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タリバンはどっちの道を行ったのか?

アフガニスタンに関連する記事をUpします。

記事を書いたのはルーク・モーゲルソン(Luke Mogelson)さんです。元記事はここにあります。

アフガニスタン国軍の内実を描写する記事です。

~~ここから~~

タリバンはどっちの道を行ったのか?

それは打ち捨てられた村だった。道に人影は無い。家々は空き家だ。中央モスクの向こうには急斜面がそびえている。急斜面の向こうは連なる山また山。その景色の中、樹木も生えない高い頂の間に、タリバンの白い旗が風にたなびいている。数人のアフガン兵が畏敬の念を持ってその旗を眺めていた時、横の小道から発育不全で体が捻じ曲がった男が出てきた。ボロをまとった男は赤く染まった拳を兵士たちに向けて振り回し、何か叫んだ。顔には涙が流れている。殆どの兵士が彼を無視した。何人かは居心地悪そうに笑っている。数人が銃を彼に押し付け、撃つ真似をした。男はひるまずにわめき続ける。奇妙な方言で悪態をつき続けた。

1台のトラックがやってきて、大隊指揮官、モハンマド・ダオウッド中佐(Lt. Col. Mohammad Daowood)が降りてきた。彼が何を始めるのか、その場の全員が注目していた。ダオウッドは、この国の厳しい環境の中で生き延びてきた男であり、自分の行動を状況に合わせてわずかに修正したり、あるいは大きく修正したりする術に長けている。彼は、同情心溢れる同志から厳格な規律を要求する指揮官に、瞬時に変貌する事が出来る。彼と一緒にいると、常に彼のムードが向かう先を推し量らせられる。同時に、彼のムードには計算も含まれている。そのムードの変化は熟慮の元に行われたもので、気まぐれでは無いと常に感じられる。そういった事は彼の権威をますます増やし、彼が主人で無い状況を想像することすら出来なくさせる。錯乱した男の目に閃いた認識は、この男もそれを直観したと示唆していた。男は殆ど遠慮がちにと言ってよい仕草でダオウッドに近づいた。まるで近づき過ぎなければ錯乱のエネルギーを保つ事が出来ると思っているかのように、低い脅すような唸り声を保ちながら。私達はダオウッドが男をひっぱたくと思っていた。その代り、ダオウッドは手拍子を打ちながら歌い始めた。男の直ぐそれに反応して表情を変えた。涙ながらの悪態は、純粋な子供じみた喜びに変わった。男は踊り始めた。

驚くほど長い時間それは続いた。指揮官は手拍子を打ちながら歌い続ける。錯乱した男は、くるくる回りながら、殆んど無我夢中だ。お祈り帽子を振り回しながら、ステップを踏んでいる。最後にダオウッドが止めた時、男は彼のものだった。男はそこに立ち、従順に息を飲みながら、次に何をすれば良いのか待った。ダオウッドは頭にターバンを巻く仕草をして見せてから訊いた。タリバンは何処に居る?男は微笑んで、熱心な仕草で谷の向こうを指差した。

数時間後、私は1人のアフガン兵と一緒にピックアップ・トラックの荷台に乗っていた。同乗した男はキャブの上に設置した機関銃の銃手だった。私達が道に迷ってしまっているのは明白だった。部隊のほかの者はどこにも見えない。しかし音は聞こえていた。そんなに遠くない場所で、ロケットや自動小銃を撃ちあう音が聞こえている。山に逃げこんだ反乱軍は谷間に身を隠して撃ち下してきていた。運転手はスピードを上げて、轍の刻まれた狭い道を、次から次へと試している。道は岩壁で縁どられていた。袋小路の迷宮だ。行き止まりに着く度に運転手のパニックは増し、どんどん向う見ずになっていった。たまに夜襲をかける以外では、アフガン軍もアメリカ軍も10年以上この地区に足を踏み入れていなかった。男たちが壁の上に立って見ている。

「俺達は何処に向っているんだ?」私は機関銃手に訊いた。

彼が返した言葉は、私が繰り返し何回も聞いた言葉だった。あまりにも度々聞く予想通りの言葉。それはまるで大隊のモットーであるかのようだった。その言葉は例えばこんな質問に対して返される:計画は何だ?誰が撃っている?今夜は何処で寝るんだ?どれぐらい死んだ?

その言葉は、「Mulam nes」-「よく判らん」

とうとう運転手は車を止めて、黒いターバンを被り髭を生やした男に道を尋ねた。ひょっとしたらタリバンかも知れないその男は親切に道を指示した。

すぐに私たちは裸の尾根に着いて、ダオウッド隊長が殆ど1人でいるのを見つけた。2人の若い兵士がライフルを持って側に立っている。ダオウッドは岩に座っていた。10代の少年が1人その前に膝まづいている。頭を地につけ、手首は背中で縛られている。ダオウッドは彼の頭に何かしていた。私達が近づくと、彼が鋏を持って少年の髪をぞんざいに刈り取っているのが見えた。ダオウッドの足元に長い黒髪の束が積み重なっている。

ダオウッドは私達に気が付くと微笑んでウィンクした。そして仕事に戻ると少年の耳に向けて怒鳴った。「さあ、まだタリバンに成りたいか?」

「いいえ」少年は鳴き声で言った。

「何だって?」

「いいえ、いいえ、いいえ」

ダオウッドは少年を立たせると、丸く刈られた頭に疎らな髪の束が残った醜いパッチワークを満足そうに確かめた。彼は少年の手首を解き放つと言った。「行け」

少年は走り去った。靴を残して。

ダオウッドが髪を切っている間に、私達の運転手、実は小隊長である人物が、山をよじ登ってタリバンの旗を取ってこようとしている大胆な2人の若い兵士に向って怒鳴った。私達は直ぐにも離れなければならず、小隊長は2人を引き揚げさせようとしていた。しかし若い兵士は余りにも高い所にいた。2人には彼の声が聞こえなかった。小隊長は叫びに叫んだ。2人が無線さえ持っていれば、彼に無線さえあれば全ては簡単なのに。小隊長は無線の代わりに拳銃を抜くと、兵士たちのいる方角へ向けて2発の弾丸を放った。

兵士たちは体をすくめると、後ろを振り返った。小隊長は大きく手を振った。

この日はワーダック州(Wardak Province)チャック郡(Chak District)でのアフガン国軍(Afghan National Army:A.N.A.)による4日間の作戦行動の3日目だった。合衆国軍は目に見える所には何処にもいない。アメリカ軍攻撃ヘリコプターは頻繁にペアで頭上を旋回している。しかしそれ以外は約400名のアフガン軍は独自行動を取っている。アフガニスタンにおける安全保障上の役割を毎日のように増加させているA.N.A.にとって、この作戦行動は大胆な仕事であり、独立的に活動する能力を試すものでもある。ここ数年間、アフガニスタンにおける合衆国軍の優先順位は、続行中の戦争を効率的に行う事から、将来的に我々の役割を最小にできるよう、アフガン軍を鍛える事にシフトしている。しかし、たとえアメリカ兵が故郷へ帰り、国中のアメリカ軍基地が閉鎖されても、そのような将来図を心に描く事は依然として困難だ。A.N.A.が真に自分たち自身で行動する時、果たしてどの程度やれるのだろうか?予測はさまざま存在するが、悲観的なものに流れやすい。しかしながらA.N.A.の能力と準備状況に関する、現場での観察に基づく評価は、アフガン部隊と協働するアメリカ軍からの見地に限られている。

ダオウッドの大隊と一週間共に過ごした後、周りにアメリカ人がいない時にA.N.A.は、まるで異なる様相を見せる事を発見した。

そして戦争そのものも。

チャック郡での作戦行動は始まる前に殆ど挫折しそうだった。出発の丁度1時間前、大隊本部があるダッシュ・イー・トウプ(Dash-e Towp)前哨基地でのブリーフィングでダオウッドは彼の副官達に言った。「我々に現在足りない唯一の物は燃料だ。燃料が無ければ作戦は実施できない。」アメリカ軍顧問の一団は後ろに立って静かに聞いている。過去において彼らは自分たちで燃料を提供していた。しかしそのパラダイムは変わった。次第にA.N.A.は自らの補給ラインに頼らねばならなくなってきている。それがどんなに非効率的であってもだ。その上さらに足りない物があった。副官達が椅子から立ち上がった時、一人のアフガン軍将官が顧問の側にやってきて、I.E.D.(Improvised Explosive Devices:手製爆弾)を発見する為の金属探知機の電池が大隊には不足していると言った。顧問はため息をついた。「俺達の所へ来てくれ。」彼は言った。「我々に何か出来るか見てみる。」

ダッシュ・イー・トウプのアメリカ側施設は高い壁でアフガン側と分けられている。壁に取り付けられた扉を開けるコードはアフガン人からはアクセス出来ない。アフガン軍と連合軍との緊密な協力関係は軍事戦略全体の礎石であると考えられているにも関わらず(shohna ba shohna:肩と肩を並べて、という言葉はそこら中で見つかるNATOのスローガンだ)、最近になってアメリカ軍は自分たちの以前の同志達と距離を取り始めた。彼らは自分達自身の隔離さえし始めている。この回れ右は、「グリーン・オン・ブルー(green on blue)」攻撃と呼ばれる身内からの攻撃の多発に対する反応だ。2012年中、グリーン・オン・ブルー攻撃で外国兵60人以上が死亡していて(94人が負傷)、その数は連合軍全戦死者の22%に当たっている。アメリカ軍は多くの死が文化的相違から来ていると主張している。タリバンは治安部隊に侵入できたと主張していて、アフガン政府は「外国のスパイ要員」こそ非難されるべきだと主張している。それがどのような原因から来るものであれ、この攻撃によって両者の信頼関係は、NATO軍が「ガーディアン・エンジェル(guardian angels)」と呼ぶ要員を配置するまでに劣化した。ガーディアン・エンジェルの仕事はNATO軍兵士をアフガン軍兵士から守る事だ。そのアフガン軍兵士を鍛える事こそ、NATO軍兵士の仕事であるのに。

他にも心配すべき事がたくさんある。例えば外国軍撤退の期限が来た時、アフガン軍は自分たちの装備や施設を自分たちの手で維持できるのだろうか?自軍の負傷者を戦場から脱出させて治療できるのか?兵士の間の民族的分断を克服できるのか?食糧や燃料といった重量な割り当てを部隊に供給できるのか?危機的に高い脱退率の中で必要な人員を確保できるのか?危機的に高い文妄率の中で、兵士を訓練する際の教義を導入できるのか?今日、ペンタゴンの言葉によれば、連合軍の援助無しで活動できるアフガン軍は正確に1旅団だけであると言う。良しにつけ悪しきにつけ、2014年12月31日が来た時、残りの22旅団も同じ様に行動できなければならない。

この現実を踏まえて、A.N.A.は全国的な部隊の再編成を開始し、それによって戦場の様相は様変わりしつつある。「状況を見てくれ、」陸軍参謀長のシャー・モハマド・カリミ将軍(Gen. Sher Mohamad Karimi)は最近カブールで私に話した。「今やあらゆる兵器を持つ14万の外国軍が、その航空機、火力、戦車、補給力と共に去ろうとしている。アフガン軍に外国軍がしてきたのと正確に同じ事が出来ると期待するなど、あり得ん。」連合軍の撤退に当たって、A.N.A.は如何にしてその間隙を埋めるか決断すると共に、どの間隙を放置するかも決めなければならない。何年もの間、幹線道路と遠隔地の確保の為に、アフガン兵士は各州を覆う何百というチェック・ポストに詰めていた。今A.N.A.は、重要な少数の場所に戦力を配置する方を選んで、殆どのチェック・ポストを放棄しようとしている。カリミ将軍はこれには2つの理由があると主張する。第一に、アフガン軍は遠隔地のポストへ適切に物資を供給する手段を持っていない。第二に、A.N.A.は特定の場所を守備する事から離れて、攻撃的作戦を実行できるよう移動しなければならない。理論的には、軍が離れた後、警察がチェック・ポストを引き受けるはずだ。しかし何時もそうなっているわけでは無く、むしろそうなるのは稀だ。そして軍が撤退したポストを警察が引き継がない場合、例えばワーダク(Wardak)州がそうだったが、現在進行中の兵力再編が古くからある退却と同じものであると言う意見を否定するのは困難に見える。

チャック郡はアフガニスタンの中でもこうした変化が最も早く現れている地域だ。ダオウッドの大隊が午前3時に起きてダッシュ・イー・トウプを出発した時、車列には掘削機を引っ張る数台のフラットベッド・トレイラーとブルドーザーが含まれていた。これらは地域内にある5箇所から6箇所のA.N.A.チェック・ポストを破壊する為に使われる。(前回ワーダク州内の廃棄ポストが破壊されずに残された時は、そこにタリバンが移り住んでしまった。)最初の地点に到着したとき、太陽はやっと昇り始めたばかりだった。砂利の詰まったヘスコ社製土嚢の防壁で囲まれたコンパクトな砦が、この地区の入り口をにらむ低い丘の上に築かれている。この場所から見ると何故タリバンがチャック郡を好むのか判る。並行して走る山並みが広々とした谷を作り、河が蛇行しながら中央を流れている。明るい黄色い葉に白い幹の木々、それにリンゴの果樹園が盆地に広がっている。暗い渓谷が山に向かって何本も伸びている。一本の道が、渓谷深くを流れる河沿いに伸びて、ヒンドゥ・クッシュ(Hindu Kush)山脈麓の無法地帯をハイウェイ1と結び付けている。ハイウェイ1は、カブールとカンダハル、すなわちアフガニスタン北部と南部に橋をかける重要な輸送路だ。

3億ドルと推測される費用をかけてアメリカ企業が再建したハイウェイ1は、2005年に合衆国大使から「アフガニスタンの再生と発展を象徴するもの」として賞賛された。それ以来、この道路は地球上で最も危険な道路の一つとなった。爆弾の爆発跡で傷だらけであり、頻繁に待ち伏せ攻撃が行われ、反乱側の略奪部隊が活躍する場所。NATO基地へ向かう途中で燃やされてしまった燃料輸送車の残骸が散らばっている場所だ。ダオウッドは丘の頂上から見下ろしながら、チャック郡がハイウェイへ攻撃を仕掛けるには理想的な場所である事、そしてこのチェック・ポストはハイウェイを守る唯一の方法である事を説明した。「我々がこれらのチェック・ポストを維持している間、安全は守られていた。」ダオウッドは言った。「住人も喜んでいる。もちろん我々が立ち去ったらタリバンが戻ってくる。我々が去ればこの地区は直ぐにも彼らのものだ。」

ダオウッドの話では、河に沿って走る道路にはすでに大量の遠隔操作爆弾が仕掛けられている事が判っていると言う。指揮官が車列に前進を指示した時、私は2人の地雷処理班が金属探知機をテストしているのを見ていた。その装置は相当古そうだった。ベトナム戦争時代の緑色のやつだ。黒いワイアが大きなプラスチック製ヘッドホンに繋がっている。アマチュア無線ラジオを思い出させる類のテクノロジーだ。これで道路の爆弾を掃除できるかは疑わしいと思ったのを白状せざるを得ない。しかし半マイル程進むと直ぐに、爆弾処理班の1人が立ち止った。痩せて髭を生やした兵士が一人、ツルハシを持って軍用車から飛び出してきた。地雷処理班はある地点を指差している。ツルハシを持った兵士は探索を始めた。直ぐに彼はダオウッドを呼んだ。「見つけた!」

C-4爆薬が爆弾の周りに積まれ、充分安全な場所まで離れてから爆破された。爆発は誰もが予想するより大きかった。100メートル離れた木の陰にうずくまった我々の上にも、土砂が降ってきた。穿たれたクレーターで道路は通行不能になり、アフガン兵はその後30分間小石で穴を埋める作業をしなければならなかった。私達が移動を再開する前に、地雷処理班はカーブの向こうで、又別の爆弾の処理を始めた。私は痩せて髭を生やした兵士が、ツルハシを肩に担ぎながら脇に立っているのを見つけた。彼は大きなマリファナ・タバコをふかしている。

彼の名前はシャフィウラー(Shafiullah)と言った。彼は青いラテックスの医療用手袋を着け、数サイズ大きいヘルメットをかぶっている。ヘルメットは大きすぎて、彼の広く離れた野性味あふれる目の上に、だらしなく被さっている。異常なほど用心深そうな目が大きく見開かれていた。まるでどんなものでも、近くまで寄って良く見ようとしているかのように。「最後のやつを見たかい?」シャフィウラーは訊いてきた。

「大きかったな」

彼は急いでうなづいた。ヘルメットが頭の上で前後に揺れて、今にも飛び出しそうになりながら、革のあご紐に引っ張られて元に位置に戻る。

「とてもでかい!最高さ!」彼はもう一服、深く吸い込むと、吸いさしを立てた。そして突然、赤く燃える先端に心を奪われ始めた。

「その手袋は何の為なんだい?」私は尋ねた。

「人間の体には電気が溜まっている。爆弾を処理している時、不注意だと、指先の放電で点火させちまうのさ。」

「爆弾処理の前には何時も、そんなにハッシッシを吸うのかい?」

彼はさらに熱心にうなづいた。「恐怖を取り去ってくれるからね。」

シャフィウラーが軍に加わったのは5年前だと言う。彼が18歳になったばかりの時だった。彼は正規の歩兵として3年間、紛争の絶えないパキスタンとの国境付近で任務に就いた後、爆発兵器処理技術者(explosive-ordnance-disposal technician)に志願した。「いつもそんな人間になりたいと思っていたんだ。」彼は言った。「誰かにエンジニアと呼ばれたかったんだ。」約1年前、フランス兵およびアメリカ兵から受けた6か月に及ぶ訓練プログラムを卒業したシャフィウラーはワーダック州へ配属された。それ以来、彼自身の推計によれば、だいたい50個の爆弾を処理してきたと言う。「神の御加護で、一度も負傷しなかった。」彼は言った。

他にもっと不運なエンジニアは居なかったのかと彼に訊いた。シャフィウラーの話では、彼は20人の技術者チームに属していると言う。過去3カ月間に2人が死に8人が重傷を負った。又、訓練を受けた仲間の内、既に9人が死んだり障害を負ったりしていると言う。道路上で、地雷処理班の一人がツルハシを呼んだ。シャフィウラーは仲間へ戻る前に、最後の一服を深く吸い込んだ。数分後に谷に、巨大な爆音がこだました。

その直ぐ後、銃撃戦が始まった。ライフル、機関銃、ロケット・プロペルド・グレネード。正確に何が起きているのか見るには、現場は遠すぎた。後に私が知ったところでは、反乱軍のグループが車列の先頭を待ち伏せしたのだと言う。彼らは密集した木々の間から、道の狭い区画へ向けて一斉射撃をしてきた。兵士達は、より大きな兵器で力強く反撃し、攻撃を仕掛けてきた村で6人を殺害した。少し経って、最初の銃撃からあまり離れていない場所で、また襲撃が起きた。今回アフガン兵は、敵が密集している所へロケット・プロペルド・グレネードを発射し、7人を殺害した。兵士達の話では、死んだのは皆タリバンだと言う。

私がダオウッド中佐と共に現場にたどり着いた時、車列はすでに移動を再開していて、谷をよろめきながら突き進んでいた。襲撃が起きたのが、前夜にアメリカ軍が空爆の標的とした小さなガソリンスタンドの側だったのは、恐らく偶然では無い。ガソリンスタンドの持ち主で、グーラム・アリ(Gulam Ali)と言う名のタリバンのリーダーは、ダオウッドの話では、チャック郡内で数百の反乱軍の指揮を執っていたが、ミサイルで殺害されたと言う。2つの古い燃料ポンプが店先にまだ立っている。しかし後ろに並んだ店は廃墟となっていた。窓は打ち壊され、引き裂かれた金属の棒が、まるでプラスチック製フォークの溶けた歯であるかのように、屋内へ向けて折れ曲がっていた。店はそれぞれ、別々の破壊の様相を見せていた。薬屋の床には数百の薬瓶が転がっている。雑貨店では空になった棚が垂直にぶら下がっている。トレイラーの中の木のテーブル上に置いてあるアイロンとミシンは、焼け爛れ引き裂かれた衣服の間で、ありそうもないほど普通に立っていた。

ガソリンスタンドの隣は、グーラム・アリの家であり本部だった。傷一つない建物が、バラの茂みや深い真水の井戸がある敷地の中央に建っている。外壁に取り付けられた階段が寝室へと登っていた。中に入って私は、未来文明を理想的に描いたポスターが壁に数多く貼られているのを見て驚いた。つやつやした近代的ビルディングが険しい自然の風景の中で調和を保って建っている。確かでは無いが、あるいはこれはスイスの風景かもしれない。どちらにしても、グーラム・アリがこれらの風景を見ながら個人的に瞑想しているのを想像するのは、奇妙な感じだった。それぞれのポスターの上に書かれた霊感的な言葉もその奇妙さを全く減じなかった。「我々は生を愛する。」強調された字体で書かれた一文は命じていた。「生き続けているからではない、愛し続けているからだ。」そして「たとえ汝が正しい道の上にいたとしても、そこに座っているだけならば、轢かれてしまうだろう。」

庭に戻って来ると、ダオウッドが皆に、反乱側の13人が殺された村へ行くと宣言しているところだった。「グーラム・アリの村だ。」彼は説明した。「私は敬意を表しに行く。」彼は、何処へでも付いてくる10代の護衛を2人連れただけで、木々の中へ入っていった。ヘルメットも被らず、防弾チョッキも着ていない(好きじゃないんだ、頭痛がするんでね)そして何の武器も持っていない。その代り、彼は自分の手を背中で組み合わせ、トルコ石のお祈り数珠を無造作に振り回していた。親族が弔問に集まっているグーラム・アリの両親の屋敷に私達が着いた時、ダオウッドは私に、外で待っているように言った。外国人が立ち会っていると、親族は気分を害するかも知れない。数分後に彼が出てきた時、私はその場を去れる事が嬉しかった。しかし主要道路へ戻る途中、村の墓地内の、墓石や色の付いた旗の間にある小さな塚に、数ダースの男が集まっているのに出くわした。それはタリバンの葬式だった。そして男達は私達の事を、親密とは言えない感じで認識していた。ダオウッドは言った。「歩き続けろ。」そして彼は葬式に向って言った。「飛行機は今夜戻って来る!」彼は叫んだ。「アメリカの特殊部隊がやって来る!この辺を離れろ!ここに留まるな!ここに居たら殺されるぞ!」

セレモニーは即座に散会した。男たちは、パニックを見取られないギリギリの速さで素早く丘を駆け下りていった。「ヘリコプターが来るぞ!」ダオウッドは続けた。「特殊部隊が直ぐにもここに来る!」

その時、危機的であったかも知れない状況を素早く逃れた指揮官の対応は、2日後に錯乱した男を扱った時と同じくらい、巧みで印象深いと、私には感じられた。しかしそれ以外の事もその場では行われていたのだ。グーラム・アリの家族にお悔やみを述べる事、および、人々に空爆と夜襲の可能性を警告する事は、全てダオウッドのゲームの一部だった。彼と一緒に時間を過ごせば過ごす程、ダオウッドが彼独自の対反乱軍作戦を実施している事が判った。その中には自分を、タリバンに対してだけで無くアメリカやアフガン政府に対しても抵抗する人間として地元民に売り込む事も含まれている。私達が訪れた全ての村で、ダオウッドはカブールの政治エリート達を非難し、不満を抱える農民である聴衆を熱狂させた。ある時、反乱の幇助をしていると知られている場所で、指揮官は群衆に言った。「政府の高官たちは全て泥棒だ。あいつらは国とか民衆とかはどうでも良いのだ。外国から金をもらってポケットに入れている。自分たちを肥え太らせている。あいつらは外国へ行き、大きな家で寝て、高価な車を買う。そして民衆の事など一度も考えない。あいつらは国の為になる事は何一つしていない。」

ダオウッドがしばしば表明する怒りについて、どのくらいが見世物であり、どのくらい本当に信じているか、見分けるのは難しい。私の感じでは、ダオウッドが抱える葛藤は本物だ。彼は深く幻滅している政府に忠実に使える兵士として、人生の10年間を過ごしてきた。そういう人間は彼1人では無い。私が話をした兵士は殆ど、明らかに政府に対して好意を示すのを避ける。忠誠心はさらに無い。もちろん、こういった事は、他の国の軍隊の兵士達でも同じだ(合衆国海兵隊員が入隊の動機について説明する時、ブッシュ政権やオバマ政権に対する忠誠心を上げるなんて事を想像してみてくれ)。しかし、アフガニスタン・イスラム共和国の黎明期においては、政治指導者と国の性格は殆ど同じものと見なされがちだ。別の言葉でいえば、まだ1人しか大統領を持った事が無い政府では、腐敗した個人と壊れたシステムの間に見分けがつかないのだ。これら全ての事が1つの疑問を呈する。このような国において、人はいったいどのようにして、批判者であると同時に愛国者でいられるのか?ダオウッドや彼の兵士数人が明らかにそうであるように。海兵隊員は表向きは、アメリカの理念と組織の為に戦っている。それらは選出された政府高官を超えるものだ。この指揮官と彼の兵士達は何の為に戦っているのか?彼らの殆どは、私が尋ねると、「ワタン(watan)」あるいは「故国(homeland)」と言う言葉で答える。しかしその故国を支配する者が、王室、独裁者、共産主義者、ムジャヒディン、イスラム原理主義者、そしてカルザイと変遷するのを見てきた人間にとって、いったい故国と言う言葉は何を意味しているのだろう?

暗くなってきて私達は、小さな山の山麓の村の、半分壊れた土の家に駐留する事にした。そして、ダオウッド中佐は自分の経歴を私に話してくれた。その家の持ち主は鳥を絞めて大鍋にスープを作ってくれた。ダオウッドと彼の取り巻きは、フードの掛った石油ランプの明かりの周りに集まり、柄杓を回してスープを飲み、ウールの毛布を体に巻きつけて、凍えそうな夜の外気に対した。

ダオウッドの軍人として経歴は30年前に始まる。彼は生まれ故郷であるパグマン(Paghman)州の高い山や狭い谷の中でロシア人と戦っていた。ソビエトが支えていた政府が1992年に瓦解すると、敵対するムジャヒディン・グループ同士の関係が険悪になってきた。カブールは激化する内戦の中心地になっていったが、20分西に離れているだけのパグマンは比較的平穏だった。ダオウッドは家に留まり、紛争に入るのを好まなかった。紛争は首都とその住人に大損害を与え、終わる気配も見せない。しかし1996年、タリバンがカブールに入り、予想もしない容易さで敵対する軍閥を追い出した時、ダオウッドは妻と子を連れ、パンジシャー渓谷へ逃げた。そこは反タリバンの拠点でありワーロードのアフメド・シャー・マスード(Ahmed Shah Massoud)が、長く厳しい戦いに備えて退却した場所だ。マスードと彼の兵士はタジク人であり、ダオウッドはパシュトン(タリバンの民族)であるにも関わらず、そして最近の内戦で民族間の憎悪がかきたてられていたにも関わらず、ダオウッドは大きく手を広げて迎えられた。マスードは彼の家族に家を与え、ダオウッドを100人の兵士の長に任命した。

さらなる戦いがダオウッドについて回る。何年も続く地雷とロケット弾、待ち伏せに危機一髪。パンジシャーとカブールの間に広がる広大なショマリ(Shomali)平原の果樹園で展開される数年間の夜間作戦。多くの血が流されたが僅かの土地のやり取りに終わった数年間。そして全てが変わる年が来た。ダオウッドがその時の話をする時、彼と仲間たちがアメリカ空軍の力を借りてタリバンをひっくり返した時の話をする時、彼の顔には、人がナイーブだった昔の自分を思う時の微笑みが浮かぶ。彼を恥ずかしがらせ悲しませるのは、この日々に持っていた楽天性だ。アフガニスタンが新たに生まれ変わったと言う感覚だ。

ダオウッドは、いわゆる北部同盟と呼ばれるものに属する数万の兵士の1人だ。北部同盟はマスードと数人の指揮官に忠誠を誓う反タリバン武装集団の緩やかな同盟体だ。マスード自身は9/11の2日前に暗殺されたが、彼の後継者、麻薬密輸業者と目されるモハメッド・カシム・ファヒム(Mohammed Qasim Fahim)は、ハミッド・カルザイの暫定政権で国防相に任じられた。ファヒムの元、北部同盟に属する殆どの兵士、ダオウッドと彼の100人も含む兵士が新たに生まれ変わったアフガン軍に入り、最初の基盤となった。合衆国が依然として、ブッシュとラムズフェルドが支持する「軽い足跡(light footprint)」戦略、「国家建設」と見なされうるあらゆる資源提供の約束を避ける戦略に留まっている間、ファヒムは軍の創設に関与を続けた。それは即座に、ダオウッドのような人々が熱烈に希望していた未来のナショナリズムと言うよりも、昔ながらの派閥主義に似たものとなった。国際危機管理グループはその状況をこう表現した。「各部隊は、それぞれの保護者が所有する組織のようなもの成り、同盟者や支持者に報いる将校の任命が行われた。その結果、武装集団の混合体を覆う指揮系統は弱く、高い脱退率と低い追行能力に悩まされる事になった。」

草創期の軍における権力闘争や仲間贔屓が如何に酷いものであったとしても、カルザイ大統領配下の市民政府はもっと酷いものに見えた。2年経って、疲れ果て苦りきったダオウッドは辞任する。「腐敗が問題だ」彼は説明した。「それが全てをダメにした。全て破壊された。」ダオウッドがパグマンでの新たな生活、家族の土地を経営しながら妻と子供と過ごす生活を楽しみ始めた時、反攻を始めたタリバンは、膨れ上がる政府に対する幻滅と、首都以外での治安部隊の貧弱な配置を利用し始めていた。2006年になると反乱が、単に付きまとう不安などでは無く、現実的脅威である事を否定する者はいなくなった。

ある日、A.N.A.で軍団長を務めるパンジシャー出身の古い友人が、ダオウッドが住むパグマンの農場を訪れた。「私達はたくさん議論した。」ダオウッドは思い返す。「私は二度と軍に戻りたくなかった。この政府の為に戦いたくなかった。それを彼に言うと、私の友人はこう言ったんだ。『もしも、良い人間が関わりを持たなかったら、犯罪者どもが支配するように成るだろう。そしたら我々はこの国を、そいつらから取り戻さなければならなくなる。』」最後にはダオウッドは説得された。もう一度彼はパグマンを離れる。もう一度彼は武器を取った。

ダオウッドが彼の物語を終えると私は尋ねた。システムが修復可能だと彼が本当に信じているのかを。彼はしばらく考えていた。とうとう彼は、また別の戦う理由を、より本当らしく響く理由を述べた。「政府が盗めるのは金だけだ。」彼は私に言った。「少なくとも彼らは、教育であるとか、女性や人間の権利とか、法による支配とかに反対はしていない。」

次の朝、数人の兵士がタリバンの旗を見つけてダオウッドへ持ってきた。それは大した物では無かった。紐で棒に結ばれた白いベッドシートに青いボールペンでアラビア語が殴り書きされている。ダオウッドは自分のナイフでそれを切り裂き、火をつけようとした。布はゆっくりと燃え始めた。兵士達がタンボールとか焚き付けとかで騒いでいる間に、ダオウッドはダッシュ‐イー・トウプのアメリカ人顧問から電話を受けた。彼らはダオウッドがチェック・ポストの破壊を始める事に念を押したかったようだ。ダオウッドは半信半疑だった。まだ信じられなかった。「このナンセンスは何だ?」彼は電話を切ると言った。「あいつらはアフガニスタンをタリバンへ渡したいのか?」他の兵士達も苛立たしそうだった。彼らは旗が緑の炎に捕えられ縮んで燃えてゆくのを不機嫌そうに見つめていた。「このチェック・ポストが壊されたら、我々は二度とこの谷には入れないだろう。」ダオウッドは言った。

ワーダック州のアフガン人は全て、チェック・ポストの閉鎖という決定に対するダオウッドの不満を共有しているように見えた。ワーダック州知事アブドゥル・マジッド・コギャニ(Abdul Majid Khogyani)とカブールで会った時、彼は私に言った。「私はこの考えに強く反対する者だ。ワーダック州警察長官も国家安全保障理事会長官もやはり反対している。これが上手く行かない事を私達は知っている。この戦略の結果タリバンはより強くなる。チェック・ポストが無ければタリバンは易々とこの地域を突破できる。そして一度そうなれば、彼らを再度一掃するのは極めて難しい。」マジッドは、兵力再編はNATOがA.N.A.に強いたものだと確信している。私と話した多くのアフガン高官も同じように抱いている疑念だ。「地方の人間は聞きたがっている。何故NATOは熟慮の末に、タリバンへチャンスを提供するのかってね。」知事はそう言った。NATOは自身の関与を否定している。

チャック渓谷で残るA.N.A.の基地は一つだけだ。ハイウェイから最も離れた場所に約100人の部隊が残る。その日の午後、車列がその最後の前哨基地に到着すると、過去12か月間基地に留まり、合衆国特殊部隊チームと協力しながら、唯一の足場を保つ為に奮闘し、衣服が泥だらけになった兵士達を、新鮮な交代要員で助け出す事ができた。全ての兵士の顔には、殆んど毎日、数で勝るゲリラを相手に戦ってきた事を示す、厳しい表情が浮かんでいた。何マイルも続く山々や森林は全て反乱軍側のものだ。この広大な荒野へ出ると、そこにはタリバンの兵器市場さえある。反乱軍側兵士はそこで、カラシニコフやロケット弾、機関銃、手榴弾を売買している。

まるでいやな匂いのように疑問が湧き上がってくる。他の全てのチェック・ポストとハイウェイ1が破壊されたら、チャック渓谷深くに留まるアフガン軍兵士は如何にして生き延びるのか(あるいは、より正確には、生き延びる以上の成果をあげられるのか)?すでに戦闘に巻き込まれている自分たちの基地が、渓谷の麓から切り離されてしまうのは、充分予想される。いずれにしてもここには、出入り口が1つしか無いのだ。そしてこの不安な事実を強調するかのように、車列が来た道を戻り始めて直ぐ、土地の情報提供者がダオウッドへ電話してきた。前方の何処かで、数個の爆弾が埋められていると、情報提供者は警告した。

シャフィウラーと彼のチームが前方に進んだ。バンとトラックは前進速度を這うようなスピードに落とした。直ぐにエンジニアは、2フィート下に埋められた巨大なI.E.D.に取り付けられた銅線を見つける。数分後に又別のを見つけた。そして又、もう一つ。シャフィウラーが3番目のやつを爆破すると直ぐ、ダオウッド中佐の情報提供者がかけ直して来て、「もっとたくさん」あると告げてきた。彼はしかし何処にあるかは定かで無いらしい。既に辺りは暗くなり始めていた。そして我々は、比較的安全なハイウェイ近くの空き地、大隊が宿泊を予定している場所まで、まだ数マイル進まねばならない。先頭車両から50フィート先で、シャフィウラーは膝まづき、ヘッドライトが照らす薄明りの中、ツルハシで土をひっかいていた。しばらくすると、叫び声が聞こえて、後ろに向って無秩序に走る足音が聞こえた。それに続く爆発はかなり強力で、温かい爆風と共に少しの土が私達の背中に強く当たった。

誰も負傷はしなかった。車列は再び前進を始めた。そして又停止した。シャフィウラーが仕事に戻る間、私は数名の兵士と、古いソビエト戦車の残骸に座っていた。誰かがマリファナを勧めた。気分は明るかった。この部隊の兵士達は昨冬からチャック郡最遠の基地に駐留していたと言う。彼らは交代で出られる事を喜んでいた。かりにそれが、過酷な土地を、やはり過酷な他の土地と交換する事を意味しているのであっても。彼らの殆どはアフガニスタン東部から来たパシュトゥン人で、もう何年も軍務についている。妻や子供がいて仕送りをしている。そして会うのは数か月に1度だと言う。兵士達は、ダッシュ‐イー・トウプに戻ったら休暇がもらえると期待している。しかし故郷を訪れるのは、それだけで大仕事だと言う。ダッシュ‐イー・トウプとカブールの間のハイウェイは危険らしい。多くの兵士が家族に会う道の途中で、反乱軍に誘拐され殺されている。過去においては、伝統的なシャルワール・カミーズ(shalwar kameez)を来てタクシーを雇い、市民の振りをする事が出来た。しかし今や、タリバンはスパイを持っていて、兵士が出てゆくとそれを知らせている。唯一の選択肢は車列と一緒に行く事だが、それが出来るのは稀だ。兵士の話では、最近中尉の1人が幼い息子を病で亡くした。彼は車で少し離れたカピサ州(Kapisa Province)の出身だが、帰るのに20日間かかったと言う。

最終的にシャフィウラーが4番目の爆弾を見つけて爆破すると、その時までに凧のようにハイになっていた戦車の兵士達は、道路に戻り前進を再開した。目的地に到着したのは午前1時だった。道すがら、シャフィウラーのチームがI.E.D.を掘り出して爆破する為に、繰り返し何回も停止した。全部で11個だった。真夜中過ぎのある地点でエンジニアは少し不注意になった。シャフィウラーが爆破半径を出る前に、爆弾に設置したC-4を点火してしまったのだ。爆風は彼が歩いている横の土壁を倒し、踝を痛めた。次の朝、シャフィウラーはびっこをひいていてズボンの裾が裂けていた。彼の足はひどく腫れているように見えた。しかし彼は衛生兵に診てもらって無く、診てもらう予定も無い。

夜の間、地面は凍えるほど冷たく、大隊の他の殆どの兵士と同じく寝袋を支給されていないシャフィウラーは、数時間、寒い中で休憩を取っただけだった。それでも、朝食(ビニール袋に入った固いパンとゆで卵にコーヒー牛乳1パック)の列に並んだ彼は、とても陽気に見えた。「言っただろう、一度も怪我したことが無いって。だけど今度はやっちまったよ。」シャフィウラーは笑いながら言った。「危なかったぜ!でも神は俺をお助けになった。」

この日はダオウッドが部隊を山に入れ、アリ・シャー(Ali Shah)と呼ばれる村に行き、彼の為にダンスを踊った錯乱した男以外に誰もいない事を発見した日だった。アフガン兵士の間でアリ・シャーは悪名高い場所、10年以上政府軍が行こうとしなかった反乱軍の聖地だった。(「女までがタリバンなんだ!」ある軍曹は私にそう言った。)ダオウッドは、その日、村で結婚式が行われ、数人の反乱軍指揮官が参列すると言う情報を受け取っていた。彼は作戦の速度を、結婚式の昼食時に合うように調節したいと言っていた。

ダオウッドがタリバンは何処だと訊いたとき、錯乱した男は遠い丘の中腹を指差した。その場所では大勢の村人がモスクの外に集まっていた。ダオウッドと兵士達はトラックに飛び乗り、そちらへ向かった。私はトヨタのピックアップトラックに、ファジル(Fazil)と言う中年の機関銃手と一緒に乗った。ファジルは、前に戦車に一緒に座った兵士が言っていた中尉であると言う事が判った。息子の葬式までに家に帰れなかった人物だ。ファジルがカピサ州の自分の村を説明する様子は、何かとても馴染み深いものに思えた。彼はまるで、テキサスの家族の牧場を思い返している合衆国海兵隊員のようだった。河は広く清らかで魚が溢れている。人々は優しくて空気は綺麗。果物は甘い。

ファジルが受けた教育は、戦争時に独特なもので、彼が12歳の時に始まった。ジハードの時代だ。ある日、彼が父と叔父と一緒に土地の市場へ行っていた時、徒歩で哨戒中だったロシアの奇襲部隊(コマンドー)が、(あるいはただのロシア兵で、スキーマスクを被っていたのでファジルに奇襲部隊に見えただけなのかも知れないが)、村人を銃撃し始めた。ファジルの叔父は血を流して彼の目の前で死んだ。ファジルの父も弾を受けたが生き延びた。数年後、ソビエトが支持する政府のジェット機がファジルの家へミサイルを撃ち込み両親を殺した。その直ぐ後、ファジルはマスードが率いるムジャヒディンに加わった。ソビエト軍との戦闘でファジルは脚に弾を受け、カブールの病院に連れて行かれた。そこで彼は政府から陣営を変えろと勧められた。彼は同意した。そして1年間、以前の同志を相手に国軍の為に戦った。両親を殺したのと同じ軍にどうして入れたのか訊いたら、ファジムは言った。「ムジャヒディンは俺が全ての時間、政府軍と共にいる事を知っていた。俺は情報を提供していたのさ。」政府が瓦解した後、ファジルはパンジシャーへ戻り、再びマスードに加わった。

陣営を変えたり、騙したり、もてあそんだりする能力、それをしばしば同時に行う能力は、アフガニスタンの外国軍を常に戸惑わせる。アフガニスタン人が忠誠する側をシフトし続ける時の複雑なロジックは、殆んどの部外者にとって、単純に不可思議なものだ。私達はいったい誰を相手に戦っているのか、なぜ彼らが我々と戦っているのか、真に理解できる事は無い。私はかつて、不安定な東の州で行われた任務に同行した事がある。その任務には、アメリカ兵の小隊と共に、合衆国陸軍人文調査システム(U.S. Army’s Human Terrain System)のメンバーが一緒だった。その人物は歴史家で博士号と突撃銃を持っており、その地域の長老達が、どの反ソビエト・ムジャヒディン・グループに属していたかをマップするのが仕事だった。その場には数人のアフガン軍兵士もいたが、その教授兵士が、ごま塩髭を次から次へと捕まえては、20年前彼らがその下で戦った指揮官を(通訳を通して)問い詰めているのを見た時に、彼らの顔に浮かんだ不思議そうな表情を私は良く覚えている。

ダオウッドのやり方は違っている。兵士年齢の男が疑わしく見えた時、指揮官は彼の親指と人差し指を使って男の瞼をこじ開ける。そして彼は前かがみになって探し物をするかのように見つめる。通常、数秒後に、突然探していたものを正に見つけたかのように、ダオウッドは驚いた振りをして宣言する。「こいつはタリバンだ!」

もちろんこれは冗談だ。アメリカ人をからかう時に良くやるやつだ。数年前、連合軍は非常に野心的な事業に乗り出した事がある。アフガン市民数十万人の生物学的情報を、電子データベースに記録し、アメリカ軍パトロールにとっての品質証明にすると言うもので、村人を一列に並べて虹彩や指紋をデジタルに登録した。ダオウッドがやった虹彩スキャンの真似事は、部分的にA.N.A.の劣ったテクノロジーを判ってやっている面がある。しかし又同時に、それは連合軍のテクノロジーに対する止むに止まれぬ依存状態を皮肉ってもいる。ダオウッドの村人に対する態度がいつも親しみを持っているのに対し、NATO関係者が、地方のアフガン人農夫の顔の前で、ハンドヘルドの共通ID発見装置(Handheld Interagency Identity Detection Equipment)を振り回す様子は、2人の人間の間でのこれ以上の分析的で疎外的な関係など想像もできないほどのものだった。このような瞬間において、合衆国軍兵士とアフガン軍兵士が立つフィールドの違いは、外国人と同国人との違いよりも遥かに仮借ないものになる。それはむしろ、大洋の中のスキューバ・ダイバーと魚との間の違いに似ているかも知れない。

例えば、ダオウッドが結婚式の昼食までに到着したいと言った時、私は彼が真剣に言っているなどとは少しも思わなかった。しかし、アリ・シャーの丘の中腹の集会に到着すると、私達は直ぐに家に招き入れられ、ラムと米の煮込み料理の皿を気前良く振る舞われた。ダオウッドは彼の反体制的非難を恭しく始めた。私に向って、全ての人が聞こえるほど大きい声を出した。「ここには良い人々が皆集まっている。もし政府がこの人達の為に働けば、もし政府がこの人達を助けたら、この人たちが我々と戦う事は無い。政府高官はこういう場所に来るべきだ。あいつらはカブールの外に住む人の事は何も知らん。」一人の村人がそれに加えて、「大臣たちは全ての金を自分たちの口座に入れている。あいつらは自分の為に豪勢な家を建て、高い車を買っている」と言うと、ダオウッドは好意的に同意する様子でうなづいた。

その間、すぐ外では、護衛に立っていた数人の兵士が、大きな袋いっぱいのロケット・プロペルド・グレネードが岩陰に押し込んであるのを見つけていた。怪しい男のグループが山に逃げ込んで行くのも目撃されていた。そしてこの日の戦いが始まった。

その日の夜遅く、大隊の他の者が眠りについた後、ダオウッドは4人の護衛を連れてタリバンが支配する村へ徒歩で入っていった。彼は土地のタリバンに会おうとしていた。その人物はやはり金で情報を提供していたと思われるが、ダオウッドは明確には述べなかった。「古い友人だ」とか「情報をくれるんだ」とまでしか言わない。しかし私の感じでは、彼こそがダオウッドに道路の爆弾を警告してきた人物だと思う。月はそれほど明るく無く、足元の地面がやっと見えるほどの星明りしか無かった。私達は急な丘を登り、小川に沿って進み、畑を通って曲がりくねった道に出た。犬たちが吠えはじめ、ダオウッドが連れてきた4人の兵士は緊張し始めた。「心配するな」ダオウッドは彼らに言い続けた。「もう直ぐだ。」

タリバンの家に着くと、1人の少年が、ガス灯で薄暗く照らされた長くて狭い部屋へ、私達を案内した。ピンクのレースのカーテンが窓にかかっている。豪華なクッションが壁際に並んでいる。華麗に装飾された絨毯が床を覆っていた。情報提供者は中年の男で、ふつうに髭を生やしターバンを着けていた。彼はダオウッドを抱きしめると、私達へ座るよう促した。少年はお茶を運んで来ると、米、肉、パンの皿を運んできた。しばらくするとダオウッドは言った。「我々は明日、チェック・ポストを閉める。ここから退散するんだ。」

「それは素晴らしい。」男は言った。「昨晩、飛行機がこの辺を探っていた。」

「家の中に居れば良いさ。」ダオウッドは彼に言った。

ダオウッドの電話が鳴った。電話を切ると、ダオウッドは知らせた。「明日、襲撃がある。」そして情報提供者に向けて言った。「明日、我々はこの辺を捜索する。」

情報提供者はうなづいた。「何の問題も無いだろう。」

次の日、実際に襲撃があった。ブルドーザーやパワーシャベルがチェック・ポストを壊している間にも関わらずだ。我々が浅い流れの岸に沿って狭いキャニオンを登っていた時、ロケットと機関銃の音が前からこだましてきた。その時点で、殆んどの兵士は疲労で参っていた。この4日間、彼らは約30マイル歩き、凍りつくような夜を震えながら過ごし、パンと米以上のものを食べていなかった。そして又、戦いをして人を殺してもきていた。ダオウッドが素早い動きで銃声のする方へ走る間、私達は道端に座り込んで岩にもたれ、赤い顔をして疲れ切っている兵士を、1人、又1人と追い抜いた。「止まるな!」ダオウッドは彼らを駆り立てた。「今、お前たちは敵の領土に居るんだ。ライオンのように動け!」

そして殆どの場合、本当にライオンのようにでは無くとも、兵士達は立ち上がり前進した。

果たして、アフガン国軍が2014年12月31日にどのような状態に見えるか、今断言するのは早すぎるだろう。疑いもなく、不確実な未来に対するその準備状況は、地区ごとに、そして部隊ごとに、大きく異なっているだろう。しかし、しばしばアフガニスタンの外国人がするように、アフガン兵士を見捨てたり軽蔑したりするのは間違っている。襲撃の後(反乱軍側3人が負傷した。兵士にはいない)、私はデイクンディ州(Daykundi Province)出身の衛生兵、アブドゥル・カリム(Abdul Karim)と一緒に、谷の麓から裸の木を通して見えていたハイウェイに向って歩いた。デイクンディ州出身者の多くがそうであるようにカリムは、アフガニスタンの少数民族、ハザラ(Hazara)だ。彼らがシーア派イスラム教を信仰する故に、そして彼らの顔の特徴が視認を容易にする故に、ハザラはスンニ派原理主義武装集団から狙われやすかった。アフガニスタンにおいて、タリバンが権力を手中にする過程で数千人のハザラを虐殺した事は確かに真実だ。「私の民族にとって、」カリムは私に言った、「この軍隊に入る事は重要なんです。」彼の話では、彼の家族の殆ど全ての男は、充分な年齢に達したら軍に志願するのだと言う。カリムの兄弟や従弟、合わせて28人が軍服を着ている。

この戦争の最初の頃、アメリカ軍兵士や海兵隊員が、自分達は故国の為に戦っていると信じていた時期が確かにあった。自分達のワタン(watan)の為に戦っているのだと。しかしそんな日々はもう去った。それは暫くの間しか続かなかった。誰でもそれは感じ取れる。しかしカリムのような兵士には、そういった日々が決して終わらない事も、やはり確かに感じ取れる。

私達がダッシュ‐イー・トウプに戻ると直ぐ、アフガン兵士が時間通りに動けない事への不満を合衆国将校が大声で述べているのが漏れ聞こえてきた。アフガン兵士は確かに決められた時間通りに動く事に困難を抱えている。それは真実だ。彼らは又、きちんと並んで立つとか、決められた服装をするとか、足並み揃えて行進するとか、西洋の職業軍人なら本来出来る数多くの事が好きじゃない。将校がアフガン兵卒の部隊に注意を喚起すると、彼らは例外なく、私の教練軍曹が良く言っていたような、「スープ・サンドイッチ(形が崩れた状態)」に近くなる。しかし彼らは又、どんな連合軍兵士よりもはるかに高いリスクを受け入れてもいるのだ。彼らの部隊は、タフで勇敢な兵士で満たされている。彼らは戦闘へ、防弾チョッキやヘルメットや装甲車両無しで駆けて行き、凍りついた地面の上で寝袋無しで寝て、ツルハシでI.E.D.を掘り出し、しばしば空腹を抱えながら不満を述べる事も無い。

ダオウッドが基地に帰ってきた時、外は既に暗かった。彼は基地に入る最後の1人になる事を求めた。私が彼の部屋を訪ねたとき、彼は床に座ってお茶を飲んでいた。小さなテレビが部屋の隅で静かに放送を流している。私達が話をしている間に、アナウンサーがニュースを伝え始めた。バラク・オバマが大統領に再選された。私はそれをダオウッドに指摘したが、彼はあまり興味を示さなかった。「どっちでも俺達には同じさ。」彼は言った。私がノートを取るのを見て彼は付け加えた。「俺達は誰でも良いからアフガニスタンを助けてくれる人が欲しいんだ。」しかし指揮官は知っているようだった。それは彼自身の仕事なのだと。

~~ここまで~~

次回更新は2月23日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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