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北の指導者死去

北朝鮮関連の記事をUpします。

記事を書いたのはデイビッド・E・サンガー(David E. Sanger)さんです。元記事はここにあります。

金正日氏死去のニュースです。

~~ここから~~

北朝鮮を核保有国にした支配者

国民から「親愛なる指導者」と呼ばれていた金正日は、自ら飢餓と崩壊の淵に追いやった国を鉄の手で支配していた。おそらく共産主義世界最後の個人崇拝を育て上げ、不忠な市民を強制収容所へと消し去り、国外逃亡者へは暗殺者を振り向けた。

彼は1994年、父親であり北朝鮮の創設者である金日成の死後、権力の座に就く。冷戦後の不確実な時代に疲弊した国を継承した彼は、自分の唯一のカード、核兵器開発計画を最大限活用する。最初は、ジョージ・W・ブッシュ政権の、彼の国を転覆させる試みを退け、次にアメリカがイラクとの戦争に捉われている期間を有効に利用し、寧辺(Yongbyon)の核施設で6個から8個の原爆を作るに足る核燃料を抽出した。

全期間を通し、彼は謎の存在であり続けた。彼についての全て、正確な誕生の日付から、第二次大戦後の朝鮮半島分割が作った国で神格化された彼の成長物語まで、全ては推測の域を出ない。

北朝鮮の民衆は彼について、「並ぶ者無き指導者」である事、および「革命大義の偉大なる継承者」である事しか聞かされていない。彼の肖像画は父親金日成の肖像画と共に、全ての北朝鮮家庭や建築物に飾られている。国中の塔や旗、あるいは岩の表面にまで、彼を称えるスローガンが書かれている。

中央情報局(CIA)内部で金氏は興味の尽きない対象だった。CIAは彼の愛人にインタビューして所在を調べようとし、その動機を調べる為に精神分析さえした。そして彼はアメリカ文化のなかでパロディの対象だった。

背が低く太っていて、厚底靴を履き、でかいサングラスをして、ふっくらした髪型、ハリウッドが描く風変わりな冷戦後独裁者の典型像だ。しかし金氏自身は映画に魅了されていた。彼は自国に映画産業を作ろうとして、共に韓国人の女優と監督を誘拐する画策をした。彼は2万本に及ぶ外国映画のライブラリを持っていると言われていて、その中には彼のお気に入り、ジェームズ・ボンド・シリーズ全巻が含まれていると言う。しかし彼は、たまに中国を訪れる際の豪華な列車の窓から以外、殆ど外の世界を見たことが無かった。

彼は嘲られ非難されていた。ジョージ・W・ブッシュ大統領は彼を「ピグミー」と呼び、彼の国を「悪の枢軸」に含めた。韓国の児童書で彼は角と牙を持つ赤い悪魔として描かれている。しかし彼に面会した人間は、彼の真面目な態度と、閉ざされた王国の外の出来事に対する彼の知識に驚いている。

「彼は遠慮なくものを言う人物だ。」2007年平壌で韓国大統領として彼と会談した盧武鉉は言う。「彼は北朝鮮でもっとも柔軟性に富んだ人物だ。」

現在国務省ナンバー3で、国務長官マデリン・K・オルブライトの相談相手として北朝鮮に同行した事があるウェンディー・シャーマン(Wendy Sherman)は2008年に言っている。「彼は賢く、集中力があり知識も豊富で自信家だった。自分の目の届く範囲を支配する主人と言った存在だった。」

オルブライト女史は金氏と2000年8月に会談した。それはビル・クリントン大統領が職を離れる直前に、北朝鮮とのミサイル交渉妥結を意図し、結果として無駄に終わった努力の中での訪問だった。

「彼の支配の独裁性については否定の余地がありませんでした。」シャーマン女史は言う。「彼の国に自由が無いことにも否定の余地はありません。しかしその当時、合衆国内部では、彼が実際に支配力を行使しているのかどうか、数多くの疑問があったのです。私達が離れた時には、その疑問はハッキリしました。彼は支配していました。」

オルブライト女史とシャーマン女史は、北朝鮮のミサイル計画に対し14項目の懸念事項を持って会談に臨んだ。「全ての項目について彼は回答を知っていたわけではありません。しかし彼は他の殆どの指導者よりも多くの知識を持っていました。そして彼は概念的に考えられる人物でした。」シャーマン女史はそう付け加えた。

ワシントンとの交渉

ブッシュ大統領は一期目に北朝鮮の核保有は許さないと言っていた。しかし彼の大統領としての権威が縮小するにつれ、彼がした事は正にその逆だと、側近達は信じるようになった。

ブッシュ氏は2007年春にイスラエルから知らされる迄、北朝鮮がシリアの原子炉建設を助けていると知らなかった。北朝鮮やシリアが挙げられた証拠に対する抗議する前に、イスラエルは秘密裏に爆撃機を送りシリアの施設を破壊した。北朝鮮は自らの役割について何の説明もしていない。

ブッシュ氏の任期終了間際には、北朝鮮との対立は4年に及んでおり、交渉は中断して3年に成っていた。アメリカのベテラン外交官、クリストファー・R・ヒルが率いる交渉は、タカ派が忌み嫌う結果をもたらした。合衆国は、老朽した寧辺の施設、調査官が放射能事故発生間際と報告した施設の廃棄と引き換えに、北朝鮮に大量の燃料石油を提供する事に合意した。

金氏は配られた弱いカードを有効に活用した。彼は北京とワシントンからの圧力を押し返す事に成功した。ワシントンに交渉を強要し、最終的に自分を受け入れさせた。彼は会談を切り刻み、長引かせ、自分の核燃料と、何であれ作り出せる兵器に固執し、永続して使えるテコを手に入れた。その兵器こそが現在、アメリカやアジアの政府関係者の心配の種だ。陰謀をめぐらす将軍や党の指導者達が、金氏の後継者選びの過程で、その兵器を支配しようと内紛する事を政府関係者は恐れている。

「この時代の歴史を書く時には、」ハーバード大学教授で核拡散に関する専門家、グラハム・アリソン(Graham Allison)は言う。「得点表は金が8点、ブッシュは0点だ。」

しかし仮に、「彼が全ての困難に打ち勝って生き延びる偉大な名人であるとしても、」ソウルの国民大学校の北朝鮮専門家アンドレイ・ランコフ(Andrei Lankov)は言う。「その対価を払わされたのは彼の国民だ。そして対価はとてつもなく高額だった。」

金氏の政策、「先軍」政策は、総勢110万人、世界5位の規模の軍隊に国内の資源を優先的に回すと言うものだ。彼の支配の元、北朝鮮は弾道ミサイルの射程を拡大し、2006年8月には核実験を行う世界8番目の国と成った。

しかし北朝鮮の経済が縮小するにつれ、その孤立も深まっていった。1990年代後半、無能力と自然災害がもたらした飢餓で、おそらく200万人に及ぶ人間、人口の大体10%が死んだ。

「私が変節すると思うな!(Do not expect me to change!)」は広く知られたキャッチフレーズで金氏の言葉とされている。彼の社会主義政策に国民が忠誠であり続ける事を即すキャッチフレーズだ。

金氏は1941年シベリアで生まれたと信じられている。彼の父親、金日成がソビエト連邦へ亡命していた間だ。しかし北朝鮮の公式声明では、彼は1942年に小屋で生まれたとされている。エイブ・リンカーンのように。その小屋は彼の父親が率いる反日ゲリラの秘密キャンプがある白頭山上にあったとされている。朝鮮の神話上の聖地だ。国営朝鮮中央通信がしばしば引用するように、その時、空に明るい星が現れ、二重の虹が大地にかけられたと言う。

彼がどのように成長したのかは殆ど知られていない。公式発表では1964年、父親が国内に数多く建てたモニュメントの1つ、金日成大学を卒業した。その当時、北朝鮮は冷戦に巻き込まれていて、若き金は対決がもたらす数多くの危機、例えばアメリカのスパイ船プエブロ(Pueblo)を北朝鮮が拿捕した事件等を目撃している。1968年、彼の姿は時たま国家行事に現れたが、殆ど発言していない。稀に発言があった時、彼は甲高い声を披露した。父親のゆったりとしたカリスマは受け継いでいないようだった。

若年と中年の年月を通して、彼のプレーボーイな生活を表す話が存在している。国が飢餓に苦しんでいる時に贅沢な食事をしていた話も伝えられている(彼のコックが国を離れたあと本を書いている)。その巻き毛や上げ底靴、高級酒に対する情熱などが、彼を冗談の種にした。

彼は、1983年ビルマへ派遣された韓国外交団への爆弾テロ事件に関与していると疑われている。そして彼は、日本国民誘拐についても知っていた、おそらく命じていたと考えられている。しかし何も証明されてはいない。

ワシントンは、1987年、北朝鮮エージェントによる大韓航空機爆破事件の後、テロリスト支援国のリストに北朝鮮を加えた。逮捕されたエージェントの1人は金氏の命令で実行したと述べている。

金氏は権力を掴む為に絶え間なく活動した。彼は毎朝、玄関前から父親に礼をした。黄長が2006年に出版した回顧録によれば、彼は1974年、中央委員会に32歳で選出される遥か前から、父の後を継ぐ事が決まっていたと言う。黄長は元朝鮮労働党書記で1997年に韓国へ亡命するまで、金政権の重要人物だった。(黄氏は2010年に亡くなっている。)

「若年の頃から金正日は権力のメカニズムをマスターしていた。」黄氏は回顧録に書いている。

金氏が父親の後継者として議論の余地無い存在で有る事が明らかに成ったのは1993年だった。それは同時に、寧辺の核施設の存在と北朝鮮の核開発計画が明らかになった時でもある。その年彼は、中央軍事委員会委員長となった。北朝鮮で最も権力を持ち、軍を統括する委員会である。

1994年、合衆国との対決の中で、北朝鮮は備蓄した核燃料で爆弾を作ると脅した。それは1953年の朝鮮戦争休戦以来、両国が最も戦争に近づいた瞬間だった。この対決は、金日成が元大統領のジミー・カーターを歓迎し、カーター氏がクリントン氏と金氏の合意を推進した事で解消した。

しかしながら、1ヶ月も経たない内に、国の創設者である偉大なる指導者は死去した。その当時、多くの者が若い金の後継を危ぶんだ。軍事クーデターの噂がながれ、彼は単に国を運営しない限りにおいて、スポーツカーで遊んだりヨーロッパのエンターティナーの来訪を企画したりする事を許されているに過ぎないと言う理論が囁かれたりした。北朝鮮に関する多くの情報と同様、そういった情報は誤りだった。

金氏には3人の息子がおり、その内の誰でもが彼の後を継ぐ可能性がある。しかし彼の家庭生活は謎に包まれている。

彼の最年長の息子、金正男は跡継ぎとして最も自然な選択だった。しかし彼には不利な点もあった。正男の母親は金氏と結婚していないのだ。健康問題が持ち上がった2008年以降、金氏は彼の三男、20代後半と思われる金正恩に、後を継ぐ準備をさせた。北朝鮮が月曜日に発表したところによれば、金正恩が後を継いだようだ。

金氏は1990年代後半に権力を確立した。北朝鮮製ミサイルを日本越しに発射し、より大きく力の強い国をパニックに陥れる事で、自分の力を見せ付けた。彼が自分の真の力、生き延びる為に恐喝する事を学んだのは、こういった事件を通してだった。

しかし彼は自分の国民を食べさせる術を学ぶ事は出来なかった。そして彼の国はより多く、中国からの食料や燃料、および韓国や合衆国からの「人道的」支援に頼るようになる。2000年6月、金氏は北朝鮮の首都平壌で、50年以上前に朝鮮半島が分断されてから初めての首脳会談のホストとなり、韓国大統領金大中を迎える。

平壌へ圧力をかける

韓国大統領はその年ノーベル平和賞を受賞する。しかし彼の名声は、韓国企業が北朝鮮と、おそらくはその指導者にもワイロを送り、首脳会談をアレンジした事が暴露されて、傷つく。

2001年1月ブッシュ大統領が職務についてから、どのように北朝鮮と交渉するかについて、ワシントンとソウルの共同作業は突然の停止に見舞われる。ブッシュ氏は韓国の「太陽政策」、つまりは北朝鮮に関与する政策を拒否し、クリントン政権時代の北との対話路線を、危険な宥和政策と見なして終了させた。

北朝鮮を危機に陥れ、金正日支配に対する反乱を喚起する一連の施策が開始される。ワシントンは可能な限り、北朝鮮との貿易を禁止し資金の流れを絶ち、同国の兵器や麻薬の輸出力を殺いだ。ブッシュ氏は金氏を「自分の国民を餓えさせている暴君」と呼んだ。

2002年8月、ブッシュ政権は、北朝鮮が1994年の合衆国との合意事項に違反している証拠を突きつけた。パキスタンの核兵器計画設立者アブドゥル・カディール・カーンからウラン濃縮施設を購入していたのだ。その証拠は強力で、合衆国はスパイ衛星から施設の輸送を追跡していた。しかしCIAは北朝鮮が別個に秘密の核施設を建設中である事に対する確信を強調しすぎていた。

この事態は、北朝鮮危機の性質を変える対決へと繋がる事になる。金氏は寧辺に常駐していた国連査察官の国外退去を命じる。合衆国は北朝鮮への燃料提供を停止する。その報復として、2003年1月から3月にかけて合衆国がイラク侵略にかまけている間、金氏は父親が9年前寸前まで行った事を再開した。抽出核燃料を爆弾にすると宣言したのだ。

米国のイラク侵略後、金氏は約2ヶ月姿を見せなかった。彼は自分がブッシュ氏の次の標的だと考えて隠れているのだと言う報告が残っている。彼は2006年、さらなる対決政策の為だけに現れた。最初に一連のミサイル発射試験を行い、そして8月、北朝鮮最初の核実験を行った。

アジアやアメリカの政府高官の何人かは、金氏の決定を、「6カ国協議」(北朝鮮、中国、韓国、ロシア、米国、日本による交渉)の進展が遅すぎる事に対する苛立ちの表明だと解釈した。他の者は、金氏は単にサダム・フセインの誤りから学び、核兵器無しに合衆国と交渉しないと決断したのだと言う。

核実験そのものは、さえない結果に終わった。その爆発力は1キロトンに満たず、合衆国が1945年広島に投下した爆弾の威力の10分の1以下だった。しかし金氏は自分の主張を明確にしたとは言える。彼は国連で非難され、中国は石油やその他の貿易を部分的に削減した。しかし数ヵ月後に合衆国は新たな交渉の再開に合意する。

交渉は前進や停滞を繰り返し、核兵器の全面廃棄が何を意味するかも同意されていなかったが、2007年夏には寧辺での核燃料製造の停止に金氏は合意する。彼はその時点までに全ての必要な兵器を手に入れていたと考えられている。

施設の解体は開始された。そして2008年夏、ブッシュ政権は金氏との最も困難な交渉を開始する。北朝鮮の核兵器廃棄の値段を決める交渉だ。彼は交渉が実質的に開始される前に死亡した。

オバマ大統領が執務について直ぐ、金氏は2番目の核実験を命令する。今回は1回目よりは成功だった。そして彼は予想される国際社会からの非難が止むまで待った。この行動は北朝鮮と関与しようとするオバマ氏の努力を中断させた。その後の3年間、合衆国と韓国は、北朝鮮がブッシュ政権時代の核廃棄宣言を履行する事を求めて過ぎて行く。

しかしながら北朝鮮は反対の事をする。2010年11月、北朝鮮は自国訪問中の米国人科学者、スタンフォード大学のジークフリード・ヘッカー(Siegfried Hecker)に、明白に稼働中のウラニウム濃縮施設を見せた。それは同国が何年もかけて建設したもので、CIAが検知できなかったものだ。しかしCIAは秘密施設の存在については正しかった。その施設は北朝鮮に核兵器製造への新たな道を提供するものだった。彼の国民がさらなる食料不足に陥ったとしてもだ。

その同じ年、北朝鮮は韓国軍に対し2度の攻撃を行う。艦船を沈め、北朝鮮近辺の島を砲撃する。この事件により、合衆国と韓国は新たな軍事演習を行う。北朝鮮の崩壊を恐れる中国が経済援助を増大させている間にも関わらずだ。

金氏は健康悪化を押して、韓国を攻撃した部隊を訪れてメダルを手渡したと報告されている。そして最近、中国の彼の後援者への最後の訪問を実現している。しかし彼の息子であり後継者と目されている人物が同行したかどうかは明らかで無い。

~~ここまで~~

今年最後の更新は不吉な記事になってしまいました。
次回更新は1月7日ごろになると思います。
来年が良い年でありますように。
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英語の勉強の為に、ニュースサイトの記事を読んでいるうちに、面白さにつられて翻訳してみようと言う無謀な事を始めました。大変なので更新は一週間に一回位になると思います。どこまで続けられるか解かりませんが。

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