に導入された時、それによってチームの知らない内に、さらなる自由度が最終的に許容され、安全であると言う誤った感覚を生み出してしまったのだ。

12月にドルーともう1人のシニア・マネージャーは、部門全体のリスク露出を減らす決断をした。その主な理由は、直ぐにも導入が予想される、より厳しい必要資本量を求める規正の為だ。ロンドンが提案した戦略をドルーは承認していたが、その追行はオフィスの人間に任されていた。一時的措置として、彼らは小さなマーケットを有価証券であふれさせて損失をこうむるより、防御策の防御をする(ヘッジをヘッジする)事になった。主要なポジションは本質的にボンド・インデックスに対して弱気だ。予防策(ヘッジ)は本質的に類似した異なるインデックスに対して強気に出る事になる。最終的な結果は、しかしながら、全体のポジションをさらに大きくした。

イクシルの同僚達は彼を好いていたが、ウォール・ストリートで彼の取引を仲介した数人のディーラーに彼は人気が無かった。ロンドンのグループは、銀行の重みをつかって市場にいる他の人間に圧力をかける事で有名だった。そして若干傲慢であると言う世評を取っていた。「彼らは自分たちを天才だと思っていた。」取引の反対側にはっていたあるヘッジ・ファンド・マネージャーは言う。最終的にその取引がイクシルを引き摺り下ろした。「彼らは単に他の人より安価な資本を持っていたに過ぎない。JPモルガンに勤めていたから出来たことさ。」そのマネージャーは言う。「レーシングカーのようなものさ。他の人が全員カムリに乗っている時に彼らはポルシェに乗っていた。そして自分を最高のドライバーだと思っていたのさ。」

不満をいだくディーラーはよくゴシップを振れ回る。そしてその3月、いつも若干ナーバスなマーチン=アルテイジョは、ハッキリと落ち着きが無かったと、ある銀行員は言っている。ウォール・ストリートのディーラー達は噂話をし、自分達の上司にも話した。ディーラー達は充分以上の情報を持っていた。ディーラーを通して買いを行うヘッジ・ファンド・マネージャーにとって、知識は力だ。マーチン=アルテイジョにはナーバスになる理由があった。ヘッジ・ファンド・マネージャー達は、JPモルガンのポジションは大きく成りすぎた為に市場を占有していると理解した。その意味するところは、銀行がポジションを止めようとする時、選択肢が殆ど無いと言う事だ。これにより、イクシルは少数のバイヤーに、とてつもない交渉権を与えてしまった。

3月の第3週、数日間の損失が続いた後、ドルーの懸念は増大し、トレーダーにポートフォリオの取引を停止させた。同時に彼女は、ロンドンとの毎日の電話会議を開催し、なんとかポジションをマネージしようとした。マーチン=アルテイジョの最悪の懸念は4月6日に実体化した。ウォール・ストリート・ジャーナルが「London Whale’ Rattles Debt Market(ロンドン・ホエールが債権市場を振るわせる)」と言う見出しの記事を発表したのだ。ホエールはイクシルだった。記事が伝えるところでは、彼のポジションが大きく成り過ぎていたので、ウォール・ストリートのトレーダーがこのニックネームを与えたのだと言う。

銀行の緊張感は一気に高まった。出張中だったダイモンはドルーと共に事態の収拾に乗り出した。彼女はポジションを心配していたが、同時に若干イライラしていた。ヘッジ・ファンドは銀行を追い詰めようとしているが、銀行は大丈夫だと、彼女はダイモンに話した。彼らはポジションを急いで解消する必要性を真剣には受け止めていなかった。そんな事をすれば彼らの市場で立場は弱く成り、市場は彼らのあせりを利用しようとするだろう。部門内の殆どのキー・プレイヤーも同じ事を考えていた。これは長期的ポジションであり、誰も無敵のJPモルガンが持つほどの火力、つまりは資本を持っていない。

ドルーと彼女のチームは自分達自身をコーナーに追い詰めてしまった。そして4月13日、第1四半期の業績説明会でダイモンは口を滑らした。新聞が報道する「コップの中の嵐」的なストーリーについて、アナリストから質問されたダイモンは、その表現に魅入られたかのように返答した。「これは完璧にコップの中の嵐です」と彼は言った。その表現は、彼が続けた穏やかな企業的発言の中では、唯一の引用する価値のある言葉だった。そしてその言葉はストーリーの寿命を長引かせてしまった。若し彼の見積もりが間違っていたら、ダイモンは、猫かぶりか、事実を把握してない貧弱な経営者かの、どちらかになってしまう。

取引はさらに多くの損失を出し始めた。戦場のような気分が辺りを覆い、それはチーフ・インベストメント・オフィスから銀行内のより多くのプレーヤーへと伝染して言った。特別チームがロンドンへ飛び、24時間体制で働き、膨大な指示を出した。余りにも厳しかった為に、データーベース担当で、過去に心臓病を患ったある男性は、ストレスで死んでしまう事を恐れて辞任した。マクリスとマーチン=アルテイジョはニューヨークと頻繁に電話会議を開いた。マーチン=アルテイジョは神経質に長々とした説明を繰り返し、マクリスはしばしば彼に怒りを爆発させた。ドルーは平静を保とうと努力していた。しかしながらしばしば、その声のトーンは、事態が如何に切迫しているかを明かしてしまっていた。「私はそんな事を訊いていない」彼女はマクリスを叱責した。別の時には怒鳴りつけた。「直ぐに知る必要があるの!」

過去に銀行を襲った別の危機の時、ドルーは最も生き生きとして機敏な人間だったと、あらゆる証言が語っている。しかしこの件の時は、彼女には一歩引いて全体像を見る余裕が無さそうだった。危機を扱うドルーの能力に対する信頼は次第に漏れ出し始めた。5月、銀行のチーフ・リスク・オフィサーのジョン・ホーガン(John Hogan)がポジションの管理を引き受けた。この件は公式にドルーの手を離れた。ドルーは依然、損害をコントロールできると考えているようだった。明晰な目を持つことで有名なリスク・マネージャーは今や事態を信じたくない人間であるかのように見え始めていた。彼女以外の全ての人には、今や銀行が全ての損失を公表する必要があるのは明らかだった。それは非常に大きな恥辱だった。正しく慎重な人間を配置し、充分注意深くあれば、銀行は自分自身を管理できると、監査人や議会に対しダイモンが説得しようとしていた正にその時に行われた失敗の公表だった。そして短期的には株価が急落する事を意味していた。

ドルーを取り巻くムードは暗かった。オペレーティング・コミッティーのメンバーがダイモンに彼女を解雇するよう迫ったという話が建物内に出回っていた。「イーナは知らなければいけなかった」ある銀行員は言う。「全員が知っていた。彼女は深く関わっていたって。これは同僚に支持してもらえないとか言うような話じゃ無い。同僚が背中にナイフをつきたてたのさ。」

ダイモンでさえ、ドルーに向けられた怒りに気分を悪くしていた。危機の時、「何人かはまるで子供のように振舞う、殆どはそれに立ち向かおうとするんだがね。」彼は言った。「イーナを責めた人達に私は言ったさ、『これがイーナなんだ。イーナはいつもこうなのさ。君は何を言っているんだね?』」

5月第2週までには、ストレスの影響ははっきりし始めた。同僚達はイーナがマスカラを滲ませながらエグゼクティブ・フロアを歩いているのを見た。病気を患ってから続く僅かな手の振るえは悪くなっているように見えた。彼女の精神状態を示す体の兆候だった。彼女は依然として申し分ない服装で出勤していたが、体重が減り、陰気な様子で、殆ど倒れそうだった。銀行が損失を公表することを決断した週、20名のシニア・メンバーが47階の会議室に集まった。集まった人間は皆、自分たちが発見した事、そしてさらに明らかにしなければならない事を話した。45分後、会議が終わりに近づいても、ドルーは彼女らしく無い事に、一言も発していなかった。最後に、銀行のチーフ・リスク・オフィサーのジョン・ホーガンが尋ねた。「何か必要なものはあるかね?誰か助けを必要としている者はいるか?」ドルーは手を上げた。「助けが必要です。」それは白旗だった。

母の日までに彼女は辞任の手紙を書いた。そして月曜日の午後、彼女は去った。

7月、銀行は再び利益を上げ始めた。しかし、当該部門のトレーダーが期末の理論的損失と利益を示す数字を自分たちの好きなように手を加えている可能性があり、「第一四半期におけるポートフォリオ中の損失の全体量」が完全には明らかになっていない懸念を銀行は公表した。(ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、社内調査に詳しい人間の話として、マーチン=アルテイジョが監督下のイクシルに、ポジションの期末の資産評価を上げるよう促したと報道している。)マーチン=アルテイジョの弁護士、グレッグ・キャンベル(Greg Campbell)は、自分の顧客について「直接損失を隠そうとした事は無い」と述べている。イクシルはコメントを拒否している。ヘッジ・ファンドや他の機関のコンサルタントをしているピーター・チール(Peter Tchir)の話では、数値が変更されていようと無かろうと、そのポジションの大きさは当惑させるものであり、その明らかな脆弱性は詳細な分析を避けがたいと言う。誰も訴えられた者はいない、しかし調査は続けられている。

おそらくドルーはまだ信じているだろうと、銀行内の人間は話している。マクリスも又そう信じているように、充分な時間を与えられればポジションは上手くいっていたと。おそらく彼女がもっと早く適切な質問をしていればトレーダー達は事態を明らかにすることを強制されていただろう。あるいはコントロール不能になる前に彼女は危険を察知していたかも知れない。今まで多くのシステムが失敗を犯してきた。そしておそらく、彼女の判断も失敗する事はあるのだ。

ドルーは、大きな画を理解できる人間として知られていた。彼女は内部から湧き上がる直感が、殆どいつも正しいと言えるレベルまで、歴史的なトレンドと経済循環を内部化していた。彼女はまた自分流のやり方を持っている人間としても知られていた。しかしこの件で彼女は、モデルを確認するだけでは計る事が出来ない、複雑に絡み合う人間関係の力学を把握出来ていなかった。ポジションがリークされているとか、新聞が明らかにしてしまうかも知れないとか、監査が強化された環境では全てがいっしょくたにされてしまうとか、そういった事態を把握できなかった。

ここ何年か、ドルーの友人の1人は引退について彼女に話してきた。その友人にとって、これは又別のリスクの計算だった。何れにしても充分早い時期に引退するべきだと友人は助言した。まだトップにいる内に、時代が彼女の味方を止める前に。もし長く待ち過ぎると誰か他の人間がそれを決める。あるいは何かが悪くなる。いつもそうであるように。

ドルーの友人達でさえ、彼女が職に留まるべきで無いと考えている。特に現在の監査の状況では。彼女は何れにしても60億ドルを失った部門を監督していたのだ。「彼女は去らねばならない。」友人の1人は言う。「彼女自身も判っているはずだ。」あるウォール・ストリート・ジャーナルの見出しは言っている、「それこそ高級を払っていた理由だ。事態が悪化したとき責任を取らせる為に。」

ドルーは2年分の報酬を失った。しかし彼女は依然として富裕で、辞任に当たって株式の所持を認められている。ダイモンが報酬を一部放棄しないことに批判的な人間も存在する。

ドルーはJPモルガンを去った後の最初の週をいつも通りに過ごした。マンハッタンの、パーク・アベニューと47番通りが交差する場所へ向かうのだ。しかし270パークへ入るのでは無く277パークへ向かう。丁度通りの反対側。多くの大企業は、象の墓場として知られるオフィスを持っている。引退したチーフ・エグゼクティブはそこに、オフィスと秘書を与えられる。会社の弁護士が告げた通り、ドルーはJPモルガン・チェースの象の墓場に一時的なオフィスを与えられた。そこは偶然にも、かつてのケミカル銀行の建物の中だった。ドルーが出世の階段を上りながら、長い時間を過ごした場所だ。彼女はダイモンが直ぐに電話をくれなかった事に驚き、傷ついた。「きっと法律的な問題の為ね。」彼女は友人にそう話している。彼女は自分の事を「打ちひしがれている」と話した。

数週間後、弁護士からの質問は少なくなってきた。そしてダイモンは公衆の前でドルーと彼女のしてきた仕事を賞賛した。「イーナ・ドルーについて少し話させてください。」彼は7月の第2四半期業績報告の途中で言った。「私はイーナを、プロフェッショナルとしても個人としても、非常に尊敬しています。彼女はこの会社に幾つもの巨大な貢献をしました。」彼女は不正行為を糾弾されなかった。そして調査が進む中、銀行は彼女の清廉さを守り続けるつもりでいるようだ。

ドルーにとって、ダイモンのコメントは分岐点だった。最終的に彼女は知った。そして世間も知った。ダイモンが彼女を悪く思っていないと言う事を。彼女は東ヨーロッパへの旅行を計画し始めた。彼女の友人達は、ドルーが良くなってきてはいるが、体調はまだ弱いと見ている。

ドルーの古い友人、2005年に銀行を去ったグレン・ハブリセクは現在、殆どの時間をパロ・アルトのGLMXと呼ばれる会社で、ハイテクのトレーディング・プラットフォームを構築しながら過ごしている。ニュースが駆け巡った時、彼はドルーの事をたくさん考えた。2人が金利リスクの予防策を最初に始めた日々を思った。その当時はとても革新的と思った考え、そして現在では、内部に曲折を待つ現代的な数十億ドルの取引に比べれば、とても単純に見える考えを思った。2人は何回も話をしている。一番最近では、彼女が旅行へ出かける直前に話した。彼が知る中で、最もタフで面白く思いやりのある女性の1人であるドルーが、そこまで打ちひしがれているのを聞くのは彼にとっても痛ましかった。「イーナ、」彼は言った。「時々思うんだ。あのケミカルの日々へ戻れるなら右腕だってくれてやるんだけどなってさ。判るだろう。」

「えー、そうね。」ドルーは静かに答えた。「私もそうよ。」

~~ここまで~~

次回更新は11月24日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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