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ナイルのピラミッド、エジプト?いいやスーダンさ。

連休と言う事で旅行記をUpします。

記事を書いたのはアンドリュー・マカーシー(Andrew McCarthy)さんです。元記事はここにあります。

スーダンのピラミッド巡りの記事です。

~~ここから~~

ナイルのピラミッド、エジプト?いいやスーダンさ

「一番早いラクダはいくらだい?」私は背の高い男に聞いた。彼は大きなターバンを被り、垂れ下がる口髭を蓄えていた。

アブドラーマンは私に微笑んだ。「来い」と彼は言った。そして土壁と柱で出来た小屋の裏へと急いだ。そこには金色の毛皮をしたアブルーサが堂々とたたずんでいた。

アブドラーマンはラクダを跪かせると、私に指し示した。「乗れ」私の顔に向けて小枝の鞭を振りながら彼は言った。選択の余地も無く私はその巨大な獣に跨る。そしてアラビアのロレンスを思い浮かべながら、左の膝をサドルの突起で包むと、足の甲をもう片方の膝の後ろに引っ掛けた。アブドラーマンが小枝の鞭を鳴らすと、アブルーサは急に立ち上がり、すぐさま砂漠を横切り始めた。

アブルーサは(ラクダにしては)スムーズに足を運ぶ。そして私が頻繁に引っ張る手綱に、とうとう従ってくれた。彼は向きを帰ると主人の下へと戻った。アブドラーマンは、自慢げな父親のように私を迎えた。

「お前のものだ。」彼は笑った。「たった5000ポンドだ。」

問題を抱える世界中の地域の中でもアフリカ第3の広さを誇るスーダンは、最も多くの問題を抱える国という世評を勝ち取っている。ダーファー(Darfur)と言う名前から連想されるものは残虐行為と飢餓だ。新たに誕生した南スーダンとの国境や石油を巡る不和は、永続的な緊張関係をもたらし、それは50年以上の間、全く収まる様子も無く続いている。9月末に、スーダンと南スーダンの大統領は、石油輸出再会に繋がると期待される合意に調印した。しかしながら、この地域を仔細に監視する全ての人が、緊張関係は続くと予測している。

危険愛好家では全く無い私は、ウィル・ジョーンズ(Will Jones)と共にスーダンへ来た。彼は自分の会社、ジャーニーズ・バイ・デザイン(Journeys by Design)で、数多くのアフリカ・トップ観光地向けガイド・サービスを提供している。彼はスーダンに調査旅行に来ており、私はそれにくっ付いて来たのだ。

私達が目指したのは僻地の―そして安全な―北部、ヌビアン砂漠。そこはエジプトよりも多くのピラミッドが集まっていて、殆ど外部の人間が訪れた事の無い地域だ。しかし私はどのような目的地よりも、そこに住む人々の方に関心があった。私は、このような強い緊張感の元で、かくも長く暮らす人々がどのような生活をしているかに興味があった。彼らにどのような影響が及んでいるのか知りたかった。

暑くて乾いた風が私に吹き付けている。私は、青ナイルの河岸で大きなマホガニーの木の下に佇んでいた。そこはスーダンの首都、ハルツームだ。私の左方あまり離れて無い場所、河が曲がった所で、白ナイルと青ナイルが混ざり合っている。流れはまるで臍の緒のように曲がりくねりながら砂漠を北上しエジプトに入る。そして最終地の地中海へ流れ込むのだ。ハルツームに対する最初の印象は、道路の清潔さと秩序だった。アフリカの他の場所では殆ど経験した事が無いものだ。道路はきちんと舗装されていて、この大陸では至る所で目に付くビニール袋が散乱する情景は何処にも見当たらない。

「信じようと信じまいとだな、」河沿いを散歩中、ウィルは私に言った。「スーダンは実際に渡航先として上昇しつつあるんだ。」

しかし2011年に南スーダンが分離独立してから、この2カ国に対する信頼できる観光客数統計は殆ど見つける事が出来ない。私の滞在中、明らかに外国人と判る人々は僅かしかいなかった。国際記念物遺物会議(International Council on Monuments and Sites)へ提出された報告では、ピラミッドが存在するメロエ(Meroe)を訪れた旅行者、および訪問者は年間6000人しかいなかった。

私達は、壊れかけたキャブの横に小さな布を広げてお祈りを捧げるタクシー・ドライバーの横を通り過ぎた。橋の下の土の地面では、背の低いプラスチックのテーブルや椅子が並べられ、カラフルなドレスを着てスカーフを被った女性や、半袖シャツとか白いジャラバ(djellaba:アラブの民族衣装)を着た男性の一団で埋まっている。彼らはお茶を飲み、大勢の者がタバコをふかし、静かにお喋りをしていた。私達は粗末なカフェに腰を下ろした。小さな少年が甘すぎるお茶をグラスに2杯運んできた。スーダンの至る所で提供されるお茶だ。下の河面を、2人の男が乗ったボートが、息の合ったオール捌きを見せながら上流へと進んでゆく。遠くの対岸では年老いた男が、1ダースくらいの骨ばった家畜を静かに見ている。

「こんな場所とは思わなかったな。」私は言った。

ウィルは頷いた。「全く平和さ。そうだろう?」

私達はスーク・オムダーマン(Souk Omdurman)へ向かった。この街で一番大きな市場だ。狭い路地や屋根つきの通りは生命で満ち溢れていた。年老いた男が、靴やガーリックの山、積み上げられたバナナの横に腰を下ろしている。若者がミシンに屈みこんでいる。ガス缶に飲料水が満たされ、誰でも喉の渇いた人が飲む事が出来る。年老いた婦人が私達にお茶を振舞ってくれた。小さなカップにテーブルスプーン山盛りの砂糖を3杯入れていた。男たちがカウンターの上を覆う肉からハエを追い払っている。典型的な東アフリカの市場、ただし、かつて訪れたエチオピアとかタンザニアの市場にあったような緊張感だけが無い。

その日遅く、私は1人でオムダーマンの奥へと向かった。通りはさらに乱雑で埃っぽくなった。男達が、小さな白いピックアップ・トラックの中の、折りたたみ式ベッドに積み重なっている。そのトラックは通り過ぎるとき黒いケムリを吐き出していた。木材や鉄屑を積み込んだ荷車をロバが引っ張っている。中世のスーフィー・シーク、ハメッド・アル・ニル(Hamed al Nil)の墓所の前では、午後の太陽が、誇りっぽい墓地の横にあるゴミ捨て場を通して、光を投げかけている。そこでは群集が自然に集まり始めていた。

何処か遠くからドラムの音が鳴り始めた。歩き回っていた人々がやがて輪になり始める。直ぐに100人の男たちが入ってきて掛け声をかけ始めた。白いパリッとしたジャラバにお祈り用のタキヤ(taquyah)帽を被っている者もいれば、色とりどりのローブを着て髪をドレッドロックにしている者もいる。「アラーの他に神は無し。」彼らは繰り返し唱え続けた。ある者はクルクル回り始め、ある者は前後に体を揺らす。幾人かは同じリズムでステップを踏む。ある男は片足で飛びはね、頭を後ろへ倒している。彼の目は堅く閉じられていた。別の男は地面へ倒れ付し、のた打ち回った。彼らは自らの献身故に苦悩する者達、有名な旋回する修行僧(dervishe)だ。

掛け声は次第に大きくなり、ドラムもだんだんと強力になってゆく。それは金曜夕方のズィクル(dhikr:スーフィズムの修行)だった。リズムと共に神の名を繰り返す事で、修行者が全能の存在と直接接触する行事だ。豹柄のローブをまとった男は、大きな香炉のついたロープを振り回している。その輪の端から漂う煙と香りが私の顔へ漂ってきた。掛け声が続く中、隣に現れた若い男が私を相手に英語の練習を始めた。彼は自分はマーマウンド(Mahmound)だと名乗った。

「貴方は何人妻を持っていますか?」彼は訊いた。

「1人だけさ。」彼に答えた。

「ここの人間達は2人から3人持っています。4人いたら大物です。」彼は、中国人がスーダンへ入って来て儲けているけど、土地の人間はぜんぜん儲かって無い事などを話した。彼はアメリカへ行きたいと言う。「マイアミ・ビーチに行きたいです。」彼は言った。「それにラス・ベガスも。とても美しい所です。貴方は行ったことがある?貴方は運の良い男ですね。」

そこへ長いローブを羽織って緑の縁無し帽を被った若い男が、踊りながら輪の端へやって来た。彼は私を含むその辺の人へ、スプレー缶から何かを噴きかけていった。1時間くらい踊りは続き、スーフィの聖職者達は掛け声を続けた。「神は生きている。神は生きている。神は生きている。」掛け声はどんどんと強くなり、そして太陽が墓の向こうへ沈んだ時、音楽と掛け声が、最も陶酔し高揚した瞬間、突然全てが止まった。人々は地面にうずくまりメッカの方向に向かう。そして一斉に夕べの祈りを捧げ始めた。

翌朝、熱気の中を私達は、ナイル河に沿いながら、北へ車を走らせた。街を後にすると、景色は平らで広大だった。時として現れる貧弱なアカシアの林のみが視界を遮っている。道の脇には茶色のトラック・タイヤが積み上げられている。時々、ラクダに乗った孤独な人影が遠くに見えた。私達は、緩やかに起伏を繰り返す砂漠の中でキャンプした。砂漠は静かで夜は寒かった。

私達は砂の上を、古都ドンゴラ(Dongola)へと走った。7世紀から14世紀にかけて、そこはキリスト教の王国、マクリア(Makuria)の中心地だった。今では、コプト・キリスト教教会の石柱が砂の上に立っている以外、殆ど遺跡は残っていない。大きな瓶の破片が近くに散らばっていた。これ等は何百年前、あるいは何千年前の物なのだろうか?ここには誰も居なかった。

一週間の間、私達はナイルを何回も横切りながら進んだ。砂漠でキャンプしたり、小さな村で宿を借りたりした。

ケルマ(Kerma)ではデフファ(deffufa)に登った。ヌビア語(Nubian)で土レンガの建物を意味する言葉だ。紀元前1500年から建っているもので、今は廃墟だ。河辺の雑踏の街カリマでは、厳しい表情で水パイプをくゆらす静かな男の隣に座った。私達はスーダンの名産、水豆のシチュー(watery bean stew)を腹いっぱい食べた。1人の男が私を家に招いてくれた。単純なコンクリートの部屋で私は、ピンク色に洗われた壁に沿って置かれた金属製の寝台の端に腰かけた。彼の若い娘が何杯も甘いお茶を、そして後でコーヒーも、ふるまってくれた。私は彼らの親切に興奮しながら、その家を後にした。

スーダン人は少ししか所有して無いが、もてるものを全て提供してくれる。恐らくこれは北部スーダンの遊牧民の歴史から来るものだろう。砂漠を横切る者は全て平等で、生き延びる為には互いを頼らなければならない。あるいはこれは、この国にアルコールが無い事、および、彼らの宗教への献身から来るものであるかも知れない。あるいは、かくも長く奮闘して来た事から来る許容であるのかも知れない。何にしても私は、スーダンの血塗られた歴史からは想像も出来ない穏健さと出会って驚かされた。

最終的に、私達は一回りして、スーダンの主要な観光地と成るべき土地、かりに上手くいったとしての話だが、メロエのピラミッドへとやって来た。それらはエジプトの巨大ピラミッド群と比べるとはるかに小さい。しかしその環境、メロエの敷地の静けさとその広さは、印象的だ。約200のピラミッドが砂漠の中に打ち捨てられている。多くのピラミッドは頂上が切り取られていた。1834年にイタリアの探検家ジュゼッペ・フェリーニ(Giuseppe Ferlini)が、宝物が中に隠されていると言う間違った俗信の元に切り取ったものだ。日没時に一回、そして日の出時にもう一回、私は遺跡の敷地を歩いた。

「ここの観光業は始まったばかりだ。」その日遅く、太陽がオレンジ色のフットボールのようになりながら、砂漠へ沈んでゆくのを眺めながら、ウィルは言った。「驚くべきチャンスさ。10年もすると、ちゃんとした管理が無いと、こういった土地は直ぐにスポイルされてしまうだろう。」

ハルツームへの帰り道、道の遠く先から埃が舞い上がっていた。私達はそこへ向けて車を走らせている。私達がラクダ市場に出会ったのはその時だった。1000頭強のラクダ達が集まり売り買いされていた。アブドラーマンが私に近づいてきたのはその時だ。

「あそこに集められているのは、」彼は不幸せそうな一群を指差しながら言った。「ダーファーから来たものだ。ダーファーでは食用に育てている。エジプトへ行くものだ。しかしこれは、」彼は誇らしそうに数頭の美しいヒトコブラクダを指して言った。「東スーダンから来たものさ。レース用だ。最高値のものでサウジ・アラビアに行くんだ。」

そして彼は試し乗りを勧めた。私は断れなかった。降りた後、値段が高すぎると彼に言った。「それにニューヨークでいったいラクダで何をするんだ?」私は尋ねた。

アブドラーマンはゆっくりと頷いた。そして私の目を真っ直ぐに見つめた。「来い」彼は重々しく言った。ラクダの糞をその場から蹴り飛ばして、私達は砂の上に座り込んだ。「それについて話し合おうじゃないか。」

~~ここまで~~

次回更新は12月1日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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