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戦争、その前と後、パート1

イラク戦争に関する記事をUpします。

記事を書いたのはエリック・フェア(Eric Fair)さん、カイラ・ウィリアムス(Kayla Williams)さん、そしてテッド・ジャニス(Ted Janis)さんです。元記事はここにあります。

イラク戦争を振り返る退役軍人インタビュー記事のパート1です。

~~ここから~~

戦争、その前と後、パート1

10年前の今週、2003年3月20日、合衆国はイラクを侵略した。

戦争は2011年12月15日、8年8ヵ月3週間と4日の後、最後のアメリカ兵が撤退して公式に終了する。この間、数十万の人間が人生に取り返しのつかない変更を強いられた。ホーム・ファイア(Home Fire)ではイラク戦争に従軍した16人の退役軍人に、自分たちの人生が、戦争を挟むこの2つの日付の間で、どのように変わったかをインタビューした。この記事で紹介する3件を含めた彼らの証言は、数日中にホーム・ファイアから出版される。

「戦争、その前と後」はイラク戦争に従軍した退役軍人であり、作家でもあるロイ・スクラントン(Roy Scranton)が中心になって始まった。彼はイラクとアフガニスタンに従軍した退役軍人の小話を集めたアンソロジー、「Fire and Forget:Short Stories From the Long War(炎と忘却:長い戦争から取り出した短い物語)」の共同編集者でもある。そして彼は、このシリーズに話を提供してくれた人々と連絡をとりインタビューのお膳立てをした。

貴方は何をしていたの?

エリック・フェア(Eric Fair)

「もし軍に留まっていたら、お前、今頃何をしてると思う?」ペンシルベニア州ベツレヘムでCNNがイラク戦争の始まりを報道しているのを見ながら、仲間の警察官がそう聞いた。私は記録室に居て、数十年分の古い警察報告書をスキャンしてコンピュータへ入力していた。スキャナーはカチっと音を立てるとページ毎に光のビームを走らせる。私の心臓が起こす心雑音は、私から外回りの仕事を奪っていた。私はもう警察官としての仕事がこなせなかった。軍隊に戻る事も無い。私は記録室に座りながら、もし物事が違った風に進んでいたら自分はイラクで何をしているだろうと考えた。

その約1年後、私はイラクに居た。

イラクで私はアラビア語でインタビューをしていた。軍はそれを取り調べ(interrogation)と呼んでいた。私は契約職員として働いていた。会社は健康診断を求めなかった。彼らは警察での私の上司と話をした事も無い。私の心不全について何も知らなかった。私は殆どのアメリカ人が知らない場所で取り調べを行っていた。しかしそんな状況も直ぐに変わる。私達がアブ・グレイブ(Abu Ghraib)で何をしているのか、全ての人が知る事になったのだ。

イラクの戦争は終わった。私はフィラデルフィアの病院のベッドで、最後の車両がクウx-トとの国境を越えるのを見ていた。心雑音は悪化していた。心臓専門医は重症心不全(advanced heart failer)と呼んでいた。ソーシャル・ワーカーは私に、心臓移植を求める際の感情的負担を説明してくれた。栄養士は減塩食について、それにアルコールの害について説明してくれた。看護師はイラクについて訊いた。彼女は言った。「貴方、あそこに居たんですって。何をしていたの?」

エリック・フェアは1995年から2000年まで合衆国陸軍に在籍し、民間契約者として2004年から2005年までイラクに居た。

始めちまえ

カイラ・ウィリアムス(Kayla Williams)

遠くからハムヴィー(軍用車)のクラクションが3回聞こえた。「ガスだ、ガス、ガス!」マスクをした一人の兵士が腕を横に広げ、肘のところで曲げて頭へ向けて3回振った。

私は即座に緊張で胃が縮むのを感じた。息を止め、尻のところにあるバッグからマスクを取り出し、顔を覆ってきつく締めると、再び息を吸う前に封印をチェックした。化学兵器か?本当に?しかし直ぐに警戒は解かれる。4回もそれが続くとマスクを取る気も無くなってしまう。自分のチームのハムヴィーの側で簡易ベッドの上に横になりながら、僅かな睡眠を取る間も、外そうという気にならなかった。

私達は、自分たちにとっての戦争がいつ始まるのかも知らなかった。その日は2003年3月20日、「shock and awe(衝撃と畏怖)」は既に始まっていた。クウェートとイラクを隔てている敷居を越えて、進攻を開始する準備は既に整っていた。私のいたチームは第101空挺師団(Airborne Division)、第4地上攻撃機隊(Fourth Ground Assault Convoy)の第2機体(攻撃ヘリ)に乗る事になっていた。

さっさと始めてくれ。私はそう思っていた。どうかさっさと始めてくれ。

私達はクウェートの砂漠で何週間も待機していた。頭はボーっとなり、退屈で不快で不安だった。ここに座っているよりイラクを侵略したほうがマシだった。自分が殺されるかも知れないと思い続けているよりも、さっさと終わらせた方がマシだった。

2011年12月15日、ニュース番組は公式の終戦で溢れていた。その光景はイラクでの強烈な記憶を呼び起こした。私の側で、2歳の息子が生まれたばかりの妹にキスしている間にも、その記憶は頭の中に侵入してきた。「もし死んでいたら、この子らに会うことも無かった。」私は子供たちを抱き寄せた。今のこの記憶を永遠に留めようとするかのように。

戦争中、私達は薄っぺらい勇ましさで恐怖を抑え込もうと、死について気味の悪いジョークを言い合っていた。私は1人の女性として、男どもと同じぐらい強い事を証明したいと言う余分なプレッシャーも感じていた。弱さを認めるなんて考えられなかった。

その習慣はずっと続いた。そして、それに続く年月、戦争中に脳穿孔外傷(penetrating traumatic brain injury)を受け外傷性ストレス障害(post-traumatic stress disorder)を患った夫が少しずつ回復する間、その習慣が私を支え続けた。自分達を前へ進めるには、持てる全ての意志力が必要だった。私の夫への愛は、自分の持つ責任感と、家族を始めるのに充分な健康は手に入らないのではないか言う不安で押しつぶされそうだった。死を恐れると言う贅沢さえも自分に許す事は出来なかった。

約10年が過ぎて、やっと私は恐怖を感じる事が出来るまで、強さを回復した。そしてなんとか前に進めるだけの希望も持てるようになったのだった。

カイラ・ウィリアムスは軍曹として、そしてアラビア語通として、2003年と2004年にイラクへ派遣された第101空挺師団の軍事諜報員の一員だった。彼女は「Love My Rifle More Than You:Young and Female in the U.S. Army(貴方より銃を愛す:合衆国軍の若き女性)」の著者でもある。

誓約

テッド・ジャニス(Ted Janis)

東部時間で3月19日水曜日の午後9時半、最初にバグダッドへ弾道弾が着弾した時、私は苦しんでいた。私は新しいレベルのストレスを感じており、世界が、田舎育ちの私が信じていたようなバラ色のものでは無い事を急速に学びつつあった。湿っぽく煙たい部屋の中で目隠しをされて、私は自分の行動について、そして前の週に自分が仕出かした失敗について取り調べを受けていた。

私達の宣誓監督官はとても落胆していた。私達の宣誓クラスは、由緒あるフラターニティ(大学内の友愛会)の綱領を暗記するのに、またしても失敗した。それは受け入れがたい事なのだと言われた。君たちの上の世代は皆、この単純な教訓を学んできた、なんで君たちは出来ないのだ?私達13名はそれぞれ、意気消沈して小さくなりながら、ウェイク・フォレスト大学キャンパスに散在するカントリー・クラブの寮へ帰った。予備役将校訓練課程(Army ROTC)の宿題を含む大学の勉学や、世界を半分隔てた場所で始まった戦争をそっちのけにして、私達は3パラグラフの文章の暗記に取り組んだ。その文書を知っているかどうかが、サザン・フラターニティーの宣誓に伴う恐怖と不面目がどのくらい長く続くかを決定づけるのだ。終わりは見えているのだが、最後のタスクは殆ど不可能なものに見えた。

2011年12月、私は勉学に戻っていた。コロンビア大学に入学し、ニューヨーク市を自分のキャンパスとしていた。このコンクリートの森の根元で渦巻く概念や人々の中を縫って進みながら、私の心は、決して終わる事のない新聞見出しや情報の洪水から、将来の世界を読み取ろうとして焦っていた。

戦争の最後の月に、「Peace Operations in Fragile States(不安定な国家における和平作戦)」と題名の付いたコースで、私はイラクで対反乱軍作戦を実施した歩兵中尉としての経験を、20枚の報告書にまとめて提出した。1学期間を通して私は、汗が染みついたノートをめくり、砂漠の太陽で焼けたインクを解読し、昔の出来事を振り返りながら過ごした。毎日のように下した決断が引き起す意図しない結果に意味づけをし、小さな出来事を頭の中で何度も何度も再生した。1日がかりでシークと話し合った時のオレンジ色の温かいソーダ。近くの家からたち昇る思わせぶりな煙。それはモハンマドが今や「安らかに眠る故モハンマド大佐」になった事を意味していた。決して完了する事の無い水質浄化プロジェクト、ユーフレイツ(Euphrates)で集められたコンクリートのブロックやプラスチックのパイプ。ページにはそれぞれ、厳しい経験を通して学んだ教訓が詰め込まれていた。私は意気消沈して小さくなっていた。私の宣誓監督官はきっと許してくれるだろう。

テッド・ジャニスは2006年から2011年まで合衆国陸軍歩兵将校だった。そしてイラクとアフガニスタンに2回派遣された。彼はコロンビア大学、国際公共学大学院(School of International and Public Affairs)の学生で、「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の寄稿家の1人だ。

~~ここまで~~

パート2は翻訳が出来しだいUpしようと思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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