スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アラスカ航空は業界の苦悩を越えて飛ぶ

アラスカ航空の記事をUpします。

記事を書いたのはジャド・ムアワッド(Jad Mouawad)さんです。元記事はここにあります。

アラスカ住民の生命線を担う航空会社の話です。

~~ここから~~

アラスカ航空は業界の苦悩を越えて飛ぶ

冬季にアラスカ上空を飛ぶのは壮観だ。35,000フィート上空からは、この州の険しい美しさが一望できる。鋼のような青空を背景に連なる白い山頂、氷のような湖に見渡す限り蛇行して進む凍結した河。野生で原始の世界が、地平線へ沈む夕日に照らされて、何千と言う、赤、オレンジ、ピンクに染まって見える景色は圧倒的だ。

しかしその後、あなたは着陸しなければならない。

ジュノー空港は山に囲われている。空港への進入路はしばしば気まぐれなウィンドシア(wind shear:航空用語で乱気流の一種)に襲われる。シトカ(Sitka)島の小さな滑走路は海に取り巻かれた狭い陸地でしか無い。そしてコディアック(Kodiak)島の着陸路は山麓で突然終っている。空港への進入路が余りにも難しい為に、新任操縦士はここでは着陸を許されない。機長のみが着陸を許されている。

ダグ・ワート(Doug Wahto)はアラスカの空港を良く知っている。彼はジュノーで育ち、漁師の仕事や建築作業員の仕事をした後、1970年からアラスカ航空で飛び始めた。パイロットとして彼は、どんな風に山際で雪が飛んでいるか注目しながら、風を読む能力を研ぎ澄ました。

ワート氏は6年前引退したが、それは自分がキャリアを積んだ航空会社とアラスカを飛ぶ方法が変貌する前の事だった。アラスカ航空は主要航空会社に比べれば小さな存在だ。同社が124機の機体しか持っていないのに対し、ユナイテッドは700機以上所有していて乗客数も4倍だ。しかしこの州の位置と、その極端な気象条件の為に、同航空会社は衛星ガイドシステムを最初に開発する事になる。アラスカの空港に着陸する難しさを変貌させる事になるナビゲーション技術だ。この技術は、今や連邦航空局(Federal Aviation Administration:F.A.A.)の国内航空交通システム近代化計画の中核的技術になっている。今後数十年間に数百億ドルかかると予想されているプロジェクトだ。

「もう今じゃこういった進入路を飛ぶのにロケット科学者は必要ない、」ワート氏は言う。「それに俺のような老いぼれ犬もね。」

主にこの技術のお陰でアラスカの空を飛ぶ時の信頼性は顕著に改善した。たとえ冬の真っ只中でも、雪が降っていても、日照時間が2時間しか無くても、着陸寸前の滑走路が氷や霙で良く滑る状態でも、風速50マイル以上の強風が吹いていても、そしてパイロットが窓を通して殆ど見通す事が出来なかったとしてもだ。別の言葉で言えば、気が確かな人間だったら140人乗りのボーイング737を6000フィートの滑走路に着陸したいなんて決して思わないだろう状況でもだ。

データプロバイダーのフライトスター(FlightStar)に従えば、事実としてアラスカ航空は定刻通りの到着率87%で、業界最高の定時運航の実績を2012年に3年連続で達成した。

この信頼性はアラスカでは重要だ。ここでは空の旅がしばしば唯一の選択肢であり、アラスカ航空は州内で定期便を発着させている唯一の民間航空会社なのだ。同社は空路と海路でしかたどり着けない16の都市に飛行機を飛ばしている。それにより食物や医薬品を供給し、何千という石油労働者を北極圏を越えて運び、航空便での海産物輸送業者として州内最大の存在となっている。

州での主要輸送業者として役割は依然として堅調なビジネスである上に、アラスカ航空はさらに、提供するサービスを拡大しながら繁栄している。シアトルを基盤とした同社の航空網は、西海岸にそって展開する他の航空会社よりも大きな存在感をもっている。2007年同社はハワイに乗り入れた。ハワイ州向けフライトは現在、同社の座席マイル数(座席数と運行マイルを掛け合わせた指標で航空会社の規模を測る業界標準)の中で20%を占めている。これは、アラスカ州自身の17%より大きい値だ。

航空業界における合併、一番最近USエアウェイとアメリカン航空の間であったような大規模合併は、地域航空会社の境界線を引きなおし、かつてないほどビジネスの集中化をもたらしている一方、アラスカ航空はその堅固な独立性を維持している。破綻や買収に直面する他の航空会社と異なり、アラスカは過去39年間で33回利益を出している。2012年の純収入は新記録となる3億1600万ドルで2011年から29%アップした。

合衆国内でも、疎らにしか人が住まず気象状況が厳しく財政的にも困難を抱えた片隅で始まったにも関わらず、アラスカ航空は、多くのライバル達が羨むほど成功したフランチャイズを構築した。

「この辺の天気は予想しがたいんです。」ジュノー国際空港でF.A.A.のマネージャーをしているクラリッサ・コンレー(Clarissa Conley)は言う。「どんな天気でも言ってみてください。皆ここにあります。それにここの地勢は飛ぶことを非常に困難なものにします。特に視界が悪い時はね。」

何年もの間、ジュノーは飛行機が着陸するには特に難しい場所だった。空港は3000フィートの山頂に挟まれ15マイル長の海峡の最後に位置し、そこは頻繁に向きを変える強風で有名な場所だ。そしてしばしば厚い霧に覆われる。

商用飛行が始まったばかりの頃、エンジニアは滑走路西側の山を削って飛行機が離着陸できるようにした。何年もの間、この「cut(切通し)」は空港への唯一の進入路だった。パイロットは着陸前、滑走路に沿って飛ぶ為に危険なアクロバットをする事を強いられた。

天候が酷い場合、時として飛行機は数日間も着陸出来ない事がある。余りにも頻繁に飛行機が遅れる為に、ジュノーの州都としての地位が脅かされている。道路では州都にたどり着けない為、政府をアンカレッジへ移す運動が持ち上がっているのだ。1971年ボーイング727が濃い霧の中、ジュノーに着陸しようとして山に激突し、搭乗者111人全てが亡くなった。その当時これは国内最悪の旅客機事故の1つだった。1993年には別の飛行機が、離陸直後に強風に煽られて墜落寸前になった。

その地勢と遠さ故にアラスカはレーダー網にカバーされた事が無い。空港は少なく、互いに離れており、レーダー・ビームは山に阻まれてしまう。しかしその為にここは1990年代に開発された衛星ナビゲーション技術の理想的な実験場になったんだと、パイロットで同技術の導入努力に加わったハル・アンダーセン(Hal Andersen)は言う。

この技術は自動車のGPSと同じ様に働く。空中でパイロットに正確なコースを提示し、危険な地勢を安全にナビゲートする。谷を縫い山を避け、完璧な正確さで滑走路の端へと導く。この技術は1996年、ジュノーへの新たな進入路を開いた。霧が最も濃い中でも、ガスティノー海峡(Gastineau Channel)を通って飛ぶ事が出来るようになったのだ。ジェット機の翼は両側の山から3000フィートしか離れていない。空港への最終ストレッチでは、実質的に木をかすめて通る。

これには別の利点もある。衛星ガイドシステムが出来る前、着陸する為にはパイロットは、3マイル手前から滑走路を視認出来なければならなかった。今や、より正確なナビゲーションのおかげで、その臨界値は1マイルまで短縮できている。これによって飛行機が着陸できるチャンスは大幅に増える。

「昔のコックピットはパイロットが何とかしなきゃいけないガラガラヘビの巣窟だった。たくさん危ない事があったんだ。」去年までアラスカ航空でこの州のチーフ・パイロットだったシーン・エリス(Sean Ellis) 機長は言う。「今やより大きなセーフティー・ネットが手に入った。これこそテクノロジーの恩恵だね。」

衛星ナビゲーションを使ったジュノーにおけるアラスカ航空の実験は、第2次大戦中に開発された地上ベースのビーコンやレーダーよりも、この技術が効果的である事を証明する一助となった。政府はこの実験以降、国内全ての空港に衛星ガイダンスを導入するネクストジェン(NextGen)と呼ばれる大胆な計画を策定中だ。F.A.A.はこれを、レーダーによるアナログ世界から衛星によるデジタル時代への移行を意味し、商用航空における革命だと言って売り込んでいる。この計画には、数十年の期間と数百億ドルのコストがかかると見られている。

最終的にこの技術によって、パイロットと航空管制官は交通の状況を実時間で見えるようになり、同時にコミュニケーションが拡大する事で、フライトがより安全により効率的になる。しかしプロジェクトの歩みは遅い。その理由は部分的に、自らの装備更新に必要なリソースをF.A.A.が充分確保できるまで、各航空会社が新たな技術への投資を躊躇しているからだ。

衛星ナビゲーションは現在、ニューヨークのケネディ国際空港を含む幾つかの空港に導入されている。ワシントンにもやはり導入されていて、レイガン国際空港へ向かう飛行機は、連邦政府の航空規制に従いながら、ポトマック河にそって優雅に下降してゆく。

アラスカ航空は衛星技術を導入し、パイロットがそれを使えるよう訓練するのに4000億ドルと言う大金を使った。しかしその見返りが帰ってくるのは早かった。同航空会社は、キャンセルや遅れを減らした事により、年間1800万ドルの節約になったと見積もっている。

この技術はパイロットのスキルを完全にリプレースするものでは無い。そして同社は厳格な訓練プログラムを維持している。その中には完了するのに6年から7年かかる北極免許(Arctic certification)も含まれている。新たに採用される人間の多くは、既にアラスカで人を乗せて飛んだ事のある者達だ。「ここに居るのは、プエルト・バジャルタ(メキシコのリゾート地)で3杯目のマルガリータをやるより、ジュノーへ3回目のアプローチをする方が良いって思っているようなやつらさ。」現在、ジュノーで連邦安全局の職員をしているワート氏は言う。

アラスカ航空のフライト、例えば途中北極圏内にあるイヌイットの村コツェビューへ立ち寄って、アンカレッジからノームへ向かうようなフライトで、どうやって120,000ポンドの旅客機を氷った短い滑走路に離着陸させるか、エリス氏は説明する。彼に言わせるとそのコツは、車輪を地面に激しくぶつけて、オートマチックブロッキングと滑り止めシステムを作動させるのだと言う。あまりに滑らかに着陸したり、ありに長く滑走路の上を滑空してしまうと、雪や氷の上を車輪が滑ってパイロットからブレーキングに必要な力を奪ってしまう。

「空母に着陸するのと似てるのさ。」彼は言った。そう話している間にも、半分輸送機で半分旅客機の変形飛行機であるボーイング737コンビによる153便が、大きなドスンと言う音で滑走路にタッチダウンし、素早く停止した。その夜の気温は頭がボーっとするほどの低温、マイナス16°Fで、地面は雪と氷で覆われていた。

パイロットの技術は重要だ。そして、それでも尚、飛行中はたくさんの推測が行われていると、ケニー・ウィリアムズ(Kenny Williams)は言う。彼は、アラスカ航空のパイロットであり、ジュノー空港周辺の風のパターンのリアルタイム画像を提供する又別のシステムの導入を助けている。

「技術は急速に変化していて、コクピットから不安を除去してくれる。」彼は言う。「我々が考えているのは、非凡なパイロットを必要としないシステムさ。」

アラスカ航空が始まったのは1932年に遡る。その年、マックの通り名で知られるリニオス・マックギー(Linious McGee)が3座席の飛行機を買って船に積み、アラスカへ向かった。そしてアンカレッジと、州南西海岸沖のブリストル湾との間に初めて飛行便を飛ばしたのだ。商用航空は依然として黎明期にあった。航空業界誕生の瞬間と広く受け入れられている瞬間、議会がエアメイルを民間業者へ委託するよう郵便局に強制したのはまだ1926年の事に過ぎなかった。

同社は、第2次大戦後、世界最大の輸送業者の1つに育ち、1948年のベルリン大空輸の一翼も担っている。1950年代には飛行中の映画上映を提供する最初の会社の1つになった。1960年代にはソビエト連邦向けチャーター便を提供する。冷戦真っ只中の巧妙なビジネスだった。フライト・アテンダントはロシアのコサック風制服を着用し、金色のサモワールでお茶を提供している。この飛行機はゴールデン・ナゲット(Golden Nuggets)と呼ばれた。

引退したパイロットのワート氏の話では、彼が入社した1970年、アラスカ航空には135人のパイロットしかいなかった。今日では1,400人だが、そのパイオニア・スピリットは健在だと言う。かつて会社は、やはり破綻の淵に立たされて事もあった。ワート氏は2週間毎に、受け取った小切手を換金しに銀行へ走ったものだった。会社の小切手がいつ換金できなくなるか判らなかったからだと言う。その当時、同社はアラスカ州内の10都市とシアトルの間を飛んでいるだけだった。

彼は会社が1980年代に決定的な転換点を迎えたのを見ている。規制緩和が業界をひっくり返したのだ。航空会社の路線規制が撤廃された。アラスカ航空はポートランドやサン・フランシスコへ乗り入れ、そして南カリフォルニアへも乗り込んだ。直ぐに同社は西海岸を上下するようになり、最終的にメキシコまで到達した。

アラスカ航空は1986年にホライズン・エアを買収する。北西部で業務をしていた地域航空会社だ。しかし同社の成長はその多くを、大規模合併をせずに達成しており、破綻も免れてきた。航空業界では稀な業績だ。

アラスカ航空が業務を行う地域で、同社の路線に挑んでくる航空会社は殆ど無い。アラスカで業務をする上での高いコストと、季節変化によるフライトへの大きな影響故だ。アラスカ航空は又、デルタ航空およびアメリカン航空と業務提携し、アラスカ向けフライトのチケット販売を許可している。それによって合衆国全体をカバーする必要性を減じているのだ。しかし競争が無いわけでは無い。幾つかの航空会社が、アンカレッジやフェアバンクスのようなハブ・シティーからの年間チケット、あるいは季節チケットを提供している。

新規企業との競合に苦しむ、図体の大きいライバル達と異なり、アラスカ航空は競争力を保ちながらコスト削減に成功していると、アナリストは言う。しかし同社はパイロット組合との緊張関係に陥った事がある。当時のC.E.O.ウィリアム・S・アイヤー(William S. Ayer)は燃料費高騰に伴い、給与削減を推し進めた。航空会社とパイロット組合が妥結に失敗した後、裁定者が勤続年数に応じた21%から35%の給与削減を導入した。しかしながら2009年までに、アラスカ航空の業績が改善されるに従って、給与は再び上昇した。そしてパイロットは、会社の非組合員および重役向けの業績連動型プログラムに参加する事になる。

「成長は数多くの問題を解決する。そしてアラスカ航空は同じ業界の他社より、ずっと早く成長する事が出来ている。」ウォルフェ・トラーハン社(Wolfe Trahan)のアナリスト、ハンター・キーエイ(Hunter Keay)は言う。

アラスカ航空とパイロット組合は現在、新しい労使契約を交渉中だ。現行契約は4月1日に失効する。航空機パイロット組合アラスカ支部チェアマンのクリス・ノタロ(Chris Notaro)の話では、パイロットは航空会社の増加した収益が分配される事を期待していると言う。「我々は非常に成功した会社の為に働いてきたのだ。」彼はe-mailでそう言った。

今日、アラスカ航空は主要航空会社の中で最も低いコストを達成している。同社は一時解雇中のパイロットを呼び戻し、新たな雇用も行っている。2013年の同社の投下資本利益率、航空会社の真の財政上の健康状態を示す指数は、13%を記録した。歴史上、黒字に戻ることに苦闘してきた業界においては稀な値だ。

アイヤー氏は去年、チーフエグゼクティブを辞任した。氏は依然としてチェアマンに留まっている。彼の後継者で、前チーフ・ファイナンシャル・オフィサーだったブラッドレイ・D・チルデン(Bradley D. Tilden)は、コストを厳密に管理する前任者の戦略を続けている。

アラスカ航空がコストを減らし続けられる理由の一端は、同社がきわめてしつこくコストを計り続けている事にある。同社は運営中の効率を改善する為に50,000件のデータを収集している。そのデータには、荷物の積み込みに要する時間から、乗客の搭乗に要する時間、パイロットがどの時点でゲートから機体を戻すか等が含まれている。こういったデータによって、各フライトのタクシータイム(飛行機が地上で作業する時間)を1分減らす事が出来れば、全体では1日当たり500分、8時間以上減らす事が出来、それは毎日1機余分に飛ばせる事を意味する、と言った概算ができるのだと、チーフ・オペレーティング・オフィサーのベン・ミニクッチ(Ben Minicucci)は言う。このような小さな努力の積み重ねで、航空会社が飛行機を1機、自由にする事が出来れば、それによって年間2500万ドルから3000万ドルを浮かす事ができる。

2008年以降同社の株価は300%上昇している。スタンダート&プアーズの500銘柄株価インデックスの同時期の上昇分の20倍以上になる。同社の370億ドルに及ぶ市場価格は、同じような歳入を持つジェットブルー・エアウェイの倍で、同社を合併から守り、競合他社が敵対的買収を仕掛けるのを防いでいる。

12月から6月にかけて、氷が入り込みベーリング海が凍結する季節になると、アンカレッジから540マイル北西にある人口3,700のゴールドラッシュでできた町ノーム(Nome)は、航空便に完全に依存するようになる。毎日3便のアラスカ航空のフライトによってノーム住民は外と繋がる事が出来、備蓄を維持できている。住民はアンカレッジのコストコとか他の店に買い物に行けるのだ。ノームの小さな空港の、積み荷を運ぶベルトコンベアからは、電子レンジ、オムツ、紙タオル、掃除機、パソコン、生鮮食品、その他アラスカ州の広大さと辺鄙さが高額にしている商品が吐き出されてくる。

町の病院には帝王切開の施設が無い。だから女性はアンカレッジまで行って出産する。町には斎場も無く、アラスカ航空は火葬や司法解剖の為に、棺桶を積んでアンカレッジへ飛ぶんだと、病院のソーシャル・サービス・ディレクターのクリスティン・シュルツ(Christine Schultz)は言う。

ノーム唯一の音楽店を営むレオ・ラスムッセン(Leo Rasmussen)は、悪天候で19日間も飛行機が着陸出来なかった1964年の冬を覚えている。遅れは今でも起こりうる。私が訪問した週でも数件のフライトが悪天候で着陸出来なかった。それでもここの住人は苦も無く乗り越えて行くんだと、彼は言う。

「アラスカ州民は我慢強いんだ。」彼は言う。「ここが何処なのか知っているし、どうしてここに来たのかも判っているのさ。」

ノームで不動産業を営んでいるジム・スティンプル(Jim Stimpfle)は、航空会社の住民諮問会議の一員でもある。「アラスカ州民は航空会社とは愛憎交じり合った関係を持っている。」彼は言う。「アラスカ航空は、他の航空会社が皆出て行った後、ただ一人残った会社なんだ。」

州の住民730,000人の内、3分の2がアラスカ航空のお得意様プログラムに加入している。アラスカ航空は州住民に対しては貨物費を割り引いている。それでもスティンプル氏に言わせると不満のトップは高い料金だと言う。先週、アンカレッジからノームへ向かう4月初頭1週間滞在のチケットは450ドルで売られていた。同じ日付でジュノーからノース・スロープのバロウ間の往復便は902ドルだった。

「ここでの飛行に余分な金が掛るのは仕方がありません。」同社のアラスカ地区副代表を務めるマリリン・F・ロマーノ(Marilyn F.Romano)は言う。「住民はそれを好んではいませんが、理解はしてくれています。」

アラスカ航空の州内フライトの幾つかは、連邦政府の不可欠飛行サービス(Essential Air Service)プログラムから援助を受けている。同プログラムは他からはサービスを受けられない小さなコミュニティーへの飛行便に補助金を与えている。アラスカ航空は去年、6つの離れたコミュニティーへ提供するフライトに対して1000万ドル受け取っている。同社の歳入の約0.2%だ。

12月後半のノームでは午前10時でもまだ暗い。日照時間は2時間しか無い。私はベアリング・ソング・アンド・ギフト(Bearin Song and Gifts)と言う、小さな土産物屋兼委託販売店に立ち寄ってオーナーのサラ・ハンソン(Sarah Hanson)と話をした。彼女はノーム生まれでジュノー育ちだが、8年前ここに戻って来た。

「ここは住むのに金が掛るし、出てゆくのにも金のかかる場所なのよ。」歌手でソング・ライターでもあるハンソン女史は言った。

それでも、隔絶したノームに住んでいるのに、彼女は年に3回から5回、旅行に行く事が出来る。彼女は特に、ハワイにとても楽に行ける事に喜んでいる。中学校の時から、もう何回もクリスマス休暇をハワイで過ごして来た。「自然の猛威に直面するアラスカに比べたら、」彼女は言う、「太陽の光に照らされるのは、くすぐったいほど嬉しいのよ。」

~~ここまで~~

次回更新は3月23日ごろになると思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
広告
海外格安航空券ena 【イーナドットトラベル】 Hotels.com【海外・国内ホテル予約サイト ホテルズドットコム】 【限定募集】ヒアリングマラソン・ベーシックkikuzo! 特別お試し3カ月コース デル株式会社
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。