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戦争、その前と後、パート6

イラク戦争に関する記事をUpします。

記事を書いたのはジェイク・シーゲル(Jake Siegel)さんと、ペリー・オブライエン(Perry O’Brien)さんです。元記事はここにあります。

イラク戦争を振り返る退役軍人インタビュー記事のパート6です。

~~ここから~~

戦争、その前と後、パート6

この記事は6回シリーズのパート6である。

10年前の今週、2003年3月20日、合衆国はイラクを侵略した。

戦争は2011年12月15日、8年8ヵ月3週間と4日の後、最後のアメリカ兵が撤退して公式に終了する。この間、数十万の人間が人生に取り返しのつかない変更を強いられた。ホーム・ファイア(Home Fire)ではイラク戦争に従軍した16人の退役軍人に、自分たちの人生が、戦争を挟むこの2つの日付の間で、どのように変わったかをインタビューした。この記事で紹介する2件を含めた彼らの証言は、数日中にホーム・ファイアから出版される。

聞く

ジェイク・シーゲル

イラク戦争が始まった時、私はR.O.T.C.(Reserve Officer’s Training Corps:予備役将校訓練課程)で大学に在籍していた。侵略のニュースをテレビで見たのは、友人のマイケル(Michael)のアパートでだった。爆撃が始まると、数か月に渡って私達が声高に叫んでいた戦争反対の主張は脇に追いやられた感じがした。仮に政府の主張に完全に納得していなかったとしても、もはや自分は反対すべきで無いと感じた。

戦争は既にそれ自身の言葉を持ち始めていた。戦争に関して使われる単語は、「賛成(for)/反対(against)」から「どうやって(how)」とか「何のために(for what)」とか「どのくらいの犠牲で(at what cost)」に変化していた。私は自由とは全世界的権利であり、時として力で勝ち取らねばならないものだと信じている。しかし戦争はこういった考えを必要としていないようだった。戦争は兵士を必要としていた。私のような。

私はイラクとかイスラム主義とか帝国主義の力について、マイケルと静かに話す事が出来た。そういった話題を誰か他の人間が持ち出したら、私はいつも興奮したものだった。マイケルはキリスト教会(The Church of Christ)の聖職者の息子としてテネシー州で育ち、文学を学ぼうと大学に入ったが、最初の1ヶ月で物理学へ転向した人間だ。彼は宗教的信条をその時すでに捨てさっている。

私は議論好きなブルックリンのユダヤ社会出身だ。古い友人達は私のような人間を理解できなかった。ラモーンス(The Ramones:アメリカの4人組バンド)やアルトー(Artaud)を好んで聞くくせに戦争機械に飲み込まれる事が出来るような人間は皆からの理解を得られない。しかしマイケルと私は互いを理解できた。私達は道徳の目的だとか、正義にたいする順序付けされた見解とかいった、不可知論が必要とする概念を共有していた。私達はイラクに関しては同意できなかったが相手を誠実な人間と考えていた。

戦争が公式に終わったのは、大学を出てから初めてマイケルと再会した時だった。彼は卒業後、平和部隊(Peace Corps)に参加し、1年間南アフリカで過ごしていた。彼は私が、退役軍人以外でイラクでの日々を話した数少ない人間の一人だ。

戦争で何を見たのか、そして私の見たものが、いかに現存する政治的フレームワークに適合しがたいか、私は彼に話した。私が海外へ持参した概念はナイーブで、混乱した世界での仕事から見たら傲慢なものでしか無かった。

戦争が始まった時に私が感じた責任感、アメリカの力の行使に対して能動的に参加すべきだと言う責任感はマイケルも同じように感じていた。彼の信条は彼自身を私とは違った場所へと連れて行ったが、彼も又、帝国の遠い端っこで、同じ考えに沿って行動していたのだった。

彼が話始めた時、私は聞き耳を立てた。

ジェイク・シーゲルはニューヨーク州陸軍兵士(New York Army National Guard)として勤務している。彼は2006年から2007年までイラクへ、そして2011年から2012年までアフガニスタンへ派遣された。彼の書いたものは、ニューヨーク・タイムズ、デイリー・ビースト(Daily Beast)、ニューヨーク・プレス、その他で見る事が出来る。彼は、「Fire and Forget:Short Stories form the Long War」の寄稿者でもある。

「戦争は終わった」

ペリー・オブライエン

イラク侵略の前夜、私はカンダハールのクリニックで夜間勤務についていた。横では同じ部隊の中尉が机に座って、ベン・ハーパー(Ben Barper)の歌のコードをアコースティック・ギターで静かに奏でていた。彼の頭上、青緑色で塗られた壁には、チョークのあとのような銃痕がたくさんついている。クリニックは静かだった。ギターの音がする以外では、足を切断されたアフガン人警官が数分毎に起きてきて、「アッラー」と小声で唱えるだけだった。彼はきっと一緒に歌おうとしているんだと、私達はジョークを言い合っていた。もちろん彼は痛さでうめいていただけだった。

数時間毎に私はタバコを吸いに外へ出た。屋内は電灯で明るかったが、外の空間は山と砂漠の中の完璧な暗闇に満たされている。私はこの国に入ってまだ3ヶ月しかたっていなかったが、既に感じ始めていた。私達が勝てる戦争などどこにも無いと。あるいは私達は自分達自身に負けつつあると。

クリニックで私達は戦闘による怪我よりも、自分で自分を撃ってしまった怪我を多く扱っていた。今、イラクは現実の戦争に入ろうとしている。米軍放送網(Armed Forces Network)は同じニュースを流し続けていた。クウェートへ集結した戦車の群れ。暗視カメラの緑の光を通してひらめく爆撃。バルコニーに立ち、ライフルを片手で持って撃っているサダム・フセインの映像。部隊の何人かは、侵略に参加できるよう、転属を願い出ていた。

私は別の道を選んだ。2004年にアフガニスタンから帰郷して、良心的参戦拒否者(conscientious objector)になる書類を提出した。そして2年後に名誉除隊すると大学へ行った。地面いっぱいに靴や子供用スリッパを並べた抗議集会から戻った私は、自分のいた部隊の軍曹がイラクでI.E.D.に触れて死んだと言うボイス・メールを受け取った。軍曹の葬式の後、昔の衛生兵仲間と再会した。その内半分は私と同じように除隊し、着心地悪そうに平服を着ていた。残りの半分は依然として軍服を着ている。直ぐにも2回目あるいは3回目とか4回目の派遣で戦地に向うと言う。

そして2011年11月、戦争は終わった。

戦争は雑誌売り場とか雑貨店で終わった。戦争終了は、泥の中とか、地下鉄が通る度に揺らされる駅の床の雪解け水とかの中に捨て去られた。ニュースは戦争が終わったと告げている。しかしそこにはカンダハールで、まだ自分を撃ち続けている兵士達への言及はない。戦争は終わった。今週、私がこれを書いている間にも、そしてバグダッドのシア(Shia)近辺を爆弾が切り裂いている間にも、終わっている。戦争は終わったのだ。

いったい誰がそれに同意できないと言うのだ?

ペリー・オブライエンは2003年、第82空挺師団の衛生兵としてアフガニスタンへ派遣された。彼は良心的参戦拒否者として除隊した。彼は創作(fiction)分野でニューヨーク大学のM.F.A.(Master of Fine Arts:芸術修士号)取得予定者で、「After Gandhi:One Hundred Years of Nonviolent Resistance(ガンディー以後:非暴力抵抗運動の100年)」の共同執筆者である。そして「Fire and Forget:Short Stories From the Long War」の寄稿者でもある。

~~ここまで~~

次回更新は、5月11日ごろになると思います。
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ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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