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戦争、その前と後、パート2

イラク戦争に関する記事をUpします。

記事を書いたのはデイビッド・アブラムス(David Abrams)さん、ロイ・スクラントン(Roy Scranton)さん、そしてアンドリュー・スレイター(Andrew Spater)さんです。元記事はここにあります。

イラク戦争を振り返る退役軍人インタビュー記事のパート2です。

~~ここから~~

戦争、その前と後、パート2

この記事は6回シリーズのパート2である。

10年前の今週、2003年3月20日、合衆国はイラクを侵略した。

戦争は2011年12月15日、8年8ヵ月3週間と4日の後、最後のアメリカ兵が撤退して公式に終了する。この間、数十万の人間が人生に取り返しのつかない変更を強いられた。ホーム・ファイア(Home Fire)ではイラク戦争に従軍した16人の退役軍人に、自分たちの人生が、戦争を挟むこの2つの日付の間で、どのように変わったかをインタビューした。この記事で紹介する3件を含めた彼らの証言は、数日中にホーム・ファイアから出版される。

遥かなる戦争

デイビッド・アブラムス

合衆国の兵士がクウェートとイラクの国境を越え、北のバグダッドに向けて「thunder run」をしていた時、私は考えられる限り最も戦場から遠い場所に居た。私はアラスカ駐在の二等軍曹でデスク・ワークをしていた。そして地球を半分隔てた場所で起きている事態と完全に切り離されていると感じていた。その日、私達の部隊は訓練の為に早朝勤務についた。全員がスウェットを着てバラクラバ帽を被り、凍りついた道で滑らないようにスパイク付の靴を履いていた。私達が走ると、はく息でバラクラバが霜で覆われる。私はその瞬間にもイラクの暗闇の中を予期せぬ戦闘へ向けて進んでいる仲間の兵士たちを思った。しかし私は彼らを生身の人間だと考えていなかった。生きた血と肉と骨を持った戦闘マシーンだとは考えなかった。彼らは地図上のアイコンだった。ビデオゲームの身代わりでありニュースが伝える映像でしかなかった。戦争には現実感が無かった。遠方の凍てついた北国で見る映画のようだった。

イラクの自由作戦(Operation Iraqi Freedom)は2005年になるまで、自分自身の問題では無かった。私はその年、第3歩兵師団と共にバグダッドへ派遣された。第3歩兵師団の兵士の多くは二回目の派遣だった。彼らこそ、私が頭の中で勝手にアイコンにしていた兵士達だった。それに続く数ヶ月の間、彼らの内数人が厳しい表情を浮かべ、制服に乾いた血糊を付けて歩いているのを私は目撃する。私はかつて彼らの事を人間として考えなかった自分を恥じた。

2011年12月、私は再び戦場から精神的に離れていた。この時点で既に退役して3年が経ち、兵士達はバックミラーに映る影でさえ無く、地平線に見える小さな点に過ぎなかった。だから、イラクからの撤退が完了したと聞き、最後にドアから出て行った男が灯りを消した時、私は心の中で肩をすくめ、次のニュースへと移っていった。私は正確にいつ戦争が終ったのかも覚えていない。それぐらい戦争は静かに終っていた。おそらく私は8年に及ぶ爆撃と流血を思い、溜息をつき、死者に対して祈りを捧げていたと思う。あるいは私は、再び戦争を心から遠ざけていた事に対し、恥かしさに顔を赤らめていたかも知れない。

デイビッド・アブラムスは1988年から2008年まで合衆国陸軍に在籍していた。彼はイラク戦争を題材にしたコメディー「フォビット(Fobbit)」の作者で、「Fire and Forget:Short Stories From the Long War.」の寄稿者でもある。現在モンタナ州ビュート(Butte)で妻と暮らしている。

真実の母

ロイ・スクラントン

ある夜の事だった。私は銃撃戦の音で目を覚ました。集まった群集が困り果てたアメリカ人を取り巻いて怒りの声を上げている。レンジャー達はゴミゴミしたゲットーに固まっていた。誰かが叫んでいる。

それは暴動では無かった。私の軍曹が又しても、ボリュームを上げて「ブラック・ホーク・ダウン」を見ていたのだ。彼が言うには、この映画は目を覚ましてくれるんだと言う。

私達チャーリー砲兵中隊(Charlie Battery)が駐屯するドイツのストラスブルグ兵舎で、私は夜勤についていた。午後5時から午前9時までの電話番。普通、何も起きない任務だ。この任務で一番大変なのは退屈に耐える事だった。どっちにしても、私は通信教育で受講しているローマ史の宿題をしていた。私はドイツの部族がローマの3個軍団を殲滅したバリアンの災厄についてレポートを書いていた。

山の中のその場所は静かだった。私は外に出て冷たい空気の中でタバコを吸った。第2次大戦中に作られた兵舎の上からは、ナチス時代のドイツ国防軍(Wehrmacht)の鷲が厳しい目つきで見下ろしている。下の駐車場には、巨大な車載発射台が静かに佇んでいる。私達はロシアと戦う為のロケット砲部隊。冷戦時代の遺物だった。

私が9月11日の事件の後に軍に入隊した理由の1つは、歴史がその現場からはどう見えるのか、この目で確かめたかったからだ。しかしながら、ここドイツでは、全てのものが別の時代に属していた。「テロに対する世界戦争(Global War on Terror)」は、遥か彼方の抽象的で判りにくいものに過ぎなかった。

その男の姿が暗闇から現れた時、私は戸惑った。彼は森林を模した迷彩服を着て、影に覆われていた。私はゆっくりとその顔を認識した。

「確認してくれ。」伝令は私に言った。「我が国はイラクを侵略した。」

2011年12月、プリンストン大学で丁度ドアから出ようとしていた時、NPR(National Public Radio)が戦争の終了を告げていた。私は既に予定に遅れていて、コーヒー一杯飲むくらいの時間しか残っていなかったが、引き返してオンラインのニュースをチェックした。それは本当だった。

私は15分以内にキャンパスへ行って新入生に、戦争に関する記述について話す予定だった。最初のクラスは9時開始、次のクラスは11時、午後を研究に充てて、英文科のパーティーが5時始まりだった。

イラクは過ぎ去り、全てのものが動揺していた。私は既に現場を離れた時間の方が長くなっていた。それでも戦争は、いつも付きまとって離れなかった。生活の中で常に聞こえる背景音だった。例えどこかに引っ越したとしても、私と戦争との関係は私を規定しているように思えた。しかしそれが終わった。

かつて私は、子供たちにその瞬間を感じ取ってもらう為に、戦争に関する読み聞かせをする事を考えていた。子供たちは私を通して、世界の彼方の出来事との緊張した関係を感じる事だろう。今、私は、ドアを出ながら、開放感と喪失感を同時に感じつつも実感していた。私が提供するものは歴史になったと。

ロイ・スクラントンは2002年から2006年まで合衆国陸軍で勤務していて、2003年から4年にかけてイラクへ派遣された。彼の記事は、ニューヨーク・タイムズ、ボストン・レビュー、デイリー・ビースト、マサチューセッツ・レビュー、LIT、ニュー・レターズ、その他各紙に掲載されている。彼は「Fire and Forget:Short Stories from the Long War」の共同編集者兼寄稿者である。

教訓

アンドリュー・スレイター

イラク侵略が始まった日、私が所属する空挺部隊は夜明け前に飛行場に集結していた。私達は9日間に及ぶ戦闘任務、「ヴァリアント・ストライク(Valiant Strike:勇気ある攻撃)」を始めようとしていた。アフガニスタン、ザーブル(Zabul)州のサミ・ガー(Sami Ghar)山脈からタリバン残存部隊を一掃する作戦だった。その場所は私がその6年後にI.E.D.とぶち当たる地点の50マイル南方だ。今では想像も出来ない事だが、3月のその週になるまで、私達は実際に戦闘に従事する軍で唯一の旅団だった。2007年までには、活動する旅団は20以上に膨れ上がる。

私達はリュックサックに携帯する食べ物で暮らしながら、夜明けから日没まで、村々を探し回った。私達はアフガンの村人に手回し発電式ラジオを配っていた。そして私達自身もそれでニュースを聞く必要があると思った。毎晩疲れ切った私達は、順番にラジオの周りに座り、西方で始まった戦争に関するニュースをBBCケッタ(Quetta)放送局で聞いていた。3月20日にクエートでヘリコプターが墜落し、12人の兵士が犠牲になったニュースを聞いて、侵略の前途に不安を感じていたのを覚えている。

私達の任務は永遠に続くかのように思えた。私達は、自分達がカンダハルへ戻る前にイラク戦争は終わっちまうだろうと、ジョークを言い合っていた。その10か月後に自分達がバグダッド南部の道路で、非常に異なる種類の戦闘をする事になるとは、誰も想像していなかった。

戦争が「終わった」時、私は大学院にいて、9か月後にイラクに戻るとは、又しても考えていなかった。今度は教師として戻るのだ。私は2010年、5回目の派遣が終わった後、修士号を取る為に退役していた。私は終わったと言う言葉に注意を即す鍵かっこを付けた。何故なら戻ってみると、戦争がアメリカ人にとってのみ終わっている事が明らかだったからだ。私は比較的安全な北部クルド人地区に住んで、スレイマニ(Sulaimani)にある、アメリカン大学イラク校(American University of Iraq)で英作文を教えている。事態はかつてより落ち着いてはいるが、イラクはまだ安全では無い。学生達の話ではショッピング・モールも作られたそうだが、バグダットは依然として検問所と無愛想な壁で隔てられた街だ。そのペースは落ちてきてはいるが、自動車爆弾による殺戮は発生し続けているし、悪い年月の記憶はここの住人に恐怖を与え続けている。これは解放無き平和なのだ。

アンドリュー・スレイターは歩兵部隊所属兵士で2000年から2010年まで特殊部隊将校だった。彼は5回派遣されている。3回がイラクで2回がアフガニスタン。彼はスレイマニのアメリカン大学イラク校で英作文の講義をしている。彼の小説は文学雑誌のエピファニー(Epiphany)、および「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」に掲載されている。

~~ここまで~~

パート3も翻訳が出来たらUpします。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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