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現実世界のグリー、トルーマン高校演劇プログラム

アメリカの高校の演劇プログラムに関する記事をUpします。

記事を書いたのはマイケル・ソコロフ(Michael Sokolove)さんです。元記事はここにあります。

ペンシルベニア州レビットタウンにあるハリー・S・トルーマン高校演劇プログラムの記事です。

~~ここから~~

ペンシルベニア州レビットタウンにある現実のグリー

わずかに傾いた敷地に建つハリー・S・トルーマン高校は実用本位の雰囲気を漂わせている。特に魅力的でも無いが、人を寄せ付けないと言うことも無い。ペンシルベニア州レビットタウンにあるこの高校の校舎は3面が運動場に面した一階建て。外壁はレンガ造りだが、赤レンガでは無く鈍い黄色いレンガ、漆喰の色だ。正面入り口を入ると、写真や記念品と一緒にトロフィーが幾つか飾ってある。いつもは敗退する運動部が、かつて達成した栄光の記念品だ。大きな黒板には今年の最上級生が入学した大学名が列記されている。毎日午後になると元気の良い用務員が床をピカピカに磨き上げる。教室にかかった時計はいつも正確だ。

午後の授業が終わるころ、私は入り口から遠く離れた廊下を歩いて、学校の演劇監督ルー・ボルペ(Lou Volpe)の教室へ向かった。40年前、私の英語の先生だった人物だ。彼の教室には古いカウチや安楽椅子が置いてある。たぶん、ほっといたらゴミ捨て場とかリサイクル施設へ回されていただろう家具が寄付されたものだ。本棚とか窓枠とか暖房機の上とか、平らな場所であれば全てに、劇の選集や台本のコピーやブロードウェイ作品のビデオがうずたかく積み上げられている。天井からぶら下がった複数のモバイル・アートは少し低過ぎて、背の高い人は頭を下げなければその下を通れない。私たちが話している間、ボルベは教室をぐるぐる歩き回り、カウチとか椅子とかの覆いを直したり毛羽立てたりしていた。その日、もう何回も繰り返している儀式で、いつも時計回りだ。

その教室は間違えようも無く彼の部屋だった。仮に「Lou Is Back(ルーは帰ってきた)」と赤のブロック体で書かれた大きなバナーが無くても直ぐ判る。そのバナーは何年か前、何処からとも無く現れたものだ。ある朝ボルペが教室に来たら後ろの壁に貼られていたそうだ。誰にも聞かなくても彼にはその出所が判った。しかし後になって、結局、何人かの生徒が近くの中古車販売店から分捕って来たと言う話が明らかになった。旗に書いてあるルーが、誰かセールスマンの一人であろうことは明白だ。「もう一人のルーがこの旗を失って、あまり残念がって無いことを、本気で願っているんだ。」この旗について訊いた時、彼は悪戯好きそうに笑いながらそう言った。

教室には、2010年秋の劇のオーディションを受ける生徒がだんだんと集まってきていた。「やあ、ボルペ」一人の少年が廊下を通り過ぎながら言う。別の少年は、急いで部屋に入ってくると、ボルペが履いているズボンのサインはピースサインのようだ、とコメントした。「そうさ、」ボルペは言った。「君も知ってるとおり、私はウッドストックにいたんだから。」その生徒は笑った。ボルペが、泥だらけで乱雑なウッドストックみたいな場所には行ったことが無いのは判っていた。

教室が混んでくるにつれ、すなわち役をめぐる競争が厳しくなるにつれ、皆は静かになっていった。オーディションで選ぶのは「グッド・ホーイズ・アンド・トゥルー(Good Boys and True)」の配役だった。高校の劇にしては大胆な選択だ。しかしボルペは良くこういう劇を選ぶ。かなり辛らつなドラマだ。プレップスクールのフットボール・チームのキャプテンが、ショッピング・モールのフード・コートで働く女の子と出会う。そして後で、自分たちがセックスしている場面を、彼女に隠して録画する。物語は痛ましい暴露の連続として続く。学校にはスキャンダルがあり、家庭は分裂し、ゲイの関係が暴かれ、深い友情で結ばれていた2人の少年の関係が破綻して行く。現在テレビ・シリーズ「Glee/グリー」の脚本家兼プロデューサーとして活躍中のテレビ作家で、多彩な脚本家でもあるロバート・アギーレ=サカサ(Robert Aguirre-Sacasa)が書いたこの本は、性と同時に、格差とか特権とか権力とかを題材としている。アメリカの学校ではほとんど取り上げられることが無いが、レビットタウンでは特別に身近な題材だ。ボルペはおそらく高校の舞台にこれをかける最初の人間だろう。

部屋の中では、6つの役が決まるのを約50人の生徒が待っている。3人は女性、3人は男性だ。台詞の中には大学についての話も入っている。2人の登場人物が入学しようとしているエリート・スクールだ。その内一つはダートマス(Dartmouth)大学。トルーマン校の生徒たちはこれを「サウス(south)」と同じ韻で「ダートマウス」と発音する。「ダートマスだ」ボルペは何回か指摘した。しかし皆、同じ間違いを繰り返す。オーバリン(Oberlin)大学とか、ヴァッサー(Vassar)大学とかも、同じくらい難しい。

オーディションは非常に素早く進んでゆく。だたしボルペが題材の説明をする時だけはゆっくりだ。「これは私立学校の設定なんだ。とても特権的な学校だ。」彼は言う。「私は君たちに、向こう側の人間たちがどういう生活をしているか見せてあげたい。」

彼は役を勝ち取るためには何が必要なのかを明確にした。「君たちがどれくらい先まで行けるかを見る必要がある。炎が見えなければいけないんだ。それが怒りであれ、痛みであれ。君たちはそこへ行くのを恐れてはいけない。別に叫んだりする必要は無い。君たちの心の深い部分にあるもののことを言っているんだ。」

ボルペと生徒たちはゴールを設定している。ネブラスカ大学で毎年夏に開催される権威ある高校演劇部の集い、セスピアン・フェスティバル(Thespian Festival:演劇祭)のメイン・ステージで上演するに値すると判定されることだ。トルーマン高校は以前4回出場している。それはボルペの生徒たちにとって、いつも高揚させられる経験だった。自分たちがスターであると認識してもらえる場所へ旅行すること。そこでは誰も、自分たちが何処から来たのか気にしたりしない。

「グッド・ボーイズ」のオーディションに来ている最上級生のボビー・ライアン(Bobby Ryan)は、2年前トルーマン校が、ミズーリの小さな町を舞台にしたランフォード・ウィルソン(Lanford Wilson)作の劇「ザ・ライマーズ・オブ・エルドリッチ(The Rimers of Eldritch)」を演じてネブラスカへ行った時のことを私に話してくれた。

舞台の後、別の学校の生徒が彼に訊いた。君のディクション・コーチ(diction coach:発声法コーチ)は誰なんだい?

「ディクション・コーチってなんだい?」彼は訊き返した。

レビットタウンにある17,000軒ほどの家屋は1950年代初頭、ペンシルベニアの3つの市と小さな自治体タリータウン・ボロー(Tullytown Borough)にまたがって建てられた。最初のころの住人は、主に二つの場所から流れ込んできている。私の両親のようにフィラデルフィアの混雑した市街地からきた人たち、又は、ペンシルベニア北方の炭鉱地帯から来た人たちだ。人々は庭を持ち、果樹を植え、洗濯機や乾燥機を持ち、今まで知らなかったような個人スペースを持つことができた。

子供だった私は、U.S.スチールとか近郊の巨大企業から、まるで天文学的な時間給で人々がお金を貰っている話を聞かされて育った。私はそれを、別に自慢話だとは思っていなかった。多くの人は大金を手にして驚いているだけのように思えた。彼らはポコノス(Poconos)にセカンド・ハウスを買いドライブ・ウェイに大きなR.V.を停めた。

トルーマン高校はブリストル・タウンシップ(Bristol township)に位置している。レビットタウンでも下の方の場所と言われるところだ。その言われ方は地理的な意味であると同時に人口構成上の意味でもある。同校が生徒を集める近辺は、今でも時々ブルー・カラーの町と呼ばれる。しかし組合に守られた良い仕事は、もう20年も昔に去っていることを思えば、それは時代遅れな呼び方と言えるだろう。私はボルペの生徒の1人をリハーサルの後、車で家へ送ったことがある。家へ車を寄せるときに彼が言った言葉は、まるでスプリングスティーンの哀歌から取った歌詞みたいだった。「あそこに停まってるバンは2000年からこっち走って無いんだ。」彼は言った。「あそこにあるボートも、もう水に浮かべることは無いね。」

土地の言葉で言うと、トルーマン高校はこの繁栄した札束の地区(Bucks County)にあって「ルート1の間違った側」に建っている。宝くじが当たったら出て行ってしまうだろう地区だ。

ボルペは、ほとんどありそうも無い環境から驚くべき成功を成し遂げた人間たちの一人だ。何世代もの生徒たちは、彼がこう言うのを聞いている。「電球1個の何も無い舞台しかなくても、劇はできる。」そして生徒たちは、彼を信じた。

コミュニティーがバラバラになってゆく中で、ボルペはトルーマン高校の演劇プログラムをアメリカ最高峰のものに築き上げた。そしてこの学校は、高校の舞台芸術における暗黙の標準とでもいう存在になった。彼と、90年代初頭に彼の生徒だったアシスタント・ディレクターは、演劇だけを教えた。演劇の三つの段階とミュージカルについて。やはりかつての生徒だった3人目の教師が9年生(日本の中学3年生)に劇を教えている。

ある日、私はボルペの教室で、生徒たちがエドワード・アルビー(Edward Albee)作の「The Goat」の稽古を始めるのを見ていた。彼が皆に説明する劇の内容はショッキングなものだ(一人の男が山羊とセックスする)。しかしそれを超えて、これは「悲痛な」劇である。仮に誰も意識していなかったとしても、これは愛の寓話であり、如何に愛が破綻しうるかと言う寓話だ。「アルビーは不条理主義の劇作家と呼ばれている。」彼は言った。「彼はたぶん、現存している中では、アメリカで最も偉大な劇作家だろう。」一人の生徒が割って入った。「彼は『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない(Who’s Afraid of Virginia Woolf?)』を書いた人ですよね。違いますか?」

「ああそうだ。そしてそれも非凡な劇だ」ボルペは言った。「しかしこれは言っておかなければならないだろう。『The Goat』は『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』ほど有名では無い。だけどニューヨークで初めてこの劇を見たときは、ノック・アウトされたんだよ。劇場を出る時は、もう感情的に打ちのめされていた。君たちがこういったものを見た後、やはりそうなるようにね。角を曲がってカクテルを一杯ひっかけなければ居られなかった。」

皆笑った。ボルペのプログラムの始め方は、私が2回ほど見た限りでは、同じような感じだ。私は目がどんよりした生徒がいないかと、教室を見回したり、舞台の端に座って聞いている配役された生徒たちを観察したりしてみた。私には想像できなかった。10代の子供が、どんな場所であれ、大多数の生徒が学問に秀でているわけでは無いこの学校では特に、エドワード・アルビーと愛の性質について60代の男が熱烈に語るのを、本当に聞きたがるなんて。しかしこの生徒たちは本当に聞きたがっているようだった。

私は一度ボルペに訊いたことがある。どうやったら生徒たちと繋がっているのが判るのかと。彼の返答は、おそらくあらゆる教育者が信条として使えるようなものだった。「終わりの金が鳴った時、生徒たちに、まだ授業が終わって欲しく無い、教室を出たく無い、と感じて欲しいんだ。」彼は言った。「そういう様子が見てとれたら、素晴らしい授業が出来たって判るのさ。」

ボルペは自分が選んだ「グッド・ボーイズ・アンド・トゥルー」の配役を教室の外に張り出した。役を勝ち取った男子3人の内1人は、劇のためにフットボールを辞めなければトルーマン高校ディフェンス・ラインのアンカー候補になるであろうウェイン・ミレット(Wayne Miletto)、もう1人は州代表野球選手のザック・フィリッピ(Zach Philippi)、そして最後はラクロス選手のボビー・ライアン(Bobby Ryan)だ。

「凄いことになりそうだ。」グループの中の道化役ライアンは、配役が決まって集まった最初の日、他のメンバーにそう言った。「僕らにはチョコレートっぽさがある」黒人のミレットを引き合いに出して彼は言った。「さらにはラテンっぽさもある」フィリッピの母親役マリエラ・カスティッロ(Mariela Castillo)を見ながら続けた。「やあマリエラ、ママが作るあの凄い米と豆の料理、差し入れてくれるかい?」

カスティロは姉と共にサルサのデュオを演奏し、自分は「100%プエルトリコ人よ」と自慢する女子だ。彼女はライアンに悪戯っぽい一瞥をくれると言った。「あの米と豆の料理は私が作ったの。私が料理できないとでも思った?」

まだほとんどの高校で一般的では無いが、それでも、テレビ番組の「Glee」で男子運動選手の舞台活動参加は徐々に広がってきている。しかしボルペは、そのずっと前から自分の舞台に運動選手たちを惹きつけてきた。それは彼のプログラムの強みだった。彼は「学校のどんな片隅からでも」人を連れてくることができる。自分で自分のことを決め付けたり、限定したりするあらゆるグループから連れてくるのだ。

ボルペの結婚は、私が彼の元を卒業した数年後に終わりを告げている。そして彼は、自分がゲイであることを家族と親しい友人に打ち明けた(彼は前妻と親しい関係を続けており、2人にはもう直ぐ孫ができる)。1960年代初頭、ボルペはフィラデルフィアの男子校、ファザー・ジャッジ高校の生徒だった。弱い少年たちが苛められ、物理的に危害を受けたりしていた環境の中で、彼は、小学校以来のクラスメートでフットボール・チームのメンバーだった親友たちに守られていると感じていた。「私は友人たちに受け入れてもらった、そして友人たちは私が犠牲になることを許さなかった」彼は私にそう話した。「彼らは私を救ってくれた。他の子供たちはそうはいかなかったがね。」

トルーマン校で彼が働くのを見ながら、私は何回か、彼が昔の友人たちのような運動選手たちに、なにか贈り物をしているように感じた。その贈り物とは、魂の中の、自分では自覚してない部分へのパスポートだ。「これを説明できる唯一の言葉は『力強さ』かな」ライアンやミレットから2年遅れでトルーマン校演劇プログラムに入ったフィリッピは、そう私に言った。「舞台の上でダンスしたんだ。歌も歌った。それが僕を全く変えてしまった。前は気づいてなかった何ものかが僕の中にあったんだ。」

高校の演劇活動は一般的に言って、驚くほど平凡だ。もう50年以上も前から毎シーズン、人気がある幾つかのドラマやミュージカルが繰り返し演じられてきている。「毒薬と老嬢(Arsenic and Old Lace)」とか、「我家の楽園(You Can’t Take It With You)」、それに「バイバイ・バーディー(Bye Bye Birdie)」はドラマティックス・マガジン(Dramatics magazine)が出すトップ10リストの常連だ。

ボルペを見ながら過ごしたこの2年間、私はしばしば懸念を抱いた。彼は遠くまで行き過ぎてないだろうか?私はひょっとしたら、とうとう彼が失敗するところを目撃しているのかも知れない。彼は自分で言うところの「ナイフの先端」のような題材を好む。しかし学校当局や地域社会は、彼が深い意味を持つ舞台を提供することに信頼を置いている。そして彼は、人生を丸ごと全部受け止めて理解するようなやり方でこの芸術に向き合うよう、生徒たちを鼓舞している。生徒たちは大人では無い、しかし思春期後半の中間段階、成熟しつつある年齢だ。そして充分色々なものを見てきている。結婚が破綻した両親。差し押さえられた家屋。夜中に人手に渡った家族の自動車。自殺した人気者のクラスメート。人生がディズニー映画のようでは無いことを知っている。

「私たちは、現実世界で人々が不安に思うあらゆるトピックを扱うんです。」「グッド・ボーイズ」の配役の一人、コートネイ・メイヤー(Courtney Meyer)はある日、私にそう言った。「それが劇をやる大きな理由の一つですよ。そうでしょう?」

メイヤーは頭が良く冷笑的、かつ魅惑的な女優だ。しかし時々やる気を無くす。目の届くところにいないと、ボルペや助監督のトレーシー・クラウス(Tracey Krause)がいつも不安に思う人物だ。彼女はクロイドン(Croydon)に住んでいる。レビットタウン南部のデラウェア河沿いにある集落で、トルーマン校生徒たちがよく冗談の種にする場所だ。私は時々、クロイドンがこの地上に存在しているのは、レビットタウンの人間たちが自分たちのことを少しだけ良く思えるためではないかと思ったりする。

「私はクロイドン・ピッツァの直ぐ近く住んでるんです。」ある日の会話でメイヤーはそう言った。「それって判りますよね?」彼女は笑った。「あれは私たちのアイコンなんです。クロイドン・ピッツァ。世界中に知られているわ。」彼女はジョージーン(Georgine)というレストランで働いている。彼女の母も祖母もそこでウィエトレスをしていた。「だから私は3代目のジョージーン人なんです。」

ボルペは、台詞の喋り方とかは、ほとんど教えない。舞台上の動きも、めったに明らかにしない。「この場面ではもっと動いたほうが良い。」彼はそういうふうに言う。「どのタイミングが良いとかは言わない。でも君は感じ取れるはずだ。」彼は生徒たちに言う。「君たちは書かれている台詞を超えて、役の人間性を見つけ出さなければならない。」

彼は、かつての役者たちと同じように、メイヤーも又、自分なりに与えられた役をこなせると信じている。彼女は役の準備を、まるで何か小説を書くかのように始めた。「どんな人間なのか考えなければならないと思う。友達は誰か。両親とは良い関係なのかどうなのか。どんな動機をもっているのか。」彼女は私に話した。「そして舞台の上でやる全てのこと、台詞の喋り方とか動き方とかは、それを元にしないと。」

メイヤーはシェリル・ムーディー(Cheryl Moody)の役をやる。公立高校の女子生徒で退屈なモールの仕事をしていて、私立高校のクォーターバックとセックスしてるところをビデオに盗撮されてしまう人物だ。フィリッピがクォーターバックのブランドン・ハーディー(Brandon Hardy)をやる。多くの場面でシェリルの優位に立ち、そしてそれだけの能力も持っている人物だ。

自分の役を構築するに当たって、一番重要なのはシェリルの身体的魅力では無く、その動機を作ることだと、メイヤーは私に言った。彼女は、ブランドンの金ぴか生活と同じくらい、彼のセックス・アピールにも夢物語を追い求めている。この役を、「ただのあばずれ女」として演じたくないと、メイヤーは言った。「あばずれ女なんて何百万人もいる。皆、面白くも無い人たちだもの。」

ボルペはフィラデルフィアで育った。カソリックの学校に入学し、ラ・サル大学(La Salle University)を卒業して、トルーマン高校で教え始める(その当時は違う校名だった)。その時、彼は21歳だった。その時まで、彼は演劇に関する経験を一切持っていない。彼のキャリアにしてみれば酷く奇妙なことだ。彼は演じたことも、背景を描いたことも、ステージ・クルーとして働いたことも、案内係になったことも無く、チケットを売ったことすら無い。彼は劇を愛し、友人たちと劇の話に興じていた。しかし彼が知り得たことは、主に読書と、観客として座った経験から来ている。教師として2年目の1970年に彼は高校の舞台助監督に応募した。そして舞台助監督になる代わりに舞台監督になった。監督だった女性が学校を去ってしまったためだ。

彼の最初の劇は「アンティゴネ(Antigone)」、それを選んだ理由は「とても現代的だった」からだと言う。セットは全部白だった。彼は役者たちにビニールでできた緑のゴミ袋を着せた。武器はアルミホイールで作った。「なんであんなふうにしたのか、説明できないんだ。」ボルペは言う。「劇が終わってみると、観客はちゃんと拍手すべきときに拍手していた。でも、とてもゆっくりとね。誰も私を見なかったよ。」

彼は地域の他の高校の作品にも参加し、他校の舞台監督の中に友人やメンターを得た。彼はフィラデルフィア地区の大学の講義を受講し、シカゴにあるノースウェスタン大学のサマー演劇プログラム集中講義にも参加した。ボルペは明らかに、演劇に関する生まれながらの才能を持っていた。言葉を聞き取る耳、時間の感覚、感情表現の加減。しかしそれらの能力は関連付けられて無く、全く訓練されていなかった。「舞台の上で何をやりたいかは判っていたんだ。でもどうやれば、それが出来るようになるのか判らなかった」彼は言う。「私はバランスとか、調和とか、秩序とか、構成を学ばねばならなかった。私は良い演劇とはプロセスなんだ、ということを学ばねばならなかった。そしてそれをトータルでやらなければいけない。そうしないと、部分々々がどこかで抜け落ちてしまう。そして最終的に出来上がったものは平凡なものにしかならない。」

学んでゆくにつれ、ボルペの作品は次第に大胆になってゆく。そしてショーのライセンスを管理するミュージック・シアター・インターナショナルのエグゼクティブが注意を向けるようになった。「演劇というものは、一瞬の間にする選択が全てなんです。」M.I.T.のシニア・オペレーションズ・オフィサーであるジョン・プリニャーノ(John Prignano)は私に言った。彼はフェスティバルでトルーマン高校の舞台を見ている。「私の考えでは、誰かが彼らに、自分の選択を信じることを教えたんです。それが誰であれ、一緒に働いてみたいと思いますね。」

高校演劇界の本流となるような台本は、その作者および作者の相続人にとって、非常に豊かな資金源となる。M.I.T.は、作品が高校生俳優や観客に受け入れられるかどうか、試験的な上演をする上で、ボルペを頼るようになる。2007年に彼は、「レント(RENT)」の高校生版を監督するよう依頼された。300人の生徒、だいたい5人に1人のトルーマン高校生が役のオーディションに応募した。2011年、ボルペは、別のトニー賞受賞ミュージカル、先鋭的な「春の目覚め(Spring Awakening)」の高校での試験上演を行った。

2001年、彼は「レ・ミゼラブル(Les Miserables)」を上演する。ブロードウェイとイーストエンドの興行主で億万長者のキャメロン・マッキントッシュ(Cameron Mackintosh)がプロデュースした劇だ。M.I.T.のオーナーの一人でもあるマッキントッシュは最終日にリムジンを走らせてマンハッタンからレビットタウンへ芝居を見に来た。そしてトルーマン高校の古びた講堂の木製ベンチに座って舞台を見た。

芝居がはねた後、マッキントッシュはリムジンに乗ってさっさとニューヨークへ帰るものと全員が思っていた。しかし彼はカフェテリアで行われる出演者のパーティーに残った。出演者は信じられなかった。今までの経験では、誰一人としてわざわざトルーマンへやってくる人はいなかった。それがこの日、演技の後、ブロードウェイでも最も力を持った男が自分たちを祝福している。握手をし、そこにいた全ての人に向かって言っている。「素晴らしかった。本当に素晴らしかった!」

ボルペは講堂の8列下がった席からリハーサルを見ていた。彼の膝には、皆が涙の本と読んでいるものが置かれている。彼が出演者に関する覚書を書いた日誌だ。劇はブランドン役の人が私立高校の新入生を案内している場面から始まる。彼は自分の嫌な面を直ぐに見せるわけにはいかない。しかしその態度の何処か、微笑の中に秘めた冷笑であるとか辛らつな自己嫌悪のヒントとかが、この先に待ち構えるトラブルを想起させる。

「君は良い人間だよザック。」6人の出演者が舞台の端に座っているのに向かってボルペは言った。「君はそれが判っている。みんな君を愛しているし、君自信も君を愛している。」全員がこのちょっとした皮肉に笑った後、ボルペは続けた。「時間はかかるだろう。私もそれは判っている。しかし君はこの役の中に邪悪な人格を見つけなければいけない。邪悪と言うのはきつい言葉だというのは判っている。しかし彼が何をしたかを考えなければならない。」

劇が描いているのは豊かな家庭だった。しかしトルーマン高校の演劇プログラムではハイエンドな家具を買う予算は無い。そしてそんな家具を家に持っていて貸し出せるような両親もトルーマン高校にはいない。居間のセットはこの劇の為にイケアで買ったもので作った。

「ザック、洋梨のつもりで食べてみてくれないか?」ボルペはあるリハーサルで、そう言った。ブランドンがフルーツ・ボールからリンゴを取ってかじる場面だった。ボルペの考えでは洋梨はより上流階級っぽく、マイクで伝わるかじる音もより静かだ。

ボルペの注意は、気に入らない小道具に向かった。ブットボール・コーチの机においてあるトロフィーだ。それは大きすぎた。「これはいったい、誰の考えだ?」彼は訊いた。

「先生のですよ。」助監督のトレーシー・クラウスが言った。

開演の日が近づくにつれて、ボルペは車の鍵を何回も失くすようになった。老眼鏡をあちこちに置き忘れた。コートニー・メイヤーズは出演者と話す時に、いつも中指をつき立てるようになった。全員が少しばかりストレスを感じていた。そしてそういう全てのゴタゴタは、6人の出演者の1人、マリエラ・カスティッロが失敗するのを助けてはくれなかった。

カスティッロがやっているのは、他に比べてはるかに難しい役、フィリッピがやる役の母親で中産階級の上のほうにいる45歳の医者だ。ボルペの認識では、カスティッロには「三拍子全部そろっている」。完成した歌手でありダンサーであり俳優だ。「もう一つ付け加えるなら」彼は続ける「彼女は全く持って華麗だ」。

しかしカスティッロは、感情表現の加減に悩んでいる。ボルペの見るところでは、怒りが沸騰しているべき時に、抑制が効き過ぎている。「演技は少ないほうが良い」彼はしばしば役者たちにそう言う。しかし彼女はそれを気にし過ぎているようだ。彼女の役の習熟度は実際、目に見えて悪くなった。納得しないで台詞を喋り、彼女が出る場面にいる全員の演技を弱めてしまっていた。

「マリエラ、私は君に現実を知らしめようとは思っていない」ある日、出演者全員に注意を与えている時、彼は言った。「君自身がすでに判っているからね。のっている時の君は、他の誰よりも良い。しかしのっていない時は、誰よりも劣っている。君はすでに自分自身について判っている。今現在、君は良く無い。誰よりも劣っている。」

ボルペはさらに続けた。「役者の中には午後7時に出てきて、着替えて舞台に上がり、見事にやってのける人々が居る。その一方で、5時半に出てきて、静かに座って考えながら雑念を振り払わなければならない人々が居る。マリエラ、君は2番目のカテゴリーだ。だから、君の回りで何が起きていようとも、ボーイフレンドとか、母親との諍いとか、上級生としての企画とか、今読んでいる本だとか、そう言ったもの全てを、今は脇に置け。」

私はナイーブにも、ボルペの役者たちは、この中流校では試験の成績が良いトップの生徒たちだと思っていた。彼らは真の俳優だ!演劇に没頭している。エドワード・アルビーだとかアダム・ラップ(Adam Rapp)だとかについて大いに弁ずることが出来る。オーガスト・ウィルソン(August Wilson)とランフォード・ウィルソン(Lanford Wilson)の違いが判っている。だからきっと学校の成績も良いんだろうと思っていた。

しかしトルーマン校演劇プログラムは、多重知能と言う概念の実験室のようなものだった。多重知能とは、人間の学び方には色々あり、特定の分野での能力から別の分野での成績を常に予測できるわけでは無い、という考えだ。ボルペの生徒たちにとって、演劇との係わり合いは、彼らの魂とか精神とかと関係している。それは彼らの脳の、言語とか行動とか音楽に関連する部分を興奮させる。中にはトルーマン高校の学業成績でトップの生徒たちもいる。しかし、多くはそうでは無い。

「グッド・ボーイズ」に出ている6人のなかで、カスティッロは独自のカテゴリーに入る。彼女は上級生になるまで演劇プログラムに入ることが出来なかった。彼女の毎日は治療で埋め尽くされていたのだ。彼女が抱える学習障害は原因がはっきりしている。小児白血病治療のために大量に処方される化学療法のためだ(彼女は3歳のときに診断を受けた)。しかし舞台の上の彼女には、膨大な量の情報を蓄えて使いこなす能力がある。それはしばしば、他の物事を忘れてしまうほどだ。「何かを覚えることなんか私には出来ないと思っていた。でも劇をしている時は、台詞を覚えられたのよ。」カスティッロはそう私に言った。「劇場では全てのものが提示されていて組織されている。順序付けられていて調和している。ボルペ先生がどんなに素晴らしくそれをやるか見てきたの。それは私自身の人生を自分で整理する役にも立っている。」

ボルペはもちろんカスティッロの学習障害を知っている。「しかし私は彼女のそういった側面を気にしていない。そういう面は見たことが無いからね、」彼は言った。「私と彼女の関係に何の影響も与えていないよ。それについては、私にも失敗があったかもしれない。しかし私は彼女に便宜を図ったことも無いし、出来ないだろうと思ったことも無い。授業においてもね。そうすべきだとも思わない。私にとって彼女は正に素晴らしい。おそらく私たちが持った中でも最高の女優の一人さ。」

舞台の端に座っていた他の出演者は、その日、彼がカスティッロに話している間、姿勢を正して聞いていた。「私は君がどれだけ良く出来るか知っている、」ボルペは言った。「私は君にそこまで行って欲しいだけだ。」

カスティッロはうなずいた。「やってみます。ボルペ先生」彼女は静かにそう言った。

カスティッロはボルペを真っ直ぐに見つめていた。彼女はいっさい言い訳を言わず、少し動揺してはいたが、泣きもしなかった。私はトルーマン高校のリハーサルで誰かが泣いたところを見たことが無い。それは彼らが誇りにしている点だった。このプログラムはお子様向けのものでは無い。カスティッロはたぶん、何日も家の部屋で台詞の練習をして、感情の込め方を練習することだろう。「彼は教師で、私は生徒だもの、」彼女は言った。「私は彼が言った全てのことを消化しないといけない。そして彼が求めるものをやって見せなければいけない。」

私が若い頃の、そしてボルペが教師を始めたばかりの頃のレビットタウンは、ビデオゲームだとかケーブル・テレビだとかインターネットとかが流行りだす前の、典型的なアメリカ郊外の町だった。メイン・ストリートとかダウンタウンは無く、文化も無し、人目につくようなものは何も無い。10代の頃の夏の夜、私は友人たちと自転車に乗って、しばしば真夜中過ぎまで、あらゆる方向へ何マイルも走り回っていた。自分たちの間では女の子を見つけるために走っているんだと言っていたが、私の考えでは、全く代わり映えのしない景色から逃れたかっただけなんだと思う。私たちの仲間は、ひとたび町を離れたら、誰一人戻っては来なかった。

この郊外の空虚の真ん中で私はボルペと出会った。1972年、私は16歳の11年生(中学2年)で、彼は英語の教師だった。ボルペは未だ20代半ばで社会に出たばかり。しかし彼は、ベトナム戦争だとかホール・グレイン(whole grains:胚芽を取り除いていない穀物)だとかヨーグルトだとかの話をするヒッピーな教師たちの一人では無かった。私は彼が、他の教師と比べて特に若い先生だと思っていなかった。彼は完全な成人に見えた。真っ黒な髪をスタイリッシュにまとめていたが、長すぎることは無かった。

最初にボルペの何処に惹かれたのか、今から振り返って見るに、それは彼の話を聞くのが好きだったのだと思う。文章とか全体の文節とかが、即興的に、系統だって流れていると感じた。その当時の私たちに判る限りにおいて、彼は文学的に見えた。しかし彼の声はそれほど魅力的だとは想わなかった。彼の言葉はいつも自然に流れ出し、そして一旦止まると、私たちの考えを訊いた。

私は今でも覚えている。授業が始まって直ぐの頃、彼は私に単純な質問をした。「君は今まで良い書き手だと言われたことがあるかい?」私はハーマン・メルビル(Herman Melville)の「ビリー・バッド(Billy Budd)」のレポートを提出していた。あまり好きな作品では無かったし、全く理解もしていなかったが、私は独自の視点を作り出そうと試みていた。それが何だったかは神のみぞ知るだが、ボルペは私の努力を褒めてくれた。そして実際のところ、私はそれまで自分が書いたものについて誰かに何か言われたことは無かった。私は運動選手だった。どんなスポーツであれ、そのシーズンに行われているスポーツが主な(そして唯一の)興味の対象だった。

ボルペとトルーマン高校演劇プログラムについて書かれた本を調べていて私はある発見をした。私と話したほとんど全ての人が、私とボルペとの間にあったのと同じような経験をしているのだ。皆、ある瞬間に、自分で自分のことを理解している以上に、彼に理解されていると感じている。これこそ、直感に優れた才能ある教師にしかできないことだ。そういった教師たちの言葉は、そんなに深い意味を持っている必要は無い。しかし丁度良いタイミングに正しい方向へ向かって投げられている。それらの言葉は、他の教師や両親が触ったことの無い場所に触れる。

「彼の言葉は私を捕まえた。」高校で私の2年後輩のエリザベス・カスレル(Elizabeth Cuthrell)は言った。彼女は名の通った脚本家で、ニューヨークで独立系の映画プロデューサーをしている。高校時代の彼女の家庭生活は荒れていた。そして彼女はボルペを自分の恩人でありメンターだと思っている。「9年生から12年生(中学3年から高校3年)にかけて、彼は呪文のように言い続けてくれたの、私には出来ることがいっぱいあるって。彼は直接的にそう言ったわけでは無かったけれど、私とした全ての会話に底流として流れていた。彼は私の書いたものや、演技やダンスを褒めてくれた。そして私の冗談に笑ってくれたの。」

彼の生徒だった時から40年経って、再び彼の元に戻って私が発見したのは、彼が完璧に現代的人間であると同時に、幾つか点で古風な感覚のままの教師であるということだ。その長い経歴と業績は、授業の場や演劇プログラムの場において彼に通常以上の自由を与えている。彼は教育理論とか矯正理論とかを開陳したりしない。彼の演劇コースはアドバンスト・プレースメント(Advanced Placement:飛び級)の対象では無い(A.P.演劇コースなどと言うものは、そもそも無い)。そしてカリキュラムは彼独自のものだ。生徒たちが難関校入学を目指すような、より富裕なコミュニティーの学校であれば、親たちは、彼の授業の1つを子供に履修させることにそれほど熱心では無いだろう。4つの授業全部などは、言うまでも無い。親たちは知りたがるだろう。いったいこの授業でどんな資格が得られるのだ?子供たちを何処へ導いてくれるのだろう?

彼は流行の言葉で自分のやっていることを説明したりしない。しかし私がボルペの演劇プログラムで見聞したものは、現在教育改革で使われる力強い言葉と矛盾無く適合する。問題解決を重視すること、標準に従うこと、「トップを目指す」こと、そして責任感を持つこと。演劇は、軽薄感漂う言葉、「芸術」の一部だ。しかし生徒たちが彼と過ごす時間は、実際のところ、一日の中でも、最も演劇的でない時間だろう。各作品において、彼らは非常に高いゴールを設定し、何ものかを築き上げようとする。

ある日のリハーサルで彼は出演者へ言った。「今や君たちは非常に上手くなったので、ほんのちょっとしたミスでも目立つようになった。」この言葉は、賞賛しつつ要求を伝える上で、非常に簡潔で、かつ優雅な方法に見える。

「ボルペ、僕たちはきっと、熱いものを届けられると思う!」トルーマン高校での開演の夜、出演者が次々と到着する中でザック・フィリッピが言った。最初の場面には、彼とボビー・ライアンが運動着に着替えるためにシャツを脱ぐシーンがある。二人とも引き締まって強そうな良い体をしていた。講堂は満員ではなかった。多くの高校と同じように、トルーマン高校でも、切符が売り切れるのはミュージカルの時くらいだ。しかし二人がシャツを脱いだときの歓声はまるで劇場が満員であるかのようだった。座席に着いた女子はヒューヒュー声を上げ、くすくす笑いをしている。男子は口笛ではやしたてた。

役者たちはまるでプロみたいに、騒ぎが収まるまで動きを止めた。ライアンはその場面を振り返りながら言った。「皆、それ以上服を脱いだりしないって判ってたと思うよ。そうだろ?トルーマン高校だって、そこまではしないさ。」

開演の夜のカスティッロは最高だった。前の週にもがいていた人物とは「全く別の女優だ」とボルペは言った。彼女はちょっとした自問の時間をとった。自分に激を飛ばしたのだ。彼女は監督の高い期待にこたえる演技をしなければならない。そして自分自身の高い期待にも応えねばならなかった。

ボルペは出演者の演技に戦慄を感じていた。彼はここに至る数週間、演劇フェスティバルのメイン・ステージに選ばれると言う彼らの希望をなだめようとしてきた。「これはネブラスカにむいた劇では無い。アメリカ中部にとってはナイフのエッジが利き過ぎている。」ある日、彼はそう言った。その意味するところは、自分たちがいくら演技の質を高めても、セスピアン・フェスティバル出演者を選ぶ審査員たちは、題材が不穏過ぎると思うかも知れないと言うことだ。しかし全員が知っていた。ボルペが皆と同じく「グッド・ボーイズ」をネブラスカに連れて行きたいと思っていることを。もしそれが出来れば、聴衆となる生徒たちはこの劇を好きになるだろう。あるいは教師の何人かは憎むかもしれない。しかし、きっと大評判になることだろう。

サンクスギビングの一週間前、トルーマン高校は「グッド・ボーイズ」をペンシルベニア州西部のコンネルズビレ(Connellsville)で行われる演劇フェスティバルで上演する。この舞台はそこで審査されるのだ。

ボビー・ライアンの役はゲイだ。そしてザック・フィリッピの役は、少なくとも表向きは、ゲイでは無い。しかし二人の親友は性的にも親密だ。第2幕の最後あたり、劇中の大団円の中で、フィリッピがついた嘘や女子との浮気がばれて二人は不和になる。ライアンとフィリッピはこの場面を最初、大声で演じていた。しかし段々と静かに演じるように変わっていった。

前回の演技で、ライアンはフィリッピと顔を突き合わせて立っていた。州のフェスティバルで彼は相手の後ろへ回り、腕を回して相手の胸をなでた。彼は前かがみになり、フィリッピの耳の直ぐ側で台詞を囁いた。「二度と僕に話しかけるな。二度と呼びかけるな。連れ出したりもするな。もし互いに相手を見かけたら、それがどんな場所でも、道端で歩いていた時でも、立ち止まるな。声をかけたり手を振ったりも駄目だ。何も言うな。」

彼はフィリッピにこういう演技をするとは言っていなかった。彼自身も思っていなかった。

各学校は全幕を演じ、後でペンシルベニア州内の別の高校の演劇監督から批評を受けとる。寄せられるコメントは外部からの建設的なフィードバックと見なされている(ネブラスカのセスピアン・フェスティバルの審査員も劇場にいるが、彼らの審判は数週間後にトルーマン高校へ郵送される)。

トルーマン高校の出演者と話すために楽屋へ来た監督たちは、コメントを書くべき用紙を握り締めていた。コメントはドラマ性と技術の両方の見地から、作品の色々な側面に対して書かれる。例えば、舞台演出、発声法、セット、照明、音響、服装、小道具、その他。

2人の監督は入ってくるなり謝った。2人の用紙は白紙だった。このコメント方法は2人が伝えたいと思う内容に比べて小さ過ぎるようだった。「すまない、最初幾つか書こうとしたんだが、書き続けるのがひどく馬鹿らしく思えたんだ、」フィラデルフィア郊外にあるノース・ペン(North Penn)高校の演劇監督、アンドレア・リー・ローネイ(Andrea Lee Roney)はそう説明した。「君たちが何をしたか判っているだろう。これがどれだけ目覚しいことか判るよね。会場には900人の生徒がいて、皆少しだけ成長することができた。私が言えるのは、ありがとうと言う言葉だけだ。」

フェスティバルの最終日には受賞セレモノーがある。その時、オール・スター・キャストも発表される。どの作品も、オール・スター・キャストに一人以上選ばれることは無い。最後に呼ばれたのはトルーマン高校の出演者、マリエラ・カスティッロだった。舞台に上がって賞を受け取る時、「アカデミー賞を受け取る映画スターみたいな」感じがしたと彼女は言っている。

「グッド・ボーイズ」の出演者たちは全員最上級生でお互い友人同士だ。劇をする前から強い繋がりを持っている。その内2人は高1で「レント」に出ている。ボビー・ライアンが言っているように、彼らはあらゆる問題を自分たちで乗り切ってきた。「良いことも悪いこともね。良い関係で始まった友情が悪い終わり方をしたこともある。何でもあったよ。でも僕たちはそれを生き抜いてきた。」

2013年で引退する予定のボルペは、彼らを、自分が監督した中でも最高の役者たちだと思っている。10年に一度と無い特別なグループだと。ボルペが「グッド・ボーイズ」を選んだのは、彼らが居たからこそだった。「私のキャリアを振り返った時、この43年間の教師生活を振り返って見て、これこそ私の最高の仕事だと言えるだろう。」ボルペは出演者たちにそう言った。「最高の仕事さ。君たちは私のことを知っている。君たち全部が私のことを良く知っている。だから判ると思う。私がいつも本気で言っているということを。」

トルーマン高校の生徒たちは、実際に、自分たちが近隣からどう見られているか気にしている。スポーツをしている者たちは時々、近隣の高校の運動選手たちが自分たちを見下ろしているのを感じる。フィリッピはセスピアン・フェスティバルに選ばれることが何を意味しているか、いつも話している。「皆言うのさ。僕たちが全国的に知られているって。その内の1人に自分がいるなんて、ありえないだろう。」彼は言った。「この札束の地区で僕たちは、良いことでは全然知られていないんだから。悪い評判ばかりさ。」

ボルペは子供たちに約束した。ネブラスカ・フェスティバルの実行委員会からの手紙は、皆が居る前でないと開けないと。結果は全員一緒に知るのだ。クリスマス休暇の三日前、昼食の後にメイン・オフィスへ向かう途中、ボルペは自分の郵便受けをチェックした。郵便受けには確かにシンシナチの本部から来た演劇教育協会(Educational Theatre Association)の封筒が入っていた。

ボルペは出演者と仲間たちにテキスト・メッセージを送った。授業終了の鐘がなると全員が彼の教室へ走ってきた。彼は皆に封筒を見せると、封を開け、手紙を取り出した。手紙は「親愛なるルイス」で始まっていて、その後に続くのは一語だけだった。「おめでとう(Congratulations)!」

皆、悲鳴や雄叫びを上げ、互いに抱き合った。皆でボルペへ腕を回した。一番感情を爆発させているフィリッピの頬には涙がこぼれ落ちていた。

全員でネブラスカへ行くのだ。

~~ここまで~~

次回更新は10月26日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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