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ルワンダ大統領、ポール・カガメ

ルワンダに関する記事をUpします。

記事を書いたのはジェフリー・ケトルマン(Jeffray Gettleman)さんです。元記事はここにあります。

ルワンダ大統領ポール・カガメ(Paul Kagame)さんに関する記事です。

~~ここから~~

世界のエリートが好む独裁者

ルワンダ大統領ポール・カガメ(Paul Kagame)は、少し前の土曜日、午前11時に私と会うことに同意した。カガメのオフィスは、ルワンダの首都キガリ(Kigali)の中央に位置する丘の頂上にある。私は、スーツにネクタイ姿の運転手が走らせるタクシーでそこに向かった。キガリに居る時はいつも、その清潔さと効率の良さに感銘を受ける。ルワンダが依然として世界の最貧国の一つであり続けていることを思えば、その感銘はさらに深くなる。土曜の朝と言うのに、一群の女性が白い手袋をはめ、静かな歌声を上げながらリズミカルに通りを掃除している。車は街中にあるユニオン・トレード・センター・モールを通り過ぎた。大きな噴水を囲むロータリーを、滑らかに自動車が通り過ぎて行く。ここにはゴミ一つ無く、他の多くのアフリカの都市で木とか壁とかにぶら下っている黒いビニール袋も無い。カガメの政府はそういったことを禁止しているのだ。若いホームレスが歩道で寝ていたり、空腹を紛らすためにシンナーを吸ってたりすることも無い。ルワンダでは、浮浪者や軽犯罪者は、警官に捕まってキブ湖(Lake Kivu)の中ほどにある若者向け「更正施設」へ送られる。緑豊かな島であるため、ルワンダ人が冗談まじりに自分たちのハワイと公言している場所だ。しかし、キガリの人々はその島のことを、まるでアルカトラスであるかのように囁き合っている。キガリにはスラム街さえ無い。単純に政府が禁止しているためだ。

昨晩、私は真夜中過ぎにレストランから歩いてホテルに帰った。他のアフリカの都市だったら考えられないほど愚かな行為だと想う。しかしルワンダは、私が過去に訪れた場所の中では、最も安全な場所の一つだ。その点ではスイスのチューリッヒ並だろう。だがその治安の良さは、ほんの20年ほど前、3ヶ月続いた狂気の中で大量の市民が殺害された事実、ホロコーストを含む人類史の中の、どの3ヶ月よりも多い市民が殺された事実と、容易には調和しない。ルワンダの虐殺においては、多数派のフツ(Hutu)族が少数派のツチ(Tutsi)族を襲撃し、約100万人の成人男女および児童を殺害した。そのほとんどは山刀や棍棒で殺されている。ルワンダ人によれば、それがどれほど恐ろしいことだったのか、外部の人間には認識することさえ困難だろうと言う。今日、この街では信号を無視する歩行者すらも、めったに見かけない。

仮に世界中ではないとしても少なくともアフリカには、これほどの短期間に全体の方向性を変え得た国は無い。そしてカガメはその変貌を巧みに指導してきた。他のアフリカの指導者たち、例えば美しくも可能性に溢れた故国を一直線に破綻させたジンバブエの誇大妄想狂ロバート・ムガベ(Robert MUgabe)とか、コンゴ民主共和国で、国が分裂して行っているのにビデオ・ゲームで遊んでいたと言われる、愛想は良いが無能のジョセフ・カビラ(Joseph Kabila)とかと比べれば、カガメはまるで神からの贈り物であるかのようだ。厳格でストイックで分析的で質素なカガメは、毎朝午前2時とか3時に起きると、エコノミスト誌のバックナンバーを繰ったり、国内の赤土の村落から上がってくる開発レポートを研究したりして、自分の政府が毎年受け取る援助金数十億ドルの、より良い、より効率的な分配方法を常に探している。支援国は、アフリカで援助金がどれほど役に立つかを示す輝ける実例として彼を持ち上げる。彼はダボスの世界経済フォーラムの定期出席者で、世界の有力者たちの友人だ。その中には、ビル・ゲイツ(Bill Gates)やボノ(Bono)も含まれる。クリントン・グローバル・イニシャティブは彼にグローバル・シティズン賞を贈り、ビル・クリントンはカガメのことを「国民の理性と感情を解き放った」と賞賛した。

このような賞賛が与えられる理由の一部は、カガメがアフリカにおける唯一最大の病である貧困に関して、議論の余地の無い進歩をもたらしたためである。ルワンダは依然として非常に貧しい。平均的ルワンダ人は一日に1.5ドル以下で生活している。しかしこの国は、以前に比べるとずっとましになった。カガメの政府は乳幼児死亡率を70%減らした。過去5年間の年度別経済成長率は平均で8%だ。そして国民健康保険プログラムを立ち上げた。西洋の専門化が、アフリカの貧困国には不可能だと言っていたプログラムだ。数々な課題に対し進歩的なカガメは、より多くの女性が政治に参加することを推進している。今日ルワンダは、他のどの国よりも議会における女性比率が高い。国内にも国外にも数え切れないほどいる彼を賞賛する人々は、彼が又、民族問題緩和のためにルワンダ社会を注意深く設計しなおしたと言う。1944年にこの国で爆発し、多くのアフリカの国の足枷となり、しばしば内戦の原因ともなる民族問題をだ。

一方カガメはおそらく、アフリカでも最も複雑な指導者だ。問題は彼がもたらした結果では無く、そのやり方だ。彼は情け容赦なく暴力的だと言う世評を受けている。賞賛が積み上がってゆく一方で、彼は自国民を弾圧し、隣国コンゴの残忍な反乱軍を密かに助けている。少なくとも、次第に数を増しつつある批判者はそのように言っている。その中には、国連の高官や西洋の外交官も含まれており、最近国外へ逃げた数え切れないほどのルワンダ人反対派も含まれていることは言うまでも無い。彼らは主張する、カガメの発展しつつある小ざっぱりした国家、時としてアフリカのシンガポールとも呼ばれている国は、今や世界でも最も束縛のきつい国であると。ルワンダ国内には安心して自由に大統領のことを話せる人間はほとんど居ない。そして生活の数多くの側面が政府の支配下にある。カガメの政府は最近、全ての草葺屋根の小屋を対象とした「絶滅キャンペーン」に乗り出した。政府はそういう小屋の数を詳細に数えている(2009年には124,671棟あった)。国内の幾つかの地域では、たとえ自宅の中であっても、汚い服を着たり、伝統的なビールを飲むときにストローを共用したりすることを禁止する法律が作られていて、村の人民委員が取り締まっている。なぜなら政府がそういった行為を不衛生だと見なしているからだ。多くのルワンダ人が、まるで大統領から個人的に監視されているように感じると話した。「まるで目に見えない目がいたるところから監視しているみたいです。」反対派政党のメンバーであるアリス・ムヒルワ(Alice Muhirwa)はそう言った。「カガメの目です。」

もちろん合衆国は、石油の供給を維持するとか、共産主義同調者やムスリム過激派を抑えるとかいった、戦略的利益を守るためなら、人権に関する懸念や民主主義の信条を脇において独裁者を支援するという長い歴史を持っている。しかしカガメの状況を、軍が民衆を殺戮したエジプトや、女性蔑視の王族が支配するサウジアラビアと違ったものにしているのは、ルワンダには目に付くような合衆国の権益は存在しないということだ。ここは中央アフリカの小国で、天然資源も無く、イスラム原理主義テロリストも居ない。それなら、何故西洋は、特に合衆国は、カガメの独裁的傾向にも関わらず、彼を熱烈に抱擁するのか?ルワンダで働くある外交官は私に言った。破綻国家や国家機能を麻痺させる腐敗の事例に溢れたこの大陸において、カガメは希少な発展のシンボルなのだと。カガメは、数十億ドル規模の支援産業全体のイメージを塗り替えた。「お金をつぎ込んだら、その結果を手にしたいと想うだろう。」その外交官は言う。名前を明かしたら率直な発言はできないと彼は強調した。もちろんカガメは「全く無慈悲だ」と外交官は言う。しかし彼を支援することは互いの利益になる。なぜならカガメはアフリカに対する支援が希望の無い無駄ではないことを証明し、正しいリーダーシップによって破壊された国家が再建しうることを証明したからだ。「我々にはサクセス・ストーリーが必要で、彼はそれを持っている。」

タクシーは私を大統領官邸の門で降ろした。イスラエル製マシンガンで武装した2人の護衛が警護している。これも又、カガメを特徴付けるものだ(私は今までこの地域でイスラエル製マシンガンを見たことが無い)。カガメの護衛は私を金属探知器にかけると、広々としたレセプション・ルームへ通した。そこには桃色の絨毯が敷かれ、ビデオ会議用の大きなテレビ・モニターと、重そうなカーテン、そしてコーヒー・テーブルが置かれていた。

私はエレガントな木製チェアに座りカガメを待った。私は強力で威嚇的な存在感を予想して身を硬くした。私は彼の姿を何百回も見ている。彼の公式肖像画は、ルワンダ国内のほとんど全ての政府関係オフィスや主要企業に掛かっている。こういったことはアフリカとか一部の世界では一般的なことだ。しかしルワンダにかかっている肖像画は巨大なのだ。ポスター並みに巨大で、際立って高い品質だ。カガメは、スーパーマーケットの蛍光灯で照らされた壁とか、きれいに掃き清められた大臣の執務室の中とかで見下ろしている。彼の頭はほんの少し傾いていて、その目は強力な光をたたえている。カガメについてルワンダ人に尋ねると、しばしば非常に誇張された言葉が返ってくる。救世主か贋キリストのどちらかだ。肖像画の前でひざまずき、目を閉じて祈りを奉げている人さえ居る。西ルワンダのある老人は私にこう言った。「80%の人は彼を支持していて、20%は違う。しかしこの20%の人たちは口を開かない。恐れているからね。」

だから彼がレセプション・ルームに滑り込んできた時、私は驚いた。彼は余りにも静かに入ってきたので、まるで隣に突然出現したかのようだった。彼は、はにかんだ微笑を浮かべて私を歓迎した。硬い背もたれの椅子に座った彼は、私よりも緊張しているかのように見えた。彼の目はオウムのような黒縁メガネの向こうであちこちに動いている。青いブレザーとピンストライプのシャツ、スラックスと磨き上げられたウィングティップの靴と言う服装だった。カガメの背が高いことは判っていた。約6フィート2インチ。しかし私が驚いたのは彼の痩せ方だった。骨ばった肩に繊細な手首という体はまるで杖のようだった。

現在55歳のカガメはウガンダの難民キャンプにある草葺屋根の小屋で育った(丁度今、彼の政府が禁止しようとしているような小屋だ)。彼のようなツチ族にとって、特別深い恥辱を感じる出自だ。ツチ族の君主は何世紀もの間ルワンダを統治していた。1959年に多数派のフツ族がテーブルをひっくり返し、何百人もの、おそらくは数千人ものツチ族を殺害し、カガメの家族を含む多くの生き残った者たちは、命からがら逃げ出した。12歳のカガメが家族と共にウガンダのキャンプで打ち捨てられた状況にあった時、彼は父親に訊いた。「どうして僕たちは難民なの?なんでこんなことになっているの?どんな悪いことをしたの?」

それが自分にとっての政治的目覚めだ、とカガメは言う。「それが全ての始まりだった。」彼は私を凝視しながら囁いた。彼は3時間に及んだインタビューの最初にこの話をした。カガメは開放的で打ち解けた楽しい気分のように見えた。彼は私の質問に熱心にうなずき、「若し君が気にしなければ」とか「君は正しい」とか言う言葉を差し挟みながら、完璧な回答をしようと努めていた。彼の英語には強いルワンダ訛りがあったが非常に流暢だった。訓練を経て兵士となった彼は、高校卒業後直ぐにウガンダ反乱グループに入った。階級を上がっていった彼は、カンサス州フォート・リーヴェンワース(Fort Leavenworth)の幕僚大学で短期間学んだ。アフリカの軍をよりプロフェッショナルにすることを目的としたペンタゴンの施策による留学だった。

しかしカガメは1990年、ルワンダを侵略するツチ族反乱軍の司令部に入るため、プログラムを早めに切り上げた。彼は直ちに、フツ族支配のルワンダ政府転覆を目的としたルワンダ愛国軍(Rwandan Patriotic Army)の指揮官となる。1994年4月、フツ族のルワンダ大統領が乗った飛行機が撃墜されるという事件が起きた。フツ族過激派は支持者へ向けて、主にラジオを通して、ツチ族の一掃を煽った。殺害部隊が山腹をなめて殺戮を始める。それはカガメの反乱軍が首都を急襲して権力を奪取し、虐殺を終わらせるまで続いた。カガメは国防相になり、副大統領になり、そして大統領となった。ルワンダ憲法の規定により、大統領職は7年間の任期を2期しか務められないため、彼は2017年に政府を去る。しかしキガリでは今この瞬間にも、彼が議会を説得して再選を可能にするよう憲法を改正させるだろうと言われている。あるカガメの支持者の女性にこれについて尋ねると、その人は、以前カガメはこの問題に言及していると答えた。安全保障とかルワンダ人の福利の問題は、3期目を許可するとかしないとかの単純な問題におとしめられるべきでは無いとカガメは言った。彼が権力を手放すつもりが無いことは明らかだった。

確かにルワンダは大幅な進歩を達成したが、この国は依然として人口問題の時限爆弾だ。すでに同国はアフリカで最も人口密度の高い国となっている。1100万人がメリーランドよりも小さな場所に押し込められている。そして最近施行された精管切除無料化プログラムにも関わらず、ルワンダの出生率は危険なほど高い。ほとんどのルワンダ人は小作農であり、その命は避けがたく土地に結び付けられている。そしてその土地は、パピルスの茂る沼地から雲を頂く山地に至るまで、利用し尽くされている。この問題にどう取り組むのかカガメに尋ねた時、彼は、自分の最優先事項の1つは、あまり多くの子供を生まないよう女性たちを促すことだと答えた。「私は学校においても一般社会においても、女性たちが『ノー』と言えるよう教育してきた。」と彼は言った。彼の額には集中していることを示すしわが寄っている。「他のことをするべきなんだ。女性たちはそれに値する。」深く根を下ろした態度を変えるには時間がかかると彼は言う。「しかしそれは上手くいっている。」

カガメに対する最も厳しい批判者も、多くの改善が彼の下で達成されたのを認めている。例えばルワンダ人の平均寿命は、1994年時点の36歳から56歳へ伸びた。かつてはマラリアで多くの人が死んでいた。しかしカガメの政府は広範囲の殺虫剤散布を実施し、数百万の蚊帳を配って睡眠中の人々を守った。マラリアを伝播する蚊は夜間に活動するのだ。そして2005年から2011年の間にマラリア原因の死者を85%減らした。

カガメは数百の新しい学校を作り、何マイルものハイスピード光ファイバー線を敷設し、懸命なインフラストラクチャー・プロジェクトへの投資をしている。その中には建設中の地熱発電施設のような環境との親和性の高いものも含まれている。ルワンダは今、この大陸で最も高い経済成長率を持つ国の一つだ。その国土はこれと言った天然資源を持たず、緑生い茂るアフリカの心臓部で海岸から数百マイル離れていると言う事実にも関わらずにだ。疑いも無く、ルワンダはシンガポールのような産業のハブになることは無い。原材料を輸送してくるのは、単純にコストがかかり過ぎる。そしてカガメが説明するように、ルワンダ人労働者は市場性のあるスキルも身につけていない。しかしカガメはコーヒーとかお茶とかゴリラとかによる収入を上げたいと考えている。ルワンダは最後に残ったマウンテン・ゴリラの生息地の一つなのだ。そして毎年、西洋のツーリストの大群がゴリラを見るために数千ドル払っている。

「ルワンダはあらゆる人の予想を上回って成長し、今なお、人々を驚かし続けている。」以前アフリカン・アフェアーズで国別アシスタント・セクレタリーをしていて、数千億ドルの合衆国援助をルワンダへ振り向けるのを助けた人物、ジェンダヴィ・フレイザー(Jendayi Frazer)は言う。

巨額の援助は、カガメが賞賛されるマネージャーであるからこそルワンダへ来ている。彼は現場へ足を運ぶチーフ・エグゼクティブで、イデオロギーよりも物事を上手く運ぶことに興味を持つ人間だ。彼は新しいテクノロジーを愛していて、――熱心なツイッターだ――規模の大きな野心的プロジェクトをマネージ可能な断片に分解することに長けている。ルワンダは、世界銀行が出す年度別ビジネス親和性の高い国ランキングで、2005年の158位から去年52位へジャンプアップした。それは正にカガメが政府内に特別ユニットを設置したからだ。そのユニットは、世界銀行の評価システムを、カテゴリー毎にブレイクダウンし、各項目別にどのような改善が必要か、正確に見積もった。

腐敗は「ゾウムシ(weevil)のようなものだ」とカガメは私に語った。それは国家の肉を食って入り込み「最後には国を殺してしまう」。彼はこの話を、ちょうど職員が2本の飲料水ボトルを持って来たときに言った。誰かがエアコンを切ってしまい、レセプション・ルームは次第に暑くなってきていた。私は蓋を開け、半分くらいを一気に飲み干した。カガメはボトルに手もかけなかった。

カガメは政府の色々なレベルをモニターするために革新的な方法を編み出した。それは各職員にイミヒゴ(imihigo)、つまりは目標をサインさせるというものだった。イミヒゴは会社におけるパフォーマンス契約に似ている。特定の目標を列記した何ページにも渡る文書で、その年度に設置する道路標識の数であるとか、収穫するパイナップルのトン数であるとかが書かれている。カガメのスタッフが私のために、幾つかのイミヒゴを印刷して渡してくれた。その全てにカガメ自身がサインしている。私はその、細目に対する異常なこだわりに驚かされた。ある辺鄙な地方における読み方を教わる成人の数(1,500)から、授精させる牝牛の数(3,000)まで描かれている。

ルワンダは非常に小さいので、首都から切り離された大きな領域を抱える他のアフリカ諸国と比べれば、野心的計画を導入するのが容易だ。複数の歴史家が私に話したところでは、ルワンダはアフリカの中の例外だと言う。何故ならこの国は常に緊密に支配されてきたから。19世紀にヨーロッパ人がアフリカを植民地にする前、ここには強力な中央政府を持った国がほとんど無かった。例外はルワンダとエチオピアだ。この両国は、例外的に肥沃で人口密度の高い高原が王国の発展を促し、訓練された軍隊が力を持たない大衆を支配している。今日においても、ルワンダとエチオピアは良く比較される。紛争を克服した社会、テクノクラート的で厳格なリーダーシップを持つが、同時に独裁的で無慈悲な社会。1944年に、ルワンダ社会に恐るべき速さで虐殺が広がったのと同じ社会現象が、どのようにしてこれほど素早くカガメが国を転換させたかを説明してくれる。ルワンダ人は指導者の言葉をその通りに行う傾向がある。それが隣人を打ち殺すことであろうが、蚊帳をつるすことであろうが。

私たちが話している間カガメのボディーガードの一人、背が低くてベストが膨れ上がった人物が2回ほど、単に何かをチェックするためだけに部屋へ入ってきた。外では日の光が情け容赦なく降り注いでいるが、部屋の中は厚いカーテンで日光がブロックされている。それで室内は、時間の感覚が失われがちだった。カガメはいよいよ気分を良くし、ルワンダ農夫が最近は前より多く肥料を使うようになったとか、農業における改善の話をした。しかし、彼のことを暴君と呼ぶルワンダ人反対派が増えていると言う話題を振ると、彼は緊張した。

カユンバ・ニャムワサ(Kayumba Nyamwasa)はカガメが最も恐れる反対派だと、私は多くのルワンダ人から聞かされていた。30年前ウガンダに居たころ2人は親しく、ニャムワサはツチ族反乱軍の早くからのメンバーで、後にルワンダ軍幕僚長になった人物だ。この春私が南アフリカに彼を訪ねた時、彼はカガメに対する憎しみを隠そうともしなかった。

「カガメは愚かなほど傲慢になった。」ニャムワサは私に言った。彼はカガメが犯した大きな間違いを数え上げた。コンゴに介入したこと、自分と同意しない者は誰でも遠ざけたこと。2010年に幾つかカガメの決断について疑問を表明し、逮捕の危険があると囁かれた後、ニャムワサは河を泳ぎ渡ってルワンダを逃げ出し、最終的にヨハネスブルグへ逃げ込んだ。ここなら安全だと考えて。数ヵ月後のある日の午後、ニャムワサの話では、彼が自宅のドライブウェイに車を乗り入れた時、一人の男がピストルを構えて車へ走ってきた。その男はニャムワサの腹を撃ち、とどめを誘うとしたが銃が弾詰まりを起こして逃げた。「カガメは俺を殺そうとした。」ニャムワサは私にそう言った。「疑問の余地は無い。」ヨハネスブルグは路上の暴力事件が絶えない街だが、ニャムワサは、その男は何も盗ろうとしなかったと言う。この銃撃事件に関連して6人の人間がヨハネスブルグで裁判にかけられている。その内3人はルワンダ人だ。

ルワンダは危険な諜報機関を持っていて、どんな場所でも任務追行が可能な暗殺者を送り出していると、複数の反対派の人間が言っている。イングランドで暮らすルワンダ人人権活動家、レネ・クラウデル・ムゲンジ(Rene Claudel Mugenzi)が私に話してくれたところでは、2011年3月にカガメがBBCのラジオ・ショーに出演していた時、ムゲンジは電話で入って挑発的な質問をしたと言う。ルワンダでアラブの春的な革命は起きないだろうかと言うものだった。数週間後、スコットランドヤードの警官が2人、ムゲンジの家の扉を叩き、手紙を届けた。「確かな情報源によれば、ルワンダ政府は貴殿の命に対し、差し迫った危険を投げかけていると思われる。」手紙にはそう書いてあった。ムゲンジは唖然とした。「彼らがU.K.で私を殺そうとするとは思ってもいなかった。」彼は言った(ルワンダ政府はムゲンジ殺害を計画したことを否定している)。

カガメが国際的な暗殺者の集団を使っているかも知れないと言う容疑を、目の前に座って、親切そうにじっとこっちを見つめる痩せた人物に投げかけるのは非常に難しかった。蚊が私たちの周りをブンブン飛び回っていた。カガメは厚いメガネを外し、ひょろ長い指をした手でぎごち無く叩こうとした。彼は何回か外していた。彼は政治的反対派についての私の質問に答えようとして、ニャムワサのような声高な反対派への不明瞭な当てこすりをした。彼らは「アフリカでは良いことは何も起きず、全ての指導者は独裁者で抑圧者だと言う」固定観念の上に生きている「盗人」だとカガメは言う。「抑圧者(oppressor)」と言う言葉を発する時、彼は私を真っ直ぐに見つめ、神経質そうな忍び笑いをした。

ニャムワサは私に、カガメの持つ知的な雰囲気に騙されるなと警告した。彼は事実として非常に暴力的だと言う。「戦争中は上手く行かないことがたくさん起きる」ニャムワサは説明した。カガメはいつでも暴力的に対応した。彼は悪意に満ちている。彼の兵士たちは彼を恐れ、実際憎んでさえいる。

かつてカガメの親友で、やはり2010年にヨハネスブルグへ逃げたデイビッド・ヒンバラ(David Himbara)は、カガメが怒った時の話を私にしてくれた。2009年のこと、ヒンバラの話では、カガメは、ファイナンス・ディレクターと軍将校である二人の部下を、大統領執務室に呼び寄せた。ドアを閉めると彼は、オフィスのカーテンを何処に発注したのかと、怒鳴り始めた。ヒンバラの話しでは、カガメが電話を取り上げると、2人の護衛が杖を持って入ってきた。カガメは2人にうつ伏せになれと言い、杖で殴り始めた。5分してカガメが疲れると、護衛が後を引き継いで殴った。その様子は、前にもそんなことがあったかのようだったと言う。ヒンバラはその光景を見て気持ちが悪くなったと言った。

私が話したことがあるカガメのかつての同僚は、ほとんど全員、何らかの殴打の話を持っている。かつてカガメの運転手をしていたノーブル・マラーラ(Noble Marara)はカガメに2回鞭打たれたことがあると言った。一回目は道を間違えた時。もう一回は、誰かがバックで車を柱にぶつけた時だった。「彼には実際、助けが必要なんです。」現在イングランドへ亡命しているマラーラは言う。「仮に私が彼を診断するとしたら、パーソナリティ障害だと言うでしょうね。」

ヒンバラは別の説明を持っている。彼の考えでは、カガメは自分の力で権力を奪取したが、依然として深い不安を抱えているのだと言う。「彼はほとんど高校へ行っていない。」オンタリオ州キングストンのクイーンズ大学で博士号を取り、カガメのシニア・ポリシー・アドバイザーだったヒンバラは言う。「彼と一緒に仕事をするのはいつも大変だった。私たちは常に、彼が発案者であるように見せる工夫をしなければいけなかったんだ。」彼は続ける。「彼のスピーチの原稿を書いた時、言われたよ。『お前はカナダで博士号を取ったから、私より頭が良いと思っているのか?お前なんか田舎者だ!この馬鹿げたスピーチはお前が読め!』それで私はこう答えた。『とんでもない閣下、あなたは大統領なんです。私が読んでもこれはただの馬鹿げた田舎者の作品に過ぎません。でも貴方が読めば特別なものになるんです。』私たちはそうやって彼を得意がらせたり慰めたりしたのさ。」ヒンバラは言った。「狂ってたよ。」

私がカガメに殴打について訊いた時、彼は椅子に座りながら私のほうへ体を傾けた。私たちは3フィートくらい離れていたのだが、その時は2フィートに縮まった。彼のあご鬚の白髪まで私には見えた。私が殴打の証拠を日付と名前と共に並べる間、彼は一度も口を差し挟まなかった。彼は私の予想に反して、物理的に部下を虐げたことを否定しなかった。しかし彼は2009年のヒンバラが言う出来事について、より穏やかな表現の話をした。彼に言わせると、誰も杖で殴って無いと言う。ただ1人の男は強く押したので、床に倒れてしまったと言う。

「私の性格なんだ。」カガメは言う。「私は非常に厳しくなることがある。その話のような間違いをすることもある。」しかし私が他の暴力事件について、さらに問いただすと、彼はイライラしながら答えた。「全ての事件の全ての名前について本当に話さなければいけないのかね?」彼は人を叩くことには「永続性(sustainable)」が無いと言った。その言葉に私は驚いた。こういった話題に使うには奇妙な言葉に思えた。部下を叩くことの唯一の問題は、そのような行動が長期的に見て有効化かどうかだけであるかのようだった。

2011年の高額なニューヨーク旅行について問いただすと、彼はさらに不機嫌になった。その時彼はマンダリン・オリエンタルのプレジデンシャル・スイートで一晩に15,000ドル以上使ってしまったと私は聞いている。これは、他のアフリカの大統領のようなクリスタル・シャンデリアの邸宅では無く、比較的穏当な家をキガリに構えて質素に暮らすことを誇りとする国家の首長には似つかわしく無い行為だ。ルワンダの人々がこのような浪費を許すと思うかと、質問しようとしたその時、カガメは私をにらみ付けて言った、「ちょっと待て!」

彼が友好的な態度から毅然とした態度に変わるその速さは、少し怖さを感じるほどだった。彼は明らかに敵対的質問に慣れてはいないようだった。カガメの批判者によれば、彼はルワンダの独立系メディアのほとんどを弾圧している。ルワンダ人ジャーナリストの一人、アグネス・ウィマナ・ヌクシ(Agnes Uwimana Nkusi)は最近、カガメに批判的な連載を発行した後、4年の刑期で刑務所に収監された。罪状は大統領を侮辱し、国家の安全を危険にさらしたというものだった。別の一人、ジーン・レオナード・ルガンベイジ(Jean Leonard Rugambage)は、カガメの政府によるニャムワサ殺害未遂疑惑の話を出版した日に、銃で頭を撃たれた。

カガメはしかしながら、素早く平静を取り戻した。彼は椅子に深く座りなおし、プロフェッショナルな話し方を取り戻し、ちょっとしたジョークを言うまで回復した。「コンテナの中に留まるだろうと思われていたとは、知らなかったよ。」マンダリン・オリエンタルの話に戻って彼は笑った。いつもの内気な笑いだった。「私は塹壕やテントの中で暮らしたこともある。だから穏当な暮らしについて誰かに教わる必要は無い。無いさ。」

私たちは話を続けた。私の最も興味があるトピックの一つは、「派閥争い」や「虐殺イデオロギー」を犯罪とする法律を通すことで民族紛争を解決しようとする彼の試みについてだった。その法律は、「邪悪な考えを広めたり憎しみを煽ったりする行為」を対象とした法律と定義されている。その中には「他人の不幸を嘲笑う」ことも含まれている。この法律は、民族に関する議論を封殺するとして、あらゆる方面から批判されており、カガメの政府は現在この法律を改訂中だった。カガメは、憎しみを説かない限りにおいて、ルワンダ人は自分たちの民族に関して自由に話してかまわないと言った。

しかし私が民族についてキガリの人々と話した限りにおいては、誰とも余り深く話すことはできなかった。ほとんどの人は、フツ族かツチ族かすらも話さず、単に自分をルワンダ人だと言った。生活費からレゲーのラップまで、ありとあらゆることを熱心に話す若いタクシーの運転手までがそうだったのだ。私は扇動者と見られたくは無かったが、一方で、国外にいるルワンダ人反対派の人から、多くのフツ族が抑圧されていると感じているのを聞いていた。それで私はある日、首都から離れれば、もう少しオープンに話してくれるのではないかと期待しながら、ルワンダの西の外れ、ニャマシェケ(Nyamasheke)地区へ車で出かけた。幾つかの丘を越えて100マイルそこそこを進む間にも、男たちが切り出したばかりの木材を運び、女たちが5ガロン缶に水を入れて運び、はだしの子供たちがぼろきれのボールでサッカーをしているのを見た。丘はそこら中、茶色と緑のきちんとした四角いスペースに細かく区分けされ、コーヒー豆やトウモロコシ、サトウキビ、バナナが溢れんばかりに実っている。全ての人が、ぼろをまとった農夫として、日の出から日没まで働いているようだった。

その夜、私は、道端で出会った学校教師のアルフレッド(Alfred)の家で過ごした。アルフレッドは濡れた床の小さな家に住んでいる。壁には「Jesus Loves Me」と書かれた鍋つかみがぶら下がっていた。家には電気も水道も通っていない。水は4分の1マイル離れた場所にあるパイプから貰っている。彼は10時間続けて教えていた。ルワンダの多くの学校では余りにも生徒数が多いため、政府は2部制を敷かなければならなかった。午前と午後で生徒を入れ替えるのだ。

私のために開けてくれた鰯の缶詰と、ゆでバナナの夕食をとりながら、アルフレッドが話してくれてことによれば、彼の生活はカガメによって改善されたのだと言う。「子供たちは私の時よりも、たくさん食べられるようになりました。」彼は言った。「あらゆるものが改善しています。安全、教育、健康。」私は、アルフレッドがカガメを賞賛しているのは、単に彼もツチ族だからだと思った。しかし民族を尋ねると、彼は笑って言った。「今日では、私たちは、それを口にしません。」彼は言った。「でも過去において、私はフツ族でした。」

翌朝、私は別のフツ族の男に会った。その男はより批判的だった。彼は私に、もし自分の名前を使ったら「あいつらが捕まえに来る」と言った。その男が打ち明けてくれたところでは、ツチ族は、大学奨学金から上級職に至るまで、全てにおいて政府に気に入られていると言う。そういう優遇措置は「虐殺の生存者」を助ける目的でデザインされたアファーマティブ・アクションの名を借りて行われていて、その対象者は、定義からいってツチ族だ。全てのシステムはツチ族を上に、フツ族を下に置くようにデザインされていると、彼は言う。そして「選挙の時、もしカガメに投票しなければ、党のエージェントは投票用紙を破り捨てる」と言った。2010年の前回の選挙の時、カガメは93%の得票率で勝利したが、その選挙は彼の政府が実質的に主要対立政党の選挙活動を禁じた後に行われた。

複数のルワンダ人が言っている。カガメの民族問題を沈静化させるやり方は、自分の民族グループであり人口の15%を占める少数派のツチ族が、全てをコントロールしているのを単に隠しているだけなんだと。もし誰も民族について言えないとすれば、ツチ族の支配について話すことも困難だ。私がこの問題を尋ねると、カガメは最初、ツチ族が実際に政治や経済を支配しているのでは無いと、説得しようとした。私が具体的に、厚生大臣、防衛大臣、外務大臣、財務大臣が皆ツチ族であることや、国内で最も富裕な人々がツチ族である事実を指摘すると、彼はツチ族が幾つかの分野で優位に立っていることを認めた。しかしそれは「不作為の結果でデザインによるものでは無い」と言う。多くのツチ族は自分のように国外で暮らしていて、そのことによる優位性を持っていると言う。それに対し私があからさまに批判的態度を示すと、最後に彼は言った。「このフツとかツチとか言う話の中に紛れ込んでしまったら、」彼は苛立ちながら言った、「この国の歴史が過去に持っていた卑しさの中で迷うことになる。そして混乱の中に取り残されることになるんだ。」

カガメの批判者の多くがフラストレーションを感じるのは、この国で行われている抑圧が秘密でもなんでも無いことだ。アムネスティー・インターナショナルのヒューマンライツ・ウォッチは、カガメの政府がルワンダ社会を弾圧する様子を詳細に記述したレポートを数多く出している。2010年の大統領選挙の後、西洋の高官は「政治スペースの不足」に不満を漏らした。その意味するところは、ルワンダが実質的に一党独裁国家になったと言うことだ。しかしカガメに向かう援助の蛇口が閉ざされることは無かった。合衆国からの援助は以前と変わらない。年間2億ドルの二国間援助だ。1990年代にルワンダ国内でフツ族狩りを兵士に許したことや、コンゴのジャングル深くへ逃げていたフツ族家族の虐殺までをも含む、数年に亘る残忍な行動を非難されたカガメは、批判を逸らすために、自分の強力なコネと数字で出された成果を有効に活用する。彼は又、西洋が持つ罪悪感も利用する。審判の日にルワンダを見捨てたことを政府関係者に思い起こさせる。彼の熱烈なファンの何人か、例えばビル・クリントン(Bill Clinton)は、後悔の念で涙したさえある。そのメッセージは明らかだ。ルワンダに関しては、外部のどんな人間も、道徳的に高い地位を占めることなどできない。そして何が正しくて何が誤りか、カガメに言える人間など一人もいない。

「ルワンダは容易な相手では無い」ルワンダ政府と開発プロジェクトで緊密に仕事をしている、ある西洋の政府高官は行った。「カガメは抑圧的か?全くその通りだ。私たちはそれについて、開放について、彼と話しているか?いつもだ。」しかしその高官は付け加えて言った。「私には事態がどれくらい切迫しているか判らない。彼が持っている諜報にはアクセスできないんだ。」ルワンダ国内やコンゴのフツ族反乱軍が依然としてカガメの転覆を謀っている可能性はあると彼は言う。「だから、我々は彼に対し、疑わしきは罰せずの態度をとっているのさ。」

カガメのように、感銘を与えると同時に抑圧的でもあるアフリカの指導者は、彼一人では無い。しかしながら彼はおそらく、最も感銘を与えると同時に最も抑圧的な指導者であるだろう。ウガンダのヨウェリ・ムセヴェニ(Yoweri Museveni)は自分の国を安定させ、27年間の執務中に多くの道路を舗装したが、その間にジャーナリストや反対党の人間たちを苦しめてきた。21年間エチオピアを統治して昨夏死去したメレス・ゼナウィ(Meles Zenawi)は、エチオピアの経済を発展させたが、反対派を叩き潰した。エリトリアの大統領、イサイアス・アフェウェルキ(Isaias Afewerki)はそのキャリアのある時点までは魅力的で進歩的な指導者だったが、途中から西洋の援助を捨て去り、反対派を輸送用コンテナに閉じ込めて地中に埋め、自分の国をアフリカの北朝鮮にした。特徴的なのは、これら全ての男が反乱軍指導者だった人間たちで、塹壕から大統領執務室へ駆け上がった者たちだということだ。おそらくは反乱軍としての、厳格な規律であるとか妥協の無い態度とかいった経験の何処かに、なぜ反乱軍指導者だった人間たちが、組織化や統治に優れてはいるが、民主主義にとっては恐怖でしかないのか、を説明する何かがあるのだろう。「こういった男たちは決して開放的にはならない。」非営利アンチ・ジェノサイド・グループ、イナフ・プロジェクトの設立者、ジョン・プレンダーガスト(John Prendergast)は言う。「彼らは開放的になることを単純に恐れている。」

私が話した外交官やアナリストには、カガメの独裁的性質について、全く気にしていない者が大勢いる。おそらくは、アフリカに対する期待値が低すぎるからであろうが、何人かは私に次のようにさえ言った。より多くのカガメ、より多くの巧みな独裁者、混乱し対立し易い社会を転換し、病院に薬をもたらし、道路に警官を配置し、木からビニール袋を取り去る人物、それこそこの大陸に必要なものなのだと。その主張はさらに続く。自由はこのような場所ではそれほど重要では無い。何故なら、全員がお互いに殺しあっているような時に、いったい誰が言論の自由だの報道の自由だのを謳歌できると言うのだ。最優先にされるべきなのは、安定を確保し、物理的災難を最小限にし、マラリアとか飢餓とか、アフリカ中に蔓延する抑止可能な貧困に駆動される病から命を救うことだ。

しかし合衆国のような支援国はコンゴにおけるカガメの介入に線を引いた。流血沙汰が大きくなり過ぎたからだ。去年、国連の査察官が入り、カガメの兵士がコンゴへ侵入し、市民の殺害や女性の輪姦で札付きの反乱軍M23と共闘して、コンゴ東部で破壊活動を行っているのをあばいた。コンゴはおそらく世界最大の悲劇の一つだ。想像しうる限りの天然資源に恵まれた国――ダイアモンド、銅、金、石油、水、肥沃な大地――それが互いに連動した一連の戦争に苛まれ、数百万の人々が殺されている。2002年の国連の報告書は、カガメの軍隊がコンゴの資源を略奪し、ルワンダを通して輸出して莫大な利益を得たと非難している。その取引には、おそらく最も悪名高い武器商人の一人、ビクトル・バウト(Viktor Bout)が加わっている。

カガメは常に、コンゴでのどんな悪行についても否定する。そして政府が兵士に、コンゴへの侵入を命令したという主張を強硬に否定する。しかし合衆国政府は即座に200,000ドルのルワンダ向け軍事援助を停止した。その額は確かに小さいが、非難の合図であることにかわりない。幾つかの西洋諸国も援助を停止したり延期したりしている。これはカガメが主要な宣伝戦で負けた最初の例だった。そしてそれこそ、私のインタビューをカガメが受けるかも知れないと予想した理由だった。何年間もインタビューの申し出を断った後で、おそらく彼は、何らかのイメージ回復の時期だと感じたのだろう。

私がコンゴの話題を取り上げると、彼は考え深くうなずいた。この会話が何処へ向かっているか承知しているようだった。彼は1990年代初頭から始まる両国の複雑に絡み合った歴史を私に説明した。最初コンゴ政府は、ルワンダのフツ族政府と協力し、カガメの反乱軍を押し戻そうとした。カガメがフツ族虐殺軍を敗走させた後、虐殺を指揮した多くの軍指導者や将校はコンゴに逃亡し、コンゴとの国境線の直ぐ向こうにある難民キャンプからルワンダへの攻撃を続けた。(その当時はザイールと呼ばれていた)コンゴ政府がフツ族民兵をかくまっていると信じて、カガメは1996年にコンゴを侵略した。そして暴力沙汰は今日まで続いている。今年8月末、迫撃砲弾がコンゴからルワンダへ飛来して、両国の緊張は再び高まっている。

ツチ族が支配するルワンダ軍は、歴史的に見てずっと、国境沿いにツチ族が支配する緩衝地帯を確保するために、密かに色々な種類のコンゴ武装集団を助けてきた。その緩衝地帯はここ数十年間、ルワンダとコンゴの間を行き来する人間や動物、それに物資のために、穴だらけの薄い膜でしか無い状態だ。カガメの話では、ルワンダに住むツチ族の多くは、もしルワンダが守らなければコンゴ国内にいるツチ族の親族は虐殺されると恐れている。彼は、幾つかのルワンダの教会が、ツチ族の自己防衛努力の一環として、コンゴ国内の反乱軍へお金を送っているのを認識している。しかしカガメの批判者に言わせると、そんな理由は、容易に手に入る豊富な鉱物資源を持った国へ介入する理由としてはとても薄弱だと言う。

大統領は又、数人のルワンダ兵士が実際にコンゴ国内で戦っているのを認めている。それは私の知る限り、彼の口から初めて出てきた言葉だ。しかし彼は、そのような兵士たちは脱走兵だと主張した。「一時期、我々にも数人の脱走兵がいた。彼らは単に去ってしまったんだ。」カガメは言う。これは何故コンゴ国内でルワンダ兵士が目撃されているかを説明するには、賢い方法かも知れない。しかしあまり本当らしくは見えない。ルワンダのような監視が行き届いた社会で、何処へ行くにせよ上官の命令とか見て見ぬ振りとか無しで、政府軍兵士が「単に去る」ようなことができるのか?そのことをカガメに問いただすと、彼は強固に自説を守った。「君は本気か?」彼は尋ねた。「何で合衆国はあれほどの努力を払いながらも、メキシコとの国境を麻薬とかその他全てのものが通過するのを防げないのだ?合衆国がやろうとしないからか?こういったことには、複雑な事情が絡んでいるんだ。」

カーテンの隙間を通して入る太陽の光は、もう傾き始めていた。そしてカガメの顔には、毎晩3~4時間しか寝てないことから来る疲労が見え始めていた。彼の回答は次第に短くなり、黙っている時間が長くなっていた。私と居る時間が長引くにつれ、カガメはほとんど憂鬱になってきているようだ。彼は別れの言葉を言うために、椅子からゆっくりと立ち上がり、スラックスのしわを伸ばした。「私は色々な呼び方をされてきた、」彼は言った。「その内の幾つかは受け入れるが、その他はフェアでは無いと思っている。」私が立ち去る直前に、彼はほとんど囁くような声で言った。「神は私をとても強くお作りになったのさ。」

~~ここまで~~

次回更新は10月12日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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