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ウェールズでウォーキング

連休と言う事で旅行記をUpします。

記事を書いたのはドミニク・ブロウニング(Dominique Browning)さんです。元記事はここにあります。

英国ウェールズのハイキングの記事です。

~~ここから~~

ウェールズの長い道を濡れながら歩く

私の考える天国は、長いウォーキングができる場所だ。あてどなく何時間も漂いながら過ごす。しかし私は、ヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)の自伝を読むまでは、歩いたマイル数とかに特別こだわることは無かった。彼もまた歩くことを愛する人だった。何百マイルも離れた町へ、ただ新しいオルガンを試すために、あるいは新しい仕事を探すために、何も考えずに歩く人だった。彼は何週間も何ヶ月も歩いた。私の希望としてはたぶん鼻歌を歌いながら。私はいつも、何で自分が自動車とか列車とか飛行機とかで旅行しているのか不思議だった。それも、いつも急ぎながらだ。私も1つの町から別の町へ歩いて行きたかった。私はスロー・トラベルを追い求めるようになっていた。

そしてそれこそが、私がウェールズへ歩きに行く理由だった。たいていの人は胸の中に、いつか訪れるべき場所を抱えている。私のリストの先頭にはウェールズがある。緑豊かで、謎めいていて、断崖に縁取られ、城砦の遺跡が点在している国。ウェールズが、870マイルにも及ぶ海岸線全部を通る公式の散歩道を持つ世界で最初の国となったのを知った時、私はもう待てなかった。特に魅惑的に見えたのは、断崖が波打つ海にそびえる南ウェールズのペンブロークシャー・コースト・パス(Pembrokeshire Coast Path)だ。

私はオンラインをスクロールしながらウォーキング・ツアー広告を出す多くの会社を見つけた。そしてセルティック・トレイルズ(Celtic Trails)を選んだ。同社は、道筋を決め、部屋を予約し、荷物の運送を手配してくれる。私は、風光明媚な場所に泊まりたいこと、そして夏の混雑したシーズンの後に歩きたいことを指示した。旅行ガイドは、秋の終わりの長雨には注意するようe-mailを返してきた。それで私は、9月の最終週を予約した。

問題は、1人で行くかどうかだった。あるいは、セルティック・トレイルズの言葉で言えばセルフ・ガイド・ツアーにするかどうかということだ。私は速く歩くたちだ。それで多くの人をイライラさせてきた。私の方ではゆっくり歩くのにイライラしていた。最初に提案された旅程はグループ・ツアーで1日4マイルというペースだった。私にとって充分きついとは言えない。道が「ニューヨーク・シティーの歩道」では無いと注意されてはいた。それでもそれはゆる過ぎるように見えた。しかしこういった旅程はグループ・ツアーである限り避けられない。

完璧に一人ぼっちになることを考えると、陰鬱な風景の中でふさぎ込んでしまう自分を想像して心配になった。幸いにも友人の1人で冒険には目が無いフランシス・パルマー(Frances Palmer)が同行することに同意してくれた。フランシスの同行者としての魅力の1つは、彼女もまた速く歩く人間だと言うことだ。かくして私たちは、2人でウェールズの海岸線を駆け巡る旅に出発することとなった。計画では60マイルを5日で回る予定だ。

友人と一緒に旅行するときには、色々な食い違いが避けられない。旅行に関して2人でした会話は次のようなものだった。

私:「ダイエットしましょうね。早起きして長い睡眠を取って。アルコールは無し。」

フランシス:「一杯のワインをあきらめるなんて無理よ。実際、今直ぐにも飲みたいんだから。」

私:「コンピュータも持って行かないつもりなの。携帯も電源を切るわ。完璧に離れるのよ。」

フランシス:「そんなの死んでしまうわ。そんな風には生きられない。」

とりあえず、私は健康的にやることで、そして彼女は幸福にやることで妥協した。9月も終わりになると、私たちは絶え間なく惨めな天気が続くニューヨークを離れられるのが嬉しくなっていた。フライトの次の夜、ヒースロー空港からパディントン駅へ移動して特別景勝とも言えない長い列車の旅を経た私たちは、スタート地点、ロンドンから約250マイル西のミルフォード・ヘブン(Milford Haven)へ着いた。

セルティック・トレイルズが私たちに送った旅程は、簡潔さの典型例とでも言うべきものだった。その旅程は、幾つかの基本的な知識、例えば英国鉄道システム(ヒースローからウェールズへ直接列車では行けないとか)を知っている人へ向けたものだ。ミルフォード・ヘブンの駅に列車が着いた時、私たちを待つ人は誰も無く、電話サービスも使えなかった。私たちは疲れ果ててパニックに陥った。

それでも30分後にタクシーが現れて、私たちをフィールド・ロッジ・ベッド・アンド・ブレックファストへ連れて行ってくれた。ロッジには奇妙なほどひと気が無かった。私のベッドの上には大きなパッケージが置かれていて、その中にはフィールド・ガイドや地図が入っていた。しかし両方とも酷く判りにくい。ウェールズ語というのはどうも、母音を(無くしてしまわないとしても)かなり違った位置に置く言語であるらしい。かなり頭にきた私はセルティック・トレイルズを呼び出した。「誰も説明してくれる人がいないのよ!インターネットさえ使えないんだから!何処に居るのかも判らないのよ!」ツアー・オペレーターは答えた。「インターネットなんて要らないんですよ。地図があれば良いんです。地図を郵送してありますよね。地図を見てください。」

私は余りにもナビゲーション・アプリに頼りすぎていて、旧式な普通の地図の見方さえ忘れているようだ。

パブに行き、ダイエットなどすっかり忘れて、美味しいフィッシュ・アンド・チップスのビア・バター衣揚げの夕食を済ませると、ロッジのオーナー、ジェイン・ハンコック(Jayne Hancock)が帰ってきた。私たちが、1950年代の気持ちの良いアーガ(Aga:台所用大型コンロ)の側に陣取ると、彼女が英国のウォーキング・システムについて説明してくれた。

セルフ・ガイドを成功させる第一歩は自分が何処に居るのか見つけることであるのは明らかだ。彼女は詳細に書き込まれた地図の上で、私たちの位置と、毎日の目的地に丸をつけた。彼女は潮の満ち引きチャートも読み解いてくれた。海岸を通るときは時間に気をつけなければならない。そしてどうやって距離を測るかも説明してくれた。私たちは道路のことが心配だった。道は良いですか?「ええ、良いですよ。ニューヨークの歩道とは違いますけどね。草の上を動物が歩いて付けた道を思い浮かべてみてください。そんな感じの道です。」

ハンコック女史は、私たちの心にかかった霧を振り払えたことで満足したようだった。しかし彼女は付け加えて言った。「道でどんなものに出くわしても受け入れて、自分で対処しなければいけませんよ。」

スロー・トラベルは大急ぎで始まった。翌朝、私たちは、デール(Dale)近くのガン(Gann)にある河口を飛び石づたいに渡るため、小雨の中へ急いで飛び出した。潮が満ちる前に4マイル先のその場所へたどり着かなければならない。その日の予定である10マイルのハイキングは、4マイルの回り道無しでも充分な長さを持っている。

断崖は低く、道は歩きやすかった。私たちの周りには花々が点在する牧草地が広がり、めったにお目にかかれない香りの強いハーブや、エメラルド色の陰を投げかける厚い草むらが、取り巻いていた。紫と真紅のフクシアとか、自分の庭で丁寧に育てている植物がいたるところに生えている。でもここではそういった植物は、とてつもなく大きな垂れ下がる潅木になっていた。ブラックベリーの茎は重たい実をやっとの思いで支えていた。

小雨はだんだんと強さを増し、私たちがガンのすべる石を何とか渡った頃には、しっかりした雨となった。打ち寄せる波が私たちの靴を濡らす。しかしこの、うっとりするような海岸の美しさと、長いウォーキングの目くるめくような自由がくれた感激は、どんなものにも冷まされることは無かった。私たちは濡れながらも、新鮮な空気の中、元気に足を進めた。その晩過ごす予定のデールの村に着いた頃には、湾を渡る波頭は白くなっていた。私たちは半島を回る5.5マイルのコースに取り組む前に、ベッド・アンド・ブレックファストへチェックインし、服を乾かすことにした。

魅力的な古い家、アレンブルック(Allenbrook)はまるで御伽噺から出てきたような建物だった。家は蔦の向こうに隠れ、庭は霧の中にもやっている。私たちはドアベルを何回も鳴らした。とうとうドアは開いたが、経営者のE・A・ウェバー(E. A. Webber)夫人は、私たちみたいな水を滴らせた人間たちを迎える気分では無いようだった。昨晩の結婚式で飲みすぎて二日酔いなんだと彼女は説明し、もうちょっと後で来て欲しいと言った。彼女がドアを閉めるとき、私たちの目には薪がはぜる暖かそうな暖炉がかい間見えた。大きなアジサイの花が雨に中に頭を垂れていて、どこかで孔雀が鳴いている。私たちは半島を回る旅に取り掛かった。

戻ってくると、ウェバー夫人の機嫌は良くなっていた。「あんたたちを雨に中に追いやってしまって少し気が咎めていたのよ。でもきっとその方が、あんたたちにも良いと思ったのよね。」彼女は言った。

アレンブルックは、私たちが旅の間に泊まった宿の中ではハイライトだった。私たちは、1週間でも宿泊していたかった。アームチェアは深く、バスタブは大きく、本や絵画がたくさんあり、珍しい小物があちこちにある。銀の煙草入れケースのコレクションとか、剥製の鳥とか、高価な陶磁器。台所では籠に入ったオウムが鳴いていた。ウェバー夫人が描いた生き生きとした鳥の絵が壁に飾られている。

その夜眠りにつくとき、ある事実を思いついた。た。私の人生において、1つの町から別の町へ歩いて移動したのはこれが始めてだった。私は素晴らしくも高貴な感覚に満たされた。力強さと不屈さに満ちた感覚だった。

私たちは窓ガラスを叩く雨音に目が覚めた。朝食の時、おそらくは結婚式で散在しすぎて少し倹約家になったのか、ウェバー夫人は私たちが出立しないのを恐れたらしく、雨はあがると確約した。しかし隣のテーブルで食べていた2人の水夫は、きっと私たちは大変な目に逢うと予測した。「今日はずっと雨さ」一人が保証した。「でも問題ないだろ、違うかい?適切な装備さえあればね。」

彼らの装備は素晴らしかった。体の隅々まで防水されている。バックパックまでが、エアコンのカバーを思わせる目新しいビニールのカバーに覆われている。彼らは私たちの装備に疑わしそうな目を向けた。私は綿の上着にダブダブのパンツを履いていた。それがどれぐらい風を受けるか、ほとんど考えていなかった。私たちは14マイル先のブロード・ヘブン(Broad Baven)へ向けて出発した。私たちはゆっくりと進んだ。狭い獣道を縁取る長い草は、くるぶしをくじきかねない凹みを隠している。私のつま先はだんだんと痛くなってきた。私の古い靴の底はコンクリートのように感じられた。一瞬、ニューヨークの歩道が恋しくなった。

雨と同じように風も私たちに襲い掛かった。私たちは他に雨具が無いか荷物を全部開けてみた。フランシスが適切な装備無しには、決して何処にも出かけないと学んだのはその時だった。出てきたのは、パールのネックレスと赤いリップスティックだった。

私たちがさらに遠く西へ進むと、景色はより険しくなっていった。海岸には悠久な波の浸食でドラマチックに削り取られた岩が見える。道はところどころ、かなり痛んでいる。これは子供向けの旅行でも不安を抱える母親向けの旅でも無かった。クリフス・キル(Cliffs Kill)と書かれた道端の標識が、この場所で人間とか動物とかが落ちていったのを示している。標識は抽象的で、道を指し示してはいるが、次の町までの距離は示していない。

雨は激しく降り続いているが、私たちは、はるか下の海岸で横になるアザラシを見るために歩みを緩めた。黒い顔の羊が牧草を食べている。息が詰まるほど圧倒的な海岸の景色に私たちはうたれた。途中で見つけた数々の小さな奇跡は、私たちの足を止めた。ナメクジが長い草の上を、小さな威厳を保ちながら動いている。ツタで覆われた壁には、キラキラ光る花が顔を出している。そしてつねに私たちと共にあったのは波打つ大海原。岩の上に盛り上がり渦巻きを起こしてくだける波だ。

よく言われる格言に、誰かと旅をすれば話し相手がいる、一人旅の話し相手は世界だけだ、と言うのがある。だがこの言葉はフランシスを考慮に入れていないようだ。彼女のおかげで、私たちは旅仲間と出会えた。そして他の人はどういう風に旅を計画するのか学んだ。何人かはレンタカーでスタート地点に来て数日歩き、バスで帰る予定だった。別の人は、好みの装備を勧めてくれた。全ての人が、ブリテンの色々なところを歩いていた。複数の人がコーンウォール(Cornwall)の壮大な険しさを推奨していた。

ウェールズの海岸を歩きながら、私は、色々な文化の中で、人間が如何にして周りの景色を作り上げるかを考えていた。合衆国では車の文化が支配的だ。もちろん私たちも自然公園の中に長いハイキングコースを持っている。しかし私たちは、町や都市の間を歩いて移動したりしない。その代わりに私たちは驚くべきハイウェイ・システムを作り出した。それは曲りくねりのたうちながら、息を呑む景色の中を通っている。例えば、北カリフォルニア海岸に沿ってすすむゴージャスなルート1、又は南東にある景色豊かなブルー・リッジ・パークウェイ。あるいは又、雄大なハドソン川の景色を独り占めにする、マンハッタンのウエスト・サイド・ハイウェイもそうかも知れない。もし私が、自分が住むローデ・アイランドの海岸の町から、ほんの15マイルほど離れたマサチューセッツ州パダナラム(Padanaram)の愛らしい村へ歩きたいと思ったら、私は歩道の無いアスファルトの道を通って行かねばならない。

しかしブリテンは歩ける場所に溢れている。この地では村々を繋ぐ道が縦横に走っていて、老いも若きもが毎日のように、どんな天候でも、外に出て歩いている。ウェールズでは、地主や農夫たちが求める、プライバシーだとか動物の囲い込みだとかの必要性と、私有地を歩いて通りたいという市民たちの必要性とが、バランス良く考慮されている。

今まで歩くことが好きな私の主な行き先は、好きなお店とか友人の家とかがほとんどだった。ウェールズを歩いていて私は大きな可能性に目覚めた。移ろいやすい天気の中で歩くことには、何か治癒的な効果があるようだった。私の心は、気をそらす全てのものから解き放たれていた。私はただ一歩一歩に集中していた。

永遠に続くかと思われた水浸しの道の後、やっとの思いでブロード・ヘブンに着いた時、私たちはもはや、部屋がみずぼらしくて狭いとか、階段に新聞紙とか服とかが積んであって歩きにくいとかを、気にする余裕が無かった。近くのパブで私たちはビールをちびちび飲みながら、湾の中でウィンドサーファーが風を切って進むのを眺めていた。バーテンダーの勧めるファゴットの網焼きとえんどう豆の粥を断って、カレーを注文した時、バーテンダーはまばたきしながら言った。「あ~、カレーなら何とかお腹の中に納まってくれそうですもんね。そうでしょう?」

私は一晩中、気持ちが悪かった。

次の朝は土砂降りだった。止みそうな気配は全く無い。次の宿は11マイル先、ソルバ(Solva)の村の中だ。私は持っている全ての暖かそうな服を身にまとった。自分の町で散歩に出るときに着る服だ。でも私は雨の中でウォーキングに出たことは無い。こんなので大丈夫だろうか?古い服はもうはるか昔に防水状態では無くなっている。上着はスポンジのようだ。靴は小さなバスタブと化している。帽子は漏斗のように水を襟元に注ぎ込む。

私たちは道沿いにあった魅力的な場所、温室と庭園小屋に囲まれたドルイドストーン・ヴィラをもの欲しそうに眺めながら通り過ぎ、ここに予約を入れなかった不運(と自分たちの服装)を呪った。宿屋の隣にあるのは芝土の下に作られた丸い窓を持つ半月型の家で、まるでテレタビー(Teletubby:英国の幼児向け番組にでてくるキャラクター)の家のような建物だった。馬たちが近くの砂浜を歩いている。私たちは何回か水夫たちとすれ違った。奇妙なバックパック覆いは吹き飛んでいたが、水夫たちは見たところ乾いていた。この先の道は岩が多く険しいと忠告してくれた。

私たちは陰鬱な気分で行進を続けた。土の地面は次第に滑りやすくなってきた。雨は今や横殴りに降っている。突風が私を岩に押し付けた。フランシスが嵐を通して叫んでいる。

「こんなの快適じゃ無い。面白くも無いわ。それに安全じゃ無い。」

「でも、何に出くわしても受け入れるんでしょ。」私は叫び返した。

「私たちは歩いているだけで、殉教者じゃ無いのよ。」彼女も叫んだ。

たまたま散歩道から少し外れた道にバーがあった。私たちは弱々しいガス灯の側に座り、足元に水溜りを作りながら、ウェールズを30年で最悪のセプテンバー・ストームが襲っているのを伝えるテレビを見た。風速は時速45マイルに達していた。河は護岸を溢れ出し、村を流し去っている。自動車が橋の下を流れて行った。

私たちがパッフィン・シャトル(Puffin Shuttle)バスの有用性に敬意を表したのはその時だった。海岸沿いを走って訪問客を村から村へ運んでくれるバスだ。歩いたら何時間もかかる道のりをほんの数分で行けてしまうのは驚きだった。そしてそれは喜びでもあった。

港町のソルヴァは、英国の作家アリス・トーマス・エリス(Alice Thomas Ellis)が言うところの「ウェールズの天候の、しつけられて無い振る舞い」から、思ったよりも守られていると感じられた。私は新しい靴と、新しいパンツ、そして新しい上着を買った。

雨も収まってきたので、私たちはこの、今まで見たうちで最も愛らしい町を散策した。ソルヴァの下手は港に隣接していた。港は雪解け水の排出口として氷河期に形成された河口の向こうに位置している。山から水が流れ落ちる時、大地を深く削る。ペンブロークシャー海岸の険しい地形のほとんどは、このようにして形作られたものだ。

私たちはサルヴァ・ウーレン・ミルを見つけた。ペンブロークシャー最古の羊毛工場だ。巨大な骨董品の織機からカラフルな細長い絨毯が出てきている。隣接している小奇麗な店では、近隣の鉛管工が作ったエレガントなポットとか、手製の石鹸やローション、土地のラマの毛糸などが売られていた。

数分後には正にそのラマが草を食んでいるのに出くわした。苔むした板葺き屋根を持つ明るい色で塗られたコテージが通りに並んでいる。川沿いの所々に、階段のついた狭い路地が、濁った水が轟々と流れる川まで降りていた。立て看板によれば、こういった「gudels」と呼ばれる小道は、1940年代まで「川で洗濯したり、汚水を捨てたりするために」使われていたという。

オールド・ファーマシー・レストランの夕食は驚くほど美味しかった――塩味の魚スープ、弱火で煮込んだラム、レモンとタイムのクレームブリュレ――そのレストランは、堂々としたジョージア風家屋、ウィリアムズ・アコモデーションの向かい側にあった。私たちの宿がその家では無いことを、フランシスはことさら指摘する。その時私は、自分で予約を取った方が良かったかも知れないと真剣に想った。

とうとう私が適切な装備を手に入れたせいなのか、翌朝には雨は弱まっていた。ソルヴァを出るころは、やわらかい小雨になった。しかし風はまだ強い。空には虹がかかっていた。

岬を回ると、ラムゼイ島の眩いほどの景色が飛び込んできた。イルカたちが海峡の強い流れに逆らって泳いでいる。白いカツオドリとヒメウミツバメが波の上を高く飛んでいる。ペンブロークシャーの断崖は重要な営巣地で、鳥類学者の夢の場所だ。

私たちはセント・ジャスティニアン(St. Justinian)に向かっている。そこから内陸に折れ、ブリテンで最小と言われる都市、壮麗な12世紀の教会があるセント・デイビッド(St. David)へ向かう。はるか下には、家の遺跡とか、レンガ焼きの窯とか、石板のガラクタが積みあがっているのが見える。火打石を埋め込んだ崩壊寸前の壁は、繊細な岩の庭園へと変貌していた。私たちの道は、次第に荒涼とした広い景色へと代わっていった。私たちはワラビとヒースが茂った急な坂を通り、白い砂浜を通り、ごつごつした丘にあるオークの繁みのトンネルを通って進んだ。

私たちは達成感に鼓舞され、力強さを感じていた。輝く太陽はこの旅を――5日間が終わるころには64マイルを歩いていた――とても容易なものにしていた。そして、一歩一歩進んでゆけば、最後には何処かにたどり着けると確認できたのだ。途中の出来事に対処することも学べたし。たとえそれがただのパッフィン巡回バスだったとしてもね。

~~ここまで~~

次回更新は10月19日ごろになると思います。
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ゾノシン

Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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