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ヒッグス粒子追跡ドラマ

科学の記事をUpします。

記事を書いたのはデニス・オバーバイ(Dennis Overbye)さんです。元記事はここにあります。

ヒッグス粒子に関する記事です。

~~ここから~~

ヒッグス粒子を追え

スイス、メイランにて――その日ヴィヴェク・シャルマ(Vivek Sharma)は娘を思っていた。

カリフォルニア州立大学サンディエゴ校教授のシャルマ博士は家を遠く離れた場所、ジェネバ郊外にある大型ハドロン衝突加速器(Large Hadron Collider:L.H.C.)で何カ月もの間、大勢の物理学者のチームと協力しながら過ごさねばならない。しかし2011年4月15日、娘のミーラ・シャルマ(Meera Sharma)の7歳の誕生日に彼はカリフォルニアに飛び、長いことおざなりにしていた家族との団欒の時を持った。「とても素晴らしい、美しい誕生日だった。」彼は思い返す。

そしてシャルマ博士はブログにポストされた記事に注意を惹きつけられる。そこには、ライバルである物理学者チームがヒッグス粒子(Higgs boson)を発見し、自分たちのチームを破ったと報告されていた。ヒッグス粒子、長いこと捜し求められていた「神の粒子(God particle)」だ。

もしライバルの言っている事が正しいとすれば、ノーベル賞は雪崩を打って向こう側へと流れてゆくに違いない。しかしそんな事よりもっとイライラさせられるのは、自分たちが貴重な自然の手がかりの1つを見逃していたらしい事、そしてノーベル賞よりもっと大きな報酬、今まで誰も知らなかった事を知ると言うチャンスが誰か別の人間のものになってしまったらしい事だった。

彼は翌日にジェネバへ飛んで帰った。「妻は唖然としていたよ」と彼は思い返す。

再び何ヶ月も家族と会えない生活へ彼は戻った。

シャルマ博士と彼のチームは、現代科学における偉大なる白鯨、ヒッグス粒子、その存在によって他の全てが説明され、現実世界を構成するジグソー・パズルを実に上手くつなぎ合わせられる粒子に、自分たちが近づいていると信じるあらゆる理由を持っている。

約半世紀と言うもの物理学者はこの幽霊量子を、数学と理論の迷宮を通して、そして強力な加速衝突器での何トンもの電子機器を通して追い求めてきたが、確たる成果を得られなかった。

今やその使命はL.H.C.に託されている。そこでは、それぞれ3000名からなる物理学者の軍団が互いを相手に、そして自然を相手に、友好的ではあるが非常に厳しい競争を強いられていた。

彼らは、たとえどんなに優秀で志気が高かろうとも1のグループだけを信頼するにはリスクが大き過ぎるこの100億ドルの実験において、物理学の伝統に従って、互いにチェックし、補い合っている。

この実験に賭けられているのは、単にノーベル賞だとか、まわりに自慢する権利だとか、自然の中核を成す素粒子を集めた動物園に又別の奇妙な名前が追加される事だとか、そういったものだけでは無い。ヒッグス粒子は、1964年にエジンバラ大学のピーター・ヒッグスが最も強く主張した概念、秘密の目に見えない宇宙を構成する力の場があると言うハリー・ポッター的概念に対する、唯一の目に見える顕現なのだ。この概念の生みの親となる理論物理学者には他に、ベルギー、ブリュッセル自由大学(Universite Libre de Bruxelles)のフランソワ・エングレール(Francois Englert)とロベール・ブルー(Robert Brout)、ロンドン、インペリアル・カレッジのトム・キッブル(Tom Kibble)、ロチェスター大学のカール・R・ハーゲン(Carl R.Hagen)、ブラウン大学のジェラルド・グラーリニク(Gerald Guralnik)が居る。

素粒子、すなわち私たちのDNAやiPhoneの中を飛び回る電子等を含む、原子より小さい有象無象は、その質量をこの場から得ている。政治家が、並んだ有権者の声援とか握手とかから助力を引き出すのに似ているかも知れない。

この神秘的な場が無ければ、宇宙にある全てのものは、ほとんど同じもの、光の速さで飛び回るありふれた粒子でしか無い。場があることで原子や星や我々が生まれる。

かつてヒッグス粒子を探索していたイリノイスのフェルミ国立加速器研究所、あるいはフェルミラボの元ディレクター、レオン・レダーマン(Leon Lederman)は、この粒子を「神の粒子(the God particle)」と呼んだ事がある。その呼び名に同僚は顔をしかめたがジャーナリストは喜んだ。そして、彼はその呼び名を使い続ける。後にレダーマン博士が語った話では、彼はこれを「クソッたれ粒子(goddamn particle)」と呼びたかったのだと言う。

後に「イースターのバンプ探し(Easter Bump Hunt)」と呼ばれることになる2011年4月の騒動は、ローラーコースターのような徹夜作業、明るい展望と失われた証拠、間違った警報、歓喜と絶望、困難な計算、共同作業に嫉妬、すべての煩わしくも目が回るような気まぐれで構成される現代科学のエピソードの1つに過ぎない。

彼らが追行した作業、みずからの考えを完璧なものにする為に要した作業は、この世代の人間が経験した、科学の運命とのランデブーだ。物理学者はヘルメットを被り安全ベルトにぶら下がりながら地下の洞窟でアパートほどもある検出装置を建設した。彼らはワイアーを張り、ボルトを締め、何千トンもの磁力を、必要とされる1インチの数千分の1の場所へ正確に振り向ける。彼らは装置を調整し作動させる為に数百万行のコードを書く。その努力に対してはNASAのエンジニアも立ち上がって帽子を取り敬意を表するだろう。

彼らは装置が稼動してない間、親睦を深めようと色々なことをした。素粒子が衝突するトンネルでラップのビデオを作った。食事をし、睡眠を取り、パーティーをし、雪球を投げた。そして、無警戒にカフェテリアで笑ってたり、友人のラップトップを一瞥したりとかいった行動が、5億ドルにもなる実験にバイアスをかけたり、宇宙の神秘を遠ざけたりしてしまうのではないかと心配していた。

カリフォルニア工科大学の教授マリア・スピロープル(Maria Spiropulu)はe-mailでその様子を次のように表現した。「実験はとても大きなグループの共同作業なんです。メンバーには良い人も酷い人も、ひねくれ者もソプラノ歌手も機会主義者も何でも居るんです。私達が知っている世界の色々なプロトタイプが集まっているんです。」

2010年8月

約束された火の玉

大型ハドロン衝突加速器がヒッグス粒子探索の最後の砦であることには、多くの者が同意している。ジェネバ郊外に位置し、フランスにも張り出している 古めかしい終戦直後の建物の地下に存在する70マイル長の円形複合施設は、欧州原子核研究機構、あるいはCERNとして知られる組織の施設だ。コライダー(collider:衝突器)は、原子より小さい陽子として知られる粒子を、7兆電子ボルトのエネルギーをかけて、光速の99%以上まで加速し、互いに衝突させるよう設計されている。

その結果作り出される火の玉は、温度と密度において、宇宙がまだ1兆秒しかたっていなかった時の状況を再現する。それは未だ探検された事の無い未知の領域であり、そこではどんな事でも起こりうる。その中には、理論計算値に従えば、40億回の衝突に1回の割合でヒッグス粒子が発生する。その全てを記録する為に2つのチームが検出器を作り上げた。検出器は電線とコンピュータの山だ。2つの検出器は、衝突を捕まえる為に、地下にある円形加速器の反対に位置する場所に設置されている。

「ヒッグス粒子を見つけるか、それとも全く別の現象が観測されるか、どちらかが必ず起きるでしょう。」CERNの科学者でアトラス(Atlas)と名付けられた片方のグループを率いる、ファビオラ・ジャノッティ(Fabiola Gianotti)は言う。アトラスのライバルはCMSと呼ばれている。両方とも自分たちが作った巨大な検出器の名前に因んでグループ名を名付けた(他の2つの検出器、アリス(Alice)とLHCbは、同じこの加速器でより特殊な物理現象を探求する為に作られている)。

100億ドルの資金と15年間の時間をかけて構築された加速器は、2008年9月に初めてスイッチが入れられた。その丁度一週間後、一部が爆発する。幾つかの電気回路に、陽子を制御する巨大な超伝導磁石が必要とする電流を扱う能力が無い事が判明した。この事故の修理に1年半かかり、2010年3月、回路に対するストレスを避けるため、加速器は半分のパワーで稼動を再開した。

ジャノッティ博士のオフィスは、CERNのメイン・カフェテリアから石を投げれば届く所に建つ新しいビルの4階にある。私が2010年の8月に訪ねた時、ジャノッティ博士の机は、何枚かの紙が幾何学的正確さで置かれているだけで、まるで飛行機の翼のように綺麗に滑らかに整理されていた。良く動く瞳を持つスレンダーな女性であるジャノッティ博士は、ピアノ線のように強く優雅な印象を人に与える。彼女の仕事は、正にそういった能力全てを必要としていた。

アトラス共同研究のスポークスウーマンとして、当時46歳のジャノッティ博士は、アインシュタイン並の天才といわれる3000人の人間たちを取りまとめる申し分の無い牧童であり、天才的輝きを持つ一群の人間たちの指揮者である。すべての列車を時刻通りに運行させる責任を持ち、全ての目盛りやシミュレーションを調節する。それこそ最終データをとりあつかうコンピュータアナリストから、検出器の設置された洞窟の中でねじ回しをいじっていた人間まで、全ての物理学者の為に、衝突で出来る火の玉から得られた結果を承認する人間だ。

それによりジャノッティ博士は、高エネルギー物理学の分野、テストステロンが満ち溢れている事で札付きの分野で、最も目立つ女性となった。ジャーナリストはいつも、男社会での女性と言う話題を聞きたがる。しかしそれは大きな問題では無いと彼女は言う。そしてアトラス共同研究では4分の1が女性だと付け加えた。あまりにも多いので、時として彼女はマネージメント・ミーティングに男性を引っ張ってこなければならないと言う。

ミラノで育ったジャノッティ博士は、かつて哲学に興味を持っていた。しかしアインシュタインの初期の仕事の話を幾つか読んで物理学に魅了された。途中、学業を離れ、2年間ミラノ音楽学校(Milan Conservatory)でピアノを学んだ後、ミラノ大学で粒子物理学の博士号を取り、1989年にCERNに入った。

「音楽はいつも私の心の中にあったわね。」ある夜、ディナーから車で帰る途中、彼女は若干訛りのある英語でそう振り返った。どんな種類の音楽が好きか聴かれて、彼女はCDプレーヤーのボタンを押した。車は突然シューベルトに満たされた。「クラッシクの中で最もロマンチック、そしてロマンチックな曲の中で最もクラッシックな曲ね。」彼女は言った。

机の前に座るジャノッティ博士は完璧に仕事モードだ。彼女は液体アルゴン・カロリメーターに関する仕事で頭角を現す。粒子のエネルギーと軌跡を解析する装置に関する仕事だ。今彼女は時として、自分の手を汚して仕事をするチャンスが無いことを残念に思うと言う。

しかし机の上で待っている書類を示しながら彼女は言った。

「毎日、何かしらが起きている。典型的な日なんて無いの。」彼女は色々な会議を数え上げながら言った。「私の一日は満たされている事は確か。それは素晴らしい事だと思います。」

自分を良きスポークスウーマンたらしめているものは何かと訊かれて、それはたぶん陽気さだと思うと、ジャノッティ博士は答えた。爆発事故と閉鎖の時期の事を話ながら、彼女は言った。「困難な時代には、人は自信に溢れた楽天的な人間を見たいと思うものでしょう。」そして彼女は付け加えた。「目を見ればその人の興奮の度合いは判るんですよ。」

廊下の先には、ジャノッティ博士と反対の番号を持つ、いわばライバルがいる。63歳のグイド・トネリ(Guido Tonelli)はピサ大学の元気溢れる教授で、CMS共同研究の新たなスポークスマンに就任した人物だ。アトラスとCMSのチームは同じ建物を共有し、自分達の装置のポスターが張られたホールやカフェバーで顔を合わせ、同じプリンターを使っている。そして時々隣り合って寝たりしていると冗談めかして言っている。

トネリ博士はCMSチームを率いる物理学者としては3番目で、おそらくは、ここに来るまでに最も長い道のりを経て来た人間だ。農夫と鉄道労働者の息子である彼は、ピサで育ち、家族の中で始めて大学に入学した。「大きな報酬の為に、勉強の時は最善をつくし、労働はその後にする」といった努力と犠牲のたまものだった。

彼の自白によればその当時彼は、大いなる野望の一助にしようと、大学の入り口近くに銅像が建っている高名な数学者、レオニーダ・トネリ(Leonida Tonelli)は自分の親族だと、教授に(間違って)信じさせたと言う。CERN内のグイド・トネリのオフィスでは、バレリーナをしている娘の大きなポスターが壁を占領している。

トネリ博士はヒッグス粒子を見つけることに全力をつぎ込んでいる。その発見こそは、過去と同時に未来を理解するうえでも非常に重要だと彼は言う。ヒッグス粒子を計測することで、はたして宇宙は安定しているのか、それともヒッグス場なるものは歪んでいて、最後には崩壊し質量の無い粒子が混ざったスープの状態に戻るのかを判断する手がかりが得られると言う。

2010年12月

バンプのゲーム

トネリ博士は自分の仕事は例外を探すことだと説明する。

全ての装置とあらゆる頭脳を結集しても、物理学者は今までヒッグス粒子を手に入れた事が無い。ヒッグル粒子は生まれるやいなや、より小さな粒子のシャワーとなって分解する。たとえば時には、ガンマ線の閃光のような形で散らばり、又時には光と同じ重さの粒子になって散らばってゆく。

したがって、ヒッグス粒子にせよ、別の新たなパラダイムを破壊する粒子にせよ、その痕跡は、例外的に多いガンマ線、又は別の粒子、となって現れるだろう。グラフに現れる異常なバンプ(bump:突起)だ。トネリ博士の話では、加速器が稼動している現在、そのような現象は月に1回は起きるが、ランダムな偶然でもやはり同じ様にバンプは現れるのだと言う。

もしそれがただの偶然である場合、より多くのデータを取れば、その現象は統計上の背景へと追いやられてゆくだろう。何回もコインを投げれば、表と裏が出る回数は次第に同じ数になってゆくように。もしそうならないのであれば、そのバンプは、ゆっくりと本物の発見へと成長してゆく。

物理学者にとって、発見を規定する黄金の基準は「5シグマ」だ。偶然に発生するチャンスが3500万回に1回以下である事を意味する言葉だ。

したがって、「私たちはあらゆる事をクロスチェックする」そして、おそらくは偶然に過ぎない全ての例外事象を「つぶそうとするんだ」とトネリ博士は言った。大体実験で起きる現象の99%はそういう例外事象だ。

「しかしその内の1つが全てを変えてしまうかも知れない。それは誰にも判らないんだ。」彼は言った。そして付け加えた。「私の人生でも最も興奮する緊張した日々だよ。」

完全な世界ならば、同じ5シグマの答えがそれぞれのグループで独自に、ほぼ同時に現れるだろう。しかし各グループは最初の発見者になりたがっている。たとえそれが、ほんの髪の毛1本の差であったとしてもだ。両方のチームとも、最終的に重大な発見へと育つバンプにフラグを立てそこなったチームになるのは嫌だ。あるいは偶然の産物に早く飛びつき過ぎて、馬鹿に見えてしまうのも嫌だ。両チームとも数百人の物理学者が、それぞれ別々の方法でヒッグス粒子、又は別の粒子が、現れたかも知れない事象をモニターしている。

2010年12月、トネリ博士は、ライバルチームのアトラスが、ヒッグスよりもさらに大きな発見になるかもしれない思わせぶりなバンプを、予想もしてなかった巨大新粒子を、追いかけていると言う噂話を聞いた。

「それは全く新しい粒子だったかも知れなかった。」トネリ博士は言う。

トネリ博士は自分達のデータをチェックする「急造対策チーム」を召集した。「数日間、熱のこもったクロスチェックをしたが、何も無いと言う結論に達した。」彼は言う。

後になって博士はアトラスチームのメンバー、その人物の名前を博士は思い出せないのだが、そのメンバーから聞かされる。アトラスのチームは彼のチーム、CMSの図面に刺激されて調査を始めたのだと。その図面はドイツでのワークショプで示されたもので、そこには小さなバンプが出ていた。トネリ博士と彼のチームは自分たちの尻尾を追いかけていたのだろうか?

アトラスの物理学者であるコロンビア大学のグスターフ・ブローイジマンズ(Gustaaf Brooijimans)は、CMS図面のバンプを見た事をおぼろげに覚えていると言う。しかしアトラスチームは自分達の内規に従って追跡を始めたはずだと言う。

その翌年、巨大な新粒子をほのめかす又別のバンプを巡る出来事があった。トネリ博士と彼の同僚は2ヶ月間、自分たちが宇宙時間の別の次元を示す証拠を発見したと信じていた。彼らはCERNの長官に報告し、発見を説明する報告書の下書きまで書いたが、発表はされなかった。そしてその信号は古くなった風船のように萎んで消えた。

「私たちはたくさん発見をしたよ。」トネリ博士は言う。「ほとんどが間違いだった。」

2011年春

イースター・エッグ・ハント

今までより大きな、誤った警報が発せられ世界を駆け巡った。アトラスチームからだった。

香港からヴァッサー大学を経てウィスコンシン大学へ進んだサウ・ラン・ウー(Sau Lan Wu)にとって、ヒッグス粒子はやりかけの仕事だった。彼女は2000年にCERNの初期の加速器、LEPと呼ばれる加速器で、ヒッグス粒子の証拠を見つけたと考えているひと握りの科学者の1人だ。CERNはその発見を認めないままLEPを閉鎖し、その場所に大型ハドロン衝突加速器を建設する。2011年春、ウー博士は再度ヒッグスを発見したと考えた。

陽気で落ち着いた物腰、そして赤を身に付けるのを好むウー博士は、かつて教えた47人の学生やポスドク・フェローたちの母親を自任している。教え子たちの写真は、CERNの彼女の事務所の外の廊下に並べられている。若いころM.I.T.でポスドクをしていた彼女は1974年にサミュエル・ティング(Samuel ting)がノーベル賞を受賞した研究、J/psiの発見を助けた。J/psi発見は物理学界では最後の大きな驚きだった。そして後に、陽子の中でクォークを繋ぎとめている粒子、グルオン(gluon)の共同発見者となる。

ウィスコンシン大学のウー博士のチームは1993年にアトラス共同研究に参加した最初のアメリカ人グループだった。彼らは加速器の再起動の時、その準備作業から加わっている。2011年のイースターの前、彼らは思わせぶりな過剰ガンマ線を検出していた。彼女と仲間たちは10年前に発見したものと同じヒッグス粒子を示すものだと考えた。

さらに刺激的なのは、ウー博士の発見したガンマ線は、理論的に予想される量よりもずっと多かった。それはヒッグス粒子が消滅の過程で一時的に、未だ科学者が知らない別の巨大粒子に変化している事を示唆していた。単なる粒子の発見を陵駕し、物理学だけで無く宇宙論をも揺さぶる大発見だった。

彼女のグループは短い報告書を書いた。アトラスの同僚へ警報を発する「内部覚書(internal note)」だ。その覚書は「現在手にしているデータは、標準モデルを超える物理現象に対する最初の決定的観測結果」だと示唆していた。

この覚書は秘密であるはずだった。調査結果は共同研究全体でのチェックと承認が済むまで外部には知らされないはずだった。しかし数時間もしない内に覚書の抜粋が、コロンビア大学の数学者、ピーター・ウォイト(Peter Woit)が運営する物理ブログ、Not Even Wrongのコメント欄にポストされてしまった。

物理学界の混乱はさらに続いた。シャルマ博士を始めとする何百と言う物理学者が家族と過ごすのをあきらめ、バケーションをキャンセルしてCERNへ舞い戻った。

その信号が単なる別の偶然の産物と判った後の影響は乱暴なものだった。誰にしろレポートの漏洩に責任のある者はアトラスチームを去れと示唆された。

ウー博士が認めるところによれば、彼女が自分でレポートを漏らしたと、多くの物理学者が思っていた。1年半後になっても、彼女はまだイースターの事件を述べる事に抵抗を感じている。

「私は余りにも興奮していて自分の感情を抑えられませんでした。」ウー博士は振り返る。彼女はレポートをアトラス・コミュニティーへの警報として書いたのだと言う。「CMSチームはバケーションへ行くだろうと思っていました。それで私たちが先手を取れると思ったんです。本当にすまない事をしたと思います。」

ジャノッティ博士にとってこの事件は口を閉ざす事の必要性を強調する教訓となった。そしてブロガーに対する不信感を強める結果になった。「ブログで外に出す前に、何事も共同研究の中で適切に理解されていなければいけません。」それでも、「長い時間の中では、こういった事が起きるのは避けられないでしょう。」彼女は付け加えた。「それでも私はいつも楽観的な態度を保とうと思います。」

CMSにとってこの事件は、シャルマ博士が言うとおり、「良い演習になった。」

トネリ博士は言う、「振り返ってみれば、アトラスチームに出し抜かれたと言う恐怖は有用なものだった。一回でも攻撃されたら集中する事ができるからね。」

2011年7月

依然として捕まえられず

テストが進むにつれ、両方の共同研究は等しく、消火栓からあふれ出るようなデータを飲み込んでいった。その間にも加速器は数百兆回もの衝突実験を積み上げていった。2011年初夏、アトラスもCMSも、W粒子の過剰を記録し始める。W粒子は、いわゆる弱い原子力を運ぶもので、放射線腐食を加速させる粒子だ。それはヒッグス粒子の存在を示す、また別の兆候だった。フランス、グルノーブルで開催された大きな会合の前夜、CMSのシャルマ博士と、アトラスのビル・ミューレイはCERNのカフェテリアでサミット・ミーティングを行い、互いのラップトップを開いた。

「私は自分のを見せて、彼は彼のを見せてくれたんだ。」シャルマ博士は言う。「私たちは何杯もコーヒーを飲んだよ。」

ミューレイ博士は振り返る。「バーン!、全部がとても良く見えた。」

そしてその結果は、グルノーブルの会議で満場が興奮する中、報告された。

しかしながらインド、ムンバイで開催された次の会議ではバンプは去っていた。

ミューレイ博士は言う。「全く奇妙だった。たくさんのデータが2度も現れ、そして無くなってしまったんだ。」

これは言わば、ヒッグスを巡る物語の始まりだった。

CERN衝突加速器が稼動を始める前、既に物理学者は悟っていた。もしヒッグスが存在するとしたら、可能性があるエネルギー範囲の中の狭いウィンドウでしか見つからないだろうと。おそらくは1150億電子ボルトから2000億電子ボルトの範囲内だ。彼らの仕事はこのウィンドウの中で、何かしら過剰なものとかバンプとかを調べる事だ。ちょうどスポーツファンが自動車のラジオのダイアルを回し、ヤンキース放送を見つけ出すように。

2011年秋までに、ウィンドウの殆どの部分は除外された。そして物理学者はウィンドウ全体が年末までには閉まってしまうかもしれないと心配し始めた。それは、ヒッグスが存在しない、あるいは少なくとも理論から導き出した最も単純化されたバージョンの予測が間違っている事を意味していた。そして理論物理学者たちを黒板へ戻し、我々の起源を説明するもっと優れた理論を探させる事を意味していた。

矛盾するかも知れないが、シャルマ博士を含む多くの「反権力的傾向を持つ」と自任する物理学者は、この予測に魅惑されていた。

ヒッグス粒子は標準モデルに対し、まるで鍵穴にピッタリはまる鍵のように適合している。標準モデルは自然界の殆どの力を説明する一連の数式であり、数々の論争で鍛えられてきたものなのだ。しかしシャルマ博士の説明によれば、物理学は驚愕によって進化するものだと言う。

「私がキャリアを通して行ってきたあらゆる観測結果は、標準モデルを確認してきている。」彼は不満そうに言った。

しかしトネリ博士にとって、これは暗い時期だった。彼は11月の会議を振り返る。その会議では理論物理学者たちが、ヒッグスと言う名が刻まれた墓が映った「恐るべきスライド」を見せながら、状況を要約していた。「ピーターはもう83歳だからね、」彼は粒子に自分の名前を残した物理学者を思った。「あれは良いアイデアとは言えなかった。」

2011年8月

無視するには大きすぎる

秋にアトラスで人員の交代があった。以前ロック・ミュージシャンだった人物で、ロウ・リード(Lou Reed)みたいな髪型をしてイアリングをつけたエイラム・グロス(Eilam Gross)が、イスラエルのワイズマン科学研究所(Weizmann Institute of Science)からやってきて、ミューレイ博士のヒッグス探索チームに加わった。産休を取った人物の代替要員だった。

グロス博士は、あまり一般的でないルートをたどってこのミッションに入ってきた。情報将校としてイスラエル軍で勤務した後、ニューヨークで音響技術を学んでいた彼は、偶然にフリチョフ・カプラ(Fritjof Capra)の書いた「タオ自然学(The Tao of Physics)」を呼んだ。物理学と東洋思想を融合した小冊子だ。

LEP加速器で働いていた頃、彼は自分で言うところの「ヒッグス戦士」になった。「ここには6000人のヒッグス戦士がいるんだ」彼は大型ハドロン衝突加速器についてそう言っている。「彼らは皆、ノーベル賞に値するんだ。」

彼は何年もの間、アトラスでのヒッグス探索の仕事へ申し込みを続け、ついには、ほとんどあきらめかけていた。ある日、自分に電話が掛かってくるまでは。

とうとう目指す仕事に就くことができた。グロス博士は自分の新たな役割に戦慄を感じたことを覚えている。「僕は何をしたらよいでしょう?」彼は尋ねた。

ミューレイ博士は彼に心配するなと言った。君は人生で最も大事な時間を過ごすことになるだろう。

そして、それには長くかからなかった。

物理学者たちがヒッグスの死にやきもきしていた間、不確実性の荒野では何かが起きつつあった。物理学者の図表に現れたW粒子によるバンプは姿を消していった。しかし別のものが、あたかも恥かしがり屋の少女のようなものが、遠景に現れつつあった。

振り返ってみるとこの少女が、正確にいつ現れたのか誰も思い出せない。しかし彼女こそが王子と結婚する運命にあった。

そのバンプは既に5月の段階で現れていたらしい。ミューレイ博士によれば、それはアトラスグループが1280億電子ボルトの近辺でガンマ線の過剰を発見した時だったと言う(それと比較すると原子核を構成する要素である陽子は約10億電子ボルトで出てくる)。そのバンプは単一の粒子と関連していた。ヨウ素原子と同程度の重さの仮定のエネルギー片だ。

しかし誰もそれに注意を払わなかった。「そこまででお終いさ。」ミューレイ博士は言う。

そのバンプは存在し続けた。次から次へと衝突が繰り返され、データが増えてゆくにつれ、上がったり下がったりしながらも存在し続けた。そして無視され続けた。秋を通じてそれは成長を続け、ついに3シグマレベルに達した。それが偶然である確率は740分の1、物理学者が「証拠」であると見なす領域に達してはいたが、まだ発見には足りない存在だった。

ジャノッティ博士はミーティングでバンプを見せられたときの事を覚えている。彼女の反応は特徴的に用心深いものだった。「ふむふむ。良いと思います。期待して置きましょう。」

グロス博士は目だって異なる反応を示した。11月終わりごろのある夕方、彼はパリのワークショップに出て、同僚の家に泊まっていた。夕食でワインをたっぷり飲んだあと、グラッパもすこし飲んだ彼は、カウチで寝てしまった。

彼が寝ている間にCERNから新たなデータが届いた。午前3時に彼の同僚、マルミ・カド(Marumi Kado)とアレックス・リードは静かに寝てるボスを起こすことに決めた。2人は彼に訊いた、ヒッグス粒子が見たいかと。

グロス博士は飛び起きた。「何だって?どこ?」彼は訊いた。後にブログで書いているように、彼らは皆ショックを受けていた。バンプはもう無視できないほど大きくなっていた。

「僕たちは自分の目が信じられなかった。自分たちが何を見ているか理解できるまで、ずいぶん長いことスクリーンを見ていたよ。」彼は言う。「これが本当の事だと、マルミとアレックスと僕が実感したのは、あの時が最初だったと思う。」

2011年11月

視界に出現する

壁の向こう側の(ほとんど)静かなチームの中でも、一つの信号が視界に出現してきていた。

CMSのトネリ博士は11月8日に最初にそれを見た。彼は所内を巡回し、若い研究員と話をしていた。朝のうちに1つのグループが彼に、一組のイベントを見せた、そこでは、4つの明るい粒子が飛び散っていた。珍しい「4レプトン」信号だ。ヒッグス粒子が崩壊するときの特徴的な軌跡の一つだった。

その日の午後、彼はカフェテリアで2番目のグループと会った。その中の1人がラップトップを開いてガンマ-ガンマ過程のバンプを見せた。又別のヒッグス粒子崩壊過程だ。それはほとんど3シグマで、朝見たバンプと同じエネルギーだった。約1250億電子ボルトだ。

「ミーティングが終わる頃には、皆目を輝かせていた。」彼は言った。「あの日は私の誕生日だったんだ。まるでこれは誕生日プレゼントみたいだって思ったよ。」

その次の週、パリの会議では、まだヒッグスの死を話している人たちがいた。トネリ博士は違う事を考えている世界でも数人の人間の1人だった。

「私は腹の中で笑っていたんだ。」彼は言う。

CMSのシャルマはサンクスギビングで家に帰って、長い間待ちわびていた家族との再会を果たした。

食事の間も彼のポケットに入っていたのは、2つの崩壊過程から得た結果を組み合わせた新しい図面だった。新たなバンプは1250億電子ボルトでのヒッグス粒子の存在を示していた。隣人は彼に研究についてしつこく尋ねたが、彼は話さそうとしなかった。

1年前、彼の同僚の多くはヒッグス粒子と、それに関連する標準モデルについて書き上げる準備を整えていた。しかし「サンクスギビングの日には、」彼は言う、「もう私たちは知っていた。ある意味悪ふざけの時間は終わりだってね。」

「もっと違ったふうだったら良かったのにとも思う。」彼は溜息をつきながら言い、そして付け加えた。「世界中の誰よりも早く知るんだ。それこそ望んでいた事さ。」

後になって彼は、人々の物理学に対する態度が数年前と比べて如何に変わったかを知り驚いている。数年前は、新しい衝突加速器が地球を壊してしまうのではないかと人々は恐れていた。そう言った恐ろしい話であるとか、「神の粒子(God particle)」の話だとかが公衆の注意を呼び起こし事は彼も認めざるをえない。「シャルマのやつがブラックホールなんかと関わっていると隣人たちが知ってから、家の庭で犬に小便をさせる人間がいなくなったんだ。」

2011年12月13日

長い挨拶

アトラスもCMSも、相手が何を知っているか11月28日まで判らなかった。その日、両チームのリーダー、ジャノッティ博士とトネリ博士が、CERNの長官であるロフル=ディーター・ホイアーのオフィスで長官同席のもとに会った。

少なくとも第1ラウンドでは、自然がアトラス側に良い手札を配った事は、当初から明らかだった。ミューレイ博士は、自分以外の2人も、それを再確認したことに安心した。

「もしヒッグスがあるのだとしたら、アトラスは幸運だった。一方CMSは不運だった。」彼は言った。

アトラスに従えば、新粒子は1260億電子ボルトの質量を持っている。CMSに従えばそれは1240億電子ボルトだ。

両方の実験とも、まだ発見を宣言できるような統計的精度、5シグマの精度に近づいてもいない。しかしながら別個の2つの実験が、だいたい同じ様な解答を示しているのは勇気付けられる状況であり、世界に向けて発表する価値があった。CERNは特別セミナーを12月13日に設定した。ジャノッティ博士が、歯科手術と歯ブラシの痛みをおして、CERNに集まった満員の聴衆とウェブキャストを見る世界中の物理学ファンへ向けて、最初に話をした。

「もしも私たちが幸運に恵まれれば、この発見を消し去るに足るほど多くのデータを得られるかもしれません。」彼女は言った。

もちろん未だ最善でも可能性の高いヒントとしか言えないこの発見を裏付ける、さらに多くのデータが集まる可能性もある。今や、偶然である確率は100分の1回になっている。

特別セミナーは次の大きな会議、7月4日にオーストラリアのメルボルンで開かれる高エネルギー物理学国際会議に対する注目を集める事になった。そのときまでには、加速器で集められるデータは倍増していることだろう。それまでにバンプが消えうせていなければ、少なくとも非常に興味深い報告がなされるはずだ。

トネリ博士は、最終的にこれがヒッグス粒子であろうと言う確信に何のためらいも無かった。彼は長官であるホイアー博士に「大群衆に備える」よう言った。そして古い友人でありヒッグス理論の設立者の1人であるエングレール(Englert)博士に、7月始めはバケーションの予定を入れないように言った。

しかし実験物理学者は今までに、有望な(そして非常に注目を集めた)バンプが現れては消えてゆくのを見てきている。「私はまだ、確たる証拠を見ていない。」カルテックの教授、スピロープル(Spiropulu)博士は言った。そしてシャルマ博士も警告した。「まだゲームは終っていない。皆、ヒッグスが見つからない事態にも備えるべきだ。」

2012年1月

あらゆる物質の母

ジャノッティ博士は性格上、手の内を明かさない人間だ。彼女は、ほとんど重なり合うバンプにはあまり興奮しなかったと言う。むしろわずか1年前まで存在していた、ヒッグスがいる可能性のある質量レンジのほとんど全てを、今や排除する事が出来たことに興奮していた。今やここ以外に残された場所は無い。

「それこそが正に重要な事なのです。」彼女は言った。「私にとってこれは、これから先の数ヶ月、どこに注目すればよいかが明らかになった事を意味しています。他の質量領域へ気を逸らされることは無くなったのです。」

これからはルールが違ったものになる。

バイアスを避ける為に、両チームとも、メルボルンの会議までは自分たちを「目隠し」し、不要なデータは見ないようにし始めた。ジャノッティ博士は、この時期のある時点からピアノを弾かなくなったと認めている。ピアノを弾くのに必要な集中力が保てなくなったのだ。

2012年1月、トネリ博士はCMSの指揮を、カリフォルニア州サンタバーバラにあるカリフォルニア州立大学のジョー・インカンデラ(Joe Incandela)に引き継いだ。この時点で退くのはほろ苦くないかとの質問に、自分は夢のような時間を生きてきたとトネリ博士は答えた。彼は自分を4人リレーの3番走者にたとえた、「私は自分の担当する区間で素晴らしい時間を経験した走者なんだ。」彼は言った。「人生でこれ以上のものは求められないだろう。」

暖かく格式ばらない物腰のインカンデラ博士は、ヒッグスが前任者の見ている時に発見された事を、まだ確信してはいなかった。

「発見したと思った日が何日もあり、まだ見つけてないと悟った日も又、何日もあるんだ。」彼は指揮を引き継いだ直後の昼食でそう言った。彼はCMSのような共同研究を「共産主義の最後の砦さ」と説明した。そして自分の新たな仕事は「毎日が危機だ」と言った。そしてグループは2011年からこっち、最後のデータを記録してから結果を解析するのに1ヶ月しか時間が無いと不満を漏らした。「たいへんなストレスだ。」彼は言った。「それをこの1年間また繰り返さなければならない。」

彼はブログ世界を騒がせている一つの考えを強固に否定した。2つの共同研究の結果を組み合わせれば、5シグマのゴールへ近道できると言う考えだ。「これはレースじゃ無い。20年かけたプログラムなんだ。」彼は厳しく言い放った。「とても真剣な仕事なんだ。」

インカンデラ博士は美術の世界から科学の世界へと迷い込んだ人間だ。彼はシカゴで成長し、彫刻家になろうとしてシカゴの美術研究所で学んだ。そして陶器の化学を学ぶうちに科学に興味を覚え、博士号を取るためにシカゴ大学へ進んだ。その後、CERNやフェルミラボで働いている間、1995年、トップクオークの発見を助けることになる。標準モデルにおいて最後に発見されたクオークだ。

彼は、自然を理解する探求における、深い哲学的かつ歴史的な視点を身に付けている。ヒッグス粒子は彼に、古代ストア学派の「生命原理(pneuma)」を思い起こさせる。生命原理は力とか均衡の一種で、宇宙を満たし、物質に実態を与える存在だ。それは歴史上、質量の起源について人間が思いを巡らした最初の例だ。

「ヒッグスはあらゆる物質の母親のようなものなのさ。」彼は言った。「全宇宙に関する何かしら非常に基本的なものを教えてくれるんだ。したがってその質量を計る事で、例えば、宇宙が安定しているのかどうかと言う事が判るかも知れない。それについて少しでも考えてみれば、それがどんなに信じがたい事か判ると思う。」

「だからこれは、私たちがどんなに深く宇宙の構造にわけ入っているかを示しているんだ。」彼は続けた。「そしてこの構造はあらゆるところに存在している。宇宙全部にだ。だから私にとって、ヒッグスにかかわる事は実に深淵な意味を持っている。他の粒子とは違うんだ。」

3月になると、ヒッグスがとうとう地球に現れたと言う感覚に勢いを加えるかのように、フェルミラボの物理学者たちも、テヴァトロン(Tevatron)加速器のデータの中に独自にバンプを見つける事が出来たと言い始める。テヴァトロン加速器は20年の間、世界最大の加速器だったが、昨秋、政府がもはや運営を続ける事ができずに閉鎖したものだ。CERNと同じように、そこでも2つのグループと2つの検出器が活動していた。今や2つのグループは最後の歓喜の瞬間へ向けて、そしてテヴァトロンでは何が起きていたのかを明らかにする為に、データを突き合わせ始めた。フェルミラボの物理学者たちは、1150億電子ボルトと1350億電子ボルトの間に大きなバンプを見つけ出した。CERNの結果と同じ範囲だ。

フェルミラボでの活動を指揮するドミトリー・デニソフ(Dmitri Denisov)は、それを見つけた時、e-mailに書いた。「これは明らかにクロスワードの答えとは言えないが、パズルの重要なピースではある!」

しかしながら、そのデータの統計的重要性はあまり高くない、100分の1回のチャンスで偶然の可能性があった。フェルミラボは数週間かけて、その統計上のチャンスを550分の1回へ改善した。残念ながら、ヒッグスの「証拠」として要求される基準である3シグマには届かなかった。もしこれが実際にレースであったとするならば、競技者の1人はここで脱落した。

その同じ頃スイスでは、大型ハドロン衝突加速器が休止している間に、グロス博士はガールフレンドのタリア・レヴィー・ティティアン(Talia Levy Tytiun)をアトラス検出器が設置された洞窟へ連れて行った。「決めたのさ、僕の人生のヒッグス探究時代のシンボルとなる場所でタリアにプロポーズイしようってね。」彼は説明する。

「でも信じてくれ、僕は彼女が確かにイエスと言ってくれるって、もう何千回も確かめたんだ。」

2012年6月

箱を開ける。

6月18日、メルボルンへ向けての準備の為、2つの実験グループはデータの記録を停止した。彼らは既にそれまでに、丸1年間で出来る限りの衝突実験、約400兆回の衝突実験データを集め終わっていた。

アトラスチームは1週間前既に、最初のバッチのデータ解析を始めていた。ジャノッティ博士は、同僚のカド博士が新しいデータの図面を送ってきた時、フェルミラボで会議をしていた。

ガンマ線はまだ検出されており、その重要性は大きくなっていた。粒子はもはや実体化寸前だ。ジャノッティ博士は返事を書いた。「おー、神様。」

1週間後、彼女のチームは別の重要な崩壊過程を調べた。彼女の気分は落ち込んだ。何も無かったのだ。彼女は数日間、昼も夜も、いったい何故失敗したのか考えながら、「神経が捻じれた」まま過ごしたと振り返る。

しかしながら次の2つのバッチのデータでは、「zed」過程と呼ばれる崩壊過程に9つの候補が浮かび上がった。「それは本当に美しかったわ。」ジャノッティ博士は言う。

6月14日午後10時、CMS物理学者の小さなチームが、自分たちのデータの「箱を開け」始めた。その夜遅く、インカンデラ博士は、いわゆる「4レプトン」過程の図面を受け取った。1240億電子ボルトのところにバンプが見えていた。

彼は後に作家のイアン・サンプル(Ian Sample)に言っている。その瞬間自分の人生は変わったと。

その日の午後、約300人の物理学者が、最初の結果の公開を受けた話を聞く為に部屋へ集まった。共同研究の全員が、ヒッグスが目の前だと知っていた。大勢床に座ったり立ったりしていたとトネリ博士は言う。その他にも307人がビデオカンファレンスで見ていた。

部屋は暑すぎて全てのドアは開いていた。トネリ博士は言う。「全員が感じていたんだ。自分たちが非常に重要な事をしているって。」

6月22日、ホイアー博士は、特別シンポジウムを7月4日の朝CERNで行うと発表する。メルボルンの会議が始まる日だ。すでにオーストラリア行きチケットを買っていた科学者は急いで予約の取り直しに走った。

その時点では、まだギャンブルに見えた。両方の実験グループとも、最も重要な5シグマには到達していなかった。

そして色々な科学者が主張していた、CERNはほとんど永遠にヒッグス粒子発見には至らないと。幾人かは、発見が公式のものになるまで、CERNは口を閉ざすべきだと言っていた。

「もしも4.9までしか持ってなければ発見と言うことは許されない。」ホイアー博士は後に言った。「しかし仮に5シグマにわずかに足りなかったとしても、私が2つの実験データを見ていれば、これを発見と呼んだと思う。何故なら、2つを組み合わせたら5を超えていたからね。」

両方の共同研究のメンバーは、メルボルンで発表するものはどんなものであれ、認可してもらわねばならない。それは、彼らのリーダーが大人数を動員して、何千ページと言う書類やレポートを読まなければならない事を意味していた。

CMSのインカンデラ博士は、まるで「狩り立てられた動物みたいに」感じたと言う。

「明らかにものすごいストレスを感じた。何故ってとてもきわどかったからね。」彼は振り返る。「1日に何回も言うんだ。『O.K.パニックになるなよ。俺たちはやりとげられるさ』って。でも私のゴールは、私たちが全てを正しく行うのを保証する事、共同研究のメンバーが後悔したりしないようにする事、そして共同研究のメンバーが皆、自分もこの1部なのだと感じさせる事だった。なぜなら、全員がこれの為に何らかの形で働いているのだから。」

自分のオフィスに近い会議室で彼は、十数名の優秀な若手アナリストからなるSWATチームを結成した。彼はチームのメンバーを自分の「キッズ(kids)」と呼んだ。若し偶然ライバル達と出くわしても「常に笑顔でいるんだぞ」と彼は皆に忠告した。

6月24日の夜、アトラスにいる大学卒業生やポスドクたちは、5シグマのフィニッシュラインへ向けて、用心しながらも前進していた。ニューヨーク大学卒業生のスベン・クレイス(Sven Kreiss)もその中の1人だった。彼は夜遅くオフィスに1人でいた時、前もって答えを一瞥してしまった。その時、彼はクロスチェックの一環として、特色ある2種類のヒッグス崩壊過程のデータを組み合わせていた。そして結果が5シグマを突破するのを目撃した。次の日、彼は図面を自分のアドバイザーで、その日が誕生日だったカイル・クランマー(Kyle Cranmer)へ送った。プレゼントだと言って。

クランマー博士は即座に、聖なる粒子発見に相応しい歓喜の悪態を返した。

粒子の発見を確認する仕事は最終的に、別の大学卒業生ペアに委託された。ウィスコンシン大学のハオシュアング・ジ(Haoshuang Ji)とミシガン大学のアーロン・アームブラスター(Aaron Armbtuster)だ。2人は11月にグロス博士を叩き起こした図面を送信した人間だった。彼らはそれぞれ、色々な崩壊過程を辿って検出器の中にその痕跡を残した全てのヒッグスのデータを解析した。

この計算結果にヒッグスの命運がかかっている。粒子はその性質どおりに振る舞っていなければならないのだ。

6月25日の午後、ジ氏は5.08シグマの結果を得たと発表した。ウー博士のオフィス前の廊下を歓声が通り抜ける。全員がプリントアウトへ駆けつけてサインをした。翌日、アームブラスター氏が同じ結果を持って現れた。

アトラスは5シグマに到達した。

後になってウー博士によってスコアカードが数えあげられた。

1000兆回の陽子‐陽子衝突

240,000個のヒッグス粒子

350ペアのガンマ線

レプトン崩壊過程で得た8組の軽質量粒子。

これ等、滴り落ちてくるわずかばかりの原子の雨粒から、6000人の物理学者は、ついに、真空の幽霊の顔を描き始めた。宇宙の密度を支配する秘密の存在の顔を。

顔を完成するにはまだ何年もかかるかも知れない。新たな粒子が標準モデルの予言にどの程度適合するかまだ判らないので、物理学者はこれを「ヒッグス的粒子(Higgs-like boson)」と呼び始めている。あるいは、クランマー博士が言うように「神の粒子(God particle)では無く、神のような粒子(God-like particle)」であるかも知れない。

「自然が何を見せてくれるのか、私たちには判らないんです。」ジャノッティ博士は言った。

彼女は付け加える。「もし私達がヒッグス粒子を見つられなかったなら、それは物理学の観点から見れば明らかにより興味深い事でしょう。しかしいずれにしても、新しい粒子の発見は素晴らしい事です。」

予定された発表の前の晩、インカンデラ博士はスピーチのリハーサルをしていて、自分のチームがまだ神経質になっている事に気が付いた。皆、発表の準備が出来てるのか?もう遅いんだ、と彼は皆に言った。5シグマに通達した。列車は駅を出てしまったのだ。「私たちは、自分たちのデータに寄り添うしかない。」彼は言った。

後になって彼は言った。皆、そう言う言葉が必要だったのさと。

2012年7月4日

シャンペンと乱痴気騒ぎ

CERNの事務局は特別シンポジウムの3日前に大講堂に鍵をかけた。人々が中でキャンプするのを防ぐ為だ。それでも前の晩には、学生や科学者たちが階段で寝始めていた。ヒッグス博士を始めとするヒッグス理論の設立者たち、エングレール(Englert)博士、ハーゲン(Hagen)博士、グラーリニク(Guralnik)博士は、7月4日の朝、スタンディング・オベーションと共に大講堂へ迎えられた。

インカンデラ博士はスピーチの原稿をその朝8時42分に書き上げた。セミナーは9時に始まる。会場に入る時の事を彼は思い返す。「あらゆる人が駆けつけてくれていた。私は本当に幸せだった。スピーチを心から楽しんだんだ。」

彼はある時点で、レーザーポインターを持つ自分の手が震えている事に気が付いた。「アドレナリンのせいさ。」彼は言った。「私の心臓は激しく鼓動していた。」

最後に彼は、新しい大きなバンプが見える、CMSの最終解析データを映した。大講堂は歓声に満たされた。

彼はCERNと世界に感謝を捧げる。「この結果は世界的なものです。」彼は言った。「そして今それは全人類に共有されたのです。」

アトラスのジャノッティ博士は、12月には最初に登壇したが、今回はインカンデラ博士に続かなければならなかった。CMSが発表したニュースの後では、自分の話に興味を持つ人がいるかどうか、心配だった。「自分自身に言いました。『いいわね、かりにあなたの成果が本質的なものだとしても、既に皆が見たものに比べれば、ある意味ちっとも新しくはないかも知れない。』」

しかし他の何物でも無いとしても、自分の話は、アトラスにいる3000人の科学者の情熱と能力への賛美なのだと、彼女は考えた。

「全てのスライドは、とても、とても大勢の人が成した仕事への報償なのです。私はとても誇らしく思いました。」

「そして私は、大講堂に座っているアトラスの同僚たちの視線からエネルギーを貰っているのを感じていました。」彼女は付け加えた。「彼らが非常に力強い熱心さで私を見ていると言う事実そのものが、本当に私に前へ進む力を与えてくれました。」

アトラスが達成した5シグマの結果を彼女が見せると、聴衆は再び爆発した。歓声は永遠に続くかのようだった。新粒子発見の宣言は、ホイアー博士の為に残されていた。

「私たちはやり遂げたと考えています。」彼は言った。再び歓声が起こった。ヒッグス博士は涙をぬぐっていた。

その朝はそのまま、シャンペンと乱痴気騒ぎへと流れていった。CERNの大講堂で、研究所で、教室で、そして世界のあらゆる時間帯で見ている各家庭の居間で、この宇宙の神秘を思う人たちがお祝いをした。ウー博士は群衆をかき分けて進み、ヒッグス博士を抱きしめた。

「私は一生の間ずっとあなたを探し求めていました。」彼女は言った。

「そうですか。」彼は答えた。「今やっと見つけたわけですね。」

~~ここまで~~

次回更新は6月8日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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