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戦争、その前と後、パート4

イラク戦争に関する記事をUpします。

記事を書いたのはフィル・クレイ(Phil Klay)さん、マリエッテ・カリノウスキー(Mariette Kalinowski)さん、そしてコルビー・バッゼル(Colby Buzzell)さんです。元記事はここにあります。

イラク戦争を振り返る退役軍人インタビュー記事のパート4です。

~~ここから~~

戦争、その前と後、パート4

この記事は6回シリーズのパート4である。

10年前の今週、2003年3月20日、合衆国はイラクを侵略した。

戦争は2011年12月15日、8年8ヵ月3週間と4日の後、最後のアメリカ兵が撤退して公式に終了する。この間、数十万の人間が人生に取り返しのつかない変更を強いられた。ホーム・ファイア(Home Fire)ではイラク戦争に従軍した16人の退役軍人に、自分たちの人生が、戦争を挟むこの2つの日付の間で、どのように変わったかをインタビューした。この記事で紹介する3件を含めた彼らの証言は、数日中にホーム・ファイアから出版される。



フィル・クレイ

合衆国がイラクを侵略する数日前、私のチームメイトはアイルランド人ラガーと激しくぶつかり過ぎて気を失ってしまった。ストレッチャーに乗せられて運ばれる間、彼の体は痙攣していた。ダートマス・ラグビー・チームはアイルランドでスプリング・ツアーをしているところだった。私達の強みと言えば当たりの強さだ。なにしろ私達はアメリカン・フットボールで育てられている。しかしその利点が勝利の助けになるわけでも無かった。アイルランド人はゲームを知っていて、ここは彼らの本拠地だ。そして彼らは我々より遥かに速く走った。ゲームの後、私達はアイルランド人と飲み比べで勝って、それを勝利と思う事にした。

ブッシュがサダム・フセインに最後通告を突き付けた時、私はギャラウェイのホテルのテレビでそれを見ていた。私のルームメイトはギョッとするほど強くてほれぼれするほど頑健な韓国系アメリカ人ラガーで「アジアン・スクゥエア(The Asian Square)」とあだ名される男だった。彼が私に言ったところでは、彼の祖父母は彼よりも兄の方が自慢なんだと言う。彼の兄はウェスト・ポイントへ入った。ダグラス・マッカーサー将軍の学校だ。そして祖父母は朝鮮戦争の事を今でも覚えているのだと言う。

多分、アジアン・スクウェアの兄は直ぐにもイラクへ派遣されるだろう。そして私もだ。卒業したら私は直ぐに将校として入隊することになる。入隊したら、テストと書類とラグビーの試合で出来ている私の世界は全く別のものに変わる。私は歴史的な軍の一部になる。奴隷制を終らせ、フランスを開放し、仁川上陸作戦を敢行した軍の一部だ。この軍無しには韓国は金正日の下で苦しんでいた事だろう。イラクが今、サダム・フセインの下で苦しんでいるように。それはアメリカ人の命だけに関わるものでは無いのだ、と私は思う。

戦争が終った日、私は友人のペリー(Perry)に会った。軍で衛生兵をしていた男だ。私達はいつもの安い店では無く、少し高い店に入り酒を注文した。テレビは無く、気を逸らされる事も無い。私達は2人とも、この出来事をなんと言って良いか判らなかった。

「終ったのは単純に嬉しいね。」彼は言う。

私は肯きながら考えた。たぶんそうなんだろう。少なくともアメリカ人にとっては。

私には付きまとって離れない記憶がある。自爆攻撃の後で見たイラク人家族だ。父親は血にまみれていた。母親の顔の左側は軟膏でテカテカしていた。破片で傷ついた顔に衛生兵が付けたものだ。そして腕の中の幼子は赤い血で汚れたガーゼに包まれていた。

それは2007年初頭、サージ(surge)と呼ばれる増派の中での出来事だった。その時の任務は地元の人々を守るものだった。

私とペリーが8年に及ぶ戦争に何とか形を付けようとしていた間、私は戦争がどういうふうに終ったのか考えていた。あるいはどういうふうに終わっていないのか、そして誰にとっての話なのかを。私は再びイラク人家族の事を思った。そして8年前に考えていた事は真実だったと思った。これはアメリカ人の命だけの話では無いのだ。

フィル・クレイは2005年から2009年まで合衆国海兵隊に勤務しており、2007年から2008年にかけてイラクへ派遣された。彼は近々出版されるショート・ストーリー・コレクション「Redeploymennt(再配備)」の著者であり、「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の寄稿者の1人である。彼の書いたものはニューヨーク・タイムズ、ティン・ハウス(Tin House)、その他で見ることが出来る。

真円

マリエッテ・カリノウスキー

2003年3月イラク侵略の夜に私が何処に居たのか思い出すのは簡単だ。家でパーティーをして酔っぱらっていた。私は20歳だった。3ヶ月の海兵隊ブート・キャンプから出てきたばかりで、大学を退学しかかっている学生だった。そして最初の戦場への派遣が終るのは正確に2年後だった。しかし未だ私はそれを知らない。私は最初の湾岸戦争を覚えている年代の人間だ。もっとも、はっきりとでは無い。サウジアラビアの国境に展開する兵士たちとか、空爆とか、リャドから報告されるレポートとかの、ぼんやりとした記憶だ。CNNが伝える映像は9歳の子供を魅了した。砂漠と空以外何も無い場所。平らな地面を走る装甲車。建物の横の鉄格子を突き破ってスマート爆弾が爆発すると、一定のパルスのような煙が立ち上った。そういった、シュワルツコフ-ブッシュのコンビが展開するハイテク軍事兵器のアイコンのようなイメージ。一発の赤外線誘導爆弾が特定の建物へと、民間人のイメージが全く無い四角い灰色の建物へと飛んで行くイメージ。クリーンで効率的で人道的な戦争だ。

私はパーティーでその同じものを再び見ていた。プラスチック容器に入ったビールを片手に、アウトカスト(OutKast)の「Bombs Over Baghdad(バグダッドに降る爆弾)」の大きな音を繰り返し聞きながら。私は音を消してニュースを見た。同じスマート爆弾の映像がスクリーンに映っていた。暗視カメラを通したイカ墨のような爆発映像が同じ様に流れている。殆ど美しいとさえ思える炎が上に向かって花開くのが十字の照準器の向こうに捉えられ、観客の目に入ってくる。

その映像を見る私は目標を眼下に捉えるパイロットになっていた。何回か流されたその映像は完全に私を捉えた。2人の大統領と1人の独裁者、そして同じ戦いに立ち上がる第2世代。しかしそれは私達の都合の良いように再編集されたイメージだ。その既視感(デ・ジャ・ビュー)は、私の中に生まれた熱狂を急速に満たしていった。その間にも、他の大学生達はビアポン(beer pong)で遊んだり、春休みの計画を話し合ったりしている。皆それぞれ好きな事をしていた。

戦争が終った時、私は個人的に色々な問題を抱えていた。私は学部生としての最後の学期を終らせたばかりで、ルームメイトとトラブルを抱えていて、戦争終了から気を逸らされていた。私は兵士を撤退させる事にフラストレーションを感じて何回かバーで話し合ったのを覚えている。この撤退は早すぎるかとか、イラクは自分でやってゆく準備など出来ていないとかを話し合ったのだ。しかしそれは怒れる老兵の繰言だ。無駄に終ったかのように見える7年間の海兵隊生活と2回のイラク派遣に対する怒りだ。

けれども大部分において、私も他のアメリカ人と同じだ。戦争を気にかけるには自分自身の人生で手一杯だ。笑いたくなるくらい人間は変わらないのだ。

マリエッテ・カロウスキーは2002年から2010年まで合衆国海兵隊に勤務していてイラクのアル=タカッダム(Al Taqaddum)へ2回派遣された。彼女は現在ニューヨークのハンター大学(Hunter College)で創作(fiction)を学んでいる。そして「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の寄稿者の1人だ。

世代

コルビー・バッゼル

10年前、私はワシントン州フォート・ルイス(Fort Lewis)の食堂に居た。合衆国陸軍に入隊したばかりの2等兵で、周りで爆発音が飛び交う中、食事を続けようと頑張っていた。その部屋に居た全ての兵士はテレビに釘付けで、テレビでは主要ネットワークがイラク侵略のレポートをスーパーボール並みの熱狂でもって配信中だった。時たま訪れるコマーシャルによる中断は、私を若干苛立たせた。しかし一番私を苛立たせ、終にはニュースを見る事を断念させたのは、自分が現地に着く前に全部が終ってしまうのではないかと、私が死ぬほど恐れていると言う事実であった。

テレビが流す映像は奇妙なほど馴染み深いものだった。1991年に砂漠の嵐作戦をテレビが映すのを見ながら、私は、勲章を授けられたベトナム退役軍人である父に、自分が入隊できる年齢になる前に戦争が終ってしまうと思うか尋ねた。私は未だ中学生だった。父は私の質問に困惑したようだが、真面目に答えてくれた。父はベトナム戦争が10年以上続いた事実を指摘した。そして歴史を振り返ってみれば、私達は10年ごとに別の戦争をしていると。

フォート・ルイスに滞在しながら、私は他の何よりもイラクへ派遣される事を願った。イラクに歩兵として派遣された私は、その派遣期間の殆どの間、他の何よりも戦争を終らせる事、そして家に帰る事を望みながら過ごした。そして家に帰った私はしばしば想像した。ひょっとして鮮やかな赤い血が、本当に青い草を育てるんじゃないかと。

戦争の終わりは曖昧な中にやって来て、そして過ぎていった。私はその夜、酷く酔っぱらっていたんだと思う。私が実際に覚えているのは、インターネットを流れるロイターのニュースを偶然見つけた事だ。合衆国兵士の最後の車列が日曜日にイラクを離れ約9年に及ぶ戦争、4,500人のアメリカ人と数万人のイラク人を犠牲にした戦争を終らせた。

私の机の上には自分の名誉除隊証書が誇らしげに飾られている。その周りには、歩兵仲間と一緒に砂漠で映った写真が額に入って並べられている。私に戦争が終ったと納得させてくれた者は誰もいない。誰もだ。ある有名なアメリカ人将軍は言った、「我々は退却しない。別の方角に進軍しているだけだ。」それは正に私の見方と一致している。

全ての世代は自分達の戦争を持っている。この戦争も他と変わらない。

次も変わらないだろう。

コルビー・バッゼルは2003年から2004年にかけて陸軍の歩兵としてイラクへ派遣され、最前線でブログを配信していた。彼は「My War:Killing Time in Iraq(私の戦争:イラクでの暇つぶし)」および「Lost in America:A Dead-End Journey(アメリカを彷徨う:どん詰まりの旅)」の著者であり、「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の寄稿者である。

~~ここまで~~

パート5も翻訳が出来たらUpします。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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