スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

プラハの私的秘所巡り

連休と言う事で旅行記をUpします。

記事を書いたのはエヴァン・レイル(Evan Rail)さんです。元記事はここにあります。

チェコの首都、プラハの記事です。
例によって固有名詞のカタカナ表記はいいかげんです。悪しからず。

~~ここから~~

プラハの私的秘所巡り

何処からか聞こえてくる歌声が、プラハ旧市街の年季の入った敷石に反響している。その数日間、執筆に使っていたネオ・バロック様式の図書館から出てくると、私は同じ音楽が、バートロメッジ(Bartolomejska)通りを流れてくるのを聞いていた。しかしまるで幽霊のように、いつも私が近づくとそれは直ぐに消えてしまう。私は適当に見当をつけて、入り口から中を覗き込んだ。そこはまるで打ち棄てられたような、漆喰が剥がれ窓は埃で曇った建物だった。内側では、おかしな画が壁を飾っていて、荒削りの家具が一箇所に纏められている。私が長くて暗い部屋に入ると、若い女性のコーラスが再び聞こえてきた。気だるい午後の丁度真ん中に聞こえてくるモーツアルトのレクイエム、正しく背筋をゾクゾクさせる衝撃だった。

プラハの多くの場所が、これに似たような手触りを持っている。街の標準的異様さ、ありふれたシュールリアリズムが、しばしば優雅さや幻想と混ざり合った手触り、それが現在のチェコの首都を、私のような部外者には特に、理解し難い場所にしている。しかし12年間ここに住むことにより、私はこの街を自分のものにする事が出来た。プラハの色々なパーツが如何に上手く適合しているか理解し、魅力的なアトラクションや予想もしない美しさを、私が見た全ての場所で発見する事が出来た。

私はこれ等を、街で最も人目に晒される場所、その歴史的中心部に住んでいるにも関わらず、発見する事ができたのだ。リパブリック・スクウェア(Namesti Republiky)と、その偉大なアート・ヌーボ宮殿から歩いて五分以内、旧市街広場のゴシック様式の塔から10分以内の場所に、妻のニナ(Nina)と私は家を持った。最もロマンチックな眺めの中であると同時に、バスに満員の旅行客や野暮ったさが極まれる土産物屋、すごく場違いなパブで溢れかえった場所でもある。

しかし私は「ダウンタウン」に住む事の欠点を直ぐにも克服した。その代わりに種々のガラクタの間に私が発見したのは、おそらくは殆どの旅行客が目にした事が無いもの、見過ごしていた喜びだ。古いのも新しいのも含めた、プラハの中のある種の秘所。私は、以前は気付かなかった優雅な彫像や美しい入り口、改装された公園、新たに整備された護岸、まだガイドブックに載っていない新しいクールなバーやレストランを毎日のように発見している。

天使のようなコーラスに出合ったカフェ、ゾルコヴナ(Vzorkovna)に触発された私は、数日間使って、プラハの隠された最良のアトラクション、および新たに開発された地域、少なくとも私が知らなかった新たな場所を探すことにした。

私の経験から照らして、ツーリスト・ゾーンを素通りしない事をお勧めする。確かに、ロイヤル・ウェイ(Royal Way)、この街の歴史的戴冠ルートは避けた方が良い。しかし街で一番新しい醸造パブ、ピヴォヴァ・ウ・トリ・ルジ(Pivovar U Tri Ruzi)は外してはいけない。2012年始めに通りから少し外れた場所にオープンした店だ。「三つの薔薇の下(At the Three Roses)」を意味するこのパブを、この辺のギャラリーやバーの中から見つけ出すのは大変だろう。しかしここで醸造される数種類のビールは真に目覚しい。その中には、しっかりした味わいで甘みさえ感じるヴィエンナ・ラガー(Vienna lager)、そしてエクセレントなポロトマヴィー(polotomavy:ハーフ&ハーフ・ビール)がある。ここのバーガーは又、街一番に入る一品だ。

そしてウェンセスラス広場(Wenceslas Square)のような場所に対する警告は、話半分に聞いておこう。少なくとも日中は。プラハはとても安全な街だ。そしてウェンセスラスを含む一番危うい場所も、最終的にはクリーン・アップされている。この春のある朝、私の家族がたまたま広場の近くに行ってみると、西半分が車両進入禁止になっていた。そして地元の人間がヴァーツラフ(Vaclavak)と呼ぶこの広場は歩行者により親しみやすい場所に変貌していた。街一番のスピリット・ショップ、クラトヴィロッキ(Kratochvilovci)を訪れて、ハンマー・ヘッド・ウィスキー、ビロード革命以前のチェコの一風変わったシングル・モルトで2年前リリースされてから批評家の激賞を受けているウィスキーを探した後、車の無い大通りへ誰にも咎められる事無く歩み出ると、両側にある堂々とした門を見る事が出来た。同じような事が、プラハの主要な鉄道駅、フラブニ・ナドラッチ(Hlavni Nadrazi)でも進行中だ。この駅は、共産主義時代の最後の装飾をついに振るい落とした。

ヴルタヴァ河は針のように街の中心を貫いているにも関わらず、そのウォーターフロントは長いこと無視されてきた。しかしながら最近、河沿いに色々な事が起きているのを見つけられるだろう。土曜の朝になると、新市街のラシノヴォ岸壁(Rasinovo Embankment)からジャズ・ドック(Jazz Dock)にかけての河沿いは農産物市場で賑わう。ジャズ・ドックは街一番のライブ・ミュージック・スポットであり、スミーホフ(Smichov)地区の反対側にある。この場所ではオープン以来3年半に亘って、国際的な俳優ジョン・エーバークロンビー(John Abercrombie)やピンク・ドッツ(Pink Dots)、それに地元で人気のあるトニー・アッカーマン(Tony Ackerman)やカスパリン・カルテット(Kasparin Quartet)とかがパフィーマンスを披露してきた。

この夏、仕事帰りのカクテルを飲みにジャズ・ドックに寄った時、私はクラブの涼しいウォーターサイドのロケーションと共に、河沿いのパティオから見つけた、改装されたプレイ・グラウンドにも驚かされた。デッツキー・オストロフ(Detky Ostrof)あるいは、子供の島(Children’s Island)と呼ばれるその場所は、護岸から歩道橋で繋がっていて、砂場やジャングルジム、ブランコや滑り台と共に、木陰を作るたくさんの木と親達が座る数多くのベンチが作られていた。少し大きめの子供は、小さなスケート・パークで始めてのスケート・ボードにトライしている。街のナイジェリア人コミュニティーがピックアップ・サッカーをしていて、私にも仲間に入れと誘ってくれた。そのうち、ニナと私は、自分達の子供を連れてゆく事になるだろうと思った。

プラハの公共交通システムは極めて良好に働いている。そして、かつてのような不正直なタクシー・ドライバーはもう一般的では無くなった。しかし、この街を感じる最も良い方法は一足の靴で歩く事だ。毎朝図書館まで歩く私は、余りにも多くの新しい光景に出くわすので、写真を撮ったりアドレスを控えたりする為に、しばしば足を止めねばならない。息子をペトルスカ(Petrska)地区の幼稚園へ送った後、私は旧市街を、その北東の端から南西の端まで歩き、古いプラハを満喫した。

20分の通勤時間に2分以上余分な時間をかける事無く、私は数多くの探索を自分の旅に付け加えられる。私は何回か直接、街の主要なショッピング通り、ナ・プリコープ(Na Prikope)をそぞろ歩いた。旅行客の一団や大道芸人を避け、新たに開いた店に注意しながら歩く。例えば、トゥルーラースカ(Truhlarska)18番地のラヴミ(Lavmi)ブティックのような店。そこでは、奇妙な地元のデザインの壁紙とかランプとか色々な家庭用品が売っている。

時として私は、ひなびた昔風の通り、例えばプロヴァズニカ(Provaznicka)とかヴイ・コチク(V Kotchich)とかを歩く。ビロード革命以前の景色、街の他の場所も当時は同じ様だった景色を楽しみながら。しばしば私は数多くのマイシ・ディリー(mysi diry:mouse holes:鼠穴)の一つ、旧市街の中を走る小さな小道に入ってみる。例えば、セレトナ(Celetna)とかステュパーツカ(Stupartska)のような道だ。若し私が曲がりくねった道に門とか扉とかを見つけたら、例えばミチャルスカ(Michalska)通りにある2つの扉のようなものを見つけたら、扉に鍵が掛かっていないかを確かめてみる。大概の場合、そこには隠された小道を見つけられるはずだ。

こういった道の多くは素晴らしい眺めを提供してくれる。丁度私が、見逃すべきで無いものを探そうと奮闘して、ついに発見した時のように。最近、近所の友人ピートル(Pitr)が説明するのを聞いた後で、私はジズコフ(ZizKov)地区の新しいハイキング・サイクリング専用通りを発見したのだ。

「とても長くて、正しく個人の道だ。」ピートルは言った。「だけど非常に興味深いのは、殆ど完全に隠れている事なんだ。正確に何処にあるのか知らないと、たぶん見つけられないと思うよ。」

私の失敗は、ピートルの言った事を言葉通りに受け取らなかった事だ。30分間無駄な探索をした後、私はピートルに電話した。新たな情報で武装した私は、ウェンセスラス広場のハルヴニ・ナドラジ(Halvni Nadrazi)まで戻り、セイフェルトーヴァ(Seifertova)通りを東に向かった。

鉄道高架橋の下をくぐると、1組の老人が、自分たちより年取っていそうなダックスフンドを連れて、かつて小さな鉄道支線が通っていた場所へ向かって、護岸に向かう道を歩いていた。年季の入った木に縁取られた道は、幾つかのハーブ・ガーデンに面して通っている。去年舗装された道は、ジズコフでも最も美しい19世紀に建てられたアパートの幾つかの、裏側を直接通る道として作られた。それぞれのパヴラク(pavlac)、あるいは共用バルコニーの眺めは、生活というものがどのようなものかを覗き見させてくれる。このバルコニーの上で洗濯物を干し、隣人とお喋りに興じる。おそらくは50年、60年、あるいは100年前からそうであった生活だ。

この地で生まれた人間でさえも、時としてこの街には驚かされる。私が、プラハ生まれでトロント在住の友人マテジ(Matej)と、カーリン(Karlin)地区の新たな進展を確かめようと決めた時がそうだったように。ニナと私は中心街にアパートを見つける前、この地区に住みたいと思っていた。旧市街の北東で、ヴルタヴァ(Vltava)の南だ。カーリンは安価で、若干寂れていた。しかし実際に住んでいる人々と偉大な建築家は、その源が、木に覆われた丘と河の間と言う位置取りと、狭い通りから来ていると感じていた。

マテジと私は、この数年間で如何に大きく変わってしまったかを知って驚いた。私達は最初、レッド・ホット・チリ・レストランで昼食をとった。去年の5月に開店したばかりの店で、おそらくはプラハで新しく開いた数多くのベトナム料理店の中で最高の店、この地区のメイン・ストリート、クリジコヴァ(Krizikova)通りに存在し、歯ごたえが良く薫り高いサマー・ロールと甘辛いブン・ボー・ナム・ボ(bun bo nam bo:ビーフとヌードルのサラダ)を提供する店だ。

その後、リコボ・ナメスティ(Lyckovo Namesti)にある広々とした小学校の前の公園を私たちは歩いた。私がプラハで一番綺麗な広場として一票入れたい場所なのだが、マテジは完全に驚いていた。私達は、20世紀初頭に描かれたミュシャ (Mucha:アールヌーボを代表するグラフィックデザイナ)風の巨大な壁画に感銘を受けた。近くの建物の幾つかは、2002年の洪水でついた喫水線の後が残っている。しかし多くの建物は最近、ピンクや黄色などの華やかなパステル色に塗り直されている。

幾つか写真を撮った後、近隣で高名なコーヒーハウス、ムジ・サレク・カヴィ(Muj Salek Kavy)に立ち寄った。私たちはここで、プラハでは見つけられないと思っていた、パナマのグラシアノ・クルス(Graciano Cruz)産エステート・コーヒーのノックアウト・カップと、厚く切った、スパイシーで甘いキャロット・ケーキを食べた。

その後、クリジコヴァへ戻り、ヴェルトリン(Veltlin)と呼ばれるワイン・バーへ行く。そこには薄暗くて親しみやすいサロンがあり、驚くべきテーマを持った瓶の列が並んでいる。全てが、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国内のワインメーカーから来たもので、この地域で最も伝統的なブドウ品種にフォーカスしている。チェコのヴェルトリンスケ・ゼレーネ(veltlinske zelene)、そしてそのよく知られたオーストリア産の従妹、グルーナー・ヴェルトライナー(gruner veltliner)、チェコ共和国モラヴィア・ワイン地方産のツワイゲルトリーベ(zweigeltrebe)、そして北部イタリア、トレンティーノ(Trentino)のツワイゲルツ(Zweigelts)。

グラスを待ちながら、私たちは呼吸を整えた。マテジはこの機会に妻のチェルシー(Chelsea)へメールした。彼はテキストを打ち終わると言った。どのくらいプラハが変わったか、前に訪れた時に比べて、どのくらい街が異なっているか、繰り返し妻に知らせたんだと。

確かに変わったさと、私は答えた。だけどそれは、何処を見れば良いか知っているかどうかにかかってるんだ。リコボ・ナメスティ(Lyckovo Namesti)はおそらく、プラハでも最も綺麗な広場だ、しかしこの広場が、チャールズ・ブリッジとかプラハ宮殿のような有名な訪問リストと一緒に絵葉書に載せられているかどうか、私には疑わしい。殆どの旅行者は、あるいはこの土地に住むものでさえ、カーリンがどのくらい変わっているか知らないだろう。あるいは、わずか3か月前にオープンし、現在私達が座っているワイン・バーの存在さえ知らないだろう。ムジ・サレク・カビーやレッド・ホット・チリはここより1年古いだけだ。カーリン自身さえ、レーダーに捉えられていないかも知れない。例えここが、別の鼠穴、ヴィトコフ・ヒルの基部を抜ける長いトンネルでジズコヴと繋がっていて、私が発見した、新しいハイキング・サイクリング道路のすぐ次に存在していたとしても。

ここからなら、殆んど人目につかずに旧市街へ歩いてゆける。その旧市街では、隠れた小道が古い通りの間に溢れかえっていて、数多くの新しい奇妙な発見が待ち受けているのだ。

~~ここまで~~

次回更新は2月16日ごろになると思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
広告
海外格安航空券ena 【イーナドットトラベル】 Hotels.com【海外・国内ホテル予約サイト ホテルズドットコム】 【限定募集】ヒアリングマラソン・ベーシックkikuzo! 特別お試し3カ月コース デル株式会社
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。