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ハミッド・カルザイは如何にして持ち堪えてきたのか?

アフガニスタンに関する記事をUpします。

記事を書いたのはウィリアム・ダリンプル(William Dalrymple)さんです。元記事はここにあります。

ハミッド・カルザイ(Hamid Karzai)大統領に関する記事です。

~~ここから~~

ハミッド・カルザイは如何にして持ちこたえているのか?

カルザイ家の墓地はカンダハールから数マイル離れた郊外のカルツ(Karz)村にある。ある日のこと、私は車でそこへ向かっていた。道路の側には焼き落とされた車が錆び付いたまま放置されている。干上がった排水溝を子供たちが走り回っている。チェックポイント向かい側の土壁には銃痕がいくつも空いていた。そういったもの全ての間に、傷一つ無いきらびやかな墓地がそびえている。タイル貼りの壁画を上に乗せたクリーム色の壁を越えて、長々と伸びたブーゲンビリアや桑(mulberry)の木々が花を咲かせて茂っている。2重の門の向こうにはヒノキが並んでいる。中央には部族の長老の墓を収めたドームが建っていた。

ハミッド・カルザイ(Hamid Karzai)は大統領として最後の任期に入った。そして私は彼の兄の一人、マフムード(Mahmood)と一緒に、ボディーガードの一団を引き連れてカルツへ向かった。アフガニスタンの大統領選挙は4月に予定されている。そして候補受付の締め切りが近づく中、この国の未来は、カルザイ家の難儀な家族内政治に若干影響されているように見える。ハミッドは3期目を務めることは出来ない。そしてカブールでは、彼が兄のカユム(Qayum)を後継者として指名するだろうと長いこと噂されていた。マフムードは大統領職が家族の間で継承されるのを望むと、公言している。彼はカユムのための選挙資金募金活動を既に始めていた。かつてハミッドのためにそうしたように。

しかしながら今のところ、大統領は公式にはこの話題に沈黙しているし、カユムもまだ手を上げていない。マフムードの実業界での行動、銀行スキャンダルや怪しげな不動産取引とかに関わる彼の行動は、ハミッドのアキレス腱であると、長いこと見なされてきた。そして大統領が次第に、歴史に刻まれるべき自分の業績に心を奪われてゆく中、はたして家族に対する忠誠心は彼の功名心を上回るのかまだハッキリしない。こう言った懸念の全て、およびカルザイが、自分を支持するアメリカに対して、その悪行を非難するために使う怒りのレトリックが、家族の間の話し合いに緊張をもたらしている。「最近はハミッドと話すとき、あまり居心地が良く無い。」マフムードは、私と一緒に、兵士を満載したピックアップトラックに挟まれて装甲ランドクルーザーに乗っている時、そう言った。「あの馬鹿げた陰謀理論。それに彼の西洋に対する冷笑的な見方。ああいった考えはアフガニスタンの助けにならない。私は彼が、正しい経済政策の重要性を理解しているとは思えない。」

しかしながら墓地に到着すると、カルザイ家の死者を大勢納めたその光景が、直ぐにマフムードを一族への忠誠心に引き戻した。「あそこを見てくれ、彫刻された古い墓石があるだろう?」彼は言った。「祖父のものだ。家族の真のリーダーさ。祖父はこの地方の西部からカルツへ移住してきて、この土地を買った。」

そして彼は守衛小屋に張ってある髭を生やした男のポスターを指差した。「あれは叔父のカリル(Khalil)だ。」カリルは1980年に殺害された。彼は家族内の争いで殺されたと言う人がいる。しかしマフムードは、ソビエトとの戦争の最中に暗殺されたのだと言った。「そしてあそこにあるのが、」彼は続けた。「また別の叔父だ。彼も暗殺された。」

私たちは歩いてドーム状の霊廟に入った。そこには横長の墓石がピンク色のプラスチック・フラワーに覆われて横たわっている。「父の墓だ、」彼は小さな囁き声でそう言った。「モスクを出たところで銃撃されて死んだ。その横にあるのはアフメド・ワリ(Ahmed Wali)。私の異母兄弟だ。」

彼は、私たちが共に知っていることをあえて言う気は無いようだった。カンダハール地方議会議長だったアフメド・ワリは実質的にカンダハール地方の支配者であり、アフガン産ヘロイン売買を部分的に支配していると西洋から見られていた人物だ。同時に又、C.I.A.が反タリバン民兵組織を動かすのを助けていて、信頼する側近の一人に殺害された人物だ。彼の銃撃場所は、私たちが今立っている場所から遠くない。ちょうど2年前の出来事だった。私は他にも殺害された者が家族にいるか尋ねた。「大勢いる!」マフムードは答えた。彼は他の墓を指差した。「1人、2人、3人...全部でだいたい8人だな。たぶんもっといると思う。」

私たちは墓地を出てカルツへ向かった。兄弟たちが子供のとき過ごした場所だ。背の低い土壁の家が道に沿って建っている。「この環境で暮らすことを考えてみてくれ!」マフムードは言った。「もし自分で自由に出来るなら、村を全部取り壊すね。全員が住むアパートを立てて、土地は農地に変えるんだ。」合衆国で数十年すごし、アフガン・レストラン・チェーンを作った彼にとって、この光景はちょっとした驚きだったようだ。「この暑さの中で山羊の肉をつるしているんだぜ!酷く不衛生さ...それに、ああして座っているだけの人間たち。あいつら何もすることが無いのか?大声で叫ぶとかさ?この社会の商業の弱さを見てくれ。あれを店と呼べるか?いったい今は何時代なんだ?ローマ帝国時代か?」

私は兄弟が育った家を見たいと告げてあった。しかし何回か道を間違えた後でも、まだその場所が見つからない。もう何年もの間、彼ら兄弟の内、誰一人帰っていなかった。一度としてだ。その理由はこの場所が今、部族の中でも敵対関係にあるグループのリーダー、従兄弟のハシュマト・カルザイ(Hashmat Karzai)が支配しているためである。家族の中のこの2つの派閥の関係は、友好的とは言えない。

「この場所はあらゆる記憶を超えて変わってしまったようだ、」マフムードは言った。「このモスクは覚えている。私とハミッドは、あそこでよく遊んだ。だが、ブドウ畑!あれは何処へいったんだろう?」最後に運転手が、ある場所で車を止めた。「ここか?」マフムードは訊いた。「ここじゃないだろう。」私たちは車からおりて、土壁の家に囲まれた乾いた土地へ出た。卵のカートンがドームのように積み重ねられている。マフムードは、近くを通り過ぎるターバンを巻いた老人を呼び寄せ、しばらく話した後で宣言した。「運転手は正しいようだ。ここが私たちの家だ。」彼は何も無い土地を指し示しながら言った。

「何が起きたんだ?」私は尋ねた。

「ロシア人さ、」彼はしばし黙った。「ムジャヒディンで名の通った全ての部族は、財産を没収されたり、破壊されたりしたんだ。」

その時マフムードは、初めて落胆しているように見えた。「カユムと私は合衆国にいた。でもハミッドと父はジハードで有名だった。ここにある家々は、」彼は土壁の家を指差して言った、「私の従兄弟たちが住んでいた家だ。ソビエト政府が私たちの家を破壊しに兵士を差し向けたその夜、従兄弟たちは呼び出されて並ばされた。そして撃たれたんだ。最後の一人までね。」

「何も残って無いって?ただの空き地なのか?」ハミッド・カルザイはサクランボを口に放り込んで言った。「離れ家さえ無いのか?」

もう1つサクランボが最初のに続く。「私は1980年代から見てない。でも全部良く覚えているよ。」彼は押し黙ると、小石を取り出して目の前のプレートに綺麗に並べ始めた。「あれは典型的なアフガンの村の家だった、」彼は続けた。「土壁の家さ。道路に面したメイン・ゲートから長いトンネルで繋がっている。私はそこで生まれたんだ。」

彼はフルーツの入ったボウルを私のほうへ押した。「アフガン・チェリーは食べたことあるかい?」彼は訊いた。「他では手に入らない。この世で一番美味しいんだ。」私は勧めに従った。「他の物のように果肉が厚くは無い。ジューシーで柔らかく、美味いんだ。ちょっと苦い。甘くてすっぱい。なんて言ったかな?タルト(tart)だ。」

それはラマダンの最初の週の、ほとんど真夜中近くだった。カブールはほとんど休止状態で、カルザイはいつもより自由な時間を多く持っていた。そして私と3晩にわたってアフガニスタンの未来を話し合うことに同意してくれた。宮殿に来てみると、セキュリティは特別厳重だった。毎訪問時、私はパスポートを7回チェックされた。ボディー・スキャナーを3回通り、ブラックベリーとペンは取り上げられた。やっと入館を許可されてみると、宮殿はほとんどひと気が無かった。大統領個人の護衛たち、M-16突撃銃を構えてピンストライプが入ったダブルの上着を着る護衛たちだけが、照明の下をゆっくりと歩いている。

厳重な警戒には充分な理由がある。1週間前、アフガン国軍スタイルの制服を着て偽造IDカードを持ったタリバンの侵入部隊が、2時間の銃撃戦で鎮圧されるまでに、宮殿を7層で取り巻くセキュリティのうち最初の2つのチェックポイントを突破した。彼らはC.I.A.本部近くのアリアナ・チョーク(Ariana Chowk)まで到達している。そこは1996年にソ連支配下政府で最後の大統領だったナジーブッラー(Najibullah)が殺害され、勝ち誇るタリバンに性器を切り取られた場所だ。

その前の数週間はカルザイにとって、敵対するタリバンとの戦い、および、自分を支持する合衆国との関係上、特別悪い日々が続いていた。議論と妨害工作ばかりの数年間、和平交渉は延期に延期を重ねたが、カルザイ、合衆国、そしてタリバンは、とうとうカタールで会合することに同意した。アメリカ人とカルザイは、タリバンがドーハに持つ施設は、単なるオフィスだと言われるものと信じていた。ところが、その代わりに彼らが見たのは、入り口に大使館のような表札を掲げた場所で、そこには「イスラム首長国アフガニスタン(the Islamic Emirate of Afghanistan)」と書かれており、古くからのタリバンの旗が掲げられていた。カルザイは、オバマ政権が秘密裏にそうすることに同意したと信じている。そしてそれは、アフガニスタンを分割し、国の南部にタリバンの自治圏を作ろうとする思惑で、合衆国がタリバンとその支持者のパキスタンを相手に秘密の取引をしている、と言うカルザイのパラノイア強めることになった。

こういったこと全てのために、私はこの会談で、自分の政権が破綻して終了することに直面した疲れ果てたカルザイと会うことを予想していた。その代わり、最初の夕べ、彼は元気よく部屋に入ってくると、私の手を固く握った。ストレスを受けているにしては非常に元気に見えると私がコメントすると、彼は笑った。「私はプレッシャーなど感じていない、」彼は言った。「ラマダンの最初の日は完全なオフだ。誰も来ない。今日はここ10年で最初の完全にフリーな日さ!自分の部屋を出ることもしなかったよ。」彼の妻は子供と共にベルギーにいると言う。「今日は昼寝して新聞を読んだだけだったね。」

時々カルザイの左目の辺りを引きつらせる神経質そうな痙攣、動転すると酷くなると言われるその痙攣は今ほとんど無い。その頑健な健康は、彼を巡る噂話に、ある嘘が混ざる原因となった。苦難の日々の間にカルザイは種々の麻薬の中毒になったとの嘘だ。大統領の気分のぶれや気まぐれな怒りは、カブールのゴシップ好きの間で、噂話の信憑性を強めている。それでも、彼を良く知る人によれば、このような噂話はナンセンスだ。「彼は確かに気まぐれだ、」以前彼のセキュリティ・チーフをしていて、今政敵となっているアムルラー・サレハ(Amrullah Saleh)は言う。「彼は毎晩、少なくとも1時間は体を鍛えている。彼に付いて行かねば成らない護衛たちは大変さ。」マフムードも同意する。「彼は体力的にとても規律正しい。それに非常に粗食だしね。この国のメロンがどのくらい美味いか知ってるだろう?私は、彼が二切れ目を食べようと手を伸ばしたところで止めるのを何回か見ているよ。彼は鉄のように規律正しい。」しかしながら、1日の断食の後では、そんな抑制は必要ない。カルザイは、アフガン・メロンやブドウ、イチジクを乗せた大皿と、小さなサクランボの山をたいらげながら、アフガニスタンとその国民に対する、いわゆる西洋の同盟国の裏切り行為を、陽気に糾弾し始めた。

カルザイに言わせると、合衆国は今やパキスタンと共謀して彼の政権を捨て去り、合衆国の要求に抵抗するには弱すぎる分割されたアフガニスタンで置き換えようとしている。結局のところアメリカは、長いことかけてこの地域を不安定にしようとしてきたのだ。「はたして対テロ戦争はこの地域を穏健にしたのか、それとも過激にしたのか?」彼は尋ねる。「これは意図しない結果だったのか?それとも政策の結果だったのか?」

「今や全体像が明らかになりつつある、」彼は机を叩いて強調しながら続けた。「西洋はアフガニスタンを使いたかった。ここに基地を持ちたかった。最終的にアフガニスタンが取引に応じるしか無いほど弱くなる状況を作りたかった。その中ではアフガニスタンの国益は二の次ですらない、三の次、あるいはもっと下だ。」

カルザイのレトリック上の飛躍は、何年もの間、彼の同盟者を戸惑わせ幻滅させてきた。ここ最近、アメリカ軍が駐留を継続する場合の法的概略を定める相互安全保障合意(Bilateral Security Agreement:B.S.A.)を巡る交渉が停滞する中、こういったレトリックは、何か残念な結果が近づきつつあると予感させる原因となっている。私たちが会談したその時、両者は回復不能なデッドロックに陥っているように思われた。カルザイは、合衆国がアフガニスタンを外部の敵から守ることを求めている。かりにそれが、パキスタンへ軍を差し向けることになってもだ。合衆国は、アフガン法律下における自軍兵士の完全な訴追免除を求めている。そしてもし合意がなされなければ完全に撤退すると脅しをかけている。カルザイは、もし必要ならば合衆国との同盟を解消し、他に助けを求めると公言した。この展望は、カルザイの支持者と共に、かくも膨大な犠牲を払って設立した政府が簡単にタリバンに屈することを恐れるアメリカ高官をも恐怖に陥れた。

カルザイは話題に熱中するにつれて、次第に深みへと入っていった。西洋の助力者や大使たちは上辺では並んで援助を差し出しているが、その向こう側、彼が言うところの「奥の院(the Deep State)」では、彼のことを貶めようとしている。「私が見るところ、大使たちは奥の院が何をしようとしているのか知らないようだ。だから彼らは問題に直面している、」彼は言う。「彼らは何らかの行動を求められているが、その一方で、現場で策動する奥の院は何か別のことをするのに忙しいのさ。」

西洋のメディアも一味だ。彼の成功を、西洋の政府の指示によるものとして、高い評価を与えない。ニューヨークタイムズは自分の業績に対し、意図的に否定的だと、彼は信じている。「彼らはまるでソビエト連邦のプラウダのように振舞っている。違いと言えば、プラウダは民主主義の仮面などかぶっていなかった。ニューヨークタイムズはかぶっているんだ。」

しかし、彼のレトリックがどんなにヒートアップしても、カルザイには個人的魅力があり、彼の批判者すらをも味方に付ける力がある。私たちがともに過ごした夕べに、彼は、自分がまだ民主主義を信じていて、西洋の新聞や映画、特に英国のものを楽しみにしていることを、残念そうに認めた。彼はまた、英国王室に対する愛情を語り、チャールズ皇太子がバルモラルで週末を過ごしたとき、自分を招待してくれた思い出を話した。「彼は良い男だ。非常に暖かく客をもてなす。カミラも素晴らしいレディーだ。」彼はしかし、西洋に対する自分の見解を変える必要は無いと思っている。彼を打ち倒そうとしているのは同盟国だと言う。

彼は本当にアメリカに裏切られていると感じているのか?私は尋ねてみた。

「国家としてならば、」彼は即座に答えた。「イエスだ。正にその通りさ。」

この国に捧げた我々の犠牲(約2000人)や支払った金額(約5000億ドル)を思えば、そのような意見は多くのアメリカ人を驚かせるだろう、と私は指摘した。「見たまえ、」彼はそれに答えて言う。「マレン提督は合衆国上院でした重要な演説の1つで言っている。ハッカーニ・ネットワーク(タリバンと同盟する主要な反乱グループ)はISI(パキスタン統合情報局)の正に別働隊であると。彼はそう言ったんだ...ならば、何故彼らはテロリストの基地が、タリバンの基地が、ハッカーニの基地が、パキスタンにあると知っていてアフガニスタンを爆撃し、人々を殺すのだ。これは裏切りだろう。」

「そしてこれは、あなたにとって大きな問題なのですか?」私は尋ねた。

「市民の犠牲だ、最大の問題さ。私は彼らの金については気にしちゃいない。彼らが金を上手く使おうが悪く使おうがね。これはアメリカがアフガニスタンへやって来たそもそもの理由なんだ。対テロ戦争さ。彼らはテロリズムが存在し、依然として存在している場所で戦っていない。彼らはアフガニスタンとその人々を傷つけ続けている。」

人権活動グループが出した独立レポートは、アフガニスタンにおける市民の犠牲が多すぎると言うカルザイの主張を裏付けている。しかしもし、これが彼の政治スローガンになるのだとすれば、それはアフガニスタンの自治と言う、より大きな問題を想起させるだろう。自分たちの国が植民地になりつつあるとアフガン人は感じている。アフガニスタンを旅したことがある人間なら誰でも、合衆国兵士が持つ施設が、その宿主を苛立たせているのを見ることができる。最近ジャララバードからカブールへドライブした時、私は軍のコンボイが時速20マイルで進んでいる後ろにスタックした。兵士たちは自爆攻撃を恐れてドライバーが追い越すのを拒否し、誰であれ追い越そうとする者に警告射撃をする。道の終わりに達するまでに、コンボイの後ろには何百台と言う車が並ぶことになった。怒りで沸騰するアフガン人の大群だ。毎日、こういった小さな問題が怒りを増幅させる。そしてカルザイは、彼が言う「いわゆる同盟国」の鈍感な振る舞いを、定期的に非難することで得られる政治的得点を知っている。

「対テロ戦争で我々は何が得られた?」彼は続ける。「ちょうど昨日だ。ヘラトで22人の女性と子供が殺された。誰がそれをした?いつまで続くんだこれは?我々はアメリカが求める基地を提供した。しかし、基地の見返りに彼らはアフガニスタンが安全で平和で、安定的に統一された中央政府をもつことを保証しなければならない。そのどれか1つでも上手く行かなければ、この国は封建領主が治める無政府状態に投げ込まれる。」彼は肩をすくめた。「彼らが撤退したいと言うなら、それは彼らの自由だ。しかし留まりたいのなら、アフガニスタンの国益に資するものでなければならない。」

翌晩、この問題に戻りながら彼は言った。「私は君を通して西洋にメッセージを伝えたい。私に圧力は効かない。我々は公正な取引を望んでいるだけだ。その中ではアフガニスタンの国益が考慮されなければならない...アフガニスタンが封建領地に分割されることは無い。我々はそれを許さない。たとえ死んでもだ。」

私が始めてカルザイに会ったのは数ヶ月前だ。第一次アングロ=アフガン戦争を題材とした私の最近の本について議論するために、彼は私を宮殿に招待した。その本は、彼の先祖となるシャー・シュジャー・アルムルク(Shah Shuja ul-Mulk)、ロシアとのグレート・ゲームの一環で英国が王位に据えた人物を話の中心に置いている。そのため、特に彼に感銘を与えたようだった。今日の分断において、過去の影響を意識しないでいることは難しい。シャー・シュジャーは19世紀中頃にポパルザイ(Popalzai)部族の首長だった。ハミッド・カルザイも同じ部族の首長に任命されている。シャー・シュジャーの主要な敵対相手はジルザイ(Ghilzai)部族で、彼らは今、タリバン兵士の大多数を形成している。

しかしながら、第一次アングロ=アフガン戦争は幸福な前例とは言えない。容易に達成された政権交代は大きな軍事的恥辱によって終焉する。雪に閉ざされた道で英軍がジルザイ族に虐殺された後、シャー・シュジャーは自分の側近の1人に暗殺される。昨春に私たちが話した時、同じような不安感が空気に漂っていた。

カルザイは、英国がシャー・シュジャーにしたのと同じように、合衆国が自分を苛めようとしているとの考えを明らかにした。しかし彼は同時に、歴史の教訓を学び、操り人形として見られまいと決意している。「アメリカと英国は、まるで我々が再度、植民地的地位を受け入れると思っているかのように振舞っている、」彼は言った。「我々はそんなことはしない。我々は常に戦いに勝ってきた。しかし政治的に負けたんだ。今回、私は政治的勝利を確実にしたいと考えている。」

2004年にカルザイが大統領に選出された時、彼はユニークな人物として賞賛された。西洋を支持するパシュトン族で、ソ連と戦ったがタリバンには抵抗している。そして国内の種々の派閥に受け入れられているのと同時に西洋にも受け入れられている。しかしカルザイが彼の新政府を構築している間にも、タリバンは再編成を進めていった。2004年終り頃、国境沿いでパキスタン軍のトラックがタリバン兵士を救助する写真を合衆国が手に入れる。そのわずか3年後にタリバンは、国内の半分以上で恒久的存在となり、パシュトン地域でイスラム法を強化し、税さえも集めるようになる。カルザイはタリバンの再興をNATOによる拙い戦争の進め方と、パキスタン国内のタリバン基地根絶に繰り返し失敗する合衆国のせいだとして非難した。

合衆国はその一方で、カルザイは彼自身のゲームを進めていると信じていた。軍とインフラストラクチャーへの投資を続ける上で、アフガニスタンが内戦の巷に落ちるのを恐れる西洋に依存しているにも関わらず、多様な支持者の歓心を買うために西洋に抵抗してみせる。2009年、オバマがアフガニスタンへ送る最初の大使として任命したカール・エイケンベリー将軍は、後にウィキリークスで公表される電報を書いた。電報はワシントンが同盟者に対してフラストレーションをつのらせている模様を暴露している。「国家建設における最も基本的な信条さえ把握できない彼の無能さと、指導者として深く根を下ろした不安定さは、誤りを容易に認めない態度とあいまって、カルザイの中に責任あるパートナーを見出そうとする我々の最大限の努力を繰り返し挫折させる。」

しかしながら同時に、カルザイはアフガニスタン国内で次第に力強い存在となってゆく。権力の無い操り人形で単なる「カブールの市長」として一度否定された男が、政敵に相対する方法を1つ1つ学んでゆき、幅広い部族を自分の支持者に取り込んでいった。

「たぶん、当初から若干、彼は正しく評価されていなかった、」オバマがアフガニスタンとパキスタンを担当する特別代表に任命したジャイムズ・ドビンス(James Dobbins)は言う。「しかし彼は2回の選挙を勝ち抜き、故国で広く受け入れられている憲法に基く政府を築いた。そして喜んで身を引くことで、アフガン史上初めて平和裏に行われる政権交代を十中八九成し遂げようとしている。」彼と長年に亘って大統領職を争ったライバル、アブデュラー・アブデュラー博士(Dr. Abdullah Abdullah)も認めている。「政治家として彼には数多くの能力がある。特にエネルギッシュなところと戦術が優れている。」しかし又、彼は言葉を濁しながら付け加えた。「彼は又、アフガニスタンがかつて生んだ中で最高の役者でもあるだろう。」

カルザイが批判する合衆国軍部でさえ、彼を評価するようになった。「我々が意図的に市民を犠牲にしていると言う彼の主張は完全に不当だ。事実として馬鹿げている。」去年までアフガニスタンの合衆国軍事作戦を統括していたジョン・アレン将軍(Gen, Joh Allen)は言う。「しかしそういった発言の幾つかは政治的なものであり、一部は単なるレトリックだ。彼は自分自身の考えで行動する独立国家の独立した指導者として見られたがっている。自分を我々と別の存在として定義することは彼の政治的立ち位置だ。彼は自分がアメリカのシャー・シュジャーとして見られるわけには行かないことを知っている。彼は色々な意味で見事な人間だ。」

相互安全保障合意における、合衆国を相手にした最近の瀬戸際政策は、上達した彼のスキルを示している。安全保障会議からの撤退で、彼は国務長官ジョン・ケリー(John Kerry)と10月に1対1で交渉することになった。カルザイは、合衆国兵士がアフガニスタンに留まることに基本的に合意したが、重要な細部は巧みに未決定で残し、条約の批准をラヤ・ジルガ(loya jirga:伝統的長老会議)に託した。それはこの記事の段階で11月21日に予定されている。多くの者が、ラヤ・ジルガが米国兵士の訴追免除を許すとは信じていない。長老会議での投票はカルザイに、政治的に不人気な取引を合衆国と交渉する際に使用できる、又別のカードを与えることだろう。そして交渉結果が故国で引き起こす副産物から距離を置くことができる。

「権力を行使するプロセスを通して、彼は非常に効果的な交渉者になった。」ドビンスはワシントンから電話でそう言った。「油を差してもらえるのは音を立てる歯車だって言うことを彼は学んだのさ。」

カルザイは、アフガン政治の扱い方について、多くのことを父親から学んだ。父のアブドゥル・アハド(Abdul Ahad)は60年代と70年代、アフガニスタンに、つかの間訪れた政治と社会の開花期に活躍した強固な王党派だった。アフガニスタンの歴史と自分の家族がその中に占める地位に関するセンス、および西洋に対する愛憎入り混じった感情が彼の中で形成されたのは、その時代にまでさかのぼる。

彼の生まれは、全く幸先の良いものでは無かった。1957年生まれの彼は、アブドゥル・アハドの最初の結婚で生まれた最後の息子だった。アブドゥル・アフマド(Ahmad)、マフムード、カユムの次だ。ハミッドが生まれて直ぐ、父親は、息子たちの文盲の母親を、若くて教養のある2番目の妻に代えた。アブドゥル・アハドが最終的に2つの家族を1つにまとめたのは3年後のことだった。ハミッド自身はこれについて何の問題も無かったと言う。「アフガニスタンではありふれたことだ。今日においてもね。」彼は父の2番目の結婚についてそう言っている。「何の緊張感も無し。全く無しだ。」しかし家族の友人たちはそれほど確信を持っていない。ある人物は、ハミッドの母親は「一段下に扱われていた」と言う。そして父親は息子たちと、一度として強い絆を結んだことが無かった。異母兄弟たちとの関係は当初「悪かった」とマフムードはハッキリ言っている。「私たちの母親は幸福じゃ無かった。ハミッドは若干、粗略に扱われていた。彼は半分、自分だけの世界に生きていたよ。」家族の友人であるアユブ・ラフィキ(Ayub Rafiqi)によれば、それはハミッドにとって幸福な時代では無かったと言う。「彼の父は若干、彼のことを後ろめたく思っていた。そして彼は兄弟たちに苛められていた。彼は非常に孤独だったと思う。私たちが全員、裏庭で遊んでいた時、彼は顔をしかめて私たちを見ながら座っていた。」

そうした状況は、次の10年間に家族が分裂してゆくにつれ変わってゆく。1978年に起きた左翼のクーデターと1979年のソ連による侵略で、カルザイの父親はパキスタンへ逃げた。直ぐにマフムードとカユムは合衆国に居を構える。2人はそれぞれウェイターの仕事を見つける。マフムードはサンフランシスコのカーネリアン・ルーム(Carnelian Room)で、カユムはワシントンD.C.のマリオット・ホテル・チェーンで働いた。インドで勉強するようハミッドに勧めたのはマフムードだった。2人は月に50ドル仕送りして彼の教育費を支払った。

ハミッドはシムラ(Shimla)高原保養地にあるヒマチャル・プラデシュ大学(Himachal Pradesh University)に入学する。そこで彼は英語を学び、読書人としての個性を身にまとう。「僕らは皆だらしない格好をしていたけど、」大学時代からカルザイを知っているハミッド・ヘルマンディ(Hamid Helmandi)は言う。「ハミッドはいつもスーツを着て傘を持ちながらシムラ・ホールを歩いていたよ。彼は自分の英語を完璧にする決心をしていた。だから何人か、年配のアングロ=インディアンの『滞在者(stayer on)』を探してきて、適切で上品な英語の発音を教えてもらっていた。今でもその時の影響は残っていると思うね。」

アユブ・ラフィキによれば、ハミッドが「本当に自分自身を発見したのは」兄弟から遠く離れたインドでのことだった。確かに自分の子供時代を語る時かなり緊張するカルザイが、シムラでの学生時代を語るときは、喜びに微笑む。「あそこに着いたとたんに私は好きになったんだ、」ラマダンの時の会話で、彼はそう振り返った。「私が英国や英国統治(British Raj)について読み始めたのはあそこだった。英国に対する敬意を自分のなかに育てたのもあそこだ。彼らが私たちに何をしたのかは、忘れずにね。」英国による統治はインドに非常に良い貢献をしたと、後に彼は付け加えた。「あそこにはリーガル(Regal)という小奇麗な映画館があってね。スケートリンクの隣だった。金曜になると私はそこへ言ってピーター・オトゥール(Peter O’Toole)の映画を見たよ...『チップス先生さようなら(Goodbye, Mr. Chips)』とか『ラマンチャの男(Man of La Mancha)』とか。」彼が英国文学を愛するようになったのもやはりシムラだった。「私はトーマス・ハーディー(Thomas Hardy)やテニスン(Tennyson)を読んだ。しかし一番好きだったのは、もちろんシェリー(Shelley)だね。彼はとても好きだ。とても好きだよ。」

カルザイは夏の間、パキスタンにいるアフガン難民のために働いた。そして後に、父親がいる穏健王党派のシブガチュッラー・モジャッデディ(Sibghatullah Mojaddedi)に参加する。ムジャヒディンを形成する数多くの派閥の一つだった。ナジーブッラーのソビエト支持政権が倒れた後、ムジャヒディン内の確執は激しくなり、本格的内戦へと発展する。戦争を避けてパキスタンへ逃れる前、新政権で大臣を務めていたカルザイの父も、多くのアフガン人と同様、タリバンが国を統一する唯一の力だと見ていた。しかし直ぐに彼は、タリバンはアフガニスタンの文化を奪い取り「パキスタンの意志を実行している」と信じるようになる。彼は、ケッタ、イスラマバード、イスタンブール、ボン、ローマを行き来しながら、タリバンと戦う支持を集めるために活動した。最後にタリバンは復讐する。ハミッドの父親がケッタのモスクから家へ帰る途中、2人の男が車で近づきカラシニコフを発砲した。弾丸の1発が30フィートの距離から頭に命中した。

それから起きたことはカルザイの伝説の一部となっている。彼は武器も持たずにタリバンが支配するカンダハールへ車で向かい、家族の墓地に父親を埋葬する。そしてポパルザイ部族の首長に任命され、北部同盟のアフマド・シャー・マスードと反タリバン戦線に加わる交渉をする。それはマスードが2人の自爆攻撃者に暗殺される直前だった。そして最後に、9/11の直後、南部諸部族を反乱に立ち上がらせるために、パキスタンからアフガニスタンへオートバイで戻る。

カルザイは、大統領へ登りつめたその最初の日から父の意志を受け継いでいると意識している。そしておそらく、アメリカの高慢な武器使用に対する彼の嫌悪も、やはり同じ日から始まっている。2001年、大統領就任前夜に、パクチカ地方(Paktika Province)で彼の支持者を乗せたコンボイが合衆国のジェットに爆撃され、彼の最も親しい友人が殺害された。彼はその事件を今でも詳細に語る。

「何故こんなことが起き続けるのか?」彼は言う。「これこそ私が奥の院(Deep State)を信じる理由だ。たぶん将軍たちも何が起きているのか知らないのだ。」しかし何故、市民たちを殺すことがアメリカの国益にかなうのです?私は訊いた。彼は言う。「それこそが疑問だ。何故なんだ?こんなにもぞんざいな行為は国家にとって危険だ。トップ指導者は良いことばかり言う。しかし現場の行動は酷いものだ。」

おそらくアメリカ人にも言い返したいことがいっぱいあるだろう。カルザイ政権の腐敗は酷く、地球上で最も腐敗した国家として北朝鮮やソマリアと同じ順位だが、カルザイはそれが合衆国のせいだと言う理論を作り上げている。「腐敗は存在している。疑問の余地は無い、」カルザイは私に言った。「サービスを供給する上での小さな腐敗は前からあったし、今日もあるし、おそらくこれからも当分の間あるだろう。しかし大きな腐敗はアメリカがデザインしたものだ。腐敗した契約は、合衆国政府がアフガニスタンへの影響を買うために使われている。これらはアフガン政治指導者を腐敗させるためにデザインされたものだ。その方が彼らにとって使い易いから。」

しかしながら、アフガニスタンの腐敗の多くはカルザイの足元で行われていると、他の人なら指摘することだろう。ヘロイン産業はシェル・ムハンマド・アクフンザダ(Sher Muhammad Akfundzada)のような人物の元で隆盛した。カルザイがヘルマンド地方の知事に任命した人物で、国内で最も悪名高い密輸業者だ。そして又、酷い違反が多数起きた2009年の選挙がある。1,500相当の「幽霊投票所」が選挙監視人の監視を逃れて地方に設置された。

そして又、カルザイの業績に一番大きな泥を塗っているのは彼の兄であると広く受け止められている。特にマフムードは数多くの怪しい取引で非難されている。その中には、大統領との近さを利用して、旨味の多いトヨタのディーラーシップを確保したことから、カブール銀行の倒産に関与したことまでが含まれる。銀行が提供したローンのほとんどは、わずか19の企業や個人へ向けたものであり、マフムードを含むその多くは、大統領やその近親者と密接な関係にあった。その結果支払われた政府の援助は82億5千万ドルに及んでいる。マフムードは何の訴追も受けておらず、借りた金の返済も要求されていない。その額は530万ドルと言われている。

カユムは、カブール銀行やその他、マフムードが絡んだビジネス・スキャンダルに関わっていない。しかし彼はしばしば同じような汚名を受けている。「ハミッドと彼の父親に対して我々は敬意を払う。」カンダハールで会った白髪頭のムジャヒディン、ウスタド・アブドゥル・ハリム(Ustad Abdul Halim)は言った。「あの2人は賢く知識もある人々だ。だが他の2人は――西洋人たちはあの2人を自分たちの犬を洗うために使ってるのさ。今、あいつらはこの国に帰って来てるが、我々の民や文化に敬意を払ってなどいない。人々はマフムードとカリムに敬意など払わない。あいつらみたいな犬を洗うやつらは、たくさんいるんだ。誰もあいつらのことは気にしないさ。」

他の人はさらに踏み込んで話した。「彼自身は清潔であるかも知れない。しかし彼は自分の周りで起きている腐敗に寛大だった。」かつてカルザイ政権で高官を務めた人物は匿名でそう話した。彼は仕返しを恐れている。「アフガニスタンの国民が彼について問題視するのはそこさ。彼の近親者はあまりにも多くの問題に関わっている。しかしカルザイはそういった出来事に対して完全に沈黙を守っている。酷く悲しいことだ。かつて彼のことを、我々のネルソン・マンデラと見ていた同じメディアが今、彼は我々のロバート・ムガベだったと考えている。」

はたしてカルザイ王朝はどんなふうに見えるのだろう?昨春、私が初めてカブールに来たとき、ドバイで行われた家族の結婚式の場で、カユムがカルザイの後継者として任命された様子を、ほとんど全ての人が話していた。カユムが受付へやってくると、マフムードがこれ見よがしに宣言したのだ、「次期アフガニスタン大統領のおなり。」

私は、カブール中心部にある彼らのアパートでお茶をご馳走になりながらマフムードとカユムに会った。クリスタル・シャンデリアの下に置かれたグラストップのテーブルに、べた付く砂糖菓子が並べられており、ワイド・スクリーンのテレビと人工皮革のソファーが置いてあった。何種類ものアフガン産珍味が饗される中で、私は2人にレストランを経営していた時代のことを聞いた。「私たちのチェーンはヘルマンドと言ったんだ、」カユムが言った。「ボルチモアにも一軒あった。あの店はトップ100のレストランに選ばれたこともあるんだ。私たちは料理に誇りを持っていたし、顧客に常に愛想良く接するようウェイターをトレーニングしていた。」この日のためにネクタイをしてツイードのジャケットを着たマフムードが肯いた。「他のエスニック・レストランは、料理が良くてもサービスをケチるんだ。」彼は言う。「私たちはフレンチ・スタイルのサービスに良質な料理を約束した。」

マフムードは、離散民が獲得したビジネススキルが如何にアフガン経済を活性化するかを話した、「それこそアフガニスタンが世界の他の国に肩を並べる唯一の道だ」と彼は言う。話題は、アフガニスタンが絶望的なほど必要とするインフラストラクチャーへと移った。「ロシア政府は道を作った、」カユムは言う。「今回は全てのものが契約業者へ任されている。品質については何も顧慮されていない。あまりにも近視眼的だ。」

カユムは極めて政治家的な注意深い態度で話した。カルザイがタリバンを相手にした戦いで名を上げていた頃、彼はワシントンで活動していた。彼はハミッドが大統領へと選出されるきっかけとなったボン会議にも出席している。そして短い間、アフガン国会のメンバーを務めた後、タリバンとの裏交渉に関わってきた。「部族の長老たちやウレマ(ulema:ムスリム法学者)との共同作業で、私たちは揺ぎ無い前進をした、」彼は言う。「私たちが話し合いを続ける限りにおいて、私はこの国に平和をもたらすことに楽天的だ。それは可能なんだ。」

マフムードが私に対して、多くの人が問題視するアイノ・メナ(Aino Mena)の開発プロジェクトを案内しようと申し出たのは、このお茶会の席だった。マフムードの批判者は、彼が格安価格で10,000エーカーの土地を手に入れ、政府の補助金でインフラストラクチャーを整備し、大きく値を上げてから売却したと言っている。マフムードはその批判の全てを受け入れない。土地の価格は競争入札で決まったと彼は言う。そして、リスクを取って国の開発をする自分のような企業家は、新生アフガニスタンの真のヒーローとして賞賛されるべきで、「政敵に中傷されるべきでは無い」と言う。

どっちにしろアイノ・メナが、カンダハールの中でも、戦いで荒廃した他の場所と際立ったコントラストをなしているのは間違いない。警笛を鳴らす人力車、混雑した歩道、果物や履物や鶏籠を高く積み上げた荷車。アイノ・メナは涼しい木陰を提供するユーカリの並木道が通る隔離されたオアシスであり、ドバイ・スタイルのキンキラな贅沢をタリバンの生まれ故郷へ輸入しようと言う大胆な計画だ。

「まあ、ここにいる人間には何人か極端に行ってしまうのが居るけどね、」マフムードは車で案内する間、そう言った。「この美しさを見てくれ!」私たちは一軒のヴィラの前に車を止めた。4階建てのナーコ・ロココ(Narco Rococo)スタイルのウェディング・ケーキのような建物で、スイスの山小屋とムガール帝国のタージマハルとコーサ・ノストラのバロックを、どうにかして混ぜ合わせたような印象の建物だった。「とにかく、我々の投資家たちが見せるひらめきを見てくれ!」彼は言った。「これこそが未来なんだ!」

私たちは車を進め、ゴミ回収車を追い越した。マフムードは急ブレーキを踏んで興奮した身振りで話した。「私たちはこの国で初めてゴミの回収をしているんだ!」それから私たちは、まるで水を噴出する巨大なタッパのようなものの周りを回った。「この噴水は、私自身でデザインしたんだ、」彼は誇らしそうに言った。「綺麗だろう?」

10,000エーカーの夢の区画をアフガニスタンでも最も危険な都市に隣接して作ることに問題が全く無いなどと言うことは有り得ない。この開発計画は自爆攻撃者の人気のターゲットとなった。ここは又、アフガニスタンで増大しつつある金銭目当ての誘拐ネットワークのターゲットにもなっている。

そのようなことがビジネスに良く無いのはマフムードも認める。しかし彼は折れない、「今のところ私たちが受けたのはオートバイの攻撃が3回に自動車爆弾が2回だ。都市の内部よりもずっとましさ。」

彼は又、異母兄弟シャー・ワリ・カルザイ(Shah Wali Karzai)を含んだ小さな家族内の諍いに肩をすくめる。シャー・ワリは以前この開発のプロジェクト・マネージャーをしていて現在カンダハールの実力者アフメド・ワリ(Ahmed Wali)の後継者となっている。そしてマフムードによれば、アイノ・メナ銀行から5500万ドルを吸い出してプロジェクトを破綻寸前に追い込んだ人物だ。その代わり彼は話題をカユムの政治的大望へ移した。「私は弟をサポートする、」彼は断固として言った。「私たちはちょうど今、政策をまとめているところだ。」

ハミッドは?「確かなことは言えない、」彼は答えた。「私の考えでは、彼はカユムを支持するべきだ。それがこの国のためだから。人々は私たちの家族に馴染んでいる。次の5年もカルザイが立つと言えば、大多数がそれを好むだろう。カユムは素晴らしい大統領になる。そしてもしハミッドが支持すれば、チャンスは大きくなる。そうすれば、彼は次期大統領だ。」

カブールに帰ってから、私はカルザイに兄弟について訊いてみた。どんな場所に行っても、兄弟たちが彼の業績に泥を塗っていると、私は聞かされてきた。彼はこれについてどう思っているのだろう?

「とんでもない!」彼は答えた。「見てくれ、兄たちに関する話は全て公開されている。その中の1つ、カブール銀行に関するゴタゴタには少し関わってもいる。この件は裁判になる、公開されるんだ。アフメド・ワリにかんする疑惑は、ほとんどが西洋のプロパガンダだ。少しメロンを食べたまえ。」

彼はボウルを私の方へ押した。「私の兄たちは、自由な民主主義国の、自由な個人だ、」彼は続けた。「彼らは自分たちのしたことに、自分で答えなければならない。私の考えでは、私の手は汚れていない。どんな種類の身びいきもしていない。私は家族から誰一人、政府の要人に指定していない。」

「アフメド・ワリについては?」

「彼は人々から選出されたんだ。私は選挙を決定できない。もし選挙が決定できたら、恐るべきことだ。」

しかし彼は、最終的に大統領選でカユムを支持するのだろうか?アフガニスタンはもう直ぐ、インドのガンジー家とかパキスタンのブット家とかのような、カルザイ王朝を持つことに成るのだろうか?

「ブット家やガンジー家は、非常に異なる環境に居る、」彼は答えた。「彼らは議院内閣制を持っている。アフガニスタンは大統領制だ。このシステムにおいて王朝的行き方は正しいやり方では無い。私はカユムにどうしたら良いか進言したことがある。彼にはアフガニスタンの国民として立候補する権利があるがね。しかし私は、そうすることが彼自身にも家族にも良いとは思わない。彼の権利は尊重する。しかし私はそれについて助言しないだろう。」

「マフムードはまだ、あなたがカユムを支持するのを望んでいます。」私は言った。

「これは家族の問題ではない、」彼は断固として言った。「これは国家の問題なのだ。彼は今のままの身分のほうが幸福に暮らせるだろう。」

私は、カユムが10月初頭に立候補を公式に表明した後、彼と電話で話した。彼の立候補は、弟の支持が無ければ彼には勝ち目が無いと考えている多くの人を驚かせた。彼は自分自身を、ハミッドの政治的成功の上に乗っかってはいるが、民間セクターに集中してきた人間と位置づけている。「私は成功したビジネスマンだ。何も無いところから家族のために良い生活を作り上げてきた。私を犬洗いとか言ってけなす人間たちは、単に私の業績が羨ましいだけだ。」

カユムが、本当のところは何を思っていたとしても、彼は表向き弟の支持を当てにしていないと言っている。「大統領が独自の立場を堅持し、中立を保つのは良いことだ。」もしハミッドが最終的に誰か別の人間の支持に回ったら、どんな対応をするのか、私は訊いてみた。「彼は自分が望む人間を支持する完璧な権利がある。そして彼が誰を支持しようと、その人間が勝つと私は確信している。」

それは家族の中に不和をもたらさないのだろうか?

「私たちは充分成熟している、」彼は如才のない言葉を付け加えた。「政治は人生の中の小さな部分でしか無い。全部では無いんだ。私はハミッドを毎日のように見てきた。私は彼を誇りに思う。彼は困難な環境の中で成功した大統領だ。私たちはそれを続ける必要がある。」

一連のラマダンの会談の中で、カルザイと私は、彼が選挙の後どうするか、話し合った。予想されているように、彼はアフガニスタンを離れるのだろうか?

「私は国に留まるだろう、」彼は言った。「私のために家を建ててくれることになっている。政府が管理する家だ...最初にやることは、2~3日かけてリラックスすることだろうね。自分の時間を取り戻すためには1ヶ月から3ヶ月かかるだろう。そうしたら完全に自分を取り戻す。」彼は将来を楽しみにしていると後に語った。「鳥のようにこの愛すべき国を巡るんだ。人々を訪問し、バザールへ行く...」

彼に本当にそれが出来るだろうか?この不安定な状況で?「それでも私はそうするさ。セキュリティは人生の現実だ。合衆国大統領はアメリカ国内を回るとき、私よりもっと多くの護衛を引き連れている。」

しかし彼は未来に希望を見出しているのだろうか?経済は低迷し、タリバンが国内のかなりの地域を支配していると言うのに。内戦は現実的な可能性ではないのか?

「内戦なんてものは有り得ない。外国勢力が我々をはめなければね。」恐怖を駆り立てているのは、自分に対して「アメリカが仕掛ける心理戦」だ。「しかしそんなものは私を揺さぶったりしない、弱めもしない、むしろ私を強めているのだ。」

彼は依然として未来に注意を向けていると言う。

「それこそ私が毎日忙しく行っていることだ。未来を設計すること。未来がアフガン人にとって、過去より良いものになるのを確実にすること、それが私の責任だと感じている。私にはアフガニスタンに対して責任があるのをアメリカ人に理解して欲しいと、私は思っている。私が固執しているのは、彼らに反対することでは無いんだ。」彼はしばし黙った。「私は西洋の反対者では無い。私はアフガニスタン国民の利益の奴隷なんだ。それこそが、私が全うしたいことなんだ。」

~~ここまで~~

次回更新は2月1日ごろになると思います。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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