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知りすぎているスパイ小説家

フランスのスパイ小説作家に関する記事をUpします。

記事を書いたのはロバート・F・ワース(Robert F. Worth)さんです。元記事はここにあります。

S.A.S.シリーズの作者、ジェラール・ド・ヴィリエさんに関する記事です。

~~ここから~~

知りすぎているスパイ小説家

去年6月、1冊のパルプ・フィクション(pulp fiction:三文小説)スリラーがパリで発行された。タイトルは「Le Chemin De Damas (ダマスの小径)」。艶のある緑と黒が基調の表紙にはグラマラスな女性がピストルを持った画が飾られている。そしてプロットに含まれているのはお決まりのカー・チェイスや派手な爆発、それに女性を口説く場面。しかしながら、殆どのペーパーバックと違ってこの本は、3大陸にまたがる外交官や情報関係者の注意を惹きつけた。シリア内戦の真っ只中に出たこの本には、あまり知られていない補佐官や支持者と共に、国内で戦闘中の指導者、バッシャール・アル=アサドと彼の弟マーヒル(Maher)が生き生きと描写されていた。そして又、アメリカとイスラエルの情報機関が秘かに支援して始まり、失敗に終わったクーデターの詳細も記述されている。その中でも最も驚くべきなのは、正に1ヶ月前、数名の政権高官が殺されたダマスカスの大統領官邸近傍にあるシリア政権の指令所の一つに対して行われた攻撃について、この本に記述されている事なのだ。「まるで予言のようだ。」シリアを良く知るベテラン中東アナリスト、名前を秘す事を希望して話してくれた人物は私にそう言った。「この本は正に、政権内部の雰囲気を見事に表現している。彼らがどういう風に作業するかと言う事をね。私もこんなのは見たことが無いよ。」

この本は83歳に成るフランス人、ジェラール・ド・ヴィリエの最新作だ。彼は50年近く、S.A.S.スパイ物シリーズを年間4冊から5冊のペースで出し続けている。彼の本は奇妙なハイブリッドだ。最も売れてるパルプ・フィクションであると同時に、世界中のスパイ組織が情報を落としてゆく箱でもある。ド・ヴィリエは生涯の殆どを、スパイや外交官との繋がりを育てて過ごして来た。そしてスパイや外交官の方は、自分自身、あるいは秘密の自分の身代わりが人気あるフィクションに登場するのを楽しんでいるように見える(彼らの名前は注意深く偽装されている)。そして彼の本は、テロ計画、諜報活動、および戦争について、他では見られないような情報をいつも決まったように含んでいる。他の人気作家、例えばジョン・ル・カレ (John le Carre)とかトム・クランシー (Tom Clancy)も現実世界のシナリオや幾つかのスパイ用語で作品を味付けしたりはする。しかしド・ヴィリエの本はニュースの先を行ったり、時には実際の事件そのものの先を行ったりする。約1年前、彼は革命後リビアの危険なイスラム教徒グループを扱った小説を出版した。その小説は、ベンガジで行われていたジハードと、彼らと戦うC.I.A.の役割に注目している。その小説、「Les Fous De Benghazi (ベンガジの狂気)」はアメリカ大使、J・クリストファー・スティーブンス(J. Christopher Stevens)の死の6ヶ月前に出版された。そしてその本には、その当時堅く守られていた秘密である、ベンガジのC.I.A.指令センターの様子が説明されているのだ。これはスティーブンスの死を巡る数々の論議の中で、次第に核心的な情報となっていったものだ。他のド・ヴィリエの小説にはさらに衝撃的な予言も含まれている。1980年に彼は、イスラム教徒武装集団がエジプト大統領、アンワー・サダト(Anwar Sadat)を暗殺する小説を書いた。実際の暗殺が行われる1年前だ。私が彼にこれを尋ねた時、ド・ヴィリエは肩をすくめながら答えた。「イスラエルはあれが起きるのを知っていたのさ。」彼は言った。「そして何もしなかったんだ。」

彼は合衆国では殆ど知られていないが、ド・ヴィリエの出版社はS.A.S.シリーズが世界中で1億冊は売れていると推計している。歴史上最も売れたシリーズの1つであり、恐らくはイアン・フレミング (Ian Fleming)のジェームズ・ボンド・シリーズに匹敵するシリーズだ。そしてS.A.S.は1人の作家によって書かれたシリーズの中で、恐らくは最も長いシリーズになる。最初の本、「S.A.S. in Istanbul(SAS/イスタンブール潜水艦消失)」は1965年3月に出版された。今、ド・ヴィリエは197冊目を書いている。

その地政学上の鋭敏さがどれほど凄くとも、ド・ヴィリエの本はフランス知識人階級の顔をしかめさせる(私はパリの高級書店のマネージャーに言われた「申し訳ありません、ムッシュー。当店ではその類の本は置いておりません」)。その理由は直ぐに判る。どのS.A.S.本でも、試しにめくってみれば、主人公で貴族スパイ(彼はSon Altesse SerenissimeあるいはHis Serene Highnessと呼ばれる。日本語だと殿下か?)、そして男色傾向のあるマルコ(Malko)の露骨な熱愛描写に出くわすだろう。最近の本で彼は、色情狂で女王様然としたサウジアラビアの王女(ベイルートを性的遊び場にしている実在の人物をベースにしている)と出会っている。2人の性的な出会いは共にゲイ・ポルノを見ることから始まり、マルコがアクロバットのような体位のオンパレードで彼女を夢中にさせるところまで続く。悪漢達の性生活についても、同じぐらいの分量がある。暴力的なレイプが耐え難いほどの心理的細やかさで描写される。最近の別の小説では、悪名高いシリアの将軍がヴァイアグラで自分を刺激したあげく、荒々しくガールフレンドを責めたてる。ガールフレンドは、その男が何年もの間、レバノン人民を恐怖に陥れていた男だと思い返す。「そしてその考えこそが、彼女をオルガスムへ導いた」とド・ヴィリエは書いている。

「フランスのエリートは彼の本を読んで無い振りをする。しかし皆読んでいるのさ。」私は元フランス外務大臣のユベール・ヴェドリーヌ(Hubert Vedrine)からそう言われた。ヴェドリーヌはマルコの全冒険物語を読んでいる事を、言い訳無しに認めている少数の人間の1人だ。彼は外国を訪れる前に彼の本を読んでおくと言う。彼の本が、何であれフランス情報局がその国で起きていると信じている事を知らせてくれるからだと言う。

約10年前、ヴェドリーヌが外務大臣だった頃、ド・ヴィリエは外務省が存在するオルセー河畔(Quai d’Orsay)から電話を受けて昼食に招待された。「誰かにかつがれていると思ったよ。」ド・ヴィリエは言う。「特に、ヴェドリーヌは左翼だったからね。私は全く違った。」彼が決められた時間に外務省へ行くと、ヴェドリーヌはセーヌ河を見下ろす専用ダイニング・ルームで彼を待っていた。

「君に会えて非常に嬉しいよ。」ド・ヴィリエは大臣がそう言ったのを覚えている。「しかし教えてください。何故私に会いたかったのですか?」

ヴィドリーヌは微笑んでド・ヴィリエに椅子を勧めた。「話がしたかったんだ。」彼は言った。「何故なら、君と私がどうやら同じ情報源を持っている事が判ったんでね。」

ド・ヴィリエの本は彼を大金持ちにしてくれた。彼は凱旋門から石を投げれば届くフォッシュ通り(Avenue Foch)にある非常に印象的で豪華な邸宅に住んでいる。私はこの冬のある日、そこを訪ねた。4階の入り口で待っていると、巨大な木製ドアが開き、骨ばった長い顔に薄茶色の目をした特徴的な外見の男が出てきた。ド・ヴィリエは歩行器を使っている。2年前に大動脈が裂けた為だ。しかし驚くほどの速さで動く事が出来る。彼は天井の高い廊下を通って書斎へと私を案内してくれた。そこも又言ってみれば、旧弊な逞しさだとか風変わりなセックスだとかに捧げられた聖堂のようなものだった。私は、鉄製のうずくまった女性像の側に立っていた。その女性像の又の間には本物のMP-44自動小銃が突き出している。「その像は『戦争(War)』って呼ばれているんだ。」ド・ヴィリエは言った。床の真ん中には、裸の女性が前かがみになって又の間からこちらを見ている像が置かれている。他にもガーターをはいたり鎖を巻いたりした裸の女性が、絵だとか本のカバーだとかからこちらを見ている。棚には象牙やガラスや木でできた、もっと小さな像が並べてあり、色々な交尾の様や狂態を演じて見せている。壁には古風な銃が掛けられている。カラシニコフ、トミー・ガン、ウィンチェスター。そして諜報とか軍事に関する本がテーブルの上に高く積み上げられている。彼が、アフリカやアジアや中東の色々なワーロードとか兵士とかと一緒に映った写真の中に、2006年にニコラス・サルコジー(Nicolas Sarkozy)から受け取った手紙が額に入って置かれていた。手紙は最新のS.A.S.小説を賞賛していて、この本がヴェネズエラについて沢山の事を教えてくれたと述べている。「彼は私の本を読んだ振りをしていた。」ド・ヴィリエは軽蔑的な表情を見せながら言った。「彼は読んじゃいないさ。シラク(Chirac)は以前読んでいた。ジスカール(Giscard)もやはり読んでいたがね。」

1時間くらい経って、彼は私を階下にある黒いジャガーへ連れて行った。私達は街をドライブし、フランス・エリートの年老いたライオン達が集まる場所、ブラッスリー・リップ(Brasserie Lipp)へ行った。混み合った人々を抜けてテーブルに向かう途中、深く日に焼けたハンサムな老人が部屋の向こうからド・ヴィリエに声を掛けてきた。それは有名なフランス・ヌーヴェルヴァーグの俳優、ジャン・ポール・ベルモンド (Jean-Paul Belmondo)だった。彼は微笑み、何か怪しげな話をしながら、ド・ヴィリエに手を振った。

「あれがテーブルNo.1さ。」席に着くとド・ヴィリエは言った。「ミッテラン(Mitterrand)はいつもあそこに座るんだ。」ウェイターが急いできて、彼が椅子に付くのを助けた。ド・ヴィリエは彼に相応しい男性的な昼食をオーダーした。1ダースのブレトン産牡蠣にミュスカデ(Muscadet)ワインをグラス一杯。彼は私が歩行器を見ているのに気付き、大動脈が裂けた話をした。殆ど死にかけて3ヶ月間病院のベッドで過ごしたと言う。「馬から落ちたときは、また直ぐ飛び乗るんだ。そうしないと死んじまう。」彼は言った。彼はしかし病院に居ながらも従来通りの出版ペースを保つ事が出来ている。現実的に怪我の影響は1つだけしかなかった。彼はモーリタニアのC.I.A.拠点のチーフを実名で原稿に記述していた。そして事故後の混乱の為に、最終稿で名前を変更するのを忘れたのだ。「C.I.A.が怒っちゃってね。」彼は言った。「説明しなければならなかった。D.G.S.E.(Direction Générale de la Sécurité Extérieure:フランス対外治安総局)にいる私の友人も、私の為に謝ってくれたんだ。」

ド・ヴィリエを取り巻く噂話の1つとして、膨大な執筆量の助けとして彼がアシスタントのチームを雇っていると言うものがある。事実として彼は自分1人でやっている。そして半世紀もの間、仕事のルーチンを変えずに守っている。本それぞれについて彼は対象とする国をだいたい2週間旅して過ごす。その後さらに6週間を執筆に費やす。本は毎年同じスケジュールで出版される。1月、4月、6月、8月だ。6年前77歳のド・ヴィリエは自分の執筆ペースを年間4冊から5冊に増やした。2冊の関連する本を毎年6月に出すのだ。「私はセックス・マシーンでは無い。執筆マシーンなのさ。」彼は言った。

1929年、ド・ヴィリエは、非常に多作で金使いの荒い劇作家、ステージ名ジャック・デヴァル(Jacques Deval)で知られる人物の息子として生まれた。彼は1950年代にフランスの日刊紙フランス・ソワール(France Soir)、および他の新聞幾つかに執筆を始めた。仕事を始めて直ぐの頃、彼はチュニジアへリポート・アシスタントとして行った。その時、あるフランス情報局員の為に、右翼植民地主義グループ、ラ・マイン・ルージュ(la main rouge)のメンバー数人へメッセージを運ぶ事を引き受けた。後で判った話では、ド・ヴィリエはある暗殺計画の駒として使われていたのだ。彼が生き延びたのは幸運だった。彼はパリに戻り、その情報局員のところへねじ込んだ。その人物は全く自責の念を示さなかった。その事件は教訓になったと彼は言う。「諜報に関わる人間は市民の命なんか何とも思っていない。彼らは冷淡(cold fish)だ。」しかしド・ヴィリエは、そういった事に背中を向ける代わりに、冷静な計算とリスクのブレンドが魅惑的なものである事を発見した。

1964年、彼が暇な時間を使って探偵小説を書いていた頃、ジェームズ・ボンドの生みの親、イアン・フレミングが亡くなったと編集者から聞かされた。「君が取って代わるべきじゃないか」編集者は言った。それが全ての始まりだった。最初のS.A.S.物が出版されたのはそれから数か月後だった。彼の本の売上は絶頂期だった1980年代からは若干下がっているが、それでもまだ年収は800,000から100万ユーロの間だ(約100万ドルから130万ドルの間)。そして彼は、夏をサントロペ(St. Tropez)の別荘で過ごす。昼はボートで辺りを散策し、夜になると1980年代のオースティン・ミニでパーティーへ出かける。

彼は長いこと、その右翼的政治見解故に、フランス左翼の多くの人から軽蔑されていた。「私達は皆、ポリティカル・コレクトネスに絡め捕られているのさ。」彼は私に言った。彼は「fags」と言う言葉を会話の中でしばしば使った。しかし、人種差別主義者であり反ユダヤ主義者であると言う彼の世評は大部分根拠が無い。彼の親友の1人であるクロード・ランズマン (Claude Lanzmann)は左翼のユダヤ人で、ホロコースト・ドキュメンタリーのランドマーク、「ショア (Shoa)」の監督だ。そして最近になってド・ヴィリエはフランス知識人やジャーナリストの中に幅広いファンを獲得し始めている。彼の全体の売り上げは落ちてきているにも関わらずだ。「彼は言わば名物的な存在さ。」レ・フィガロ紙の外国特派員チーフであるルノー・ジラール(Renaud Girard)は言った。「今や彼を賞賛する記事をリベレーション(Liberation:左翼傾向紙)に見る事だってあるんだ。」

ド・ヴィリエが1964年に彼のヒーローであるマルコを作った時、彼は実在の知人3人を混ぜ合わせて作った。フランス情報局の高官イヴァン・ド・リニェール(Yvan de Lignieres)、オーストリア人武器商人、そしてドイツの男爵ディーター・フォン・モルゼン=ポニカウ(Dieter von Malsen-Ponickau)の3人だ。しかしながら、良くありがちな事に、この件でも彼の小説は予言的である事が証明された。このシリーズを書き始めてから5年経った時、ド・ヴィリエはアレクサンドル・ド・マレンチェス(Alexandre de Marenches)に会った。非常なカリスマを持ち、フランス対外情報サービスを十年以上率いてきた男で、冷戦時代のスパイ工作における伝説的人物だった。ド・マレンチェスはたいへんな金持ちでフランス最古の家柄の1つから出てきた男だ。彼は第2次大戦で英雄的に戦い、後にリビエラに自分の城を築いた。彼は又、サファリ・クラブとして知られる情報活動の国際秘密ネットワークの設立を助けている。同組織はソビエトの工作員と、アフリカや中東で隠密の戦闘を繰り広げた。「彼は諜報活動を趣味でやっていたんだ。」ド・ヴィリエは私に言った。「時々、ジスカールが呼び出しても電話を取りもしなかった。」端的に言って、ド・マレンチェスはド・ヴィリエが想像した貴族的大物スパイに非常に近い人物だ。そして2人の友情は、1970年代を通して深まってゆき、ド・ヴィリエのフランス情報局との関係も同じ様に深まった。そしてそれは今日まで続いている。

ド・ヴィリエは常に、退廃的で薄気味の悪い物を好む傾向を持っている。彼がモデルとする人間の1人はイタリア人ジャーナリストのクルツィオ・マラパルテ (Curzio Malaparute)。その最も有名な著作、「壊れたヨーロッパ (Kaputt)」は第2次大戦中ドイツ最前線で目撃した気味の悪い出来事を記録したものだ。もう1人はジョルジュ・アルノー(Georges Arnaud)。1950年代に幾つか人気のある冒険小説を書いたフランス人作家だ。「彼は変わった男だった。」ド・ヴィリエは言った。「ある時、私に告白したんだ。自分は人生の初めに父親と叔母、それに家政婦を殺したんだってね」(アルノーは裁判にかけられ、おそらくは偽装された裁判の末に、これ等の殺人について無罪に成っている)。私は、やはり多作と偏向で有名なベルギー人犯罪小説作家ジョルジュ・シムノン (Georges Simenon:メグレ警部の生みの親)の影響は無いのか気になった。シムノンは自分の小説を書き上げるのに10日もあれば充分だったと言われていて、約200冊出版している。彼は又、殆どが売春婦の女、10,000人と寝たと言い張っている。ド・ヴィリエはこの比較に笑った。「私はシムノンを殆ど知らない。」彼は言った。そして長いこと耐え忍んでいたシムノンの妻から聞いた淫らな物語を幾つか話してくれた。その中には、雪の日にグスタード(Gstaad:スイスの町)の道端でセックスした話とかが含まれている。

それはド・ヴィリエ自身の嗜好を訊くのに丁度よいタイミングに思えた。「私もたくさんセックスをしてきたさ。」彼は言った。「だからあんなに妻とトラブルが絶えなかったんだ。アメリカだったら『女たらし』って言われただろうね。」彼は4回結婚し子供が2人いる。そして今は30歳近く年下のガールフレンドがいる。魅力的なブロンドの女性で、彼の家でチラリと見かけた。私がS.A.S.のセックスシーンは普通よりもハードコアだと示唆すると、彼はクスクス笑いながら答えた。「アメリカ人には多分そうだろう。フランス人にはそれ程でも無い。」

ド・ヴィリエに欠けているものの1つは、真剣な文学的野心だろう。彼はル・カレを非常に賛美しているが、一度としてエスピオナージを複雑な人間ドラマにしようとした事が無い。彼は自分が喋るのと同じ調子で書いている。陰気なユーモアのセンスと共に情報を噴出させる簡潔な喋り方だ。誰も彼の本を真剣なものとは捉えない事に悩んだりしないのかと訊くと、彼は全く悪びれもせずに言った。「私は自分を文学的な男だとは思っていない。」彼は言った。「私はストーリーテラーだ。私は大人の御伽噺を書いている。それに少しばかりの中身を入れようとしているのさ。」

彼の言う「中身」がどんなものであるのか、レバノンを舞台にした数多くのド・ヴィリエの本の1つ「La Liste Hariri (ハリーリのリスト)」を読めと友人が勧めてくれるまで、私には何の考えも無かった。その本は2010年初めに出版されたもので、元レバノン首相、ラフィク・ハリーリ(Rafiq Hariri)暗殺を扱っていた。私はハリーリの死について何年もの間、調査し、執筆してきていた。そしてド・ヴィリエがこの事件を基に何を書いたのか興味を持った。私は、ベイルートやダマスカスの描写が驚くほど正確であることを発見した。レストランの名前や近隣の雰囲気、そして数人のセキュリティー・チーフの描写。私が一時期、The Timesのベイルート支局チーフだった事により知りえた情報だ。しかし真の驚きはもっと後に来た。「La Liste Hariri」はシリアが命じてヒズボッラが実施したハリーリ殺害について、入念に作られた計画の詳細な情報を提供していた。この話は中東における大いなる謎の一つだ。さらに私は、自分の知る限りその本が出版された段階ではどのジャーナリストも知らなかった特別な情報を発見した。その情報には、暗殺チームメンバーの完全なリスト、そしてヒズボッラとそのシリア人協力者が、目撃者と目される人物をシステマチックに消去する様子などが含まれている。私はさらに、国連の肝いりでオランダに設置された、ハリーリの死を調査する国際法廷の元メンバーと話した時、もっと驚かされた。「『La Liste Hariri』が出た時は委員会の全員が驚いたよ。」元スタッフ・メンバーは言った。「全員が文字通り疑い始めたんだ。チームの誰がド・ヴィリエに情報を売ったのかってね。何故って誰かが彼に委員会のレポート、あるいはレバノン情報局のオリジナルのレポートを見せたことは明らかだったからね。」

私がこの質問をド・ヴィリエにした時、勝利の喜びを秘めた微笑が一瞬彼の顔をかすめた。種を明かされてみれば、彼はレバノンのトップ情報局員と長年の友人だったのだ。厳しい外見のその男は、おそらく他の誰よりもレバノンの未解決殺人事件について詳しく知っている男だった。ハリーリ殺害者リストをド・ヴィリエに手渡したのはその男だった。「彼はそのリストを手に入れる為に熱心に働いていた。そして人々に知ってもらいたがっていたんだ。」ド・ヴィリエは言った。「しかし彼はジャーナリストが信用出来なかった。」私もその信用出来ないジャーナリストの1人だった。私はその情報局チーフにハリーリ殺害について何回もインタビューしていた。彼はリストについて一回も言及しなかった。ド・ヴィリエは又、ヒズボッラ幹部からも話を聞いていた。その話はフランス情報局が取り持ってくれた会談の中でのものだった。こういった人々は彼のフィクションを読んだ事が無さそうに思われる。

スパイ達はド・ヴィリエについて何と言っているのだろう?私はフランス情報局コミュニティーに密かに探りを入れてみた。そして判ったのは、ド・ヴィリエの名前は非常に効果的な「万能キー(passepartout)」であると言う事だった。この話題を若干恥かしく思っている人間達に対してさえ、彼の名は有効だった。私が話した中で、ド・ヴィリエに情報を提供した事は無いと断言したのは、元D.G.S.E長官のみだった。それは元長官と私が、オフィスの外の薄暗い廊下で会っていた時の事だった。別の話をしばらくした後、ド・ヴィリエの話が持ち上がった。「あー、そう。ジェラール・ド・ヴィリエ。彼の事は知らないんだ。」彼はそっけなく笑いながら言った。まるで彼の本など読んだ事が無いんだとでも言いたげに。そして暫く黙ったあと、こう告白した。「しかし彼の情報の幾つかは非常に良質だと認めないわけに行かないだろうな。そして事実として、過去数冊の小説において、質はどんどん向上している。」

以前スパイだった別の人間は、ド・ヴィリエと何年もの間友達だったと開けっぴろげに認めた。私達は、冷たく霧の深いある日の午後、サン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Pres)のカフェで会った。コーヒーをすすりながら、彼は昔の良き思い出を楽しそうに語ってくれた。彼は単に個別の事件をド・ヴィリエに話しただけでは無い。ド・ヴィリエを同僚とか色々な専門家、爆発物や核兵器やコンピュータ・ハッキングの専門家に紹介したと言う。「本にでてくる諜報関連の人物をド・ヴィリエが説明した時は、誰の事を話しているのか、全員が正確に判っていたよ。」彼は言った。「本当の事を言えば、彼はこの仕事に関わる多くの人間が会いたくてたまらない人物だったんだ。パリに立ち寄った時、わざわざ彼に会いに来た他国の大臣だっていたんだぜ。」

元政府職員だった3人目の人物は、ド・ヴィリエが同僚であったかのように話をした。「私達は会って情報を共有した。」彼はパリのホテルでコーヒーを飲みながら言った。「私は彼に幾つか、扱いに注意を要する情報源を紹介したよ。彼には才能があった。セキュリティーだとかテロリズムとかに関わる事件に対して非常に強力な知的理解力があった。」

彼に色々な事を話したのはフランス人だけでは無い。ド・ヴィリエはロシア情報局にも、長年に亘る親しい友人がいる。ド・ヴィリエの数多くのロシア旅行でフィクサーとして働いたジャーナリスト、アッラ・シェヴェルキナ(Alla Shevelkina)は言う。「彼は他の誰にも取れないインタビューを取るんです。ジャーナリストにも誰にも取れないのをね。絶対話さないような人が彼には話す。」合衆国で私は、何十年もド・ヴィリエを知っている元C.I.A.工作員と話した。「私はこっちのアナリストに彼の本を読むように勧めるね。何故って実際の情報がたくさん入っているからね。」彼は私に言った。「彼は全てのセキュリティー・サービスに通じている。そして全プレーヤーを知っているんだ。」

どうして、こういった人々が皆、そんなにたくさん三文小説家に話してしまうのか?私は最後にド・ヴィリエと会った時、この質問をぶつけた。冬の寒い夕方、パリの彼のアパートのガランとしたリビング・ルームで私達は会っていた。彼は翌日からチュニジアへ取材旅行に行く予定だった。私の前のコーヒーテーブルの上、高価なスコッチやリカーが雑然と置かれた横には、黒い軍製弾薬ベルトが置かれていた。「彼らにはいつだって動機がある。」彼は言った。まるでボンド映画に出てくる悪漢のように毛の長い猫を撫でながら。「彼らは情報を外に出したがっているんだ。そして彼らは、私の本を大勢の人が読むのを知っている。あらゆる情報局員がね。」

ド・ヴィリエの古い友人で旅仲間のルノー・ジラールが一杯飲みにアパートに来て、同じ様な説明をした。「誰だって自分の仕事に敬意を表してくれる人物と話したいんだ。」彼は言った。「それに楽しいしね。もし情報源が軍の随行員だったら、彼はその本を友人に見せられる。自分がキャラクターとして描かれている本をね。もしも彼の妻が美人だったら、その人もマルコとのセックスシーンに登場するかも知れない。それも又、彼らには面白いのだと、ジラールは示唆した。「もし君が本を読む人間だったら、」彼は言った、「本の中に登場するのは面白いと思わないか。」

私はド・ヴィリエに次の本について訊いた。彼の目はキラめいた。「古い話に戻ろうと思うんだ。」彼は言った。「ロッカビー(Lockerbie)さ。」その本は1988年の有名な航空機爆破事件がイランによって行われた、リビアでは無い、と言う前提に基づいている。イランは、6ヶ月前にイラン旅客機がアメリカのミサイルで打ち落とされた事の復讐としてやった攻撃の責めを、ムアマル・アル・カダフィ(Muammar el-Qaddafi)に負わせようと多大な努力をしてきた、とド・ヴィリエは言う。これは長い間確認されていない陰謀論だ。しかし合衆国に帰った私は、ド・ヴィリエが何か掴んでいるらしいと知らされた。私と話した元C.I.A.工作員は、ロッカビー爆破事件に関する「最良の情報」はイランの関与を示していると言った。これはC.I.A.とF.B.I.が熱心に議論している話題なのだと彼は言う。その理由は部分的に、イランに対する証拠が秘密にされており、裁判でも使う事が出来なかった為だ。しかし多くの局員が、イランが爆破を指導したと信じていると言う。

ド・ヴィリエはチュニジアの荷造りを続けるので失礼すると言った。そして出て行く前に、アラブの春に対するシニカルな見解を嬉しそうに語った。(「この事態の実際の意味は、中東全体でのムスリム同胞団の権力強化さ。」)他の話題に対する彼の見方は同じ様に簡潔で辛口だった。「ロシア?ロシアはプーチンさ。皆、何か変化が起きると、メドベージェフと一緒に自分を誤魔化していただけだ。私はそんなこと信じなかった。」シリアは?「バッシャールが失脚したらシリアは終わりだ。あの国を纏められる力は他に無い。」

ジラールと私は自分たちで、さらにスコッチを飲んだ。彼はド・ヴィリエと一緒にした冒険の話をし始めた。多くの冒険で、ド・ヴィリエの前妻の誰かが一緒だった。妻達はいつも、ガザとかパキスタンとかでは酷く場違いな服装で現れるようだった。「90年代の半ばに俺達は一緒にハマスの拠点へ行ったんだ。ジェラールは妻を連れていた。酷く刺激的なシャツを着てノーブラだった。」ジラールは言った。「若い男達がいてさ、俺たちを文字通り石打の刑にしようとした。逃げ出さなきゃならなかったよ。」

すでに遅い時間だった。ジラールの話も尽きたらしかった。「彼は83歳だ。でもちっともペースを落とさない。」別れる直前に彼は言った。「まだマリとかリビアに行ってる。心臓病を患った後でもね。」彼はしばし黙り、自分のスコッチを見つめた。「今でもあの時の事を覚えている。1997年アルバニアで暴動が起きていた時の事だ。俺達は2人で屋上に座って死について話し始めたんだ。彼は俺に言ったよ。『俺は1度も立ち止らない。死ぬまでずっとアクセルを吹かして進み続けるんだ。』ってね。」

~~ここまで~~

次回更新は3月2日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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