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エジプトでの交渉が決裂した経緯

エジプト情勢に関する記事をUpします。

記事を書いたのはデイビッド・D・カークパトリック(David D.Kirkpatrick)さん、ピーター・ベイカー(Peter Baker)さん、マイケル・R・ゴードン(Michael R. Gordon)さんです。元記事はここにあります。

アメリカとヨーロッパによる調停が失敗に終わった経緯が書かれています。

~~ここから~~

エジプトの交渉で、アメリカの希望は如何にして妨げられたのか

カイロにて――危険な対立を続けるエジプト国内で、緊張を和らげようと奮闘するアメリカとヨーロッパの外交官たちは、短い期間ではあったが、少なくとも何らかのブレークスルーをもたらせると考えていた。

失脚した大統領、モハメド・モルシ(Mohamed Morsi)を支持する数千人のイスラム原理主義者が、軍によって設立された政府からの弾圧に身構える中、ヨーロッパ人ベテラン外交官ベルナルディーノ・レオン(Bernardino Leon)は、収監されている反対派リーダー2名を数時間以内に解放する「兆候(indication)」が政府指導者にはあると、イスラム原理主義者に話していた。それに対する見返りとしてイスラム原理主義者側は、2つの抗議キャンプの人員を半分に減らすことに同意した。

そして1時間が経過したが何も起きなかった。さらに1時間が経過したが誰も解放されなかった。

アメリカ側は圧力を強めた。カイロを訪問中の2人の上院議員、アリゾナ州選出のジョン・マケイン(John McCain)と、サウス・カロライナ州選出のリンゼイ・グラハム(Lindsey Graham)は、モルシ氏を失脚させ新しい政府を任命した将軍、アブドゥル=ファッターフ・アッ=シーシ(Abdul-Fattah al-Sisi)と暫定総理大臣のハーゼム・エル=ベブラーウィ(Hazem el-Beblawi)と会談し、2人の囚人の解放を求めた。しかしエジプト側はそれを拒絶した。

「その場の雰囲気はとても好戦的だった。」グラハム氏はインタビューに答えて振り返った。「あの総理大臣は災厄だ。私に向かって説き続けるんだ、『あいつらと交渉なんかできない。あいつらは通りから出て行って法律を遵守しなければならない』とね。私は言ったよ。『総理大臣閣下、誰に対してであれ、あなたが法律の遵守を説くのは難しいのではないですか?あなたはどのくらいの票を集めたんですか?おっとそうだ、あなた選挙には出てないんでしたね。』」

グラハム氏の話では、シーシ将軍は「少しばかり権力にあてられている」ように見えたと言う。

上院議員たちはその日、8月6日、暴力的衝突が差し迫っていると確信し、陰鬱な気分のまま立ち去った。しかし外交官たちはまだ希望を捨てていなかった。少なくとも対話は失敗だったとエジプト政府が宣言するのは抑えられると考えていた。

その次の朝、政府は、外交的努力は尽きたと声明を発表し、これから起きる弾圧による犠牲は全てイスラム原理主義者側に責任があると非難した。1週間後エジプト軍は、抗議運動側に1000人以上の犠牲者を出すことになる残忍な攻撃を開始した。

合衆国政府による全ての努力、全てのなだめすかし、秘密裏の脅迫、ワシントンから送られたハイレベルの特使、そして国防相のチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)が個人的に行った17回の電話会談は、近代エジプト史における最悪の政治的流血沙汰を阻止することに失敗した。カイロの将軍たちはアメリカの要望を、最初は囚人の解放についての要望を、そして次は声明の発表についての要望を、無視しても問題無いと感じていた。そして自分たちが大きなコストを払わないで済むと冷徹に計算していた。その計算は、オバマ大統領が、15億ドルの年間援助では無く、合同軍事演習をキャンセルした事で裏付けられたのだ。

暴力的弾圧はオバマ氏を、勝利無き状況に置き去りにした。35年にわたって中東和平の基礎となってきたパートナーシップを危険にさらすか、権力に固執し反対派を弾圧する長年の同盟者に寄り添うか、どちらかしか無い状況だ。一方の側にはイスラエルとサウジアラビア、そして他のアラブの同盟諸国がおり、彼らが見るところの、より大きくてより差し迫った脅威であるイスラム原理主義者を排除すると言う目的のために、将軍たちを許容しろとロビー活動をしている。もう一方の側には、珍しくも保守派とリベラル派が交じり合った人々が、数十年間エジプト人の暮らしを特徴付けてきた独裁的なやり方に対して、より強硬な立場を取るよう求めている。

現在までのところ、エジプト軍との緊密な関係を維持すると言うオバマ政権の決断に基本的な変更は無い。しかし犠牲者数は膨れ上がっていて、街路は混乱の巷に堕し、政府もイスラム原理主義者側も紛争拡大を宣言している。軍が支持する新政府が、今や3年もたたないうちに街頭抗議活動で2人の指導者を転覆させたと信じている民衆に対して、古い形態の秩序を再度導入することができるかどうかは明らかで無く、民主的選挙に勝利したイスラム原理主義者勢力が、以前のように不満を抱えながらも引き下がるかどうかも明らかで無い。

オバマ氏が火曜日の声明の中で認識しているように、アメリカの対応は人道的価値に重きを置くだけでなく、国益にも重きを置いている。国内紛争で消耗する国は、もはや危険地帯の安定した同盟国としては機能しないだろう。

長引く頭痛

オバマ氏はエジプト政治の混乱した変遷を、2年間以上続く頭痛として付き合ってきた。エジプトの長年の支配者であり2011年の民衆蜂起で失脚したホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)大統領とは、長く付き合い過ぎたと非難され、後に彼を見捨てた時も又非難されたオバマ氏は、ムスリム同胞団のリーダーで1年前に選挙で選出されたモルシ氏に賭けた。彼にとってモルシ氏は、ガザ地区騒乱などに対処するうえで、現実的視点を持つ有用なパートナーだった。しかし次第にオバマ氏は、エジプト人は自分たち自身の故国を安定させる上では充分協力的で無いと、思わざるを得なくなっていった。

この春に国務長官ジョン・ケリー(John Kerry)がカイロを訪問した時、彼はモルシ氏に対し、反対派へ手を差し伸べるよう即した。もしそうしなければモルシ氏は、今度は自分に対する新たな抗議運動の場を作り出してしまうだろうと、ケリー氏は警告した。しかしこの示唆は、モルシ氏の妥協を拒む決意をさらに強めただけだったと、彼の側近は言っている。

他の派閥と協力することに対するモルシ氏の失敗、批判者をまるで陰謀に加担する鬼か何かのように見なす彼の癖、そして悲惨な経済危機が混ざり合って、イスラム原理主義勢力に対する反対運動となって燃え上がり、道路へと溢れ出した。ムスリム同胞団を常に嫌悪していた軍と情報局の強硬派は、権力の座における同胞団の実験は、80年に及ぶ地下活動のどの時期よりも同胞団を弱体化させたと見た。

オバマ政権は軍の介入に反対であるとの警告を発し、アメリカの法律の下では、クーデターを起こした政権への援助は行えないと注意した。しかしながら7月3日、軍は動き、モルシ氏を逮捕、彼の支持者多数を拘束した。

オバマ氏は声明を出さず、書面で事態の沈静化を図った。彼は、モルシ氏の放逐がクーデターに当たるかどうかの判断を避けることで援助禁止法の発動を回避した。その間、ケリー氏とヘーゲル氏は、出来るだけ速やかに文民統治の回復をするよう、軍に圧力をかけた。

オバマ氏は援助停止には同意しなかったがF16戦闘機の引渡しは延期した。その時点で政府高官は、9月に予定されているブライト・スター(Bright Star)と呼ばれる合同軍事演習の中止も検討していた。しかしホワイトハウスは、モルシ支持の抗議運動を一掃すると脅した将軍たちが、その発言の後始末をどのようにつけるつもりなのか見ることにした。

西洋の各国政府は、軍による最初の大量殺戮、座りこみ運動に参加したモルシ氏支持者60人以上を銃撃した7月8日の事件の後でさえも、注視しながら待つアプローチを取り続けた。西洋各国の外交官は、7月24日に、黒いサングラスに軍服姿のシーシ将軍が民衆に対し、デモ参加者に背を向け、イスラム原理主義者を排除する「信任(mandate)」を自分に与えるよう求める火の出るような演説をするまで、介入を控えた。治安部隊はさらにその日のデモで2回目の大規模銃撃事件を起こし、80人以上のモルシ氏支持者を殺害した。

翌日の朝、モルシ氏支持者や同胞団指導者の電話は、さらなる流血沙汰を恐れるアメリカやヨーロッパの外交官からの電話で鳴り響き始めた。

オバマ政権は、エジプトで始まった対立の両方の陣営に属する人々に協力を仰ぎ始めた。この地域でムスリム同胞団のパトロンとなっているカタールの外交官は、イスラム原理主義勢力への影響力を行使することに同意した。イスラム原理主義に断固反対するアラブ首長国連邦は、新政府との連絡を助けようと動き始めた。

しかし、カタールの人間や首長国連邦の人間が、アメリカ人の前で「和解(reconciliation)」について話している間にも、この地にいる西洋の外交官に言わせると、首長国連邦の人間はエジプト治安部隊の弾圧を個人的に煽っていたはずだと言う。

首長国連邦の外務大臣、アブダッラー・ビン・ザーイド・アール=ナヒヤーン(Abdullah bin Zayed al-Nahyan)は先月ワシントンへ行き、援助停止をしないよう求めた。首長国連邦はサウジアラビアと共に、軍による政権奪取を速やかに支持し、数十億ドルの援助を申し出て、援助停止や重要な貸し出し凍結といった西洋からの脅しの効力を弱めた。

イスラエルは、シーシ将軍が軍情報局長官を務めていたころからイスラエル軍との強い繋がりを持っていた関係上、やはり軍による政権奪取を支持している。西洋の外交官の話によれば、シーシ将軍とその取り巻きは、イスラエルの仲間たちと緊密に連絡を取り合っているらしい。外交官たちが信じているところでは、イスラエルは、アメリカによる援助停止は気にしないで良いと保障していて、西洋による圧力の力を弱めている。

イスラエル政府関係者は、援助についてエジプトに保障したことを否定するが、援助を守るためにワシントンでロビー活動をしていることは認めた。

ケンタッキー州選出の共和党上院議員ランド・ポール(Rand Paul)がエジプトへの軍事援助を停止する修正案を提出した時、影響力の強い団体、アメリカ・イスラエル公共問題委員会(American Israel Public Affairs Committee)は7月31日、修正案に反対する手紙を上院議員へ送付した。手紙では、修正案が「エジプトの不安定性を増大し、合衆国の重要な国益を損ない、我々の同盟者であるイスラエルに負の影響をあたえる」と述べられていた。影響力の強い議員数名も手紙と同じような主張をし、その日遅くの採決で、上院は修正案を86対13で否決した。

コネクションの構築

ヘーゲル氏は、国防相でありこの国の実質的支配者であるシーシ将軍とのコネクションを構築しようと努めていた。アメリカ政府高官の話では、ベトナム戦争での輝く戦歴を持つ66歳のヘーゲル氏は、ペンシルベニアにある合衆国陸軍大学校(United States Army War College)卒業生で58歳のシーシ将軍と4月にあった時、即座に「カチっと合わさった」のを感じたのだと言う。

ヘーゲル氏は一連の電話会談を通して、文民統制へ戻るようシーシ将軍に圧力をかけたと言う。彼らはほとんど毎日のように、1時間から1時間半、話した。通訳を介したことで話し合いは長引いた。しかしシーシ将軍は、イスラム原理主義がエジプトとその軍に与えている脅威を、オバマ政権は充分重要視していないと不満を述べた。将軍はその危険性をオバマ氏へ伝えるようヘーゲル氏へ頼んだと、アメリカ政府高官は言う。

「彼らが私たちへ売り込んだ話は全体として、ムスリム同胞団はテロリストだと言うことだった。」この会談について公表する権限を持たないあるアメリカ政府高官は、そう話した。

アメリカとヨーロッパの外交官は、ノーベル平和賞を受賞した元外交官で副大統領のモハメド・エルバラダイ(Mohamed ElBaradei)氏が率いる、対話的アプローチを好む数少ないエジプト暫定内閣高官たちが発言力を増すことを望んだ。2回目の大量殺戮が起きた7月26日、エルバラダイ氏は辞任しようとしたが、ケリー氏がそれを引きとめた。エルバラダイ氏は政府内で、唯一では無くとも、最も重要な抑制的意見の持ち主なのだと言って。

しかしシーシ将軍がエルバラダイ氏を信頼することは無かった。そして将軍の側には、ついにムスリム同胞団からエジプトを取り戻すチャンスが来たと見ている、小数のコアとなる軍高官たちが周りに結集している。その中には、シーシ将軍のメンターかつ父親的存在で現在情報局長官を務めるモハメド・アル=トハミ(Mohammed al-Tohami)や、軍情報局長官として後継者に任じられている取り巻きの1人、マフムード・ヘガジー(Mahmoud Hegazy)将軍が含まれている。そして2回の大量殺戮の後も、エジプトに対して深刻な反対が無かったことで強硬派は勇気付けられたと、この地の多くのアナリストは主張している。

ケリー氏は代理としてウィリアム・J・バーンズ(William J. Burns)をカイロへ送った。カイロでバーンズ氏はヨーロッパ連合の同僚と、危機の沈静化に奮闘した。

彼らが作り出したプランによれば、ムスリム同胞団はデモの場所を2箇所に限定する。群集を減らし、公式に暴力を非難する。政府も同じような声明を出す。そして、あらゆる政党が選挙で戦える対話的政治プロセスを確約し、その信義の明かしとして、解散された議会でムスリム同胞団の広報担当を勤めたサード・アル=カタトニ(Saad al-Katatni)と、より穏健なイスラム系政党の設立者、アボウル=エラ・マーディ(Aboul-Ela Maadi)を解放するというものだった。2人は共に、暴力を扇動したという、ありそうもない嫌疑をかけられている人物で、特にカタトニ氏は、軍による政権奪取前、妥協に対する現実的意見の持ち主であるのが証明されていると、西洋の外交団に受け取られている人物だ。

しかし8月4日、暫定政府は、同胞団の最高指導者(supreme guide)で現在潜伏中のモハンマド・バディーウ(Mohamed Badie)と、最も影響力を持つリーダーで現在拘束中のハイラト・エル=シャーテル(Khairat el-Shater)を、殺人教唆の罪で訴追することで外交団を驚かせた。

訴追のショックをさらに大きくしたのは、その訴追が出されたのが、バーンズ氏と彼のヨーロッパ人パートナーであるレオン氏がシャーテル氏との面会を許されるわずか1時間前だったことだ。シャーテル氏は対話の必要性を受け入れたが、プランを受け入れる保障はしなかった。

それでも外交団は、自分たちが政府にプランを通せるのではないかと言う希望を膨らませた。同胞団指導者や外交団の話では、8月6日の朝、レオン氏は、モルシ氏のアドバイザーでイスラム原理主義同盟のトップ・ネゴシエーターであるアムール・ダラグ(Amr Darrag)に電話し、カタトニ氏とマーディ氏が数時間以内に解放されると予想していることを話した。同胞団幹部の話しでは、しかしながら誰も解放されなかったので、ダラグ氏はレオン氏を電話で呼び出した。心配するなとレオン氏は言った。新政府は、アメリカの圧力に屈したとの評判を避けるために、一両日中に彼らを解放しなければならないとレオン氏は言った。

緊張の高まり

マケイン氏とグラハム氏は緊張が高まる中、カイロに到着した。最初に2人は大使のアンネ・W・パターソン(Anne W. Patterson)に面会した。「彼女の表情に表れていたよ。誰も耳を傾けないだろうってね。」グラハム氏は言った。彼は、イスラム原理主義者2人を解放するよう圧力をかけることと、人々を通りから引き上げさせるよう同胞団に働きかけることをオバマ政権高官から依頼されたことを告げる。

上院議員たちが政府高官にイスラム原理主義指導者2人の解放を要請した時、エジプト側の1人の女性が大声で割って入った。上院議員たちは、もし軍が選挙を行わなかったり憲法を改正したりしたら、合衆国は最終的に援助を停止すると警告した。

グラハム氏はシーシ将軍とした論争を振り返る。「もしモルシが近々に再選へ向けて立候補したら、彼は酷い敗北をこうむるだろう。」上院議員はそう言ったことを覚えている。「そうじゃないかね?」

「全くその通りだ。」将軍は答えた。

「だとしたら、君が今していることは、結果的に彼を殉教者にしてしまう。」グラハム氏は言った。「これはもはや、いかに酷く彼らがこの国を治めていたかと言う問題では無いし、彼らがいかに酷く民主的機関を貶めたかと言う問題でも無い。いまやそれは、君たちの問題になったんだ。」

総理大臣との会談の緊張感はさらに高かった。会談の場から立ち去った後、グラハム氏はマケイン氏に言った。「もし、あいつらの意見が、現場の雰囲気を代弁しているのなら、この問題の解決策は無い。」

エジプト国営メディアが、外交的努力が失敗に終わったと言う政府声明が近々出されるとリークした時、外交団は驚き、その発表を抑えようとした。

その翌日、同胞団リーダーの話では、ヨーロッパ特使のレオン氏は、囚人の解放は失敗したが、少なくともエジプト政府は声明を取り下げることには同意したとイスラム原理主義側に保障したと言う。

その30分後、結局、政府声明は発表された。「外交努力の段階は終わった」と、声明は宣言した。そして座り込み運動を「非平和的だ」と決め付け、やがて始まる暴力沙汰に対し、ムスリム同胞団を遠まわしに非難した。

アメリカとヨーロッパは、騙され利用されたと感じて怒った。「アメリカとヨーロッパは暴力沙汰を正当化するために利用されたんです」ダラグ氏はインタビューに答えて言った。「彼らは、クーデター政府が交渉失敗を宣言するためだけに呼び入れられたのです。そして事実として、何の交渉も行われなかった。」

バーンズ氏は不吉な予感を抱きながらカイロを離れた。カイロにいる西洋の外交団の話では、この時点での公式声明とは矛盾しているが、彼らが希望をあきらめたのもこの時だと云う。

ヘーゲル氏は暴力沙汰を避ける最後の試みを行った。彼は8月9日午後遅くシーシ将軍を呼び出し、90分に亘って話し合った。「ヘーゲル長官は抑制を強く要求した」と、この会談を知らされているアメリカ政府高官は話している。長官はここ数週間何度も主張している同じ要点を持ち出した。暴力沙汰を避ける、集会の自由を尊重する、対話的政権移譲に向けて行動する。

しかしエジプト政府内で実際に議論されているのは、戦術や非難だけだった。モルシ氏の下で内務相を務め、イスラム原理主義者の擁護を拒否して職を保ったモハメド・イブラヒム(Mohamed Ibrahim)は、数万人のモルシ支持者による座り込みを排除する唯一の道は、野蛮な力の行使しか無いと確信していた。しかし外交団やエジプト政府高官によれば、もし攻撃が事態の悪化を招いたら、イブラヒム氏は自分がスケープゴートにされるのではないかと心配していたと言う。

8月10日の土曜日、内務省高官はジャーナリストに、夜明けと共に警官が行動して、座り込みに対して兵糧攻めを始めると言った。水や食料の供給を絶ち、非暴力的力の行使を次第に強めると。しかし外交団の話では、その夜の内にイブラヒム氏は考えを変えたらしい。段階的アプローチは警官隊を同胞団の仕返しの標的にしてしまい、そのことで自分が責められると。

2日後、西洋の外交団の話では、イブラヒム氏と政府はエルバラダイ氏に犠牲者を最小にする新たなプランを告げたと云う。最大限の力ですばやく終わらせるやり方だ。そして軍は警察を支持することに同意した。しかし翌朝の攻撃は公式発表で600人以上の死者を出し、その数は直ぐにも膨れ上がりそうだった。昼過ぎまでにエルバラダイ氏は辞任した。

エジプト治安部隊が銃口を開く映像がワシントンのテレビ画面に流れる中、ヘーゲル氏は再度シーシ将軍を呼び出し、暴力は、「我々の長年の軍事協力を支えた重要な要素を危険にさらす」と警告し、後に声明の中にもその文句を入れた。ケリー氏も、暫定外務大臣のナビル・ファフミー(Nabil Fahmy)に向けて別途同様の指摘をした。

オバマ氏は、ブライト・スター演習のキャンセルを発表したが援助については何も言っていない。金曜の時点でアメリカ政府高官は、まだカイロとの電話会談を続けている。ケリー氏はエジプト側担当者と会談しており、特使を任命してイスラム原理主義者と直接話し合うようエジプト政府に求めていると、合衆国政府高官は話している。しかし両国の外交団と軍将校の話し合いは、まるですれ違っているように見える。

「今や数百万ドルの問いが持ち上がった」あるアメリカ軍高官は言う、「どのくらいの暴力沙汰が関係を断ち切る分水嶺となるか?という問いさ。」

~~ここまで~~

次回更新は8月31日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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