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戦争、その前と後、パート3

イラク戦争に関する記事をUpします。

記事を書いたのはマット・ギャラハー(Matt Gallagher)さん、マシュー・メリーナ(Matthew Mellina)さん、そしてブライアン・ヴァン・リート(Brian van Reet)さんです。元記事はここにあります。

イラク戦争を振り返る退役軍人インタビュー記事のパート3です。

~~ここから~~

戦争、その前と後、パート3

この記事は6回シリーズのパート3である。

10年前の今週、2003年3月20日、合衆国はイラクを侵略した。

戦争は2011年12月15日、8年8ヵ月3週間と4日の後、最後のアメリカ兵が撤退して公式に終了する。この間、数十万の人間が人生に取り返しのつかない変更を強いられた。ホーム・ファイア(Home Fire)ではイラク戦争に従軍した16人の退役軍人に、自分たちの人生が、戦争を挟むこの2つの日付の間で、どのように変わったかをインタビューした。この記事で紹介する3件を含めた彼らの証言は、数日中にホーム・ファイアから出版される。

泥濘と砂漠

マット・ギャラハー

戦争直前の力がこもった静けさの中、私は泥濘に取り残されていた。小さな赤い光を探して。

大量破壊兵器やイエローケーキを巡る2003年初頭の怒り狂ったディベートを、多くのアメリカ人と同じく私も、ただ見ていた。しかし多くのアメリカ人と異なり、軍のR.O.T.C.奨学金で大学に入った20歳の私の未来は、このディベートの結果に左右される事になる。

しかしその時点で、そういった事は何の問題でも無かった。私達はサウス・キャロライナのフォート・ジャクソンに居て、陸路夜間運行(night land navigation)訓練をしていた。地図と磁石を手にした私が注意を向けていたのは忌々しい赤い光、次の到達地点を示すマークの事だけだった。

とうとう私はそれを見つけた。しかし英数字のコードを書き留めている間に、手首のところに冷たい痛みを感じた。蜘蛛に咬まれたのだ。翌日キャンパスへ帰るまでに私の手首は風船のように膨れ上がった。次の週、私は体半分が麻痺したミシェランマンの真似をして過ごした。週末に、差し迫ったイラク侵略の反対運動をしている私のルームメイトは、私の為にドアを開けたりビールを開けたりしてくれた。彼は忌まわしい軍事介入の議論の中で、想像上のジョージ・W・ブッシュと格闘していた。

蜘蛛と一緒にやり遂げたこの仕事は私にとってこの手の仕事、ジョージ・オーウェルが言うところの「帝国の汚れた仕事」としては初めての仕事だった。その後、イラクの砂漠における15か月に及ぶ任務と比べると、より滑稽な仕事ではあったが。つまるところこの手の仕事においては任務以外の事は何も問題では無いのだ。任務こそが目的。目的ははっきりしている。私達は一回一回定められた目標に向けて進むだけだ。

オーウェルは、1936年の随筆「象を撃つ(Shooting an Elephant)」で述べているように、ビルマで警察官をしていた時、帝国の汚れ仕事に初めて出会った。オーウェルはメタファーを通して、どんな善意に基づくものであれ帝国主義的行動の持つ偽善性を痛烈に告発した。私はバグダッドで一度も象を撃った事は無いが、靴の中に居たキャメル・スパイダー(ヒヨケムシ)を何回か払いのけた。

戦争が終わった時、私は別のタイプの泥濘の中に居た。ケーブル・ニュース・サーキットだ。私はニューヨーク在住者の中では若く、比較的新しいイラク退役軍人だった為に2011年12月は、一張羅のスポーツ・コートを着て忙しくしていた。「この戦争は犠牲に見合ったものだったのでしょうか?」皆がそう訊いた。「これは何を意味しているのでしょう?」皆がそう要求する。私はカメラの小さな赤い光を見つめながら、この戦争の持つ巨大な多義性を、簡潔な言い回しで述べるよう最善を尽くした。戦争が持っていた明確性を望みながら。

マット・ギャラハーは2005年から2009年までアメリカ軍機甲部隊将校で15ヶ月イラクへ派遣された。彼はコロンビア大学の創作分野M.F.A.(Master of Fine Art)候補生であり、イラク戦争に関する回想録「カブーム(Kaboom)」の著者、そして「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の共同編集者兼寄稿者である。

訊かないでくれ

あれはバーだったに違いない。いつだって何か無くしたり失恋したりするのはバーだからな。ウィスキーのオンザロックを飲みながら、以前班長だったやつがベトナムの話をするのを聞くのも、いつもバーだった。酔っぱらった女といちゃついたりしながらね。そういう女は絶対に家の中に居る時とは違う感じなんだ。そういった事は戦争前は普通にあったし、戦争の後だって、忌々しいほど全く普通なんだ。

俺は「違いない」って言ったが、それは俺の記憶が不確かだからなんだ。それについては、自分の老いであるとか、頭に受けた傷でおかしくなったんだとか、言えるかも知れなし、他にも色々な理由を挙げられるかも知れない。しかし、たぶん本当のところは、忘れる必要があったからなんだ。他のやつらが、時系列に暮す上で頼っている過去の出来事を、曖昧な日付の中に置いてくる事で、自分の生き方を左右する上り調子とか下り調子とかに、必要以上に深く囚われないようにするのさ。9月11日に俺が何処にいたかなんて訊かないでくれ。T.W.A.の800便がロング・アイランド沖で悩ましい星みたいに爆発した時、俺が何処に居たかなんて訊いてくれるな。ケネディが暗殺された時、俺は父親の目の中には光としてさえ存在しなかった。ドレスデンが空襲された時は夢の中にさえ存在しなかったんだ。

これら全ての事は余りにも苦々し過ぎる。その中には俺も部分的に含まれているんだ。俺だって試みた事はある。過去を踏まえて次へ進まなきゃいけないって思った事もあるんだ。この困難な闘いに挑んだ事はあるのさ。俺だって何回やっても失敗するシシファスみたいにはなりたく無いって思ってはいるさ。俺たち世代の退役軍人達の高い自殺率については言うまでも無いだろう。だから俺を追い込まないでくれ。俺は目が見えない振りをしてるんじゃ無いんだ。輝いているかも知れない未来に、過去を持ち込む事を拒否しているだけなんだ。かつて立っていたエデンの上で自分自身を引き裂くよりは、愛とか人生とかを考える事に満足していたいんだ。

イラク戦争の前と後に俺が何処に居たかなんて訊かないでくれ。

だけど、それはバーだったに違いないんだ。俺は飲みすぎていたに違いない。俺は誰かイカシタ奴が喋っているのにチャチャを入れていたに違いない。何も確かな事は言えないんだけどね。確かに言える事は、俺が依然として、よろめいているって事さ。もう酒なんて飲んでいないのにね。俺が首を突っ込む話はいつだって同じ様な話になるんだ。おれはいつだって上手いウィスキーには弱い。俺の記憶はいつだって不確かなんだ。いつだって上手くやりたいとは思っているんだけどね。

マシュー・メリーナは第4歩兵師団と共に2006年イラクへ派遣された。彼の書いた記事は、ニューヨーク・タイムズ、ニューズウィーク、スレートに掲載されている。彼は現在、最初の小説を執筆中。



バグダッドでサダム・フセインの像が引き倒されていた時、アパッチ部隊は兵舎の娯楽室でテレビの周りに集まり、まるで戦車を駐車場に進めるみたいに侵略が上手く行ったことに、非常に興奮していた。

世界の反対側で行われている戦争を見ながら、幾人かは易々と収めた勝利に満足そうだった。グロス伍長(Corporal Gross)は考え深そうに、ケーブル・ニュース司会者の間違いを指摘している。その時、私達の部隊の曹長が入ってきて皆を怒鳴りつけると、自分自身でテレビを見始めた。

シーア派の暴徒は像を引き倒して歓声を上げ、像の首を切り離すとその顔を靴で叩き始めた。私自身もカーニバルの暴力的気分を感じないではいられなかったが、私は同時に姿を現しつつある一種の喪失感も感じていた。私は9月11日の2ヶ月後に入隊していたが、一日も実戦を経験していなかった。サダム・フセインの像が倒れるのを見ながら、自分達がイラク戦争の終わりの始まりを目撃しているだけだと、私は考えていた。

8年の後、私は軍を後にしていた。その年、私は結婚する事になる女性と出会い、ミッチェナー・センター・フォア・ライターズ(Michener Center for Witers)でのフェローシップの地位を楽しんでいた。出版社のエージェントは私が執筆中だった本の版権を担当する事に同意し、そしてその本は正にその戦争に関する本、バグダットから帰郷した約五年後に書き始め、草稿を書き終わろうと言う時に正に終わろうとしていた、その同じ戦争に関する本だった。この戦争が、いつも同じ戦争であったとは、殆どありない事のように思える。

私の身に起きたこれらの良い出来事は、正に私達の兵士がイラクを去ろうと言う2011年の冬に起きた。しかしこれらは撤退と何の関わりも無い出来事だ。侵略が始まった時と同じように、遠方の地でニュースが報じる撤退に関するイベントを追いかけながら、私の心は相反する2つの感情で揺れていた。戦争が終わった日付には何の意味も無かった。軍の車列がクェートへ走ってゆく映像には終了の感覚が伴っておらず、達成感はさらに少なかった。

私にとってイラクは勝利とか敗北の外にある。イラクは予防的戦争にまつわる、よくまとまった理論、神経ガスを織りなす理論を振り捨てる。それは私の20代の暗い背景として、そして私の人生の中の特定の1年間における純粋な目的として垂れ下がっている。それは抽象的なものでは無く、コンクリートの爆風防護壁であり、全ての物の上に舞い落ちる埃であり、燃え上がる夕日であり、眠れない事であり、お祈りの呼びかけであり、グリセリンの燃える匂いであり、チグリス河の温かい水であり、灰色の皮膚で半分目を閉じた死体である。後悔を受け入れるなど不可能だ。若いと感じる事、向う見ず、憎しみ、外国の土地に足止めされている事、乗り越えるには大きすぎる波として襲い掛かってくる恐怖だ。

ブライアン・ヴァン・リートはジェイムズ・ミッチェナー・フェローシップ(James Michener Fellowship)と、ガルフ・コースト・プライズ・イン・フィクション(Gulf Coast Prize in Fiction)の受賞者。彼は2004年から2005年にかけて第一騎兵師団と共にバグダッドに赴任しており、勲章(Bronze Star with “V” Device)を受けている。彼の作品は、サウザン・レビュー(The Southern Review)、シャナンドー(Shenandoah)、「Fire and Forget:Short Stories from the Long War」、その他に掲載されている。

~~ここまで~~

パート4も翻訳が出来たらUpします。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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