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免疫療法はガンを治癒する方法なのか?

科学関連の記事をUpします。

記事を書いたのはダニエル・イングバー(Daniel Engber)さんです。元記事はここにあります。

2011年度のノーベル医学・生理学賞を受賞されたラフル・スタインマンさんの記事です。

~~ここから~~

これが体内の癌を治癒する方法なのか?

クラウディア・スタインマン(Claudia Steinman)は夫のブラックベリーが暗闇の中で点滅しているのを見た。そのブラックベリーは、もう何日も丸い器の中で夫の鍵と一緒に放って置かれ、誰からも省みられていないものだった。しかし夜明けの1時間ほど前に目が覚めて、水を一杯飲もうとキッチンへ歩く彼女は、その朝早くに届いたe-mailに気が付いた。「送信:月曜、8月3日、2011年、午前5時23分。題名:ノーベル賞。本文:親愛なるスタイン博士。良い知らせです。ノーベル会議(Nobel Assembly)は本日、貴方を2011年度ノーベル医学・生理学賞受賞者に決定いたしました。」クラウディアは全部を読み終わる前に娘を起こそうとして叫んだ。「パパがノーベル賞とったわ!」彼女は泣き出した。娘のアレクシス(Alexis)は寝ぼけながら、気でも狂ったのと言った。彼女の父は3日前に亡くなっているのだ。

ノーベル財団は死者に賞を与える事は無い。そのため、ラフル・スタインマンの死が数時間後、ストックホルムへ伝えられた時、果たして委員会が賞を取り消すかどうかを巡って一寸した興味がわきあがった。結果として賞は取り消されなかった。新聞各紙は受賞に関するゴタゴタを強調して伝えた(「ノーベル審査委員会は受賞者の死に顔を赤らめた」)、しかしその失敗の背後にある物語には余り紙面を割かなかった。スタインマンの受賞資格が疑問を投げかけられた事、即ち彼が、例えば3年前でなく、3日前に亡くなったと言う事は、それ自体が一寸した奇跡であったのだ。

2007年春、スタインマンは64歳のベテラン内科医でニューヨークのロックフェラー大学で免疫学の研究をしていた。彼はスキー旅行から酷い下痢の症状を抱えて帰って来た数日後、黄色い目と肌で仕事に復帰した。彼の症状は、キィウィ大のガン性腫瘍がすい臓の頭で大きくなっていた事から来るものだった。彼は直ぐに、ガンが近くのリンパ節へ広がっている事を知らされる。彼のような状況の患者は80%が1年以内に死亡する。そして残りの90%はその後1年以内に亡くなっている。スカイプを通して腫瘍について子供に話した時、彼は言った。「これに関してググるなよ。」

しかし、研究室で一生を過ごしてきた人間、そしてニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンをヴァーモントへのハイキング旅行にも持って行ゆくような人間、家族の休暇がいつも科学シンポジウムと重なってしまうような人間にとって、この恐るべき診断に対する対応は1つしかあり得なかった。科学者としての対応だ。傍目にはすい臓ガンはとても哀れなものに見える。確立された治療法はあまり効果が無く、この病に犯されたどんな患者も、未テストの治療法に運を天に任せるしか無い。スタインマンにとっては、この診断は最後の実験を行うチャンスを提供してくれるものだった。

やがて来る長い闘病生活の間に、スタインマンは自分の寿命を延ばしてくれる有りと有らゆる方法を試す事に成る。その中でも彼は、自分が創造を助けた治療法に最大の希望を持っていた。それは、彼がノーベル賞を獲得する理由となった発見に基づく方法だ。自分の免疫細胞のプログラムを書き換えてガンを克服する治療法、それに彼は望みを託した。自分の体から採取したものから一連の治療薬を調合し、化学療法の後に続けてその薬品で治療し、全体としてカスタマイズされたダイナミックな治療法を形成する。それは、既成の治療法とは非常に異なったものになる。彼の腸内腫瘍向けにデザインされたワクチン、彼の血漿(plasma)の生成物から作られた、彼にしか利かないワクチンだ。

スタインマンはこの画期的な試みにおける唯一の患者だった。しかしこの、彼が先駆者と同時に実験台としても奉仕する個別化アプローチは、実験に関わらない私達全てに対しても意味を持っている。これはガン免疫療法(cancer immunotherapy)として知られている療法で、そこから派生した治療法は、医療現場で今、現れ始めたばかりだ。そしてこの治療法は、肌や前立腺の腫瘍に対しては、認可を受けている。なんのコントロール・グループも無く行われた彼の最後の実験において、スタインマンは彼の人生を、実り多い逸話にしようとした。自分が組み立てた治療法がどのように働くのかテストしようとしたのだ。「父は実際、ガンの診断を受けるやいなや、直ちにガン治療のパラダイムを変更する話を始めたんです。」彼の娘、アレクシスは言う。「それこそ父が、どうすれば良いのか知っている事でしたから。父は科学者としてどうあるべきかを知っていました。」

まず最初に、スタインマンは自分の腫瘍を見る必要があった。M.R.I.やCTスキャンでは無く、その物質そのものを見る必要があった。問題は、彼のようなガンを持つ患者が手術を受けた例は無いと言う事だった。もしも腫瘍が広がっていると信じるに足る理由が存在したら、そしてそういう理由はだいたいいつも存在しているのだが、それが胆管であれ胆嚢であれ、胃の大部分であれ十二指腸であれ、その器官を取り除くリスクは割に合わない。スタインマンにとって幸運なことに、初期のスキャン結果では彼の腫瘍は切除候補となりうるものだった。2007年4月3日の朝、診断が出てから2週間も経たない内に、彼はメモリアル・スローン-ケタリング・ガンセンターで4時間に及ぶ手術を受けた。そこはロックフェラー大学の彼のオフィスから、通り一つ隔てただけの場所だった。

手術台に乗ってから2時間後、外科医のダン・コイト(Dan Coit)は彼の腹部から腫瘍を取り出した。腫瘍は約2.5インチの長さだった。コイトは短い糸をそのトップに縫いつけ、長い糸を側面に縫いつけた。病理学者が向きを判断する時の助けとなる刺繍コードだ。そして標本をタオルに包み、氷のトレーに入れると上階へ送った。

クラウディアとアレクシスは、長年の友人でスタインマンの研究室のメンバーでもあるサラ・シュレジンジャー(Sarah Schlesinger)と共にロビーで待っていた。彼女は又、専門医師会認定の病理学者でもある。腫瘍は、そのあらゆる特徴を調べ、彼の治療に使う薬品をその断片でテストする為に、世界に散らばるスタインマンの同僚たちへと配布される。それを管理するのはシュレジンジャーの仕事だった。彼女が上階の研究室に着いて腫瘍を手に取った時、それは未だ暖かく、ラテックスの手袋をつけた彼女の手にもその暖かさは感じ取る事が出来た。

彼女はスタインマンが以前作るのを助けた一覧表に従って、腫瘍を細かく切り分けてサンプルを作った。数グラムがR.N.A.保存溶液の入ったねじ蓋つき試験管にしまわれた。スタイマンのアドミン・アシスタントが別の断片を、その日の午後の列車でボストンへ運ぶ。その他の幾つかの断片は、以前学生だったカング・リウ(Kang Liu)のところへ行く。彼女は小さな紙片大の腫瘍を生きているマウスの体内に縫い付けるだろう。その他に残ったものがあれば、ボルチモアの研究者、エリザベス・ジャッフィー(Elizabeth Jaffee)の所へ行く。彼女は、ペトリ・ディッシュ内のすい臓がんを培養する技術をマスターしている。

腫瘍は、シュレジンガーが、リストに載った全ての項目を満たす断片にスライス出来る程大きかった。それに続く数日間に、スタインマンの腫瘍は、ボストンやボルチモア、トロントやドイツのテュービンゲン、ダラスやノースキャロライナのダーハムにある研究所へと送られた。友人達や以前学生だった人間達の助けを借りて、彼は自分のガンから出来うる限り最後の一滴まで情報を搾り出すつもりだった。

スタインマンの最後の実験は、色んな意味で、ガン研究における新しいトレンド、各患者用にデザインされたカスタム治療の最高点だったと言えるだろう。病に罹ったとき、スタインマンは自分のガンの5年後の生存率が、世界でも最高峰の腫瘍研究センターであるスローン-ケタリングにおいても、10に1つの確率しか無い事を知っていた。一般的には患者は6ヶ月しか生き延びられない。しかし彼は自分のチャンスが見かけほど悪く無い事を知っていた。彼の病に関する統計情報は多くの人間から得られたものであり、全ての腫瘍が独特なものであると言う事実を反映していない。例え同じに見える腫瘍であっても、同じ器官で始まったり同じ細胞で始まったものであったりしたとしても、異なる振る舞いをする事がある。あるものは縮退し、あるものは拡大する。あるものは化学療法に屈する。今、医師達はそのDNAを基にした手がかりを、それぞれの腫瘍ごとにスキャンする。そしてその手がかりを基に、その強さや弱さを判断する。スタインマンには、そのゲノムのレターで直接的に自分のケースを分析し、どの治療法が最も自分に効果があるか特定できる可能性がある。

このガン治療における「個人化(personalized)」アプローチ、それぞれの遺伝子の特性に合わせて古くからあるタイプに分類するアプローチは、現在急速に発展している。過去数年間に、政府の資金を受けた研究所がガンのゲノム配列の包括的なアトラス(atlas:地図)の作成に乗り出した。年間100万ドルの予算で、25種の病態それぞれから500の腫瘍を集め、そのDNAとRNAを解析している。安価なゲノム配列分析技術の出現は、商業分野でゴールド・ラッシュを現出させている。そして、どんな人物の腫瘍でも、その遺伝的特徴が明らかになるまで、スライスされ処理されて、分析される事が約束されるようになった。

「少し前までガンは我々にとって、その全体像を理解するには余りにも複雑であると考えられていました。」キャンサー・ゲノム・アトラス・プロジェクトの主席研究者の1人でありハーバード医学大学校の遺伝学教授であるラジュ・クチェルラパティ(Raju Kucherlapati)は言う。しかし現在の研究によれば、「変異に至る主要な生物化学的道筋の全体数は無限では無いと思われる」と言う。もしそれが真実であるのなら、医師は、自分達の患者の生存率を改善する為にこのゲノム・データを使うであろう。彼らは治療に際して、全てのケースに適用するワンサイズ的アプローチでは無く、標準的治療法の中から、患者の腫瘍の特徴にあったものだけを選んで、幾つかのセラピーのミックスを選択できるようになる。「私は思い切って言おうと思います。次の10年間で、ガン治療とその考え方に関して、私達はとても重要な革新を見ることが出来ると。」クチェルラパティは言う。

クチェルラパティと数人の先進的な人間が考えるゲノム的アプローチによれば、全ての人のガンは雪の結晶のようなものだと言う。数ダースの基本形で作られたクリスタルだ。しかしこの考えは、複雑な深いレイアーを通り抜けた後、やっと最近、研究室の中で概略が描かれたものにすぎない。2012年春に発表された論文によれば、ロンドンを基盤とする科学者の一団が、4人の肝臓がん患者から取った病原の小さな断片を観察している。研究者達は各腫瘍の単独な断片、即ち、手術の後に取り出したり、針によって吸い出したりした組織の一つのピースを観察するだけでは無く、患者の体全体から悪性の細胞を採取した。彼らは、主な腫瘍の半ダース以上のスポットから採取した標本をスライスし、それより多くをガンが広がった場所、肺、横隔膜、腎臓の周りの脂肪等から採取してスライスした。それぞれの場所から採取した標本のゲノムを比較してみると、そこには、遠い親戚の類似性しか持たない、あらゆる種類の腫瘍があった。まるでそれぞれのスポットが独自の門に属する病巣であるかのように。病気の進行は関連している。それらは全て同じ祖先を持っている。しかしガンは新たな方向へと変異し、その進化木における枝葉の天蓋を発生させたのだ。腫瘍が発生した場所に最も近い腎臓から直接採取された標本は、その他の支族と3分の1しか変異を共有していなかった。

最近行われた数多くの研究も同様の結論に達している。纏めると、それらの実験は、長いこと知られてはいたが、これほど詳細には摑まれていなかった事実を再確認した。例え単一のガンが祖先であったとしても、この病は独自の生態系をその体内に宿している。病気の熱帯雨林なのだ。仮に古い化学療法や放射線療法が天蓋を吹き飛ばすナパーム弾として働いたのだとしたら、新たに生まれた個別化療法は、特定のプラントのみをターゲットにしているのだ。この療法は幾つかのガン、より同一性の強いガンに対しては充分な効果がある。しかしその他に対しては、このアプローチは情け容赦の無いダーウィン的自然淘汰の法則に相対しなければならない。ガンのサブタイプの1つ、例えば最も攻撃的なタイプとか生検で最も多かったタイプを一掃すれば、病気の進行を遅らせたり減らしたりはできるであろう。しかし、背後に取り残された細胞は、より適合した系統を代表しており、隙間を埋めて行く。

この当惑すべき複雑性に直面し、医師によるガン治療は、もぐら叩きゲームの様相を呈してきた。最も激しいクローンを発見しそれを打ち倒す。そして腫瘍が再現する度にそれを繰り返すのだ。あるいは医師は、体内の全ての種族が所有する先祖の遺伝子を発見する事で、木の幹を攻撃する。しかしガンの生物多様性に対抗する別の方法も存在する。私達の体には、あらゆる病原を扱う事が出来るカスタム・ビルドのシステムが備わっているのだ。若し免疫細胞をガンに対して活性化させる事が出来たら、私達はジャングルを通り抜ける道を発見でき、おそらくは治癒にたどり着ける。

「免疫システムをガンの周りに形成させる事、それこそが実際に究極の個別化医療だ。」メモリアル・スローン-ケタリングのガン免疫療法の専門化でスタインマンの治療にも関わっているジェド・ウォルコック(Jedd Wolchok)は言う。「免疫システムの仕事は危険のサインを認識する事、そして凄く絶妙な正確さで抗体」およびT細胞「を発生させることさ。それらは凄く正確に特定のターゲットへ向かってゆく。」一度このシステムがターゲットにロックオンしたら微調整も可能だ。腫瘍の変形や変異に対してリアルタイムで反応してゆく。「これは生きている治療法なんだ。」ウォルコックは言う。「システムの外からやって来て去ってゆく薬品とは違う。」

これこそがスタインマンが最も信じているアプローチだった。彼が病気になる前、実験室で何年にも亘って追求して来たものだ。しかしガン・ワクチンが有効に働くには、そして全てのワクチンが有効に働くには、健康な細胞と病に冒された細胞との相違を体が学ばなければならない。体は、自分の邪悪な双子を認識しなければならない。そして免疫システムの中の一部の機能がそれを可能にしている。私達の細胞が、特定のものを殺し、他のものに手を触れないメカニズム。それこそスタインマンが全てのキャリアを通して追い求めて来たものだ。

スタインマンが自分の命を助けてくれると期待している細胞は、イソギンチャクのような形をしている。あるいは皺のよった海老餃子のような形だ。しかし顕微鏡で見えたそれ、十字の中に広がるのたくった粘膜のシートは、まるで長くて筋張った腕のようだった。それこそ、1970年代初頭のロックフェラー・センターで、ネズミの脾臓から培養した細胞の中から、スタインマンが最初に発見したものだった。1973年、オランダのライデン大学の会議でスタインマンが自分の発見を初めて報告した時、この付属器官は、背が高くて麗しい自分の妻を思い起こさせたと彼は言っている。彼はこれをクラウディアサイト(claudiacytes)と名付けようかと考えていた。

しかしその代わり、ロックフェラー・センターでの彼の上司、細胞生物学者のザンヴィル・コーン(Zanvil Cohn)の同意の下、スタインマンはこの細胞を、ギリシャ語の木を意味するdendronから取って、「デンドリティック(dendritic)」と呼ぶ事にした。この細胞は、体が病原に対応した反応をする際のミッシング・リンクとして仕事をする細胞であり、以前は特定されたことが無い種類のものであると、彼は直感した。その後の数十年間、スタインマンは彼の全ての仕事を、この考えを拡張して行く事に捧げた。彼は自分が見つけた免疫細胞が、他の多くの人が想像するようなマクロファージ(macrophage)の単なる変り種では無く、何か根本的に異なるもの、免疫システムを構成する兵士達に、敵と友人を識別することを教えて、我々の体を感染から守る衛兵である事を証明しようとした。

デンドリティック細胞は、皮膚の外側の層とか、喉の中とか、腸の内側とか、バクテリアやウィルスが体内に入り込もうと試みるあらゆる場所に潜伏する事が出来る。この細胞が何か異質なものを捕まえると、その異質な物質を吸い込み消化し、消化された断片を粘膜に沿って並べる。その後、細胞はリンパ管に沿って、免疫細胞が集積して連絡し合っている場所に向けてゆっくりと進む。そして侵略が行われたサインとして断片を見せる。

最初の頃、この仕事を真剣に捉えていた人間は殆どいなかった。研究所の同僚たちも、スタインマンのひょろ長い原形質を無視した。1970年代末、彼は政府からの資金援助を失った。しかし、スタインマン自身による、自分の発見の布教活動と共に、仕事は続いて行く。そして、ついには免疫学者のネットワークが刺激を受け、彼の分野に参加する。「彼は自分自身でデンドリティック細胞を演じるのが好きでした。」シュレジンガーは言う。ラスカー基礎医学研究賞(Lasker Award for Basic Medical Research)を受賞した後に行われた2007年の講演で、彼はデモンストレーションとして自分の腕を波打たせた。まるで樹状突起(dendrite)の杖で交響楽を指揮しているかのように。

1990年代になると、彼の発見は、古い考えに命を与えた。我々の免疫システムに対するより完璧な知識があれば、他の方法では治癒困難な病にワクチンを作る事が出来るかも知れないと言う考えだ。もしデンドリティック細胞をハイジャックして使用に供する事が出来れば、もしその粘膜上のマーカーが操作できれば、医師は患者を、H.I.V.とか結核、あるいはガンに対してさえ、免疫に出来るかも知れない。しかしながら、この前提に基づいた初期の実験は、殆ど診療試験にまでたどり着けなかった。スタインマンと同僚達は、デンドリティック細胞に抗原を与える事、体内の警察犬に犯人の靴下を与えるだけでは充分で無い事を学んだ。細胞は他のシグナルも又、必要としていた。自分達のメッセージを他の免疫システムと共有するよう即す何物かだ。その「ゴー」シグナル無しでは、デンドリティック細胞は意図した反対の事をする。それは抗原を、殺すべき対象では無く、無視すべき対象としてぶらさげながら、リンパ節の回りをパレードするのだ。この文脈に従えば、デンドリティック細胞は活動と不活動、つまりは免疫と許容を誘発するのだ。

しかしスタインマンは一度として自分の発見が医療に繋がるという信念を失わなかった。自分が病に罹った事を知った時、彼は自分の腫瘍を、現存する3種類の実験的ワクチンに使う事に同意した。それぞれ、別種のガンの患者でテスト中のものだったが、スタインマンは自分自身の病気から取った標本にカスタマイズさせた。彼は最初にGVAXと呼ばれるものを試みる。GVAXは彼の放射線照射されたガン細胞から作られたもので、デンドリティック細胞を呼び出す警報を鳴らす遺伝子を追加してから体内に注入される。その他に、デンドリティック細胞を使った一組の治療を彼は試みる。自分の血液から抽出したデンドリティック細胞に、自分のガンのRNAを乗せたものと、ペプチドを乗せたものを作り、体内に戻すと言うものだ。どちらのケースでも、彼の腫瘍の断片が、攻撃目標と同時に餌として使用される。

「まるで昔の日々に戻ったみたいでした。」かつてスタインマンの研究所で訓練生だった人物で、スタインマンが病に罹った時、サンフランシスコのジェネンテック(Genentech)社で腫瘍研究の副代表をしていたイーラ・メルマン(Ira Mellman)は言う。「私達は皆で座って、次週の実験をどう進めるか話し合うんです。被験者が彼だった事だけが違いましたけど。」医療プランが形を成すにつれ、シュレジンガーは膨大な書類作業をこなしてゆく。スタインマンが各実験薬を手に入れるには、食品医薬品局(Food and Drug Administration)から認可を受ける為に、自分自身を個人患者人道的使用プロトコル(single-patient, compassionate-use protocol)に登録しなければならない。(政府はこの個人患者治療の書類を毎年約1000件受け付けていて、患者が、関連する薬品会社と医師の協力を受けられる限りにおいて、殆ど全てを認可している。)

シュレジンガーは又、ワクチン治療におけるスタインマンの内科医としても働いている。注射を司り、血液採取と予後観察も行っている。チームは、免疫を基本としたそれぞれの治療において、彼のT細胞の中で行われる反応を記録した。しかしながら、実際のベンチマーク、彼の病気の状況をより良く示すものは、CA19-9と呼ばれる糖タンパク質(carbohydrate protein)だ。腫瘍からの副産物で、血液中の量で計る。その量が下がっていれば、ガンが後退している事を意味する。実験のそれぞれのフェーズで、スタインマンは自分で値を読み上げ、パワーポイントのスライドに貼り付けた。

スタインマンが受け取ったのと同じワクチンが他の患者では良い結果を出している。放射線照射細胞アプローチは、何人かの転移性前立腺ガン患者の生存率を高めている。ダラスのベイラー大学(Baylor University)のチームは、ステージ4の皮膚ガン(melanoma)にデンドリティック細胞を再注入したケースで勇気付けられる結果を得ている。しかしデンドリティック細胞を発見した事でノーベル賞を受ける事になる人物に対して、はたしてこれらの治療は効くのだろうか?

最初の数年間スタインマンは良好な健康状態を保った。彼は依然としてセントラル・パークやボストンのチャールズ通りを走っていた。しかし血液検査の数値は時として落胆させられるものだった。彼のT細胞は幾つかの活性化の徴候を見せた。彼のガンから複数のマーカーを認識する事が出来た。しかしそれが腫瘍の中に入り込めたかどうか確認する方法は無かった。「彼はもっと良い反応を求めていました。」フロリダのワクチン遺伝子治療研究所(Vaccine and Gene Therapy Institute)の免疫学者でデータの解析を助けたラフィック-ピエーレ・シーカリー(Rafick-Pierre Sekaly)は言う。各実験の合間にスタインマンはジェムシタビン(gemcitabine)と呼ばれる薬品を服用している。すい臓ガンの治療に伝統的に使われる化学療法で、その薬は彼にとても良く効いていた。彼がジェムシタビンを服用すると、CA19-9は激減する。ガンが縮退し始めるのだ。彼がワクチンにスイッチすると、腫瘍の値は少しずつ戻り始める。「それが彼を酷く戸惑わせました。彼は常に化学療法を必要としていたんです。」シーカリーは言う。

ワクチンにも化学療法にも掛かっていない時、スタインマンは見つけられる限りの方法を試した。彼は自分の腫瘍のゲノム配列を調べ、特別な弱点が無いかチェックした。ジェネテックではメルマンがペトリディッシュの中で、スタインマンの腫瘍の標本を研究所内の全ての薬品に対してテストした。「私達は彼の細胞に対して、その当時開発中だったあらゆる薬品を試しました。」と彼は言う。その中には未だ診療試験に入っていない薬品も含まれていた。その間にも、スタインマンの腫瘍の一部を埋め込まれたマウスは、彼のガンを製造する小さな工場として、そして同時に研究室内での患者の分身として働いた。メルマンの薬の1つ、ヴィスモデジブ(vismodegib)と呼ばれるシグナリング・インヒビター(signalng inhibitor)がペトリディッシュ内で良い結果を見せた時、彼はその薬を、ガンを植え込んだマウスでの試験に送り込んだ。そして反応があったので、スタインマンもその薬品を摂取した。しかし効果は無かった。

そして年月が経過したが、スタインマンの病は彼の命を奪うほどには広がらなかった。彼の腫瘍の成長を阻んでいたのは、化学療法だけだったのだろうか?あるいは彼の個別化ワクチンは目に見えない方法で利いていたのだろうか?今では良く知られている事だが、免疫治療は、腫瘍が育っている間も体内に留まっている、そして後になって腫瘍を縮退させたりする。ワクチンが化学療法と協調して働いた可能性もある。しかし他に比較すべき患者がいない事、および、経過データを取るには治療の間の期間が短すぎた為に、詳細は謎のままだ。メルマンは治療の有効性に対しては批判的だ。シュレジンガーはより肯定的で、担当外科医のコイトもそうだった。「私は彼の経過に注目すべきだと思う。」コイトは言った。「平均的生存率は全摘出後であっても月単位でしか計れない。普通1年と半年だ。それでも彼は先へ先へと生き続けた。このとても革新的で新規のアプローチが何らかの役割を果たしていると考えずにはいられないだろう。」スタインマン自身は、どのようなやり方でも、何らかの主張をする事は無かった。「彼は全体的にいって、確実にこの治療で助けられていると感じていました。」彼の娘、アレクシスは言う。しかし感じることは知ることとは異なる。彼は治療に関して注意深く記録を取り、自分のワンマン・トライアルについてニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに記事を書く事でシュレジンガーと冗談を言い合っていた。書く時のタイトルは「My Tumor and How I Solved It(私の腫瘍、いかにしてそれを治療したか)」に成っただろう。しかし最終的に、何の証明も得られなかった。

「ラルフは、楽天性と批判性が混ざった非凡な人物でした。」メルマンは言う。「彼は常にこれがどんな形で終わるのか知っていました。自分が限られた時間を生きているのを知っていたんです。」

母の示唆に従ってアレクシス・スタインマンは2011年9月11日、ニューヨークへ飛んだ。そして父が病で弱っているのを見た。病気に罹ってから初めてスタインマンは衰弱し始めていた。彼は酷く咳き込んでいて、母の話では恐らくは肋骨が折れていると言う。

アレクシスと2人だけになってからスタインマンは言った。「もう骨にガンが転移しているんだ。」その時まで彼は病気に罹りながらも、以前と殆ど変わらない生活を送っていた。研究所で長時間働き、夜は長時間コンピュータで働く。世界中の会議を旅し、研究所の皆にエンテンマン(Entenmann)のケーキをふるまう。今、診断を受けてから初めて、彼は自分の治療計画に希望を失い始めていた。彼は意気消沈し始めている。

ガンはジェムシタビンに反応しなくなっていた。CA19-9の値はコントロール不能となっている。9月18日、彼はさらにもう1つ薬を試す。ターゲット治療薬で、とても僅かな利点しか示していないものだったが、少なくとも彼のガンのゲノムから得られたデータに従えば、彼の症例に良く合っていた。しかし既に遅すぎた。病は彼の体全体に広がっていた。

スタインマンは最後の予定を立て始めた。「研究所の人間がキャスパリー(Caspary:ロックフェラー大学の講堂)でどういう風に式を執り行うか知っているだろう?誰かが来てクラッシク音楽を演奏し、個人を偲ぶ話をするのさ。」彼はクラウディアに頼んだ。「ああいった事は止めて欲しいんだ。」彼は又、妻に、7日間の服喪(sitting shiva)もいらないと言った。(「7日間自宅に訪問客を迎えるなんてしたくない。」彼は言った)。そして彼は、ロックフェラー大学で最も親しかった友人、以前院生だったミシェル・ナッセンツウェイグ(Michel Nussenzweig)に会った。2人はスタインマンの学生とポスドク達の身の振り方を話し合った。数人については彼自身が電話し、仕事が終わる前に去る事をわびた。

9月24日、スタインマンは、マンハッタンのアッパーイーストサイドに学部が所有するアパートで家族と夕食を取った。クラウディアはその場に居て、3人の子供に3人の孫も同席した。次の朝、ベッドに座る彼を見たアレクシスは、彼が呼吸も大変そうであるのが判った。「どうやら病院へ行かなければならないようだ。」彼は言った。スローン‐ケタリングに到着して担当の腫瘍学者に会った時、彼は言った。「どうもここから出られそうも無いな。」

彼は5日後に死んだ。

昨年8月の良く晴れた日、スタインマンがノーベル賞を取ってから約1年後、私は彼の腫瘍を自分の目で見た。その細胞はプラスチックケースの底一面に張り付いていた。2000万の小さなガン細胞が大きなマッチ箱ほどの空間にひしめいている。私が訪問する数日前、ガンは冷凍庫から取り出され解凍されていた。私が、倍率の低い顕微鏡を通して、スタインマンの体の、生きている残滓を覗き込んでいる間に、ジョンズ・ホプキンス大学の技師、サラ・ソルト(Sara Solt)は、彼女自身の見立てを話した。「この手みたいに見える物質が」彼女は、幾つかの尖った細胞質について言った。「凄く邪悪に見えます。」

しかしながら、今まですい臓ガンの細胞を見た事が無い人間には、スタインマンの病原は全く邪悪には見えない。黒くもないしギザギザでも無い。透明な触手がその粘膜から何本か生えた、角の柔らかい幾つかの五角形とか、ゆがんだ四角形だ。

ジョンズ・ホプキンスの研究所はすい臓ガン・ワクチンの専門家エリザベス・ジャッフィーが運営している。研究の為に腫瘍の一部を受け取った人物だ。彼女がクリニックでテストしたワクチンは、スタインマンが摂取したものの内の1つとマッチしている。患者の免疫反応にターゲットを絞っていて、デンドリティック細胞を呼び出すシグナルと共に、腫瘍の断片を混ぜたものだ。彼女のオフィスに座っている間に、ジャッフィーは治療の中で未知のままになっている事柄を説明してくれた。ターゲットを選ぶ際の最適な方法はまだ明らかになっていない。スタインマンは事前に選択した幾つかのタンパク質を使って反応を最大化すると言う、より標準的なアプローチを使うことも出来た。彼は標準的アプローチの代わりに、自分のデンドリティック細胞がより活躍できるとの希望の元に、自分自身の病原サンプルを使用した。しかし彼の腫瘍は、数千のターゲットを狙うT細胞に屈服したかも知れない。それはレッド・ヘリングが泳ぐタンパク質スープだ。どちらの戦略が最適だったか、私達にはいまだに判らないと、ジャッフィーは私に言った。

スタインマンには取り掛かるチャンスが殆ど無かった別の問題も又、存在した。どんなガンでも、健康を害するほど成長したガンなら、自分を付けねらうT細胞を妨害する方法を既に会得している。それらのガンは体が自然に持っている防御をやり過ごすように進化している。従って、もし免疫ベースの治療で効果を上げようとするなら、腫瘍と戦う他の薬品を付け加える必要がある、と言う主張は理屈に合っている。腫瘍の持つ手口に対抗して免疫のチェックが続くようにする何物かだ。「ワクチンだけでは充分では無いのでしょう。」ジャッフィーは言った。「ガンに罹った場合、特に転移性のガンの場合、1つの因子だけで誰かを治癒した事があるでしょうか?一度も無いんです。」

科学者は、腫瘍が如何にして自分をT細胞から守っているか理解し始めたばかりであり、そのメカニズムに対抗する一連の薬も作られ始めたばかりだ。スタインマンが治療を始めたとき、彼を含む数人のこの分野の人間は1つの薬品、まさにこのような働きをする、イピリムマブ(ipilimumab)と呼ばれる薬品を知っていた。その薬品は、それ単独で、転移性皮膚ガン患者の命を数ヶ月、あるいは数年にすら延ばす事が出来ている。しかしその薬品の製造元、ブリストル‐マイヤーズ・スクイッブ(Bristol-Myers Squibb)は単独使用での認可の為に奮闘しており、スタインマンが彼のワクチンと共にこの薬品を使用する事を許可しなかった。研究者達は、未テストの組み合わせは副作用を起こして認可を遅らせるかもしれないと心配したのだろう。(個別ケースについて議論する事を禁止する会社のポリシー故に、ブリストル‐マイヤーズはスタインマンの治療についてコメントを避けた)。それでスタインマンは2010年、薬品を単独で試した。すい臓ガンと戦うために免疫細胞を活性化する代わりに、薬品は彼のT細胞を酷使した。T細胞は彼の腸や下垂体を攻撃し始め、下痢と脱水症状を引き起こした。ついに彼は入院せざるを得なかった。

「我々の分野における問題の1つは、2つの要因を結びつける事が非常に難しい事です。」ジャッフィーは、イピリムマブを使用する際に直面した官僚的ハードルについて言及しながら言った。スタインマンが摂取したワクチンの1つと、別の薬品を同時に使った時、両方の治療は効果を増した。彼女が行っているすい臓ガン治療の予備試験に参加した患者、平均的に2~3ヶ月しか余命が無いとされる患者達の内、4分の1以上が、今や少なくとも1年は生き延びている。そうであってもジャッフィーは、第2段階のより大きな試験を始めるのに充分な薬品をブリストル‐マイヤーズ・スクイッブから得るのは大変だった。同社は、イピリムマブがF.D.A.の認可を受けた後、最終的には同意した。しかし、全てのプロセスは彼女の研究を2年は引き止めた。「これが私の最大のフラストレーションの源なんです。」ジャッフィーは言った。

スタインマンにとってもそれは同じだった。彼は時の経過と共に繰り返し、何が理解されていて、何が可能かと言う限界と直面しなければならなかった。彼は自分のワクチンと化学療法を統合したかった。そして、順番に治療を行うのでは無く、同時に行いたかった。ジャッフィーの研究所では、このアプローチは、腫瘍に友好的なT細胞を殺すと言う、イピリムマブが行うのとは異なる方法で、免疫システムの反応を増大させうる事が示されている。あるいは彼は免疫療法と、彼の腫瘍のDNAに基づいて選択した薬品とを、組み合わせたかも知れない。しかし、どの組み合わせが最適なのか誰にも判らない。それは、ワクチンがどの抗原をターゲットにすべきか実際には誰にも判らなかったり、デントリティック細胞を活性化させる最善の方法が判らなかったりするのと同じ話だ。科学者達は今、デントリティック細胞が数ダースの異なる形態を取る事を知っている。その内の幾つかは、他のものよりワクチンに対して効果的であるようだ。

ガン免疫療法が提供する途方も無い約束と、それを実施する上での奇妙さとの間のギャップ、可能性と単なる憧れとの間のギャップは、常にスタインマンを悩ませた。彼は家族に語っていた。彼のデンドリティック細胞に関する仕事は、彼の死後かなり経ってからでないと意味を持たないだろうと。彼の発見を基礎としたワクチンが、この病に対する真に有効な治療となりうるかを決定するには何年も掛かるだろうと。「こういった事柄は全て、ラフルの病気の進行と時を同じくして、リアルタイムで発展していったんです。」メルマンは言う。「そして病気の方が先行していました。残念ながら。」もしスタインマンの個別化治療が上手く行ったのなら、それには、依然判っていないあらゆる事が影響していただろう。「それは一定期間の間だけ上手く言った研究所内の実験だと、私達は考えています。しかし私達はそれを繰り返す事が出来ない。だから永遠に確信は得られないんです。」メルマンは言った。

さらに多くの実験が地平線上に上がっている。ジャッフィーはスタインマンの仕事を元に、デンドリティック細胞ワクチンをつかった最新の免疫活性化薬を組み合わせた研究をしている。他のガンに対する免疫療法においても発展が進んでいる。イピリムマブは皮膚ガン治療に使われている。そして腫瘍を、攻撃に対してより脆弱にする関連薬品も開発中だ。2011年にニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンは、「T細胞移入療法(adoptive T-cell transfer)」として知られる療法の結果を公表した。この療法では、体から抽出されたT細胞がガン細胞を追い回すように再プログラムされる。この療法は、数人の進行性白血病(advanced leukemia)患者において有効であった事が証明されている。しかしこれは、デンドリティック細胞に依存したワクチンよりも大きな健康上のリスクをはらんだ治療法だった。「今後10年間に私達はさらに多くの事を学んでゆくでしょう。」研究所内を私達が散策する間、ジャッフィーは言った。「私達はまだ始めたばかりなんです。全く新しい世界の始まりになると思います。」

スタインマンは、この分野がその潜在力を最大に発揮するのを見るまでは生きられない事を知っていた。彼がデンドリティック細胞を発見してから既に40年近く経っている。そして医師達は今、有効な免疫療法を作り始めたばかりだ。あらゆる証言から見て、ゆっくりとしたペースは、彼が病気になる前ですら、スタインマンを深く苛立たせていた。「彼の心はとても逸っていました。いつだって全ての事柄が昨日までに終わっていることを望んでいたんです。」シュレジンガーは言う。何年か前、2人が研究所へ行く途中、スタインマンは、自分達がやろうとしている実験が予想より長く掛かる事が判明して不機嫌だった。詳細に関して何回か詰め直した後、彼は自分の長いキャリアで何を達成できたか振り返るのを止めた。「彼は私に言いました。『判るだろう?この全部の時間が経った後でも、我々は依然としてガンを治癒できないし、H.I.V.のワクチンだって見つけられない。』」そして彼はしばらく黙った後、彼女に言った。「仕事に取り掛かろう。」

~~ここまで~~

次回更新は1月25日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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