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パキスタンはその鉄道と共に錆びてゆく

パキスタンの鉄道に関する記事をUpします。

記事を書いたのはデクラン・ワルシュ(Declan Walsh)さんです。元記事はここにあります。

この記事はワルシュさんが5月10日にパキスタン内務省から国外退去処分にされる前に書かれたものです。

~~ここから~~

何十年もの怠慢の末、パキスタンはその鉄道と共に錆びてゆく

パキスタン、ルク(RUK)にて――白く輝く制服を着て制帽をかぶり、少し太めの胴体の上で窮屈そうに上着のボタンを留めた駅長は、プラットホームに立ち、決して来ることの無い列車を待っている。「削減さ」ニサール・アフメド・アブロ(Nisar Ahmed Abro)はあきらめた様に肩をすくめて言った。

パキスタン中央に位置するルク駅は椰子の木と田んぼに取り囲まれた人形の家のように小さな建物だ。かつてこの駅は、パキスタンの2大鉄道線の接続駅だった。北へ向かい砂漠を通ってアフガニスタン国境まで伸びるカンダハル・ステート・レイルウェイと、東西へ伸び、ヒンズークシ山脈とアラビア海の間の都市を結ぶ路線を繋げていた。

いまこの駅はゴースト・ステーションだ。この6ヶ月間1台もルク駅に列車が留まっていない。国有鉄道であるパキスタン・レイルウェイの経費削減の為だ。エレガントな駅舎は寂しくたたずみ、ひと気も無い。仕事の無い鉄道作業員は日陰でタバコを吸っている。水牛がゆっくりと通り過ぎて行った。

アブロー氏は事務所へ案内してくれた。背の高い置時計が静かに立たずむ天井の高い部屋だった。彼はお茶を入れながら額の汗をぬぐった。午後になって気温は上昇しているが電力はもう16時間も落ちたままだ。最近のパキスタンでは珍しいことでは無い。

彼の向かい側には、巡回中の鉄道エンジニア、ファイサル・イムラン(Faisal Imran)が座り、陰気な駅長の話を同情しながら聴いている。この状況は単なる列車だけの問題じゃ無い。かつての力強い鉄道サービスが衰退した以上の意味があると、イムラン氏は言う。これはパキスタン全体の話なんだ。

「鉄道は俺たちの国の真実の姿なんだ。」この暑さの中、お茶をすすりながら彼はいった。「パキスタンのことが見たければ、この国の鉄道を見るべきだよ。」

パキスタンを列車で旅すれば数々の脅威を目にすることだろう。驚嘆する広さを持ち、豊かな歴史に浸り、予想もしない喜びに満ちた国なのだ。しかし同時に、その旅はこの国が抱える問題の深さもあらわにする。

北西のペシャワールから騒々しい港町のカラチまで、その間のあらゆる主要な駅には、何故この国がその国民にとって、そして外の世界にとっての心配事であるのかを想起させるものが横たわっている。自然災害、頑強な反乱軍、目も当てられない貧困、前近代的な収奪政治、そしてメルトダウンしつつある経済。

4月に行われた選挙は、奮闘する民主主義にとって希望に溢れた瞬間だった。前総理大臣ナワツ・シャリフ(Nawaz Sharif)の党が60%という記録的に高い投票率で勝ち、大きな信認を得た。しかしこの選挙は、人々が抱える幻滅を敵とした、より大きな戦いに勝利を収めることはできなかった。宗教を元に建てられたこの国において、パキスタン人は信仰を失っている。人々は変化を渇望している。そして、核武装した誇り高いこの国の政府が作り出すどんなものであろうとも、進歩を渇望している。しかしそれは今もって達成されていない。

1日最長で18時間にも達する慢性的な電力不足はこの国の産業の足枷となり人々を憤慨させる。教育制度も健康システムも不適切でひどく荒廃している。国有航空会社であるパキスタン・インターナショナル・エアラインは去年3200万ドルの損失を出した。株価はひどいものだ。警官の給与は充分で無く腐敗しており、武装集団がはびこっている。この国に現在あるのは、物事が流動してゆくという不安感だ。

この失敗は、民主的指導者も軍指導者もが共に繰り返してきた何10年にもわたる誤った冒険、誤った政策、誤った運命の遺産であり、その対価は、この国の1億8千万の国民が払うことになる。

彼らにとって、タリバンの攻撃を知らせる悲惨な見出しだとか、失敗した状況に対する不毛な論争だとかは、あまり大きな意味を持たない。彼らの心を占めているのはもっと日常的な、しかしきわめて重要な物事だ。彼らは雇用を求めているし、子供たちへの教育を求めている。彼らは司法制度から公平に扱われることを求めているし、消えてしまうことの無い電気を求めている。

そして彼らは、列車が時間通りに動くことを求めている。

ペシャワール、傷ついた都市

旅のはじめ、アフガニスタンへと登ってゆく険しい山脈の麓にあるペシャワールの鉄道駅では、AK47を構える警官たちが護衛に立っていた。長い間、陰謀の中心地だったこの街の中に全部で40はあるだろうチェックポイントの1つがこの駅だ。しかし今、この街は明らかに戦場となっている。6年前最初にタリバンの攻撃を受けて以後、この街は情け容赦の無い自爆攻撃の波に見舞われてきた。街の中のどの場所といえども安全では無い。5つ星ホテルも、宗教寺院も、人々でごったがえす市場も、そして国際空港も警察署も外国の公館でさえもだ。この街の紛争による死者は数百人に達している。

列車システムは紛争に深く影響を受けた。数年前までは30マイル西方の名高いカイバル峠(Khyber Pass)へ向けて、最後の蒸気機関車の1つが煙を吐きながら部族地帯を通り抜けて走っていた。今その路線は閉鎖されている。線路は洪水に流されてしまった。仮にもし無傷で残っていたとしても、反乱軍のことを考えれば通り抜けるのは危険すぎる。

カイバル峠はこの国の鉄道サービスとして最も有名なカイバル郵便列車にもその名前を残している。紀行作家のポール・セロー(Paul Theroux)なども手記にその名を書き留めた。そしてこの名前は、パキスタン鉄道の最盛期を思い起こさせる。列車がエレガントで人気の旅行手段だった時代、富める者も労働者も等しく使っていた時代、そろいの服を着た車掌がお茶のトレイを運んでいた時代、アイロンの利いたリンネンのシートとシャワーが特等車両に備わっていた時代だ。

しかしながら、今プラットホームで待っているアワミ特急(Awami Express)には往年の魅力はほとんど残っていない。車両は質素で埃っぽい。ポーターはボロボロのユニフォームを着て走り回り、数少ない旅客からわずかばかりのチップを集めている。売られているキップは1種類、エコノミーだけだ。鉄道会社には発電機が不足していて、どんなエアコンも提供されていない。

「私たちは危機的状況にいるんです。」ペシャワールの駅長、カイル・ウル・バシャール(Khair ul Bashar)は、線路を切り替える巨大なレバーに囲まれながら言った。「私たちには、資金も技術者も機関車もありません。だから遅れが出るんです。」

152歳になった鉄道システムにおける、ここ数年の劣化の責任は主に、ペシャワール出身のある人物に帰せられる。元鉄道相、グラーム・アフマド・ビロウル(Ghulam Afmed Bilour)だ。パキスタンの長老支配政治が生み出した古典的人物である73歳のビロウル氏は、身内びいきであるとか、鉄道のリソースである資金や土地や雇用を、自分の支持者の世話に使ってしまうこととかで、常に非難に直面していた。そしてその間にも鉄道サービスは劣化を続けた。利用客は減少し路線は閉鎖され、あらゆる鉄道システムにとっての生命線である運送ビジネスは崩れ落ちていった。最後に鉄道が利益を出したのは1974年だ。

去年、全国腐敗対策機関はビロウル氏に対する調査を行った。裁判所は後に、鉄道省幹部2人を収監している。しかし大臣は訴追を免れ、インタビューに対して、資金の不足が主要な問題だと主張した。しかし最近になってビロウル氏は、パキスタン政治における別の側面を象徴する人物になっている。暴力闘争をする過激派との複雑な関係だ。

去年10月、アメリカ人が作った預言者ムハンマドを冒涜するビデオをきっかけに、ペシャワールで破壊的な暴動が持ち上がった時、怒り狂った群集は街の映画館に襲いかかった。その内の1つはビロウル氏の家族が所有しているものだった。暴動から1日たって、大臣は論争を呼び起こす提案をした。彼は、武装集団を含む誰でも、冒涜的なビデオを作った人間を殺した人物に、100,000ドル払うと言ったのだ。このジェスチャーによってビロウル氏は、タリバンからは気に入られ、殺害リストから氏を除外すると言われた。しかし武装集団の攻撃で由々しい被害を受けている彼の所属政党を、深く恥じ入らせることになった。ペシャワールの人々はこの事件を皮肉に見ている。ビロウリ映画館はタリバンが絶対許容しないような卑猥な映画をかけることで有名だったのだ。

しかし映画館は単に西洋文化を象徴していただけでは無い。映画館はこの引きこもりがちな街において、数少ない大衆娯楽だったのだ。

ペシャワールの残り少ない劇場の1つキャピトル(Capitol)のオーナー、カリド・サイード(Khalid Saeed)は、かつては豪華だった1930年代の建物の入り口ホールに座っていた。周りの壁には古いアクション映画の薄汚いポスターが貼られている。乱入してきた暴徒は、映写機を壊し、スクリーンに火を放ったと彼は言う。しかし幸いなことに、火は燃え広がらなかった。

それでも、暴徒たちのフラストレーションは理解できると彼は言う。「これは宗教の問題ではある。でも貧困の問題でもあるんだ。」タバコを吸いながら彼は言った。「ここには失業者があふれている。若い奴らにはやることが無いし行くところも無い。顔を見れば判るさ。皆、混乱しているんだ。」

タリバンが起こす暴力騒ぎは、土地の警察といえども一度も出来なかったほどの強力な夜間外出禁止令をこの街に強いた。サイード氏の話では、彼の息子は攻撃や誘拐を恐れて、暗くなってからは外に出ないという。そして依然として武装集団の攻撃は続いている。

「この辺りでは、明日何が起きるか誰にも判らない。」彼は静かなあきらめと共に言った。「いったいこれは、どんな生活だ?」

ビロウル氏のケースで言えば、全ての努力は最終的に無となった。数ヶ月前の12月、タリバンは彼の弟、政治家のバシル・ビロウル(Bashir Bilour)を殺害した。最近の選挙運動中、タリバンの自爆攻撃者は、ペシャワールのオールド市街を行進中のビロウル氏自身を、すんでのところで殺害しそこなった。そして最後に彼はイムラン・カーン(Imran Khan)に敗れて議会の椅子を失った。イムラン・カーンは、かつてのスター・スポーツ選手で、政府は反乱軍と戦うのでは無く交渉するべきだと主張している人物だ。

アワミ特急はペシャワール駅をゆっくりと出発した。節くれだった木が作る天蓋の下をすり抜け、人通りの多い服飾市場を通って進む。列車が郊外へ出るにつれエンジン音は早くなり、客車のドアは一旦大きく開いて又閉じた。旅客たち、商人、公務員、そして大家族は、古ぼけた皮のシートに散らばって座っている。

製氷工場で働く20歳のムハンマド・アクマル(Muhammad Akmal)は、結婚式に出るためにパンジャブへ帰郷するところだった。「僕も直ぐに結婚できると良いんですけどね。たぶん従姉妹の誰かと。」彼は言った。列車も遅くなり過ぎないと良いんですけどと、彼はつけ加えた。

列車はアトック(Attock)でインダス川を越える壮大な橋を渡り、16世紀にムガール帝国皇帝が立てた古い山砦の下を通る。そこは現在パキスタン軍の駐屯地となっている。

列車での長旅が持つセピア色のイメージは、古典的映画である「ガンジー」から最近の「スラムドッグ・ミリオネア」まで、西洋人がインド亜大陸に対して抱くイメージの中心を占めている。現実のアワミ特急は、そう言ったロマンチックなイメージをほとんど持っていない。作られて45年はたっているディーゼル機関車は、モクモクと黒い煙を吐き出しながら、うなり声を上げる。開いた窓からは、かなりの埃が入ってくる。曲がり角に来ると客車は乱暴に揺れる。

いつもこうであったわけでは無い。アメリカ西部で、鉄道の駅が1つずつ増えるのに従って開拓が進んだのと同じように、パキスタンもまた鉄道と共に形作られた。1947年の独立と共に、5,000マイルを超える線路を持つ国有鉄道が英国から引き渡され、国内各地に工場を設置するのを助けた。列車は都市へ移住者を運び、選挙運動をする政治家に移動手段を与え、インドとの戦争で活躍した。鉄道はやがて国内最大の雇用主となり、今も80,000人を越える従業員と共に、そうであり続けている。

今日しかしながら、何十年もの怠慢は重い対価を鉄道に果たした。紙の上ではパキスタン・レイルウェイは、約500台の機関車を持っているが、実際は150台あまりが就役しているに過ぎない。ほとんどのパキスタン人はバスの方を好み、鉄道に残された者たちは不満をつのらせ、時として反抗的になる。

去年の初め、パンジャブ州南のマルタンで、数十人の抗議する旅客たちが、子供をレールの上に横たえた。彼らが怒っているのは18時間で済むはずの旅が3日もかかっているからだ。その上彼らの旅はまだ目的地まで半分も来ていなかった。

さっぱりした白いシャツを着て野球帽を被り、列車の技術者席に座った無口な男、ハミード・アフメド・ラナ(Hameed Ahmed Rana)は、真鍮のハンドルをゆっくりと引きながら不平を漏らした。日本製機関車はあえぎながら震えている。「油圧に問題がありそうだ。」彼は言った。「あまり調子が良く無い。」

ラナ氏はパキスタン軍本部がある要塞都市、ラワルピンディ(Rawalpindi)の中へと列車を走らせている。街の中では、ひさしの下に砲身が突き出しているのが見えた。そこを過ぎると列車は南へ向かう。辺りの景色は、茶色い岩場から緑あふれる平野へと変わる。パンジャブ北部の、灌漑が行き渡った農場やオレンジの果樹園を、音を立てて列車は過ぎる。この辺りは軍が兵を募る心臓部だ。

車内では、日中の暑さが激しさを強めてゆく中、シーリング・ファンがけだるそうに回っている。満員の客車の中は、次第に村のティー・ショップのような匂いで満たされてゆく。人々はタバコを吸いながらお喋りに興じている。小さな商人たちのグループは、塩辛いスナックと温かい飲み物を持ち込んでいた。女性のいる家族連れは、プライバシーを守るために座席にシートで覆っている。

会話の内容は、避けようも無く政治や宗教の話題に向かった。色々な指導者それぞれの利点をめぐる議論が、心臓病の治療でカラチに向かうパシュトン人商人と、軍の戦車工場で働く技術者の間で持ち上がった。「もう全部、試したじゃないか」イライラしながら技術者が言った。「手に入れたのは、色々な可能性だけさ。もっと強い指導者が必要だ。ホメイニが必要なんだ。」

一群の陽気なイスラム伝道師、タブリッヒ・ジャマート(Tablighi Jamaat)宗教運動のメンバーたちが、外国人に笑いかけながら長い座席に割って入ってきた。そしてスナックを差し出しながらイスラムへの改宗を勧める。「私たちはこの世に長く留まれるわけではありません。」丸々と太ったごま塩髭のアブドゥル・カディル(Abdul Qadir)は、りんごの切り身がのった皿を差し出しながら言った。「人々は選択できるんです。天国か地獄かを。皆、後生のために働かねばなりません。」

ラホール:階級と腐敗

アワミ特急は喘ぎながらも、ほとんど時間通りにラホールの堂々とした古い駅へ到着した。1955年にここで、エヴァ・ガードナー(Ava Gardner)主演のハリウッド映画が撮影された。今、構内には空っぽの有蓋貨車が集められている。

かつではインド亜大陸を支配したムガール帝国皇帝の居所でもあったラホールは、パキスタンの文化や軍のエリートたちを引き寄せる場所だ。軍の兵舎の街、3車線の大通りが通り、芸術家やシックな人々が集まる場所。ここには又、152歳の鉄道帝国の本部がある。1960年代には、パキスタン・レイルウェイは市の土地の3分の1を所有していると言われた。今日でも同社は、堂々たる植民地時代の宮殿で業務を続けている。そこではオフィスの間の磨き上げられた回廊をクラークが走り回っている。

しかしながら、近寄って見れば、明らかな衰退が見て取れる。

列車の車庫や作業場が集合した広大なムガルピュラ(Mughalpura)鉄道複合施設、360エーカーの広さを持ち12,000人が働いている施設は、今40%しか稼動していないとマネージャーがこぼしている。頻繁な停電は作業を中断させ、パキスタンには珍しい頑強な組合は、雇用削減や給与カットのいかなる試みに対しても強硬に反対する。組合は経営陣を腐敗で糾弾する。経営陣は組合が硬直していると言う。ストライキは頻繁に起きる。

施設の門の外で、鉄道鍛造工のムハンマド・アクラム(Muhammad Akram)は、ピカピカ光る金属片の首輪をつけていた。その首輪には、彼が午前6時から午後6時まで「token hunger strike(象徴的ハンガー・ストライキ)」をしていると書かれている。システムは崩壊寸前だと彼は言う。「まるで、いつ落ちるか心配しながら、海の縁に座っているようなものだ。」

しかしながら、鉄道の苦境はラホールのエリートたちを潤している。この街の富は、伝統的に周りの郊外から得られていた。封建地主たちが貧乏農夫から地代を徴収していたのだ。何十年もの間、地主たちはパキスタンの大きく開いた格差を象徴する存在だった。税金を払わず、議会の議席を家族の世襲財産のように扱い、自分たちの土地に対しては自分たちが法律であるかのように振舞った。しかし物事は変わりつつある。最近になって地主たちは、新しいエリートたちに脇へ追いやられた。鉄道王国の中に建てられた金ぴかのカントリークラブに居場所を見つけた新参者たちにだ。

ペルヴェズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)将軍の軍事政権最盛期である2002年、18ホールのゴルフ・コースと体育館、3D映画館からなる贅沢な施設、ロイヤル・パーム・ゴルフ・アンド・カントリー・クラブがオープンした。加入費8,000ドルの同クラブは、新たな金持ちたちのショーケースとなった。自分たちの財産を不動産や産業、コネと腐敗で築いた家族たちだ。

ロイヤル・パームの金ぴかな社交場、高価なスーツを着た男たちや、飾り立てたガウンを着た女たちの集まりは、土地の社交雑誌の主要記事となった。2005年、この土地にポルシェのディーラーがオープンした時は、ユーロッパから来たエキゾチックなダンサーたちが踊るお祭り騒ぎの夕食会が開催されてオープンを祝った。幾つかのイベントではアルコールも振舞われたと言う。もっとも客は、カメラが撮っている時はワイン・グラスを降ろすように勧められた。

「ここはファミリー・クラブであり、ライフスタイルを選択する場所なんです。」支配人で建築家でもあるパルヴェズ・クレシ(Parvez Qureshi)は、ゴルフ・リンクを望む木目調のオフィスに座りながら言った。

しかしロイヤル・パームは、鉄道の骨の上に建てられているのだ。

鉄道の土地をビジネスマン協会にリースしたのは当時の鉄道相で前諜報機関チーフ、ジャヴィド・アシュラフ・カジ(Javed Ashraf Qazi)中将。彼はムシャラフ将軍の仲間だ。批判者は彼が非常に安い金利で土地をくれてやったと非難している。

「あれはきれいな取引では無い。全く違う。」財産の提供を強いられた1400人のメンバーを抱える士官社交クラブ、ガーデンズ・クラブのチェアマン、ナシル・ハリーリ(Nasir Khalili)は言った。

公務員の腐敗を調査する国家会計監査局(National Accountability Bureau)は去年、ロイヤル・パームの取引は、政府の債務へ数百万ドルの出費を強いたとの結論を出した。

軍が鉄道から金をむしり取とるのは、これが最初では無い。1980年代には、軍の支配者、モハンマド・ジア・ウル=ハク(Mohammad Zia ul-Haq)将軍が貨物事業を軍が運営する運送会社ナショナル・ロジスティックス・セルへ移管した。同社は麦を含むコモディティの運送市場を窮地に陥らせた。あまり公表されてないが、同社は又、C.I.A.の金で、アフガニスタンでソビエトと戦うジャヒディン反乱軍向けに密輸もしていた。

「貨物輸送が無くなって鉄道は破滅の道を進んだ。」紀行作家で鉄道ネットワークを専門とするサルマン・ラシド(Salman Rashid)は言う。

ある日の夕方、ロイヤル・パームのドライビング・グリーンで騒々しいコンサートが開かれた。数千人のティーン・エイジャーが人気歌手のアティフ・アスラム(Atif Aslam)を見に芝生の上に群がった。携帯電話会社が主催したパフォーマンスだ。武装集団が起こす暴力沙汰のために、ラホールでは公衆の場でのイベントは制限されていた。それで人が集まるイベントは、ほとんどこのような閉ざされた場所で行われるのだ。

約4000人の若者たち、その中の何人かは両親同伴で来ている群集を前に、細いジーンズをはいて毛皮の帽子をかぶったアスラム氏は、テストステロンの海の中、ステージの上を跳ね回った。歌声を響かせ、激しくギターをかき鳴らした。

多くの人は外国人へ向けて修辞的な質問を投げてくる。その質問はパキスタンの国際的イメージのために傷ついた彼らの自尊心を押し隠している。「僕たちがテロリストに見えますか?」コンピュータ専攻の学生で21歳のズハイブ・ラファカット(Zuhaib Rafaqat)は尋ねた。「西洋人は僕たちがそうだって見ています。でも見てください。僕たちは、他の皆と同じように、ただ楽しんでいるだけです。」

シンド:疎外に耐える

麦と綿花の豊かな農地を通り過ぎ、列車はシンド州へ入ってインダス河沿いの都市、サッカル(Sukkur)に止まった。1889年に完成したランズダウン橋(Lansdowne Bridge)が河にかかっている。この橋は、英国植民地経営者の技術的偉業だ。彼らは山を切り開き、渓谷をたどり、砂漠を横切り、やがてパキスタンとなるこの国に鉄道を作った、

鉄道プロジェクトはまず第一に、支配のための道具だった。最初は安い綿花をイギリスの工場へ運ぶためだった。後に帝政ロシアの侵略から北西部の前線を守るために兵士を運んだ。数万の建設労働者がこの仕事で死んだ。焼け付くような夏や、凍りつくような冬、それにマラリアや壊血病といった病で彼らは死んでいった。サッカル南部の水浸しの地域は最近の悲劇を象徴している。2010年の洪水だ。洪水はこの国の約5分の1を水没させ、2000万人が被害を受け、430億ドルの損失を経済に与えたと見積もられている。表土と村全体が泥に押し流され、いまだ元に戻っていない場所もある。

アワミ特急の埃っぽい食堂車では、アミル・カーン(Amir Khan)と言う名のコックが、直火の上で脂っこい鶏のだし汁をかき回していた。そして鍋をソーダ・ケースの上に置くと、洪水で荒れ果てた景色を指し示した。

「ザルダリはこいつをアメリカ人に見せるだろうな。そうすりゃ金を貰えるから。」カーン氏はけたたましい笑い声とともに、シンド出身の大統領、アシフ・アリ・ザルダリ(Asif Ali Zardari)の名前を出した。コックはマグカップをきれいに拭き取ると、もの思わしそうに少し黙った。「たぶん、ベナジールが生きてりゃ違ったんだろうが。」

2007年12月に起きた前総理大臣ベナジール・ブット(Benazir Bhutto)の暗殺は、パキスタンのトラウマとなると共に、鉄道にも傷跡を残した。怒った支持者たちは彼女の出身地であるシンド州で、30箇所の駅を襲撃し、137台の客車と22台の機関車を燃やした。ブット女史を守れなかった国に対する激しい抗議だった。

今日でも、列車は不満を抱くパキスタン人の標的となりやすい。アワミ特急が南へ進む中、鉄道警察が列車の中を通り、無愛想に旅客や荷物をあらためてゆく。去年ラホール駅で、バロック州分離主義者が小さな爆弾を爆発させ、2人の死者が出て以来、警察は鉄道の警備を強化している。もっと最近では、シンド民族分離主義者が、鉄道を攻撃目標にすると宣言している。

シンドはパキスタン国内在住ヒンドゥー教徒のハブでもある。ヒンドゥー教徒は、他のマイノリティと同様、社会の不寛容性が最近ますます深まるにつれ被害を受けるようになってきている。ヒンドゥー教の女性がムスリム狂信者に改宗を強いられた物語はメディアが大きく取り上げるスキャンダルと成った。去年、幾組かのヒンドゥー教徒家族が偏見に対する不満を訴えてインドへ移住した。しかしそういった人たちは例外だ。ほとんどのヒンドゥー教徒は国に残り、静かに生き延びている。

南部の都市ヒデラバードでは、蛇使いたちの集落、ウメルコット(Umerkot)が、土壁の砦の影にひっそりと存在している。明るい赤のターバンを巻きフルートを演奏する蛇使いの族長が、柳のかごから出てきたコブラを恍惚とさせていた。後になって彼は、「3フィートの蛇の鼻と口を避ける危険な演技」をする能力を証明する政府の認可状を見せてくれた。

「私たちの部族の半分はインドに住んでいます。」彼は国境付近の砂漠を指差しながら言った。「でも、私たちは自分を100%パキスタン人だと思っています。

カラチ:スラムの愛国者

カラチでは土地は宝だ。パキスタンの脈動する一大港湾都市。移民の街であり危険と機会に満ちた場所。土地が貴重で、しばしば血でもってあがなわれる場所。政治家も宗教指導者も犯罪組織もタリバン武装勢力も、皆土地をめぐって、しばしば武器を持って争う街。鉄道はここでも安易な標的だ。

市街地を曲りくねって進む鉄道線に沿ってスラム街ができ、線路のぎりぎりまで押し寄せている。この街へはもう何十年もの間、経済的機会を求めて移住してくる者が絶えない。ここ最近ではタリバンの暴力を逃れた人々がやってきている。

カラチの中心駅から少し歩いたところに、レイルウェイ・コロニーの10番ゲートが存在する。粗末な掘っ立て小屋が坂に向かって集まっている区画が、黒くて淀んだ、腐敗した汚水の水溜りで隔てられている。

そこの住人の1人、ナジル・アフメド・ジャン(Nazir Ahmed Jan)は30歳の頑健な人物で、珍しくも愛国心の強いパキスタン人だ。

友人たちからジャヌ(Janu)と呼ばれるジャン氏は、2009年に内乱が勃発した北西部のスワット・バレーから移り住んできた。タリバンが来たとき、彼の家族はクワザケラ(Khwazakhela)を逃げ出した。「川と山の間の」村だと言う。その村を説明するとき、彼の目は思い出に潤む。豊かな農地にそびえる山、そして家族で経営していた雑貨店。その店は後に戦闘で破壊された。

それと比べるとカラチは埃っぽくて醜いと彼は認める。彼は「コーラ(chola)」を売って金を稼いでいる。安い豆の粥だ。手押し車で鉄道沿いのスラムを通りながらそれを売る。それで彼は、1日3ドルくらい稼げる。たいした儲けにはならないが、2人の幼子を養うには充分な額だ。

しかしジャン氏は抑えがたい楽天家なのだ。故郷と比べれば、カラチは比較的安全だと彼は言う。そして彼には他にも気晴らしがある。

彼の家の片隅には古ぼけたコンピュータがあり、こっそり繋いだ電話線を通してインターネットにアクセスできる。彼はそれで詩を書いている。ほとんどがパキスタンへの愛を歌ったものなんだと言いながら、彼は作品を1つ取り出した。その中の対句は次のようなものだった。

「私の体を100に切り刻んだら、一つ一つから叫び声があがるだろう。パキスタン!パキスタン!パキスタン!と」ジャン氏の顔は曇った。作品を発表しようとして国営テレビや、軍の広報サービスにさえも接触したんだ、詩のページをゆっくり閉じながら彼はそう言った。でも誰も興味を示さなかったと言う。彼の詩は今、彼のフェイス・ブック・ページの中に押し込められている。

「私は故国への愛を表現したいだけなんです。」彼は言った。

政治家に不信を抱きながらも、彼はパキスタンの将来について非常に繁栄したビジョンを持っている。正義を提供する国、教育や健康保険を無料で提供する国、指導者が人々を豊かにする国、その逆では無い。「それこそが、人々に奉仕するイスラムのやり方なんです。」彼は言った。

ジャン氏は微笑んだ。そして胸の前で手を叩くとその場を辞した。彼は働かねばならない。手押し車を押す彼の顔から、山岳部から来た移民の表情が消える。子供たちが彼の周りを駆け回った。

彼はパシュトゥンの民謡を口笛で奏でた。手押し車の上では粥が揺れている。

遠くから列車の汽笛が聞こえてくる。駅に入るところだ。列車は間違いなく遅れていることだろう。

~~ここまで~~

次回更新は9月28日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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