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神童はどうやって育てればよいのか

教育に関する記事をUpします。

記事を書いたのはアンドリュー・ソロモン(Andrew Solomon)さんです。元記事はここにあります。

いわゆる神童と呼ばれる人たちに関する記事です。

~~ここから~~

神童はどのように育てたら良いのか

ドリュー・ピーターセン(Drew Petersen)は3歳半になるまで喋らなかった。しかし母親のスー(Sue)は息子が愚鈍だとは思わなかった。1994年、息子が未だ18ヶ月だった時、彼女は息子に読み聞かせをしていて言葉を一つ飛ばした事がある。するとドリューは体を乗り出して飛ばした言葉を指し示したのだ。その時ドリューは、まだ多くの音を出す事も出来なかったのに、既に深く言葉に注意を払っていた。「息子は教会の鐘に大きく反応していました。」スーは私に言った。「鳥のさえずりを聞くと立ち止まるんです。」

子供のときピアノを習ったスーは、古びたアップライトでピアノの基本をドリューに教えた。ドリューは音楽の譜面に魅せられた。「息子は楽譜を解読しようとしていました。」スーは言う。「私は、もともと少ししか覚えてなかったんですけど、音符の決まりを思い出そうと頑張りました。どれがト音記号だとかね。」ドリューが私に話してくれたところでは、「あれはまるで13種類しかアルファベットを学ばないで文章を読もうとしているみたいだった。」彼はヘ音記号が何であるか自分で解読した。そして彼が5歳になって正式にレッスンを始めた時、彼の教師は、最初の6ヶ月分の教科はスキップできると言った。1年もしない内にドリューはカーネギー・ホール内のリサイタル・ホールでベートーベンのソナタを演奏していた。「喜ばしいことだと思いましたよ。」スーは言った。「でも、あまり深刻に受け取ってはいけないとも思いました。息子は未だ小さな男の子なんですから。」

ある日、幼稚園へ向かう途中、ドリューは母に尋ねた。「家に居ても良い?他の事を学ぶ為に。」スーは言葉を失った。「息子はもう、こんな厚い本を読んでいたんですよ。でも幼稚園ではまだ、大きく書かれたMとか前に皆で学んでいるんです。」彼女は言った。今、18歳になったドリューは言う。「最初は寂しかったけど、時間が経つと受け入れられました。そう、自分が他の誰とも違うって事を。でも結局みんな僕の友達に成ってくれましたけどね。」ドリューの両親は彼を私立の学校へ入れた。両親は彼に新しいピアノを買い与えた。息子が7歳の時、アップライトのピアノではダイナミックなコントラストを出せないと言い出した為だ。「あれは今までで一番高い支出でしたよ。家の頭金を払った時以外ではね。」スーは言う。ドリューが14歳のとき、彼はハーバードが作った家庭学習用のプログラムを発見する。2年前彼と会った時、彼は16歳で、マンハッタン音楽学校(Manhattan School of Music)で学んでいて、バーバードの学士号を取るのに後半分のところまで来ていた。

神童達は幾つかの分野で、優秀な大人のレベルの実力を12歳より前に発揮する事が出来る。「神童(Prodigy)」と言う言葉はラテン語の「prodigium」から来ている。自然の秩序を乱す怪物を意味する言葉だ。こういった子供達は、生まれつき障害を持つ人と同じように、明らかな相違点を持っている。そして私が彼らを調査しようと思ったのは、そういう文脈においてだった。私は、成長する上での経験が両親や周りの世界と激しく異なっている子供に関する文献を10年間研究してきて、汚点とも言える相違点、自閉症、聾唖、小人症、性同一性障害などが、しばしば輝かしい内面を覆い隠している事を発見した。これらの外に見える障害と取り組む家族は、その中に隠された深遠な意味を、しばしば美さえもを、発見する事がある。神童はその反対に遠景から見ると輝いている。しかしそれは大量の雲を伴っている。天才は、時として困惑を呼び起こし、障害と同じくらい厄介なものであったりする。過去一世紀間に起きた心理学や神経科学における全てのブレークスルーをもってしても、神童とか天才は、自閉症と同じ様に僅かしか理解できていない。「天才は異常なものであり、別の異常性の徴候である場合もあります。」若いピアニスト達を教える、恐らくは世界で最も卓越した教師、ジュリアード学院のヴェダ・カプリンスキー(Veda Kaplinsky)は言う。「多くの才能ある子供達が、A.D.D.(Attention Deficit Disorder:注意欠陥障害)であったり、O.C.D.(Oppositional Defiant Disorder:反抗的行為障害)であったり、アスペルガー症候群であったりするのです。両親が子供の持つ2つの側面に相対した時、多くの人は直ちにその良い面を認識します。才能ある特別な側面です。そしてしばしば、その他全てを無視するのです。」

私達は野心溢れる時代を生きている。最近私が息子の為にしたように、ニューヨークのプレ・スクールで入学手続きをすれば、それだけで年少時から卓越する事へのヒステリー、子供の運命が赤ん坊の内から高い梯子に足をかけることにかかっていると言う広く受け入れられている信念を目撃するには充分だ。この問題における親たちの強迫観念は、最初の経験が人格形成に影響する事を強調する発達精神医学の指導的理論を反映している。私達は今や、脳の柔軟性は時と共に失われて行く事を知っている。成人を矯正するより子供を型にはめるほうが容易なのだ。私達はこういった情報を元に何をすれば良いのだろう?私は自分の子供の為に、児童の価値が競争優位を維持することにかかっていると言う考えを、嫌悪する。しかし子供たちが自分の力を発揮しきれないで終る事もやはり嫌悪する。子供を威嚇して従わせるタイガー・マザー達は、精神の健康よりも、狭いカテゴリーにおける成功を重要視し過ぎる。アタッチメント・ペアレンティング(Attachment parenting:愛着育児)は、限界の無い受容と言う理想の為に、しばしば子供の成長可能性を犠牲にし、同じ様に有害である場合がある。世界に通用する回答を提供するのは魅力的ではあるが、顕著な才能を持つ子供の家族と過ごしてみると、1人の子供では有効な方法が、別の子には災厄である事が理解できる。

成功するよう圧力を受けて実際に成功した子供は、成功への圧力を受けて失敗した子供とは、非常に異なる軌跡を辿る。私はかつて、郎朗(Lang Lang)と話した事がある。神童と言って良い卓越さを持ち、おそらく世界で最も有名なピアニストだが、彼の父親の暴力的な方法、自殺しちまえと言ったり、賞賛を全て拒否したり、息子を威嚇して卑屈な服従を強いたりする方法は、アメリカの基準に照らせば児童虐待と見なされただろう。「父があんな風に僕に圧力をかけ、それで僕が上手くやれなかったら、あれは児童虐待だっただろうね。僕はトラウマを受けて壊れてしまっていたと思うよ。」郎は答えた。「父があんなに過激にやらなくても僕らはやはり同じくらい成功したと思う。音楽家に成る為に全てを犠牲にする必要は無いさ。しかし僕らは同じ目標を持っていた。だから、父がかけた圧力は僕が世界的に有名なスター・ミュージシャンに成るのを助けたんだ。僕は自分が現在スター・ミュージシャンであることを愛しているし、結局は素晴らしい成長過程だったと、僕は言うだろうね。」

しかしながら、子供たちに余りに厳しい圧力をかけすぎて子供を壊してしまう親が居る事も事実だ。そして子供の恵まれた能力とその情熱をサポートする事に失敗し、子供が楽しんだであろう人生を取り上げてしまう親も居るのだ。貴方はどちらの間違いも犯す可能性がある。普通の子供を育てるのにもコンセンサスが無い事を思えば、才能を持つ子供の育て方にもコンセンサスが無いのは驚くに値しない。重い困難さを背負う子供の親と同じく、特別才能ある子供の両親も、自分達の理解を超える若者の保護者であるのだ。

ピーターソン家と共に過ごしながら私は、彼らが互いに示す献身だけで無く、クラッシク音楽に付き物の上流崇拝をこの家族がいとも簡単に避けている事にも驚かされた。スーは学校で看護師をしており、夫のジョーはフォルクスワーゲン社のエンジニアだ。2人とも、ドリューが自分達を導いて行きそうな生活は、予想もしないものだ。しかし2人はそれを怖がってもおらず、せっかちに追い求めてもいなかった。2人は依然として勤勉であり、賢明だった。「正常な家族を、どういう風に言い現します?」ジョーは言った。「私にとって正常な家族を言い現す唯一の方法は、幸福な家族だと言う事だけです。子供たちがこの家にもたらしてくれたのは、数多くの喜びです。」私がスーに、ドリューの才能が、弟のエリックを育てる上でどんな影響を与えたか訊いた。その時、彼女は言った。「それはすごく困惑させられるほど、違ったものなんです。エリックの兄が障害を持っていたり義足をしていたりするのと、とても似てるでしょうね。」

神童性が最もしばしば現れるのは、運動、数学、チェス、そして音楽の分野だ。夢のコンピュータのように、チェスの動きとか数学の式を扱うことが出来る脳を、子供が持っている事はあるかも知れない。それはそれで謎をはらんでいる。しかし、音楽に必要な成熟した感情を、如何にして成熟していない人間が表現できるのか?「子供は恋愛物語とか戦争物語、善と悪の物語、それに古い映画とかが好きです。何故なら子供の精神世界は殆ど想像だけで成り立っているからです。」かつて偉大なる神童ピアニストで、現在公開演奏をせず、メトロポリタン・オペラで働いているケン・ノダ(Ken Noda)は言う。「彼らは想像した感情を演奏に込めていて、それがとても説得力を持っているんです。私もこういった感覚を想像する驚くべき能力を持っていました。それは才能の一部なんです。でも、その力は枯渇します。全ての人がです。それこそが、多くの神童が10代後半や20代前半にミッドライフ・クライシスを迎える理由なんです。もし僕らのイマジネーションが経験によって補充されないと、その人の演奏の中で、こういった感覚を作り出す能力は減少して行きます。」

音楽家はしばしば私に話してくれる。はたして、バイオリンを毎日何時間も練習し、シェイクスピアを読み、物理を勉強し、恋に落ちる事で、卓越した演奏が出来るようになるかどうかを。「音楽と人生における成熟は生活を通して身に付けなければいけないんだ。」バイオリニストのユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin)はある時、言った。彼の言うような成熟した人生への扉を開く者、あるいは妨げる者は誰なのか?音楽の神童が自分の才能を発達させる鍵となるのは、両親との共同作業だ。両親のサポートなしに子供が楽器に触れる事は無い。そしてどんな天才でも、必須の技術トレーニングとか、成熟した表現に必要な感情面の心配りとかを、両親のサポート無しに得られる事も無い。この分野の学者である、デイビッド・ヘンリー・フェルドマン(David Henry Feldman)とリン・T・ゴールドスミス(Lynn T. Goldsmith)が言ったように、「神童はグループ企業」なのだ。

神童の内、何人かはスプリンター・スキル(splinter skill:特定分野のみ秀でている事)に依存している。それは、例えば音楽においては全ての知覚を音楽に占有させてしまう能力だ。そういった子供達は、その他の全ての領域で実質的に不適合者となる。それとは別に、一般的な能力においても目くるめくような成績で、数多くの才能の中から音楽を選択した神童もいる。ミハイル(Mikhail)とナタリー(Natalie)のパレムスキー夫妻(Paremski)はソビエト・システムの中で快適なポジションを占めていた。ミハイルはクルチャトフ原子力研究所に在籍し、ナタリーはモスクワ工学物理研究所に在籍していた。2人の娘、ナターシャ(Natasha)は1987年生まれで、ピアノに対して早熟な興味を持っていた。「私が台所に居た時、ピアノの音が聞こえて、誰が演奏してるんだろう?って思ったんですよ」ナタリーは思い返す。「見てみたら赤ん坊だったんです。子供向けの曲を演奏していました。」4歳に成った時、ナターシャはショパンのマズルカ(mazurka:ポーランドに伝わる3拍子の舞曲)を子供コンサートで演奏するように成っていた。

ソビエトが崩壊した後、ミハイルはカリフォルニアに移住する。家族も1995年に後に続き、ナターシャは4年生に編入した。クラスメート達より2歳若かった。数ヶ月後には彼女は訛りの無い英語を話すようになり、学校内の全てのテストで一番になっていた。家族にはピアノを買うお金が無かったが、最終的に安物を見つけ出してきた。「キャベツみたいな音がしたわ」とナターシャは振り返る。彼女はハイドンのコンチェルトとかベートーベンのソナタ、ショパンのエチュードを演奏し始める。「皆に言われました。『娘さんが誇らしいでしょう』って。」ナタリーは私に言った。「そう言われたら、別に私が誇る事ではありません、ナターシャが自分でやったことですからって答えていました。でもそう言う答え方はアメリカでは礼儀正しく無いって学んだんです。だから今ではこう言います。『本当に娘を誇りに思います』って。そうすれば会話がはずみますしね。」ナターシャも同意する。「私に練習させる為に両親がどうしたかですって?」16歳の彼女を私が最初にインタビューした時、彼女は訊き返した。「私に、食べたり寝たりさせる為に両親がどうしたと思うんです?」

ナターシャは14歳で高校をトップの成績で卒業し、ニューヨークのマネス音楽大学(Mannes College the New School for Music)から学費全額免除のオファーを受ける。彼女の母は、ニューヨークでの生活で心が貧しく成る事を心配していた。「皆生き残るのに必死で理想の為に使う時間なんて無いでしょう!モスクワみたいに。」ナタリーは言った。それに対し娘は答えた。「理想こそ私の生きる糧ね。」ニューヨークに移り住んだ当初、ナターシャと母は電話で定期的に会話していた。ナタリーは最後に言った。「ニューヨークへ行かせて上げる事が私から娘へのプレゼントでした。娘に自分の人生を歩ませてあげることが。」

2004年、ナターシャが16歳の時、私は彼女のカーネギー・ホール・デビューを観に行った。彼女はラフマニノフ・ピアノ・コンチェルト2番を演奏した。ナターシャは、波打つ髪に、空気の精(sylph)のような容姿の美しい若い女性に成長していた。腕が自由に動かせるようにノースリーブの黒いビロードのドレスを着て、おかしいほど高いヒールを履いている。ペダルを踏む時、高い方が梃子を利かせられるのだと彼女は言った。両親は来ていなかった。「2人とも、協力的過ぎて来られなかったのよ。」ナターシャはコンサートの直前にそう私に言った。後にナタリーが説明してくれた。「もしあそこに行っていたら、全部の音を心配する余り、じっと座っていられなかったと思うの。それはナターシャには迷惑でしょう。」

ナターシャが後に言ったところでは、経験した事も無い感情を表現する音楽家の能力は、特に変わったものだと思わないと言う。「もしそういった感情を経験していたとしても、音楽の中でその感情をより良く表現する助けになるとは限らないでしょう。私は演技者であり、実際にそういう人格を持っているわけでは無いのよ。私の仕事はそれを表現する事で、そういう風に生きる事では無いわ。ショパンはマズルカを書いた。聴衆の中の誰かさんはマズルカを聞きたがっている。だから私はその誰かさんが理解できるようにスコアを解釈するの。とても難しい仕事よね。でもそれは私の人生経験とは関係無いわ。」

英国人法律家のデインズ・バリントン(Daines Barrington)は1764年に8歳のモーツアルトを審査した後に書いている、「彼は作曲の基本原則について包括的な知識を持っている。彼は又、転調に関する偉大なマスターであり、一つのキーから別のキーへ移る際、非常に自然であり賢明だ。」それでもモーツアルトは明らかに子供だった。「私の為に演奏している間に彼のお気に入りの猫が入ってきた。そしたら彼は直ぐさまハープシコードから離れてしまった。私達はしばらくの間、彼を演奏へ戻す事が出来なかった。他にも彼は股の間に杖を挟んで、馬に乗っているかのように部屋中を走り回ったりした。」

全ての神童は、このようにマスター性と子供らしさが混ざったキメラだ。そして音楽における洗練さと個人的な未熟さのコントラストは衝撃的でさえある。私がインタビューしたある神童は、7歳の時、バイオリンからピエノへスイッチした。母親には話さないと言う条件付で彼女は私にその理由を教えてくれた。「私は座りたかったのよ。」彼女は言った。

クロエ・ユ(Chloe Yu)はマカオで生まれ、17歳の時、勉強する為に合衆国へ来た。彼女は25歳で結婚し、翌年カリフォルニア州パサデナで、息子のマーク(Marc)が生まれた。妊娠中クロエは息子のためにピアノを弾いた。マークが3歳になったばかりの頃、彼は2本指で幾つかの曲を弾いた。数ヶ月もしない内にクロエは、息子の芽生えつつある才能に充分答えられる教師を見つけて来た。5歳の時、彼は自分のレパートリーにチェロを加えた。「直ぐに息子はもっと多くの楽器を求め始めました。」とクロエは私に言う。「私は言ったんですよ。『ここまでよマーク。現実的になりなさい。2つで充分でしょう』って」

クロエは取り組んでいた修士号をあきらめた。彼女はマークの父と離婚していた。しかし金も無かった2人は、別れた夫の両親の家で、ガレージの上の部屋に住む事になった。マークの祖父母は彼の「極端な」ピアノへの没頭を許してはいなかった。「息子の祖母は息子をとても愛しています。」クロエは言う。「でも祖母は息子に普通の5歳児になって欲しかったんです。」マークが幼稚園に行くように成った時、演奏する準備が息子に整ったと感じたクロエは、土地の老人ホームとか病院とかに行ってフリーのリサイタルの話を持ちかけた。直ぐに新聞がこの若い天才に関して報道を始めた。「息子がどんなに才能に恵まれているかを理解し始めた頃、私は本当に興奮しました!」クロエは言う。「そして又、本当に怖くもなったんです!」

6歳のときマークは才能ある若者に送られる奨学金を得た。それでスタインウェイ・ピアノの頭金を払う事が出来た。マークが8歳になるまで、彼とクロエはレッスンの為に頻繁に中国と行き来した。クロエはその理由を説明する。アメリカ人の教師は息子に幅広く解釈可能な考えを提示して自由に探求させる傾向があるのに対し、中国人の教師は一歩一歩段階的に教えてゆくのだと言う。私はマークに、そんな遠くの場所へ往復するのは大変ではなかったか尋ねた。「そうですね、幸いなことに、僕には眠気の痕跡(vestigial somnolence)が無かったんです。」彼は言った。私が眉を上げて訝しむと、「失礼、時差ぼけの事です。」と言って彼は謝った。

マークは演奏と練習のスケジュールを保つ為に家庭学習を受けた。3年生の年齢になった時、マークはSATクラスを受講し始める。クロエは彼のマネージャーとして働き、コンサートへの招待客を彼と共にチェックした。「アメリカでは全ての子供は均整が取れてなければならないんです。」クロエは言う。「皆、10種類は異なる活動をしていて、そのどれか1つで秀でると言う事がありません。アメリカ人は全ての人に同じ人生を生きて欲しいと思っているんです。これは平均を求めるカルトですね。こういう方法は遅れをもつ子供には素晴らしい事だと思います。そういう子は、他では手に入らない経験が出来るんですから。だけど才能ある子供には災厄です。何でマークは、興味があるわけでも無いスポーツを学んで過ごさなければならないんです?彼にはこんなにも優れた才能があって、それは彼にこんなにも喜びをもたらしていると言うのに。」

カリフォルニアの家で、私はマークに普通の子供時代についてどう思っているのか尋ねた。「僕は何時だって普通の子供時代を過ごしているさ。」彼は言った。「僕の部屋を見てみる?凄く散らかっているんだけど、来て見てよ。」彼は2階で黄色いリモコン・ヘリコプターを見せてくれた。彼の父が中国から送ってくれたものだ。本棚には、ドクター・スースとか、「ジュマンジ(Jumanji)」とか、「たのしい川べ(The Wind in the Willows)」とかが詰め込まれている。しかし又、「白鯨」も入っていた。セサミ・ストリートのビデオと一緒に並んでいるのはプラハやウィーンの音楽DVDなどだ。私達は床に座り込んだ。彼が見せてくれたのはお気に入りのゲイリー・ラーソン(Gary Larson)のアニメ。そして私達はマウス・トラップ(Mouse Trap)と言うボードゲームで遊んだ。

その後で私達は階下に降りて行った。マークはピアノ・ベンチの上に電話帳を乗せて、充分に手が届くようにしてから座ると、ショパンの「幻想即興曲(Fantasie-Impromptu)」を弾き始めた。彼はその曲に微妙な切望の気配を込める。棚一杯に詰め込まれたクッキー・モンスターのビデオを見ているような子供からは、ほとんど考えられないような技だ。「判るでしょう?」クロエは言った。「息子は普通の子供じゃ無い。何で息子が普通の子供時代を過ごさなければならないの。」

両親は子供の殆どの行動の淵源だ。自分が何者であるのか子供に繰り返し話す事で、恐らくは、純真さと業績を調和させる。そして両親はしばしば、その寓話を構築する間に、早く成長する事の異常さと、目的となるべき深い成長とを混同する。子供を補助する事と、子供に圧力をかける事の間に、明確な区別は存在しない。子供を信じる事と、自分のイメージに沿うよう強いる事の間にも明確な区別は存在しない。もし1人1人深く異なっている普通の子供に対して、社会が期待するものが低すぎるとしたら、神童に対する期待は、しばしば危険なほど高い。「圧倒的な才能を子供が持っていた場合、両親が惑わされてしまい、子ども自身の成長を誤らせる可能性がある。」ボストンのマクリーン病院の精神科医で天才的な子供と取り組んでいるカレン・モンロー(Karen Monroe)は言う。

もし貴方が天才を子供として持つことを夢見るなら、貴方は子供の中に輝きを捜し求めるだろう。時としてそれが無い場合でも。そのような子供は、たとえ度を越す程の注意を注がれていたとしても、真の姿を見てもらえない事で被害を受ける。彼らの悲哀は練習の厳しさによって作られるのでは無く、真の姿を見てもらえない事によって作られる。それでもなお、偉大な業績は、将来の歓喜の為に現時点の喜びを諦めることによって達成されるものであり、それは学び取らねばならない衝動なのだ。もし自由に任されたら、子供が10歳くらいでワールド・クラスの演奏家に成る事は無い。

ある音楽の神童の母親と、インタビューをセットアップしようとして電話で話していた時の事だ。私はディナーを共にしながらのインタビューを提案したが彼女は、「私達の家族には食事にうるさい人間がいるので、夕食を済ませてからうかがいます」と答えた。少女とその両親はプライバシー保護の為に匿名を希望し、私もそれを受け入れた。彼らはコートを着て来たので、私はそれをハンガーにかけましょうと申し出たが「必要ありません」と母親が答えた。インタビューの間、彼らはコートを持ったまま座っていた。私は何か飲み物を勧めたが、母親は言った。「私達は自分達のスケジュールに慣れてしまっているんです。今は飲み物の時間ではありません。」3時間の間、彼らは1人として一口の水も飲まなかった。私はホームメイドのクッキーを取り出した。娘はそれをしきりに眺めていたが、彼女が視線を向ける度に、母親は鋭くにらみつけた。私が娘に質問すると、いつも母親が割って入って代わりに答えた。娘が自分で答える時は、母親に不安そうな視線を向けた。まるで間違った答えをするのを恐れているかのように。

娘は楽器のケースを持っていたので、私は演奏を即した。「バッハのシャコンヌ(Chaconne:無伴奏バイオリン)を弾こうかと思うんだけど。」彼女は言った、母親はそれに対し、「リムスキー・コルサコフ(Rimsky-Korskov)はどう?」と言った。彼女はそれに答えて「ノー、ノー、ノー、シャコンヌの方が良いわ。」と言った。娘は私に、バイオリンを選んだ理由は自分の声に似ているからだと答えている。今、そのバイオリンが、母親の意見に逆らうチャンスを彼女に与えている。彼女はシャコンヌを演奏した。彼女が演奏を終えると母親が言った。「今度はリムスキー・コルサコフを演奏できるわよね。」娘は忠実に「熊蜂の飛行(Flight of the Bumblebee)」を演奏した。あらゆる巨匠がその腕前の証明として弾く曲だ。「ビバルディーは?」母親が言った。彼女は「四季」から「夏」を演奏した。彼女は明確で明るいトーンで演奏した。しかし、何故彼女がその少女時代をこの芸術の為に犠牲にしているかを証明するような輝きは、そこに無かった。私は、その弓が弦に触れるとき、この少女に明かりが灯る事を期待した。しかし彼女が楽器から紡ぎだしたのは激しい哀愁だった。

歴史を通して殆どの間、神童達は、何かに取り付かれた者達と考えられていた。アリストテレスは、狂気の無い天才はいないと考えている。パガニーニは、悪魔の手に自分をゆだねたと非難された。イタリアの犯罪学者、チェーザレ・ロンブローゾ(Cesare Lombroso)は1891年に、「天才とは倫理的問題を抱えたグループに属する退行性精神病患者だ」と言った。最近の神経科学は、創造性を司る脳の部位は精神疾患を起こす部位と同じような場所にある事を示している。両者共、視床におけるドーパミン・D2・レセプターの減少と関連している。二つの状態は連続しており、両者の間に明確な区分は無いと言う。

障害を持つ子供の両親は、眼に見える病の中に独自性を見ることが出来るように教育されなければならない。しかし神童の親は子供の独自性と対決し、その中に病の可能性を認識するよう教育されなければならない。例えA.D.D.とかアスペルガー症候群のような診断を受けていない子供であっても、仲間がいない故の孤独とか、無生物と強い感情的結びつきを持ってしまう事などを和らげてもらう必要がある。「もし貴方が一日に5時間も練習していて、他の子供は野球をしていたとすれば、貴方は他の子と同じでは無い。」カレン・モンローは言う。「もし貴方がそれを好きで、他の事をするなんて想像出来ないとしても、孤独を感じないわけでは無い。」

クロエ・ユが普通の子供時代を軽蔑していたとしても、メイ・アームストロング(May Armstrong)は、自分の唯一の息子、キット(Kit)が普通の子供時代を送る事は有り得ないと言う現実に、単純に合わせるしかなかった。1992年に生まれたキットは15ヶ月の時、数を数える事が出来た。メイは2歳の時、息子に引き算と足し算を教えた。そして息子は自分の力で掛け算と割り算に進んだ。庭に穴を掘っている時、息子は梃子の原理を母親に説明した。5歳になると、時間の遅延に関するアインシュタインの理論を説明してくれた。経済学者のメイは率直に言って困惑した。「本来全ての母親は、保護者として振舞おうとします。しかし息子は保護を必要としないんです。それは簡単な事ではありませんでした。」

メイは22歳のとき台湾を離れ、勉強の為に合衆国へ渡った。休日は主に1人で過ごしていたと言う。「私は孤独がどんなものか良く判っています。それで息子には自分一人で楽しめる趣味が必要だって考えたんです。」彼女は言う。それで彼女は息子が5歳の時、自分自身は音楽に何の興味も無かったにも関わらず、息子にピアノのレッスンを始めさせた。レッスンが3週間過ぎた時、キットは5線譜の助けも借りずに作曲を始めた。音楽を書き表す言葉を彼は直ぐにマスターした。

キットが3歳の時、幼稚園の彼のクラスの担任が、キットが他の子から小突き回されているとメイに報告した。「私は見に行ったんです。そしたらある子が息子から玩具を取り上げていました。」メイは言った。「どうして立ち向かわないんだって息子に言ったら、息子は『あの子は2分もすれば飽きちゃうんだ。そしたら僕は又、それで遊べるでしょう。どうして戦う必要が有るのさ?』って言うんです。息子はもう成熟しちゃってるんですよ。こんな子供に何を教えられると言うんです?だけど息子はいつも幸せそうだし、私が息子に望むのはそれだけなんですよね。息子は良く鏡を覗き込んでは笑い出す事があるんです。」メイは息子を学校へ入れた。「息子の教師は私に、他の子供達には、幼稚園でもっと成長してきて欲しかったって思うと言いました。」彼女は話した。「でも私の息子については、もう少し幼い方が良いって、彼女は思ったそうです。」

彼は9歳で高校を卒業し、ユタ州で大学生活を始めた。「他の学生達はしばしば、息子がそこにいるのが奇妙だと考えていたようです。」メイは言う。「でもキットはそう思っていなかったみたい。」その間にも彼のピアノの腕は上達し、10歳になる頃にはデイビッド・レターマン・ショーに出られる程になった。その直ぐ後、キットはロス・アラモスの物理学研究所へ見学ツアーに出かけた。ある物理学者の話では、いつもの見学に来るポスドク物理学者と違って、キットは余りにも優れていて「誰一人としてあの少年の知識の底を計れなかった」と言う。数年後、キットはM.I.T.のサマー・プログラムに参加した。そこで彼は、物理、化学、数学の論文編集を助けた。「息子は物事をちゃんと理解しているんです。」メイは私に、殆ど諦めたようにそう言った。「何時の日か、障害を持った子供の両親と話し合ってみたいです。何故って、その人達の当惑は私のと同じようなものだと思えるからです。キットに対してどんな母親でいれば良いのか、全く判りません。答えが見つかりそうな場所は何処にも無いんです。」

キットが音楽活動を続ける為に、メイは2人でロンドンへ移住する事にした。彼は直ぐに尊敬されるピアニスト、アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel)に出会う。キットがショールームでピアノの練習をしていると知ると、彼はスタインウェイを、2人のアパートへ送り届けた。

「私にはキットを助けられるような耳がありません。」メイは言う。「私に出来る事は、こんな才能を持って生まれてとても幸運なんだと、息子に言い聞かせる事だけです。私は息子に数学の教授になって欲しかったんです。その方が楽な人生を送れると思います。」そして彼女は付け加えた。「でもキットは決断しました。数学は趣味にするって。ピアノが彼の仕事です。」18歳になったキットはパリで純粋数学の修士号に取り組んでいる。彼はそれを「緊張をほぐす(unwind)」為にやっていると言う。私はメイに、他の多くの目立つ才能をもった若い人々と同じ様に、キットの神経がやられやしないか、心配した事があるかどうか尋ねた。彼女は笑った。「この状況で神経がやられてしまう人がいるとしたら、」彼女は言った。「それは私ですよ。」

才能ある子供の教育には、国全体で決められた義務など無い。しかしもし私達が、その一般的で無い脳によって望ましくない異常を示す学生には特別なプログラムが必要だと認識するのであれば、それから外挿して、一般的で無い脳による顕著な能力を示す学生に対してもプログラムを作るべきだろう。2007年のタイム誌の記事で教育家ジョン・クラウド(John Cloud)は、才能ある学生には全く援助を与えないNo Child Left Behind Act.(1人たりとも落ちこぼれを作らない教育改革法)の背後にある「過激に平等主義的な」価値観を非難した。今現在、しばしば敵対的であったり無関心であったりする教育システムと対決し、子供が必要としているものを要求する事は、今一度、両親の責任となっている。自分自身が以前天才児で、バード大学(Bard College)学長で指揮者のレオン・ボットスタイン(Leon Botstein)は皮肉たっぷりに言った。「もしベートーベンが今日、保育園に送られたら、彼は治療されて郵便配達夫になっていただろうよ。」

1970年代にゲイとして成長した私は、世界中の偏見と出会ってきた。その偏見はしばしば一線を越えて軽蔑にまで達した。両親には一度として嘲られた事は無い。しかし両親は、私が自分達と違う事に落ち着かない思いをしていて、私に異性愛(straight)に成るよう即した。私に対して真実の自分で無くなる事を強要した母と父を許す為に、私は児童における相違を研究するように成った。私が見たかったのは親が、重大な困難と直面する子供と自分達とを和解させるプロセスだった。私は多くの家族で、当初は不可解なものと見なしていたその特徴と共に、最後には子供を祝福している事を発見した。ちょうど私の両親がそうであったように。他の親にとって、それが如何に困難なものであったかを知るに連れ、私は、かなりの安堵と共に、私の両親が実際ははとても良い仕事をしたのだと結論付けた。そして自分自身も又、親になる準備が出来たと思った。

神童達に関する私の研究は、障害を持った子供達の研究と共鳴している。スー・パターソンは自分の経験を、義足を付けた子供を育てる場合と比較している。メイ・アームストロングは障害児を持つ親と共通の基盤を感じている。そして私は実感する、親で有る事は常に困惑を伴うと。そして困惑の大きさは、親達が相対しなければならない子供の心とは、あまり関係が無いと。私が研究した神童達の半数は、自分が自然にそうである以上に驚異的であるようプレッシャーを感じているように見えた。そして別の半分は、優れた才能の持ち主であるにも関わらず、より普通であるようにプレッシャーを感じているようだ。彼らの家族を研究する事で、私は次第に認識するようになった、親がする全ての仕事は推測する事だと。そしてどのような相違であれ、肯定的なものであれ否定的なものであれ、相違は推測を困難にする。親達の内面世界に対する洞察が、父親としての私を形成した。私は、もし自分の子供がラフマニノフの3番を演奏できたら、子供をさらに愛するように成るとは思わない。そして私は、非常な努力を要求する技術を持っているからといって、子供への愛が少なくなる事は無いと望んでいる。子供が重大な病気に犯されている故に子供への愛が少なくならないのと同じように。しかし私は今のところ、子供が不可解な傾向を示していない事に素直に安心している。

~~ここまで~~

次回更新は1月12日ごろになると思います。
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ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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