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共和党上院院内総務ミッチ・マコンネルの選挙戦

中間選挙に関連した記事をUpします。

記事を書いたのはジョナサン・マーチン(Jonathan Martin)さんです。元記事はここにあります。

共和党上院院内総務ミッチ・マコンネル(Mitch McConnell)さんの記事です。

~~ここから~~

ラストスパートをかけるミッチ・マコンネル

「バラク・オバマが権力を維持するのに必要なものは唯一つ、」ミッチ・マコンネルは言った。彼の声は歓声の中で鳴り響く。「彼に必要なのは合衆国上院だ!」
 その日は8月最初の土曜日だった。マコンネルは、ミシシッピ河から近いケンタッキー州ファンシー・ファーム(人口458人)にある波打つ金属屋根の下の赤レンガ造りを模したポーチで演説していた。90°Fの暑さにも関らず、72歳の上院少数党院内総務は糊の利いた黄色いドレスシャツにパリっとしたカーキパンツを履きブラックベリーをベルトに付けていた。彼の銀髪は豊かなもみあげと共にきちんと櫛が通っている。しばしばワシントンの生産物と揶揄されるマコンネルは壇上で繰り出す雑談や虚飾に非常に精通している。彼は頬を赤くしながら落ち着き払って話を続けた。「それこそが、ここに居るニューヨーク・タイムズの記者たちがわざわざケンタッキー州西部に来た理由さ。オバマとメディアに巣くう御仲間のリベラル派たちにとって、ケンタッキーなんてまるで外国だろうさ!」「チーム・ミッチ」サインの入ったキャンピング・チェアの前に立つ2百人のサポーターたちは、シーリング・ファンが回る下で笑い声を立てた。
 いつも8月にファンシー・ファームで開かれるこの集会は、ケンタッキー州の政治カレンダーの要と位置づけられる。134年前、土地のカトリック教区を出資者とする格式ばらない募金活動として始まった集会は、直ぐにこの州を支配していた民主党員にとって出席を義務付けられる集会となった。しかしこの数十年、ケンタッキー州が右よりになるに連れ、ファンシー・ファームは完全に超党派の集会に変貌した。色々な意味でこの集会は、政治がもっと単純だった時代に舞い戻った気分を味わえる場所だ。サポーターたちはルイスヴィレやレキシントンから選挙運動ステッカーを車に貼ってやって来て近郊のホテルを満員にする。少し前から陣取って、車の後部ドアを開けてバーベキューを始めている人も居る。多くの者は遅れてきて、飛行機の格納庫ほどの大きさがあるナイツ・オブ・コロンバス・ホールにバーベキュー・ポークやマトンを求めて集まる。今年のフェスティバルはシアサッカー・スーツを着て蝶ネクタイをした州の上告審判事が「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」を歌い上げて始まった。
 しかしながら古きよき時代の外見の下で、ファンシー・ファームは今や台本が書かれ、ほとんど全てが計算された政治討論会の1つになってしまった。州議会議員や知事や上院議員からなる発言者たちは、単に世論調査に裏打ちされたメッセージを少しばかりのユーモアや皮肉を混ぜながら話すだけだ。青や赤のTシャツを着たそのサポーターたちは、予め決められた掛け声でもって反対側を圧倒しようとする。ファンシー・ファームにもう30年も参加しているマコンネルは、この旧弊な人々と新しい人々を混ぜ合わせたイベントの専門家だ。「私が好きなのは1994年の集会だね、」彼はそう私にいった。「私はビル・クリントンの写真を印刷した厚紙を持ってきた。民主党員が通り過ぎようとしたら捕まえて厚紙と一緒に写真を撮ったんだ。」マコンネルに求められて写真を撮った土地の議員は後で、その写真が対立候補のTVコマーシャルに使われているのを見た。彼はその秋の選挙で負けた。
 この土曜日にはオバマの似顔絵の厚紙は見当たらなかった。「あんまり上手く行ったんで禁止されてしまったのさ、」マコンネルはそう不満を漏らす。しかし上院議員は、同じくらい効果的であれと期待する戦術に出た。「あらゆる基準に照らしても、バラク・オバマは我が国にとって災厄だ、」彼は宣言した。「今、全く経験の無い人間を選挙に出そうとしていることを考えてみてくれ。その人物は今度の選挙運動を始めたとき、最初の仕事についてまだ2年しか経っていないんだ。よくある事だなどと思うかね?」
 マコンネルが言っているのは彼の対立候補アリソン・ランダーガン・グライムス(Alison Lundergan Grimes)についてだ。彼女は数フィート離れた場所の赤レンガを模したポーチの上でスタイリッシュなネイビーブルーのドレスをまといタンヒールを履いて立っている。35歳のグライムスは2年前ケンタッキー州の州務長官(secretary of state)に就任し、1年後にマコンネルが上院6期目の選挙戦準備を始める頃、民主党の対抗馬としてベストな選択肢と目されるようになった。マコンネルが最初に上院に当選したころ、グライムスは小学校へ入学したばかりだ。しかし彼女の年齢とその若々しい外見は、ワシントンの生産物と言うマコンネルの世評を際立たせることになるだろう。そしてその性別故に悪意ある中傷を向け難く思われるかも知れない(そう彼女のサポーターは望んでいる)。グライムスの父は又、偶然にも州民主党元チェアマンでクリントンの近しい仲間だった。そしてこの2人の後援者はヴァージニア州知事になったテリー・マッコーリフ(Terry McAuliffe)だ。ビル・クリントンは既に彼女の選挙のために2回ケンタッキーに来ている
 2月に初めてクリントンがケンタッキーを訪問した時、グライムスは未だ荒削りで、口調は早く、その言葉はサポーターの上を滑っていた。しかしその後数ヶ月の間に彼女は自信を増しているようだ。「私は未だ35歳ですけど、その数字はミッチ・マコンネルの支持率と同じです、」グライムスはファンシー・ファームの群集にそう語った。群集はこの集会の歴史上最多で、その中には日本の記者まで含まれていた。「ミッチ・マコンネルが若しもテレビドラマに出るとしたら、きっと『マッド・マン』でしょう。女性を不当に扱い続けるドラマ、1968年から始まって今シーズンで終わるドラマです!」夏も盛りになるまでにグライムスは1100万ドル以上の選挙資金を集めた。
 何十年もの間、上院院内総務は選挙戦を楽に乗り切るものと思われていた。しかし政治対立が激化する過去10年間、その再選運動は全国規模の金が集まる激戦となった。2004年に上院民主党院内総務のトム・ダシェル(Tom Daschle)はサウス・ダコタ州で、1400万ドル集めた共和党対立候補のジョン・スーン(John Thune)に破れた。2010年、ダシェルの後継者ハリー・リード(Harry Reid)はネバダ州で、豊富な選挙資金を集めた又別の候補シャロン・アングル(Sharron Angle)に後1歩まで迫られた。今年のケンタッキー州上院選は政治的軍拡競争のもっとも新しいチャプターだ。外部の「スーパーPAC」と富裕な個人寄贈者から莫大な資金をかき集めている。クリントン以外にもグライムスは、スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg)やベン・アフレック(Ben Affleck)といった有名なケンタッキー州愛好家から指示を集めた。クリント・イーストウッド(Cling Eastwood)はマコンネルに寄付を申し出ている。
 しかしながらマコンネルにとって選挙戦は個人的なものだ。ほとんどの野心ある政治家と異なり、彼は大統領職を目指したことが無い。彼のゴールは常に上院を指揮することだった。2006年にビル・フリスト(Bill Frist)が引退を表明して以降、マコンネルは党の指導者となり民主党が多数派を占める中で自会派を導いてきた。過去数回の選挙戦で弱い候補を抱えて苦闘してきた果てに、共和党はついに数年来で最善の候補者をそろえるに到った。注目すべきことに、これらの候補者が上院を取れるかどうかは、マコンネル自身が若き挑戦者を退けられるかどうかに掛かっていると言えよう。
 世論調査によれば、マコンネルとグライムスの支持率は5月以来ほとんど拮抗している。何故ならケンタッキー州民はマコンネルのことを、例えばウエスト・バージニア州民がロバート・C・バード(Robert C. Byrd)に対して抱いていたような、あるいはマサチューセッツ州民がエドワード・M・ケネディに対して抱いていたような親近感を持っていないからだ。マコンネルはその政治家としての人生を、ワシントンに対する強固な嫌悪感に彩られる時代にすごしている。彼はオバマ政権の政策に対して反対を強調することで土地の民主党員の怒りを買うという、好悪がハッキリ分かれる存在だ。彼の相手役である多数党院内総務ハリー・リードに言わせれば、マコンネルはオバマが政権に就いて以来442回のフィリバスターを画策している(マコンネル側ではフィリバスターの数え方が異なり、回数には同意していない)。彼は又、民主党との2つの取引、いわゆる財政の崖問題と債務上限問題を巡る取引を仲介することでティー・パーティーを怒らせた。前回の再選選挙で2100万ドル近くを集めたマコンネルは既に2400万ドル集めている。その一方彼の支持率は30%台で低迷している。
 選挙運動を効率的に取り仕切ることに長けたマコンネルは、iPadで世論調査結果をいじり回しているほうが、選挙民と握手したり肩を抱いたりしているより居心地よさそうに見える。ファンシー・ファームでの彼は、勝利への最善の道は対立候補をオバマに関連付けることだと決断したようだ。それは微妙な戦術だ。ほとんどの共和党候補は同じような綱領を採用している。しかしマコンネルは少しばかり複雑な問題に直面している。オマバの人気は依然としてケンタッキー州では低いが、彼の看板政策でありマコンネルが執拗に廃案にしようと努めた皆保険法(Affordable Care Act)はこの州で顕著な成功を収めている。ギャロップ調査によれば6月末までに521,000人以上のケンタッキー州民が同法の下で健康保険を得ている。州の未保険者は前年の20.4%から11.9%に下落した。
 インタビューの中でマコンネルは、接戦のプレッシャーを歓迎していると示唆している。しかしファンシー・ファームでの彼はしばしばぎごち無くみえた。彼はグライムスの「マッド・マン」に対しウィットに富んだ返答が出来なかった。もしランド・ポール(Rand Paul)が、興味深いことに詩の朗読から始めたスピーチの中で、グライムスの非難をしなかったら、この日は彼の負けだっただろう。フェスティバルの後のバフェで私はたまたまアル・クロス(Al Cross)の後ろに並んだ。ルイスヴィレで発行される土地の政治紙ザ・クーリエ・ジャーナル(The Courier-Journal) で何十年も記事を書いている人物だ。私はその日のマコンネルのパフォーマンスについて尋ねた。彼はためらわなかった。「一歩後退だね、」クロスはそう返答した。
 ほとんどの政治家は仕事のために生きている。しかしマコンネルほど強迫的に熱中する人はいない。6月のある土曜日、私はケンタッキー州ダンヴィレで彼が25周年を祝うグレート・アメリカン・ブラスバンド・フェスティバルに参加するのを見ていた。パレードの中、白いジャケットに赤い帽子をかぶった数え切れないほどのチューバ奏者やホルン奏者の後ろに、コンバーチブルの後部座席に座ったマコンネルが続いた。彼は引き締まった笑顔を浮かべながら時折親指を上げて見せていたが、その頭は別の場所にいるかのように見えた。その週初め、ミシシッピ州のベテラン共和党上院議員タッド・コクラン(Thad Cochran)がティー・パーティーの対立候補に支持率で抜かれている。その夜、上院の重要な7つの議席の見通しについてマコンネルはルイスヴィレで演説した。まだアイオワは予備選の只中だったが、マコンネルはオレゴンの候補者に非常に満足していた。そして又ダンヴィレには固有の政治状況がある。「ここはかつて古典的なスィング地区だった、」彼はパレードの後でそう言った。「今はレッド(共和党色)が強いが、地区の高官は今でも大部分民主党員だ。」地区の州議会議員は共和党だ、と彼は急いで付け加えた。「しばらくの間はね。」
 そしてマコンネルは、1980年以降に州で勝つための地理的モデルの話に移った。その話には、彼が勝った地区の正確な数とか、上院指導者になるまでにどのくらい掛かったかとかに加えて、石炭産出地区に関する分析も含まれている。まるでクオンツ(金融業界のコンピュータ屋)のような分析を聴きながら、私は半分冗談で、再選を勝ち取るには各下院選挙区で正確に何%取れば良いのか判ってるのかい、と訊いた。彼はまるで私に頭が7つあるかのような目で見て言った。「あ~、そのとおりさ。」彼はそう言って州の政治の話題に戻った。「彼はL.B.J.(ジョンソン元米大統領)タイプさ。ビル・クリントンみたいな『政治が全て』会派の一員だよ、」マコンネルの公認伝記作者で「Republican Leader(共和党指導者)」の著者ジョン・デイヴィッド・ダイク(John David Dyche)は言う。「政治以外のことは、普通の人と見てもらえる程度にしかやらないんだ。」ジョン・マケイン(John McCain)は言う。「あれが彼の人生の全てなんだ。悪い意味で言っているんじゃ無いが、私から見て彼はある意味ロバート・バード上院議員を思い起こさせる存在だ。その人生全てが合衆国上院である人物さ。」
 この夏、州全部を巡ってマコンエルを訪ねながら、私は歴史家ロバート・A・カロがリンドン・B・ジョンソン(Lyndon B. Johnson)を評した言葉を思い浮かべた。「色々な意味で彼の人生は全て...遥か彼方に存在する唯一のゴールへと上り詰める事業の周辺に構築されていた。」ジョンソンにとってそれは大統領職だった。マコンネルにとって、1964年22歳の時ケンタッキー州上院議員ジョン・シャーマン・クーパー(John Sherman Cooper)にインターンでついて以来、それはいつも上院だった。「あそこでインターンをして以後、もしチャンスがあるなら少なくとも試みなければならないと考えるようになった、」彼はそう私に説明した。「早い内からそう考えていたのさ。そう言って良いと思う。」ダイクはしかしながらもう少し野心的なものを示唆する。「彼は人生の比較的早いうちから上院議員になるだけじゃ無く、偉大な上院議員になろうと思っていた。そして多数党の院内総務はその頂点なんだ。」
 マコンネルは中産階級の家庭で育った。しかしジョンソンと同じようにアウトサイダーとしての感性を身につけている。今やブルーグラス・ステイト(ケンタッキー州)とベルトウェイ内側(ワシントン)の両方で誰もが知る政治的伝承となった創生の物語によれば、マコンネルは2歳の時アラバマ州アセンズでポリオを患い、母親の献身的な看護で回復した(階段を降りる時とか、彼は特に顕著に足を引き摺る)。あまり知られていないことだが、既に小学生の頃から、隣近所の子供に虐められた時など、マコンネルは今に続く政治の場の姿勢を作り上げた(「もしも小石を投げてきたら、岩を投げ返してやるんだ」)。「アセンズでの一番古い記憶は、政治活動は葬式の場で行われているってことさ、」彼は私にそういった。「後で知ったことなんだが、」彼は続けた。彼の声はまるで重要事を打ち明けるかのように低くなった。「大勢の葬儀委員長が議会に選ばれているんだ。何故ならそういう人たちは、皆が本当に悲しんでいる時に顔を覚えてもらえるからね。最後には皆がその人を好きになるのさ。だから、アラバマとかケンタッキーの田舎で葬儀屋をやるのは選挙に打って出るつもりなら悪い選択では無い。」
 マコンネルが13歳の時、両親はルイスヴィレの南の端に引っ越す。そして彼の政治に対する興味はさらに広がった。高校時代、自分の垂れ幕を学校で一番人が行き交う場所に設置したおかげもあって、彼は生徒会会長に選ばれた。マコンネルは集票のために自分の宣伝ビラを仲間の10代の運動員に渡して配らせた。「チアリーダーの子が自分の影響が及ぶ奴に配ったんだ。それで運動部員はこっちのものさ。」以前彼の主席補佐官だったビリー・パイパー(Billy Piper)は言う。
 マコンネルは又、多くの人からコミューター・スクール(ほとんどが通学生の地元に密着した大学)と認識されるルイスヴィレ大学の学生会政治でも成功し、ケンタッキー大学のロー・スクールでもやはり成功する。しかしそのどちらの経験も、ジョン・F・ケネディと親しいリベラル派共和党員であるクーパーの下でインターンをしていた時ほど彼に影響を与えたわけでは無い。マコンネルはクーパーに傾倒するあまり、同じ種類のブルックス・ブラザーズのドレスシューズを買うようになる(「今でもあれを履いているんだ、」彼は言う)。1965年にジョンソンが国会議事堂の丸屋根の下で投票権法にサインした時、彼はボスと一緒に並んで立っていた。今日でも彼が嬉しそうに振り返る瞬間だ。1977年、初めて政治に出る機会を得たマコンネルはルイスヴィレを含むジェファーソン郡の知事に選ばれる。1981年に再選され、その後、上院議員選挙に打って出る。
 私と一緒の時マコンネルは、一度も選挙に負けたことが無いんだと、数え切れないほど何回も口にした。「私は8勝0敗なんだ、」彼は繰り返し言った。そのプライドは私の見たところ、ケンタッキー州の共和党員として民主党の強固な地盤だった「ソリッド・サウス(Solid South)」時代を過ごす間に直面した数々の障害のためだと思われる。ケンタッキー州は文化的には常に保守的であるが、国内で最も貧しい郡を持ち政府の援助に強く依存している。そしてニュー・ディールやグレート・ソサイエティー・プログラムは強い人気を持っていた。「政府には存在意義があり、政府にしか出来ないことがあると州民は実感している。」南部および東部ケンタッキー州を代表する共和党下院議員ハロルド・ロジャース(Harold rogers)は言う。
 アウトサイダーというマコンネルの自己認識は、こういった最初の頃の選挙戦で確認された。彼は不利を埋め合わせるために今日まで続く選挙戦の規律を採用した。募金活動の夕食会で如何にして会場を選挙運動ステッカーをバンパーに貼った車で埋め尽くすかを運動員は指示される。パレードの時ジャケットの襟につける選挙用ピンバッチの配り方をボランティアは学ぶ(1ついかがですかと訊いてはいけない、1つ欲しいでしょうと言え)。マコンネルは主に、ただ一つの選挙メッセージに集中し、それを緩めること無く何回も何回も繰り返す。「私は彼のことを選挙戦のタイガー・ウッズと呼んでるんだ、」1960年代からマコンネルのことを知っている民主党下院議員ジョン・ヤームス(John Yarmuth)は言う。「あんなに政治に熱中している人間を他には知らない。彼の心はそれほど1つのことに捉われていてそれが彼を強力にしている。」マコンネルを腹立たしく思う人間も州内にはいるだろう、しかし彼の最初の選挙戦は、共和党員でもリベラルなルイスヴィレで勝てるのを示した点で顕著なものだった。1984年、彼はこの国で民主党現職を上院選で破った唯一の共和党候補だった。「彼の選挙スタイルは彼の支持率が高く無い理由でもある、」テネシー州選出の共和党上院議員ラマー・アレクサンダー(Lamar Alexander)は言う。「彼は最初の選挙で、あんなにも凄い勝ち方をした。あれはネガティブ・キャンペーンだった。そしてそれが上手く行った。」
 何年もの間にはアウトサイダーとしての矜持が子供っぽい振る舞いに結びついたことも何回かあった。クリントンの厚紙の他にも、マコンネルは一度、世論調査の質問票に、左翼的色合いの強いクーリエ・ジャーナルの論説で意見を変えたことがあるか、と言う問いを加えたことがある。その結果多くの人が意見を変えてないことが示されると、彼はその事実をカードに印刷し、同社主催のケンタッキー・ダービーの日に自ら配った。彼は記者や批評家から受けた当てこすりを、本当のものも、そう受け取れただけのものも含めて、しつこく覚えている。「これは私のキャリアを通して少しばかりイライラさせられることなんだ、」マコンネルは言った。「私は今まで選挙戦8連勝で一度も負けてないのに、選挙が終わると毎回言われるんだ、『まあ良かったけど、もっと良い候補がいたはずだ、』とか、『他にもっと良い選挙が出来る人間がいるだろう、』ってね。」彼はさらに続ける。「なんだか時々、ロドニー・デンジャーフィールド(Dodney Dangerfield:コメディアン、俳優)にでもなったような気分さ。8勝0敗は8勝0敗なんだってね。」
 2013年、共和党が上院多数派を奪回する絶好のチャンスが近づくにつれ、マコンネルは2つの側から攻撃を受けるようになる。グライムスが直ぐ側で待ち構えている一方、マコンネルは予備選で挑戦を受けた。党の最右翼から彼を攻撃する挑戦者はマット・ベビン(Matt Bevin)。マコンネルは自分独自の戦略の下に、いつものように応戦した(「いつも僕たちにはキャンペーン・マネージャーがいるんだけどね、」以前彼の主席補佐官だったハンター・ベイツ(Hunter Bates)は言う、「でも彼はいつも主席戦略家なんだ」)。しかし今回、彼の有名なメッセージ戦略はほころびを見せた。ランド・ポールの組織から借りてきた彼のキャンペーン・マネージャーは、マコンネルのところで働いている間、いつも「鼻をつまんでいるんだ」と言っているのを録音された。3月のN.C.A.A.トーナメントの最中にマコンネルが出したウェブ広告には、間違って2人のデューク大学バスケットボール選手が写ってしまっていた。ケンタッキー大学ファンが溢れる州では重大な過失だ(頑強なルイスヴィレ大学サポーターのマコンネルも怒っていた)。4月に、どうやってコミュニティーに雇用を持ってくるのか小さな町の新聞に聞かれた時、マコンネルはあまりにも技術的なミット・ロムニーばりの答え方をした。マコンネルは後になって、特に「それは私の仕事では無い」と口走った部分について、自分の言葉は誤解されていると弁明するが、グライムスはこの機会を逃さず、彼のことを土地の現状に疎い人間に見せようとしている。
 ダンヴィレでコンバーチブルから降りた後、マコンネルは再び8勝0敗に言及した。私は彼に、もしかして完璧な戦歴をもっているのにキャリアの終わり近くになってもなお厳しい選挙戦に直面していることが不満なのかと訪ねた。「君は新しいパラダイムを無視しているようだな、」彼はイライラしながら言い返す。彼は上院のリーダーを狙い撃ちする最近の傾向を引き合いに出した。「私は今年戦う共和党員の中で、国内全てのリベラル派に名前が知られる唯一の人間だ。他に誰かそんな人間を聞いたことがあるかい?一人もいないさ。」
 首都の事務所は、ほとんどの上院議員にとって自分の州に関係する装飾品を飾り立てる場所だ。メイン州選出の共和党上院議員スーザン・コリンス(Susan Collins)はロブスターを取る罠をレセプションエリアに飾っている。ラマー・アレクサンダー(Lamar Alexander)はアパラチア地方のトーテム・ポールの全体像をディスプレイしていて、それにはバイオリンとかキツネの毛皮とか巨大な干草用フォークまでついている。マコンネルはしかしながら、こういった傾向を新しいレベルまで高めた人間だ。首都にある彼の事務所はケンタッキー州の神殿にほかならない。そこには有名な下院議長で国務長官でもあったヘンリー・クレイ(Henry Clay)の胸像と肖像画がある。マコンネルは大学時代、彼をテーマに論文を書いている。その直ぐ側にはホッジェンビルで生まれたアブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)の肖像画があり、最高裁判事でプレッシー対ファーガソン裁判の時、(黒人分離政策を合憲とする判決を出した1896年の裁判、1954年のブラウン対教育委員会裁判で最終的に否定された)唯一反対票を投じたジョン・マーシャル・ハーラン(John Marshall Harlan)の写真もある。入り口近くには1984年に上院に当選したばかりのマコンネルがジョン・シャーマン・クーパーと写っている白黒写真がある。クーパーの巨大な白黒写真はマコンネルのデスクの後ろにこれ見よがしに飾ってあり、その横にはケンタッキー州民で最後の多数党院内総務であるアルベン・バークレー(Alben Barkley)のポートレイトがある。
 上院で30年間過ごしてきて、マコンネルは自分を歴史的な意味づけの中で語ることに満足を見出しているように見える。私の移民法改正に関する質問に答えて彼は、1850年にステフェン・ダグラス(Stephen Douglas)が、法案を複数に分割することで妥協案成立を助けたことを説明した。彼は同じような戦略が今有効であると考えている。毎年の終わりにマコンネルはルイスヴィレ大学で歴史学者と座り、過去12ヶ月の間に彼が何を考えていたのか記録している。彼は既に大学のマコンネルセンターに自分の資料を集めた大統領スタイルの博物館と図書館を設立している。
 色々な意味でマコンネルは、彼の党と州の変遷を反映している。民主党に傾倒したケンタッキー州で、若き共和党員のマコンネルはどちらかといえば中道派だった。彼は議事堂の階段から、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がワシントン大行進のあとで演説するのを好もしく眺めていた。ルイスヴィレでの最初の選挙戦では団体交渉権への支持を表明している。彼はザ・クーリエ・ジャーナルと共に地元の労働組合からさえも支持を取り付けていた。彼はロナルド・レイガンよりもジェラルド・フォードを支持さえしていて、その4年後に未来の保守派大統領として又別の共和党員の支持に回った。彼の犬はネルソン・A・ロックフェラー(Nelson A. Rockefeller)にちなんでロッキーと名付けられている。これはマコンネルの最初の妻シェリル・レッドモン(Sherrill Redmon)がダイクの執筆する伝記向けに明かした小話だ。彼女はスミス大学の引退した学者でグロリア・スタイネム(Gloria Steinem:米国のラディカルなフェミニズム運動家)と共闘していたこともある。
 しかし上院に当選以後のマコンネルは保守派のラインに行動を合わせる。それは党を覆う情勢でもあった。時間の経過と共に彼は団体交渉権や最低賃金に対する意見を変え、かつて自慢していた地元への利益還元プロジェクトを捨てた(マコンネルは地元で行われた数億ドルの公共事業について責任がある)。マコンネル自身の話では、彼の右へのシフトは保守主義の台頭に影響されたものだと言う。「レイガンの非常な成功は中道右派にいた全ての人間にとって良い手本となった。」そしてそれは、さらに遠い目標へ向けた彼の道程を助ける。1997年、マコンネルは上院共和党選挙組織の長となる。5年後、彼は党の副代表に上がり、それによってフリスト引退後に共和党のリーダーになる道が開かれた。「ミッチは地位が与える特権や権力を楽しんでいる、」ケンタッキー州の民主党知事で1996年の上院選でマコンネルに敗れたスティーブン・L・ベッシャー(Steven L. Beshear)は言う。「注意して見ていれば、議席を保ち権力を維持できるなら彼は懸案ごとに立ち位置を変える男だってことが判るだろう。」1977年にジェファーソン郡でマコンネル相手に議席を失ったトッド・ホレンバッハ(Todd Hollenbach)はもっと手厳しい。「あいつは必要なら時と場合によって何にだってなれる男さ。」マコンネル自身に言わせると、彼は自分の政治的変わり身について、特に自分の党が勝つための枠組みについて言えば、完全な否定はしない。「あの当時の私を指して人が中道派と呼ぶかどうかは知らない、」彼は言う。「しかし振り返ってみれば、確かに私はより中道的な候補を支持していた。」彼は完結に説明した。「私は勝ちたかったんだ。」
 マコンネルが自分の事務所でクーパーやバークレイの肖像に見下ろされながら座った時、もし多数党院内総務になったら何をするつもりか私は尋ねた。この国は彼の議員生活の中でもかつて無いほど分裂している。この傾向を逆転させるために彼に何が出来るのだろう?「最初の仕事は上院を回復させることさ、私は全力でそれに取り組むつもりだ、」彼は言った。そして単なる政治的劇場ではなく、クーパーの時代がそうだったように慎重な議論が戦わされる議会にしたいと説明した。私はこの宣言に関してもう少しマコンネルに迫った。たとえ上院共和党が51議席取っても、2010年に民主党傾向の強い州で勝った議席数から考えて、彼らは2016年に数多くの厳しい選挙に直面するだろう。マコンネルは彼の脆弱な多数党を守るために、リードが最近しているように、法案の修正を拒んで政治的に危険な投票を上院議員にさせないよう仕向けないだろうか?「多数党でいることの欠点は、議案を通すために数多くの嫌な投票を引き受けなければいけないと言うことさ、」彼は言う。「もし投票したくないのであれば上院に来るべきじゃない。」
 それでもマコンネルにとって、特定の合意の内容そのものよりも、合意をまとめようとする行動そのものの方が魅力的であるように見える。「政治家の中には緊張を和らげようと画策する人間がいる、」以前ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)の補佐官をしていたカール・ローブ(Karl Rove)は言う。「ミッチは、上院の誰かがこうしたらどうなるとか、ああしたらどうなるとかを考える人間なんだ。それでそういった計算には100通りの違った公式が入っているのさ。」2011年、最終的に失敗した債務上限交渉が行われている最中、マコンネルは、オバマに単独で債務上限引き上げをさせようと議会を動かして画策した。その時、報道界の中には彼のことを「邪悪な天才」と称した人々がいる。マコンネルはその話を好んでする。「その話をする時の彼を見れば、彼が自分のスキルを評価されて喜んでいるのが判ると思うよ、」ある共和党上院議員はそう私に言った。
 議会におけるマコンネルの最も大きな功績は、結局のところ、最終的には失敗に終わったがBipartisan Campaign Reform Act (超党派選挙改革法)いわゆるマケイン‐フェインゴールド法を阻止しようとしたこと、及び、タバコ農場の買い上げとブッシュ減税の延長、そして合衆国憲法修正第1条(言論の自由を保障した条文)にからむ種々の運動への支持だろう。「私の考えでは、彼が最も喜んで取り組むのは、国家に寄与する重要で真剣な案件で大きな合意を作り出すことさ。」ラマー・アレクサンダーはそう私に言った。そして彼はふざけながら言う。「その案件がなんであるかは大した問題では無かったように私には見える。たぶん保守的な方向性を持ったものなんだろう、しかし案件にも色々あるからね。」
 南北戦争中深刻な確執を抱えたケンタッキー州は現在、政治的にも文化的にも大きく異なる地域の混沌としたパッチワークになっている。アパラチア山脈ふもとのケンタッキー西部は国内再貧の郡を10箇所抱えている。シンシナチ市郊外を含む北部は中西部志向を持ちオハイオ州民の奔流が河を渡ってくる。州西部のファンシー・ファーム近辺は深南部に近い雰囲気を持つ。政治集会にバーベキューとか土地のカトリック僧正とかブルーグラスのバンドがついて回るところだ。
 民主党が主要都市を支配し、辺境部ではかろうじて生き残っているこの構成は、他の南部諸州よりずっと長期間、党が根を下ろすことを許してきた。しかし、過去40年間共和党知事を1人しか生み出さなかった一方、辺境部で長年民主党員をしている人々は、同性婚とか堕胎とか環境問題に関して、文化的には共和党の方が近しい存在であると言う見方を次第に強めている。1992年以来民主党は上院選で勝ったことがなく、1996年以来民主党大統領候補はこの州を取ったことが無い。ジョン・ヤーマスは今、この州で唯一の民主党下院議員だ。ここで勝つためにはグライムスは、ルイスヴィレとレキシントンで大量のリードを奪い、その他の場所の負けを埋める必要がある。マコンネルの目標は本質的にその逆だ。辺境部の大量得票で都市部を洗い流す必要がある。
 ファンシー・ファームの1週間後、マコンネルは「Kentucky Leads America(ケンタッキーがアメリカをリードする)」と言うマントラが書かれた大きな青い選挙運動バスで州東部を回った。バスが木々で覆われた丘陵を縫うルート23、「カントリー・ミュージック・ハイウェイ」を進んだのは霧のかかった朝だった。グライムスとの選挙戦が進む中、マコンネルは、グライムスはオバマだと言うメッセージに磨きをかけている。ツアーの少し前にE.P.A.(環境保護庁)が提案した石炭プラントの排出規制は彼に新たな攻撃材料を与えた。今やマコンネルは、グライムスがオバマの代理であると示唆できるだけでは無い、2人がケンタッキー州民の生活をひっくり返そうとしていると訴えることが出来る。
 鍵は石炭だ、選挙活動家のマコンネルにとって、今や全ては石炭になった。「石炭は最大の論争点だ、」彼は私に言った。「これは石炭を採掘している郡だけの問題じゃ無い、それを超えている。私たちの文化の一部なんだ、自分たちを歴史的にどんな存在であると認識しているかにかかわる話の一部なんだ。そして人々はこの政権のことを、自分たちが好もしく思っている全てのものを攻撃する存在だと信じている。」
 その日、デニムのシャツを着たマコンネルは、立ち寄った4つの選挙地点で繰り返した。「彼らは私たちを理解していない、私たちがどんなふうに生活しているのか理解していない、私たちの価値観を理解していない、」彼はマーチン郡で数名の鉱山労働者がヘルメットをかぶり蛍光テープを縫い付けた服を着て立っている横でそう言った。カントリー・ミュージック・ハイウェイをさらに進んだ場所でマコンネルは、イラク戦争退役軍人で去年ブレイクした歌手のジミー・ローズ(Jimmy Rose)に紹介された。彼は「America’s Got Talent(アメリカのタレント発掘番組)」で自作の「Coal Keeps The Lights On」を歌って審査員を唸らせた人物だ。ローズは「Friends of Coal(石炭の友人)」と書かれたステッカーを貼ったアコースティック・ギターを奏でた。私は数え切れない数の「Coal Country for Team Mitch」と書かれたバンパー・ステッカーや「Stop the War on Coal(石炭相手の戦争を止めろ)」と書かれた看板の中に居た。マコンネルが演説を終えると、支持者がシュプレヒコールを先導した、「ケンタッキーと言ったら石炭だ」。
 移動の間にマコンネルは、まだレッドに染まってない郡がたまたま石炭産出地域であることを説明し始めた。「石炭に対する戦争は、州内の他の辺鄙な地区の変化に最も強く抵抗していた郡の政治を変えつつある、」彼は言った。彼はどうも、ヤフー・ニュースがその朝公開した記事を気にしていないようだ。その記事は、彼の妻でジョージ・W・ブッシュ政権の労働相だったイレーン・チャオ(Elaine Chao:趙小蘭)が、石炭産業の削減を目的としてシエラ・クラブに5000万ドル寄付することを宣言したブルームバーグ福祉財団の役員だったと告げている。実際のところマコンネルは、補聴器を付けているのを私に気づかれ、いつから付けているのか訊かれた時のほうが嫌そうだった(だいたい1年くらい付けているそうだ)。ヤフー・ニュースの記事は石炭に対するマコンネルの立場と矛盾している。しかし同じようにこの記事は、コミューター・スクール出身でブルー・ステートの共和党員でロドニー・デンジャーフィールドを気取る彼の自己認識を複雑なものにしている。実際にはマコンネルは上流階級の人間だ。「私が上院議員に選ばれた時、我々は選挙登録者数で2.5対1で負けていたんだが、それが今や1.4対1になっているのは事実だ、」彼はそう言い、ケンタッキー州で共和党支持が急速に上昇した事に言及した。「そして私は、州上院議員や州下院議員の選挙、それに合衆国議会のメンバーやそのほかの選挙に直接関ってきた。そして明白にこの州を右へ右へ動かそうと頑張ってきたんだ。」
 マコンネルの中で、ジョン・シャーマン・クーパーが如何に畏怖の念を呼び起こす存在であり続けようとも(ジョージタウンにある上院議員の家を最初に訪れた時、彼は「パンツを濡らしそうになった」ことを覚えている)、彼は自分のキャリアをクーパーとは異なる方向へ進むよう努めてきた。クーパーは行動が予測できないワイルドカードのような存在だった。1964年、ケンタッキー州民の多くが人種差別的見方を持ち続けていた中で、彼は公民権法を指示した。後年ベトナム戦争中に、彼はアメリカ軍のカンボジアでの作戦行動を禁止する法案を起草している。クーパーは新聞の論説委員からは賞賛されたが、自分の党内では充分な支持を受けられなかった。クーパーが共和党上院院内総務の職を得ようとした時、彼はより保守的なエヴァレット・ダークセン(Everett Dirksen)に負けた。2回上院選で負けたクーパーは8勝0敗では無い。
 クーパーは幾つか、20世紀でも最も重要な法案の成立を助けたがマコンネルは、ケンタッキーでもワシントンでも、法案作成者としてよりも党の戦略家としての活躍の方が目立っている。ファンシー・ファームでの演説の前、彼は近くの公立学校の中で土地の共和党候補の相談にのった。議員生活で長年取り組んできた選挙資金改革の阻止活動でさえも、対立候補に不利益を強いるよう作られたものだ。アメリカ政治に対する彼の最も大きな影響はおそらく、最終的に最高裁でのシチズンズ・ユナイテッド判決に結びついた裁判の提訴者になったことだろう。この判決は企業に無制限な政治献金をする扉を開きスーパーPACの隆盛を招いた。
 かつては遥か彼方にあった目標にマコンネルが近づくにつれ、その職がかつて夢見ていたものに近いのかどうかが怪しくなってきている。今日、議員を目指す多くの政治家は、後のロビー活動とか講演活動とか、もっと実入りの良い仕事への単なる踏み台にしようと考えている。党の古株が次々と脇へ退いて行く中、新たに選ばれた共和党上院議員はマコンネルの会派をさらに右へと押しやっている。この6月、下院多数党院内総務エリック・カンター(Eric Cantor)はティー・パーティーの無名候補に予備選で敗北した。「彼が党の院内総務になることを究極の目標にしていることに私は興味を覚えるね、」ヤームスは言う。「何故なんだ?納得できる理由があるとは思えない。彼はそれを自分のキャリアの最高点だと見ている。でも私には彼に為すべき何かがあるとは思えない。単に何かになりたいだけだ。」
 マコンネルは私に、院内総務としての彼の目標には、税制の改革、および社会保障とかメディケアのような包括的法案を通すことが含まれていると言った。しかしそうすることは、もちろん、彼の多数党を危険にさらす。おそらくは少数の小さな法案、貿易とか税制とか、そしてたぶん移民法の幾つかの条文の改正、それくらいが関の山だろう。それらさえも、左翼にいる同僚たちの支持が必要だ。ハリー・リードはこの記事へコメントすることを拒否した。しかし彼の事務所は、マコンネルが法案成立をどれだけ邪魔したかを示す膨大な情報を喜んで送ってくれた。はたして民主党は本当に向きを変えて、新たな多数党院内総務に勝利を与えてくれるのだろうか?
 それでもマコンネルが率いる上院には、まだおそらくは、党派を超えた協力への希望が存在する。ラマー・アレクサンダーは、ニューヨーク州選出民主党上院議員でリードの後継者と目されるチャールズ・E・シューマー(Charles E. Schumer)とマコンネルの間にデタントが結ばれるのを助けた。2011年にアレクサンダーとシューマーは首都で内輪の夕食会を開き、マコンネルが議長を務める上院規制委員会のメンバーについて話し合った。「その席で上院をどのように機能させたいかシューマーが話した内容は、民主党員にしては驚くべきものだった、」アレクサンダーは言う。もしシューマーが自会派をまとめることができたら、おそらくはマコンネルが、彼自身のためにもより実質的な業績を作り出す上で、助けとなるだろう。「彼らは共にディール・メーカーだからね、」アレクサンダーは説明する。
 マコンネルが再選されるかどうかは、彼がどれくらい自分の不人気を克服できるかに掛かっている。そして彼の仮借ないメッセージが経験不足の対立候補の弱点を突けるかどうかにもかかっている(マコンネルは実際、総選挙では7勝0敗だ)。ケンタッキー東部から戻った後、私はグライムスと、マコンネルに対する彼女の勝ち目について話し合った。「私の見たところ、彼は自分が州の状況にどれだけ疎いかを見せ続けていると思います。ワシントンD.C.へ帰る道を買い取ったり苛め取ったりできた時代は終わったんです、」彼女は、私が出す質問に答えるとき何時もそうであるように、自分の論点をずらすことなく、そう言った。
 マコンネルのインサイダー・アウトサイダー戦術は、彼が30年間上院にいて彼女は全くの新人であるにも関らず有効だと思うかグライムスに訊いたら、彼女は次のように答えた、「それこそ彼が使おうとしている選挙戦術です。自分が何かしらの犠牲者だと主張するのです。」しかしながら、結局のところマコンネルは、まるで自分の選挙では無くオマバの選挙の戦い方を発見したかのようだ。どうにかして、彼は再度アウトサイダーになった。あの男はたぶん今でもそうなんだ。

~~ここまで~~

次の記事は翻訳ができしだい、適時更新します。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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