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自閉症を克服した子供たち

自閉症の児童に関する記事をUpします。

記事を書いたのはルース・パダワー(Ruth Padawer)さんです。元記事はここにあります。

幼少時に自閉症と診断され、成長してから症状が消えたと診断された子供たちの記事です。

~~ここから~~

自閉症を克服した子供たち

最初のうち、L.の息子は全ての点で普通だった。赤ん坊はあらゆる成長段階を順調にクリアし、新しいものを何か見つけては喜んでいるように見えた。しかし12ヶ月を過ぎる頃になると、B.と名づけられたその赤ん坊の成長は遅くなる。そして2歳になる頃には完全に自分の世界に閉じこもってしまった。もはや人と目を合わせることも無く、何かを聴いている様子も無い。時々口に出す混乱した言葉を自分で理解している様子も無かった。いつもご機嫌だったのが、むずがるようになり、壁に頭を打ち付けるようになった。「凄く幸せそうな赤ん坊だったのに、」L.は言う。「突然バラバラになってどこかへ行ってしまったみたいでした。あの時の悲しみは説明しようもありません。耐えられないものでした。」他の何にも増してL.は活発で元気な我が子を取り戻したかった。
 数ヵ月後、B.は自閉症との診断を受ける。B.の両親は打ちのめされた。その直ぐ後、L.はロードアイランド、ニューポートで開催された、自閉症臨床医、研究者、そして必死に助けを求める両親たちからなるカンファレンスに参加する。昼食の時L.(息子のプライバシーのために彼女はイニシャルだけで表記されることを求めた)は、やはり自分の息子の消失を嘆くジャッキー(Jackie)と言う女性の向かい側に座った。彼女は、息子のマシュー(Matthew)の問題は耳の病気か何かで大したことはない、直ぐ良くなるとスピーチセラピストに言われたことを話した。スピーチセラピストは間違っていた。数ヶ月のうちにマシューは、誰も見分けることができなくなる。両親さえもだ。最後にマシューが話した言葉は「ママ」だったが、L.に出会ったころにはそれさえも口にしなくなっていた。
 それに続く年月の間に2人の女性は、東海岸の互いの家を訪問し、電話を通して何時間も話し合う。そして互いの恐れと不満を共有し治療のアイデアを交換し、同じような恐れや不安を経験する別の誰かと共に歩むことに慰みを得てきた。この2月に私が2人と会った時、2人は1990年代に試して見た治療法を色々と話してくれた。感覚統合療法、ビタミン大量投与、乗馬治療、サプリメントが自閉症に効くと主張する心理学者が処方した不味い粉薬。しかし2人の子供にはどれも何の助けにもならなかった。
 2人は共に、行動解析、又はA.B.A.と呼ばれる療法も考えていた。それは今、議論の的となっている治療法で、日常の全ての動作を細かい学習可能なステップに分解し、暗記と際限の無い繰り返しによって身につけると言うものだ。2人は息子たちが、まるでロボットのようになってしまうのを恐れて採用しなかった。しかしB.が3歳になる直前にL.と彼女の夫は、A.B.A.を2人の子供に処方して自閉症から「回復」したと主張する母親が書いた新しい本を読んだ。本を読み終わった次の日に、L.は本に書かれた項目を試して見た。命令を与え、子供にやらせて、良く出来たら褒めてあげる。「手をたたいてごらんなさい、」彼女はB.に言い、自分の手に息子の手をとって拍手した。その後、息子をくすぐったりM&Mチョコをあげたりして褒めた「よく出来ました!」彼女は自分のしていることを良く判っていたわけでは無い、「それでも前に試みたどれよりも驚くほど効果があったんです。」
 B.の進展に感銘を受けて、2つの家族はそれぞれA.B.A.の専門家をカリフォルニア大学ロサンゼルス校(A.B.A.を開発した場所)から招き、3日間のトレーニングを受けた。その費用は莫大で10,000ドルから15,000ドルの間、その中には専門家の診察費だけでなく航空券やホテル宿泊代も含まれていた。専門家たちは2人の子供を何時間も観察し、その特異性を見極め、両親が使うための詳細に記述された応答のリストを作り上げた。トレーナーは2ヶ月毎に戻って来て、新たなフェーズへ移る準備をする。言葉の使い方だけでなく、声の抑揚の付け方、どうやってごっこ遊びをするか、どういうジェスチャーをすれば良いか、及び他人のジェスチャーをどう読み取ればよいか、などを子供に教える方法を模索する。両家は又、複数の人を雇いA.B.A.を自分の子供たちに提供する訓練を受けてもらった。それによって子供たちは2人とも、週に35時間1対1のセラビーを受けられるようになった。
 専門家は両親に、もし子供が何かを望んだらそれを与えてあげるべきだと言う。しかし子供が彼らへ視線を向けるまで与えてはいけない。B.は1ヶ月以内に、何かが欲しいときには相手を見るようになり、何かを手に入れるためにはその人を見なければいけないことを学ぶ。4ヶ月も経つと、彼は助けを求める時以外でも人に視線を向けるようになった。そして直ぐに欲しいものを指差すことを覚えた。普通は数週間のレッスンが必要なスキルだ。B.は指差すことの有効性を理解し、もう冷蔵庫の前に母親を引っ張って行き自分の欲しい食べ物を出してくれるまで泣きわめく、なんてことはしなくなった。ブドウが欲しいときはブドウを指差せば良いのだ。「この子が1歳から3歳になる間のことは、」L.は言う。「暗いことしか覚えていません。恐怖だけでした。でも、どうやって教えたらよいかが判ると直ちに暗闇が晴れたんです。興奮しました。毎朝目が覚めたら何か新しいことを教えるのが待ちきれません。以前は全然上手く行かなかったことなんです。大きな大きな安心でした。」B.は直ぐに、最初はたどたどしくではあったが、言葉をコミュニケーションに使い始める。ある時、B.が冷蔵庫のブドウを指差したのでL.はそれを取り出し、実を採って彼に差し出した。するとBは泣き叫び始めた。彼は床に体を投げ出し情けなさそうに悶えている。L.は当惑した。彼は確かにブドウを指したのに。いったい何を間違えたんだろう?どうしてこの子の癇癪は嫌になるくらい気まぐれなんだ?
 突然B.は嘆願し始めた。「木!木!」それでL.は判った。彼は実がついたままの房が欲しかったんだ。自分で実を採りたかったんだ!「あれはまるで、あ~神様、この子の癇癪はただの気まぐれだって、いったい今まで何回思ったことだろう?ほんとは気まぐれじゃ無かったのに。ほんとうに申し訳ない気分になりました。話すことが出来ないために伝えられなかったことがどれだけあったんだろう?」
 その後、B.の言葉は急速に花開いた。幼稚園を卒園する頃には容易に話ができるようになる。しかし依然として社交性はぎごちないままで、落ち着きが無く、動物に異常なほど興味を示し、全種類の恐竜と全種類の魚を覚えている。彼は今その瞬間自分が興味を持つ対象のことを誰彼無く、相手が聴いていようといまいと、延々と話続けた。L.は3枚の小さな無駄口クーポン券を作って毎朝B.のポケットに入れるようにして言い聞かせた。どんな時でも自分の好きな動物について話していて、相手の子が去ってしまったり話題を代えたりしたら、クーポン券を別のポケットへ移しなさい。もしクーポンを使い切ったら、その日は別の話題を見つけて喋るようにしなければいけません。はたしてクーポンのせいなのか、それとも成長したからなのか、又別の理由からか、B.の長話は2年生になるころには止んだ。同じ頃、B.の病的な執着は少し和らいだ。B.の主治医は自閉症の最後の痕跡は無くなったと告げた。彼はもうどんなに緩い基準に照らしても自閉症の条件に合致しない。
 L.は有頂天だったが同時に罪の意識にも捕らわれていた。ジャッキーの息子はB.と同じ治療を受けていたにも関わらず、同じような進歩は見られなかった。マシューは未だ話せないままだった。彼は依然として他の子供たちや玩具のほとんどに興味を示さない。彼に教え込もうと膨大な努力が費やされたが、マシューとのコミュニケーションは大きな制約を受けたままだった。甲高い声で叫んだら、彼は幸福だ。何かを放り出したら、それはもう何年もの間毎日やっていることなのだが、彼は不機嫌だ。身体的な問題は無いと医師が保障した後もずっとそういう状態だった。
 「ジャッキーは息子のためにあらゆる事をしました、」L.は私にそう話した。彼女の声には心配する気持ちが溢れていた。「なんでもです。私と同じくらい熱心に。同じ人々を雇って同じことをしたのに...」彼女の声は小さくなって消えた。彼女にとって行動療法が息子を取り戻してくれたことは確かだった。しかし彼女には何故同じことがマシューに起きなかったのかは理解できない。
自閉症は一生続く発達障害であると見なされている。しかしその診断は行動に現れる一連の症状に基づいている。社会性の欠如、偏った興味、強迫的に繰り返す行動、感覚刺激に対する極端に強い反応、あるいは非常に緩慢な反応。原因となりそうな有意な身体的特徴は無い。自閉症の症状はしばしば成人すると共に和らぐが、その中心的な症状は残り続けると言うのがコンセンサスだ。ほとんどの医師は、自閉症から回復する人もいると言う希望的な考えを否定する。インターネットには治療法とされるものが多数宣伝されている。ビタミン投与、栄養補給剤、解毒剤、食事療法、純粋酸素で満たした圧力室、重金属を体から取り除く危険性の高いキレーション(chelation)と言う方法まである。しかしそういった方法が中心的症状を無くすどころか、緩和させることを示す証拠さえ何処にも無い。
 自閉症の人々が回復可能だと言う考えは最初1987年に現れた。A.B.A.のパイオニア、O・アイヴァー・ロヴァース(O. Ivar Lovaas)が、19人の自閉症未就学児を対象に週40時間の1対1A.B.A.療法を施した研究結果を公表した。特定の行動を強化し、他の行動を「撲滅」するための綿密に構成された、応答、報酬、懲罰からなる処方箋だった(同じ数の子供たちがコントロールグループとして週10時間以下のA.B.A.を受けている)。ロヴァースはより頻繁な治療を受けた子供の役半数が回復したと主張している。コントロールグループからは誰も回復しなかった。彼の研究は、幾つかの方法論的問題のために多くの批判にさらされた。その中には回復を示す閾値が低いと言うものも含まれている。彼が採用した閾値は、「普通の」授業で小学校1年生を修了し平均的I.Q.を示すと言うものだった。治療法そのものも批判された。何故なら一部、「嫌悪療法(aversives)」に頼っていたからだ。するどい音や殴打、電気ショックまでもが使われている。1990年代になると一般からも抗議の声があがり、ロヴァースとその追従者は嫌悪療法を廃棄した。
 後続の研究ではロヴァースと同じ結果を再現できなかったが、研究者たちは早期に集中的に行動療法を施せば、言語、認識、社会的機能について、最も重い自閉症児においてさえいくらか改善され、大きく改善できた人も数人いることを発見する。幾つかの研究では、時として子供たちは自閉症的であることを止めたと主張している。しかしそういった結果は否定された。おそらくはそれらの児童は最初に間違った診断を受けていたか、主張されているほど完全な治癒ではないに違いない。
 しかし過去18ヶ月の間に、2つの研究グループが厳密に体系化された研究結果を発表しており、事実として少数ではあるが確かに数名の児童が実際に自閉症を克服したとの最善の証拠を提供している。最初の事例はコネチカット大学の診療神経心理学者デボラ・フェイン(Deborah Fein)が指導した研究で、B.を含む34名の若者を対象としている。彼女は全ての対象が早期の医療記録に確かに自閉症であると記載されていること、そして現在は自閉症の条件を満たしていないことを確認しており、「最適な結果」を示す軌跡だと述べた。彼女は彼らを44名の依然として自閉症を持ち「高機能」と評価された若者と比較し、34名の普通に発達した同年齢の若者たちとも比較している。
 5月には別の研究者たちが、(2歳の時に)自閉症と診断された85名の児童を約20年に亘って追跡調査した研究を発表し、およそ9%の者がもはや障害の条件を満たさないことを発見している。この研究は自閉症の診断と評価で有名な指導者でありウェイル・コーネル医療大学(Weill Cornell Medical College)で大規模な自閉症センターを監督し教えているキャサリン・ロード(Catherine Lord)が指導したもので、これら自閉症ではない者たちを「非常に肯定的な結果」として言及している。
 自閉症の専門家はこの報告を賞賛した。「自閉症児の直ぐ近くで働いている私たちは、」デューク大学の心療部門と脳科学研究センターで働く心理学者で研究者のジェラルディン・ドーソン(Geraldine Dawson)は言う、「自閉症を持っていた子供たちの何人かが成長するに従い完全に症状を無くしてゆくのを知っていました。それでも人々は常にそれに疑念を抱いていたんです。この研究結果は非常に慎重で体系的なやり方で、こういう子供が存在することを示しました。」彼女と彼女の大勢の同僚たちは、自分たちが受け持つ自閉症患者の約10%、あるいはそれ以上がもう症状を持っていないと推計している。
 この発見は、国内の自閉症の症例が急速に増加するタイミングで発表された。自閉症の普及を示す全国的調査は存在しない。しかしアメリカ疾病管理予防センターが調べた11のコミュニティーでは、児童68人に1人の割合で自閉症児がおり、数年前の88人に1人から上昇している。専門家はこの上昇の原因を、疾病とその症状に対する注目度が上がったこと、および診断条件の緩和に求めている。数人の研究者は、有毒物質や高齢出産などを含む追加要因が上昇に寄与していると話す。科学者たちは、自閉症と呼ばれる症状は実際には、異なる遺伝要因や環境要因からなる一連の別々の条件を原因とし、偶然類似の症状を引き起こすものなのではないかと疑っている。それが本当であれば、数人の児童が進歩する一方で他の児童はそうならない理由を説明できるかも知れない。
フェインやロードの研究は、何が自閉症の原因であり、正確に何がそれを直したかを決定しようとしていない。単に時として症状が無くなると言っているだけだ。しかしながら、幾つかの手掛かりは存在する。例えばI.Q.が果たす役割。ロードの研究では2歳時点でのノンバーバルI.Q.が70未満の者は自閉症のままだった。しかしノンバーバルI.Q.70以上の者の4分の1は、たとえ診断時の症状が自閉症に留まった低I.Q.の者より重篤であったとしても、最終的に非自閉症になった(フェインの研究は平均的I.Q.を持つ者のみを対象とするように設計されていた)。別の研究では、運動能力に優れていたり、言語スキルの感受性が高かったり、他の者の真似を喜んでする自閉症児は、仮に自閉症に留まったとしても、より速やかに進歩すると示している。同じようにある児童が早期に、特に治療の最初の年に長足の進歩をするのは、おそらく彼らの脳であるとか、その自閉症の種類であるとかが学びを容易にしていることを示す何らかのサインだと思われる。又、研究者たちは両親の関与、子供の代弁者として行動したり、より良いサービスを推進したり、家庭で子供と一緒に努力したり、と言ったことが症状のより大きな改善に寄与していると述べている。財政的余裕も、疑いなく寄与している。
 しかしながら現在のところ、これらの発見はヒントに過ぎない。「私は自閉症児を40年以上研究したきました、」フェインは言う、「この仕事を非常に上手く出来ると自負しています。それでもどの子が良くなり、どの子が良くならないか、最初に見た時の様子だけでは判断できません。事実として、誰が最高の結果を得られるのか予測できないだけでは無く、誰が高機能自閉症になるか、誰が低機能のままかも予測できないのです。あまりにも理解できて無いことが多すぎます。」
 元気の良い16歳、マーク・マクルスキー(Mark Macluskie)はフェインの研究の中で自閉症を克服した又別の子供だ。彼は余暇の時間にビデオ・ゲームをしたりロボットを造ったりコンピュータ・コードを書いたり、フェニックス郊外の自宅近辺の公園へ友達と出かけたりする。彼は毎週放送するインターネット・ラジオショー「テック・チーム(Tech Team)」のホストを友達としていて、その番組には32,000人のリスナーが居る。番組の中で彼と彼の仲間はアプリのレビューをしたりテック・ニュースを話し合ったり、(とんでもなく)馬鹿な冗談を言ったり「ガジェット・オン・ア・バジェット(Gadget on a Budget)」のようなレギュラー・コーナーを製作したりしている。
 彼は今では典型的なオタクっぽいティーンエイジャーに見えるが、そうなるために何年もの困難な仕事を乗り越えてきている。3歳になったばかりのとき、彼は重度自閉症の中間値と診断された。彼は周りのものに明白な興味を示さず言葉も少ししか理解していないように見えた。酷い癇癪も爆発させた。怒っていない時でも頭から壁にぶつかって転んだ。そして起き上がると同じ事を繰り返す。まるで永遠に同じ事を繰り返すようにプログラムされたロボットのようだった。額に擦り傷が出来てもまるで痛みを感じていないかのように見えた。
 マイクの両親、シンシア(Cynthia)とケビン(Kevin)は彼を地域にある発達の遅れた未就学児のための学校へ入れた。そこで彼は一番高い機能のクラスへ入れられた。しかし彼の症状は悪くなる一方だった。発作が多くなり前より言葉を話さなくなった。数ヶ月の内に彼は最も機能の低いクラスへと移った。シンシアは神経科専門医に、彼女の唯一の子はいつの日か施設に収容させねばならないかも知れず、その準備をするようにと言われたことを話す。
 自暴自棄になったマクルスキー家はマークに学校を止めさせた。シンシアは家族の稼ぎ頭だったのだが、会社での人事の仕事を辞めて一日中マークに関わることにした。そのために2人は家を2番抵当に入れ100,000ドル借りた。彼女はガイダンスを求めてインターネットを探し回り、可能性のありそうな方法で危なくなさそうなら何でも試して見ようと誓った。彼女は息子にビタミンB-12の注射をし、乳製品抜き食事療法、グルテン抜き食事療法、大豆抜き食事療法を試した。専門家を雇うお金は無かったので、行動療法の色々な本を読み、よさそうに思えるものを選んで自分自身でトレーニングした。同時に州が提供する週5時間の言語治療や作業療法も続けた。
 困難な日々だった。最初の頃マークは卵を壁に投げつけたりミルクを床にこぼしたりしたので、マクルスキー家では冷蔵庫に重い鎖と南京錠をつけた。マークが、何故だか必要らしい感触を得るために体を壁に打ちつけても怪我をしないよう、居間の家具を全部運び出し、ゴム枠の空気式トランポリンで置き換えた。マークが何か飲んだり食べたりするものが欲しい場合、その欲求を言葉や仕草、あるいはそれが描かれたカードを指差して伝えない限り、あげてはいけないことを2人は確認し合った。
伝統的な学校ではマークの弱点を充分には理解できず、長所も認識できないと結論付けたシンシアは、彼を家庭教育で育てることに決めた。8歳になる頃には彼の言葉や振る舞いは同い年の子供たちと同じになった。しかし彼の社交性は依然、典型的な自閉症児のものだった。「僕には何かルールがあると言うのは判ってたんです。でもそれがどんなルールなのかが判らなかった、」彼は最近ビデオチャットで私にそう言った。「人と関わるときに、その人が何をしようとしているのか、あるいは何をしないのかを知るのがとても難しかった。」彼は社交的な手掛かりをほとんど認識できなかったし、認識できたとしてもそれを解釈できなかった。彼は荒削り過ぎ、接触に敏感過ぎ、他人の個人空間に踏み込む時も唐突過ぎた。
 シンシアは息子の社会性の遅れに取り組んだ。彼女は「Leave It to Beaver(邦題:ビーバーちゃん、米国のホームドラマ)」のDVRをマークと一緒に見て、数分毎に止めては、次に何が起きるか、あるいはビーバーが何を考えているか、又はなぜジューンはああいう風に反応したのか息子に訊いた。マークが表情を読み取れるようになるまで練習を続けようと、全部のエピソードを見終わったら今度は「大草原の小さな家」に移った。「母の質問に答えるのはとても難しかったのを覚えています。ドラマを見ながらとても困惑していました。でも母は理由があってこんなことをしているのは判っていました。」彼は感謝を込めながらそう言う。「でもこれが何の役に立つのか判らなかった。」
 2人が公園やレストランで道行く人々の表情を見ている時、シンシアは探偵の真似事をしながら、その人の感情とか他の人との関係をしめす手掛かりをマークに質問した。「息子はこういったことを他の子供みたいに自然に染み込むように学ぶことが出来なかったので、判るまで私が一緒に進んであげる必要があったんです。」
 そうやって暮らしていた時期に、両親はクリスマス・プレゼントで彼にロボットのキットをあげた。彼は狂ったようにそれに取り組んだ。社交性を育む機会をマークに与えたいと思ったシンシアはロボット・クラブを作った。普通に成長した4人の子供たちがマークと共に午後のひと時を過ごすために週に2回マクルスキー家の居間に集まった。最初は単にロボットを作っていた子供たちは直ぐにロボットのプログラム・コードを書き始め、競技会にも参加するようになる。2年前、マークは世界的なロボット競技会への参加を成し遂げた。その時、彼はランダムに選ばれた相手であるシンガポールから来たティーンエイジャーたちとパートナーを組み、その場で戦略を立てなければならなかった。彼らは何回戦か突破する。その頃までには、幾つか社会性の問題を抱えてはいるがマークはもはや自閉症の条件を満たしていないと専門家が結論付けてから3年が経過していた。マークが競技会でチームメイトと上手く協力している様を見ていたシンシアは激しい涙に襲われ、体育館を出なければならなかった。
 マーク自身、自分がどれだけの道程を越えてきたのか自覚している。「自閉症であること自身には何の問題もありません。でもそれが無い方が人生はずっと容易です、」彼は言った。「僕が覚えている限りにおいて、自分が自閉症だったことは判ります。でももう自閉症だと感じていません。単に自分が自分であると感じているだけです。それが今感じている全部ですね。」
 フェインの研究では、以前自閉症だった人は、少なくとも最初は、しばしば残存する症状を抱えることがある。社会的な不自然さ、注意欠陥多動性障害、同じ動作を繰り返す、一つのことに興味を持ち過ぎる、原因と結果を上手く説明できないなどだ。マークにとって主要な残存症状は、依然としてオムレツのようなどろどろした感じの食物を嫌悪し続けていること、紙の触感を嫌っていることで、彼はそれらのものを避けている。シンシアは、マークが昔は自閉症だったと言うと、いつも妄想に捕らわれている人のように見られると言う。「医者は皆言うんです。『たぶん彼は間違った診断を受けたのでしょうね、自閉症を止められる人はいませんから。』」彼女は言う。「本当にイライラさせられる。マークはあんなにも頑張ってきたのに。ここまで来るために息子のした事を全部否定するなんてフェアじゃ無いでしょ。」
 かつて自閉症で現在はそうで無い人の脳の中で何がおきているのかは誰にも判らない。そのような人の脳が他の自閉症児の脳と最初から異なっているのか、あるいは同じような脳だが治療によって変化したのか、それさえも判らない。しかしデューク大学のジェラルディン・ドーソン(Geraldine Dawson)が最近、自閉症の幼児を対象として行った研究は、自閉症の脳が変更できるかも知れない可能性を明らかにしている。それ以前の研究から自閉症児の脳は、玩具のカラー写真に対し、女性の顔のカラー写真よりも強く反応することが知られていた。たとえその女性がその子の母親であってもだ。普通に育つ子供は逆の反応をするし、言語や社交性をつかさどる脳の部位が自閉症児よりもよく発達している。
 ドーソンは自閉症児の注意を、声や仕草や表情などに向けさせることが出来れば脳の発達を変更できるだろうかと考えた。そして2012年に発表されたランダム化臨床試験で、彼女は2つのグループの自閉症児を追跡調査した。1つ目のグループは週25時間社会的繋がりを強めるよう設計された行動療法を受け、コントロールグループはコミュニティーが提供する適当な治療を(行動療法やそうで無いものを含めて)受けた。2年後、コントロールグループの脳派(EEGs)は依然として非社交的な刺激を強く好むことを示す一方、社交性を重視したグループの脳派は普通に発達した子供と同じようになった。これは彼らの脳が実際に変更されたことを意味している。子供たちは依然として自閉症であったが、彼らのI.Q.は上昇し、言葉や社交性、日常生活のスキルは改善していた。一方コントロールグループの発達は明らかに劣っていた。
 この結果が、自閉症を脱した人とどのように関連するのか全く明らかで無い。しかし多くの研究は、初期の集中的な行動療法が自閉症の症状を大きく緩和することを示している。もっとも、このような治療を受けたほとんどの子供が依然として自閉症であり、治療を受けなかった子供にも自閉症を脱した子供はいる。ロードの研究では自閉症を脱した8人の子供の内、集中的な行動療法を受けたのは2人だけだった。その理由は、研究が実施された当時、研究の舞台となったイリノイスとノース・キャロライナではこの療法が一般的ではなかったためだ。
 フェインの研究では、自閉症の診断を脱した子供たちが行動療法を受けた割合は、自閉症に留まった子供たちの倍になった。彼らは又、より若い時期から始めて毎週より多い時間治療を受けている。しかしフェインの研究で自閉症を脱した子供の4分の1は全く行動療法を受けていない。マット・トレンブレイ(Matt Tremblay)と言う少年もその中の1人だ。マットは2歳の時、自閉症の診断を受け、7~8歳になるまで、会話療法、作業療法、理学療法を受けた。しかし彼は行動療法は受けていない。その理由は、彼の母親によれば、小児科医が示唆しなかったのと、ニューヨーク北部にあった彼の学校では行動療法を提供していなかったためだ。
 会話はマットが最初に改善した項目だった。しかし明白な自閉症の兆候の多くは、依然として残り続けた。彼はずっと物事の正確さや順序にこだわり続けた。彼の頭の中には5人家族全員の予定表や約束事が入っていて、誰がどの時間に何処にいなければならないか知っていた。「あの子は私たちがいつ家を出なければならないかまで計算していて、声を出して告げるんです、『あと3分で僕らは家を出なければならない』って、」彼の母親ローリー(Laurie)はそう私に話した。
 次に来たのは認識と行動の進歩だった。しかし社会的スキルをマスターするのは、他の多くの自閉症児と同じく、長く困難な道程だった。中学校に入るくらいになるまで、マットは何でも自分が考えていることを口に出す傾向があった。会話する能力を取得するのには長い時間が必要だった。「小さいときは、ちゃんと言葉にすることが出来なかったのを覚えています、」マットは言う。「それって凄くイライラすることだったんです。自分の口に脳の言うことをきかせるのが難しかった。6年生になるまで、どうやって人と話したら良いのか本当に判らなかった。人と話すのが怖かったんです。教室とか家に向かって通路を歩いている時、いつも頭を下げていました。他の子供たちと関われなかった。あるいは関わりたくなかったのかも知れません。たぶんその両方だったと思います。」
 しばらくすると、マットは社会的状況が判るようになった。「たぶん中学1年生か2年生のころだったと思うけど、やっと話題を保つことを自分は求められていると判ったんです、」彼は言う。「それが出来るようになったら、もっと多くの友達が出来るようになりました。あの時、いったい何が僕にそうさせたのかは本当に判らないんですけど。」マットが中学2年を終える頃、主治医は彼がもはや自閉症では無いと告げた。
 今ではマットは快活で良く喋り成績が良くて面白い高校3年生だ。学校ではバンドでトランペットを演奏し、テニスの学校代表選手で、パン屋のパネラ・ブレッドで週15時間から20時間、レジ係りや皿洗いやパンを並べたりして働き、それでも良い成績を保っている。家族や友達と出かけるのが好きだ。彼のベッドルーム、思春期まで異様に整然としていた部屋は、今は完全に散らかっている。彼の母親が冗談で言うところの正常なティーンエイジャーのサインだ。それについて母親はあまり歓迎してないが。
 マットは自閉症の未就学児だった頃のことを少し覚えている。例えばどんな風に手をパタパタ動かしていたかとか体をゆすっていたかとか。彼は自分が玩具のリトル・ピープル・スクール・バスに捉われていたのを覚えている。そのバスを何時間も台所でグルグル走らせて、床中にリトル・ピープルを降ろしたり乗せたりして回っていた時の、深くて静かな集中を覚えている。自閉症時代のゆるやかな残滓はまだ残っている。彼が私に話したところでは、いまだに体にピッタリのきつい服は着ることが出来ないと言う。それで彼はジーンズの代わりにスウェット・パンツやカーキ・パンツを履く。そして自分自身が冗談をたくさん言うタイプであるのに、時として他の誰かが、ふざけているかどうかを見分けるのが難しいと感じている。「私の見たところ、息子は物事を言葉通りに解釈することが他の人より多いようです、」小児科の看護師である彼の母はそう言った。「たぶんその理由は、彼が他人の感情を、表情とか仕草とかからどうやって読めばよいか学び取った子だからだと思います。他の子供たちは意識しないで習得しているんです。」
 マットがテレビで面白い試合を一人で見ている時、側を通りかかったローリーは息子が手をパタパタさせているのに気がつくことがある。「たぶん自閉症の残滓だと思うんですよ。息子にとって簡単に抑えることが出来るものですけど、」彼女は言う。後でその事をマットに言い、手を振っている時はどんな気分なのか訊いてみた。彼は母親の診断を聞いて言葉に詰まった。「ワォ、僕はそれ13とか14の時に止めたと思ってた!」母は僕のジェスチャーを誤解しているとマットは主張した。「その時は単にスポーツに集中していたんだ。誰でも自分のチームが得点した時そうするみたいに、『やったー!』と言う感じさ。」
 自閉症を消し去ることが最適解であると言う考えを否定する人も存在する。「自閉症は治療を必要とする病ではない、」自閉症の成人たちが自分たちのために運営する全国組織、自閉症セルフ・アドボカシー・ネットワーク代表のアリ・ネーマン(Ari Ne’eman)は言う。彼は、世界の他の人からは奇妙に思われるかも知れない自閉症の人々が持つ特別な能力は、実際に貴重なものであり自分たちのアイデンティティーの一部である、そう認識することは重要だと言う。例えば作家で動物科学者のテンプル・グランディン(Temple Grandin)は、自分の視空間能力や細部に対する強力な集中力は自閉症によるものであり、有名な家畜の人道的屠殺施設を設計することが出来たのはそれがあったからだと言う。
 ネーマンを含むそれらの人々も、コミュニケーションを改善し、認識スキル、社会スキル、独立して生活するスキルを育てる治療は強く支持している。しかし彼らは自閉症を完璧に消し去るのに注力することに対しては深い怒りを示す。何故、自閉症で無くなることが、自閉症のまま独立して生活し、友人と仕事を持ち、社会に貢献するメンバーであることよりもより適切であるのか?何故、誰かがパタパタ手を振ったり目を合わせなかったりすることが、彼らがコンピュータをプログラムでき、数学の難問を解き、心を惹き入れる音楽を作曲すると言う事実よりも、最適を追求するアルゴリズム上でより重要となってしまうのか?自閉症ではなくなった人のほうが、自閉症のままでいる人よりも、より成功し幸福であると証明することなど出来るのか?
 「私たちは、脳を根本的に配線し直して思考方法や社会との関り方を変えることができるとは考えていません、」ネーマンは言う。「仮にそういうことが出来たとしても、それが道徳的であるとは思いません。」彼を含む多くの人が、自閉症は同性愛とか左利きと似た立場にあると主張する。異なってはいるが、欠陥とか何か病的なものでは無い。これは1993年にジム・シンクレア(Jim Sinclair)と言う名の男性が自閉症児の親へ向けて公開レターを書き、神経多様性運動として知られる運動に火をつけたとき忘れがたく明瞭に述べられた視点だ。シンクレアは書いた、自閉症は「あらゆる経験、あらゆる感覚、思考、感情、そして出会い、存在するもののあらゆる側面を彩っている。自閉症を人間から分離することは不可能だ。もし可能であったとしても、その人間は最初にあなたが会った人間と異なる人になる。であるからして、『自閉症で無い子供が欲しかった』と親が言った時、彼らが本当に言っているのは、『自閉症のこの子がいなくなって、別の自閉症でない子が持てれば良いのに』と言っているのだ...これこそ、あなた方が治癒を祈っている時、私が聞いた言葉なのだ。」
 ネーマンは、自閉症を鎮圧しようとする社会の努力は、同性愛を押さえ込もうとする歴史的努力に匹敵するものであり、同じように有害だと言う。彼は、1960年代と1970年代にロヴァースのチームが「性的に逸脱した振る舞いをする」少年たちにA.B.A.を施した事を指摘する。その中にはロヴァースがクレイグ(Kraig)と呼んだ4歳の少年も含まれていて、その子は「女性的」歩き方をし「男性的活動」を嫌がる子だった。ロヴァースは「男性的」行動に報酬を与え、「女性的」振る舞いを罰した。少年が他の男の子と「区別がつかない」ようになった時、ロヴァースは治療が成功したと判断した。数年後クレイグはゲイであることが判明し38歳になったとき自殺した。彼の家族は治療を非難している。
  神経多様性運動の活動家は、行動療法の中の、自閉症者の幸福よりも他の人の安寧を重要視して設計されたと思われる側面を心配する。自閉症児はしばしば「手を静かに」してる方がパタパタ振るよりも褒められる。他人から奇妙に思われないようにする、と言うのがその理由の一部であり、活動家から見れば不快な優先事項だ。ネーマンは他の例も指摘する。「私たちにとって視線を合わせるのは不安を掻き立てる行動なのです。だから自然の欲求を抑えて他人の目を見るのは、考えを明確に伝えるために使うエネルギーを奪ってしまうのです。自閉症の若者の間で良く言われる物言いがあります。『注意を払っているように見せるのと、実際に注意を払うのとは、どちらかしか出来ない。』残念ながら多くの人は、注意を払っているように見えることが実際に注意を払うよりも大事だと言うのです。」
 実際のところネーマンは、同性愛を「治癒」したゲイの人々は、単に本当の自分を隠したに過ぎないのと同じように、自閉症ではなくなった人々は単に条件をクリアするのが上手くなっただけで、それは心理的コストを要する幻想に過ぎないと主張する。自閉症の活動家は、例えばフェインの研究で最適な結果を得た被験者の5分の1が「抑圧、不安、憂鬱、不注意で衝動的、きまり悪さと敵意」の兆候を示していると指摘する。
 フェインはこの解釈に疑問を呈する。彼女は、自閉症を脱却した人々が、自閉症者に一般的な精神医学的障害に対し、依然として脆弱であることを認めている。それでもフェインは、最適な結果を得た被験者が高機能自閉症の人々より抗鬱剤、抗不安剤、精神病治療薬を使う頻度が少ないことを後続の研究で明らかにしている。ロードの研究も同じように以前自閉症だった被験者は、同じI.Q.レベルの自閉症被験者よりも、精神医学的問題を起こすことがはるかに少ないことを発見している。
 もちろん、このどちらもが、自閉症の人に自閉症を捨て去るよう圧力をかけるべきだとか、彼らの世界との関り方が普通で無いと言うだけの理由で、それを変えるべきだということを意味していない。それでも、数人の人が本当に自閉症を克服した事が明らかになった今、自分たちの子供の自閉症がいつの日か無くなるかも知れないと、親たちが今まで以上に希望を抱くようになるのは、想像に難く無い。
 カーマイン・ディフロリア(Carmine DiFlorio)はフェインの研究で最適な結果になった又別のティーンエイジャーだ。幼少期の彼は何も聞こえていないように見えた。母親が何か反応を引き出そうと、とても重い本を彼の隣にわざと落としても反応しない。彼はまるで内面の世界に没頭しているように見えた。まるで飛ぼうとしているかのように腕をパタパタ振り、「ニー」と叫びながら何度も何度も飛び跳ねた。しかし彼は不幸そうには見えなかった。
 カーマインは2歳の時に自閉症の診断を受け、ニュージャージー州中央にある故郷の町が提供するセラビーを週に3時間受けることになる。建設業を営む彼の両親はさらに4時間分を支払った。セッションを撮ったビデオの中で、セラピストの女性はカーマインに一般的な物の絵を見せて言葉を教えようとしている。彼女はコップに入ったミルクの写真を見せていた。彼の視線はあちこちへさまよう。彼女は注意を惹こうとして彼の膝を叩きながら名前を呼び、写真を目の前で振った。彼の視線は彼女を通りすぎる。「ミー・ルー・クー」彼女はゆっくりと発音した。彼女は写真を彼の顔の前に出し、彼の頬を指でつまんで自分に向けさせた。それでも効果が無かったので、彼女は強要し始めた。「こっち見て!ミルク!」彼女は彼の頭をつかんで顔を自分の方へ向けさせた。「オーク」彼は言う。彼女はそれに答えて言った、「おしい、あとチョット!ミルク!」もっと後のビデアで彼女は、単純な指示に従う練習を彼にさせている。「これ、やってみて、」彼女は自分の太ももを叩いてみせる。彼はしばらく何もしないが、やがて手を上げると自分の膝に落とした。充分似た行動だ。「イェー!」セラピストは叫んだ。「なんて良い子でしょう!」彼女は彼をくすぐり、彼は喜んで声を出した。
 他のセラピストとのセッションでカーマインは、練習を嫌がって体を揺すったり上下に動かしたりしている。時々彼は手をパタパタと動かした。セッション中いつでも、興奮したりイライラしたり困惑したり夢中になったりした時に良くする仕草だ。セラピストは手をつかんで止めさせる。見ていて気持ちのよいものでは無かった。その当時の支配的見解では、繰り返し行われる動作は撲滅すべきものだった。子供の心を占領し、他の子を遠ざけてしまうかも知れないためだ。(依然としてそれは一般的見解である。しかし子供の動作を制限する代わりに、多くの臨床医は別の方向へ向けさせようとする。子供の集中力を邪魔しない限り手の動きを無視する人もいる。)
 発達障害を抱える未就学児向けのフルタイムの学校に通って、1日がかりの集中的行動療法を受けるようになってから、カーマインは急速に伸び始める。5歳になる一ヶ月前、彼の教師は、複数のテストを下に作成された詳細な成績表を家へ送った。それによれば、彼のコミュニケーション、挙動、知覚、社会性、日常生活、そして微細運動機能は同年齢の普通に発達した子供と同程度だった。唯一、粗大運動技術のみが劣っている。学校が意識するその他の懸念は、興奮したときのジャンプや手の振りだった。それについて、教師は彼に「興奮を表現するより適切な振る舞い、例えば拍手するとかハイ・ファイブするとかを」指示していると言う。幼稚園に入る前の夏、カーマインに自閉症の診断を下した神経科医はショクを受け、彼の自閉症的特徴は基本的に無くなったと宣言した。
 カーマインは手を振るのを止めさせようとした教師の指示を覚えていない。「どうして興奮した時に腕を振っていたのかも覚えてないんです、」彼は言う。「でも興奮していたことは覚えています。」彼は又6歳か7歳のころ、腕を振ることを姉にからかわれて、この衝動を押さえ込むことに決めたのを覚えている。押さえ込むのには数年かかった。「腕を振りたくなったら、手をポケットに突っ込むんです。僕は自分でそうしたんだと思います。そういうふうにしていた2年間はイライラしてました。自然に微笑んでたら誰かに、微笑むのは間違いだから止めるべきだと言われたような気分でした。ポケットに手を入れるようにしたらあまり興奮しなくなったのを覚えています。強く意識してなければいけませんでしたからね。でも時間が経つにつれて慣れました。だから10歳か11歳になるころには腕を振りたいとさえ感じなくなったんです。」
 初期のビデオに映るカーマインと数ヶ月前に会った19歳の青年とを一致させるのは難しかった。今日、カーマインは明るく陽気な人間だ。彼のアイ・コンタクトや動作、人との関り方に奇妙なところは無い。秋になると彼はボストンのバークリー音楽大学2年生になる。彼は、自分の友人たち、選択した講義、そして独立して生活する自由を愛していると言う。
 私は彼に、自閉症でなくなったことで残念なことがあるか訊いてみた。「あの興奮を感じなくなったのは残念ですね、」彼は言う。「小さい頃、僕は考えられる限り一番幸福な人間でした。体全体を駆け抜ける究極の喜びで、抑えることなど出来ないんですよ。姉が僕をからかい始めてからあの興奮は去りました。それに手を振るのは本当に止めた方が良いって実感しましたから。今は本当に良い音楽を聴いている時が、僕にとって主な喜びの時間ですね。今でも全身で喜びは感じています。でも前みたいに変な動作で反応しなくなったんです。」
 カーマインの母親、キャロル・ミリアッチョ(Carol Migliaccio)は、幼い息子が良くなっていったあの年月は興奮する経験だったと私に話す。しかし彼女は息子の経験が如何に普通で無かったかを痛切に実感している。最初彼の両親は、未就学児学校でカーマインがスムーズに発達してゆくことを開けっぴろげに喜んだ。「私たちはもう、『あ~、神様!息子とケーキを食べられる!息子が話してる!息子は良くなってる!』って喜んでたんです、」キャロルは言う。でも彼らは直ぐに気がつく。学校の仲間たちはずっとゆるやかにしか発達していないことを。「罪の意識を感じました、」キャロルは言う。「息子はどんどん山を登ってゆくのに、他の子はそうでは無いんです。1つの部屋で同じ教師に習う全部で7人の子供たちの中には、まだ言葉をつむぐのに苦労する子や全く話せない子がいるんです。申し訳ないと感じました。他の母に訊かれるんです『貴方は、私がまだしてないどんなことをしてるの?』って。でも何にも言うべきことが無いんです。」
 多くの親にとって、隠された手掛かりや自閉症を直す方法を求めて新しい研究に興味を持つのは当然のことだ。しかし自閉症の軌跡には未だ多くの謎が残されたままだ。そして研究者たちは親に、研究結果を総合的視野で見るよう即している。「私は2歳児の親に大勢会ってきました、」キャサリン・ロードは言う。「自閉症を克服した子供の話を聞いたことがある親たちです。彼らは私たちに言います、『私の子供をそういった子供たちの1人にしたいんだ。』って。」彼女は、症状を無くすことが出来る子供は少数派でしかないと親たちに言う。そして、完治以外の結果は受け入れられないと感じるのでは無く、子供たちがその可能性を、たとえそれがどのようなものであったても、生かしきるのを助けることに集中するよう助言する。「もしも『完璧になる』ことに集中し過ぎてしまったら、本当に子供を傷つけることになってしまいます。普通の子供はそのようなプレッシャーには反抗します。でも自閉症の子供は違います。希望を持つのはかまいません。良いことでもあります。でもその希望に捉われ過ぎてしまうと、目の前にいる子供が見えなくなってしまうでしょう。」
 自閉症児を、あるいはもう自閉症ではなくなった子供を、どのように育てたら最善かと言う議論は明らかに複雑なものだ。L.とその夫にとってその議論の中には、B.がかなり良くなった時点で引っ越すと言う決断も含まれていた。幼稚園が終わった後の夏に、家族は新たな学区へ移り住んだ。「私たちは誰も知らない土地へ、誰もが息子に偏見無しで接してくれる土地へ移ったんです、」L.は言った。「私たちは新しい土地で息子の教師にさえ何も言いませんでした。」事実としてL.と彼女の夫は、B.に対してさえ、彼が12歳や13歳に成るまで自閉症について話さなかった。2人がとうとう打ち明けた時、彼はショックを受け、押し黙り、震え出した。彼は次のように訊いてきたとL.は言う。「何故今まで話してくれなかったの?、」L.は言った。「貴方に聞く準備ができているとは思えなかったのよ。」彼は答えた。「今だって準備できてるとは思えないんだけど。」
 B.は今20代初めで最近有名大学を卒業した。L.が私に話したところでは、彼はA.D.H.D.に悩んでいて時々社会性に不安を覚えたりする。しかし外国でも学び、優良な成績で、素晴らしい友人とガールフレンドに恵まれていると言う。彼は心理学を専攻していて、人の人生を変えうるその可能性に熱中している。
 B.の過去は、彼とその家族が親しい友人に対してさえも守っている秘密だ。B.がかつて自閉症だったと言う話に人々が困惑することを、そして家族が彼の過去を誇張していると思われることをL.は恐れている。L.の話では、彼女と彼女の夫はB.がいる場所で自閉症の話をしない。何故なら、それで彼が狼狽するのを2人は恐れているから。そしてそれこそが、私と話したいかB.に尋ねるのをL.が拒んだ理由であり、私が1人で彼に質問したりしないよう強要した理由でもある。しかしB.は時々両親に対して自閉症の話をする。たいていは、自分が自閉症だったときどうだったかを尋ねる。しかし最近、彼は母親に別の質問をした。あれは恐ろしい出来事だったの?L.が私にした話では、その時彼女は言葉に詰まった。彼を狼狽させないで正直に話す方法を考えたと言う。「私は本当に怯えていたと息子に話しました。しかし困難な時間は短かった。何故なら、何をすれば良いか判った後の彼の反応はとても素早く良いものでしたから。私たちは、このような結果に恵まれた人はとても少なくて、息子は非常に幸運だったんだと、何回も話しました。」
 ジャッキーの息子、マシューはそのような話を両親としたことが無い。実際、彼はほとんど会話をしない。今彼が暮らしているバークシャイアーズの牧場近くにあるグループ・ホームでは、彼が出す声はたいていの場合ならスタッフに解釈できる。時々彼は両親から貰ったiPod Touch上でなにかタイプして自分の意思を知らせる。彼はずっと前に自分に関連する物事のスペルを教わっているのだ。しかしほとんどの場合、自分の内面世界に没頭しているように見える。彼は決まり切ったことを静かに繰り返す。その中には馬にブラシをかける仕事も含まれている。しかしそれもほんの数秒間で、直ぐにどこかへ歩いていってしまう。毎日、彼の介護士はインドア・プールへ彼を連れて行き、彼はそこで甲高い声で喜びを表す。夕方にはこの上なく幸福そうにディズニーのビデオを見ながら、さえずるような、はっきりしない声で鼻歌を歌う。彼がはっきりと発音できる言葉は「ママ」と「ダディ」だけだ。
 彼の両親は、だいたい週末に彼と会う。そういった訪問時にマシューはしばしば体をくねらせることがある。彼が何か欲しがっているときのサインだ。そういう時ジャッキーは「見せてごらん」と言って自分のスマートフォンを渡す。そうすれば彼は文字をタイプする。彼女は私に最近のメッセージを見せてくれた。「ランチ食べる。チキン・ナゲット。フライ。ケチャップ。ブラウニー。アイス・クリーム。クッキー。」そして「ピータ・パン。テープ見る。」彼は彼女とコミュニケートするためにスマートフォンを欲しがったり、あるいはそれを指差したり、手を伸ばしたり、タイプるす真似をしたり、といった事をしない。彼は自分の望みを表明する方法があると理解していないようだ。彼にそれを教え込もうと20年間努力してきたにも関らず。
 マシューがもはや回復しないと言う考えはジャッキーを苛む。「どこかの時点で、」彼女は私に言った、「息子が決して正常にはならないと実感しました。息子は自分だけの正常を生きているんです。そしてマシューの自閉症は敵では無いのだと理解しました。息子はそういう人間なんです。私はそれと折り合わなければいけません。もしマシューが不幸であるなら、私はまだ戦っていたでしょう。でも息子は幸福なんです。率直に言ってあの子は普通に成長した同年代の多くの人々のよりずっと幸福です。そして私たちは息子からたくさんの喜びを貰っています。あの子はとても抱きしめるのが好き。何回もキスしてくれます。私にとってその全てが大勝利なんです。」

~~ここまで~~

翻訳ができしだい、適時Upします。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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