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ミカエラ・シフリン、18歳のスキー女子回転競技王者

米国女子アルペンスキー選手の記事をUpします。

記事を書いたのはビル・ペニントン(Bill Pennington)さんです。元記事はここにあります。

回転のワールドチャンピオン、18歳のミカエラ・シフリン(Mikaela Shiffrin)選手の記事です。

~~ここから~~

ミカエラ・シフリンは、たぶん計画もせずに、滑らかにワールドチャンピオンへと登った

コロラド州、イーグル・ヴェイルにて――ワールドカップ・チャンピオンになったアメリカ人として史上最年少のスキーヤー、ミカエラ・シフリンは、トロフィーで埋まった小さなベッドルームから飛び出してくると、ラップトップへつなげるヘッドホンを探してキッチンを走り回った。
 2分もしない内にヨーロッパのジャーナリストが、翌月のロシア、ソチ・オリンピックの金メダル候補である18歳の精密なプリンセスの内面を探ろうとして、この山間にあるシフリンの自宅へSkypeで繋げてくる。
 それは9月中旬、まだ8時をまわったばかりの早朝だった。昨晩珍しくも母のアイリーン(Eileen)と2時間離れたデンバーで夜遅くまでショッピングを楽しんだ彼女はまだ眠かった。ミカエラがキッチン・テーブルに座って急いで髪をとかしている間、アイリーンは、背景が散らかって見えないように、シンクのお皿を大急ぎで洗った。
 1ヶ月前高校を卒業したばかりのミカエラは、レポーターの前では思慮深げな様子で率直にふるまった。しかしインタビューが終わってラップトップを閉じるやいなや、母子は笑いを爆発させる。
 「あまりにも効率的にスキーを滑るものだから、ミカエラは完璧に準備する小さな精密機械だって、誰もが思ってしまうのね、」アイリーンは言う。「でも私は世界が見ているその後ろで、調理代とかコンロとかを掃除して走り回っているのよ。私たちが30分後の予定も判らないなんて、もし彼らが知ったらどう思うでしょうね。」
 「私たちにはワールドチャンピオンを育てるマスター・プランがあったって、皆が思ってる。でもそんなプランは無いの。」
 何れにしろ、しばしば次代のリンゼイ・ヴォン(Lindsey Vonn)と呼称されるシフリンは、ソチ・オリンピックで注目の選手だ。特にヴォンが怪我で欠場する今、アメリカのTVの注目は彼女に集まっている。輝く笑顔と長いブロンドの髪を持ち気取りの無いシフリンは、スターになるのを今やおそしと待っている。
 おそらく、この後、一番大変なのは、彼女の競技である大回転と回転が行われるまでの最後の数日をじっと待つことだろう。
 しかし最終的にソチのアルペン競技で最も長く記憶に残るのは、シフリンのオリンピック・デビューであるに違いない。彼女は新世代のスキー競技チャンピオンたちの顔となりうる存在だ。コロラドとニューハンプシャーで育ったワールドカップの金メダリストであり、ユーロッパ中が1つの呼び名で知っている人物。ミカエラと言う呼び名で。
 彼女のコーチでオーストリア生まれのローランド・ファイファー(Roland Pheifer)は言う。「ミカエラは一生の内で1度出会えるかどうかと言う才能を持っている。いつの日か、彼女は全ての競技で全員を打ち負かすことだろう。」
 回転競技の支配者
 シフリンは既に、得意競技の回転で、全ての相手を打ち破るという素晴らしい成績を上げた。
15歳からヨーロッパのレースに出場している彼女は、去年、ほとんど全員が2位のオーストリア人を声援する30,000人のオーストリア人ファンを前に、回転競技世界年間王者になった。そしてそれだけで無く、ワールト・カップ回転競技における独占的な地位を占めることで、スキー・コミュニティー全体をも驚かせている。去年彼女はワールドカップ回転競技で6回優勝しており、残りの2回はそれぞれ、2位と3位になっている。
 このシフリン現象とでも言うべきものは、単に競技での優勝に留まるものでは無い。むしろ彼女の急速な上達こそが注目されているのだ。彼女の競争相手の中には、彼女より300回以上多くワールドカップ競技に出場している者がいる。しかしシフリンは昨シーズン、有り得ないほどの大差で優勝するようになった。
 彼女が達成したものを俯瞰するには、シフリンが17歳でワールドチャンピオンになったことを考慮に入れなければならない。ヴォンが最初にワールド・チャンピオンシップで金メダルを取ったのは24歳なのだ。スピードによって定義されるスポーツにおいて、普通の人は滑降から始める。女子スキーにおけるシフリンの上達はほとんど重力を否定するものだ。
 11歳の頃から天才児だった彼女は、身体的に優れていたわけでも無く(5フィート7インチ、145ポンド)、特に攻撃的でも威嚇的でも無い(当惑したようなその微笑は自然に出るもののようだ)。スキーを履いた彼女は、それほど速そうにも見えない。彼女の上体はほとんど動かない。瞳は平静で、スキーを履いて雪の上で見せる角度も特別ダイナミックでは無い。
 競技において彼女が特筆に価するのはそのタイムのみだ。
「驚くべきは彼女のフォームの純粋さと平静さだ。」チームメイトで4回ワールドチャンピオンになったテッド・リゲティー(Ted Ligety)は言う。「世界で最も困難な氷の多い急斜面のコースでトップスピードを出している時でも、全く普通に見える。ミカエラにはそれが出来るんだ。」
 それこそが、彼女がスキー競技のモーツアルトと呼ばれる理由だ。でもそれは単に謎を一つ増やしただけだ。いったいどうしたらこのような天才児を育てられるのだろう?
 「誰からも訊かれるのよ。いったいどうやって彼女はそんなに早く上達できたんだ?って。」Skypeのインタビューの後、ミカエラがスクランブル・エッグを作っている間に、アイリーンはそう言った。「正確な答えは無いのよね。皆私に本を書けって言うんだけど。笑っちゃうわ。その本に何を書いたら良いんだと思う?ミカエラが上達したのは、夏に芝生を直した時、何週間も私のために牛の糞を片付けてくれたからだ、なんてね。」
 「あの時は気温が90°Fはあって、娘はまだ10歳だったけど、文句も言わずに一生懸命働いた。娘が良いスキー・レーサーになったのはあらゆる種類の異なる練習をしてきたからよ。優れた勤労倫理を学ぶことも含めてね。でもそのどれ一つとして、ワールドチャンピオンを作る計画の一部なんかじゃ無かった。」
プロセスに集中することと家族と居ること
 父のジェフ(Jeff)と、大学でスキー・レーサーをしている兄のテイラー(Taylor)を含めたシフリン家にとって、山の頂上を極めたシフリンの旅路は、彼らが自分たちで言うところの、単なる偶然とは言えないものが連続して起きた結果だ。
 家族は麻酔医であるジェフの仕事の都合で定期的に引っ越した。コロラドのヴァイル・ヴァレーと北部ニューイングランドの間を一回以上行ったり来たりしている。引越しのタイミングは気まぐれで、時には不満の多いものだった。子供たちは時折動くのを嫌がった。しかし振り返ってみると、全てのステップはミカエラの上達に重要だったと、シフリン家の者は言う。母子でニューハンプシャーの家の芝生を修繕しなければならなかった時さえも含めてだ。
「あれで本当に、少し肩の筋肉がついたのよ。」ミカエラは笑いながら言った。
 驚くべきことでは無いが、家族が取った戦略は全て非常に基本的なものであり、結果ではなくプロセスにフォーカスしたものだった。大学時代スキー・レーサーだったジェフとアイリーンは、基本的な信条を信じる人たちだ。子供のための競技スケジュールは軽くして練習日を増やす、練習日は、技術を基本とする熟慮されたドリルや訓練で満たす、といった信条である。
 そして家族の結びつきを強く保つことが肝要だと、彼らは言う。
 それでもこれは、スキー・レーシング・コミュニティーの中では異論の多いやり方だ。特にミカエラが競技を始めてワールドカップに出場するようになると異論はさらに大きくなった。
 その当時年長者よりも速かったミカエラが、権威ある遠方のチャンピオンシップ競技に出場せず、家に留まり家族と練習することを選んだ時、ユース・コーチは真っ赤になって怒った。アイリーンによれば、数年後、合衆国スキー・チームはアイリーンがミカエラと一緒にヨーロッパのワールドカップ・スキー・サーキットを回ることに断固として反対した。いずれにしても彼女はミカエラに付いて行き、シフリン家は3年に亘ってその費用を支払った。
 「私たちのやり方のおかげで合衆国は初めて17歳のワールドカップ・チャンピオンを持てたんですよ、」アイリーンは言う。「私たちが合衆国スキー・チームのために使った500,000ドルについて、彼らは感謝するべきでしょう。」
シフリン家が主張しているのは、彼らのアプローチ、即ち、スキルの向上に努めゴールの設定を避ける、そして常に家族を巻き込むことが成功の秘密だということだ。仮に秘密があったとしたらだが。
 「人から見たら、私たちが常に求めているのは普通であることだと思えるでしょうね。」アイリーンは言った。ジェフは振り返る。「トップレベルのコーチたちが来て言うんだ。ミカエラは本当にレース・コースを引き裂いたんだって。そしたら私は言うさ、『本当だね。でも娘はまだ9歳なんだ、』それでコーチたちは言う、『彼女をどういうふうに育てる計画ですか』って。それにはこう答える、『計画?そうだね、明日娘はクリスマスでやる劇の天使役を練習するさ』。」
「私たちに計画は無かった。何百万もの色々な出来事が起こり得たんだ。」
 東部への移住
 何百万もの色々な出来事が本当に起きた。彼らは男女を問わず、合衆国史上最高の18歳スキーヤーを本当に生み出した。ミカエラの成長過程で起きた数々の出来事について、シフリン家の話を聞くと、それは彼らがスキーのメッカ、コロラド州ヴェイルから離れてニューハンプシャーの街へ移住するところから始まる。その町はほとんど一度も行ったことが無いところで、辺鄙な場所に建つ新居は田舎道を進んだ先にあり、アイリーンとミカエラは見つけるのに苦労した。
 「最初のうち、東部は嫌いだった。」9月のある日、トレーニングを終えたミカエラは、ヴァイルにあるジムの外でそう言った。「両親は、西部と東部は完璧に違うって言うの。それで私たち子供に、両方とも知って地域の多様性を理解して欲しいと思ったのよ。でも違いに慣れるのはたいへんだった。ニューハンプシャーは雨が多くて、スキー場の雪は氷が多くて硬かった。山は低かったし。人々も、学校も、服装も、全てのものが違ってた。」
 ジェフ・シフリンは母校のダートマス大学がニューハンプシャー中央部で運営する医療センターに職を得た。以前、集中治療室で看護師をしていたアイリーンは、自分の興味の対象をミカエラとテイラーを育てることに向けた。
彼女は言う。「私たちはコロラドのリゾート・タウンにある素敵な家から、田舎の小さな家へ移ったの。土地は広くて、それは良かったんだけど、ニューハンプシャーの家は酷い状態だった。それで私たちは1日14時間働いて、内も外も家中ペンキを塗りなおして、全部修理したのよ。」
 芝生は地虫で荒らされていた。
 「だから芝生も敷きなおしたのよ。」アイリーンは言う。
ミカエラは言った。「あの経験は、後から振り返ってみれば本当に教育的だったと思う。私たちは自分たちで何とかしなければならなかった。そしてどんな物でも直す方法は見つけられることが判った。一生懸命働けばね。」
 テイラーが、新しい友人たちとサッカーチームを作って遠征でないと判った時のシフリン家の反応は、ほとんど全ての出来事に対する彼らの反応を象徴している。
 「ママはアマゾンで、色んな種類の10枚のワールド・カップ・サッカーのDVDを買ったの、」ミカエラは言う。「そして12フィートの高さのゴールネットとか、バンジージャンプのコードとかを買ってきて、裏庭に自分たちのサッカー施設をでっちあげたのよ。夏休みになると毎日、6時間から8時間、自分たちでサッカーのキャンプをしたわ。」
 ミカエラは1輪車を買った時のことを覚えている。それを買ったのは、バランス感覚を養うのに良いとアイリーンが何かで読んだからだった。バランス感覚は運動スキルのキーと成るものだと彼女は考えていた。シフリン家の子供たちは又、体を動かす時の整合性を高めるためにジャグリングも学んでいた。
 「それで私たちは、自分たちの住んでるブロックを、2マイルあるんだけど、1輪車に乗ってジャグリングしながら回ったのよ、」ミカエラは言う。「私がそれをしている時、テイラーはその後ろで、サッカーのドリブルをしながら、やはりブロックを走り回ってた。」
 アイリーンはそうした運動はいずれ役に立つと自信を持っていた。たとえ隣人が子供たちについて何と言おうとも。
 「お隣さんたちは、シフリン家の人間が1輪車に乗ってジャグリングしながら通るのを、外に出て見てたわ。」アイリーンは言う。「きっと皆、私たちが完全な変わり者だって思ったでしょうね。」
 しかし翌年の夏には、テイラーもミカエラも、サッカーチームを作って遠征できるようになった。
アイリーンはその時のことを思い返す。「コーチが私に言ったの。『いったい何をしたんですか、凄く良くなっている』って。私は言ったの、『たぶん知らない方が良いと思うわ』。」
 ジェフは言う、「私たちのやり方は過激だと言う人もいるかも知れない。しかしそうは思わないんだ。何故って、何かについて、他の人より良くなろうとしてやったのでは無いからね。ああいうことをした動機は、ほとんどどんなことでも、それをマスターするために喜んで時間をかければマスターできるという信念かあったからなんだ。何かをしようとする時は最善を尽くすべきさ。」
 若いうちから決めていた
 ミカエラも、デンバー大学で競技するテイラーも、自分たちが運動するように強制されたことは無いと言う。
 「全く反対だったわ、」ミカエラは言う。「ヴェイルにいた小さい時、雪の日に両親が言うの、『裏の渓谷でフリー・スキーをしようじゃないか』って。それで私が言うのよ、『嫌よ、レース・コースで練習したいわ。ポールの練習をするの。』私は毎日、なにかしら上達したがった。」
 ヴェイルで長年、ユース・スキー競技のコーチをしているリカ・ムーア(Rika Moor)は、お腹にミカエラを身ごもっていた時にアイリーンがレース練習用斜面でコーチしていたことを覚えている。
 「あの家族は全員が良い運動選手で、皆スキー競技が好きなのよ、」ムーアは言う。「でも7歳になった頃からミカエラは、スキーで雪に綺麗なカーブを書くことを強く意識するようになった。多くの子供たちは、友達と一緒にいたいからとか、両親が望むからレース・プログラムに入ったけど、ミカエラは違った。彼女はご機嫌な小さな子供だったけど、完璧なターンをすることに信じられないほど集中していた。次から次へとね。」
 しかし2003年に東部へ移住したことで、彼らはつき固められた安全で信頼できるパウダー・スノーを、レーサーたちが言うところの、ボイラープレートの青い氷と交換することになる。それは危険な交換にもなりえた。しかしミカエラは最終的にそれを良いことだったと見ている。
 「優れた技術が無かったら、硬い氷の上で長いこと立ってなんていられないでしょう。」ミカエラは言う。「東部のレース・コースはワールドカップ・サーキットの準備をさせてくれた。何故ならヨーロッパのレース・コースと雪は、東部のレース・コースと雪にとても良く似ていたから。」
 「仮に子供の時に東部に来てなかったとしても、私は今日、ワールドカップ・レーサーになっていたと思う。でも今と同じワールドカップ・レーサーじゃ無い。それに東部の文化的な環境や地理的な環境も、私を助けてくれた。」
 ミカエラはヴェイルで、その広大な斜面を経験することで、オールラウンド・スキーヤーになることを学んだ。ニューハンプシャーへ移ったとき、彼女は小さなストールズ・ヒル・スキー場(Storrs Hill Ski Area)に行くことになる。ヴァイルの標高は約3,500フィート。ストールズ・ヒルは300フィートだ。
 しかしながら、多くのアメリカ人チャンピオン・スキー・レーサーは、小さな斜面でスキーを始めている。その内の一人がヴォンだ。彼女はミネソタ・インターステート側の瘤のような丘でスキーを学んだ。ジェフとアイリーンはストールズ・ヒルで、アルペン・ディレクターのリック・コルト(Rick Colt)と共にボランティアでコーチをした。2人はミカエラに、日中は週5日、そして夜は週3日、時間を取って教えた。
 「私たちは学校を出るとストールズ・ヒルまでの45分間に宿題をして、夜まで練習した。」ミカエラは言う。「小さな場所だと上がったら直ぐに降りて来られる。一日でコースを25回は降りたわ。そんなことは大きな山では出来ないでしょう。私は東部でそういうのを好きになることを学んだの。」
 ミカエラはレースの出場を軽めにするスケジュールを維持していた。しかしレースに出た時は、だいたいいつも勝った。時には大差で。レーシング・サークル内で彼女の卓越性のニュースは広がってゆく。
 彼女は名前が売れてゆくことを笑い飛ばしていた。地方紙にどうやってリラックスするのか訊かれて、ミカエラは、ワールドカップ・チャンピオンシップ・スキーヤーのビデオを見るんだと答えた。夏になると、ミカエラとテイラーはインライン・スケートでスキーの真似事をした。アイリーンは箒を回転のポールに見立てて、ポールをブロックしたり押し倒したりする上で必要となる複雑なリズムや手を動かすテンポを子供たちに教えた。
 特別な様子
 最終的にミカエラとテイラーは東部でも最高のコーチの目に留まる。テイラーが、バーモント州北部にあるスキー・レーサーのための寄宿学校、バーク・マウンテン・アカデミー(Burke Mountain Academy)に入った時、当時11歳で寄宿舎に入れないミカエラも一緒に入った。
 バークの校長でありコーチでもあるカーク・ドワイヤー(Kirk Dwyer)はミカエラを、完璧にバランスがとれた(1輪車に乗ったのは良かったのだ)、自信を備えたスキーヤーだと見ている。そして競技場での彼女の様子は他にはあまり見られないとも言う。
 「彼女は本当に上達のプロセスに集中するべきだと信じているんだ。レースの結果では無くね。」ドワイヤーは言う。「彼女は今日までそれを続けてきた。ワールドカップに出る選手は皆言うよ。練習のときのように競技したいって。でも本当にそれが出来る選手は何人いる?ミカエラはそれができる。何故なら彼女は勝とうと考えていないから。彼女は上達することだけを考えているんだ。」
 ミカエラが13歳の時、父親がデンバーに職を得て家族はヴェイルへ戻った。
 「ヴェイルは大好きなんだけど、あの時はがっかりしたわ。」彼女は言う。「私はバークの友人たちやコーチと離れたくなかった。」
それでミカエラは東部に戻り、アイリーンもそれに付いて行った。彼女はバークの側のアパートを借りる。カナダとの国境線から25マイル離れた場所だった。以後、ジェフとアイリーンは何回か冬を離れて暮らすことになるが、これがその最初だった。
 「週末、家族に会うために飛行機に乗らなきゃならないとしたら、そうするさ。」ジェフは言う。「それは犠牲じゃ無い。なぜならこの移住は子供たちにとって正しいことなのだから。」
 しかしこれは金のかかる決断だった。特にミカエラがバークを離れ、ヨーロッパにスキーに行くようになるとなおさらだ。それもアイリーンを一緒に連れて。シフリン家は居心地が良く家庭的な場所ではあったが、ヴァイル・リゾート・ヴィレッジのピザ屋からは9マイルも離れていた。
 「もっと大きな家と素敵な車が欲しく無かったかって?」ジェフは言う。「欲しかったさ。時には人の物が羨ましく感じることもあった。でも私たちは自発的に喜びを先延ばししたのさ。その方が長い目で見れば見返りが大きいと判っていたからね。」
 ワールドカップの生活に慣れるのは簡単では無い。言葉も食事も違う。アイリーンは車でヨーロッパのあらゆる所へ行かねばならなかった。そしてミカエラは社会的な繋がりを持てずにいた。
 「彼女は15歳か16歳だった。28歳の選手とバーへ行くわけにはいかないでしょう。」アイリーンは言う。
 母と娘はロマンチック・コメディーのDVDとか、「フレンズ」や「グリー」を見て夕べを過ごした。ミカエラは午後の時間のほとんどを、アイリーンをチューター兼勉強相手にして家庭学習に当てた。
 「でもこれって、全部が成長に伴う経験の一部よね。」ミカエラは言う。「それは難しいレース・コースを降りてゆくのと同じ。予想もしない出来事が持ち上がったりするけど、それに対応しなければならない。それに足を取られちゃいけないのよ。なんとか対処しなきゃ。こういったものは全部、価値ある技術よね。人生にとっても競技にとっても。」
 モットーはより早く
 去年、ミカエラは高校を卒業し、ワールドカップのトロフィー「クリスタル・グローブ」とワールドチャンピオンの金メダルを合衆国へ持ち帰った。他の人たち、特にヨーロッパ人は、彼女がかくも短い期間に達成した業績に驚いた。しかしミカエラは自分の成功に影響を受けているようには見えない。
 「私はいつも、もっと早いやり方があるって信じているの。」9月のある日、母親とテニスをした後に彼女はそう言った。「それがテニスのバックハンドを打つことであろうが、高校で化学を学ぶことであろうが、スキー競技で上達することであろうがね。分析的な準備とハード・ワークがあれば、幾つかステップを飛び越えてより早く行く道が見つかるって、私は本当に信じているの。」
 それは家族のモットーのようなものだ。より早く。
 次に待っているのは、オリンピックの持つ期待とプレッシャー。彼女は回転競技で勝つものと思われている。しかしミカエラは注目を浴びることに追いつめられてはいないようだ。
 「合衆国では、何百万もの人がスキー競技を見るような機会はオリンピックだけだって知っているわ。この国にとってもスポーツにとっても、とても大きな意味があるってね。」彼女は言う。「だから私にもその重要性は判っている。でも同時に、これが世界の終わりってわけでも無いわ。」
 「私は勝ちたいと思っている。でも競技の結果に駆り立てられることは無いの。正直に言って、私を駆り立てるのは上達することで、結果では無い。それが中心的信条ね。」
 ミカエラは、ロンドン・オリンピックで4つの金メダルを取った17歳のコロラド州在住水泳選手、ミッシー・フランクリン(Missy Franklin)とツイッターでメッセージのやり取りをしている。
 「ミッシーが私のことを知ってるなんて、本当にクールなことだと思う。」ミカエラはクスクス笑いながら言った。「でも誰かが17歳とか18歳で成し遂げたのを知っているというのは、気が休まることよね。彼女にできるなら、私にだって出来るでしょう?そう思えるんだもの。次のチャンスまで待つ必要は無いって証明してくれたんだから。今すぐ出て行ってショーに参加するべきよ。」
 「私はスーパーヒーローじゃ無い」
 スキーのモーツアルトは大舞台に上がる準備が出来ている。
 「そのモーツアルト云々の話しには、いつもやれやれって思うのよね。」アイリーンは言った。それは精力的に家事をこなした典型的な長い一日の終わりだった(ミカエラは、自分で言うところの休日に、いつもジムでウェイトトレーニングを1時間以上やり、2時間近くテニスをする)。
 「モーツワルトは自分が達成する業績の計画なんて持ってたかしら?」アイリーンは言う。「それとも、人生で得られる機会を最大限生かすために、本当にハードに働いていただけ?あるいは単に楽しんでいたのかしら?私の感じでは、私たちは、たまたま何かに出会っただけだと思う。ちょうど正しい時期に正しい場所にいて正しい人々が助けてくれたのよ。でも私たちが、こういった全部の出来事を最大限に生かしてきたのは確かね。」
 ミカエラは、若者らしく、より長期的な見方をしている。
 「私はスーパーヒーローじゃ無いし、ここまで来た道のりは、繰り返すことなんて出来ないクレージーなものだったと思う、」彼女は言う。「でも繰り返す必要なんて無いのよ。私はたぶん、ほとんどの人より早くワールドチャンピオンになったけど、人々は私を見て、行きたい場所へ行くにはあらゆる種類の方法があるって判ってくれると思う。」
「何故って、私たちは計画したわけじゃ無いから。単にやっただけなのよ。」

~~ここまで~~

次回更新は2月8日ごろになると思います。
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Author:ゾノシン
英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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